空の蒼さを 見つめていると

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21th Century 週記 Art Cinema Comics Novel Word 小野不由美 
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2000年6月

6/24

 少しはボーナスを有効に活用するべく、居間のTVを買い換えることにする。

 上大岡のヨドバシカメラで機種を選んで、全部登録を済ませた後、デビットカードで決済を済ませようとしたら、時間外であることが判明。土曜は5時までしか使えないらしい。確か、利用可能時間は店によって違うはずなのだが。

 ともあれ、使えねえなぁという感想。クレジットカードだと、5ポイント=5千円以上違うだけに腹立たしく、買うのは取り止め。こういうのってすごくイライラする。紅茶屋で新茶のダージリンを飲んで気を落ち着け、5千円分程、お茶を衝動買いして帰る。結局、TVを買うのは当分先になりそう。

 その前に本屋で買ったComics。「ミルククローゼット」の1巻と「エグザクソン」の3巻と「まほろまてぃっく」の2巻。…ダメダメなラインナップ。

 

Novel 薄井ゆうじ雨の扉 光文社文庫

 薄井ゆうじの作品ではしばしば作品内に、現実を再構成した「もう一つの現実」が登場する。模型であるとか、パソコンの画面であるとか、夢であるとか。そして、それが現実を浸食し、もう一つの現実も、現実の影響を受けていく中で、主人公が現実を新たに認識し直すのが、いわば、物語の定型。

 その意味で、これは究極の作品と言えるかもしれない。演劇を題材に、現実であり、劇の脚本の世界であり、作者であり、役者であり、過去であり、未来であり、と現実ともう一つの現実が目まぐるしく様変わりしつつ、重なり合って展開する。あの、女性誌「女性自身」に連載されていたとは信じられないほど(笑)複雑な作品。人生=舞台という話に、押井守「とどのつまり…」を思い出してしまった。

 ともあれ、その複雑な物語の中で、「主人公」は人生をやり直すことを目指す。つまり、ファンタジーとしてはむしろ純粋な構成で、その純粋さには読んでいて結構、感動させられるのだが、でもまぁ、正直言って、ちょっと凝りすぎかな。

 

Novel 牧野修スイート・リトル・ベイビー 光文社文庫

 児童虐待をテーマに、「愛らしい」擬態をする存在という、独特の設定を組み合わせた物語は、人に勧めても充分OKな水準の面白さ。

 ただ、どうもこの人の文章は良くも悪くも理詰めで怖さを演出しようとしている、という印象が否めないのだが。生理的に恐くないのだけど。むしろ、ホラーでない分野の方が良さが発揮出来るような気さえする。他の作品を読んでみないと何とも言えないのだろうが…

 

6/17

 何とか朝早く目が覚めたので(笑)、新宿まで「人狼」を観に出掛ける。

 

Cinema 沖浦啓之人狼

 途中まではかなり地味。後半は割と盛り上がり、終わった時はとりあえず「満腹」した感じではあったが、それほど高揚感はなく、淡々とした気分で、映画館を出る。が、時間を置くにつれ、徐々に感動がこみ上げてきたところ。やはり、凄い作品だっ!

 直接的な作画等のレベルの高さということ以上に、( 原作者の押井守が言うところの)「情念」の表現として、凄い作品だと思う。

 この作品の遙かな源流となった押井守の「紅い眼鏡」のパンフレットの中の文章で、宮崎駿は押井守に対し、登場人物達がもっとジタバタと互いに関係を持とうと努力する作品を作るよう要望していた。勿論、宮崎より冷めている押井は、その後も、その忠告には従わず、というか、直接的な関係が持つ暴力性こそ何よりまず避けるべきものとして描いてきたのだが。

 それだけに、そんな押井守の生み出した冷徹な世界をベースに、そういう「情念」を抑えながら、しかし充分に表現しているのを観るのは、奇妙な感動が。叫びたい時は叫ぶ。どこかのマンガのセリフでの「泣きたいときは思いっきり泣いちゃう」とでもいうような。その辺、沖浦監督ならではの世界なのだろう。

 最初、雨宮圭を演じる武藤寿美の柔らかな声質と、硬質な世界観やキャラクターデザインとのギャップに違和感が拭いきれなかったのだが、しかし、見終わってみると、この映画はあの声なしには成り立たなかったのかもしれないとも思う。

