空の蒼さを 見つめていると
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21th Century 週記 Art Cinema Comics Novel Word 小野不由美
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今月 ご指摘・ご感想など → ひとこと
組合の行事(「組合学校」なるもの)が鎌倉プリンスホテルであり、七里ヶ浜まで出掛ける。鎌倉は自分の庭のようなもの、とかいつも言っている割には、「鎌プリ」なんてものが存在するとは今回まで知らなかった私。そういえば、稲村ヶ崎より西は10年くらい足を踏み入れていなかったような。
久しぶりの江ノ電で七里ヶ浜駅を降りると、目の前の海はあくまでも青く、空は透き通るように輝いていて、目の前の江ノ島の右奥には富士山がくっきりと見渡せて。まるで、観光地みたいな風景だ。いや、観光地なのは間違いないんですけど(^^;
終わってホテルを出た午後は、やや普通の世界に変化していたが、それでもまだ爽やかな風に満ちていたので、そのまま長谷まで歩いて帰る。
「今年はじめての雪の日
」の少年、「野茨姫
」の“アンドロイド”少女、といった今までの短編での孤独で繊細なキャラクターを連想させる、集大成的な作品。但し、短編がその性格上、短いページ数で自分の共感者を見付けることで、ささやかなハッピーエンドを迎えるのに対し、この作品はそれだけではまだ終わらない。
多分、榛野なな恵作品の中では最もドラマティックな引きで2巻に続いているこの作品が、最終的にどういう着地を見せたのかを、早く読みたい。自分の中の位置付けはそれから。が、彼女の最高傑作の一つではという予感はしている。
……薄井ゆうじ 「満月物語」について書こうと思ったら本が見付からない。見付からないと言えば十二国記の講談社文庫版「風の海 迷宮の岸」もついこの間買ってきたばかりなのに見付からない。その代わり、仕事の資料が床に散乱している… こういう環境は精神衛生以上非常に良くないので、GWに大掃除せねば。仕方ないので、今月読んだ、小説以外のものだけ。
庭園については、京都にいた頃、大抵の寺社を訪ねたため、普通の人が一生に見る数の何倍かを既に見ている反面、知識上は素人同然な私。一つには、先入観無しに庭を観たいと思っていたせいもあるのだが、実際に見る機会もほとんど無くなった現在、基本的なことだけでもおさらいしておくのは悪くないかも、とこの前まとめて新書を買った時に購入した一冊。
で、読もうと思って開くと、…れ? 花見について書いた人だ。というか、同時に買って何故気付かない(^^; こちらの方が本業らしい。西洋と日本の庭園史を比較しつつ、展開。庭園というのは、観賞するだけのものではなく、もともと饗宴の場として実用の空間だったというのが、著者の力点。この前の花見と同じように、庭園=観賞派の私とは、またしても立場を異にするようだ(笑)
前の本同様、文章は明晰で読み易い。知識が頭の中にすっとストックされる快感。内容は基本的なことだが、とりあえずそれで充分。
特別、とんかつ好きというわけではないのだが、ルーツ系の蘊蓄は割と好きなので購入。で得た知識は、とんかつという「洋食」が誕生したのは、明治初期に西洋料理のカットレットが紹介されてから何と60年以上経った1929年であるということ。つまり、日本人がとんかつを生み出すまでの長い年月と、その後の年月は大して違わないのだ。ちなみに、かつ丼や、カツカレーの方が早く誕生しているらしい。
著者は永年、日清製粉で小麦粉の研究をしていた人。膨大な資料を基に誠実に記述したという印象は受けるが、しかし、知的興奮という点ではイマイチで、資料的価値以上の文章のセンスは感じられず。結局、とんかつ好き以外は別に読まなくても良いタイプの本。
野田秀樹のエッセーは「買い」である。どちらかというと「裸の王様だ」的な、本当のことをぽろりと言っちゃった系の、身も蓋もない内容を独特の跳躍をする文章で語る可笑しさで、今まで読んでいて、ほとんど外したことがない。
