空の蒼さを 見つめていると


2001年7月

7/31

 旅行会社から、ようやく詳細な日程の案内が届く。えらく分厚いなと思ったら、その厚みの大半は、「おみやげ−予約宅配システム−」というカタログだった。お土産選びで、現地での貴重な時間を費やしたくない、という人のための制度であろうと一応、理解は出来るのだけど、…しかし、何かが間違っているような気がするのは私だけ?

 商品を見ると、どこの国でも、基本的にチョコ。これまた理解出来なくはないけど、日本人にとっての海外って、チョコの国なのかと言いたくなる。しかも、その海外産チョコは、まず全て、「義理チョコ」だ。お土産を渡しました、という形式だけを確認するアイテム。止めちゃえば?と思うのも私だけ?

 まぁ、私は、昔からお土産というものに懐疑的だったから、こう意地の悪い見方をしてしまうのかもしれないけど。

 ところで、土産とは、アイヌ語の「ミヤンゲ」(身上げ)から来ていて、神へ貰った物を返す、という意味(クマ送りだとイヨマンテだ)だと、何かの怪しげな本で読んだ記憶があるのだが、あれって、多少なりと信憑性がある話なのかしらん…

 

7/30

 地元の花火大会。とはいっても、月曜の夜に行われてもな、疲れるだけだし、と今回、行くのは止めにしたのだが、駅に着くと、花火の音が響いてきて、海岸まで見に行きたい衝動にやや駆られる。春の桜のように、あるいは秋の紅葉のように、私にとって夏の海の花火というのは、何をおいても見に行きたくなる、その季節の風物なのだな、と今さらのように実感する。

 それでも後の2者ほど熱心に見に行ったりしていないのは、あの人混みが嫌いだとか、ベタベタした海の空気も好きでないとか、平日はもともと暇ではないとか、色々理由はあるのだけど、要は、一緒に見に行ってくれる、浴衣姿の女友達に恵まれていない、というただ一点に尽きるような。……。

 

 結局、家に帰って2階の窓から、近くの家々の屋根の狭間に浮かび上がってくる、遠くの花火を、時差で響いてくる音とともに、しばらく眺めた。まぁ、何というか、今年は花火を見たような、見なかったような気分。

 

7/29

 旅行用に、主に服装の面で、幾つか買い足さないといけないものがあるのだが、どうも私は、こういう買い物をテキパキと済ませる能力に著しく欠けるらしい。この週末も結局、無駄に費やしてしまって、我ながら暗澹たる思い。今週の平日の帰りに、少しずつ調達していくしかないのだろうな。

 一方、それ以外では、漫画系の本屋に寄ったので、必要最低限のものだけ、とりあえず買っていたりはする。…「魁!!クロマティ高校」2巻とかが、本当に必要最低限か、と問われると、返答に窮するけど。

 

 今日の関連書籍。加藤雅彦「ドナウ河紀行 −東欧・中欧の歴史と文化−」(岩波新書)。ドナウの流れに沿って、源流から河口までの国々の風土と歴史を紹介。簡潔な記述で、分かり易いけど、さすがに、この程度のことで有れば、読むまでも無かったかも。

 

7/28

 涼しくて過ごしやすい。と思いながら、ずっと昼寝してしまった。…何だか、気温に関わらず、最近、休日を毎回、無駄に過ごしているような。

 

 今日の旅行関連書籍。平田達治「ウィーンのカフェ」(大修館書店)。ウィーンにおけるカフェが、いかに、その文化の揺籃となったかを、幾つもの名物カフェでの人物交流を中心に語った本。なるほど、とはいうものの、出てくる人物、ほとんど知らないんですけど(^^; それにしても、コーヒー一杯でずっと粘っている常連ばかりって、それで経営がどうして成り立っていたのか、割と不思議。

 「週刊世界の美術館」No.9ウィーン美術史美術館TとNo.26 同U。…こんな雑誌が役に立つかはともかく、ラインナップだけは予習しておこうかと。多分、実際に割ける時間は1時間強、本当にハイライトだけしか観ている暇はないと覚悟はしているけど。フェルメール、ブリューゲル、ヴェラスケスは死守するとして、あとは、さくっと流す、しかないだろうな。

 

7/27

  見に行く予定だった地元の花火大会が延期になったので、いつものように?美術館へ。

Art 海と川と湖と 描かれた水辺の人々 サントリー美術館 2001.6.19〜7.29

 7月後半の展示は、地味も地味。意外にも、若い人の姿が多かったけど。どこかの大学で、夏休みの課題にでも取り上げられたのか。皆、メモを取っているし。

 個人的に気に入ったのは、長谷川等白「寒江渡舟図」とか、狩野正信「山水図」とか。私は、きっちりと細かく描いた絵の方が好きなのかも。

 それにしても、せっかく単眼鏡を持っていったのに、今回は使う必要のある作品が余り無くて、がっかり(^^;

 

7/26

 単眼鏡を買いに、有楽町のビックカメラへ。どれにしたものか悩んでいると、どっと十人近くの人が押し掛け、いきなり混雑する双眼鏡コーナー。双眼鏡って、そんなに買う人がいるとは思わなかった。20代OLが購入する目的って何だろう? スポーツ観戦? まさか、皆が皆、日本野鳥の会ではあるまいし。

