空の蒼さを 見つめていると


2003年 2月

2/28

 録画していた「BSマンガ夜話」の「エリート狂走曲」の回を見る。少女マンガにおける弓月光の作品が少年マンガでの高橋留美子と並んで、それまでの作品とは時代を画し、後の青年誌におけるラブコメのベースとなった、という認識には割と納得。

 というか、私が中学生の頃、最初に填った漫画家が両者だったわけで、そういう意味では、それ以来、王道を歩んできたのかも、とある種の感慨に耽る。…世間的に言えば、あそこで道を踏み外した、という気もするけど。

 

2/27

 2月後半、小説を読んだ話がほとんど出てこなかったが、何をしていたかというと、「青山二郎全文集」上・下(ちくま学芸文庫)というのを、ちまちまと読んでいた。

 ようやく読み終えたので、感想でも書いて少しは元を取りたいところだが(値段も高かったし)、何について、どう書けば良いのか、さっぱり分からない。というか、こういう人だと一言ですっきり言えない人物のようなのだ(全文を読んでも、よく分からないのだが)。とはいえ、勿体ない気はするので(時間とお金が)、その内、ここに、何とか整理しておこうかと。

 「小林秀雄、白州正子の骨董の師匠」と書いてあるから、骨董屋だとばっかり思って読んだら、そうじゃなかった。というくらい、全然、知らなかった人の著作集を何故、あえて読んでみたのかということ自体、私にもよく分からなかったりするのだが…

 

2/26

 新しい先での初日。まぁ、それはともかく、狭い居酒屋での飲み会が3時間半。って、学生じゃないんだから。……疲れた。昨日より一時間以上早く起きてるだけに一層。

 Comics。森薫「エマ」2巻。端役のヘンリー・メルヴィル氏とか、人の名前は、本棚を眺めながら、勢いで付けていそうな雰囲気。とは、昨日のメアリ・バンクスでも思った。(言うまでもないことだけど、メアリーポピンズがナニーとして面倒を見ることになるのが、父親が銀行員であるバンクス家の子供達というわけで) 。私もゲームをやる時は大抵、本棚から適当に選ぶので、何となく親近感が(^^;; いや、実際のところは分かりませんけど。

 

2/25

 出向先での引き継ぎも、今日で終了。明日からは、新しい配属先での勤務に。とりあえずは、朝が早くなるのが、最大の難点。早起きは大の苦手なのです。

 というわけで、新しい職場環境に慣れるまでは、ここの更新ペースも減速する予定。その分、週末に集中することになるのかも。昔は割とそうだったので。つまり、初心に帰るという奴?(全然違います)

 今日の「BSマンガ夜話」は、弓月光の「エリート狂走曲」か。な、懐かしい… 久々に録っておこうかと。

 Comics。森薫「シャーリー」。 13歳少女メイドは、大いに良しなんですけど(^^;; 私の場合、19世紀英国における女性の使用人といえば、メイドより、ナニーの方が最初に浮かんでしまうのは、やはり子供の頃の「メアリーポピンズ」の刷り込みのせい? なので、この中で一番、 (性格的に)好きなのは、メアリ・バンクスかと(誰も聞いてません)。

 

2/24

 「送別会」とは世を忍ぶ仮の姿、実は単なる3時間バイキングin品川プリンスでした。
 …で、3時間後。周囲の勢いに押されて、いつの間にか、リミッター解除していた自分に気が付く。おかしい、こんな筈では…

 

 昨日読んだ「羊のうた」7巻(というか、作品全体)に関して、感想のようなものが頭の中で漂っていて、外に出してまとめたいと思う一方、自分の中に仕舞っておけば良いという気持ちも。そんなわけで、とりあえず、感想は書かない けれど、この6年間を通して、いつも、最も新刊を待ち望んでいた作品の一つであっただけに、今有るのは、読み終えた安堵と寂しさ。勿論、作品全体としては、充分、満足しているのだけど。

 Comics。TAGRO「宇宙賃貸サルガッ荘」2巻。ようやく回収。『料理は愛憎』。…って、管理人さん、性格変わってませんか?

