空の蒼さを 見つめていると
むー、忙しい…
出光美術館の等伯展なら、「新発見」と言っても、3年前「松林図屏風」を国博から借りて展示した時と同様、虎や烏の情愛の話位だろう、と期待していなかったのだけど。 今回はそれらは前段に過ぎず、琳派(宗達)への影響とか、カラリストとしての等伯、といった新たな方向性を色々示そうとしているのが、面白かった。
展示品では、「四季花鳥図屏風」や「萩芒図」の情感が素晴らしくて。特に「萩芒図」は、横移動+クレーン撮影とでもいった映画的な感覚に満ちた画面に魅了された。
等伯のデザインを長谷川派が活用していった話も興味深く、やはり劣化コピーが段々進むんだとか思ったり(^^;; (ただし、波濤図は、まるで20世紀絵画のような極端さ に行き着いたコピーの方も面白かった)
美術館の熱意と等伯への敬愛が感じられた展覧会。情感の表現という点で、江戸琳派との意外な近さを感じたのが個人的には「新発見」だった。点数は少なくても、こういう展覧会こそ見たいもの。
目標:月に一度はオペラを観る生活、ということで、6月は新国立劇場「フィデリオ」のチケットを購入 (いつもの通り、ランク6席ですが)。
「フィデリオ」も「蝶々夫人」も全然、人気薄なのだけど、新国の公演って普通、こんなものでしたっけ? バイエルン国立歌劇場とか、日によってはS席(59000円!)から全ての席が売り切れてしまっていたりするのに。一体、どういう人が買うのやら。まぁ、その手の有名公演だと、転売業者が買い集めている気もするわけですが。
JTBワールドガイドに「アイルランド」篇が登場!(Amazon/bk1)
!と付けたのは、実は今まで、アイルランド単独のガイドブックといえば、「地球の歩き方」(Amazon/bk1)以外 、一冊も無かったから。アイルランド政府観光庁の最新情報にも掲載される位の 慶事に、ようやくアイルランドの時代が来た?と本屋でさっそく探してみたところ。……薄いよっ。僅か159Pは(ハンガリーと並んで)どう見てもシリーズ最薄。
もっとも、私の場合、今年は「アイルランド」篇を買うより前に、隣国のガイドブックの方がまず必要なんだけど。
本日深夜のNHK(BS−2)での「赤鬼」放送。NODAMAPには何故かロンドンバージョンの情報しか載っていなかったのだけど、番組表を見ると、その前に日本バージョンも放送する様子。昨年、シアターコクーンで3つ見比べた時に、一番印象に残らなかったのが日本バージョンなんだけど、一応3つ揃えておいた方が良いか。
でも、当分見直すことは無さそう… というか、野田作品のビデオなら「贋作・桜の森の満開の下」をそろそろ見直したい気分。前回見たのは、もう4年も前のことだし、この週末辺り、見てみようかな。
3/23発表の開花予報によれば東北地方は「平年並」らしいので、4/29辺りでの角館行きを計画中。
飛行機から寝台列車まで、色々な交通手段を検討してみたけど、結局、新幹線での往復が一番楽かつ無難かも。ただし、夜行バスの経済性と朝一番に着くところも捨て難い。でも、体力的にはやや辛いような。どうしようかな…
木曜に見た分は少しずつ書いていくつもり。
始まって3ヶ月経つし、平日の午前中だし。どうせガラガラでしょ、と思ってたのに、割と混んでいた… お陰で、世間話が主目的のおばさん達の会話と、隣の奥さんへのおじさんの果てしない蘊蓄の中で見る羽目に… 耳栓 が必要?
今度の「アール・デコ展」に行くなら、これとか「ルネ・ラリック展」も見ておいた方が良いかな と。「ミュシャ展」に続き「ガレ展」まで行ってしまうなんて、お兄様、貴方は堕落しました、という気も(それはR・デコ)。
しかし、私はやはり、ガラス製品には思い入れが出来ないようで、作品よりも、大地震が来たら軒並み倒れる展示だけど保険料は幾らなのかとか、ガラス製品はガラスケース越しに展示されるという逆説(見られるガラスと見られないガラス)が必ず存在するとか、余計なことの方に意識が向きがち(^^;;
結局、再確認したのは、芸術としてのガレには余り関心が無いことで、むしろ興味が有るのは、そこに映し出されている当時の美意識。花。昆虫。深海。それらは生の自然ではなく、人工化された「自然」だと思うの で、日本人的な自然観(草木を愛する良い人だった、みたいな)では正しく理解出来ないのでは?
