空の蒼さを 見つめていると
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21th Century 週記 Art Cinema Comics Novel Word 小野不由美
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今月 ご指摘・ご感想など → ひとこと
ようやく、3月が終わった。というわけで、週末と月末と期末が到来して、ほっと一息、というか、茫然自失というか。さすがに気が抜けたところ。
大晦日が終わった気分にちょっと近いか。とはいえ、明後日は久々のイベント(笑)なので、明日は寝倒した後、その分、仕事しなきゃ、とか思うと、どちらかというと、『めでたさも中位なり』というか、『門松は冥土の旅の一里塚』的心境かも。
そんなわけなので、椎名林檎
の新盤の初版が例え手に入らなくても、3月が終わったというただそれだけで、良いかという気分。
非常にコンパクトに凝縮した、日本映画通史。戦時の占領地での映画(満映の歴史等)迄を含んだ歴史的
パースペクティブの取り方が四方田犬彦らしい。それに、こうした映画史において、例えば押井守をきちんと位置付けることが出来るのは、彼だけだろう。
多分、講義のテキスト用に書いたのだと思うが、読み易い文章であり、概説書としては、申し分ない。
この前出た、最近の邦画監督についての解説書と同様に、色気というか、映画的な官能さが全く無い文章なのが、残念ではあるが。
日本では弁士が独特の隆盛を長く誇った歴史と、日本映画にしばしば見られる、長回し、長ゼリフという演出方法は
無関係ではないという、この本での、四方田犬彦の指摘は興味深い。すると、押井守の作品は、日本映画の歴史の深層に
基づいているのか…
思春期の少年達が「死」というものに向き合うことで成長を遂げる、一夏の物語。「スタンド・バイ・ミー」とかの系統で、同じ位の佳作。といっても、ああいう冒険物語では無いのだが。 読んでいて、場面毎のイメージが喚起されるというか、非常に映画的な作品なので、同名の相米監督による映画も見たくなる。秀逸な、でこぼこ三人組のキャラクター、そして何より「庭」の変化を、 ぜひ映像で見てみたい。
この前は、大阪の疑問につい夢中になって(笑)書くのを忘れたが、この1巻といえば、やはり何と言っても
榊さんだろう(^^; 中でも、どんなに努力しても?大好きな動物に嫌われ、撫でることが出来ない彼女がちよの飼い犬「忠吉さん」と
出会って「なでなで」するエピソードは、あのエリック・ロメールの映画「クレールの膝」のクライマックスと同じくらい、感動的だ。
ちなみに、あの映画を見た人なら、上の意見に絶対賛成してくれると思うのだが、見たことのある人が
そもそもいないような気が。
一応解説しておくと、「クレールの膝」というのは、クレールという女の子と知り合い、 その膝が気になってしょうがない中年男が、色々あった末、彼女の膝を触ることに成功するという、 ハッピーエンド?の物語だったりする。女の子の膝を触りたいという、ただそれだけのしょうもない欲望が こんなにもサスペンスフルに描かれている映画は他にこの世には存在しないと思う。というか、存在してたまるか。
最近、本を読んでいない、という気がする。というか、読んでいないのは前からだが、
本屋で探すべき本を見出せないのだ。多分、読んでいる本が少なすぎて、次の関心事へのリンクを
上手く見付けられないのだと思う。もっとも、読みたい本が増えても、読める量は変わらないので、
今ぐらいの状態で良いのかもしれないが。
そんなわけで、今日もわざわざ睡眠を補給する代わりに本屋へ出掛けたのに、買ったものは、牧野修「リアルへヴンにようこそ」
、綾辻行人「フリークス」
、湯本香樹実「夏の庭」、江國香織「ぼくの小鳥ちゃん」と
言った小説に、四方田犬彦「日本映画100年」という新書、桜玉吉の新刊位。
…まぁ、分裂気味な気がしないでもないが;、でも全体に保守的なのは事実。一言で言えば、
