空の蒼さを 見つめていると


2001年5月

 5/31

 NHKの「にんげんドキュメント」の、バレリーナ森下洋子についての回を、見ていて圧倒される。

 50歳を過ぎて、今なおプリマドンナで有り続けるその姿。出番の合間、舞台の裏では一歩も歩けないほど疲労しながら、3時間を踊り続ける気迫。凄い、としか言いようがない。でも、その反面、30年くらい、あそこでプリマを踊れなかった人達もいるわけだよな… ちょっと複雑。

 

Novel 井上雅彦監修 「櫻憑き 異形コレクション綺賓館V 光文社 カッパ・ノベルス

 桜を中心とした、花をテーマにしたアンソロジー。坂口安吾、梶井基次郎、石川淳といった桜文学の定番と、今回書き下ろされた菅浩江、五代ゆう、菊池秀行らの短編を併せてまとめている。

 …ええと、難しいものだなぁ、というのが、読後の感想。どうしても桜というと、「桜の樹の下には」のような既往のイメージをなぞる作品になってしまう。この中で一番面白かったのは城昌幸「人花」という怪奇小説だったのだけど、これって桜の話じゃないし。正攻法で書いた五代ゆうの「阿弥陀仏よや、をいをい」(「人魚」の連作を描いた高橋留美子が漫画化すると良さそう)も、安吾とまでは言い難いし。

 私だったら、と色々考えてみたのだが、ここに載っている作品以上のアイデアが思い付くわけでもない。ただ、もし書くとしたら、…例えば、桜餅の話とか(笑)。あ、いや、別に食い意地が張っているわけではなくて。桜餅の香りくらい、桜そのものからは距離を置いて捉えないと、難しいのでは、と思うのだ。ああ、でも管浩江のは、実は桜湯の話だったけど、必ずしも上手く行っていないような。う〜ん。

 

5/30

 新居昭乃「鉱石ラジオ」を買いに行ったら、売り切れていたので、そういえば買ってなかった前作の「降るプラチナ」を替わりに買って帰る。あと、どうでもいいけど「オンナの港」も。


 「GOTTA」休刊なんですか… 一回も雑誌を買ったことのない私が、どうのこうの言えるわけでも無いのですが、「シザーズ」が読めなくなってしまうのは非常に悲しい。

 

5/29

 聖蹟桜ヶ丘とか言う所へ、出張。…ええと、ここって「奇跡の丘」?(多分、違う)

 

Art ルドン展 小田急美術館 2001.5.16〜6.10

 黒のルドンも、花のルドンも、一応、フォローしてはいる。とは言うものの、これぞ、ルドンの世界!というには、質量とも小粒すぎる展覧会。特に、花の絵に、目玉と成りうる作品が無かったのが、残念。ルドンのパステル画が好きな人なら、あるいは、新宿まで出て、少し時間が余ったら、寄ってみたらどうか?という位かな…

 ところで、私なぁ、ルドンとルオーの名前が時々、ごっちゃになるねん。いや、分かってるねんで。ピエロ描いたのがルドン… あの、ピエロ描いたのはルオーですよ? 分かってるねんで!?

 

 金子兜太Xいとうせいこう「他流試合 兜太・せいこうの新俳句観賞」という対談を現在、読んでいるのだが、これが眼から鱗が落ちまくる、というか、はっとさせられる指摘に満ちていて、非常に面白い。読み終えたところで、内容をもう一度整理してみようと思う。

 

5/28

 なかなか進まない、歯の治療だが、今日ようやく、抜いた箇所にブリッジを入れることに。

 …わ、何だか、叩いているよ。釘を打ちこまれているような感じで、退治される吸血鬼の気分を一瞬ながら味わう(^^

 それにしても、今まで無かった物が舌に当たる、というのは、それこそ「奥歯に物が詰まったような」違和感で、これが、慣れるまでずっと続くのかと思うと… こんな思いを暫くするのであれば、せめて、ついでに加速装置くらい付けてくれないと割が合わない。

 

5/27

 昨日に、同じ。ええと、現住所に来てから書いた分までは、修正しました。ちょうど2年間分ですね。後はぼちぼちと。

 作業の最中は、坂本真綾の「Lucy」と「アルジュナ」のサントラをリピート。「Lucy」は、発売当時、?な反応をされた方が多かったようなので、何となく聴くのが恐くて、そのまま未開封になっていたのですが、別に悪くないですよね? まぁ、馴染むまでは、もう少し聴き込む必要が有りそうですが。

 

5/26

 今日は、ここに書くようなことは何も、有りません。

 よろしければ、↑過去の日記でもご覧下さい。過去1年分までは、修正し終わりましたので。そこまでで、今日一日を費やしてしまいましたが。ぐったり。

 …それにしても、一年前までは、我ながら悲惨な生活を送っていたんですねぇ(^^; 読み返してみて、しみじみ、そう思いました。

 

5/25

 昼食時、忙しかったり、面倒だったりすると、すぐ近所の某省地下にある中華の店に食べに行くことが多い。味は、美味くも不味くもない、としか言いようが無いのだが、いつも空いていて、待たずに料理が出てくる、ということが、ついそこで済ませてしまう大きな理由になっている。