 

2/23

 「オイル」の劇場売りの先行予約にtryするも、敗北。失意の内に午前を終える。同じく駄目だったプレオーダーやMYでちゅーには元から期待してなかったけど。一般発売分はまず無理だろうから、あとは他の人から買ってまで見るかどうか。

 ところで、今回初めて利用したMYでちゅーの通知は、プレオーダーの「残念ながら、お客様の希望に…」と違い、「第1希望→落選× 第2希望→落選× 第3希望→落選× 落選しました」という身も蓋も無いもの。思わず、ちょっとムカつく(^^;;

 午後も寒く、外出したい気分ではなかったけど、考えてみると明日も送別会で、本屋に行けそうもないので、「羊のうた」最終巻を求め、横浜へ。こういう時には大抵役に立たない横浜には果たして無かったので、更に渋谷まで出掛け、三省堂で人形付きの最終巻を買って帰る。全体に、無駄な一日だったような気がしないでも 。

 

 新日曜美術館はボス(ボッシュ)。ゲストは何と楳図かずお! 番組の中で、ボスの何枚かの絵が一つの祭壇画だったのでは?と推定し、真ん中の絵が何かを推理するというパズルみたいなことをしていたが、その空白部分に、予め描き下ろしてきた自分の絵を平然と填めてしまう楳図先生は 凄すぎると思った。ぐわし。

 ボスの絵は、「快楽の園」はプラドで勿論見たのだが、画集でまとめて見たことはないので、梟がよく描かれているというのは、今回初めて知る。ブリューゲルやボスの絵の寓意を日がな一日考えて暮らす、というのを老後になったらやっても良いかも。と思ったりもするのだが、その頃には、そんなことを考えるのはもはや面倒になっているに違いない。

 

 昨日の続き。関東・関西の違いの中で、桜餅は関心を引き易いものらしく、多くの人が言及していた。「桜餅の謎」とか「桜餅について」とか。…世の中には、色々なことが気になる人がいるものだ、と感心する。人のことが言えるか、という気もするが。

 

2/22

 肌寒い天気のせいか、ひどく眠いので、家に閉じこもって、一日中、うつらうつらと。

 

 ぜんざい(善哉)としるこ(汁粉)の違いが、その後、気になったので、調べてみると、これもまた「関東・関西で違うもの」の一つである様子。しかし、麺類の「きつね・たぬき」等と違って、「違うこと」自体が余り知られていないため、関東人と関西人の会話で、混乱を生じやすい言葉でもあるらしい。

 こういう時は辞書を引いてみる。「日本国語大辞典」による、「ぜんざい」の(食べ物としての)定義。

 関東では、甘みの濃いアズキのつぶし餡か漉し餡に焼いた餅を入れたものをいい、関西では、つぶし餡の汁の多い、関東でいう田舎汁粉をいう。

 そして、同書の「ぜんざい」の語釈から、その抜粋。

 語源については、出雲大社で神に供えた「神在餅」が転訛したとする説など、諸説有る。正月や誕生日に食べた記録も見えるので、祝意のこめられた食品だったと考えられる。室町中期ごろから(使用)例が見られる。しる状の様子からか、関東へは「しるこ」という呼び名で伝わった。やがて寛永年間に砂糖が普及すると、庶民の食べものとして広まった。

 「しるこ」と「ぜんざい」の違いについて、当初は明確な区別はなかったが、近世後期には関東・関西それぞれにおける区別が確立し、関東では汁気のあるものを「しるこ」、汁気が少なく餡に近いものを「ぜんざい」と呼ぶ。関西では、汁気のあるもののうち、漉し餡のものを「しるこ」、つぶし餡のものを「ぜんざい」と呼び分け、汁気の少ないものを「亀山」と呼ぶ。

 なるほど、確かに違う。そういえば、関東では、「甘味処」といえば、「お汁粉屋さん」。「善哉屋さん」とは言わない。しるこ文化圏だったのか。もっとも、どちらも材料も甘さも余り変わらないので、その違いを明確に意識出来た人は少なかったように思う。

 これがトコロテンのように、酢醤油が掛かっていると思って食べたら黒蜜だった、となると、アンビリーバブル!と多大なショックを受けるわけですが。ええ、黒蜜には未だに慣れません、私。

 Comics。冬目景「羊のうた」6巻(再読)。これで、準備万端、覚悟完了(何の?)です。

 

2/21

 今の職場で飲み会があり、遅くなったので、更新は一回休み。

 (お酒を飲まないために)職場の飲み会は、このところ、全て欠席していたのだけど、「自分の送別会」を欠席するのは、さすがに不可能でした。

 

2/20

 今の職場に通うのもあと数日。というわけで、この街を去る前に、「近所の煎餅屋で善哉を食べる」という、かねてからの懸案を果たしておくことに。

 播磨屋本店という、挨拶の手土産によく使われる、「日本一おかき処」というフレーズで有名な「おかき」のメーカーがあるのだが、昔、関西で働いていた頃、山中の奥深くにある、その本店(混乱し易いが、「播磨屋本店」の本店、である)で、ぜんざいを食べたことがあった。その時の感動は、それは鮮烈で忘れ難いものだったので、ここの街で播磨屋本店があるのを発見し(東京本店、らしい)、しかも喫茶も提供しているのを外から見て以来、いずれ、あのぜんざいを食べに行かねば、心の中で固く決心していたのだった。