と思っていたのだが、これは今一つ。手法は「ミーハー」以来の、有名人や物を取り上げて褒め殺しをするものだが、弾けていない。文中で繰り返し「もう分からないだろけど」と愚痴をこぼしているように、文章の前提となる、幼少時の思い出とトラウマが渾然一体となった共有体験自体が、今の読者には既に通じにくいことが原因? この本でもそういう、ラジオ体操とかペナントの回は面白いのだが。
一番考えられるのは、対象となった世紀末の登場人物がいかにも役不足だったということなのだが、単に手を抜いて書いているだけかも。でも、恒例のオカマ文体?とかは相変わらず楽しめたので良いか。もともと「CanDo!ぴあ」の埋め草みたいなコラムなんだし。
…なんかすっかり、書評的な日記になってしまっているけど、それで良いのか、やや疑問も。とはいえ、例えば今日買ってきた金井美恵子「彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄 」(あの、「小春日和 」の10年後を描く続編!)などを読んでしまったら、また長々とした文章を書いてしまったりもするであろうことも確か。(金井美恵子はゆっくりとした精神状態でないと読めないので、GWまでお預けの予定)
隣の課の課長の送別会。の後ですごく久しぶりにカラオケに行く。体調は芳しくないのだが、ついつい行ってしまう辺りが馬鹿である。4人だけなのでどかどか歌いまくる。筈が、歌っていて全然、声が出なくなっているのに気付いてショックを受ける。まぁ、咳が抜けない体調のせいも大きいとは思うのだが、余りに長いこと歌う機会が無かったため、高音の声域がもはや出せなくなっているらしい。
勤め始めて、金曜の夜と言えば毎週のようにカラオケに行っていた頃は、PrincessPrincessの「Diamond」が、全部原音域(サビは裏声だったけど)で歌えたというのに(T
T) …ごほごほっ。
ようやく、週末。咳が止まらないのは、風邪? それとも寝不足? 明日は外出する用事が入っているので、今日中に仕事を片付けるつもりだったのだが、気が付くと半日掛けて、掲示板の手直しをしていた。
今や、仕事をする以前に猛然と眠いので、このまま寝てしまう予感。そして明日、色々後悔することになるのは神ならぬ我が身であっても、分かりすぎる… というわけで、余り書く暇/気力がないので少しだけ。
ともあれ、そういうわけで、ようやく「普通の」?掲示板を始めたので、よろしかったら、何でも書き込んで下さいませ。
雑誌でフォロー出来なかったので、冬目景作品恒例の楽しみ、雑誌掲載時との差異が自分でチェック出来ない。という以前に、ちゃんとした感想を書けるほどまだ読んでいない。のだが、これについて書かずに何を書くのだという気もするので、初読時の感想だけ。
実はあれから新展開で新キャラ登場、てなわけで。思ったより話進んでいないな、という気が。密度的には明らかに1巻に比べて薄いが、これくらいのんびりと進んでいく(本当に「進んでいる」かどうかは不明)のもそれはそれで楽しいので、まぁ良いや。
それにしても、こういう話だと、主人公が何か一つくらい人生に対する「目的」を持つことが、物語展開上の原動力となるのが普通だと思うのだが。というか、「ライバル」にだけそれを与えて、どうする? 1巻で出てきた「カメラ」はこの後の伏線になったり…しないの?
前半は今一つだが、後半盛り上がってくる辺りの瞬間最大風速的には、かなり面白いモダンホラー。勿論、この前読んだ「王の眠る丘 」と比べればその出来は歴然。が、しかし。この作者に対して、高い水準を期待しているからなのか、欲求不満が残る。例えば、本当に面白い時のクーンツなら、こんな中途半端なサービス?じゃないだろうというような。もっとぬけぬけと大嘘を付いてくれても良いのに。
ある角度(本格ミステリとか、一人称ホラーとか)から見れば精緻で技術的に見事な作品かもしれない。しかし、普通にというか、単純な小説としていえば、単なる習作でしかない。ていうか、全然、駄目でしょ、これは。
一人で食べる、定食屋の、あるいはコンビニ・フーズや駅弁の、孤独な旨さ。こういう話を、谷口ジローの絵でやる、というのが、この作品のポイントであり、可笑しさでもある。のは分かるだが、主人公の男が、どれを食べていてもそんなに楽しそうでないのは何故?