 中華料理、といっても5つの皿から2つの料理を選ぶ定食か、麺類5品しか無いような食堂なので、中華専門の社食と言った方が近いかもしれない。しかしそれでも、ここのウェイトレスさんの服装は、一応、チャイナ服だったりする。そのため、私はここで昼食を食べる度に、押井守の小説版「Avalon」に出てくる、中華料理屋の店員のチャイナ服についての仮説を毎回、何となく思い出してしまう。それは、「一般にスリットの切れ上がり方と店の料金は比例関係にある」という言葉なのだが、ここでは、いつもその説の正しさを、再確認することになるのだ。

 ちなみに、ここの定食/麺は全て650円(税込み)なので、どっち方向に比例しているかはすぐにお分かり頂けると思う。

 誤解の無いように言っておくと、ここへはチャイナ服を見に来ているわけでは全くないので、スリットがほとんど膝上から切れていなかろうと、一向に構わない。しかし、チャイナ服を着ることには、鶴田謙二の描くチャイナさんのように、何かと足を高く蹴り出すことで、とは言わないが、スラリと足の長さを見せる以外、何の意味があるのだろう、と個人的には思ってしまうのだが…

 あっ! それじゃあ、「天回」って結構、高級料理店有るか?

 

5/24

 新潟まで出張、再び。

 (今日は、いつもと若干、内容/文体を変更してお送りしてみようかと思います)



 最近は、どこでも副収入に力を入れているらしく、新潟行きのMAXの座席にもカタログショッピングの小冊子が置かれていました。販売元は、車内販売をしているNRE(日本レストランエンタプライズ)。JRの関連会社のような気がするのに、なぜ、略号がJREでないのかは非常に不思議ですが、それはまぁ、会社の勝手なので、気にしないことにします。

 大して気乗りもせず、パラパラと眺めていると、車内販売の頁の、ある商品に目が止まりました。その名も「NRE アテンダント リカちゃん(冬服)」。お値段も4,980円と張りますが、限定2000体ということで、シリアルナンバー入り。紺の制服姿に加え、エプロン姿に着せ替えすることも可能で、可愛いトートバックも付いて再登場! …何だかよく分かりませんが、「ヒット商品!」「人気グッズ」と書かれているのも頷ける、ある種の魅力を秘めている気はします。ていうか、正直、ちょっと欲しくなりました(^^;

 しかし、仮に注文をして、アテンダントさんに軽蔑と同情を含んだ眼差しで「…ふっ」とか微かに笑われた日には、二度と立ち直れない気がします。いや、それは考え過ぎでしょう。向こうも商売ですから、きっとにこやかに対応してくれるに違い有りません。「有り難うございます! お客様のご希望は、こちらの『アテンダント リカちゃん』でございますね。ただ今、取って参りますので、少々お待ち下さいませ」 大きな声で復唱してから、品物を取りに軽やかに去る光景が目に見えるようです。その後の、車内の沈黙と、周りがこちらを伺う視線と含み笑いも…… 駄目です。とても耐えられそうに有りません。

 これは私のような者にとって、この世で最も買いにくい物の一つでしょう。小野寺浩二「妄想戦士ヤマモト」の渡辺君くらいの「漢らしさ」が無ければ、不可能です(私には、有りません)。しかし、そういう人達が、道を極めるのも大変だというのは、何となく分かりました。(冬服)というからには、当然、夏には(夏服)のリカちゃんが出るわけでしょうし、タカラもNREとだけ限定品を出しているわけではないでしょうから、他にも、私鉄の車内販売員や、スチュワーデス姿のリカちゃんが、各所で待っているのでしょう。いい日、旅立ち。果てしのない世界なのですね。



 いや、これくらいで驚いてはいけません。このカタログの上得意先は、勿論、「鉄っちゃん」と呼ばれる、あの鉄道好きの方々です。新幹線の車窓のビデオ、停車駅のチャイムを集めたCD、寝台特急カシオペアのプラレール・セットと、余人には若干、理解し難いながらも、一応、想像出来なくもない、鉄道グッズの数々が並んでいます。「こまち」や「つばさ」型のネクタイピンも、彼らにとっては、持っていてしかるべき物の一つなのでしょう。

 が、しかし。どう見ても、理解の範疇を超えるものは存在します。それは、「旧国鉄ミニ駅長帽子」&「JR東日本ミニ駅長帽子」。1/2で再現されたその帽子は、どちらも桐ガラスケース入りです。…ええと、これはどうするための物なのでしょうか? 被って、駅長気分を味わうには小さ過ぎます。部屋に置いて見る他、用途は無いようです。床の間に五月人形のように置かれたガラスケース入りの駅長帽子を眺めては、しみじみ幸せに浸るひととき。

 少なくとも、これが商品化されているということは、その幸せに11,000円を出しても良い、と考える人が少なからずいる。NREの商品開発部は、マーケティングの結果、そう判断した、ということです。

 …どうやら、「鉄道」という趣味の道は、私が考えていたよりも、ずっと深く、そして険しいようです。

 

5/23

 午後から、川口市まで、出張。

 川口市、というと、馬鹿の一つ覚え、みたいな気はするけど、やっぱり「キューポラのある街」かと。とは言っても、産業構造も大きく変わった現在では、「既にほとんど無い街」という方が正しいそうだが。ちなみに、「キューポラのある街」といえば、吉永小百合の出演していた映画の方が有名だけど、さすがに、そういう歳ではないので、見たことは無い。昔、原作の小説を読んだことが有るくらい。