アールヌーヴォーに代表される当時の美意識と、現代の美意識はどこまで共通のものなのか、一度整理しておきたい。…まぁ、その手の「宿題」は思い付いても、すぐに忘れちゃうんですけど。
今月分の振替休日。せっかくなので、有効に使うべく都内の美術館巡りの一日。
江戸東京博物館「フランスの至宝 エミール・ガレ」展→出光美術館「新発見・長谷川等伯の美」→国立西洋美術館「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」→東京国立博物館 特別公開「中宮寺 国宝 菩薩半跏像」→東京国立近代美術館「ゴッホ展」。
怠惰な私らしからぬ精力的な訪問数だけど、(一番混まない)木曜の夕方5時以降に「ゴッホ展」に着くということから逆算して回っていたら、こうなってしまった。
しかし、前売り買って公開2日目にいきなり見に行ったりすると、端からは「ゴッホ大好き」人間にしか見えないな。一にも二にも、混んだ状態では見たくない(そこまでして見る画家だと思わない)だけなんですけど…
感想はすぐに書ける数ではないので、当然ながら全て後日(の予定)。とりあえず一言だけ言うなら、出光美術館の「新発見・長谷川等伯の美」が凄く良かった。展示スペースは例によって限られているけど、展示内容に普段の3倍くらいの気合いが感じられた(^^;; 等伯が好きな人なら、見逃さずに行っておくべき展覧会。
渋谷AXにて5/20(金)開催の「新居昭乃 20th Anniversary Live “sora no uta”」。最初のプレオーダー(公式HP受付分)で、チケットを無事確保。
今まで彼女のライブは都合が付かなかったり、チケットが取れなかったりと1度も行けたことが無いので、凄く嬉しい。あとは、当日どうやって時間までに開場に辿り着くかだが(^^;;
掲示板で鳥野さんより、長谷川りん二郎の「猫」が茨城県立近代美術館に来る(次回の企画展「気まぐれ美術館 州之内コレクション展」の一点として)ことを教えて頂く。
宮城県美術館まで行かずとも、関東で「猫」が見られる絶好のチャンス!なので、是非行きたい。もっとも、うちからだと水戸まで行くのも結構、遠いんですけど…
新国立劇場の「コジ・ファン・トゥッテ」初日。初めて見たのだけど、割とあっさりした作品なんですね。ダシを贅沢に使ったお澄ましみたいな味わいというか。
出掛けに駅で、開催間近の「ゴッホ展」の前売りを購入。
前売りを買うほどゴッホが好き、というより(余り好きじゃないので)通常料金を払うなんて多分、腹が立つ、という理由から。今回初めて、「みどりの窓口」で前売り券を買ってみたのだけど、本当に「切符」なのには笑った。まぁ、切符購入時と同じ機械で同じ用紙に印刷するのだから、当たり前といえば当たり前なんだけど。最寄り駅で買えば良い ので便利は便利。
ところで、最近ふと見付けた、artscapeの村田真の記事「またしても、クレラー・ミュラー美術館所蔵の「ゴッホ展」が開かれるワケ」。実は、5年前の過去logだったりするのだけど、何だか今回もそのまま通用する内容のような気がしないでも…
私が言うまでもないことだけど、東京国立近代美術館が今さらやるべき展覧会じゃないよなぁ。一応、今回の目玉は、半世紀振りに「夜のカフェテラス」が来ることらしいですが。
野田秀樹の「赤鬼」タイバージョンが、今夜24:55からBS-2で放送予定なのにTV欄で気付く。録っておかなくては。
と言いつつ、見直したいのはロンドンバージョンなんだけど。あ、ロンドンバージョンも27日夜に放送予定? って英国公演の再放送か… 前回は教育TVで写りが悪かったので、もう一度録ってはおくけど。渋谷の公演分がもう一度見たかった。
なお、野田地図/NEWSによると、「走れメルス」もWOWOWで明日放送とのこと(私は見られませんが)。
それにしても、「キル」が放送予定だった昨年9/5の夜は、台風16号の浸水の中継で放送自体が無くなったし、野田秀樹の芝居がNHKで放映予定の日は、天災が起きることを恐れた方が良いのかも…
栃木県立美術館の「小泉斐と高田敬輔」を見に、宇都宮まで往復。展覧会の感想は後日として、行っただけのかいは充分有ったかと。簫白も見れたし。餃子も食べたし。
