今日も明日もいつもの道で 02'
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(37,38のみ、掲載順を逆にしています。)
それは今年の年明けに始まった。 後から振り返れば、一つ一つが明らかな体調の異変。しかし、私が本当に気付いたのは、体調の悪化が相当に進んでからのことだった。その間に起こったことを時系列で書いてみる 。
1月2日。短い散歩の途中に、強い尿意を覚え、急いで家に戻る。この時は、トイレに行きたくなる方が健康的だと考えていた。
1月10日。目が充血していて痛いので眼科へ。アレルギー性の炎症ということで、点眼薬を貰う。
1月14日。サウナで体重測定。1ヶ月程前に測った時より2kg少。サウナで体重が落ちたのかと思う。
1月中旬。喉が荒れているのか、仕事中に飲むお茶の量が増えた気がする。500ccのペットボトルを最低2本。 それだけでは足らない位。お茶の飲み過ぎか、胃がもたれるので、胃薬を 買う。トイレへは相変わらず多く行っている。
1月20日。寝ていて、左足がこむらがえりを起こす。
1月22日。久々に会った職場の同僚に、少し痩せた?と言われる。単純に喜んでいた。
1月23日。再び、こむらがえり。痛い。癖になってしまった? 昼、担々麺を食べている同僚の汗を見て、最近、自分に汗をかいた記憶が全くないのに気付く。
1月25日。このところ、トイレに行く頻度が特に上がっていて、昼間だと1時間おきに行ってしまう。喉もいつも渇いている。給水機で喉を湿らせているのだが、効果ない感じ。喉が荒れている、だけではない?
1月27日。朝方、尿意を感じて目が覚めてしまう。
1月29日。今日も朝、目を覚ます。夜、体重を測ると、サウナの時より2kg減。…ちょっとおかしい気がする。ここ2年位、こんな数字になったことは 一度も無かったのに。
1月30日。喉の渇きは始終止まらない。夜、体重を測ると、更に1kg減少している。体重計が壊れたかと疑う。いくら何でもこの減り方は尋常じゃない。
1月31日。今日も朝、目を覚ます。昼間も1時間持たない。昼、新書を立ち読みしていて、多尿、喉の渇き、体重の急激な減少は 、とある生活習慣病の症例であることを知る。真っ青になる。まさにその通りだ… 夜、体重を測る。昨日の数字から更に1kg減少……
……こうして、このまま体重が減り続け、いずれ死んでしまうのではと、真剣に怖くなり、2月1日、職場の近所の診療所に駆け込み、診断のため採血してもらった時には、体重は年初からの1ヶ月で既に8キロ以上も減少していた。
医者の診断は、一週間後に出る検査結果を見るまで確定は出来ないとしながらも、昨日の予想通り、糖尿病発症の疑いが極めて強い、とのことだった。血糖値が正常値(空腹時)の3倍近くである340mgにまで上がっていたのだ。
(つづく)
結果は、果たしてその通りだった。過去3ヶ月の血糖値のコントロール状態を示すHbA1cという数値が、当初11.2も有ったのだ。正常値は4.3〜5.8で、これが8を超すと合併症が進行する確立が非常に高くなる。要するに、11.2ともなると、もの凄く悪い数値ということ。要緊急入院の1.5歩手前といった位の数値。
とはいえ、起きてしまったことはしょうがないので、気持ちを切り替えて、状態の改善に努める。食事療法と運動療法の2つを実行したのだが、そう変わったことをするわけではない。内容に気を遣いながら、食事の量を減らすことと、毎日、歩くこと。言ってみれば、それだけである。もっとも、「それだけのこと」が出来なかったから、こうなってしまったわけでもあるのだが…
歩くことは、2月1日から始めた。驚くべきことに、1時間強歩いただけで、あれほど恐怖だった、体重の減少は止まり、体調は改善し始めた。それ以降も、駅までの往復1時間は、基本的に毎日歩くことにし、週末は時間がある限り、散歩に努めた。最初は足の裏にマメが出来てしまったりと、悩みも多かったが、じきに歩くのにも慣れ、数ヶ月後には、数時間、15km歩く位なら、別にどうということもなくなった。