 この原作が何巻かは忘れたけど、割と大河小説だった。小さい頃は、ああいう長い小説を読むとわくわくしたものだけど、しかし、そういう作品に限って、内容を全く何も覚えていない、のはどうして? 例えば「赤毛のアン」全10巻とか、他にも、小中学生の頃に一気に読んだ大河小説は、皆、忘却の彼方。内容が無かったのか、単に私の記憶力がポン酢だったのか…

 で、この「キューポラ」も内容は全然、覚えていないのだが、設定については、一つだけ鮮明に覚えていることがある。第1巻では、舞台はキューポラのある街、すなわち、川口市と明示されていた。しかし、巻が進んで(4巻くらいだった?)、市役所の汚職だか何だか(具体的に何かは忘れた)社会問題的なテーマが物語の中に繰り広げられるようになってきたことを配慮してか、「実際の川口市の事と誤解される可能性もあるので、今後は、キューポラのある街、とだけ呼ぶことにしました」と巻末に、出版社の断りが付けられていて、以後の巻では、川口市という名前は登場しなくなった。

 だけど、そこまで川口市の話、と断言していたものを、あれはちょっとマズイので、無かったことにしといて。と途中から、裏取引のようなことを持ち出されても、それは無いだろう、と当時、まだまだ純真だった私は、思ったものだった。そう、私にとって「キューポラのある街」という小説は、大人の世界の偽善的なやり口というのを一つ学んだ作品だったわけだ。ある意味、社会派小説?

 

5/22

 カナブンよりもごめんなさい! パルム・ドールを取った監督は、ナンニ・モレッティでした。…何で、こう間違って覚えていたんだろう? 南野陽子のファンだった、とかいうわけでは全然ないのになぁ。

 ちなみに、十年くらい前に、この監督が初めてジャーナリズムで紹介された時、「イタリアのウッディ・アレン」とか呼ばれていたことを覚えている。こういう「何処其処の誰それ」って、考えてみると、どっちの人に対しても失礼な言い方だと思うけど。ジャーナリズムは分かり易い比喩が好きだから、どうしても多用される傾向には有りますよね。例えば、ええと、「浪花のモーツァルト」とか「下町のナポレオン」とか。…それはどっちも自称では?

 

Novel 内田百 「冥途・旅順入場式 岩波文庫

 我ながら不思議な気もするのだが、これらの作品を今迄読んだことが無かった。この前、「山高帽子」についての文芸批評を読んだのを機に、読んでみたのだが… 思っていた以上に似たような作品が多いので、一気に読むとちょっと飽きるような。夢は十夜までで止めておくに限る、とかつい言いたくなってしまう。

 読んでいた時、ちょうど自分の運勢も一時的に落ち込む、というか、厭な気分に襲われていたので、尚更、陰鬱な印象だけが残ったのだけど、この作品群における怪異の発生パターンには一定の傾向があって、主人公がどこかに嫌々連れられていく、とかそういうのが多かった気が。こっちも落ち込んでいるだけに、イヤなら止めれば、とか主人公に対して思うのだが、主人公は幼稚、というか幼児的な精神状態にあって、行動ではなく、気分だけで反応して、あとはただ、ぐずぐず寝ている、という感じ。不思議と言えば、不思議。

 読み処、というのは、色々ありそうではあるけど、こっちに余裕が無いと読んでいてちょっと苛々。「山高帽子」の会話とかは面白いと思いましたが。あと「件」の夢とかも。

 これを岩波文庫の新かなで読むのは論外だとか、言われそうだけど、それは一番、重要なことではない、と私は思う。そんなことを言い出したら、翻訳なんか読めないよな。

 

5/21

 とりあえず、一ヶ月分だけ遡る。…不必要なタグを抜く、という作業は思ったより、大変(^^;

 ところで、私が今さら言うことでも無いのだけど、未だに、カンヌで勝った負けた、的なこの国のマスコミの報道は、ただ見苦しい、 と思う。もとより、カンヌ自体、どうでも良い、といえばどうでも良いけど。せめて、ナンノ・モレッティがどういう監督であるかという ニュースを流すのが、前向きな報道と言うものかと。そういや、「アヴァロン」の招待上映とやらは、どんな反応だったんですかね?

 …済みません、こういう、いかにもどうでも良いことを書いている時は、単にネタが無いだけです(^^;

 

5/20

 さて、 今回、この日記の名前を思い切って変えることにしました。前のタイトルの皮肉な使用法もいい加減、使用期限を過ぎたと思いますので。



 新しい名は、色々悩んだものの、siteのタイトルの延長線上で考えている内に、ありがちな結果へ。いかにも中学生レベルの ネーミングセンスな気も。いや、実際、そうだったわけで(^^;、私の場合、その歳から全く進歩しなかったということか。

 「空」を使ったタイトルとしては「空を歩む」なんていうのも、どうかと思ったんですが。ちなみに、意味は「ふらふらと 足下おぼつかない様」(^^;

 で、名前の変更に合わせ、色合いも変えることに。前から、この日記は何だか「鬱陶しい」印象だと思っていたので、少しでも、 軽やかな見た目にしたい、という意図からです。文章はそのままなので、根本的には変わっていないんですけど、まぁ、見た目だけでも。