あと、これは原作者のこだわり(「ダンドリ君
」とかの)だと思うのだが、男が、食材のダブりに神経質なのにもやや閉口。たまごとたまごが重なる位なんだと言うのだ(^^; …午後遅くになっても昼食がちゃんと毎回食べられる!なら文句をいわんでもええやん。
などと、いつも時間が無くて、しばしば昼抜きで夜まで仕事をしている身にとっては、つい愚痴の一つも言いたくなったりするのだが。
ところで、この中の「江ノ島丼」とは、サザエが入った親子丼風のものらしいが(幼少の頃、江ノ島某所で!不味いサザエを食べさせられて以来、実は私は貝類が苦手なので、食べたことはない)、一緒に買った、鈴木晋一「たべもの東海道」小学館ライブラリー
などという、江戸時代の宿場町の名物(その手は桑名の焼き蛤とか)についての新書を読んでいたら、当時は「江ノ島煮」と言ってアワビを煮たのが名物だったとある。いつの間にか名物がアワビからサザエに変わったようだ。
で、可笑しかったのがこの本で紹介されている、当時のいわばガイドブックでの、江ノ島の土産物の記述。海苔等と共にアワビの粕漬けを挙げた後、但し、粕漬けは江戸で漬け込んだのを江ノ島に運んで売っているのだから、買ってはいけない、と忠告している
。
…昔も今も、土産物というのは、そういうものなのらしい(^^;;
HPに関する省力化、というか「手を抜く」ため、以前からの懸案事項の、掲示板の作成を始めてみたら、日記を更新する暇が無くなってしまう。いわゆる、本末転倒。
来週くらいに、今の手動更新式(爆)ボードと差し替える予定。そんなわけで、日記だか週記だか全然更新できないままですが、あしからず。
久々に映画を観に行こう。と決意する。今のところ観ていない順にティム・バートンとデビッド・リンチと思うが、「アイアン・ジャイアント」公開のことを思い出し、チェックすると折しも今日から。やはり、字幕版が基本かなと、みなとみらいなワーナーマイカルに行くことにする。バートンとのコンボが組めそうなのも、ちょうど良いし。
シネマ・コンプレクッスな劇場に入るのは初めてなので、通路の両側に1〜8まで看板が出ている風景が割と新鮮。あと、ここのポップコーン、異様に大きいような気が。大だと、もはやバケツ(^^; ちなみに私は小の2/5くらいしか食べられませんでした。
迷信と狂信渦巻く18C末のアメリカの片田舎に、科学と理性を武器に連続殺人事件を解決しようと乗り込む捜査官の話。なのかと途中まで思っていた。が、寄って立つ世界観が少し違ったようだ(^^; 正確に言えば、「亡霊も黒魔術も有り」な世界、という条件でのミステリ?
