普通の芸術品の展示よりも、何となく親しみやすいテーマだけに、参観者も多く、学芸員の解説時には、凡そ6,70名が集まっていたこの展覧会。自分の日頃の関心分野でもあり、なかなか面白かったので、特に印象的だった物についてだけ、それぞれ、とりとめのない感想を書いてみようかと思う。
展示は、「願望を満たす」「災難を除ける」「未来を覗く」の三つのテーマに別れていた。
1.「願望を満たす」
大切にすると着物が増えるとして女性に信仰されていた。ということで、桐の箱に入ったケセランパサランを展示。実は、これがどうやって出来た物なのかも、その語源もまだよく分かっていないのだそうだ。見た目は、丸い毛皮、というかフェイクファーみたいな物だが。
実は、私は「ケセランパサラン」を見たのは、これが初めてではない。まだ中学生の頃、後に通うことになった高校の文化祭を見に行ったことが有るのだが、その時、何故か、そこの生物部が、「ケセランパサラン」を展示していたのだ。やはり、丸い毛皮のようなもので、白粉を食べると説明書きもちゃんとされていたと思う。
…当時は、余り深く考えなかったのだが、改めて振り返ってみると相当に、奇妙な話である。すると「生物部」は、あれを「生物」として展示していた、ということなのだろうか? 大体、何で、県立高校の生物部が、そんなものを所有している? 高校時代に真相を解明すべきだった気がしてならない。しかし、高校の3年間、生物部の人間に合うこと自体、無かったのだ。
あの時のことを思い出すと、今でも、何だか狐につままれたような気がする。
藁を白い糸で縛って作った人形。新しくて、そんなオドロオドロしいものには見えないが。それもその筈。学芸員さんの説明によると、これは実際に使用されたものだが、そんなに古くないからだという。どこだかの神社の境内で、どこかの大学の先生が「発見」して、「取って来ちゃったんですね」「刺さっている釘も一緒に」
…いいのかよ、そんなことして(^^;
とにかく、京都の貴船神社を初めとして、その手で有名な神社だと、今でも、境内の森の木に、釘の後を見付けることが出来る。というわけで、「そういう所に行ったら、ぜひ探して見て下さい」 そう、いわれても。クヌギ林のカブトムシ探しじゃないんだから…
群馬から埼玉にかけて、三隣亡を祀る家と、その家を排除する風習があり、その家を恐れた周りの家は、呪力を除ける、という意味で、鍾馗様を描いたプレート(焙烙)等をその家の方向に向かって掛けるということがあったという。
ちなみに、祀る家の方の実態は、今もよく分からないのだそうだ。ただ、そういうプレート等の方向を調べていくと、どうやらあの家が、と推測されるらしい。言ってみれば、この三隣亡を巡る風習と信仰は、今も生きているところがあるわけで、つまり、その排除の構造もまだ生きている、ということになる。
そういう家だと周囲から思われている家に、もし引っ越してきてしまったら… 想像するだけでも恐ろしい。でも、それは、その土地では有り得ないことではないのだ…
2.「災難を除ける」
山梨県の辺りでだけ見られるもの。病人が出ると、役所の公文書として発行され、村役人が病人の枕元で読み上げたのだという。何でも、明治になっても(だから山梨県庁によって)発行されたものも、あるらしい。疫病神にまで命令するとは、凄えぜ、山梨県。
肥後国に出現した「尼彦」という怪獣を描いたもの。他にも、「尼彦入道」「件」と言った予言をする異形の獣の図や、「白沢」の図や人形も展示されていた。予言をする獣といえば、中でも「件」が、とり・みきを始めとして取り上げている人も多く、有名かと。小松左京の「くだんのはは」などから、終末的な予言をする生き物だと、私は思い込んでいたのだが、どうやら、これらの「予言獣」は、もともと病等を予言し、ただし自分の姿を家の壁に貼っておくと災難を逃れる、と告げるというのが、基本的なパターンらしい。そうか、貼っておけば良いのか。
ところで、説明文の「予言獣」という文字を見た時、私の頭に瞬間的に浮かんだのは、
どこかの戦隊物で、近所の子供が、どこからか迷い込んだ獏の子供のような動物を保護して世話する話から始まり、物語中盤、劣勢に立たされた、敵の何とか将軍が、「予言獣クダン、出よ!」とか叫ぶと、その獏のような動物がいきなり巨大化して(重要)、主人公達の前に立ちはだかる。
という話だったのだが、「予言獣」という文字から、いきなり、そこまで暴走してしまう私の想像力って、はい、腐ってますね(^^; 済みません。
大元帥明王とは、国家鎮護の仏として、その修法は、古くは平将門の乱や、元寇の際に行われた。勿論、太平洋戦争でも、連合軍調伏のため、祈祷が行われた。その結果、ルーズヴェルトが亡くなったが、戦局はもはや手遅れだった、とかいう漫画を昔読んだような気がするけど、あれって誰の描いたものだったっけ。それとも「帝都物語」辺りの小説?
今回展示されているのは、日露戦争時、勝利祈祷のために鋳造されたものらしい。…すると、足下の天の邪鬼、これって、露西亜?