 ところで、現在、開催中の展覧会の中で、一つ非常に気になっているものが。それは、川崎市民ミュージアムでの「呪いと占い」展。

 昨日、静嘉堂で貰ってきたチラシによると、 主な展示資料として、明治時代のコックリさん、「件」など災難除けとなる怪物の刷り物、歓喜天立像等々の、いかにもあっち系の アイテムが並んでいる。セーマンドーマンや急々如律令などの呪符、呪文の紹介とかもあるようだし。初期の「ディスコミ」とかが 好きだった人は、とりあえず行っとけ、みたいな感じ。こういうのは解説を聞いた方が楽しいと思うので、私は、学芸員の解説が 有る日にでも行こうかな…

 

5/19

 田園都市線沿線の美術館へ。世田谷美術館が、砧公園の中にあるとは知らなかった。ここって、遠い昔、花見で来た ことが一度。それにしても、今日は風が強くて、土埃の多い公園の中を歩くのは、私のようなコンタクト使用者にとって災難そのもの。

Art 暮らしに美術を たとえば魯山人と共に 世田谷美術館 2001.5.19〜7.1

 暮らしに美術を。うんうん、その通り。だけど、「たとえば」魯山人と共に? 食器棚から魯山人をひょいと 出してくるような暮らしって、それは誰のことやねん。魯山人の食器に美食倶楽部で作らせた料理を並べて、「むぅ」とか唸ってみたり、 挙げ句の果てに他人の料理にケチを付けてみたりと、海原雄山みたいな真似は、したくても(あんまりしたくはないけど)出来ないぞ、普通の人には。

 ともあれ、この展覧会は、そうした魯山人の食器が有る暮らしの一場面を構成してみせる、つまり、魯山人の食器で食べたつもり展、 だと思っていたのだが、実際には、寧ろ、昭和の様々な風俗・現代美術品の横に、魯山人の器を置いてみるとどうよ?という展示だった。

 いや、どうよ?と言われても… 魯山人は成る程、達者な人では有った様で、どんな種類の焼き物もそれなりに良いものを焼いてみせて いるのは分かったが、昨日、萬野コレクションの逸品の数々を眺めたばかりなので、どうしても、底の浅さが眼についてしまうし。

 結局、一番面白かったのは、魯山人でも現代美術の品々でもなく、当時を偲ばせるために会場に置いてある品々、向井潤吉邸から借りてきた大きな石炭ストーブとか、226事件の翌日の雪景色の写真、とかだった。努力は 買いたい気もするが、企画倒れに終わっていると思う。現代美術展をやりたいなら、それだけで勝負しろ、と言いたい。 これでは羊頭狗肉。しかも、どっちも中途半端。

 世田谷在住で、しかもお金持ちの方なら、散歩がてら見に行ったらどうか、という程度。

 それにしても、世田谷美術館ってかなりバブリーでゴージャスで、エントランスが無意味に巨大な美術館だった。何でも 公共施設の100選だか何だかに選ばれている「名建築」らしい。公立の美術館は、展示室がきちんとしてさえいれば、あとは地味で そっけない建物で全然問題ないと私は思うのだが、実際には、世田谷美術館のような建物を良く見掛ける。役所の見栄と、美術関係者の 変なプライドと、それに付け込む建築家と、高価な建物を造りたい地元建築会社の欲の複合的な産物にしか見えないのだが 。…まぁ、私は世田谷区民じゃないので、税金も負担していないわけで、どうでも良いことでは有りますけど。

 

Art 橋本雅邦筆「竜虎図屏風」と新出の絵画 静嘉堂文庫美術館 2001.4.7〜5.20

 ここは、三菱財閥の岩崎一族のコレクション。何でも初代は20台の時、大名物の茶器を買うことからコレクションを本格的に 始めたのだけど、お金が足りなくて、会社から前借りして払ったとか。それが400円。…ええと明治時代の400円て、今で言うと幾らぐらい? 億は下らないよな…

 やはりタイトルに有るだけあって「竜虎図屏風」は見応えが有った。明治に活躍した画家ということで、その他の画家は流石に知らない人が多かったが… あとは、堂本印象美術館に行って以来のにわか堂本印象Fanとしては、「」の絵を見ることが出来たので嬉しい。まさに「しろいうさぎとくろいうさぎ」 の絵だった(^^; 何でも、初代か二代目かが卯年だったので、兎の絵もコレクションしていたのだとか。

 ここには、あの「
曜変天目茶碗」が有るので、また来なくては。ええと今年は、9月に公開と。

 

5/18

Art 萬野コレクションの名品一挙公開 〜琳派と茶道具展 サントリー美術館 2001.4.17〜6.3

 今月、2回目。後半の展示を観るため。年会費は既に払っているので、毎回観に行かないと 勿体ないし(^^;

 今日の目的は、何と言っても円山応挙牡丹に孔雀図」。カタログ等の複製でも凄いと思っていたが、実物を見ると、 孔雀の姿の写実性、というかその描写力には、圧倒される。背景の牡丹や太湖石との構成も決まっていて、参りました、 というしかないような主張の強さ。

 しかし、余りにも写生が巧みであるがゆえに、例えば鳥の足のゴツゴツとした感触や、冷たい目の色までリアルに伝えていて、有る意味、 鳥の気持ち悪さまで再現している、と言えなくもない。観ていて、幸せになる、という絵ではないような。これだけ見えてしまうことの 恐ろしさみたいな物を寧ろ感じる。でも、とにかく圧倒的に巧い作品であることは間違いない。