抑えた色調とかは私の好みだし、色々サービスに満ちた映画でまぁまぁ面白かったというのが素直な感想ではあるのだが、しかし、全ての面においてそこそこ平均点以上という映画をバートンに期待しているわけではないのだ。もっと幼児期の絶望というか、誰からも愛されないルサンチマンというか、そういうものが、抑えきれなくなってほとばしるような、泣きたいような笑いたいような感覚をもたらす作品こそを観たいと思う。…やはり、今、本人が幸せらしいのがいけないのか。
この映画で言うと、森の中で、追っ手から逃げてきたドイツ人の騎士が、薪狩りをしていた幼い二人の女の子に出会う場面。言うまでもなく、「フランケンシュタイン」そして「ミツバチのささやき」を連想させるこの場面で、女の子は彼を見逃す、と思いきや、音を響かせて薪を折る(そして彼は見付かって殺される)、その瞬間の彼の絶望、こういうのこそティム・バートンの
独擅場だと思うのだが。
アニメ、漫画関係者の一部から熱狂的な評価を受けた作品。というより、例えばあさりよしとおとか、あるいはあさりよしとおとか、という方が正しい気もしますが(^^; 他にも、冬目景とか樋口真嗣 とか絶賛する人は後を絶たないし。ともあれ一度観ておこうというわけで。
なるほど。絵の動きが良い。表情の描写が良い。脚本が非常に練られている。分かっていても、ほろっと来る演出。誰でも褒めるわな、これは。一言で言えば、「大人が作った、子供のためのアニメ」かと。
勿論、私は、色々制約がある中で作られてきた日本のアニメと共に暮らしてきた人間なので、そういう制約なしに作られた作品を単純に絶賛することへの疑念も良く分かるし、子供のための作品の世界観=善悪二元論を前提としたもの、を信じることなど今さら出来るわけでもない。おまけにロボットと言えば、これ。という黄金?の泣かせパターン自体を今さらやるのはどうかとも思う。が、この場合、それに一つ一つ疑問を差し挟むより、まずはその完成度に素直に感動しても良い気がする。良い作品は良い。そういう言い方が適切かどうかはともかく。
ちなみに、観たのは前述の通り、字幕版だったのだが、吹き替え版で、若くて美人なお母さんのアニーを演じているのは日高のり子らしい。…そちらも一回観ておきたいと思ってしまう私って、ダメかも?
追記) ↑何か他人事的な発言に終始していますが、個人的な感想としてはやはり「良かった」と。前半のあのセリフやあのセリフを後半のあそこでこう使うのか!という、脚本の素晴らしさに思わず泣けてしまったので。日本のアニメにおいては、セリフを物語の中でここまできちんと配置している作品はそう無い、というかほとんど記憶に無いのと大違い。いや、最近のアメリカの映画でもほとんど皆無ですが。
昨晩、電話で呼び出しを受け、(事故防止の方の)検査のため、いつもより早く出勤。色々ボロが出ることが分かっていたので気が重かったのだが、実は自分の仕事とは直接関係ない部署の分だけだったので、ややほっとする。
しかし、仕事は相変わらずで、今日中に終了させないと大変なことになるものがあり、一歩も外に出られない状態……て、まだ5/6のチケット代、郵便局で振り込んでない!受付時間は4時まで=あと30分だけ。というわけで、走りましたよ、郵便局まで。大至急の仕事を途中で放置したまま(笑) 最終的には書類を月曜に送れば、大丈夫そうなんだけど、今日送れなかった理由が、私用で郵便局へ行ったためなんて、とても言えない。
帰りにラーメンでも食べて帰ろうという話になり、その結果、いつもより若干遅く、最寄り駅にたどり着く。駅のコンビニで「ぴあ」を買って出たところで、昔の同級生にバッタリ出会う。
いや、椎名高志的シチュエーション(ドンッ「あれっ、君は確か…」「セ… センパイ!!」)では残念ながら無くて、男の友人ですが。同じ町内に住みながら、会うのは2年振りだったりする。でも、他の同級生といえば、中高の卒業以来、誰にも全く会っていないんだよな…
で、彼の家で、奥さん含めて3人で2時までだらだらと飲んでから帰宅。…長い一日だった。