 ま、人のことはどうでも良くて。私が結局、買ったのは、Nikonの「MONOCULAR 5X15 HG」。ビクセンの安い奴で良いかな、と最初は思っていたのだけど、そういえば、ウィーンでも使うよな、美術史美術館だとブリューゲル沢山あるし…、と考えている内に、出来るだけ明るくて、見やすいのにしようと思い直したのだ。これでは双眼鏡買うのと余り変わらない価格になってしまったけど。

 帰りにDVDソフトのコーナーを覗く。「アヴァロン」は慌てて買うこともないし、と冷やかしで帰る筈が、気が付くと、ふと見付けた「越前屋俵太作品集」などというものを買っている私。しかも、TとUの2本。…いや、こういうソフトって、後から猛烈に欲しくなったとしても、探すのは凄く大変だろうから、とりあえず買ってしまった方が良いと思って。って誰に対して言い訳しているんだか。両方で、本編の収録時間120分。2時間丸々続く、越前屋俵太の街頭パフォーマンス… いつか、多少、酔っぱらった時にでも観よう。

 

Novel 乙一 「天帝妖狐 集英社文庫

 前から読みたいと思っていただけに、今回の文庫化は、非常に嬉しい限り。

 もっとも、タイトルの「天帝妖弧」は、この作者にしては珍しく、若書きの印象。さすがに、中島敦をいきなり期待するのは無理か。乙一らしい人物配置だとは思うけど。もう一作の「A MASKED BALL」は、逆に、のびのびと描かれていながら、繊細な構成。解説の我孫子武丸も述べているが、「しあわせは子猫のかたち」と並ぶ、読後感が爽やかな作品で、何回もニヤリとさせられた。

 ところで、題名の「A MASKED BALL」とは「仮面舞踏会」のことらしい。ballにそういう意味があるとは知らなかった。と単に無知なのを白状する私。ついでにいえば、副題の「及びトイレのタバコさんの出現と消失」は、勿論、「トイレの花子さん」という有名人物?に掛けてあるわけですよね? どちらも読めば一応、納得するけど、題名はもっとシンプルな方が良いと思います。

 

7/25

 年に一度の、(夏の)土用の丑の日。

 同じく年に一度の、七面鳥の虐殺日のように、鰻にとっては、この日を越せば、ひとまず命が延びた、という日だよねと、夕食時、親に話し掛けたところ、冷凍になるだけじゃないの、との返事が。いや、それは、その通りだとは思うけどさ…

 

Cinema 宮崎駿千と千尋の神隠し

 まずは、事実として。普通?の映画は、映画としてどうよ、というところから始まって、大体、脚本が余りにも酷いとか、そういう赤ペン添削の方向で、感想を述べてしまうものだが、とにかく、ここでは「映画」は完成されている。特に、世界の見せ方については、さすが、と感嘆する程の滑らかさ。

 従って、あとは、この「世界」自体を、あるいは「物語」自体をどう考えるか、ということ。それについては、何らかの基準軸が必要となる筈。その意味での、批評/感想は、もう一度観る機会を取れたら、試みてみるかもしれない。

 とりあえず、前作への疑問?を書いた物の結果としては、「期待」は裏切られなかったと。ただ、昔と比べれば、随分、あっさりとしているな、とは思った。

 そんなわけで、私としては、非常に気持ち良く観終えたのだが、(この映画の本来の対象だと監督が言う)十歳の女の子がどう受け止めるのかは、私は十歳の女の子ではないし、かつてそうであったこともないので、よく分からない。いや、別に分かる必要もないかもしれないが。

 

7/24

 この暑い中、明日は、所沢の方へ、出張。目的地が、駅から遠くないことを祈る。

 

Novel ジョナサン・キャロル 「我らが影の声 創元推理文庫

 かつて、黒い背表紙だった創元推理文庫のホラー、ファンタジー部門。その黒さに最も相応しかった作家の一人が、ジョナサン・キャロル。そして、その彼の作品の中で、最も恐い作品だといっても、反対する人は恐らくいないと思われるのが、第二作の本作だ。

 最初の衝撃。打って変わって、幸せな人生の描写。次第に入り込む影。そして… お馴染みのストーリー展開が既に分かっていても、どうしてこんなにも恐いのか。それは、簡単に言ってしまえば、その恐怖が、外から来る悪いことに対する怖さでなくて、自分の内に根本がある、排除不可能なことへの恐怖だからだろう。そして、物語は必ず一人称で語られる。つまり、恐怖を抱えた主人公とシンクロさせられる恐怖。…そこまで分かっていても、恐いものは恐い。

 そんなわけで、この作品を読むのは十年ぶりだが、割と新鮮に楽しめた(忘れっぽいだけ)。思った程、ウィーンの描写が出てこなかったのは残念だが。次は「炎の眠り」?