ちなみに、今回は往復、湘南新宿ラインのグリーン車を使用してみた。グリーン車なんて普段乗ったことは無いけど、休日は平日より200円安い上に、料金体系が50km以下、51km以上の2本だけ、ということは、私の場合、160km以上乗り続けてもグリーン車料金は750円ということで、これはもう使うしかないかと。
そんなわけで、片道3時間近い旅程(小旅行?)だったけど、すこぶる快適だった。次回(インディアナポリス美術館名品展)も、これで行こう。
秋のプラハ国立歌劇場「アイーダ」。
例によって全国を回る中、東京文化会館がまずプレリザーブ中。プラハ国立歌劇場なので、豪勢なセットは元から期待していないが、マリア・グレギーナとノルマ・ファンティーニのどちらのタイトルロールを選ぶべきなんだろう。値段の余りの開きを見ると、明らかに 前者がAキャストなんだけど、「アイーダ」についてはむしろ後者の方が持ち役みたいだし。
でもまぁ、自分の中で特にこだわりが無ければ、少しでも懐に優しい後者の公演で別に良いのか。(本当は聴き比べるのが面白いんでしょうけど、そこまでは暇も金もない)
「イタリア映画祭2005」。イタリア映画は好きなので、こういう映画祭は観ておくべきだとは思うけど、GWはそれほど暇じゃないので、恐らくパス。新鋭監督中心の上映作品の中で、スコラの名だけが目立つ。というか、21世紀になってもデジタルビデオで撮っているなんて元気な爺さんだ。
…あれ?「エットレ・スコラ」? またしても名前の表記が変わってるよ(^^;;
桜の開花予報第3回の発表(気象庁)。東北(秋田)は例年より1日早めらしい。
今年こそ角館に行こう、と思っているのだけど、GW前の平日は休めないので、休日(4月23、24日か29日以降)のいつにするかで悩み中。昨年+6日と考えると、24日よりは29日? JRが大々的に宣伝するようになって以来、前もって、賭で切符を取っておくしかないのが難しいところ。次回(23日)予報で判断するしかないか。
昨日の予定表では4月15日を休みにしたのだけど、それは曽我簫白+平安神宮の垂れ桜用ということで。
桜見がライフワーク?の一つ である者としては、未見の名木も見に行きたいのだが、その更に前週は仕事で休出だし、今年は難しいかも。
池袋新文芸座で、岡本喜八追悼特集 (5/21〜6/10)(読書日記)。休日しか行けないと思うけど、出来るだけ通いたい。
来年度の休みの予定を入れよ、という表が回ってきたので、悩みつつ表のカレンダーを埋める。
まずは夏休み。旅行を前提に、7月第3週の予定。実は今回は、行き先だけは英国と既に決めていたりする。
もっとも行きたい場所が多すぎて、具体的には全く未定。郊外や出来たらウェールズ、スコットランドにも足を伸ばしたいけど、ロンドン市内の美術館を回るだけで1週間は経ってしまいそう。とはいえ、 (まだまだ先の気もするけど)7月となると残り2ヶ月で、計画を詰めないといけないのか。
あと、今年は仕事の都合で3ヶ月に2日は休出することになっていて、その振休も取る必要が有るのだけど、その状況で休みを入れるのは難しく。とりあえず美術館が休館の月曜だけは避けて、見たいオペラが有る日に出来るだけ重ねてと。
そんな享楽的な決め方で良いのかとは思うが、1年分といきなり言われても、そうでもしないと決められない。しかし、通常の休み以外に振休を入れていくと、何か随分と休日が増えたような… 勿論、それは単なる錯覚、なんですが。
カフカ「城」の再読、完了。
1月末の芝居を受けて、先月半ばには読み始めていたのだが、一言で言えば退屈というか、読み続けるのに苛々する余り、中断する言い訳に西澤保彦の未読の文庫、新書を(6冊ほど)買ってきてその間に読んでいたりしたのが長く掛かった要因。
まぁ、経験則的に言えば、カフカ(の長編)が面白く感じられてしまうのは、他人の不幸 によってしか癒されないところまで精神が既に追い詰められている時なので、退屈な位でちょうど良いのかも… 感想は(書くとしても)かなり後日。
京都国立博物館にて4月開催予定の曽我簫白展。
ようやくサイト上に概要がUP。流石に壮観な出展内容だけど、どうせ展示替えで半分位しか見られないんだろうな…(展示替え予定を早く出して !)