 が、本業はあくまでも、煎餅屋。夏や冬に行ってみると、店内全てが、中元、歳暮の発送受付コーナーと化していた。今回、初めて、中でぜんざい(800円)を注文することが出来たのだが。…ええと。こんなものだった? 甘酒+岩津ネギのぬた+ぜんざい+メロンという構成は、本店と同じなのだけど、甘酒は僅かしか入っていないし、何と言ってもぜんざいが、味は美味しいけど、こんなにも薄かったっけ? あの美味しさを体験するには、やはり、あの果てしなく不便な本店まで出掛けて、囲炉裏端で食べないと駄目なのか。

 考えてみたら値段も200円安いし、東京風は、中身が薄いのかも… ちなみに、名古屋の栄にある播磨屋本店の喫茶では、シンプルなぜんざいが300円で、好評らしい。その名も「びっくりぜんざい」って、確かにそれはびっくりだわ。あの味でその値段なら。

 でも、ここで食べていないことがずっと心残りではあったので、これで、この街で思い残すことはないな(…それ以外、無いのか)。

 

 (後記)「播磨屋本店」で検索してくる人が後を絶たないので。「播磨屋本店 東京本店」の所在地はここ

 Comics。冬目景「羊のうた」5巻(再読)。

 

2/19

 今日付けで、出向先から「辞職を承認する」旨の辞令を受け取る。2年間の出向生活も、これで終了(あと4日間は、引き継ぎのための出社が続くけど)。

 社会人になって以来、「周りを見る」だけの余裕を持った生活が、初めて出来た、私にとっては、いわば「二年間の休暇」といっても過言ではない日々だったのだが、私は、この2年間で、(ブリアン達のように、とまでは行かないにしても)少しでも成長出来たのだろうかと振り返ると、どうにも心許ない。しかし、自分の人生の中で何を大切にしていくか、といったことに素直になれるようになった、という点で、恐らくは貴重な2年間だったのだと思う。

 要するに、この2年の価値が本当に決まるのは、今後の生活次第、ということかと。

 

 本屋で、冬目景「LUNO」を発見! あれ? 発売予定日より早いような気もするが、細かいことは気にしないことに。ハードカバー風の装幀がナイス。内容はともかく、冬目景の新刊を手にしている、というだけで嬉しくなってしまう。

 作者は、この作品の続編も構想中らしい。いや、それ自体は楽しみではあるのだが。その前に「イエスタデイをうたって」をそろそろ何とかして貰えないものかと。

 Comics。冬目景「羊のうた」4巻(再読)。

 

2/18

 とある件で、自分が、いかに記憶力に乏しいか、改めて認識する羽目に。…いや、まぁ、今に始まったことでは有りませんが。

 

Book 川原泉 「川原泉の本棚 おすすめ本アンソロジー&ブックガイド  白泉社

 内容は、題名の通り。「本日のお言葉」や「事象の地平」と同系列で、アンソロジーとはまだその手があったか、という(川原泉の)声が聞こえてきそうな一冊。ただ、川原泉の場合、カワハラ的な世界でさえあれば、本人が描いて(書いて)いるかどうかなんて、 どうでも良いじゃないかと思えるところがあって、その意味でアンソロジーというのは、上手い企画なのかも、と少し感心。

 実はアンソロジー部分はまだ未読なのだが、 作品名を一通り眺めただけで、昨年辺り、雨後の筍のように本屋に現れた「理想の」「声に出して」「美しい」といった醜悪なアンソロジー本とは流石に一線を画している様子であるのが伺える。

 とりあえず、本人の読書体験を語った「まえがきエッセイ」から。これによると、川原泉は、子供の頃から「食べ物」の出てくる話に妙に弱かったという。私と同じだ! カワハラ的見地からすると「赤毛のアン」も「食べ物がたくさん出ていたから好きだった」らしい。なるほど「空の食欲魔人」の作者である。

 「パディントン」といえばマーマレード、「ナルニア国物語」でも、禁断のリンゴや、ミルクプディングがまず浮かんでしまう(「指輪物語」なら、香り草入り兎肉シチューにレンバスにエントの飲み物)私は、自分 のことを特別、食い意地が張った人間なのでは?と以前から不安に思っていただけに、同類の人がいると知って、一安心。