 ところで、この絵の孔雀の写実性と太湖石の様式性の組み合わせのバランス、
山田章博の十二国記の今迄の表紙イラストの描き方に、共通するものを感じるのだけど。 直接的に意識しているかどうかは不明だけど、この延長線上には有るような気がする。

 

5/17

 ようやく、WH版の「黄昏の岸 暁の天」上・下を入手。

 何か随分タッチが変わってますけど、山田章博のイラスト。でも、上下同時刊行ということもあり、沢山イラストが見られたのは素直に嬉しい。

 ところで、全くの余談。

 「陽子」ってどう読むのが正しいんでしょうか? 地の文では「ようこ」だと思うのですが、会話文では「ようし」と読むべき?  つまり、周りの女御とか女史とか大僕とかが、実際にどう呼んでいるのかがよく分からないんですが。鈴は「すず」で通しているようだけど、 これはあちらの人にとっては「suzu」と音を振っているようなものかと。WH版でも、「陽子」には、一箇所を除いて振り仮名が振っていないし、謎のまま…

 まぁ、どちらでも良いか。少なくとも、「主上」を「おかみ」と読もうとしていた某知り合いよりは、マシだろうと(勿論、そんな読み方は無いです)。

 

5/16

 風邪は大体、治った(と思う)のだが、体調は依然として、今一つ。に加えて、精神的にも、更に低調。ちょうど今、読んでいる内田百閧フ 「冥途・旅順入城式」で描かれているような、「厭な気持ち」に陥っている、という感じ。そんなわけで、今週は更新も停滞中…

 WH版の十二国記新刊を買いに行く暇もまだ無いし。

 ところで、映画版「指輪物語」、イワン・ホルムの名がキャストに挙がっていたので、ガンダルフ?と思っていたが、そうではなくてビルボ・バギンズだった。まぁ、それも有り、かなぁ…

 

5/14

 唐突だが、この「日記」のタイトルをいい加減、もう変えようかと、思っている。しかし、考えれば考えるほど、変なモノになっていくばかりで、なかなか決まらない…

 昨日から、来週の日曜までBSでアンゲロプロスの映画を何本か放送するようだけど、今さら観る気力が湧かない。う〜ん、でも「永遠と一日」くらいは観ておいた方が良いのかな? 確か、「霧の中の風景」までしか観てなかったと思うし。

 

5/13

 なかなか、風邪が完治しない。そんなわけで、いつも以上に、何もしない休日が過ぎていく…

Book 町田忍+大竹誠 「風呂屋の富士山 ファラオ企画

 人類と温泉との関わり、というのは、一応、私のライフワーク(笑) 本屋で、関連書籍をチェックする分野の一つ。当然、「銭湯の絵」というのも、関心事に含まれるので、題名を眼にしただけで、即購入。しかし、実は新刊ではなくて、7年くらい前の本らしい。

 というわけで、この本を本屋で眼にすることも余り無いだろうから、要旨をここに整理。

 ・背景画は、元々銭湯の壁面等に地域の商店等の広告を出す、その広告料を商店から取る代わりに、広告会社が銭湯へのサービスで描いた。
 ・浴槽の配置の違いと、広告価値への認識の違いから、関西では、広告会社のシステムが組織化されず、従って背景画も余り描かれなかった。
 ・仕事は職人1人で全ての作業を半日で行うが、現在(7年前)、現役の職人は既に、4人+1家族のみ(それぞれ、独立して受注)。
 ・背景画は毎年1回、前の絵の上に塗り重ねていく(前の絵は残らない)。銭湯自体も減少しており、背景画は絶滅の危機に瀕している。

 ところで、銭湯の代名詞のような、富士山の絵だけど、私が銭湯のお世話になっていたのは学生時代、即ち、京都だったので、残念ながら背景画のある銭湯に入ったことは殆ど無い。かといって今、そういう銭湯を探して入りに行くというのも、また違うような気もするし…

 

Comics 桜瀬琥姫HEART SUGAR TOWN 集英社

 How cute!  So beautiful!  Hey, boys and girls!  Why don't you taste this delicious comics?

 

5/12

 れいこぞう、を観に、鎌倉まで。

Art 生誕110年 岸田劉生展 神奈川県立近代美術館 2001.4.7〜5.20

 あの有名な「道路と土手と塀(切通之写生)」、今まで夏の強い日差しの下の景色、と勝手に思い込んでいたが、実際に観てみると、冬枯れの土手だった。そういや、冬でなければ、あの長い影って説明が付かないよな…

 というわけで、絵というのは実際に観るのが大切。いきなり何を言い出すかと言うと。展示を一通り見終わって、何か足りない気が。というか、あの麗子像は? どうしても見当たらないので、館員に訊ねると、平然と「あれは5月6日までの展示です」。

 …え? だって、劉生展で、あの麗子像が無いなんて。それじゃあ、肉抜きの牛丼だよ。劉生とは縁がない、ということなのか? 画竜点睛を欠いたからか、劉生の絵には、根本的には感心出来なかった、という印象に終わる。

 カタログの表紙に使っている、最重要な絵を展示しない時期があるなら、幾ら何でも、前もって知らせる必要があるのでは? 失礼しちゃう。

 

Book 金岡秀友 「般若心経 講談社学術文庫

 般若心経といえば、見聞きすることも割と多いお経。全部で262文字という短かさだし、これくらい意味を知っておきたいものだ、とは前から思っていたのだが、特に解説書を探す、というところまではしていなかった。今回、たまたま目に留まったので、ちょうど良いや、と思って通読。