食事は全面的に見直しをした。ただし、私が指示されたのは一日2000kcalだったので、本当に厳しい「食事制限」はしなくて済んだ。1600kcalとかのメニューだと、さすがに……と溜息を付く以外、どうしようもない量になるのだが、2000kcalだと、昼、夜共に8分目弱、程度で何とか。とはいえ、減らせるところも少ないので、朝食はパン→クラッカーというような努力は行った。
ちなみに、この食事療法は、最初に栄養士が指導してくれるのだが、あれほど無理難題を平気な顔で言う人もそうはいないような。油を使うな、塩を使うな、と言った十戒のような禁止事項から始まり、夜は8時までに食べ終えろ、とか。普通に働いて生活している人がそんなの出来るわけがない。温厚な?私ですら、「あんた、鬼や」と思いましたよ。
飲み物は、こうなった一因としてペットボトルな清涼飲料水(ローカロリーとはいえ)の常用が有ると思われたので、お茶以外のものはこの世に存在しない、と思うことにする。私の場合、アルコール飲料を日常的に飲む習慣が無かったので、それは有り難かった。カロリー管理上、アルコールも「とんでもない」(栄養士的な表現)ので。
こうやって生活してみると、夕方、強い空腹感(飢餓という言葉を多少、思い出す)に時々襲われる他は、何とかなるものよ、ということが判明。体重の減少と共に、数値も正常化した。
HbA1cは、一ヶ月毎に8.8→7.5→5.9→5.6と下がり、現在は5.0位。同時に、今まで高いとされてきた他の数値、肝機能の指数やコレステロール、尿酸値も全て基準値内に収まる。要するに、健康診断上では、かつてない程(笑)健康的になっている。
体重は、減少が止まると同時に一旦元の体重近くまで戻ったので、そこからスタートして、最初は月2、3sのペースで減量。人間、やれば出来るものだ、と自分でも思った。標準体重まではまだ遠いものの、 この一年で、スタート時からは15kg、昨年一番多かった時からは20kgは減らしている。当然ながら、体は随分と軽くなった。
そんなわけで、基本的には良いことずくめなのだが、夕方の空腹時だけは、ちょっとしたことで「怒りやすくなる」ことが判明。私は冗談抜きで、「温厚な」人間だと思うのだけど、心の中で、本当に「キレる」ようになった。大人なので、口に出しては言わないけど。だから、展覧会に対する辛口の感想が有ったら、それはそういう状態で見た可能性が大 。ただ、そうでもない限り「減らない」ので、それくらいは仕方ないのかもしれないのだが。
と、長々と書いてきたのは(実際、長すぎる。あとで直さないと)、不幸自慢でも、逆にダイエット自慢?でもなくて、今年一年の生活の中で、QOLということを考えるようになった、ということが、私にとって、非常に大きかったからなのだ。quality of life、この病気では必ず言われることだが、いかに質の高い生活を生涯、維持し続けるかということ。
逆に言うと、今までの職場環境が、いかにそれを疎外することで成り立っていたか、というのを改めて感じた。 これまでの十年間の蓄積が、このような事態を引き起こしたのは明白である。ちなみに、今の体重は大学の卒業時とほぼ同じ。過去十年間のストレス太りを、一年掛けて解消したわけだ。
私は、来年、元の会社に、現在の出向先から戻ることになるのだが、考えた末に、出来るだけ規則正しい生活が出来る職場、という条件を上司に出した。簡単に言えば、残業の少ない職場、昼飯が必ず食べられる職場(以前は碌に食べる暇が無かった)ということである。
勿論、元の会社で、そういう希望が何を意味するか、というのは私にもよく分かっていることで、要するに、その会社の価値観では全く評価されない。 人に非ず、というような。ちょうど「ショムニ」のようなイメージである。
しかし、肝心なのは私自身の健康であり、そして精神的な生活の豊かさである。自信を持って、そう言い切れるようになった点で、今年一年は(色々有ったけれど)、私にとって、実り多き一年だったと思っている。
今読んでいる途中の、荒川紘「龍の起源」という本に、東方の龍と西方の龍(ドラゴン等)の大きな違いとして、『西方の龍は有翼であること』を挙げた上で、「翼の有無は物の浮遊や飛行に対する東西世界の認識の相違を物語っている」「それは東西の天人や天使にも共通して認められる現象である」と指摘している箇所があった。