 日本映画ならではの溢れる情感。ということで、ここはぜひ山根貞夫の批評を読んでみたいものだ。

 

 上京?したついでに、買い物。…気が付くと、非常に重い。

 Mook。劇場で「『人狼』−BEHIND OF THE SCREEN-」(労作!)。ついでに言うとパンフは、「単なる大きなチラシ」だった。;

 Comics。川原由美子「前略・ミルクハウス」2巻上条淳士「赤X黒」下巻藤原カム「VIRGIN」有川祐「彼女とデート」犬神すくね「恋愛ディストーション」

 本。薄井ゆうじ「天使猫のいる部屋」加納朋子「ガラスの麒麟」西澤保彦「彼女が死んだ夜」「麦酒の家の冒険」貫井徳郎「天使の屍」稲垣良典「天使論序説」寺山修司「愛さないの、愛せないの」

 …はっ、今日って天使繋がり(て何?)で買ってしまっているような。

 

6/12

 ばーすでぃ。にしては、まぁ何とか穏やかな一日であったような。だからといって、「このままではいけない」ような気がするのは毎年のこと。

 

6/11

 雨なので、外へは出ず。ちびちびと仕事をしたり、うつらうつらと寝ていたり。ともあれ、雨の日はいつも以上に、割と憂鬱。

 新谷かおる日の丸あげて」。細野不二彦ビールとメガホン」。どちらも手堅い職人芸。前者は気楽に読める所が、後者は話の締め方の巧さが。

 

Novel 斉藤肇廃流 廣済堂文庫

 あの、牧野修リアルへヴンへようこそ 」を含む異形招待席シリーズの第三段書き下ろし。とはいえ、廣済堂は出版事業から確か撤退するらしいので、これがシリーズ最終作となってしまった様子。

 最初に思ったのは、これって「グリーン・レクイエム 」? で、続いて「戦慄のシャドウ・ファイア 」かと思い、それにしても内容と展開がチープ過ぎ。と悲しくなってしまったのだが、そういうホラーもどき(笑)な展開を通り過ぎた、最後の方は、まさに斉藤肇独特のファンタジー世界が広がっていて、結構気持ちよく読み終えた。

 これはもう一つの「魔法物語 」と言っても良いかもしれない。手堅いモダンホラーを期待する方には多分これは駄作(^^; しかし、斉藤肇作品の、全てが変容する世界の哀しみと喜びを知る者にとっては、読んでおいて損はない。

 

6/10

 職場の人と、小田原でバーベキュー。なぜ今頃、バーベキューなのか、しかも小田原でなのかは不明。

 その後、カラオケ。入ったところはDAMMで、椎名林檎 はともかく、ZABADAK が充実していたのには感動する。周りを無視し、「遠い音楽」を選曲してみるが、歌ってみると何と、後半部分のメロディをすっかり忘れ去っていた私。←ダイナモのせい?(違います)

 そんなことより、そろそろ本屋で各種補充する時期なんだけど。それに「人狼」もまだ観に行ってないし… ていうか、土曜はまず寝たいような。

 

 今日は、最近読んだ中でも「面白かったもの」。

Novel 乙一夏と花火と私の死体 集英社文庫

 読後すぐに、掲示板に「参りました」と思わず書き込んでしまったくらい、感心させられた一編。

 いや、著者がこれを書いた年齢(16歳)が、というより、その構築された世界の完成度と語り口の見事さに。勿論、「こういう話」自体はヒッチコックの映画を代表にいくらでもあると思うのだが、それをこのキャラクターで、しかもこの視点からこう語るとは… ともかく、脱帽の一言。

 夏祭りを迎える小さな村の人々の姿の描写が非常に生き生きとしていて素晴らしく、物語のリアリティを支えている。この話をもしマンガ化するなら、ここはぜひ、「みずいろ」の大石まさるにお願いしたい。ちょうど、魅力的な「お姉さん」も登場することだし(笑)。彼女の場合、そんなに大きな胸でなくても良いけど(^^; こういう「優しいけど残酷でもある」話を描けたら大石まさるはもっともっと面白くなると思うのだが。

 

