空の蒼さを 見つめていると
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21th Century 週記 Art Cinema Comics Novel Word 小野不由美
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今月 ご指摘・ご感想など → ひとこと
昼休み、鏡に映った自分の顔をふとみると、わっ、片目が真っ赤(^^;;; 毛細血管が切れたらしく、白目の半分ほどが赤く染まっている…
元々充血気味、というか、眼の血管は余り強くないので、たまに切れたりもするのだが、ちょっと怖かったので、一応、目医者へ。ま、切れただけなのでじきに元に戻るでしょうという、あっけない診断だけで終わったが、保険証が無かったので、薬代含め8000円以上を没収される。早く、保険証を探し出して、差額を回収せねば(現在、行方不明(^^;)
そんなわけで、血走った顔付きで、月末の狂騒に耐えている現在。
ずっと仕事をしていて、一段落付いたので、お茶を飲んで、「十兵衛ちゃん」の最後のLDを観る。という、まぁいつもの?休日。
ところで、放映中はずっと仕事に追われていたので音を消して映像だけ横目で見ていた(後半だけ)、某番組の「視聴率強化週間」な回のビデオを再生しようとしたら、…テープが既に終わっていて録れていないという(T
T) あの、幼女な殺し屋はいったい何だったのだろう… しくしく。しかも、代わりに、せめてもと再生した、その前の「地下水」な話が全然駄目な回だったりして、更に意気消沈、て、どれもこれも全て私のせいッすかぁ?
あとは、「天狗」の4巻を読んだり、「ウインドミル」の1巻を読んでみたり、と。いやぁ「ウインドミル」良いですね。て単に私が貞本ファンなだけ?
お店で、甘い緑茶ということで薦められたもの。確かに甘め、なんだけど、同時にいがらっぽいという感じも有って、ちょっと?だったり。まだ上手く淹れられていないのかも。う〜む、もっと温度が低いお湯でゆっくりと淹れるべきなんだろうか。100gというと、結構有って、なかなか減りそうもない。
で、起きる。一時前。まぁ、こんなものでしょ。
髪を切るついでに本屋で買い物。と言っても、結局、本は買わず。コミックスは、先延ばしにしていた川原由美子の「ソルジャーボーイ」を4冊まとめて買ったくらい。
そういえば、貞本義行の画集って買った人の話を余り聞かないけど、あの値段を出しても買うべきなのかと、箱を見る度に気になる。今日も、どうしようかと思わないでもなかったが、結局、決心が付かず、代わりに橋口隆志「ウインドミル」を買う私(笑)
階下の紅茶屋で、お茶を飲んで帰る。
今日のお茶という中から選ぶ。セカンドフラッシュ(夏摘み)のダージリンだけのブレンド。それが、何故、ビクトリア滝なのかは謎だが。
紅茶屋なので、淹れたのを移したポットで持ってくる。但し、マリアージュフレールとは違って、ミルクティ向きのお茶はミルクと一緒に、それ以外はストレートで出しているようだ。最近の私は、大体ミルクティーにして飲んでいるので、薄めな気がしてしまうが、でもダージリンらしい繊細な味を味わうにはこれ位な方が良いのかも。ちなみに、今日のお茶の一つとスコーンのセット、ということで800円。これってかなり良心的な価格設定な気が。まぁ、マリアージュフレールのポットは4杯位入っていたのに対し、レピシエのポットはちょっと小振りで2杯半というところだったけど、普通それで充分でしょ(^^;