ああっ、そう言われてみれば、その通り。西欧では、昔ギリシャのイカロスは、の時代から「飛ぶ」姿は「翼」抜きでは考えられない。翼の折れたangel、なら堕天使かもしれないが、「翼のない天使」など想像することも不可能なのではないか。あるいは、スニーカーのブランドマークとして今も見掛ける女神ニケの翼。それに対し、東洋の天女は羽衣を纏いはしろ、羽など生えていない。中国の仙人にも飛行する話は多く出てくるが、飛ぶのに翼が必要だという話は聞いたことがない。
これは現代にも受け継がれている違いである。例えば、映画の中で、重力から最も自由なジャンルといえばアニメーションで、宮崎駿や押井守といったアニメのヒロインが重力からの特権性を備えているのに今さら私たちは驚きはしないのだが、ここで西洋の作品と対比してみると、東西の違いが確かに存在するのに改めて驚いてしまう。前者のアニメのヒロインは、人間が比重の関係で水に「浮く」ように、空にも「浮く」(アイテムとして「飛行石」くらいは使うとしても)のだが、後者では、「翼」で「飛ぶ」しかないのだ。
ディズニー映画を考えてみる。「飛ぶ」ものとしてまず思い浮かぶ「ダンボ」も、あの「ダンボ耳」で飛ぶ。「ピーターパン」はどうだろう? ティンカーベルは翼を持った小妖精だから良いとして、ピーターパンはそのまま飛んでいるような気はする。しかし、その格好を確認してみると、頭に被った帽子に、共同募金のような赤い羽根が差してあるのだ。それくらい、西欧文化では「翼」という記号を抜きにして「飛ぶ」ことを「想像」することが困難だということが分かる。空を飛ぶヒーローで有名な「スーパーマン」も、あのマントが翼を表現していると言えるだろう。「メアリー・ポピンズ」は原作通り、傘で飛ぶ。もっとも、あれは魔女の箒のバリエーションという方が正解か。そう、魔女も「箒」という「乗り物」を必要とするのだ。
夢の中ではどうだろう? 空を飛ぶ夢というのは世界共通の筈だ。しかし、その中での飛び方はやはり違うのではないだろうか。テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」は主人公サムが、イカロスのような仰々しい翼を付けて、優雅に飛んでいる夢から始まる。私は、(夢の中なのに)飛ぶのに「何故翼を使うんだ?」と、(まるで「つばさ証券」のCMとちょうど逆な感想だが)多大な違和感をあのシーンに覚えたのだが、向こうでは「空を飛ぶ夢」を視覚化するなら、当然、翼で飛ぶ、ということになるのに違いない。一方、日本人が空を飛ぶ夢を見るといってもわざわざ翼を生やすことは滅多になく、何となく「飛んでいる」のではないだろうか。…もっとも、私は「飛ぶ夢を見たことがない」ので、実際にはよく分からないのだが。
こうした違いはどこに理由を求めれば良いのだろうか。こういう違いがあることすら指摘されるまで気付かなかった私に、その答えの持ち合わせが無いのは言うまでもないが、しかし、方向性として想像することは出来る。
例えば、北部アジアに広がっていた古代のシャーマニズム。それはシャーマンのエクスタシー体験を中心にした文化だが、エクスタシーとは要するに、意識朦朧となって、体外離脱するような体験である。アジア人の「飛ぶ」イメージの源泉にはこういうものがあるのではないだろうか(ちなみに、シベリア辺りで始まった、エクスタシーを体験するために、カマクラみたいな穴で蒸し風呂状態になって文字通り半死半生になる、というのがアジアの入浴の起源であり、それが西はフィンランドの「サウナ」、東は南米のインディオの儀式まで広まっている。日本では、更にそれが自然温泉と出会ったことで、日本人の温泉好き(高温の温浴好き)が生まれた、というのが、吉田集而「風呂とエクスタシー」という本で言われていることであり、非常に興味深い話なのだが、それはまた別の話)。「飛ぶ」のは「意識」なのである。「翼」など必要になるわけがない。