本を買う気力もない、という感じ。これが例えば、お茶についてだったら、今回、ようやく自分用の茶壺(=急須)
と茶杯を買ってみたり、と惜しまず投資を続けているのだが。
熊谷守一とは、かなり伝説的な日本画家。享年97歳という長寿であったにも関わらず、余り作品を残しておらず、
作品はどれも小品なのに、高値が付いている。と値段の話から入るのは、多分この画家には全然、ふさわしくないと思う。
作品が少ないのは、本人が描く気にならなかったからだし、大体、その絵はまるで小学生が描いたようなシンプルさ、なのだ。超あっさり系というか。
気負い無く、飄々とした作品。というのは、私の一つの理想と言っても良く、日本画家で言えば、晩年の池田遥邨の風景画とか凄く好きなのだが、そういった作品の中でも熊谷守一の絵は、微笑んでしまうほど、
一見ナイーブで、しかも本質そのもの、という感じが際だっている。
その熊谷守一が晩年、何とあの日経の「私の履歴書」で連載したのがこれ。といっても記者の聞き書きなのだが、そこで述べられる生き方がもう、何というか、凄い。感動せずにはいられない、凄さ。
解説で赤瀬川原平も引用しているが、年を取ってから自宅から30年出たことはないとか、蟻が歩いているのを何年も!見ていて(絵を描かずに、そういう生活をしていた人なのだ)、
蟻は左の二本目の足から歩き出すことを発見したとか、いや本当に、よくもそれで生きてこれたのかと思う。
他にも、家で寝ていたら空き巣が入り、その女のブツブツ言う独り言に思わず相打ちを打ったら、空き巣が驚いて出ていったというような、読んでいて驚くエピソードが続出。自然体に生きる、とはこういう人を指すのに違いない。
ところで余談だが、熊谷守一という名を知ったのは実は小学生の頃になる。当時、日曜に通っていた油彩の絵画教室、
というか個人の画塾にその孫に当たる子が来ていたのだ。勿論、当時の私は熊谷守一の絵なんて知らないのだが、やはりその人(私より数年年上)には独特の絵のセンスがあるような気がした。でも、絵を描くことに余り熱心でなかったように見えたのは、血筋だったのかもしれない(^^;
朝、電車で寝過ごして次の駅(幸い、その電車だと終点)で目を覚ます。…活動限界が近い。というわけで、明日も、寝休日の可能性高し。
久々にミステリィな小説など読んでいると、妙に面白く感じるのは、久々だからか、それとも誰かの言う「らぶらぶ」な展開だからか?>封印再度
久々に川原泉なマンガなど読むと、面白く感じる…のは、きっと精神が疲れているからだと思うが。あ、川原泉は勿論、いつ読んでも面白いのだが、背中を押されるというか、心に「効く」気がする時、という点で。
ところで、単行本を段ボール箱から掘り返すのが面倒という理由だけで買った「メイプル戦記」の文庫版と、庵野秀明の解説を一応チェックしようかという理由だけで買った、わかつきめぐみ「月は東に日は西に」の文庫版とでは、どちらがより「間違った買い方」なのかと思ってみたり。
そういえば、「未来のうてな」を最後まで読んでいないのに、とりあえず「宇宙なボクら!」を買ってみたりする辺りも、間違っているような気が。
連休2日目。とはいえ、今日から仕事に着手しないと明日大変なことになると思われるので、家に閉じこもって仕事…
合間に、とり・みき「石神伝説」
を最初から読み返してみたり。…読み返して、「いしがみでんせつ」でなくて「せきしんでんせつ」だったのに初めて気付く。
ほら、物部氏といえば、石上(いそのかみ)神宮だし、あの自衛官だって「石上」じゃん。って誰に言い訳しているんだか(^^;
ちなみに私、石上神宮には行ったことがあります。奈良から延々15キロ、「山辺の道」を歩いて。って、だから誰に
自慢しているんだか(^^;;;
有名な某宗教都市は神社のすぐ近くにあって、信者でない私にも強烈なインパクトを与えたのだが(独特の重厚な建物群を
市の周りを包囲するように建築していくことで、第3新東京市のように、閉鎖した都市を形成しつつある、らしい)、
あの宗教って、物部氏とは無関係なのだろうか?