Comics 榛野なな恵「ピエタ」U巻 集英社

 読み通してみると、良くも悪くも榛野なな恵的な世界の中で物語は展開し、そして閉じる。特に、独自の感受性に価値観を認めるその描き方は、確かに賛否両論有るところだろう。しかし、私としては、そういう榛野なな恵のマンガの枠組み自体の問題点はひとまず置いて、この作品は上質の癒しを与えてくれる、非常に優れた作品であると思う。勿論、そういう「癒し」の功罪についてはまた考えてしまうのだが…

 

Comics いしかわじゅん「薔薇の木に薔薇の花咲く」1〜3巻 扶桑社文庫

 力士はなぜゴンスというのか? これは相撲界に潜む奥深い謎の数々に初めて鋭いメスを入れた衝撃的な作品である(嘘)

 …まぁ、繰り返しギャグとでも言うか。相撲界の秘密を知りすぎては毎回、川面に浮かべられることになる業界誌の女性編集者や、プリンの一気飲みが好きな横綱「鯖の冨士」、親方や近所の女子高生からひたすら苛められる、つぶらな瞳をした不幸な力士「こけし岳」と言った、優雅で感傷的、ではないが、奇妙ながら、何故かどこか「知っている」相撲?の世界。

 単発で大爆笑する、という作品ではないけれど、3巻くらいになると、繰り返しが効いてかなりおかしいでゴンス。 て、はっ! 今…?

 

Comics 中平正彦「破壊魔定光」2巻 集英社

 連載開始当初は、有り勝ちな異星人侵略者モノだと思っていたのだが、実はかなりとんでも無い大風呂敷の広げ方だったことが判明。というか、これぞエンターテイメントとして正しい妄想の繰り広げ方でしょ。こういうストレートな作品がきちんと描かれているのは嬉しい。

 

Comics 松本次郎「ウエンディ」 太田出版

 各所で話題の作品。なるほど、一気に読ませる絵の力。まさに荒削りで読みにくいが、そのともすればノイズのような画面の積み重ねからは、登場人物達の性急さと純粋さを痛いほど感じさせる。

 ちなみに、本家「ピーター・パン 」だが、大人になってから(!)読んだ時に、ネヴァーランドの子供達は皆、ケンジントン・パークで乳母車から落ちて行方不明になった子なのだとピーターが説明する箇所には驚いた。実際にそういうことがあったのかは不明で、実は捨て子の事実を指しているのではと私は疑っているのだが、ともあれ子供達は皆死者だということ、即ちそれはネヴァーランドとはいわば黄泉の国だということだ。

 実は、そういう悲しみを含んだのが、「ピーター・パン」の世界なのだから、行き場のない不安を抱えた主人公の少女が荒涼としたネバーランドに連れて行かれる、この「ウエンディ」もその正統な後継者と言って良い。

 

6/4

 反動。

 暇無し。気力無し。



 とりあえず、Comicsについては最近買ったもののタイトルだけ書いておこうかと。半分くらいは未読だし、感想も全部書くわけではないと思うが。

 既読。榛野なな恵「ピエタ」U巻いしかわじゅん「薔薇の木に薔薇の花咲く」1〜3巻中平正彦「破壊魔定光」2巻大石まさる「みずいろ」1巻鬼頭莫宏「なるたる」5巻川原由美子「前略、ミルクハウス」(文庫版)1巻細野不二彦「ギャラリー・フェイク」19巻森山大輔「クロノクルセイド」2巻

 未読。犬神すくね「未来の恋人たち」浦沢直樹「20世紀少年」2巻高尾滋「スロップマンションにお帰り」山田章博「ラストコンチネント」(←再読が未読)。

 

6/3

 この日記って、最近は良くも悪くも書評系日記になっているなぁ、という印象なので、こういうところに登録してみる。更新情報のページに、取り上げた作品の一覧を作ってくれるようなので、便利。

 こうしてみると、私って意外とそこそこ数読んでいるじゃん、とか思ったが、よく考えてみると、私の場合、小説とComicsの両方の合計が含まれているわけで、実際は、どちらの数も大したことは無いのだった。

 そんなわけで、というわけでもないが、今日はここ2ヶ月位で、読んだまま書いていなかった本の感想を一挙? 掲載。

 