ダージリンも良いなと思ったので、帰りに農園を特定したダージリンのセカンドフラッシュ(それだけでここには8種類ある)の中から「アリヤ99-3」を買い、朝の紅茶用に「ウバ・ハイランズ」を、あと中国茶の残り、「太姥尤珠」と「白毛猴」と「祁門紅茶一級」を買う。
とはいえ、キーマンを買ったのは他に残っていなかったからで、あのむっとする香り(いわゆる蘭の香りという)はかなり苦手。それなのに、いつの間にか、親がトワイニングの「プリンス・オブ・ウェールズ」(キーマン紅茶がベースのブレンド)の大缶を買ってきていて最近では、毎朝それが出てくるのに少しうんざり(^^;
西澤保彦といえば、実は犯人像が陰惨というイメージなので、そんな変質者ばかりしか出てこない(笑)この作品は、いっそ爽快でさえあり、わははと笑うしか(^^;;; でも、「最終ページの真実」というのは、ちょっと無理というか、すごく無茶だと思う。もしかしたら、と一応読み返してみたが、やはり根本的な所で納得出来ないぞ。登場人物(=殺意?)が集う『動機』のバカバカしさは好きなんですけど。
ふぅ…。ハードな一週間も終わり(勿論、終わったのは「ハードな」、ではなくて「一週間」の方)、何とか、まだ立っているのに気付く週末。
そんなわけなので、これから、『起きるまで、寝倒す』予定。同様に、そんなわけなので、更新は明日。そういう状況では大して書くこともない気がするけど(^^;
ちなみに、「アルスラーン戦記」は今日で、9巻まで再読完了。これでもう、いつ10巻が出ても大丈夫。
新横浜にある先へ出掛ける用事が出来、途中の暇つぶしに、本屋で手早く「薄い文庫本」を見繕って電車に乗る。
というわけなので、著者が何者なのかも良く知らない(笑) それにも関わらず手に取ったのは、これが「ゴジラ論」だったから。といっても、著者のように、ゴジラ自体にそんなに思い入れはない。ウルトラシリーズで育った特撮少年の末裔としては、平成ゴジラの映画を観ながら、ああでもない、こうでもないと歯ぎしりし、結果としてゴジラという映画/存在に対し、色々考察することが多かったため、ゴジラ論と見ると、つい気になってしまうだけなのだ。勿論、観ている最中に哲学的思考に向かわせてしまうというのは娯楽映画としては出来が酷いということである。
で、読んでみた結果だが、要約すると、ゴジラという存在に熱く仮託して、マイノリティの復権を唱えている、というか、まぁそんなところ。 大した話ではないな(笑) つまり、「わたし」(よく哲学者が、実存的な存在として、ひらがなで書くアレ)はゴジラだと。別に否を唱えるつもりもないのだが、…何というか、それだけ?
良くも悪くも、鋭さが全然足りない、って感じ。それと、「ゴジラ大百科」的なディテールを嬉々としてえんえん書いている辺りは、オタク的というか、謎本と大同小異というか。ともあれ、(自分より)頭の悪い批評を読むのは、ちょっと苛々。
ところで私が映画館で当時、考えた結果なのだが、それは、今さらゴジラなんて復活は無理、という至極当たり前の結論だった(笑) 平成ゴジラについては、モスラと戦っている辺りで、観るのがいい加減虚しくなってきたので、その後は観ていないのだが、その後も、それを裏付ける作品だけだと思う、多分。もっともそうは言っても、ガメラは復活可能だったわけで、そう考えるとゴジラも一回だけなら可能かもしれない…
ちなみに、みれにあむなゴジラも基本的には平成と同じだと思うので、観に行く暇はないです(^^;