関連イベントの内、横尾忠則氏の講演会は、もの凄く人が来そう。当日整理券配布、って見込みが甘過ぎない? まぁ、私は行かない(行けない)ので関係ないですが。あと狩野博幸氏による3回の講座名には笑った。泣いて、怒って、笑う簫白。
「ミレイユ」の話の更に続き、てあんまり続かないんだけど。
作品に登場する料理ではない以上、「ミレイユ」とは『プロヴァンスの少女ミレイユ』というイメージ自体を借用したネーミングだった、と考えるのが自然。つまり、ある種の田舎風という意味合いを、 純真な少女の物語のイメージを借りて表現した料理名だったのでは無いかと。言ってみれば、「なっちゃんの秘密」と同じパターン。ただし 、出来合いの作品から取った分、やや安易というか。勿論、全てが私の推測ですが。
問題はいつ出来た料理(名)かということで、叙事詩「ミレイユ」がパリの文壇で絶賛された19世紀半ばのことなのか、あるいはミストラルがノーベル文学賞を受賞して改めて脚光を浴びた(であろう)20世紀初頭なのか。実作品と関係なく、プロヴァンスのイメージだけを借用している(と思われる)点で、後者の可能性の方が高そうだが、この辺になると、日本語の資料 だけで真実まで辿り着くのは恐らく不可能。というわけで、「ミレイユ」の話はここまでで終了。
ちなみに、「調理用語辞典」の同じページには、玉葱などの香味野菜をソテーした「ミルポワ」について、ルイ15世時代のミルポワ元帥から来た名前、と書いてあって、そちらの由来も非常に気になったのだが、…え〜と。切りがないから止めておこう(^^;;
余談 その1。叙事詩「ミレイユ」の、妖精の洞窟に住んでいる女魔法使いを二人が訪ねるという章で、女魔法使いが「あそこに、……がいるよ」と数え立てる妖精の種類の多さときたら、ちょっとした「プロヴァンスの妖精・妖怪百科」が書ける位。アイルランドやスコットランドの妖精は資料も多いけど、南仏の妖精に関する民間伝承(の邦訳)はかなり珍しいので、そういう資料が必要になる人は、この本のことを覚えておくと、後で役に立つかも。
余談その2。ノーベル文学賞って、受賞者の一覧(あるいは公式サイト)を改めて見ると、全然読んだこと無いなー、という印象。特に最初の辺りの作家だと読んだことがあるのは「ジャングルブック」「ニルスの不思議な旅」「青い鳥」位…って児童文学の名作だけじゃん。
まぁ、その時代の情勢に左右される割と政治的な賞で、面白い作家リストでは必ずしもないと思うので、受賞者の作品は今さら一通り読もうとか思わない方が賢明なのだろうけど。などと自分がこの手の教養に全く欠けている−とはいえ、今どき「一通り読んでいる」人は一体どれ位いるんだろう?−言い訳をする私。
件のミストラルが受賞した1904年は2人が受賞ということで、公式サイトではわざわざ「1/2 of the prize」と表示されているのだけど、こういう場合、貰うメダルも半分ずつ、なんでしょうか。貰ったことが無いのでよく分かりませんが。
バイエルン国立歌劇場の秋の来日公演のチケットは予想通り、敗北。
まぁ、休日のF席しか購入出来ない時点で、元から無理というか。替わりの衝動買いとして、何故か、ゴールデンウィーク中の「メディア」を取ってしまう私。
ちなみに、ワーグナーは、「タンホイザー」序曲を、高校の時、ブラスバンドの公演で吹いた(といっても、チューバだったので、ドッドッドッドみたいな旋律)ことがある位の接点しかなくて、その後も思想心情的に出来るだけ近付かないようにしていたのだけど、せっかくオペラを見始めた以上、観るだけは観てみようかと最近 になって思い始めたところ 。
「マイスタージンガー」は新国立を(出来たら)行くとして、「指輪」4夜をまず映像で観よう、と思うのだが、基本はやはりレヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場らしい。廉価版が昨秋売っていたな、と思い出したものの、amozon、DVDirect等では既に売り切れ。何とか見付けたHMVで、「ラインの黄金」を注文したら、数日経って品切れとの返事。
ようやく「DVD生活」で「在庫状況:残りわずか」を発見し注文。ここは受取時のカード決済なので、却って使い難いところがあるのだけど、木曜夜に発注して土曜に受け取るようにした、つまりは今日、受領したばかり。廉価版の10%引きで7枚、計18522円なら、まぁまぁ安い方の買い物?