 中でも好きなのは、サバイバル+食べものという設定らしく、「ロビンソン・クルーソー」的な物語が列挙されている。その中には「ムスティクの冒険」という児童文学も。 これは私も当時読んで面白かったという印象は残っているのだが、あいにく、食べ物のことまでは覚えていない。負けた、と思うが、単に記憶力が悪い結果でしかないような。というか、そんな(食べ物の)記憶で勝ったから、一体何になるというのだ 。…しかし、微妙に悔しいのは何故。

 ところで、川原泉は今、「十二国記」にはまっているらしい。あれは美味しそうな食べ物は余り出てこないけど。面白さに「寝食を忘れる」という奴?(違います)。

 Comics。冬目景「羊のうた」2巻、3巻(再読)。

 

2/17

Novel 恩田陸 「象と耳鳴り 祥伝社 文庫

 最近、小説をミステリとして読む意欲が失せてしまっている私は、良い読者ではないのだろうな、と思っている内に読み終えてしまったのだが、中の一編で、街が意思を持っているかのように思えてくる、という下りは、恩田陸の小説自身に対する率直な種明かしのようで、 面白かった。

 もっとも、彼女の小説に出てくる「街」が「生きている」のは分かるのだが、私自身が、どこか実際の「街」を擬人法的な存在として「感じる」ことはまず無い。

 そういう感覚は、恩田陸独自のものなのか、それとも、私より上の世代(高度経済成長で街が生き物のように発展していく様を幼少時に体験した)では、ある種のコモンセンスなのだろうか?

 あと、「曜変天目の夜」での美術館は、非常に混んでいる(恩田陸が行った時は実際そうだったらしい)が、今は、曜変天目の公開時期(秋)でも空いている筈なので、この話を読んだことで、何となく敬遠する人が増えたら残念。一度は、覗き込む価値のある茶碗だと思うので。

 Comics。冬目景「羊のうた」1巻(再読)。既刊を復習し、テンションを上げた状態で、最終巻を読もう。という「羊」週間。

 

2/16

 今日の新日曜美術館は、有元利夫の特集。生前の映像も多く出てきて、興味深い内容だった。

 ところで、この前の展覧会で 、安倍吉俊の絵(特に「古街」的な作品)は割と近いのではないか、とふと思ったりした。古びた質感を好むという表面上の共通点だけかもしれないが、「中有」という言葉を共に使いたくなる辺り、両者の「世界」は意外と近い気がするのだ。…とはいえ、当時は「全てが灰羽に(関係して)見える」状態だったので、単なる気のせいかも 。

 後半のアートシーンでは、藪内佐斗司が境内の仏像やオブジェを全て制作したということで、港区の青松寺が紹介されていた。一度見たいものだと、寺の場所を探していたら、本人のサイトを発見。見ると、制覇するのはとても困難なほど多くの像が全国各地に置かれている。ともあれ、愛宕山にあるらしい青松寺にはいずれ行って、トイレにある「こぼすなさま」 を確認してくるつもり。

  Comics。幸村誠「プラネテス」3巻。…何だかな。

 

2/15

 「二つの塔」については、先行公開ではなく、前売り券をチケットショップで安く買っておいて、ロードショー中、複数回観よう、という考えなので、観に行くのはもう暫く先。

 ところで、公開間近ということで、目に付くようになってきた「二つの塔」の駅貼りのポスター。そこで打ち出されている宣伝文句。『第一部は序章でしかなかった』 ……え? それって、当たり前のことなんじゃ…?

 

Art 大日蓮展  東京国立博物館 2003.1.15〜2003.2.23

 宗教的な関心からではなくて、あくまで美術鑑賞+若干の野次馬根性という意味での感想。

 右側の展示から見た。最初は、琳派。光悦の「舟橋」の硯箱とか、宗達のたらしこみで描いた牛図とか。等伯のあの涅槃図も右側だった。ここの天井はそんなに高さがあったのかと一瞬感動したが、よく見ると絵の下の方は斜めに垂らしていた。お陰で、動物達の辺りは至近距離で眺めることが出来たが、これが正しい展示方法なのかはやや疑問。

 自筆の「立正安国論」の前では少し混んでいたが、せっかくなので、全部目を通す。「読める」というほど分かりはしないのだが、大体の雰囲気は伺えた。これは、要するにアジビラですね。 『我々は〜、元帝国主義を断固粉砕し』といった感じ?