予想通り、勤労に感謝するどころではなく、一日中、勤労せぜるを得ない祝日(^^;;;
そんな状況からの現実逃避を兼ねて、この前買った携帯の説明書を読んでみたりする。なるほど、ボイスダイヤル呼び出しというのに登録しておくと、名前を呼べばその先にダイヤルしてくれるのか(←無知)。いつの間にか、音声認識の時代になっていたのね。
ということは、「行け、鉄人!」とか言ってロボットを動かせる日も近い(大違) でも、駅のホームとかで携帯に声で命令する?のもちょっと恥ずかしいし、という気がするのだけど、どれ位の人が使っているんでしょう、このシステム。
休日の前、というと気が大きくなり勝ちだけど(笑)、実際は、普通の日より仕事が多かったりするわけで<平日中の祝日。それを考えたら、大人しくねるべき、なんだろうな…
そんなわけで、明日も大して更新は出来ない見込み(T T) …そういや、明日って、『勤労感謝の日』だったような(^^;;;
休日モード。ていうか、休日なんだから当たり前なんだけど。ヨドバシカメラで、ちょっとだけ仕事用の買い物。
ついでに「十兵衛ちゃん」の最終巻と、去年出ていた「ヨコハマ買い出し紀行」1巻を何となく、買う。で、帰って「ヨコハマ…」をぼーっと見る。
……仕事してないじゃん(^^;;; いいや。明日、もう、どうなっても。 ←なげやり(^^;;;
時代錯誤なことに、今の会社の今の店にはまだ店内旅行なるものがあって、今年は湯河原だった。というのが、金曜の夜に更新が無かった理由。
内容は、凡そこの手の旅行に予想されること、その通りなので、特に書くにも及ばない。あえて言えば、旅館の中でカラオケをするというので、忙しい中、色々「復習」しておいたのに←バカ、実際はその部屋が閉まっていて、肩すかしにあったとか(笑)、そんな程度(^^;;; ちなみに、湯河原の泉質は透明だけどツルツル←語彙、貧困(^^; で私の好きなタイプだったのだが、(少なくとも)泊まった旅館の温泉は、濃度がちょっと薄過ぎだった気が。
で、今日は、(有り勝ちな)陶芸教室みたいなもので、何だかよく分からないもの(笑)、を作って、帰ってきたところ。昼食を食べた旅館の入り口で見た「GTOご一行様」というのが非常に気になったのだが、学生とかの冗談? あるいは、本当にそういう組織(て何?)の親睦会だったのか(^^;
帰る途上の本屋で。鬼頭莫宏のデジタルコミックを一応、赤松健「ラブひな」5巻を当然(笑)買い、森博嗣と西澤保彦の文庫版の新刊も買う。本当は、金井美恵子の「恋愛太平記」とか買って読むべき作品は他に幾らでもあるような気がするのだが、今頃「アルスラーン戦記」辺りを読み返しているような有様では、実際にいつ読めるのかしれたものではないし。
TVで見た、映画の予告編が印象的だったので、気になっている。映画は、手塚真監督の作品だと後から知った。彼が書いた文章は昔、イメージフォーラムとかで良く読んでいたけど、実は映像をちゃんと見たことはない。多分、NHKで作った、亡父手塚治虫追悼関係の番組くらいだと思う。カルトぽいっ映像作家のイメージと安吾というのも、割に意外な感じの組み合わせで、出来たら、見に行ってみたいのだが。
ところで、私が安吾を読んだのは学生の時なので、&一気に読みまくったので、実は「白痴」、よく覚えていなかった(^^;;; せっかくなので、湯河原からの帰りに、「白痴」だけとりあえず読み直してみる。