トータルで937分だから、1分辺り20円だし、…てその計算に何の意味があるかはともかく。しかし、買ったは良いけど、15時間分を一気に観る体力も暇も無いので、機会を見付けては、じわじわ見ていくしか無いなぁ。それって、絶対、ワーグナーが意図した聴き方じゃないと思う 。
「ミレイユ」の話の続き。
ミストラルという作者については(初耳だったので)どうせマイナーな作家なんだろうと思っていたら、実はノーベル文学賞の歴代の受賞者(この作品のお陰で?)で、岩波文庫 にもちゃんと翻訳があった。やはり、私が無知なだけなのか。
色々と調べる過程で、「.hack 」のミストラルとミレイユの親子はここから引用された名前だったらしいとか、どうでも良い真実に至ったりしたものの、「ミレイユ風」 の由来については依然として不明。というわけで、今年1月に好都合にも再版されたばかりの文庫本を、実際に読んでみることにした。
まるで世界名作劇場のようなタイトル だが(「アルプスの少女ハイジ」とか「ふしぎな島のフローネ」とか「牧場の少女カトリ」とか)、作品の特色を織り込む工夫なのだろう。
というのは、革命以降、標準フランス語の使用が義務付けられると同時に、地方言語が抑圧された19世紀フランスにおいて、地方言語の1つプロヴァンス語で書かれた叙事詩として、プロヴァンス語復興運動の象徴となったのが、この作品らしいのだ(→「プロヴァンス万歳」の「プロヴァンス語」)。ミストラルのノーベル賞受賞も、この作品を含む、プロヴァンス語復興への 長年の貢献が評価された、いわば功労賞(晩年の1904年に受賞)だったようだ。
もっとも、翻訳では、プロヴァンス語の詩としての美しさを窺い知ることは出来ないわけで、どんな物語かは大体分かった、という程度。簡単に言うと、 プロヴァンスの地主の少女ミレイユと、籠細工職人である若者ヴァンサンとの悲恋。
『お互いの間に淡い恋心が芽生えるのだけど、父親に反対されたミレイユがレ・サント・マリー・ド・ラ・メールの教会を目指して、一人で家を飛び出し、6月の灼熱の暑さの中、教会にはようやく辿り着くものの、体の弱ったミレイユはそのまま天に召されてしまう』
と書くと、一見、涙無くしては読めない話のようだけど、冷静に物語自体を追ってしまうと、え、何で?という感じ。
大体、教会を目指したのだって、ヴァンサンに「嫌なことがあったら教会にお参りすれば、心が静まるから」と言われたことがあるから、というだけの理由だし、ミレイユの無分別さは「純粋さ」として好意的に解釈するとしても、遠路はるばる来た、しかも道中の疲労で命が消えつつあるミレイユに対し、教会に奉られている3聖女が、「恋の喜びなんて現世の幸福は所詮、まやかし。神の下で至上の幸福を得るために早く死んじゃいなさい」と諭す終盤の展開には唖然。結論がそれなら、今までの恋愛話は何なのよ、と言いたくなる。
まぁ、この作品の真の魅力は物語自体ではなくて、プロヴァンスの田園での日常生活が活き活きと描き出されている所にこそ、あるんだろうけど。
例えば、仕事を終えた後、誰かの歌や物語を楽しみつつ、地主から作男まで一緒になって食べる夕食の風景。
葡萄酒、野草のサラダ、厚皮のパン、オリーブ油で味付けした隠元豆、チーズ、大蒜、網焼きにした茄子、ピーマン、玉葱…とテーブルに並べられた盛り沢山の品々が、素朴ながらも美味しそう。訳注によると、「プロヴァンスの人々は大蒜を好み、パンにぬりつけたり、マヨネーズに入れてアイオリを作る」のだそうな。へえ、知らなかった。