 冒頭、心経の「心」の解釈として古来、四つの解釈がされてきた、という説明で、それぞれ、「浅略釈」「深秘釈」「秘中の深秘の釈」「秘秘中の深秘の釈」と挙げられているのを眼にした辺りで、いきなり卒倒しそうな気分に陥る。

 が、全体の説明は平明で、「般若」の意味も知らなかったような、ずぶの素人の私でも一読して分かる反面、学術的な水準も維持していて適度に知的な興奮を与えてくれる内容。ドイツ哲学を明快に解説されるのと似たような感じ。

 ちなみに「般若」(パンニャ、プラジュニャー)とは「大いなる智」という意味で、「般若波羅密多」だと「完全な般若」。昔、「ハンニャハラミ」という呪文で道士がキョンシーを倒す香港映画を見たこと有るけど、実際には無理が有るものと思われる(^^;

 ところで、「般若」というと鬼の面、という印象が有るけど、あれは奈良の般若坊という坊さんが、面の考案者とされることから来ているらしい。良い迷惑。般若とは鬼、ではなくて、むしろフィロソフィーとか、そういう世界だったんだ(無知)。

 心経は過去、数多の注釈が書かれたが、著者が最も参考にしたのは、空海の「秘鍵」とのことで、独創性において空前絶後、とまで言っている。やはり、弘法大師はただ者ではなかったようだ。…駄洒落好きだったかどうかは知らないが。

 解説書は他にも有ると思うが、これは名著といって良い本だと思う。般若心経に興味が有る人はまず手に取ってみても良いのでは?

 でも、これって元々、30年前の講談社文庫、なんだよな。その間の研究成果を反映した本とかが有っても良いような。

 

5/11

 伏魔殿の話、再び。

 どこかの大臣が、自分の省をそう呼んだりしたためか、突如、「伏魔殿」という検索Keyで、ここを訪れる人々、発生。いや、あそことは何の関係も無いんだけど。伏魔殿な建物って、実は世の中に、沢山有るのかも?(^^;  …それにしても、「伏魔殿+意味」とかさぁ、検索するんじゃなくて辞書引けよ、というか、意味なんて見た通りじゃん。

 

Art 鳥瞰図絵師の眼 Bird's-eye Dream INAX GALLERY 2001.3.1〜5.19

 INAXというと、暮らしに関わるArtという観点から、面白そうな企画展をよくやっているが(「学研のふろく30年」とか)、土日が休みなもので、なかなか行く暇が無い。前に行ったのって確か「リカちゃんハウスの変遷」だったと思うのだが、あれって学生の時だったかなぁ…

 実は私は、地図がかなり好きで、現実の世界を旅する以上に、地図を眺める方が面白いのでは、と思う時さえあるくらいだ。鳥瞰図というのは、そんな、地図ならではの面白さ、が一目で分かり易い種類の図面だと思う。神の視点、というか、世界を一望する快感。

 紹介されている3人の精緻な仕事振りにはともかく驚嘆。こういう根気の要る仕事って、飽きっぽい自分には全く不可能なだけに。

 鳥瞰図自体には、それほど思い入れもないし、一見「リアル」なだけにその記号化(例えば、様々な植生である鎌倉の山を杉だけで描いてしまっているような)には寧ろ反感も抱くのだが、箱庭を作品に登場させる作家(ティム・バートンとか薄井ゆうじとか)等、様々な連想を、観ていてもたらす、という意味で自分にとっては、興味深い展示だった。

 

5/10

 以前、週記の方で、新行内という名字が読めない、と書いたことがあるが、その名字をお持ちの方からメールを頂いた。千葉県旭市に多い名字で、「しんぎょううち」と読むのだそうだ。失礼致しました。でも、一つ謎が解けて、少しだけすっきり。

 ちゃんと読めない、と言えば、今日、辞書を引いていて、十二国記に登場する、六官とか六軍の「六」は「りく」と読むことに、初めて気付く。今まで、六官といえば「ろっかん」と読んでいた私…

 文庫を買ったら、カバーが栃木県の広告になっていたので、驚く。「21世紀は”とちぎ”に注目!」とか書かれていて、栃木県庁広報課行のアンケート葉書付き。その努力は買うものの、表紙面上の、「アインシュタインが訪れた」JR日光駅、…それって、全くどうでも良いことだと思うのだが。

 

Book 島武史 「日本おみくじ紀行 ちくま文庫

 で、そのカバーの中身がこれ。依然、風邪気味なので、帰宅時の読書用に、軽い物を探していて、面白いかもしれないと思って購入。

 各地の神社で永年、おみくじを引いてきた著者が、各地の神社のおみくじを実例入りで紹介する本。いや、本当にただ、それだけ(^^;

 おみくじのプロトタイプは、比叡山中興の祖、元三大師(角大師と呼ばれる、伝説的な高僧)が作成したと言われる100種だとか、神社によって、自家製を使っている所と、業者(おみくじ制作業者というのが有るらしい)のを使っている所があるとか、それ位は勉強になりましたが…

 おみくじという、ほとんど信じてはいないが、バカにするのは恐くもある、宗教の境界線上に有るようなモノを取り上げることへの繊細な感覚と、物事の分析能力、どちらにも欠ける人が書いた文章はやはり面白くない、ことを確認しただけ。