場所的には、あるいはインド辺りが大元ということも有り得るかもしれない。「空中浮揚」というのは、東洋的なイメージであり、説話的にはインドが特に有名である。「空中浮揚」のシーンがしばしば登場したタルコフスキーの映画が日本人の私達にも妙に懐かしいのは、キリスト教(ギリシア正教)に染まる以前の、そういう土着のロシアのイメージへの親近感からなのだろうか、とも思う。
ところで、こうやってつらつら考えていて、私が不思議に思うのは、日本のアニメ好きなOTAKUなアメリカ人とかは、こういう作品を見ていて、変に思わないのか、ということ だ。「URUSEI YATSURA」とか。世界全般が謎なので、そんなことまで気が回らないのか、あるいは、翼もないのに飛んでしまうところこそ、日本アニメのfantasticな要素だと考えているのだろうか…
ところで、今回の旅行の目的地アイルランドなのだが、そこで何が見たいとか、何をしたいとかの目的が先にあったわけではない。行きたいところはどこか?と考えた時、アイルランドという地名が、頭の中でまず浮かんだのだ。
しかし、こうして一ヶ月弱、関連する書籍などを読んでいる内に、どうして自分がアイルランドへ行ってみたいと思ったのか、ようやく分かってきた。
一般的には、風野春樹さんの読冊日記でのアイルランド旅行 編(アイルランドの旅行記を探していて、普段読んでいるこの日記を発見した時は少し驚いた)の冒頭部分での説明が分かり易いと思う。まさしく、「そういうわけだ」。
ただし、更に突き詰めて言えば、アイルランドという場所自体に対する憧れ、になる。上の日記ではアラン島の下りで登場する「世界の果て」という言葉。それは地形が断崖絶壁で、陸地がそこでいきなり終わっているから、 だけではない。アイルランドはヨーロッパの西の外れに存在する。そこからの海は、まさに「西欧世界」の果ての海になる。
そう、私は恐らく、この「世界の果て」を眺めてみたい、と思ったのだ。それが、「理由」に違いない。「世界」の広さを理解するための最上の方法とは、その果てまで行ってみることなのだから。
それにしても。「世界の果て」なら、もっと相応しい場所が他に幾らでもあるではないか。秘境と呼ばれる場所。あるいは高度、緯度上での極限。少なくとも、日本人が西欧の果てを見て、一体何になるのだと思われるかもしれない。
しかし、ここで言う「世界の果て」とは物理的な意味ではない。ケルトの民が抱いていた、海の向こうの異界、ティル・ナ・ノグを向こうに夢見つつ、そこへはもはや辿り着けないという、文化的な(幻想のといっても良いかも知れない)「果て」なのである。
だから、今回の思い付きには、映画化を機に読み返してみたトールキンの「指輪物語」の影響が大きいとも言える。
子供の頃、最初に「指輪物語」を読んだ時は、登場人物達が何故、 (この世界ではない)西の島へと去って行かないといけないのか、良く理解出来なかった。今では、それがケルトの世界観を濃く反映したものであることは分かっている(トールキンが直接的に思い浮かべていたのはアイルランドではなくてコーンウォールかもしれないが)。 西の「彼岸」への憧憬。
しかし、物語を本当に理解するためには、単なる知識ではなく、実際に一度「世界の果て」から西方の海を眺めてみる必要があるのではないだろうか。灰色港から一行をサムが見送ったように。勿論、そんなのは感傷的な自己満足でしかないとも思うが、その「指輪物語」を含めて、私が今まで読んできた「この世界」の果てを確認しに行く。それが今回の旅の一番の目的なのだ。
そのために、行くまでの間に出来る限り、その「世界」の姿を、先人の記録した書物で確認しておくつもり。現地で、「現実には見えない」風景を(強引に?)見るための準備作業として。
先週より、アイルランドの歴史について書かれた本を読んでいる。どれも基礎的な内容だが、アイルランド史については、正直、今まで全然知らなかったに等しいので、今回知ったことだけでも考えさせられることが多 かった。
隣の英国は、世界史上、近代化をいち早く成し遂げた、いわば光の歴史を持っていると同時に、その過程で、世界各地に自国の矛盾点の解消策を押し付けてきた闇の歴史にも事欠かないわけだが、そういう英国の、本土に 最も近い被害者が 、アイルランドと言って良い。