夜、ちょっと現実逃避に映画のページを更新……しまった、今日やるべき仕事が全然進んでいない。
このままでは明日は大惨事かも。
…何だか、土曜の昼間の間ずっと寝続けるのが、恒例となってしまうような。夢も見ないで寝ている、という感じ。
3連休なのに、次の週のことを考えると、ずきずきとするくらい胃が痛い。…とりあえず、仕事しようか、という気分。したくないけど。本当は、ティム・バートンの映画を見に行くとか、休みらしくしたいことも色々有るのだけど。
ともあれ、中古のマンガで未読のもの(紫堂恭子とか、榛野なな恵「ピーチパイ・デイズ」とか)を少し読んだくらいで、連休1日目は終わっていく。
真っ直ぐに育った理想主義のヒロインと、兵器貿易の有力者という裏の顔を持つ父親との葛藤。
で、もってヒロインを導く、というかヒロインに導かれる? 過去を持った一人の青年。わはは、少女マンガじゃん、
という極端な設定。紫堂恭子だから読ませちゃうんですけど。
未完なのもむべなるかな、と思わないでも(^^; 作者が、理想主義と現実主義の葛藤というこのテーマで、どういう着地を
見せようとしていたのかは気になるところ。もともと「辺境警備」でも神官さんと隊長、という風にその辺のバランスを取る、相対主義的な人なだけに。
そういや、「ブルー・インフェリア
」ももう3巻出ているんだよな、買ってこなければ。
昨日よく寝ただけあって、まだどれみをやっているような時間に目を覚ます。で、午前中は真面目に仕事をしていたが、午後は気力が切れ、未読の単行本の消化Timeと化してしまう。
とり・みき「石神伝説」3巻とか、鬼頭莫宏「なるたる」4巻とか。…両方ともそれまでの物語を忘れ去っていた(^^; 仕方ないので、「なるたる」は2巻まで遡って読み返してみたりする。それから浦沢直樹「20世紀少年」1巻も。S.キングみたいな導入部。
それにしても、日曜の昼って、どうしてこうも、仕事をやる気力が湧かないんだろう… ツケが、その夜に回ってくるわけなのに…
昼前に目を覚ます。ブランチして、HPを更新して、また寝る(笑) 夕方、目を覚まして、夕食を食べて、HPを更新する(^^;;; …今日って、寝てるか、HPを更新しているか、どっちかだけじゃん。これだけ寝ると、流石に久々に頭がすっきり(笑) これから、また寝る予定。
更新の関連;で、ついでにちょっと調べもの。
あずまきよひこ「あずまんが大王」での、あの大阪の疑問、パンツと拳銃はなぜ共に「丁」と呼ぶかについてである。
こういう、数の数え方とかは、「三省堂新明解国語辞典」が得意なのだが、それによると「丁」とは数え方としては、@料理の注文の品数、A帳(和綴じの2ページ)の代用字、B「挺」の代用字、ということらしい。
「挺」……『@墨・ろうそく・銃・櫓など、細長いものを数える語。Aかご・人力車などを数える語』
「一挺」…『銃砲類、刀剣金具類、駕籠、人力車、櫓、楽器、銅鑼、鑢、スパナ、払子、鳥かご、提灯、ろうそく、弓、豆腐、墨などの単数を表す語。』
鳥かごのようにかなり意外なものまで「挺」=「丁」で数えることに驚くが、大阪の「武器と関係が?」というボケが割と正しかったのにも驚く(^^; しかし、この中に、パンツは見当たらない(爆) 辞書の記述によれば、パンツ、下着はあくまで一「枚」なのである。
…だけど、パンツ一丁、て確かに耳にするよなぁ。う〜ん。で、ここからは私の仮説なのだが、あれはこの一「丁」ではなくて、「一張羅」の方なのではないだろうか。
「一張羅」…『(「羅」とは、夏に着る薄絹の意)たった一枚しかない・晴れ着(着物)』
一張羅ならぬ、一張パンツというか(笑)、パンツ一張。それしか身に付けていない、という点で、意味も合っていると思うのだが。
……いや、だからどうしたと言われると非常に困るのだが(^^;、「オーソドックスは知性の墓場」だし? こういう疑問は大切にしないと。
今までの週にもまして寝不足な一週間。「徹夜」は絶対に嫌なので、朝は、僅かでも寝る、とはいえ、火曜とかは布団に入ったのが5:58で、起きたのが6:20だったし…… 帰ってきてからいつも1、2時間「仮眠」している、というか意識を失っているので、平均3時間は寝ている筈ではあるが。
そんなわけで、明日は寝る。もう、断固として寝る(笑)。いつも、誓いつつ、なかなか長時間寝れないのは今まで部屋にカーテンが無かったためと思われるので、頼んで今日の内に遮光性のカーテンを取り付けて置いて貰う。帰ってくると、無地のグリーンのカーテンが掛かっていて良い感じ。
榛野なな恵の「ダブルハウス」では、夜の仕事(ホスト)をやっているため、昼間は寝ている主人公のマホは、部屋に深い青のカーテンを掛けていて、よく青い水の夢を見るのだが、果たして、明日の昼の私が、同じように、緑の森の夢を見るかどうかは不明。
「風呂は、生命の洗濯よ」
というわけで。本日ひとよんまるまるに予定通り、実行してきました(^^)>「湯島作戦」
行って来たのは、奥湯本の「天山」という、日帰り入浴施設。割と有名なところらしく、駐車場は満車。せっかくなので2時間掛けて全てのお湯にゆっくりと浸かる。それにしても、温泉に肩まで浸かると「極楽、極楽」と必ず(心の中で)呟いてしまうのって、日本人としてのDNA(て何)のせい?