 他の自筆も含め、書は人なり、ということで、今回、私がプロファイリングした日蓮像は、「声が大きい人」。いるでしょ、そういう人。行動力と統率力には秀でているけど、デリカシーには縁遠そう、みたいな。個人的にはかなり苦手なタイプ。いや、私の好き嫌いは別にどうでも良いんですが。辻説法してた位だから、実際、声は大きかったのではないかと。

 右側だけで割とお腹一杯になったので、左側は等伯のコーナーで立ち止まった以外は、軽く流す。妙法蓮華経の銘入りの村正は、魔物を切るのに良さそうだとか、いい加減な妄想を膨らましながら。

 

 ところで、長いレシートのような紙に細かい文字でびっしり書いた法華経が展示してあったのだが、作者を見たら、日野資朝だったので、びっくり。

 資朝卿といえば、「徒然草」の中で最も面白い登場人物の一人(と私は前から思っている)。百五十二段の、とある上人が眉白く、高徳な姿であるのを「尊いご様子だ」と、時の内大臣が敬う様を見て、「歳取ってるだけじゃん」と言った上に、後日、老いさらぼえたむく犬を連れてきて「尊い様子でしょ」と内大臣の家に送り付けた、という話なら、誰でも覚えていると思う。

 しかし、実は、資朝卿の話は、すぐ後の百五十四段にもあって、その方が更に興味深い。

 「この人、東寺の門に雨宿りせられけりたるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も捩ぢ歪み、うち返りて、いづくも不具に異様なるを見て、とりどりに類なき曲者なり、尤も愛するに足れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその興尽きて、見にくく、いぶせく覚えければ、ただ素直に珍しからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木を好みて、異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆堀り捨てられにけり。
 さもありぬべき事なり。」

 ひねくれ者としての独特の美意識。愛でた物をすぐに捨て去る残酷さ。そして自嘲。むく犬の話でも分かるように、近代的な、明晰な理性を持ちながら、それを持てあましていたようにも見える、苦い笑い。兼好のコメント「さもありなん」にも、ある種の共感が感じられる。似たタイプの人間だったのではないかと思う。

 彼は、その後、後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕計画が事前に漏れた際、それに関与していた咎で佐渡島に流されてしまう。展示品の法華経は、佐渡で、肉親の供養のため書いたものらしいが、「徒然草」の下りから飽きっぽい人、というイメージだったので、こんなにも細かいものをちまちまと書いていた、というのに驚いてしまったのだ。

 …まぁ、あれだ。よっぽど暇を持てあましていたんだろう。ちなみに、あとで「徒然草」を読み返してみたら、元寇の乱が勃発したことで、7年後に処刑されたらしい。法華経を書いた翌年のことだ。歴史の皮肉、というものを本人は感じたりしたのだろうか。

 

Art マーク・ダイオンの驚異の部屋  東京大学総合研究博物館(小石川分館) 2002.12.7〜2003.3.2

  東大の収蔵品をアートとして組み直すことを目的とした、マーク・ダイオンと「博物館工学ゼミ」生、共同の展示プロジェクト。説明を読むと、さぞや難しいことをやっているようだけど、実際は、NHKの「ようこそ先輩」 と大して変わらず。ダイオン先生と一緒に、学校の中からテーマ(「大きい物」「小さい物」とか)に沿った面白いものを探して来よう、みたいな感じ。「先輩」じゃないけど。

 もっとも、展示内容は、小学生が奮闘する「ようこそ先輩」ほど「面白く」はなかった。…まぁ、東大生にそこまで要求するのは酷かもしれないが。かといって、感心するほど「凄い」わけでもなく。一言で言うと、「MADさ」が全然足りない。研究 室の引っ越し前、部屋に残った若干のガラクタという程度(のイメージ)。こういう展示なら、せめて量で埋め尽くさないと。これでは、「驚異の部屋」という言葉が泣く。無料の展示だから文句は言えないけど(といいつつ、結構、言ってる)。

 多分、一番面白かったのは「探すこと」だったのだろうから、その過程を、それこそ30分のドキュメンタリーにでもすれば良かったのでは?