この島は元々、ケルト人の征服後、バイキングに攻められ、ノルマン人に攻められ、イングランドに征服され、といつの時代も、やられっぱなしの歴史である。しかし、近代以降、この島が英国から受けたことといえば、まるでサンドバックのような叩かれ方。
中でも最悪の被害が、クロムウェルによる征服で、彼は、宗教的な復讐心と経済上の利得から、当時最新鋭の2万人の軍隊で、カトリックであるアイルランド人を何千人という単位で虐殺して回り、残りの地主達を「地獄か、 コナハトか」と一番痩せた土地である西部のコノハト地方へ追い立てた。それまで過半数の土地は所有していたカトリックのアイルランド人は、その全体が小作人の立場に貶められ、その後、永らく貧困に喘ぐことになる。 そういう事態も、(日本の高校教科書での)英国史上では「アイルランドを征服した」の一言になる。
あるいはその後の名誉革命。無血革命などと、平和な政権交代で済んで良かった、というイメージしかないが、それは英国国内の話で、脱出したジェームス2世が、再起を掛けて上陸したアイルランドで、ウィリアム3世側とアイルランド史上最も激しい戦闘を繰り広げたことは、教科書では飛ばされてしまっている。この戦いでの国内の分裂は、現代の北アイルランド問題の源泉の一つとなっていて、アイルランドでは決して過去の出来事ではない 。
さらには、19世紀半ばの大飢饉において、ユニオンである筈の英国はレッセ・フェール、要するに無策を決め込んだため、アイルランド人は死ぬか、海外に移住するか、を選択せざるを得ない状況に置かれる。結果として、移民と死亡により、人口の半分である400万人がこの国から失われ てしまう。なお、このことを英国が公式に謝罪したのは、現在の首相になってからになる。
そして、北アイルランド問題が現在までこじれてきたのは、英国の歴史的な統治方法に最大の原因があったのは言うまでもない。
全体を通して、英国の近代化の歩みのために踏み台にされてきた国、という印象は拭えない。勿論、歴史とは単純に善悪で表現出来るものではないし、この程度の知識で、何かを言えるような話でもないのだけど 。せめて、今後も、可能な限りの理解に努めるようにはしたい。数日でもその地を訪ねる以上、それ位のことはしないと。
先週くらいから、夜の1時を過ぎると、どこかから、その言葉が聞こえてくる。夜になると、誰かが早口言葉の練習を始める、わけでは勿論ない。ホトトギスの鳴き声である。私は、その時間に風呂に入っていることが多いため、浴槽に浸かっていると、狙い澄ましたように外から「キョカキョク!」 と響いてくる、という案配だ。
毎年、この時期には渡り鳥として来ている筈なのだが、こうやって意識するのは、今年が初めて。今まではその時間は寝ているか、あるいは部屋で仕事をしていてそれどころではなかったから、だろうか。
この機会に、ホトトギスについて少し調べてみる。かつては、夏の季語としては筆頭に挙げられるほど季節を感じさせる存在だったこと。だから、「時鳥」とも書くこと。夜鳴く鳥として有名で、死者の魂とも結び付けられもしたこと。大体、夜鳴く鳥は不吉な存在として捉えられる傾向にあり、例えば、「鵺(トラツグミがモデルらしいが)の鳴く夜は恐ろしい」のではなくて、「鵺は夜鳴く」から「恐ろしい」のだということ。「不如帰」「子規」は、どうやら中国語での鳴き声の聞き取り方から来ているらしいこと。等々。
なるほど、なるほど。と納得し掛けて、何かが引っ掛かったままであることに気付く。…あっ、そもそも、「ホトトギス」って何よ?
こういう時は辞書を引くのが一番。まず、末尾のスは鳥の呼び方の一つだという。確かに、カラス、カケス、ウグイスと言う。その前は、結局、鳴き声らしい。「ホトト」? 昔の人の言語感覚には若干、付いていけないものが。江戸時代の「テッペン、カケタカ」もちょっと違う気がするけど、「ホトト」よりはマシ。とはいえ、 特許許可局、と最初に振った人が飛び抜けて凄いのかも。
ところで、ホトトギスって、昼も鳴くようだけど。…いつ寝ているんだろう?