Novel 薄井ゆうじ満月物語 ハルキ文庫

 要はかぐや姫、の話。比喩ではなく、そのままの意味で。「竜宮の乙姫の元結いの切りはずし 」が自分は浦島太郎であるという老人の話であったのと同じだ。主人公の前にじぶんはかぐや姫であるという人物が現れ、主人公は当然ながらそのことを信じないのだが、事態はその通りに進行していき、まもなく、彼女には「月からの迎え」が来ることになる…

 う〜ん、困った。こういう話って、「読者」としては前提となる「設定」を「信じて」読むしかないのだけど、読者に「信仰」を強いる物語って、どうなのだろうか? 多作の薄井ゆうじの一つの方向性としては有り、なのかもしれないが、それは読者にとっては、不自由な物語であり、大変に居心地が悪い。と思うのは私だけ?

 とある作中人物は、自分はかぐや姫だという少女を「孤独にさせない」ために、彼女の言うことを「100%信じるのが愛」だと言い切るのだが、少なくとも小説の「世界」を「100%信じる」のは「小説」にとって必要な「愛」だとは思えない。

 

Words 寺田スガキ心がシャキッとする「言葉」の置きぐすり 東邦出版

 Top Pageを見て頂ければお分かりの通り、「一言」とかアフォリズムとかは割と好き。最近は本屋に行くと「そういう」コーナーまであって驚くが(しかも、その手の「名言集」の大半がディスカヴァー21なる謎の出版社から出ているので更に驚くが)、これもそういう本の一つ。

 あの富山の薬売りといえば、個人的にはゴム風船をおまけに置いていった記憶しかないのだが、今は「心の知恵」とか「暮らしの道」とか名付けられている標語の紙がおまけとしては人気なのだという。たまたま実家で目にし、その魅力に取り付かれた著者が何十もあるその標語を集め、フォントもそのままに再現したのが、この本らしい。

 平凡な人生の格言集、というところで、当たり前のことながら、一つだけ抽出するとそれなりにもっともらしさを持って響くところが、人気のゆえんなのかも。しかし、ひねくれ者の私としては、日々に満足し、労働の喜びに感謝しろと言われてもな…と思ってしまうのだが。

 一番、面白かったのは著者が最初に実家で目にしたという、「うっかり過ごせばすぐ三十、キョロキョロしているともう四十 」という標語。

 ええ、本当に、「うっかり」していた間にもう三十。この分だと、「キョロキョロ」していてもう四十になるのもそんなに遠くないような(^^;

 

Book 勝小吉夢酔独言 平凡社ライブラリー

 東洋文庫という、極めて地味ながら、中には滅法面白い本も含んでいる、歴史関係の新書サイズのシリーズがあって、学生時代、生協の本屋で時々15%引きフェアをした時にはいくつか漁っていたのだが、これはその中の一冊で、買ったまま読んでいなかったら、いつの間にか平凡社ライブラリーに東洋文庫から落ちていたのを発見。せっかくなのでこの機会に読むことにした。

 勝小吉というのは、勝海舟 の父親。勝海舟もかなり「暴れはっちゃく」(古い)な人物だったようだが、父親は輪を掛けて不良だったようで、その父親が晩年、子孫に対し、自分のような人生を送ってはいけないと、いわば反面教師として半生を語った自伝がこれ。

 5歳の頃から喧嘩に明け暮れるという、「ハリスの風」の主題歌(「隣の番長をやっつけて、そのまた隣の…」)的な毎日を過ごし、家出したり、余りの狼藉振りに座敷牢に数年閉じこめられたり、とその破天荒な人生を「おれほどの馬鹿者は世の中にあんまりあるまいとおもふ 」といった、率直な口語文で語っていくこの自伝は、確かに爽快な魅力があって、坂口安吾が褒めているのも頷ける。そう、坂口安吾の歴史小説に登場する人物の生き様とよく似ているのだ。

 それにしても、無茶な人生だ(^^;

 

Book 山本若菜松竹大船撮影所前松尾食堂 中公文庫

 松竹大船撮影所といえば、言わずとしれた、かつての日本の「キネマの天地」。であると同時に、その跡地の何とかワールドまで経営悪化により閉鎖、近所の大学に土地を売り渡したという、邦画産業斜陽の歴史の象徴でもある。個人的には何と言ってもあの数々の小津映画が生み出された撮影所として印象深い。