で。それは良いんだけど。…キノコ料理なんか、どこにも出て来ないじゃん(^^;;
今週の陽気の、先週との余りの変わりように、何か納得出来ないものが…
食堂のメニューの話、再び(というより、ここからが本題だったりします)。
実は今年になってから、片仮名書きの謎メニュー、特に妖しげなフランス料理(風)メニューは殆ど無くなった。理由は例によって不明であるものの、実際に料理を出すカウンターのおばちゃんが 前から、正式なメニュー名はいつも無視して即物的な名前(前のハンバーグだと全て「チーズハンバーグ」扱い)でしか呼ばなかったことから、メニュー考案部署が、実働部署の意見に負けた、というのが専らの噂である。
(普通なら、利用者の声に応えて、というところだが、驚くべきことに、この業者はそういう発想が皆無で、アンケート箱すら置かないので、利用者の意見だけは全く反映され ることが無い。)
しかし、そういう中、敢えて挑むかのように先月登場したのが、「スズキのミレイユ風」。…ええと。ミレイユって何ですか? 断言しても良いが、この食堂を利用している約千人の中で、ミレイユ風という調理方法を知っている人は2桁にも満たない筈。
ネットで確認してみる。ミレイユ風という料理は確かにあるようだ。同名のフランス料理店も有る位なのだから、知っている人にはそれなりに有名なフランス料理なのかもしれない( というか、私が無知なだけ?)。
しかし、内容については、2説有って、どうも、はっきりしない。1つは、トリュフとアーティチョークのソースを掛けたもの。もう一つは、シャンピニオン(マッシュルーム)と玉葱のソース。共通点、キノコを使っている というだけでは…
しかも、食堂の「ミレイユ風」は、そのどちらでもなかった。その代わり、「シメジと玉葱」が掛かっていたような覚えが有るので、イメージとしては後者の方? 違う具材で代用する位なら、そんな名前、無理して付けるなよ、と思うのだが。言ってみれば、「ミレイユ風」風、な料理?
すっきりしないので、大きな本屋に寄った時、「調理用語辞典」(Amazon)を立ち読みしてみた。「ミレイユ」の項もちゃんと有り、料理としては前者が載っていた。前者の方が正統的なのか。料理内容もさることながら、特に興味を引かれたのは、『名前はフランスの詩人ミストラルの叙事詩「ミレイユ」から』という説明がなされていたこと。
叙事詩「ミレイユ」。とすると、全ての謎を解く鍵(大袈裟)はその叙事詩の中にあるのだろうか? (まだ続く)
職場の食堂は、昨年の春に委託している業者が変わってから、妙に気取った名前のメニューを出すようになった。 「何々の何とか風」「何々の何とか焼」「何々の何とか煮」、あるいは「何々の何とか(片仮名)」。しかも、その「何とか風」がどういうものを指すのか、メニューを見てもよく分からない料理が多いと来ている。
例えば、ハンバーグステーキの場合。前に決まって「…風」が付いてくる。スイス風ハンバーグ、ミラノ風ハンバーグ、ニース風ハンバーグ、等々。
もう、何が何やらである。しかも実物を見ると、スイス風=チーズハンバーグ(スイスチーズから?)、ミラノ風=チーズハンバーグ(ピザソースから?)、ニース風=チーズハンバーグ(??) 、って結局、どれもチーズハンバーグじゃん!