 

7/23

 ハヤカワepi文庫に、グレーン「第三の男」があるのに気付き、薄いので追加。…映画も見直すべき? 大した映画では無かった印象しかないが。アゴタ・クリストフ「悪童日記」も、ハンガリーが舞台なので、追加。ミラン・クンデラも加えれば、三カ国揃い踏みになるけど、やや厚いので、止めた。

 今月になってから、専門店に寄らないので、Comicsが全然、揃わないまま。「茄子」とか目に付いたものだけ、ちょこちょこ買うのみ。

 

 今日の旅行関連書籍。カトリーヌ・クレマン「皇妃エリザベート」(創元社 「知の再発見」双書)。

 シシィ(エリザベートの愛称)関連の本は殊更多いが、この一冊のみにする。確かに、本人の奇矯な生き方自体、興味深い上に、それが当時のヨーロッパ情勢と密接に関わっているとなれば、本の対象として、これほど面白い人物はそういないような。

 この本の特色は、著者がフランス人なので、やや斜に構えた位置から彼女を捉えている辺り。もっとも、「やっぱ、綺麗な人やなぁ」という感想しか出てこない人間にとって、どんな内容だろうと変わりはしないのだが。

 ちなみに、最初の刷り込みのため、私にとっての彼女のイメージは、ヴィスコンティ「ルードヴィヒ」でのロミー・シュナイダーに尽きる。

 

7/22

 毎日書いても仕方ないが、暑い。しかも、隣では、家の建て替え工事が先月から続いていて、激しい騒音が伝わってくる上に、何かの練習なのか、どこからか、祭りの囃子がのべつまくなし流れてくる。

 …こういう状況で、落ち着いて物事を考えるとか、何かをするというのは、凡そ無理であるのは、言うまでもないと思う。自分が、受験生とかでないのが、せめてもの救い。勿論、どこかへ逃げてしまえば良いのだが、連休三日目ともなると、出掛けるのも面倒ではあるし、早く日が暮れて、辺りが静かになるのを、ただ待ち望む、という消極的な一日。はぁ。

 

 とりあえず、今日の旅行関連書籍。どちらも、写真中心の「〜の本」。ウィーンという都市に対するイメージを膨らませる一環として。

 池内紀・南川三治郎「世紀末ウィーンを歩く」(新潮社 とんぼの本)。松井隆夫「ウィーンの街の物語」(小学館 Shotor Museum)。前者は、いかにも池内紀節という感じの文章。内容的には、分離派を初めとして、今世紀初頭の、芸術家達の活動の紹介が中心。一方、後者は、それ以前の時代のモニュメントの紹介が中心で、絵画も、美術史美術館のオールドマスターにページを多く割いている。

 

7/21

 暑い。汗をかかないよう冷房する、という防御的姿勢だけでいるのも不健康な気がするので、発想を変えて、ひたすら汗を流すべく、サウナへ。

 行ったのは、横浜駅前のsky spa。さすがに、露天風呂の心地よさが無いのは残念だけど、14階ということで、眺望絶佳、加えて、この施設であれば、充分過ぎる位では。個人的には、寝湯があるだけで満足。2時間ばかり、色々入った後、休憩室のリクライニングチェアで1時間寝る。

 …平日の帰り、横浜で途中下車して、ここで汗を流す、というのも良いかも。

 

 などと、怠惰な夏の休日を送っていたので、余り書くこともなし。ジョナサン・キャロルの再読を始めたことくらい。まずは「我らが影の声」から。

 キャロルお得意の「最初の衝撃」以外は、ほとんどまだ何も起きていないのに、主人公の幸せな日々が綴られていくだけなのに、それなのに。読んでいると、めちゃくちゃ恐いよう。この緊張感の高さは、どこから来るのか、何度読んでも不思議。

 

7/20

 外に出たくないほど暑いが、火浦功の再刊を買うため、本屋へ。ついでに、旅行の一夜漬け用の書籍も買い足す。この辺で打ち止めにするつもり。ちなみに、今日はその中から、江村洋「ハプスブルク家の女たち」(講談社現代新書)を読む。割とツボを得た感じの、初心者向けの人物伝。

 

 TVで、向こう版ゴジラを見る。…このタイトルが付いた映画は、リメイクしようとすると、和洋を問わずヘタレな脚本となる呪いでも掛かっているの? まぁ、誰がやっても、勝ち目のない戦さのような気はするけど。

 でも、例えば、ティム・バートンが監督したら、図体はデカイが、ある意味無垢で、苛められっ子?のゴジラになったりするような気も。それで、ラストは、南海にある彼の島にすごすご帰っていく姿を、ヒロインが見送ってお終い。駄目ですか、そういうゴジラは?

 

Novel 火浦功 「死に急ぐ奴らの街 徳間デュアル文庫

 何はともあれ、祝・再刊! しかし、カヴァーイラストがな… 今掛勇が描いているのだけど、駄目でしょ、これでは。火浦功なんて知らない読者を引き込む表紙だとは、とても思えない。もっとも、火浦功fanなら、どんな表紙だろうとめざとく購入する筈だが。

 それにしても。初出時、十年に一度しか、この作者が書きそうもない作品だな、と思ったものだが、気が付けば、もう二十年の歳月が。結局、その後、火浦功のこういう単行本を新たに手にすることは起きなかった。それでも、この作品が、こうしてまた読めることに感謝すべきなのかもしれない。

 などと、やや感傷的な気分で、最後のページまで読み終え掛けたところで… おおっ、と驚く内容が!