「白痴」は「堕落論」とかと並んで、文学史的には安吾の代表作的な呼び方をされることが多いようだが、安吾を一気に読んだ時には、その中では、取り立てて感心はしなかった印象がある。というか、他の作品、「風博士」に始まって「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」に到る、「冷たい風が吹き抜ける」作品群の圧倒的な素晴らしさに、いわゆる戦後の無頼派的な作品は、歴史的産物に過ぎない気がしたのだ。
で、久々に読んでみると、充分に安吾、というか、これで良い、とも思ったのだが、だからこの作品が他より優れているとは限らないわけで、この際、筑摩文庫の坂口安吾全集全18巻を読み直してみたい誘惑に駆られるのだが、背表紙の厚さが計40cmもある(笑)ような文庫を読み返していたりしたら、今の読書ペースでは、いつになっても終わるとは思えない(^^;;; 所詮、私には「アルスラーン戦記」位がせいぜいか(^^;;;
映画の原作としては、いかようにでもなる、という感じ。手塚真版の「白痴」はどうなのだろうか。
そういえば、最近、安吾って割と原作としてのブームなのかな? ほら、誰かの「カンゾー先生」とか。
#ところで、この「白痴」ですが、最近のATOKとかMSIMEとかだと削除されているらしいです。差別とそれに関連する表現というのは、簡単に解決が付く問題ではないですが、少なくとも、それに近い怖れがある表現を全て削除してしまえば良い、というこういう風潮には反対。まぁ、メーカーはどんな団体からでもクレームが付くことが怖い、のだろうとは思うけど。そう思って色々、変換してみると、いかにも賢そうなATOKにも、変換されない言葉がほら、こんなに沢山…
早帰りの日なので、帰りに店に寄って、前から必要性を感じていたケータイを買う。実は、今までモバイルな通信機器を何一つ持っていなかった、というのは、ちょっと内緒(^^; せっかくなので、208。と言っても今までどう違うのかなど、当然知る由もない私。どうせ仕事用なので、一番使いやすそうなパナソニックにしたのだが、なんかデザインが今ひとつなんですよね、これ。
…例えば、この作品のストーリーというかネームだけを単独で読んだら、割と盛り上がる気もするし、勿論、絵は細野不二彦なのだから、それに文句が有るわけではない。のだが、読んだ感想としてはそれほど面白くない。その理由をずっと考えていたのだが、多分、感情移入が上手く出来ないからだと思う。それが、私が年を取って今さら少年の気持ちになれないせい、なのか、あるいは少年誌の細野作品自体の欠陥なのかは、よく分からないのだが…
先週、設置だけした、更にもう一つの本棚に段ボール箱からComicsを出して並べる… おおっ、読んだことのない本が色々出てきて驚く(笑) 暫く、ここに有るのだけで時間が潰せるな…て、潰すような時間は元から無いんだけど。
とりあえずは、自分的に完結していないまま放置しているシリーズを読み直して&最終巻までを買って、仕舞ってしまおうかと。「GS美神」とか、「宗像教授伝奇考」とか「未来のうてな」とか。あれ?「うてな」、棚に出てないじゃん。ということは、未開のComics入りの段ボールがまだあると…
林檎ビデオと「エイリアン9」3巻はとりあえず、良かった、ということで。詳述するほど気力が無い…
個人的には、バーズ=「羊のうた」、なので他は余り真面目に読んでいないのだが、秋原龍彦改め夢野龍之介「蘭々博士研究所」が割と良い感じ。何というか、既視感に溢れた設定、キャラクタなんだけど、……もしかしたら、私って、ネコ眼系少女?の笑顔に弱い?