今年になってから、思うところ有って(いわゆる、趣味と実益を兼ねて)毎日、1時間は歩くようにしていて、特に用事がない週末などは、近所の丘陵を端まで、約2時間半は歩いている。
市民の森と呼ばれているその道は、私のように近隣の住人のウォーキングコースとして親しまれていて、歩いていると当然ながら数十人の人とすれ違うことになるのだが、毎回悩むのが、その際に挨拶をすべきかどうか、ということである。
ハイキング、と呼べるような山歩きをする場合、確かに、すれ違う際に、お互い挨拶をする習慣があるような気はする。もう10年くらい、ハイキング自体していないので、最近のトレンド?がどうなっているのかはよく分からないのだが。しかし、あれは、山という非日常空間で、たまたま巡り会ったことへの感動を込めて、いわば一期一会の精神から、掛けられる挨拶ではないのか。
それに対し、週末歩いているその丘陵は、私の場合、家から(バスに乗ることもなく)ただテクテクと歩いて辿り着くわけで、まさに日常空間の延長線上でしかなく、従って、そういう挨拶をする場所だとはとても思えない。家の前を歩いていて、知らない誰かとすれ違ったからといって一々、挨拶などしないのと同じことだ。
しかし、挨拶を掛けてくる人達は実際にいる。その理由をこの際、考えてみると。
仮説その1。彼らに取っては、この道を歩くこと自体が、非日常的なレクリエーションだから、声も掛けたくなる。仮説その2。同じ道を歩く人には声を掛ける、濃い共同体で生きている。つまり、逆に声を掛けることが日常的である。仮説3。何も考えていない。
周りはどこも、都心近郊の新興住宅地であることは共通しているので、その2ということでは多分、なさそうだ。
となると、やはりその1なのか… まぁ、私としても理由はどうあれ、挨拶をされたのに、それを無視する、というつもりまでは無い。されたら、返すようにはしているのだが、更に問題なのは、向こうがするかどうか自体、予測不可能なことに加え、すれ違いざまに挨拶してくる人がいることである。反応は、当然ながら、一瞬遅れる。そして、慌てて返事をする時には、相手は既に、後方である。
思わず、予防線を張って、こちらから全ての人に先制攻撃を仕掛けたくなるが、返事がなければ却って、虚しくなるだけだろう。となると、やはり、相手の気配次第でいつでも返答が出せるよう?意識しつつすれ違うという、武士のようなスタイルしかないのか。
…大体、丘陵の道を歩くだけで何で、そこまで悩まなければいけないのか。こういう、反応に困る挨拶というのも、ある意味「言葉の暴力」だと思うのは私だけだろうか。 頼むから、挨拶なら、もっと手前で、声を掛けるようにして頂きたいものである。
昼食を時々食べに行く近所のビル地下の食堂街の中に、中華の店も一軒ある。「虎山」という名のお店なのだが、実はまだ入ったことはない。従って、その名前についても、多分、地名から取った名前なのだろう、と漠然と考えたことがある位だった。ところが、ある日、エレベーターに乗り合わせた、どこかのOL二人組みの会話を聞いていて、非常に驚いた。二人の会話は、「ねぇ、今日はとらやま行こ、とらやま」「いいよー」というものだったのだ。…え、「とらやま」? 「こざん」、じゃないの?
その後、「虎山」が「こざん」なのか、はたまた「とらやま」なのか、ずっと気になっていたのだが、先日、久々にその地下街に行くことになり、看板をよく見てみると、やはり「KOZAN」と振ってあったので、ちょっとだけ安心した。「とらやま」なんて中華料理店があったら、李徴もびっくり、である。
しかし、読み方一つで、こうも違うとは。「猿山」だって、「えんざん」と「さるやま」では全然、違う感じだし。あるいは、「虎穴」だと、「こけつ」と読むか「とらのあな」と読むかで、そこで手に入るものさえ違ったりする。
ともあれ、問題は無事、解決した筈なのだが、それ以降、「虎山」の看板を見る度に、思わず「とらやま」と読んでしまう私である。