 

5/9

 勤め先を出た後、地下鉄に乗るのが通常の帰宅ルートなのだが、薬局へ寄って薬を買ったりしたので、そのままJRの駅まで歩いて行く。

 …と、横道にメイトなお店を発見。あれっ、こんな所に有ったんか。ともあれ、帰り道?上に有る以上、大抵のComicsの新刊と、ある種のCDと、ある種のDVDは、帰りにここで買えば良い、ということで、この街に本屋が無いという不満(の一部)は、あっけなく解消(^^;


 ところで、風邪は治らず。帰ってからも、大して何もやる気がせず、床に寝っ転がり、手が届いたComicsを取り上げて、だらだら読む、という状態。

 今日は、安田弘之紺野さんと遊ぼう」。おまけ?の「微妙にやる気のないコスプレ」集が、微妙に可笑しい。

 

5/8

 甲府まで、出張。この時期の中央線の車窓からの眺めは、目に優しい、という感じ。風邪気味なのに、あえて、帰りには、湯村温泉へ寄ったりする。から、風邪が治んないんだよな。……バカ?

 ところで、この湯村温泉の中の明治屋という旅館の案内に、太宰がかつて滞在して執筆活動をした宿とか有ったけど、「富嶽百景」の頃の話、なんでしょうか。太宰という名自体、年に一度、サクランボの季節しか思い出さないくらい、縁が遠いので、よく分かりませんが。ちなみに、入ったのは別の宿の温泉。


 土塚理弘清村くんと杉小路くんと」1巻を読む。全部が全部、ツボにはまるわけではないけど、割と好きです、こういうの。

 

5/7

 知らなかったけど、官庁ってどこも、この時期、鯉のぼりを立てるんだ、しかも、屋根より高く。…あれって、備品なんだろうな、やっぱり。

 

5/6

 渋谷で、菊池志穂さんのバースデイ・ライブ。

 

5/5

 宿題をやるのは、いつも、締め切り間近になってから。

 えいやぁと一気に書いてみたんですが、そのようなやっつけ仕事では、ちゃんとした物は出来ません。内心、忸怩たるモノが有るわけですが、そうは言っても仕方ないので、とりあえず、公開しました>小野不由美論

 ちなみに、今日、というか5/6は、このHPを開設して5年目になる、ということで、ささやかですが、その記念、という意味も含んでいます。

 

5/4

 「六番目の小夜子」の再放送(〜最終話)を観る。

 見終わってから、TVドラマ版「小夜子」は、言うなれば、「風の又三郎」なんだと、ふと思った。どッどど、どどうど、どどうど、どどう。

 

5/3

 「六番目の小夜子」の再放送(〜第6話)を観る。リアルタイムで観なかったことを 激しく後悔。原田知世の「時かけ」のように、思春期の少年少女を描いた中での「特別な作品の一つ」と言って良い出来。

 ところで、登場人物の一人の「昭和なんて全然覚えていない」というセリフには、ぐさっと来た(笑) 昔、星里もちるりびんぐゲーム」での、ヒロインの「昭和50年代生まれ」にショックを受けた以上かも(^^;

 内容とは関係ない話だが、第5話、小夜子のお祖母さんの元の職業が「声優」であると分かる場面で、「可憐な少女声」で喋り出した時に、あれ?と思う。菊池志穂's voice? 後でビデオを巻き戻し、クレジットを確認。この役って聞いたことが無かったような気がするけど。ちょっと得した気分(^^;

 午後は、悪霊シリーズに付箋を貼りながら再読。つい読み耽ってしまう自分がバカ。でも、覚えていた以上のことは出てこなかったのは残念…

 

Art 萬野コレクションの名品一挙公開 〜琳派と茶道具展 サントリー美術館 2001.4.17〜6.3

 実は、訪ねたのは4/20。ここは職場から割と近いし、金曜は7時まで開いているので、今後は毎回観に行くことにする。友の会にも入会したし(^^;

 萬野コレクションとは大阪の実業家の萬野氏(故人)のもので、心斎橋に美術館も有るそうなので、関西では今さら、なのかもしれないが、関東でこれだけ充実した作品を観られる、というのは一つの事件、と言っても良いような。

 特に、金屏風に緑一色で蔦と山道をバンと構成してみせている、
俵屋宋達の「蔦の細道図屏風」の格好良さには圧倒された。他にも、光悦、乾山、光琳、酒井抱一、鈴木其一…と琳派のビッグネームの作品がぞろぞろと並んでいて、溜め息が洩れる。

 名前は知っているけれど、今までそういった作品に触れる機会ってほとんど無かったものな、と反省。日本人としての最低限の教養の一つとして、琳派の作品については、これから知識と観る機会を少し増やそうと思った。

 茶道具ということで、全く素人の私でも良いなと思えるような茶碗の名品が並んでいたのだが、茶器の本当の良さは実際にお茶を飲んでみないと分からないのでは? といって、国宝の茶碗を使ったりはそう出来ないのだろうけど。そういう意味では、茶器の観賞というのは、根本的に矛盾があるような気がする…

 

Art 開館六十周年記念名品展 第一部 根津美術館 2001.4.27〜5.20

 ここからは全て、昨日の参観。

 琳派というと、私立美術館の作品が重要で、中でもここの、光琳の「燕子花(かきつばた)図」といえば、毎年5月にのみ展示される国宝として非常に有名な作品らしい。今回の展示以降、暫く修復に掛かる、ということなので、観ておくことにした。

 …前回との僅か二回で結論めいたものを導き出すのは早計だが、琳派というのは、要するに美意識だけで構成された作品なのだと思う。だから、良く言えば、スタイリッシュそのもの。ただし、マンネリ化すると、パターンでしかない。微妙なバランス。私には、「燕子花図」はやや退屈な印象を受けたが、琳派の作品の知識量が増えると印象もまた変わってくるのだろうか?

