今日も明日もいつもの道で
「日記」ならぬ「週記」、と言いつつ、今では「月記」以上…
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昔、時鳥(ほととぎす)について書いたことがあった。
というのも、私のいる住宅地では、毎年5月半ばともなると、夜中に時鳥の鳴き声が聞こえてくるからで、1時頃、ぼーっと風呂に浸かっていると、どこからともなく響いてくるそれは、「夏は来ぬ」のように「卯の花の、匂う垣根に時鳥、早も来鳴きて忍音もらす」といった場所の特定は出来ないものの、童謡のように、夏の季語の筆頭に相応しい「初夏の到来」としての出来事として存在していた。
ところが、今年は5月が半ばを過ぎても、時鳥の「許可局!」という鳴き声は一向に聞こえてこなかった。住宅地の西の丘が切り崩されてしまったからだ、という人もいた。時鳥はあの丘の下の林に来ていたのに、というのだ。確かに、あの鳴き声は、西の方から聞こえてきていたような気もした。
今年は、三十年以上前に造成されて以降、大きな動きがなかったこの住宅地に、久々に大きな開発が加わった年だった。この住宅地を造った不動産会社による東南斜面の造成(10戸程度)、そして西の丘を切り崩した業者による新規造成(数十戸)。
何でも、西の丘の造成は、元々住宅地を造った不動産会社により、十数戸の開発が計画されたのだが、向かい側の住宅の中で、一戸も認めないと強行に主張する住民がいて、埒があかない交渉に業を煮やした会社が、他の業者に山林ごと売ってしまったのだそうだ。その業者は、今までの不動産会社のような紳士協定もなく(元々無関係だから)、丘の下の林を全て削り取り、しかも中小の業者なので、端から見てもごちゃごちゃとした区画で数十戸の造成を行っている。その惨状を見るに付け、気の毒ではあるが、限度を見極めない「愚かさ」の結果なのかもしれない、と思った。
一方、東南の造成は流石に綺麗に行われているが、そんなところまで今になって開発した不動産会社に対しては皆、かなり不信感を持っている。というのは、この大手の不動産会社は、割と最近、住宅地を安く売るという形で総会屋に利益供与するという事件を起こしており、この住宅地の新規造成も、一連の構図の中で無関係ではないのではないか、という気がするからだ。
その利益供与の事件の元を辿ると、元々、この住宅地の近辺に位置する霊園施設(勿論、その不動産会社が造成した)にあるオーナー一族の墓に、幹部一同を集結させておいて、オーナーがヘリコプターで直に乗り付ける、という十数年前まで毎年やっていた、有名な社内行事が発端らしい。
というのは、それを格好のクレーム材料として、霊園内に親族の墓地を持つ総会屋から付け込まれ、手持ちの住宅地を安く売るという形で収めたのを、別の総会屋グループに更に知られ、同じことを強要された、というのが、今回発覚した利益供与事件が起きた原因らしいのだ。
発端と言い、その後の対応といい、日本有数の不動産会社とは思えない、どうしようもない「愚かさ」であり(勿論、そういう社風の会社だからこそ、起こったわけなのだが)、「呆れ返る」としか言いようがない。そして、その中で行われた新規造成だけに、不透明なものを感じてしまうのだ。
しかし、この住宅地が元々、その不動産会社の大規模造成によって出来上がった場所であることは間違いなく、それは私にとって、子供の頃から、いわば「原罪」として抱えていることでもあった。
かつて、隣接する「米軍接収地」という名の異国を巡って繰り広げられた返還運動でも、熱心だったのは新興住宅地の住人であり、旧来からの市民との間では、環境問題で、大きな意識のずれが有った。しかし、環境保護に熱心なその住人が移り住んできた住宅地こそ、環境破壊の産物に他ならなかった、というジレンマが存在した。
今こうして周りの自然環境が破壊されようとする中で、その頃の「苦さ」を改めて思い起こす。自然を破壊して、私達はここに来た。だが、周りの自然は今のまま守らなくてはいけない。そう胸を張って言えるのだろうか。しかし、だからこそ、言うべきなのかもしれない、とも思う。
途切れていた時鳥の鳴き声は5月の終わりになって、ようやく聞こえてきた。北側の丘か何処かに新たなねぐらを見付けたのかもしれない。今年も夏は来たのだ、と思った。