大体、現地でそんなハンバーグが食べられているものか。「ご当地料理はその当地だけには間違いなく存在しない」という前々から述べているテーゼの通り、「…風」というのは他の地域の人間が勝手に名付けた嘘料理なのであって… というか、いずれもハンバーグ文化圏ですら無いよな…
ちなみに、昨年の秋、ミラノの(というよりイタリアの)マクドナルドで、私が目にしたのは、「Oriental Burger」なる謎の期間限定メニューだった。
「Samurai Shake」や海老ナゲットの「Gamberi Zen」といった、これまた妖しさ大爆発な名前の商品が、「楽しさ」という日本語入りのポスターに麗々しく宣伝されている店内の様子(→東洋なマック?)にしばし唖然。食べてみても、形が通常とは違う(むしろ「イタリア風」?)だけで、特別変わった味付けとは思えなかった。
一体、どこが東洋風やねん!と激しく疑問に思ったものの、世の中そんなものなのだろう。
我々は自分の住む以外の世界に対し、自分が住んでいないという理由だけで、誤った期待と幻想を抱き過ぎているのだ。
本当に引き籠もったまま、5連休を終えてしまった。寒さに加えて、どんよりした曇り空が続くのが憂鬱で、最後まで出掛ける気分になれず。思っていた以上に、私の精神状態は日照時間の長さに連動しているらしい。冬の日本海側には絶対、住めないなぁ。
引き籠もって何をしていたかというと、何もしていなかったのだけど。あえて言えば、DVDでヴェルディ「椿姫」(Amazon)やプッチーニ「トゥーランドット」(Amazon)を見た位。
前者については、メロドラマというのは寒い時に見るものじゃなかったような。他人の不幸を哀れに思える位の心の余裕が無いと。「マッチ売りの少女」の話を楽しむには自分は暖かい部屋にいる必要がある、という感じ ? もう1枚の「椿姫」(グルベローヴァの)はもう少し暖かくなってから見ることにします。
後者は単純に面白かった。特に2幕の謎合戦の盛り上がり。見終わってから、その勢いで、幻想の中国の城を舞台とする点で共通する「ゴーメンガースト」(Amazon)まで見直したくなる。 (長いから、今回は見なかったけど)
ところで、こういう巨大な城に住む孤独なツンデレ姫というのは物語としてまだまだ有効ではないかと。最初、強気なところが良いんですよ!と力説してみたり。…まぁ、個人的にも、そういうキャラクターに元々弱いとは 言えますけど。「図南の翼」の珠晶とか。
結局、この連休は寝正月、ならぬ寝3月で終わってしまう予感…
5/21発売予定の「ピーター・グリーナウェイ コレクションDVD-BOX 2」(Amazon)。
断言してしまえば、グリーナウェイは好き放題やっていた初期作品の頃が一番面白いと思う。中でも印象的だったのが、昔、京都文化博物館の上映で一度見ただけの「VERTICAL FEATURES REMAKE」。
内容は、このページでの紹介が一番詳しいかと。要するに「垂直な物件」ばかり撮した写真で構成された偽記録映画なのだけど、それが 色々な意見に基づき、リズム等を変えつつ何度も再編集されていく様がバカバカしくもおかしく、しかも、妙に心地良い。
他の初期短編と違ってTV放映される機会にも恵まれず、私の中で長いこと幻の短編と化していたこの作品が、今回ようやくDVD化、しかも噂に聞く初長編「THE FALLS」までも収録とは!(いや、3時間余もあるということは「長過ぎる」可能性が高いけど、初長編である以上、間違いなく重要な作品なので)
メインの「数に溺れて」はせいぜい佳作どまりの作品だけど、大昔書いたようにルイス・キャロル好きの人間としては持っていても悪くはないかなと。
というわけで、BOX1(Amazon)には食指が動かなかった私だが、このBOX2にはかなり惹かれる。20%引きで8500円なら、まぁ何とかという範囲だし。購入、するかも。
今朝、そこそこ雪が降った(のに出掛けなくて良かった)のが、この休暇中で最も幸せを感じたこと。
せっかく一日部屋の中にいるのだから、ずっと出来てないことをやろうと、昨秋の旅行中に付けていたメモ書きを今頃になって転記してみたものの。
元々電車での移動中に日々書き殴ったメモである上に、時間が経ち過ぎて、自分でも判別出来ない箇所が有ったり、読めても、もはや何のことやら思い出せない語句が書いてあったりと、 ほとんど「ヘチマには気をつけて」状態。これが旅行記として完成する日は…来るのだろうか。