 

7/19

 いつもは、朝、電車に乗ると、都心の駅まで1時間うとうと寝る私なのだが、今日は「地の果て」の果てまでの出張、千葉までの2時間は乗ったまま、と安心したせいか、いつものように都心の駅で目を覚ますこともなく、深く眠り込んでしまっていた、らしい。

 …ふと、意識が戻る。私の乗っていたのは、いつものように通勤客でほぼ満員の車両だった筈だが、その時、視界に入ってきたのは、目の前の広々とした長いシート、そして、誰にも遮られることのない車窓の景色だった。そう、気が付くと、私は、今や無人の車両に、ただ一人座っていたのだ。

 疾走し続けている無人の電車に、何だか、とんでもないところへ向かっているような不安に駆られる。慌てて、次の停車駅の表示を探す。船橋。大丈夫、日常世界を離脱したわけではないようだ。あけてくれ!と取り乱さずに済んだ。

 

Comics 小田 扉こさめちゃん 講談社

 なぜ今さら、という感じだが、勿論、この前の未読30冊から、抜いてきたもの。千葉県中央部の青々とした水田風景を車窓に見つつ、通読。

 どのページからも、溢れるばかりの魅力の数々。キャラクターの存在感、描線、そして、とぼけた笑い。今まで読まなかったなんて、何かとっても損をしていた気分。「こさめちゃん」、「としごろとしこ」等、登場する人達は、皆、好きなのだが、一番カッコ良いのは何と言っても、「話田家」第6話の話を仕切る、同級生の女の子、住吉さん。ちょっと目付きが、とり・みき作品の田北鑑生みたいだけど。彼女が中心の話となる短編なんていうのも、ぜひ読んでみたい気がする。

 ところで、この機会に、自分の犯していた過ちを一つ、告白します。それは、雑誌掲載された「話田家」を(そんなに熱心にではなく)読んでいた頃、てっきり「はなしだけ」だと思い込んでいた、ということです。ありがち、でしょうか。

 

7/18

 この前、千葉の佐倉を、地の果て、などと呼んだことが悪かったのか、更にその先、ほとんど銚子の寸前まで、明日、出張で行かないといけない羽目に陥る。片道3時間半。まさに、「地の果て」の果て、だ。私からすれば、ほとんど想像力の埒外、テラ・インコグニータ。

 …まぁ、良いや。未知の大陸だろうが、だっぴゃ星人の星だろうが。往復の半分は寝るとしても、半分の時間だけでも、かなり本が読めそうだし。

 

 というわけで。旅行へ行くまでの間、少しでも関連書籍を読んで一夜漬けしておこうと、とりあえず目に付いたものだけ、買ってくる。う〜ん、ハプスブルク家についての本は、やたらと沢山有るんだけど、チェコとハンガリーについては、余りに手薄。今度、大きな本屋へ探しに行かないと。

 

7/17

 パスポートを、受領しに行く。前回のが切れてしまって以来、5年振り。それにしても、未だに「Pasaporte 」という呼び方の方がすっと出てしまう辺り、最初の旅行の影響というのは、大きいものだと思う。

 

7/16

 「泥棒猫」とか、「SCISSORS」3巻とか、「妄想戦士ヤマモト」とか。それにしても、「SCISSORS」の中断は、本当に残念。「ウインドミル」の池山若菜に相当した筈の、美岬比佐乃の活躍をもっと見たかった…

 

 旅行については、今日、代理店に寄って、その場で申込んでしまった。値段のピークで申し込むのは、大変な無駄遣いをしているようで、胃が痛んだが、今年はそこしかスケジュールが空いていない以上、それは仕方ないかと。ともあれ、来月は8日から、8日間ほど、向こうの方に行ってきます。

 そんなわけで、いかにも泥縄的に、ハプスブルク家の歴史など、簡単に復習してみたり。

 そういえば、あのマルガリータって、スペインのハプスブルク家なのは当たり前だけど、あの頃、ブルボン家とは姻戚関係には、まだなってなかった? 気になったので、「系図の迷宮」というところで、両者の家系図を確認。

 そうか。スペインブルボン家って、その後、スペインでハプスブルク家が途絶えた時に割り込んで来たのか。すると、生粋のハプスブルク家の王女である、マルガリータからすれば、当時のブルボン家なんて、家の敵も良いところ、あんなところで、名前を使われる筋合いなどない訳だ。うろ覚えで、いい加減なことは書くものではない、と反省。

 

7/15

 リンクページを、模様替えしてみる。

 

 リンクすることへの是非は、麻弥さんの「リンク」についてのアンケート結果でも色々検討されていたけど、そもそも「個人の日記系サイトに、リンクページが存在することの意義」が、今ではよく分からなくなっている気がして、リンクページ自体どうしたものか、暫く悩んでいたのだった。

 例えば、実用面からだけで言えば、アンテナ経由で行けるところは、そのアンテナだけリンクすれば済むわけで、一つ一つリンクする意味など、存在しない。ここの訪問者の3割くらいは、細井さんの「漫画系サイト 更新時刻一覧」経由である以上、今回みたいに、その「一覧」に載っている他のサイトをリンクしてみたところで、その方達には、何ら新しい情報とは成り得ない。