サムハラ、というのは、語源は不詳だが、江戸以降、広く知られていた災難除けの呪文だという。この呪文が、特に弾丸除けの呪文として満州事変以降、庶民に急速に広まり、大阪には神社まで出来た他、全国でその護符が売り出されたとのこと。オタスケ観音は、綾瀬市の報恩寺とのことで、盛時には参拝者が駅から列をなした程だったのだそうだ。
こういう呪い、というか願いの形を見るのは、やはり、忍びない。個人ではどうしようもない、時代の動きの中で、それでも祈ることの切なさを感じてしまう。
ところで、弾除け、ということで、思い出したのは、大学の教養課程で聴いた、中国近代史の講義。単位取得が割とeasy、ということもあって、その講義を取っていたのだが、そこでの「太平天国の乱」についての回で、余談として、洪秀全の「拝上帝会」の教えを守る限り、鉄砲の弾には当たらないと太平天国への参加者が信仰していた、という話が出た。
私は、それを聴いて、もしそれが真実だったと仮定したら、新書版1本くらいの伝奇小説のネタになりそうだな、と講義そっちのけで、空想に耽っていたのだった。
信仰で、弾が当たらなくなった無敵軍隊、とそれを鎮圧出来ない清朝政府軍。西欧列強も常勝軍の名の下に外人部隊を組織して、自らの権益を守るため、清朝政府援護に回る。常勝軍には、太平天国軍の信仰を攪乱するため、超能力を強化された、少年少女ばかりから成る、特殊部隊が配置されていた…
とか、何とか。ああ、私の想像力の使い方って、この頃から、駄目駄目だったのか。
この村では、いざなぎ流と呼ばれる、陰陽道や修験道、仏教、神道が混じり合って成立したと思われる独自の信仰体系が今も存在している。というわけで、そのいざなぎ流による、病人治癒の祈祷をする際の部屋の様子を、部屋一杯に飾り付けられた御幣等によって、再現していた。
学芸員さんの言葉。先日、苦情の電話が掛かってきまして。内容が、ここで、死霊に取り憑かれたというものでした。しかも、三体が憑いたとか何とか。とりあえず、謝っときました。
ちょっと笑ってしまったが、電話を掛けてきた本人にとっては、冗談ではない、のだろうな。
「呪のかたち」
市民ミュージアム蔵。売っているものを一式、買ってきたんだな、という安倍晴明セット(笑)
ちょうど私の目の前で見ていた女性3人組の会話。
「来たよ」「新人賞やってるとさぁ、(安倍晴明ネタが)もう多すぎ」「禁止、て言いたいよね」「あと、その子孫という奴」「あれも、禁止だよね」
……ライトノベルか、漫画雑誌の編集者? まぁ、私も「禁止」には賛成したい。
3.未来を覗く
大阪のこの神社では、まだ辻占という占いが残っているという。まず御神籤を引き、その数字(3とか)を覚えて、辻に立ち、その数、3番目に通った人の服装、立ち去る方角等を見、その後、社務所で、それを伝えて、宮司に占って貰うのだという。
一回、ぜひやってみたいよなぁ。何だか、まどるっこしい気もするが。そう、多分、同じように思った人も多かったと見え、紙に印刷された占いが辻占として広まっていったらしい。点取り占いは、どうやら、その延長線上にあるようだ。
展示されていた「新作辻占第八十号」という紙には、色々、占い?が書いてあって可笑しかった。ちなみに、大正五年の新作、らしい。
「としは二十九でもかわいいやつだ」「かねがいやとはいわせない」「こんやはわたしがビールをおごる」「ほれたとゆふてしたをだす」「かねさえもらへばようじなし」「せたいのしたくはできておる」「わたしやあなたをまねきねこ」「はまぐりのしるはあじがよい」とかいった言葉が並ぶ。
…なんだ、こりゃ。
「コックリさん」の占い方を描いた、明治時代の錦絵。当時のやり方は、竹三本を三脚のように立て、その上にオヒツの蓋を載せ、その傾き具合で占ったようだ。学芸員さんの話によると、特に当時は、関西で流行し、京都などでは、教習所のようなものまで出来たのだそうだ。…アビバ?
いや、大した物ではないのだけど。箱に「これさへ有れば陣中の大易者 兵隊さんのマスコット」というのが(^^;
というわけで、会場の最後には、今回、ミュージアムが作成した御神籤が。最初引いてみたら凶だったので、横に置かれている木に結んで(笑)、再度、チャレンジ。
「暗を離れ明に出ずるの時 麻衣、緑衣に変ず 旧憂終に是退き 禄に逢いて応に輝と交わるべし」
今度は、良い言葉。そう、ありたいものです。
こういう展示は、自分の中で、いかに面白がれる要素を見出すか、というのが、ポイントだけど、今回の展示はビジュアルな面を重視したものだったので、門外漢の私としても、割と面白く見ることが出来た、という気が。もし、興味を持たれたら、行ってみるのも良いのではないかと。期間は、あと一週間ですが。あと、学芸員の解説の日は、もう無いようです。