 

2/14

 高田馬場の某所に、縦笛を携えて参加。次回は5月頃の予定と。しかし、勤め帰りの鞄にソプラノリコーダーを入れておくのも割と恥ずかしいので、次回からはオカリナにしよう、と秘かに思ったりもした。…余り変わらない? というか、そもそも、私、オカリナなんて持ってないじゃん。

 

2/13

 たまたま辿り着いた、近代建築についてのサイトが割と興味深い内容だった。特にロケに使用された近代建築一覧とか。近所の旧華頂侯爵別亭でロケしていた映画が(あるということは聞いたことがあったけど、それが)南野陽子の「はいからさんが通る」だったとは。今度、ビデオ屋で見付けたら借りてみよう。あと「家なき子2」も。

 Comics。幸村誠「プラネテス」2巻。

 

2/12

Novel 古橋秀之 「IX ノウェム 電撃文庫

 全く無駄のない語り方が生み出すテンポの良さは格別で、予想通り、一気に、というか、あっという間に読み終えてしまう。せめて、この3倍の厚さがあれば、言うことないのだが… と りあえず、続きを早く読みたいシリーズが増えるのは嬉しい。 もっとも作者の場合、他のシリーズの続きも非常に気になっているのだけど。例えば、眉毛の太い倉本翼三等陸尉とか(^^;;

 Comics。幸村誠「プラネテス」1巻(再読)。

 

2/11

 NHKの国宝100選とかいう番組を何となく見ていたら、一日が終わってしまった。

 

 昨日に続く、榛野なな恵「Papa told me」についての話。は長くなったので、別ページに移しました。

 Comics。志摩冬青「バイオ・ルミネッセンス」(再読)。

 

2/10

 今月末からの配属先が決まる。大体、予想の範囲内だったので、特には驚かず。最初に配属になった職場のすぐ近くで、「勝手知ったる」街でもあるし。「振りだしに戻る」という感じ? とりあえず、本屋には困らない街なので、マイナーなComicsの新刊が買えない、という悩みから解放されるのは嬉しい。

 恐らく、ここの更新が今後、全く不可能になるほど多忙な職場ではないと思うのだけど、いかんせん、家を出るのが一時間半早くなる見込みなので、その分早く寝る必要が→毎日更新は難しい、 のではないかと。そんなわけで、各種アンテナ等の更新チェッカーの利用をより一層、お薦めしておきます。…まぁ、なってみないと、実際にどうなるかは不明。

 

 「最後通牒・半分版」他で既報の「Papa told me」TVドラマ化。NHK教育ということで、「父との2人家族である小学生の知世は、周囲から偏見を持たれたり、理不尽な苛めにあったりもするけれど、持ち前の明るさで(中略)、最後には周りの人々も彼女に感化され、 癒されていく」といった「ちょっと良い話」?にすり替わっていそうな嫌な予感がひしひしと。

 大体、「主人公の小学校4年生の女の子が尊敬する独身OL役」という、華原朋美が演じる「ゆりこ」?役の説明自体、原作の世界観から、既に微妙にズレている気がしないでも。

 ところで、このドラマ化では何と、関西を舞台にするらしい。ということは、か、関西弁の知世? 「ちゃうよ─ そら一つのタイプであって スタンダードではあらへんよ」みたいな? (どこの関西だ) そういえば、元々ツッコミ属性だし、いかにも目に見えるような。ボケ役の父親にツッコミ入れまくりの関西弁の小学生の女の子が。ていうか、それは「ちせ」やのうて、「ちえ」や! …何だか、急に見たくなってきたんですけど、このドラマ(^^;;

 まぁ、どうでも良いドラマはともかく。原作の「Papa told me」については、昔からずっと考えていたことがあって、それが何かというと… (という引きで、明日へと続く)。

 Comics。漆原友紀「蟲師」3巻。

 

2/9

 掃除を続けたり、ぼーっとしていたり、という「いつもの日曜日」なので、取り立てて書くこともないのだけど。

 ちなみに、昨日の「音が出ない」件だが、サポートに相談したところ、システム一式を入れ直さない限り、回復しないことが判明。絶対に保存しておく必要があるデータは、こことメール位の筈だけど、個別に移していると、何かを漏らして後で泣きそうな気がするので、リカバリーを掛ける前に、バックアップのソフトか何かで、一括して別ドライブに保存した方が安全な気がしてきた。まぁ、音が出なくても、パソコン上でCDやDVDが再生出来ない以外、それほど弊害は無いので、しばらく無音で生活することに。

 Comics。漆原友紀「蟲師」1,2巻(再読)。

 

2/8

 などと言っていたら、パソコンの起動時の不調の後、オーディオ関連のデバイスが何も認識されなくなる事態に。デバイス自体は「正常に動作しています」なのに、そのプロパティ欄が空白なのは、一体何故? 適当に対策を推し進めると、事態が更に悪化しそうなので、とりあえずは、メーカーのサポートに問い合わせてみようかと。

 今や自室でCDを再生出来る機器はパソコンだけなので、解決するまでは、パソコンから音が出ない/CDが再生出来ない状況。「ハネノネ」「Blue Flow」「聖なる憧憬」だけは携帯プレイヤーに入れたままなので聴けるのだけど、逆に言えば、それ以外、何も聴けないという…