 従って、これは、リンク先への身勝手な「リスペクト」でしかないのかもしれない。そんなもん、やめてしまえ、というのも一つの正論だと思う。

 しかし、それでも多少なりとも誰かの新たな発見の役に立てば、という儚い希望と、個人サイトという表現形式の中には、他のサイトの見方を含んでいるのではないかという個人的な考えから、今回とりあえず漫画系サイトを中心に、ページを更新してみた。…まぁ、ここで何をしようと、ほとんど誰にも影響を及ぼさない、と言ってしまえばその通りなのだけど。

 

7/14

 先日以来の、夏休みの国外逃亡計画の続き。

 

 台湾にしようと、ほぼ決めて、ガイドブックも数冊買い込んでいたのだが、どうも気が乗らず、予約を取るまで、とても到らないまま、一週間経過。

 その間、本屋の旅行書のコーナーで、OL二人組が「マレーシアで良いよね?」「良いよ」と、簡単明瞭な会話を交わし、そのままガイドブックを買って去っていくのを見掛けたりもする。

 どうして、そう思い切り良く、行かないのだろう? というより、台湾「で良い」が、「が良い」に、私の中で、変わらないのは何故なのか。どうやら、気分的に、国内旅行と余り変わらない気がするから、らしい。別の世界に出掛けるという「ときめき」が足りないというか。台湾にもいずれ行きたいのだが、今回は、もっと遠くに行きたい、という気持ちが思いの外、強かったことに我ながら驚く。

 そこで、もう一度、方針を180度転換、なおかつ、日本より暑い処は嫌だとか、楽はしたい、とか美術館には行きたいとかの様々な欲望を秤に掛けたところ、今回は、ウィーンへ行くのはどうか、とふと閃く。正確には、ウィーン、プラハ、ブダペストの三都。

 そう考え出すと、早速、ウィーン美術史美術館のコレクションを確認しておこうとか、行くまでにジョナサン・キャロルの作品を再読しなきゃ、とか「鳩時計…」は暗唱出来るようにしておくのが基本とか、色々やりたいことが湧いてくる。そうそう、こういう胸の高鳴りが、旅に出る重要な動機だよね。

 

7/13

Novel 小野不由美 「華胥の幽夢 講談社文庫

 と題名を記してはみたものの、外伝をまとめた短編集に対し、感謝こそすれ、何かを言うことに凡そ意味があるとも思えないわけで。個人的には、「乗月」が一番、読み応えがあったのだが、それには、最新作の「冬栄」「華胥」は再読だった、という事情も大きいし。

 なお、外伝として描かれた作品を読むのは非常に楽しいし、このようにしてでなければ、触れ得なかったエピソードであるというのも分かるのだが、今後については、外伝でのフォローに回るよりは、本編を可能な限り早く突き進んでいって欲しい、というのが正直な希望。

 

7/12

 足裏指圧を、初めてやってみる。東洋風の痛い方。ようやく終わると、先生?が、機能が弱っている場所を、教えてくれる。

 「腎臓が弱くなっていますね。それから、肝臓が弱くなっています。あと視神経と頭の神経がひどく疲れています。…(略)…。肩から首に掛けてのリンパ線も弱くなっていますので、夏風邪に気を付けて下さい」

 長々と続く、弱点の指摘。……先生、それでは、弱くなっていないところは、どこなんですか?

 でも、さすがに、終わると足が軽々。砂袋を投げ捨てた気球のようだ。弱くなっているところの機能も、少しは改善していると良いのだけど。次回は、頭皮マッサージでも、チャレンジの予定。

 

7/11

 何故か、今頃になって、古橋秀之「タツモリ家の食卓」1,2巻など読んでいるのだが、短髪の童顔で、眉が太いのを気にしている倉本翼三等陸尉というキャラクターが登場したところで、「眉が太い」というのも、「これはこれで」チャーミング、などと思い、そういえば、ここ数年間で、似たようなことを考えた記憶があるのをふと思い出す。多分、漫画のキャラクターの筈なのだけど、う〜ん、誰だったっけか…

 

 そんなわけで、私は、眉については拘りはないのだけれど、実は、顔のパーツで一箇所だけ、気になってしまうところがある。それは、唇、しかも太い唇、いわゆるタラコ唇が、見るのも嫌、という位、苦手なのだ。例えば、モデル出身の某女性タレントの顔がTVに出ているだけでチャンネルを変えたくなってしまう程。理由は、自分でも多分、半分くらいしか分からない。理屈を超えた、生理的な嫌悪感。

 ただ、分かっている半分でいえば、口という器官が象徴する、生のグロテスクさを、その太い唇に感じる、ということだと思う。クッチャクッチャとガムを間近で噛む人の顎の動きも、同様に恐怖感を誘う。ももんがー、と襲ってくるモンスターへの恐怖、つまり、「喰われる」ことへの恐怖が、私の場合、ガムを噛む姿、そして太い唇に対しての嫌悪感に結び付いているらしいのだ。

 私に前世、というものがもしあるとしたら、口の大きな(唇の厚い)何物かに、喰われて末期を迎えた、としか思えない。何て哀れな前世の私。

 

 …あっ、今、思い出した! 眉毛の太いヒロインといえば、冬目景「イエスタデイをうたって」のしな子センセーではないですか。なるほど、「これはこれで」。というか、私の思考パターンって、全然進歩ないのか。きっと、来世になっても、眉毛の太いヒロインに肩入れしているに違いない。

 

7/10

 あらら。残念賞!