#冷麺といえば、学食の冷麺には確かにマヨネーズが欠かせなかったような。というわけで、私もマヨネーズOK派の方です(^^;
ついでの用事があったので渋谷で椎名林檎のビデオを探す。HMVでもTOWER
RECORDでも売り切れ… 仕方ないので、秋葉原まで足を延ばし石丸電気でようやく回収。いつの間にかソフト売場がDVDメインとなりつつあるのにショック。ビデオのスペースが無くなる日も遠くないかも。
え〜と、林檎のビデオと「エイリアン9」3巻の感想は明日にでも回すとして、たまには本の感想も補完しておかないと。
というわけで、実は読んだのは一ヶ月以上前。「天使猫のいる部屋」を読んで感動した時に勢いで買った後、放置していたら、文庫が出てしまい、ますます読めなくなってしまっていた。そういう本って誰にでもよく有ると思うんだけど。私の場合、他にも「ねじ巻き鳥…」とか…
薄井ゆうじの作品というのは、世界に一つの変化を持ち込むことで、人々の意識の変容をもたらすというのが、基本的な骨格で、この作品の場合、どんどん巨大化し続ける一人の男というのが、その変化。シンプルなだけに、逆に分かり易い、静かで感動的な作品。
読んでいて気付いたのは、彼の作品の世界の中で、もう一つの「世界」を作り上げる、という展開が繰り返し現れること。「天使猫…」のパソコンの中の「南の島」、「草の上の草魚」の温室の中の、幼い頃の近所の池の風景の模型、そしてこの作品の、倉庫の中に巨人が作って見せたゴヤの巨人の絵の世界のジオラマ… しかも、それは物語の中の「現実の世界」と何らかの形で繋がっている。
その意味を考えるにはこれら初期作品の後、薄井ゆうじがどんな作品を書いていったかを知る必要があるわけだが、「星の感触」がようやく既読になって、他の作品を買っても良いと思えるようになったばかり。とはいえ、今度買う本を読むのはいつになるのか疑問だが。
気になったので、こちらも読み直してみた。いや、やはり素晴らしい。
中世のオーストリアの田舎町の少年達の前に現れた、自らをサタンと名乗る、不思議な少年。彼が、人間とはいかに愚かでどうしようもない生き物かを少年達に、(善意から)説明してみせるというのが、基本的な物語とでもいうところ。例えば、魔女とされた老女に対し、嫌々ながら、村の皆と同様に石を投げる少年達。それに対し、サタンは、その場にいた68人の内、62人までは嫌々投げていた事を指摘する。そのように人類の全体はいつも愚かな少数の大声に従うのだと。
例え編集者の継ぎ接ぎだとしても、「真作」の「44号」よりずっと魅力的で、しかも正しい指摘に満ちた傑作だと私には思える。
物語の中で、サタンは、少年達の一人の人生を善意から変えてみせる。溺れかけた一人の少女を助けようとしたために以後の人生を全身不随で過ごす運命を、二人とも溺れ死ぬ運命に変更したと、残りの少年達に告げるのだ。話を聞いて、良かったとは思うものの、実際に、(そのことを知らない)本人に会ってみれば、あと10日もすれば二度と会えなくなることを知っている少年達は顔を合わせられない。本人は、後の二人を慰めようとして10日目以後の楽しい計画を作って見せるのだが、聞かされる側にすれば更に辛い。当日、二人は家の中で一緒にいることで、彼が外の池で溺れてしまうことを防ごうとするのだが、一旦、決められてしまった運命は勿論、もう変えることは出来ず…
イノセンスと友情と運命の残酷さと。萩尾望都の短編にでもありそうな、美しくも哀しい、このエピソードが、物語の中でも白眉。
ところで、更についでに「人間とは何か」も読み直してみたのが、こちらはそういう詩的な装いがないこともあり、イマイチだったような。
もちろん、今は「アルスラーン戦記」をぼーっと読み返しているだけ。これで良いのだろうかという気もしないでもない。
細野不二彦の短編(前編)が載っているらしいので「少年サンデー」を久々に買う(高橋留美子の時は買いそびれた(T