久し振りに早帰り。とはいえ、横浜まで書類を届けに行ってから。せっかくなので、帰りに「森」に寄って、新刊をチェック。…余り、買うべき物は無いような。まぁ今月は、個人的には、月半ば発売予定の冬目景「イエスタデイをうたって」2巻が全て 。という感じだから、無理もないけど。
有馬啓太郎「月詠」
と小野敏洋作画の「星界の紋章」を手に取り、アーティストブックな?「SAKURA」を発見して、ダメ人間度合いを久々に向上させたくらい。いや、前の2冊の方がダメ人間な度合いは高いという見方もありますが。…フェブダーシュ男爵の家臣達のコスチュームとか(笑)
駅までの途中、自販機で缶コーヒーを買って、「当たり」が出る。
というのは、生まれて初めて。しかし、2本続けて飲めるわけではなく、荷物が増えただけだったり。それより何より、日頃から「薄幸の人生」(笑)を歩んでいる自覚のある私としては、こんなことで数少ないツキを使ってしまっていることに対して、非常に不安を覚えてしまう(^^;
気力が湧かないので、読んだものといえば、「ブルーインフェリア」の3巻とか「ダイガード」の2巻とか、文庫版「孤独のグルメ」とかComicsばかり。
あとは、昨日に引き続いて「SAKURA」を聴きながら、住宅地の並木の桜を見て周り、帰って「サクラ」を入れて飲む。というような、のどかな一日。
更には、夜桜になってからもう一度。……それは良いんだけど、仕事は?(^^;;
私の住んでいる住宅地でも、並木の桜は、ほぼ満開。というわけで、今日は、久々に車で外出して、花見にでも行こうかと思う。
が、しかし。ここのところ忙しく、乗らないばかりか、その存在すら忘れていたせいで、バッテリーが完全に上がっていた… 勿論、替えのバッテリーなどない。結局、業者に来て貰って交換した(車もないのに重い物を買ってくるのも嫌なので)時点で、11時過ぎ。もはや、車で出掛けても渋滞ではまるだけ。花見計画は断念する。…どうも、私は車というものとは相性が悪いようだ。
しかたないので、その代わり、仕事のための某所の実査=写真撮りを済ませに行くことにする。
で、実はその近くにある上大岡の本屋と紅茶屋で買い物をした後、市営地下鉄で某所まで行き、帰りは、一度、戸塚の有隣堂もチェックしておこうと、戸塚側に抜ける。だが、戸塚店は今後も来るほどの広さが無いことが判明(T
T) やはり、東海道沿線には文化は無いのか… でも、せっかく入ったのに悔しいので?新書中心に6冊くらい買い足す。
途中の電車では「OURS2001」を読む。今回は表紙が犬上すくねなので、車中で読んでいても安心だ(^^; 全体に、充実した内容だが、中でも一番鮮烈なのはやはりTAGRO「トリコの娘」。無駄のない画面と構成が素晴らしく何回も再読してしまう。
帰ってから、買ってきたお茶を飲みながら、買ってきた新書のうち数冊をパラパラ眺める。
この店の人気商品らしい、春限定のフレーバードティー。勿論、香りは桜。桜の葉が紅茶にブレンドされているらしい。好奇心から買って淹れてみる。…おおっ、するする、桜の香りが。あの、桜餅の香りだ(笑) 多分、微妙に塩味の効いた饅頭とかと合いそう。更にそれが、桜餅なら言うまでもない(^^;; 私は、フレーバードティーは基本的に趣味ではないのだけど、これはお薦め、と言って良いです。
既にこんなのとか、こんなの?とかで書いたように、この時期と言えば、桜。な私であるが、その見方は一人で桜と対峙するという、いわば「桜の森の満開の下」的なものが中心だ。
一方、西行法師以来のそういう孤独な桜見の文学史ではなく、「花見」自体がもっと評価されても良いのでは?というのがこの本。著者によれば、<群桜><群衆><飲食>の三要素を兼ね備えた「花見」という習慣は、日本独特で他の国には存在しないらしい。他にも、過去に日本を訪れた外国人の記録や、江戸時代の桜の植樹と花見の発展の歴史等、豊富な資料を基に、「花見」の歴史と性格を検証しており、花見という文化に対して色々なことを教えてくれる好著であると思う。
だが、この「花見」というものに対しては、私はいまだにアンビバレンツな感情を持っている。羨望と憎悪、とでもいうか。多分、その主因は酔っぱらいという存在自体が大嫌いだ