でも、一番気持ち良かったのは、微温湯。すっかり「ふにゃぁ〜」と脱力したまま、余りの心地よさに、30分くらい(笑)身動き取れず。 で、「天山」を出ると、更に隣の「一休」にも入り直す私(爆)
湯本駅前にある「見晴
荘」という看板に、何がしかの感慨を覚えつつ、駅前の土産物屋で温泉饅頭を買って(←様式美)、帰宅。
…したかったのだが、仕事の用事で(T T)途中下車。取引先の社長の自宅に寄って書類を徴求。
そこからの帰り、通りすがりの本屋にふと寄ると意外にも?濃い品揃え。買い漏らしていたComicsを少し補充。あずまきよひこ「あずまんが大王」、とり・みき「石神伝説」3巻、藤原カムイ「デジャヴ」(フランス語表記)、目黒三吉「さんま」。それと勿論「The Sneaker」4月号も。
暇つぶし。それ以上でも以下でも。男女2人の会話だけで構成されている六つの短編の中で、「四十四年後の証明」は、カジシン風味3%未満という感じが「拾い物」だとか、最後の「嘘の証明」は、いかにも井上夢人な、強引な?現実の転倒の仕方だとは思ったけど。
基本的に、物語を語るために描くタイプの作家というのは、(遠藤浩輝についても書いたが)苦手。とはいえ、絵が先行してしまうタイプもそれはそれで
(絵に非常に魅力があるだけに)問題だとは思う。アワーズの短編作家で言えば、大石まさるとか。
この中では何と言っても「肩幅の未来」
の切なさが出色。ただ、良くも悪くも非常に計算された作品で、その計算が見えてしまうのが気にもなるのだが、
これ以上、わざとらしい描写を減らすと作品自体、理解出来なくなる畏れもあるので、仕方ないのか。
語り方がもうちょっと上手くなれば、作品の印象がぐっと変わるような気もするのだが。
………載っているよ、本当に(笑) 相変わらず、なのは相変わらず。何にせよ、 単行本が出るまで連載が無事続くことを祈りたい。
人生最大の楽しみといえば、私にとって、それは勿論、寝ること、なのだが、仮眠を除くと、布団で寝ているのが朝の5時から6時までの1時間だけ、というような不幸が続いている現在、一番幸せなのは風呂に入っている時間。で、今凝っているのが、温泉風入浴剤の利用。
色々試してみたのだが、カネボウの「旅の宿」とかは、色付き水、というかお湯、というだけで、イマイチ。ここは何と言っても、「温泉を科学する」ツムラの、日本の湯シリーズが群を抜いて、お薦め(^^; さすが、各種イオンの量を明示するだけあって、それらしさ?をかなり堪能出来ます。特に、「登別カルルス」=白、とか濁り湯系の入浴剤がいかにも、という感じでお気に入り。
などということくらいしか、日々の楽しみがない私の人生って一体……
そうやって愚痴をこぼしていても仕方ないので、前島密に前から秘かに計画していた、「日帰り温泉入浴ツアー」を明日辺り、そろそろ実行に移してみようかと思っていたりします。この場合、楽して行ける、というのが、最大の眼目なので、場所は必然的に今の住所から一番近い、箱根。しかも、上らなくて良い、湯本付近。
この日帰り温泉ツアーは、箱根と言えばすぐに連想される、某アニメ(のライナーノーツ(笑))に習って、以後「湯島作戦」と呼称される予定。
土曜の昼間に、ただぼーっと露天温泉に浸かりにだけ行く、という、果てしなく無意義な時間の使い方。人間の在り方?としてはやはりこうでなくては。問題は、ちゃんと起きられるかということだが。