あとは、amazonに注文した「ネバーランドvol.2」(Amazon)を、さっそく読んでみたり、 ふと思い付いて(こればっかり)溜め込んでいるオペラのDVDを再生してみたりと。優雅と言えば優雅、怠惰と言えば怠惰な一日。
…何だか天気もさほど悪くないし、それほど寒くもないんですけど。気象庁にすごく騙された気分。とはいえ、今から遠出する気力もなく。良いや、もう、今回は何処へも出掛けず、引き籠もりモードで。
元「世界一の富豪」の今日の逮捕。
今回の不正が発覚する発端となったのが、昨年発覚した総会屋への利益供与事件。そして更にその始まりが、近所の某霊園への本人のヘリコプターでの墓参だったと聞くと、今回の逮捕劇も何となく「近所の事件」という印象が。…そういえば、前に、後者について書いたことがあったっけ。
思い立って、自分の部屋を(少しだけ)整頓。昨日、「おたく」展で「おたくの部屋」再現を見ていて、ややショックを受けたので。いや、だって、それらの部屋の大半が、今の私の部屋より、遙かに物が少なかったなんて… 別に魔窟とかそういうレベルでは全然無いんですけど。発掘した未読のComicsだけで1年は戦える、とは思ったりも。
ともあれ、積み方を変えた結果、床面積がある程度、復活。でも、本自体を捨てないと根本的には何も解決しないわけで。思い切って、何とかしないとな。
休みの1日目。明日からはひどく寒いらしいので、わざわざそれだけで見に行くようなものじゃないよなぁと思いつつ、とりあえず恵比須へ。
お金を払って見るより秋葉かアニメイトでも行けば?という程度の展示なんだけど。そういう店内にいても、成り立ちについて考察する気分になったりは(普通)しないわけで、展覧会としての意義自体は有るのかと。
こういう展示(少なくとも帰国展)なら、主催者側の深い考察が(内容の正否はともかく)文章で提示される必要が有ると思うのだけど、会場に書いてあったことで全部? 「新横浜ありな」付きのカタログには多少なりと書いてあるんだろうか(amozonを見る限り、無さそう)。
そんなわけで、代わりに推測すれば、『個人的な欲望(=「望む世界」)の視覚化』が今回の展示のテーマ。
おたく的な都市空間に遍在する「見ること」と「見せること」の入れ子構造。「見ること」に特化した「おたくの部屋」。「見せること」を競い合う「レンタルケース」という箱(を見る私達)。そして、その両者が集うコミケ。逆に「見られること」への意識の不在。
ただし、それを食玩等のフィギュアを中心に表現したのはどうかなと。なまじ出来が良いだけに、「外」の人間にはフィギュア展としか理解されないのでは?(会場に来ていた老夫婦も「よく出来ている」と感心していた)。肝心なのは、「物」そのものじゃなくて「物への視線」なのに。あと、余りにも大雑把な歴史観の提示で済ませているのも気になった。
一応、建築展なんだから、個人的な欲望の視覚化というおたく的な都市空間が、いつどうやって実現したのか、日本家屋におけるプライバシーの誕生からの歴史的過程を具体的に検証する(例えばリカちゃんハウスの変遷とかで)位のことはやって欲しかった。まぁ、その辺の非歴史性も、主催者もおたく側であることの正しい反映、なのかもしれないが…
連休のプランの一つに、栃木県立美術館の企画展に行くついでに餃子を食べてくる(どちらが主目的かは微妙)という野望?があったのだけど、天気から言って明日位しか可能な日は無さそう。しかし、段々天気が悪くなり夜からは雪が降るという予報が出ている日に、わざわざ宇都宮まで(3時間掛けて!)行くのも、どうかと思うし。
ちなみに、展覧会チェック用のリンクページを作成中。
自分が実際に行く可能性のある美術館を中心としたリンク集なので、あからさまに関東(の南側)に特化していますが、 よろしければ、その地域の展覧会をチェックする必要があった時にでも、お使い下さい。
休みが無事に取れたのは良かったのだけど。今週はこれから週末まで、天気も悪くて気温も低い、すなわち雨か雪の見込みということで、気分も萎え気味。…最近、休みを取るといつもそう。
大体、帰りの電車が人身事故で1時間止まった辺りで、この連休の状況が既に暗示されているような…
Novel。清水マリコ「ゼロヨンイチナナ」(MF文庫)。
あの「ゼロヨンイチロク」の続巻ということで、実は割と楽しみにしていたのだけど、う〜ん、微妙。ていうか、上手く行ってない。物語の舞台が二つに分かれているところに必然性が感じられない辺り。ところで、加納朋子の某作品と設定が凄く似ている気がする今回の話だけど、意識して書いた、というわけでは別に無いんだろうな。