T))。「コミックドラゴン」や「エースネクスト」も購入の必要が有るような気がしたが、鞄にそんなには入らないので、あとは「バーズ」だけ買って帰る。
個人的には、かつての「サンデーでの細野作品」の魅力とは、スマートなラブコメディのセンスと、遊び心溢れた趣味性に有ったと思っていて、サンデーでの連載を止めた以降の少年誌での作品は、「カルビ!危機一髪!」のようなごく一部の作品を除くと、ストレートなメッセージとギャグがそれぞれ上滑りしている気がするのだが、今回も前編を読む限りでは同様な気配。でもまぁ、来週も読まないと。
TVのニュウスで、文部省から各学校に要請していたらしい今日の国旗掲揚について、「掲揚しようとしたが結局、断念した」一橋大学の模様が取り上げられていたが、全国の国立大学では92%の大学は掲揚したのだとか。う〜ん、私の母校とかは、多分、一橋の比じゃなかったような気がするんだけど… 8%の方か、やっぱり(^^;;; この件が自分の学校ではどうだったのか、ご存じでしたら教えて頂きたいです>関西な学生の方々(^^
主上の母校での講演会を聞いた方の話によると、十二国記は講談社文庫をメインとすることになったので既刊分が全部移るまで、新刊は出ないらしい… 講談社ノベルスからのシフトみたいに年一冊ペースなら、全部移るのは遥か遠くだ(T
T) でも、もっと多くの人に読まれるべきシリーズだし、移ること自体は喜ばしい、のだろう。出来たら、HW系の白い表紙のイメージは継続して欲しい、てそれでは文庫を移す意味がないか。
とりあえず、現文庫で「保存用に」もう一セット確保しておくか(笑) ちなみに、最初の「月の影 影の海」上から、全て発売月に初刷で買っているのが微かな自慢(^^;;;
なかなか続編が出ないシリーズといえば、あの「アルスラーン戦記」の続編というか、要は10巻目が何と近い内に出る予定らしい。というわけで、昨日より復習のための再読を開始。この作品、読んでいて疲れないので、楽だし。いや、何もかも懐かしい。諸星あたるとサクラさんの会話とか(爆)
久々に、日曜に仕事がない、というか(今週は諦めて持って来なかった)ので、引っ越ししたまま後回しにしていた(^^;部屋の整理に取り掛かる。
本棚の一つを移動して、その横に更にもう一つ本棚を追加。せっかくなので、床に散乱している雑誌や本をとりあえず入れて、……あれれ? それだけで既に一杯? 隣の部屋に置いてある段ボール箱を一箱でも開ける計画、大挫折…
し、しかも、その後でドアを閉めようとしたら、本棚の一番下の出っ張りが何と5mmだけ(笑)引っ掛かって閉まらないことに気付く(涙) 当然ながら、二つの本棚の計14段に入れた分を一度全て棚から下ろさない限り、本棚は全く動かない(号泣) ……また来週、だな。
そんなわけで、床だけはすっきりと復元した部屋で、「十兵衛ちゃん」を観、「天狗」の2巻と「空からこぼれた物語」を読んで一日は過ぎていく。
またしても、訂正とお詫び(笑)
昨日の「聞香杯」ですが、これは台湾風の工夫茶での道具、ということで、中国茶と言い切ると誤解を招くと思いますので、訂正しておきます。あと、等級についてですが、ちなみに「極品」の更に上に、献上茶(昔で言えば、皇帝への)という意味で「礼茶」という最上級ランクがあるらしいです。多分、日本にいる限り、一生縁がないお茶だと思いますが。
ようやく、中華街へお茶を買いに出掛ける。「緑苑」という店で悩んだ末に、甘めの緑茶として「墨芽」というお茶を薦められて購入。あと烏龍茶も欲しかったのでとりあえず基本の鉄観音と。
しかし、中国茶の世界は奥が深い、というか、お値段もかなり深い(^^;;; この店の鉄観音は100gで1,500円から上は10,000円までだし、いわゆる銘茶もやはり軒並み10,000円くらい。最近、金銭感覚が無くなってきてはいるものの、5,000円を超えると流石に、なかなか手が出せない。今回は、両方とも2,800円の分、というわけで、単価的には今までのレピシエとほぼ同じなのだけど、一度で6,000円が消えてしまうと結構悲しい… 店員さんも親切で良い感じの店なのだが、50g単位で売ってくれる店も探さないと大変だ。