 その前で永年営業していた名物食堂「松尾」の女主人が記した、食堂での人間模様。様々な映画監督、俳優が登場するが、一番魅力的なのは若き日の川島雄三のエピソードの数々か。それにしても、かつての映画業界の話は皆なぜ、こんなにも楽しいのだろうか。それが、黄金時代というものなのだろうか。

 

Book 宋左近小林一茶 集英社新書

 自慢出来る話ではないが、私には伝統的な教養が色々欠けていて、中でも俳句は、芭蕉の「奥の細道 」の序文を大昔、教科書で読んだくらいでしかない。だから、芭蕉と言っても、小林信彦の「ちはやぶる奥の細道」の、妙にアメリカンな(笑)芭蕉とか、高橋源一郎の「ゴースト・バスターズ」でルート66を旅するファンキーなBashoの方がすぐに思い浮かんでしまうという有様。←勘違いも甚だしい(^^;;;

 もっとも、こうした、俳句に対する縁遠さには、一つには俳句という形式に対する不信感も有る。17文字で完結した世界を構築することは凡そ天才と呼ばれる域でなければ困難である以上、俳句は必ず読者の補完を必要とする。未完の美学、といえば聞こえはいいが、要は読者にもたれ掛かっているだけではないか、と桑原武雄がかつて提示したような疑問を私も持っていて、それでいて俳人などと風流を気取るのが許せないという気もしていた。

 でも、食わず嫌いはいけないでしょ。というわけで、読むのが簡単な、この手の新書から。一茶というのは、そんな私でも幾つか作品を知っている有名人だが、世間的にも芭蕉、蕪村に比べれば俗、で内容的にもかなり落ちる。というのが定評だと思う。

 確かに、生涯2万句というのは作りすぎ(笑) しかも、その内、著者に言わせれば面白いのはその内の330だけだというのも凄い。で、その330の句についてテーマ毎に解説しているのが、この新書の内容。

 今回読んで初めて知ったのだが、一茶の句というのは、センチメンタルなだけではなく、リアルでもあり、ニヒリスティックでもあり… 非常に複雑な性格を持っている。確かに純粋な芸術としての質の高さには不足している。しかし、その複雑さは現代人に通じるセンスでもある。というあたりがかなり興味深かった。

 何事にも一面的な評価ではいけないのだな、と思わされる好著。俳句についてはとりあえず次にしばらく蕪村について読んでみるつもり。

 ところで、著者の名前ってどこかで聞いたようだと思っていたら、巻末の略歴を見て納得。ロラン・バルト表徴の帝国」の訳者だった。あの有名な、「いかにもこの都市は中心を持っている。だが、その中心は空虚である」とか言うあれね。

 

Book 都林泉名勝図絵上・下 講談社学術文庫

 以前、庭園史の本を読んでいて、そこで資料として取り上げられていたのが、この図絵。その見事な絵の数々に全部見てみたいものだと思っていたら、既に文庫になっていた。便利な世の中になったものである。

 内容を一言でいえば、江戸時代の京都の名勝のイラスト付きガイド。編者は江戸を初めとして東海道などの「名所図絵」を立て続けに制作した人物とのこと。現代で言うところの「山と渓谷社」か。

 見ると今とは様変わりしている庭園もあり、二百年経っていても全然変わっていない庭園もあり、私のような者には興味が尽きない。庭園のセレクトも例えば、高尾は載っているが、大原は載っていないとか、今の常識との違いが興味深いし、他にも糺の森では夏祭りの間、川縁に茶店が置かれて繁盛したとか、吉田山の一帯は当時、秋は何と松茸狩りで賑わっていたとか、意外な風景も随所に見受けられる。

 この文庫を片手にもう一度、庭園を訪ねて見比べることが出来れば一番良いのだが、さすがにもうそれは不可能で、記憶を反芻しつつ、眺めるしかないのが、ちょっと残念。

 

 …ちょっとやりすぎたというか、いくら何でも長過ぎ。一日分というより、一ヶ月分だ(笑) さすがにComicsについては日を改めた方が良さそう。