、ということに尽きる。「その輪の中」に入れば楽しい。というのは分かるし、出来るなら入りたいとも思う。しかし、だからといって、その日本的な無神経さ(大声でわめこうと、周りが「他人」なら気にしない)を許容して良いものなのか。
そして、「花見」というのが、しばしば日本的な、「村社会の行事」であることも、好きと言い難い理由の一つ。労働時間外に半強制的に付き合わさせられる、上司との飲み会など、背景に花が咲いていても、楽しくは無いのだ。まぁ、似たような行事(ゴルフコンペとか)の中では最も風流であるのは確かだが。
著者のように、気楽な「大学の先生」なら、「花見」は単純に楽しめるものなのかもしれないが…
日本の各地を旅しての紀行文。というかエッセー。とりあえず、吉野の桜と通り抜けの桜について書かれた表題作だけ読む。
今回読んで気付いたのは、私は赤瀬川原平(あるいは尾辻克彦)の文章は好きになれない、ということだった(^^; 目の付け所の良さに、そしてそのネタの取扱の仕方に感心はする。例えば、今回の文章でも俗人の反対語が仙人だとし、谷と山というイメージから、二つの桜の共通点と相違点を取り上げていく辺り。しかし、生理的に駄目なのだ。装われた無邪気さが。勿論、単に無邪気なのかもしれないし、全ては計算で全然無邪気などではないのかもしれないのだが、印象としては、わざと素朴に疑問を持ち、その上で了解していくスタイルが、読んでいて(ところどころ笑ってしまいながらも)イライラする。
そんな私でも読んだ価値はあると思った。紀行文は基本的に面白いのだ。ちなみに今まで一番面白かった紀行文は坂口安吾のもの。
なかなか開花しなかった桜の花も徐々に開きつつある4月第一週だが、状況は全然春めいていないというか、相変わらずいいこと無いです。
椎名林檎のCDは4/2の帰りに(そういえば4/2の日記も書いてない)、品川駅構内のCD屋でさくっと購入出来たのだが、落ち着いて聞く暇など全然無いままだし。
ようやく春らしくなってきたので、隣街まで歩く。MDで「SAKURA」を掛けながら。私にとっての彼女の歌はやはり「MAKE YOU SMILE」に尽きる。
隣街の本屋だと家まで持ち帰るのが楽なせいか、他ではなかなか買わない、こういう本も買ってしまう。蓮實重彦が映画評論を「休業中」である以上に、映画と縁遠くなってしまった今の私にとって、素直に買うことが出来なかった一冊なのだが、つい手に取ってしまった。
正直、ここに収められた文章に今さらどう反応して良いのか悩んでしまうのだが、実際のところ過去の文章は懐かしく、「リュミエール」でのオーソン・ウェルズやタルコフスキー追悼、「マルメロの陽光」、「突貫小僧」、「クーリンチエ少年殺人事件」、「ソナチネ」
といった、自分でも当時感動した映画についての文章の大半を初出時に読んでいることに驚いたりもする。
しかし、読んでいて悲しいのは、それ以外の、ソクーロフやボリス・バルネット、マノエル・デ・オリヴィエラ
といった90年代に紹介された多くの作家を実際に体験することの出来なかった自分のこの10年間。ただ、そういう自分の個人的事情はともかく、こうした蓮實流惹句というか、誘いの文章の役目というのは、もう終わっているのかもしれないという気が。だから、この本が今、出る意義はよく分からず…
他に買ったものといえば、薄井ゆうじ「満月物語」とか、川原泉「ブレーメンU」 とか、押井守Xウォシャウスキー兄弟
の対談が載っている「Title」
とかいう雑誌の創刊号とか。ついでに、「花の名前 ポケット辞典」とか買ってしまう辺りが余計。
本当は(私の生活圏内では)この本屋でしか見掛けない「隔月刊 MY詩集」
をこの際ぜひ買って帰りたかったのだが(笑)、レジに持っていくのが非常に恥ずかしかったのと、毎回あると言うことは、ここで定期購読している奇特な誰かがいるということだろうから、その人の楽しみを奪うのは悪い気がして止める。…いや、この雑誌、一目見た瞬間、コーヒーをガブ飲みしたい時!になること必須(^^;
何というか、駒井悠の「そんな奴ァいねぇ!!」のナルシスティックなキャラでもなきゃ作りそうもない詩というか、ポエム(笑)が全ページ満載、なのだ。
怖い物見たさというか、ある意味凄い世界だと思う。一般の本屋で売って良いのかとは思うが。