 先月、国立歴史民族博物館の今月の企画展示「異界万華鏡−あの世・妖怪・占い−」というチラシを入手したのだが、この博物館は、何故か千葉県の佐倉にある。佐倉、といえば、私の住んでいる処からすれば、地の果て、と呼びたいような僻地だ(佐倉の方、すみません)。電車1本で着くことは着くのだが、片道に2時間超。この前の川崎市市民ミュージアムの展示以上に、面白そうな予感はするけど、いくら何でも遠過ぎる。

 と、チラシを捨てようと思ったのだが、この展示に関連した「第34回歴博フォーラム」(7月20日)というのが、裏面に記載されていて、内容を見ると、何と「京極夏彦・小松和彦対談」。

 それでは、例え地の果て、水の果てでも、行くしかないでしょ、と参加希望の往復葉書を出していたのですが。ええ、来ましたよ、「ご参加いただけないこととなりました」返信が。

 何でも、会場の定員の6倍の応募が有ったそうで。このペアなら、まぁ、そうかも。こんな企画、誰も気付かないだろうと、実は楽勝ではないかと秘かに期待していたのだけど、甘過ぎでした。そんなわけで、葉書には「ぜひご来観ください」とは書いてあるけど、フォーラムに参加出来ないのであれば、やはり、行く気力は湧かない。もう少し近ければ、行ってもいいんだけど。はぁ。

 

7/9

 休みを取って、パスポートを取りに右往左往。謄本だの住民票だのを集めて回るのは、RPGのお使いイベントみたいな気がしないでもない。申請自体は、さくっと終了。ついでに映画を観て帰る。

 

Cinema スティーヴン・スピルバーグA.I.

 「メトロポリス」の時と同じ対応で済ませるべきだとは思うが、せっかくなので、一点だけ。

 この映画を「ピノキオ」としてではなく「オズの魔法使い」として観ること。

 要素が似すぎている、のは勿論、似せているからだろう。しかし、問題は、スピルバーグが、今「オズの魔法使い」を作ろうとすると、どうしてこんなに弱々なFamilyRomanceしか謳えないのか、ということだ。1939年の映画「オズの魔法使い」では、有名なドロシーのセリフ、「家ほど、良いところはないわ」で、力強くFamilyの価値が再認識され、Happy Endingを迎えるのだが、この「A.I.」では、最終的な「家族」の姿は、ご覧の通り。

 …今時の「オズの魔法使い」なら、D.リンチの「ワイルド・アット・ハート」で充分だよなぁ。

 

7/8

 「日本国語大辞典」用の書架が届いたので、置き場を確保すべく、床に山積みになっていたComicsを、隣の部屋の本棚へと、整理する。

 並べてみると、読もうと思ったまま埋もれてしまったものに加え、買ったことすら忘れ去っていたものも続々と出てくる。結局、凡そ30冊の未読の単行本が発見される。全部、今年になってからの分だが、どうりで、今年の日記には、Comicsの感想が少ないわけだ。ちょうど机の引き出しから1万円札が出てきたようなもので、何かとっても得した気分だが、冷静に考えると、何の得にもなってないよな。

 

Novel 津原泰水 「妖都 講談社文庫

 例えば、小野不由美の「東亰異聞」が、明治の東京の闇に透けてみえる、もう一つの「異界としての東京」を艶やかに描いたように、現代の東京の黄昏時に感じられる、もう一つの「東京」のその気配を、的確に描いた秀作。

 ところで、この作品は、巻末の解説でのように、南米のマジックリアリズムに比すよりは、やはり、ジョナサン・キャロル、それも初期作品で死者が生者の世界に浸食してくる有様と比較してみる方が相応しいのでは? 少なくとも、作者が、キャロル作品での犬の活躍振りを意識して登場させたという犬達、特にクドという名のラブラドルレトリヴァーについては、キャロル作品でお馴染みのブルテリアにも負けない魅力を放っていると思う。

 あえて不満を言えば、この小説が、もう一つの世界へ辿り着くための物語であり、導火線としての謎解きはお約束に過ぎないとしても、その導火線を、もう少し丁寧に拵えて欲しかったこと。登場人物の一人が勝手に考えただけとはいえ、「雛といえば、ヒナ」の仮説は、メインプロットにするのは粗雑すぎるだろう、とは思った。

 夕方の辻、交差点で洩れ聞こえてくる言葉を、神託と受け取る、夕占という古い占いがある。渋谷の交差点で、黄昏時に耳を傾けると聞こえてくるのは、どういう言葉なのだろうか。

 …などと締めつつも、実際のそれは、女子高生の「超ムカツクー」だったりする可能性が大な気がするのだけど。それが、今時の神の言葉?