今日は、せっかくなので、前から欲しかった聞香杯と茶杯のセットも一つ買う。聞香杯とは、細長の筒型の容器で、一旦そこにお茶を継ぎ、茶杯に開けた後、容器に残った香りを楽しむためのもの。香りのためだけに別の容器があるとは、中国茶の世界って本当に奥が深い。と思いません?(^^;
その後は横浜へ。メイトで「十兵衛ちゃん」vol.4を、新星堂で椎名林檎「幸福論」(再発分)を買い、電車でフラッパーな創刊号を読みつつ帰る。
基本的にはファンタジー系? 安心して読める作品は多いとは思う。個人的に楽しめたのは、新谷かおる、竹本泉、波多野秀行。しかし、雑誌の場合、これだけは続き読まなきゃ!という作品でも無いと買えない私からすれば、今回の中で「読まなければ損した」と思えるのは、駕籠真太郎「パラノイアストリート」位なので買い続けるのは少し辛い。和田慎二の熱烈なファンだったりすれば勿論買い、なんでしょうが。
帰って早速、鉄観音を飲んでみる。
おおっ、甘い。次々に、何杯も飲んでしまった。しかし、2800円の「特級」でさえこの美味しさなら、その上の「超特急」や「特選」とかって、どんな味なんだろう。特にこの店で最上級の「極品」の味と香りは一体… 一回で良いから飲んでみたいと思ってしまう。人間の欲望は果てしない。
久々に飲み会があって帰ってきたら、日付変更後。最近は金曜の夜は既に活動限界に達しているので、もう寝ようと思いつつ。
菅野博士といえば、非常に好きな作家なので、名前が変わってもデフォルト買いであることは言うまでもない。この作品も、ほんの脇役に到るまでの各キャラクターの表情が非常に味わい深く(特に、「おっさん顔」を書かせたらピカイチな作家だと思う(^^;)、そういう意味ではいつものように満足したのだが、とはいえ、この作品、というかこのアニメの企画、設定無茶過ぎない? この世界設定で、70年代風巨大ロボットが必要だと本当に納得出来る視聴者or読者がいるとはとても思えないのだが…
巨大ロボットへの憧れというのは、全能だった幼児時代の再現への欲望という、言ってしまえば単純なフロイト主義で説明されてしまうような、幼稚なものであり、また、ウルトラマンと同様に、あくまで当時の、アメリカの下で復活してきた「12才の少年」の日本、という構図を反映していたものでもあったと思う。
というような、歴史的考察はどうでも良いのだが、あのレイバーが本来なら東京湾岸で稼働中の筈の?1999年も終わろうとしている中で、今さら巨大ロボットでも無かろう、しかも民間警備会社が所有するロボットという、中途半端なリアリティに、これならかつての「フェードイン」とか言って、超古代文明の残したロボットに乗り込む方がなんぼかマシだと、読んでいて/見ていて、苛立ちは募るばかり。
でもまぁ、コミックスは菅野作品だし、アニメも菅野よう子(あ、名字同じ)の曲が聴けたりするので、もう少し見続けるとは思う…
#私って、基本的にロボットものに愛を全然感じない、というか嫌いなのだな、きっと。
平日の間の祝日と言えば、在宅勤務みたいなものなので、晴れの特異日だというのに、部屋からほとんど一歩も出ることなく、日が暮れていく…
で、合間を縫って、段ボール箱から掘り出してきた「大日本天狗党絵詞」の1巻を再読したり、「ラブへな」なへっぽこアニメを観てみたりと。
鳳凰の目って葉の形のことなのでしょうか。碧螺春より、更に甘め。逆に、香りという点では物足りないような。
…最近、いよいよ、お茶の感想日記と化している気が。
2曲目「あおぞら」の真心な(笑)歌詞も非常に新鮮だったのだが、何と言っても3曲目「輪廻ハイライト」の歌詞カードには笑ってしまった。いかにも気怠いジャズを英語で歌っている感じの曲なのだが、例えば「But,never…」を、「仏徒寝坊 受難バッハどう?タイプ?」という風な日本語の、しかも全く意味不明な歌詞で書いている(^^; まるで、逆「空耳アワー」。