 

 古橋秀之「IX ノウェム」だが、読み出したら、あっと言う間に最後まで読んでしまいそうなので、勿体なくて、なかなか読み出せない。帰宅時の楽しみに月曜まで取っておいた方が良いかも。

 

2/7

 「灰羽連盟」のイメージアルバム「聖なる憧憬」。

 本当だ、上野洋子と伊藤真澄、2人のオリジナル曲の競作集というおもむき。まさに私好みの世界ではないですか。全体に、あくまでも静かにイメージを広げていく、といった感じの地味めの曲が多いので、サントラの「 ハネノネ」よりは、人を選ぶ内容かもしれないけど、OPをアレンジした「free bird〜真昼の月へと〜」というラストの曲で、2人の声がコーラスで入ってきて溶け合う瞬間の美しさに、ゾクゾク来る(^^;;のは私だけではない筈。

 

2/6

 今度のNODA MAPの公演「オイル」は「パンドラの鐘」の続編的な内容、とのことで、いかにも野田秀樹らしい「世界」になると思われるので、ぜひ観に行きたい気はするのだが、チケットを入手するための努力や根性、あるいは「手段を問わない」熱意というものに甚だ欠ける私は、NODA MAPになってからまだ一度もチケットを取れた試しがなかったりする。

 今回はどうしたものか。とりあえず、プレオーダーだけは入れておこう(←その程度ではまず取れません)。……あ。「平日の19時」って、もし取れたとして、本当に行けるのか?

 ……(追記)…… 4月に観に行った際の感想(ネタバレ含みます)。

 Comics。川原泉「小人たちが騒ぐので」(文庫版)。内容は既読。そういえば、この前、「インコ教」で検索して来た人がいたけど、一体、何を期待して来たのだろう?

 

2/5

 昨日、あんなことを書いたせいで、「Let's Ondo Again」が急に聴きたくなってしまい、今日は一日中、私の頭の中で、輪になったゾウにカバにキリンにサッポロが、くるくる踊っていた。

 帰宅してから早速、探したのだが、…あれ?CD選書の奴を以前、確かに購入した筈なのに、見付からない。大昔、人から借りたBlack BOXから録ったテープを聴くという手もあるのだが、カセットテープは奥にしまい込んでいるので容易には取り出せない。というわけで、仕方ないので、代わりに見付かった「Niagara Triangle」を掛けてお茶を濁す。音頭だし。

 

Novel 竹岡葉月フラクタル・チャイルド ここは天秤の国  コバルト文庫

 いつものことながら、しごく真っ当な登場人物達。そんなに真面目でなくても良いのでは?と個人的には思ったりもするけど、それこそが作者の美点かとも思う。「世界」の作りがベニヤ板並みに安いのが気にはなるが、語りのスキルは着実に上がっているので、物語自体は素直に読めた。シリーズ化されたら、引き続き、付き合うつもり。

 Comics。奥瀬サキ/目黒三吉「低俗霊DAYDREAM」3,4巻。

 

2/4

 フィル・スペクターが殺人容疑で逮捕された、というニュースに驚愕。動揺の余り、彼のプロデュースしたクリスマスアルバムを聴き返してみたり(←その幸福な響きに、更に動揺 )

 (という話題から繋げるのもどうかとは思うのだが)日本人で、フィル・スペクター的なsoundを最も継承し発展させたartistといえば、大瀧詠一。その大瀧詠一へのトリビュートアルバムとして昨年作られた「ナイアガラで恋をして」を先日聴いてみた。

 全体に予想していたよりは良かったけれど、何か物足りないのも事実で、聴き終わってからオリジナルの楽曲を猛烈に聴きたくなってしまう辺り、トリビュートアルバムに傑作無しの例に漏れず、のような。そう思わせるだけで、トリビュートアルバムとしては成功なのかもしれないけど。

 でも、本人の曲の場合、例えば「Let's Ondo Again」を聴けば、それだけで満足出来るわけで。「Let's Twist Again」も聴かないと気が済まない、という風にはならないよなぁ。もっとも、「イエロー・サブマリン音頭」もついでに聴きたくなったりはする。

 Comics。奥瀬サキ/目黒三吉「低俗霊DAYDREAM」1,2巻(再読)。

 

2/3

 職場の下の本屋。文庫新刊のコーナーに、巨大な「マークス」の山が積み上がっていた。

 何故、そんなにも強気の仕入れを? 映画化、は前にしているしなぁ。帯に「全面改稿」とか「新しいマークスには泣かされる」とかいった言葉が踊っていたが、「泣ける」改稿というコピーは、この場合、本当にウリになるんだろうか?