 

7/7

 「ギャラリーフェイク」22巻とか、「クーデターラブ」3巻とか、「性本能と水爆戦」とか。あとは、「不死身探偵オルロック」の再読。何回読んでも、この作品の、テンションの無駄な高さには驚かされる。

 

7/6

 今週も、何もない金曜の夕方は、サントリー美術館の日。

Art 海と川と湖と 描かれた水辺の人々 サントリー美術館 2001.6.19〜7.29

 7月前半の展示の目玉は、「清明上河図」の明代の模写。そう、「ギャラリー・フェイク」の台湾編で出てきた、あの絵の模写の一つ。なるほど、手塚治虫のモブシーンのように?街の人々の生態がぎっしりと描かれていて、なかなか面白い。

 それにしても細かすぎて、ううっ、見にくい。と思いつつ眺めていると、ふと隣の人が、片眼鏡を目に当てているのに気付く。あ、向こうの人も、双眼鏡だ。そうか、こういう絵の時は、拡大して見るのが基本なのか。まだまだ修行が足りない?ことに気付かされる。次回の展示までには買っておかなくては。

 あとは、呉春「漁樵図屏風」での木々の穏やかな描き方が割と良かった。多分、応挙に師事する前の、いわゆる文人画。

 ……それにしても、毎週末、美術館に通っているけど、他にすること、何もないのか、私。

 

 ところで、サントリーと言えば、先日、熟茶について、その広告手法について考察してみたが、「プーアール茶でした」解禁時には、ペットボトルの上部に、その旨を書いた紙の帯を被せて対応していた。しかし、今までは「熟成中国茶」としか書いてなかったラベル自体にも、ようやく「プーアール茶」の表示を入れたペットボトルが出回り始めたようだ。

 500mlのボトルを手にとってみた。「熟茶はプーアール茶である」ことを知らしめたいという強い熱意が、前面に打ち出されている。

 「熟成プーアール茶」が2箇所、「プーアール茶葉」も2箇所。更に、「プーアール茶葉100%使用」に、「品名:プーアール茶」「原材料:プーアール茶」の表示。コピーも「熟成プーアール茶ならではの、ほのかな甘味と なめらかな喉ごし」。計8箇所も、「プーアール茶」の文字が踊っている。

 前面、というより全面。どうみてもやり過ぎだろう、と思うのだが、やると決めたことはとことん全力でやる、のが正しい広告手法なのかもしれない。

 でも、私の率直な感想を言わせて貰えば、ここまで強調しないといけない、というのは、ある種の不安から来る強迫観念のように見えてしまう。多分、この商品は、余り受け入れられることなく、終わってしまう気がする。それは、単に個人的な予感でしかないのだけど。

 

7/5

 ここでは無い、どこかへ。

 

 社会人になってから去年までは、目の前の憂鬱な「現実」から一時的にでも逃避することを、絶えず夢見ていた。とはいえ、実際に、どこかへ行く暇など、もとより有るわけもなく、旅と呼べるような旅もほとんど出来ずに、ほぼ十年が過ぎ去ってしまった。

 ところが、今年は、普通に?一週間超の夏休みを取ることが出来るらしい。どうせなら、日本の外へ出掛けてみたい、とは思ったものの。
 去年までは、休暇と言えば、せいぜい草津温泉への一泊旅行だった(実話)私にとって、急にそんなことを言われても、どうしたものやらだ。

 

 何と言っても、問題は行く先だ。

 最近、アジアンリゾートが流行らしいが、どう考えても、私が「リゾートライフを満喫している姿」には無理がある。大体、暑い処は嫌いなのだ。
 行きたい処。風景的には、アイルランドの草原とか、人が全然いなそうな処なのだが、そういうツアーって、あんまり無さそうだし。
 行きたい美術館。フィレンツェ、ウィーン、アムステルダム辺り。でも、ちらっと見るだけなら、行っても行かなくても余り変わらない気も。

 旅行会社のパンフを見る限りでは、台湾がちょうどお手頃。博物館に中華料理に烏龍茶に、ホウ・シャオシェンの映画の舞台に、マッサージに温泉。私の趣味で成り立っているような世界。しかし、来年含め、あと2回くらいしか、こういう機会がないことを考えると、そんな近場でお手軽に済ませて良いのか、とかまた悩んでしまう。

 それにしても、そろそろ決めないと、間に合わない… というか、そもそも、私は、パスポート持っていないんだった。早く申請に行かないと。

 

7/4

 「あずまんが2」とか、「Niea_7 SCRAP」とか、「不死身探偵オルロック」とか。「あずまんが」を読む度に、あずま作品における、砂沙美とちよの共通点と相違点について考えてしまう。

 「The Sneaker」8月号。押井守の、「立喰師」の偽史?が始まったので購入。なお、火浦功の連載は、ついに落ちていた。…多分、世界は、ここ暫く、平穏な日々が続くのではないかと思われます。

 

 先々月の「NREアテンダント リカちゃん」の話の続き。

 「NREアテンダント」でここに来られた人がいたので、私も同じkeyで検索してみる。「鉄道なお姉さんたち」とか、「Licca」コレクションとか。なるほど、なるほど。「琉球リカちゃん」なんてジャンルもあるのか… どちらも? この先に、更に深い世界が広がっている気配。深入り危険?