 むしろ、感銘を受けたのは
円山應挙の「藤花図」。藤の花をあくまで写実的に描きながら、墨で一気に描いた蔓との大胆な組み合わせがやはり應挙、と目を引いた。ただし、応挙(應挙)の写実性、というのは多分、秀才の巧さなんだとは思う。小心者の私には、多分、天才より秀才の巧さの方が安心出来る、ということでしかないのかも。

 

Art 桜 さくら サクラ 山種美術館 2001.3.16〜5.6

 こういうテーマなら行かないわけにはいかない。所蔵作品中心に、桜を題材とした日本画展。量的にはもの足りなかったが、加山又造、奥田元宋等の充実した桜の絵を観ることが出来たので、まぁ良いか、というところ。職場から行きやすい所だと、もっと通うのだが…

 

Art 荻須高徳展 目黒区美術館 2001.4.18〜6.3

 パリの街壁を落ち着いた色彩で描き続けた洋画家。画風から、佐伯とよく間違われる画家で、私も、佐伯、荻須、ブラマンクは、パッと見て区別が付くのか、余り自信がない。…多分、荻須の絵は色彩の安定感で分かるのではないかとは思うのだが。

 今回は、絵画約100点を展示している、ということで、相当に気合いの入った展覧会だと言える。

 荻須の絵の良さは、茶とか灰色の地味な色が中心でありながら、全体としては安定した、いわば味のある色彩構成に有るわけだが、その楽しみ方は、絵を観ながら自分でもう一回塗る過程を再現する、ことにあると思う。勢いのある描線の通りに、脳裏のキャンバスに下絵を塗り、そしてその色彩を再現していく。共に参加することを拒まない絵、とでも言うのだろうか。

 戦前と戦後の作品が展示してあったが、戦前の勢いのある絵画の方が気に入った。晩年の澄んだ色彩の作品群も非常に良かったけど。

 絵画が好きな人で有れば、この展覧会は、必見。

 

 メモ。5/2。「笠原出個展」(青山・ミヅマアートギャラリー)。青空の中の白い雲に、三日月の口。

5/2

 昨日、ケン・ヒューズという監督の訃報を聞く。といっても、監督作品はそれこそ「チキチキ・バンバン」くらいしか知らないのだが。その直後にTVでモルツのCMを見てしまい、その陽気なメロディに、少しだけもの悲しい気分になる。

 さて。予定通り、美術館巡り+映画館な一日を送る。それにしても、えらく寒い一日でもあった。とりあえず今日は、映画についてだけ。

 

Cinema スティーブン・ソダーバーグトラフィック

 ソダーバーグといえば、昔、私が会社に勤め始めた頃、「KAFKA 迷宮の悪夢」という、「未来世紀ブラジル」からコメディ色を抜いたような作品を観て、疲れ切った社会人には、こんな映画と付き合う暇など無いっ、と思って以来。何でも、その間にアート指向を止めて、メジャー映画を撮れる監督に成長して?いた、らしい。貧弱な坊やと呼ばれたボクも今では皆が認めてくれる、ということかしら。

 映画の方は、とりあえず、退屈しない出来であることは確か。3つの地域の話を交互に進めながら、ちゃんと理解させる編集は確かにオスカー物ではあるのかも。場所によって色調を変える、とかの基本的なテクニックは勿論、駆使していますが。

 麻薬密輸を巡る3つのストーリーの中では、メキシコ編が何と言っても素晴らしい。伊藤明弘的ハードボイルドというか(二丁拳銃で撃ち合いするとかそういう意味ではありません)。そうか、あの「男たちの挽歌」的な青春映画のセンスを感じさせる、といった方が良いのか。

 次に面白いのがサンディエゴ編。ワシントンD.C.編は、どうでも良い。というか、マイケル・ダグラスとそのバカ娘の話って、映画的には全く不要だと思われるのだが。前の2つだけでもう少し長い話を観たかった。

 メキシコの警察官を描いた映画では、アレックス・コックスの「PNDC エル・パトレイロ」という大傑作が忘れ難い。「トラフィック」がそういう傑作だとは思わないが、割と健闘している、という気はした。

 

5/1

  先日、とある週刊誌で、今の勤め先が、いわゆる「やり玉に」、挙げられていた。私も勿論、その雑誌を買ってきて読んだのだが(^^;、そこに載っていた写真には物々しくも「伏魔殿」とキャプチャーが付けてあった。「伏魔殿」…、その響きに、ドラクエの中ボスが住んでいる宮殿を思い浮かべてしまうのは私だけ? そういえば、高校野球の中継で、「甲子園には魔物が住んでいます」とよくアナウンサーが喋っているけど、あそこも伏魔殿?

 帰宅途上では泥縄式に「東亰異聞」を少しばかり読み返してみたり。

 ところで、明日は「やすむぜー」。都内の美術館とか映画館を巡る予定。