 

 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の文庫だが、一日経って、当時の状況をようやく思い出してきた。単行本が書き下ろしで出たのが1985年。87年にあの「ノルウェイの森」が出て、当時、本当に「馬鹿みたいに」売れた。その「森」の売れ行きがさすがに落ち着いてきた翌年、「世界…」が通常より早い期間で文庫化され、しかもまたあの赤・緑の表紙だったので、そこまでして売りたいのかと、(私の周囲では)かなりの失笑を買ったのだった、そういえば。

 十数年ぶりに表紙を見て、全く同じことをもう一度思ってしまうなんて、私もつくづく進歩がないと思った。

 もっとも、「森」の方は文庫化される際、逆に「白い」表紙になったので、今では、赤緑といえば「世界…」を思い浮かべる人の方が多いのかも。

 Comics。吉崎観音「ケロロ軍曹」6巻。あさりよしとお「るくるく」1巻。腐っても悪魔。そうか腐ってるのか。


 

2/2

Novel 村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド  新潮文庫

 「灰羽連盟」関連ということで、再読。なるほど、なるほど。

 読むのは初出の単行本以来だから、18年振りということに。…わっ、そんなに昔なのか。当時、文芸雑誌の書評に『読み返さずに、その静かな「起爆」を一度だけ体験すべき種類の小説』と書いた批評家がいて、割と納得するところがあったので、それ以来、律儀に読み返さずにい たら、…気が付けば、細部を忘れ去っていた。

 そんなわけで、新鮮に読めはしたのだけど、もしかしたら、やはり再読すべきではなかったかもしれない。今回は「悪くない」どまりだったので。むしろ読むべきなのは、初出時に単行本を買っていたのに、今なお未読の「ねじまき鳥」の方?

 ところで、単行本は(白か黒か)とにかく色を使わない装幀で、確か箱入りだった記憶があり、それが、この世界の「白さ」の印象に結び付いていたのだけど、文庫本の表紙は、(暗い色調だけど)要するに赤・緑の「ノルウェイの森」カラーなのには、どうも納得がいかない。赤なんて出てこないじゃん。と15年前に出た文庫に、今さらケチを付けても仕方ないのだが 。

 ちなみに、「灰羽」との関係でいえば、「要素」はかなり共通しているけれど、「世界観」は思っていた以上に関係なかった。そういうものかもしれない。

 

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Art 館蔵品による 歌麿と北斎  出光美術館 2002.11.30〜2003.2.2

 浮世絵美人画名品選、という副題の方が正しい。浮世絵(版画でなく肉筆)の歴史を、美人画で概観する展覧会。

 改めて思ったのだが、浮世絵(の美人画)は、私にとっては(前提となる文化が)余りにも遠く、知的な理解以上の楽しみ方は難しい。描かれている着物は綺麗だし、その描き方も凄いとは思うのだが、そこまで。心に訴えてこないのだ。

 その中で、北斎だけ、受ける印象が余りにも異なるのに驚く。他とは違い、現代のセンスとの時差(年代差?)を感じさせない。今見ても、色も構図も、これ以外有り得ない、と思えるほど「決まっている」。どこがそんなに違うのか考えながら眺めていたら、 違いについての解説が横に置かれていた。 表現の特色が3点挙げられていたが、一言で言えば、持っている「眼」が違ったのだと思う。

 こういうのを見てしまうと、時代的な制約を前提にした美を理解するとか、もはやどうでも良くなってしまう。時代を超えた才能を生み出すほどの厚みを持った時代だった、というのも忘れてならない事実だろうけど。

 それにしても、北斎の「眼」は非常に冷徹で、モデルに対しても、画面の構成要素として割り切っている。もし描いて貰えるならば、描かれた人物の気持ちが素直に伝わる歌麿の方が良いかも。

 

 ところで、昨日の「大涌谷」(おおわきだに)が「おおわくだに」となった件は、やはり、発音のし易さからだと思う。

 「おお」を「ou」と口をすぼめてから、余り口を開けずに「わ」と繋げた後、「き」の「i」を発音するのは負担が掛かる(結果、母音の「i」が欠落する)気がするのだ。「おお」の二重母音の後、子音を挟むことで母音を区切り直す、例えば「大炊谷」(おおたきだに)という言葉を作ると、「おおたくだに」にならないのと対照的。「小涌谷」の場合は、そんなに口をすぼめることもなく、「kowakidani」とフラットに発音出来るので、「i」の欠落も起きなかったのだろう。観光地としての歴史は、特に関係ない 。