 

7/2

 この前の、ビックカメラについての疑問に関連して、人から教えて頂いたsiteに「こちら名前探偵局」というのが有る。文字通り、社名や商品名の由来を調査し、回答する趣味を持った人のsiteらしい。便利な世の中になったものである。

 あいにくとビックカメラについての報告は無かったが、同じように私が、永らく疑問に思っていた社名の由来については、ここで知ることが出来た。それは、お菓子のメーカー「ブルボン」についてだった。

 

 「ブルボン」といえば、「ルマンド」とか「チョコリエール」といった、袋入りのビスケット菓子で有名なメーカーで、多分、誰でも一度くらいは、ここの菓子を食べたことがあるのではないかと思う。しかし、新潟の菓子メーカーが何故ゆえに、「ブルボン」? ここの菓子を食べる度に、その疑問が脳裏に渦を巻いていた。そして時が経つにつれ、疑問は、いつしか壮大な仮説へと発展していった。

 「ブルボン王朝復古主義者」説である。つまり、売上を軍資金として積み上げ、いつかはそれを元手に、地上のどこかにブルボン王家の血を引く者の王国を再建しようとする一派が作った会社なのではないかというのだ。問題は、なぜそれが新潟で営業しているかだが、まぁ、青森県へキリストが渡った説だってあることだし、フランス貴族の残党の一人や二人、新潟へ渡るくらいの歴史のドラマが有っても良いのではないだろうか。しかし、なぜ菓子メーカーかと問われると、説得力に今一つ欠ける気がするのは否めない。

 そこで次に登場したのが、「王室菓子職人亡命」説だ。これは、要するに王室御用達の菓子職人が、革命で国を離れ、その後、その家族が100年以上も諸国を転々とした挙げ句、新潟へ落ち着き、かつての王朝を偲びつつ、洋菓子の製造を始めた、というもので、なぜ新潟で?という根本的な疑問を除いては、それなりに納得出来なくもない物語になっているような気もする。

 その他、幾多の仮説が生み出されたが、依然として、真相は謎のままだった。

 ということで、今回、ここの調査結果を見てみると…、え?当社が、インスタントコーヒーを製造販売した時の豆が、「ブルボン島」のコーヒーだったから? あの、どこですか、それは?

 「ブルボン島」について調べてみる。どうやらそれはマダガスカル島の東にあるフランス領の島で、1642年にフランスが占領して以来「ブルボン島」と名付けられ、コーヒーのプランテーションが行われてきた所らしい。但し、島名は、フランス革命時に「レユニオン島」と改名するが、ナポレオン時代は「ボナパルト島」に変えさせられ、さらに一時、英国支配となった後、また「ブルボン島」に戻るが、1848年の二月革命によって、再び「レユニオン島」となった、という具合に、フランスの歴史の荒波を、インド洋にいながら、もろに受けている、という感じだった。島名は既に変わっているのに、昔の名前がコーヒーのブランドとして残っている、というのは、ちょうどセイロン茶のようなものなのかもしれない。

 というわけで、全く無関係ではなかったにせよ、少なくとも私が思い浮かべていたような、ブルボン王朝そのものへの何らかのオマージュとかでは無かったのだ。残念。

 

 しかし、驚くべき事実は、それだけではなかったのである。「ブルボン」の商品の中には、「ホワイトロリータ」というお菓子があるのだが、その名前は、当然、先程のブルボン王朝の延長線上のイメージなんだろうと、私は勝手に思っていた。

 ベラスケス描くところのマルガリータ王女の可憐さ、のような。あるいは、ホワイトということで、むしろロシアでのフランス趣味みたいなイメージ、例えば「アンナ・カレニーナ」の前半みたいに、帝政ロシア時代の、ロシア貴族の少女が、純白のドレスを身に纏って華やかな社交界にデビューする時の人目を引く可愛らしさのような。というのは、スーパーで特売されるようなビスケット菓子には過大なイメージだとは思うが、少なくとも、メーカーとしては、そういうお洒落な?ティータイムを演出したい、というネーミングだと思っていたのだ。というか、普通、思うでしょう、「ロリータ」なら少女だって。

 しかし、実際は、「ロリータは、ロータリー式の回転機で製造する行程で”ヒネル、ネジル”ということから生まれた合成語」だったなんて……

 

 真実を知る、というのは、つくづく残酷なことだと思った。 

 

7/1

 うだるように、暑い一日。

 

TV 国宝探訪 「大気よ光よ あこがれの地よ〜牧谿 漁村夕照図・煙寺晩鐘図」

 この前、根津美術館で観た、牧谿「漁村夕照図」は、元々「瀟湘八景図」として絵巻物として日本に伝わった後、分断され、各地に四散した中で、現存する4点の内の一つなのだそうだ。

 ちなみに、絵巻物を勝手にぶった切って、8枚の掛け軸に仕立てたのは、足利義満。その後、大名達に分散した掛け軸を集めて、模写の絵巻を作らせたのが、徳川吉宗。というように、この八景図が、いかに歴代の権力者に愛好されてきた作品であるかがよく分かる。

 番組では、4枚の絵にある虫食いの跡から、絵が描かれていた順番を推定したりと、NHKの教養番組らしい調査も行っていて面白かったが、牧谿をそんなにも高く評価していた日本人の美意識についても、もう少し掘り下げて貰えれば、とは思った。

 まぁ、日本人好みの絵であることは、間違いないのだけど。温暖湿潤の風景。湖面に映る、夕日の残照。そうか、日本人は、5百年前から「印象派絵画」が好みだったんだ。

 それにしても、半分が失われてしまったとは、本当に残念。ある日「鑑定団」にふと出てくる、とかいうことは無いのだろうな、やはり。