空の蒼さを 見つめていると
というわけで、箱根の温泉へ。いつものように湯本ではなく、今日はもう少し上って、小涌谷まで行くことにする。
小涌谷へ行くことなど滅多にないので、小田原駅で、小涌谷までの切符を駅員から買う際に、どう読めば良いのか、急に迷ってしまった。こわきだに? こわくだに? 黒タマゴで有名な「大涌谷」の方は「おおわくだに」 の筈なので、類推して「こわくだに」と言うと、無事、切符は買えたのだけど、実際に登山電車に乗り、車中のアナウンスを聞いてみると「こわきだに」だった。そういや、小涌園も「こわきえん」で「こわくえん」じゃないよなぁ。
ちなみに、行ったのは小涌園ではなく、ドーミーヴィラ箱根という小さなホテル。特別の温泉があるというわけではないが、宿泊客が来る前の時間に温泉だけ利用させて貰い、浴場をほぼ独占出来たので、非常に気持ちの良い時間を過ごせた。生き返る感じ。例の熊野の湯ではないので、実際に生き返ったりはしないけど。
帰ってから、大涌谷と小涌谷の歴史を確認してみた。大涌谷と小涌谷温泉。それぞれ、昔は「…谷」ではなく「…地獄」だったことまでは、元々知っていたのだが、まさか、こういう由来で変わったとは。地獄の沙汰も「神」次第、というか。いかにも有り勝ちな話ではある。その愚かさはともかく、歴史の方を、推測も交えて整理してみると。
(1)(江戸時代)大地獄・小地獄 (2)1873年 天皇巡幸の際、大地獄→大涌谷へ名称変更(同時に小地獄→小涌谷へ変更?) (3)1882年 (引き湯で)小涌谷に温泉場が出来る (4)1919年 湯本・強羅間 の鉄道営業開始 (5)1949年 小涌谷で温泉採掘。箱根の主要温泉地となる (6)1960年 (大涌谷を通る)ロープウェイ営業開始
天皇家が利用した場所が、その後、観光地化されていく過程は、「ミカドの肖像」で猪瀬直樹が描いていたのと同じ構造。というか、戦後の「箱根戦争」の片方は西武だったのだから、箱根は 、そういう歴史において因縁浅からぬ土地なのだけど、最初からそういう宿命だったのかと、改めて嘆息する。
…ということは、まぁ良いのだが。しかし、何故「おおわきだに」は「おおわくだに」となり、「こわきだに」は「こわきだに」のままなのか? 母音が連続することが何か影響を? 結局、肝心なことは今回の件でも分からないまま。
Comics。 とり・みき/田北鑑生「THE LAST BOOKMAN ラスト・ブックマン」。 大蛸に追い掛けられてる落語家風の格好をしたキャラ、これ誰だっけ? 本人の昔の作品だと反射的に思ったのだけど。……バラの進?
寒くて心身共に縮こまっている感じなので、明日は久々に年休を取って、温泉で体を暖めようかと。箱根への日帰りの予定なので、休みを取る必然性は別に無いのですが。取るなら今の職場のうち、ということで。
「CDジャーナル」2月号は、鈴木祥子の未CD化曲3曲を収録したCD付き、との情報を、ROJIX掲示板で知ったので、それは絶対に入手しなくてはと探し回った結果、ようやく発見。ベスト盤が昨年出たものの、新作のアルバムが2年間リリースされておらず、鈴木祥子の歌声への飢餓が募る一方だっただけに、予想外のお年玉のような嬉しさ。
自宅での弾き語り等なので、音質自体はベストではないけれど、彼女の声はやはり素晴らしい。ぜひ一度、liveでこの声を直に聴いてみたいと思っているのだが…
転勤の発令が出るのは来月なのに、今日は私の送別会(兼新年会)という名の飲み会。転勤は半月伸びたのだが、飲み会は延期されなかったという。
日本人としての基礎教養−特に歌舞伎系の−に極めて疎い私は、小栗判官について(藤沢の遊行寺を訪ねたこともあるというのに)今まで段片的にしか知らなかったので、こういう話だったのか、と 今回、初めて納得。時宗が民衆に広めていった、死と再生の物語。一旦無念の死を遂げた後に生き返りはしたものの 、目も見えず口もきけない餓鬼の姿となって自ら歩くことも出来ない小栗を、人々が功徳を積むため、台車に載せて、治癒力のある熊野の湯まで少しずつ引いていく、という道中のイメージは、今読んでも、凄く鮮烈 。
近藤ようこの画面は決して派手ではないが、元の物語の持つ深さをよく伝えてくれている。照手姫の表情が特に素晴らしい。
ところで、遊行寺はこの小栗判官の伝説に深く関わっている寺であり、時宗の総本山でもある。時宗というのは、上人が全国を遊行し続ける宗派であって、上人は引退して初めて、この遊行寺に住む「藤澤上人」にクラスチェンジし、後継者がまた新たな「遊行上人」として遊行の旅に出掛けたものらしい。
遊行寺に行った際、「今でもこの寺の住職になった者は、遊行に出掛ける定め」との説明を確か読んで、住職になると寺にいられなくなるのか、それは大変や、と思った記憶があるのだが、明治になって「遊行上人」と「藤澤上人」は合体したらしいので、実際はどうなのかよく分からない。少なくとも年末の行事には参加するようだし。…時々、帰っているとか?
今度は、左目が充血。これは要するに疲れ気味、ということなので、大人しく寝ることにします。
この前から読んでいた「タイタス・アローン」を読了。ようやく「ゴーメンガースト」の世界から解放されることになる。結局、ほとんど一月を使ってしまった。
「タイタス・アローン」は、それまでの2巻とは打って変わった、現代風の世界を舞台とした話で、荒削りのスケッチのような出来に留まっているのだが、「ゴーメンガースト」 シリーズから、2時間の映画を1本だけを作るとした場合、最も映画向きなのは(前の2巻ではなく)この「タイタス・アローン」だと思う。
追われ続ける主人公。次第に崩壊していくアイデンティティ。と最近、よく見る「ディック的な」物語。謎めいた工場や、追跡する球体と言ったガジェットにも事欠かないし、主人公を陥れようとする性悪な少女も魅力的。ただし、前の2巻に付き合った者でないと、タイタスが単なる「電波青年」に見えてしまうところが難点。物語を思い切って再構築しないといけないかも。小野不由美の「魔性の子」のように、「こちら側」からの視点に変えるとか。……それはもはや「ゴーメンガースト」とは別物では?
それにしても、英国人というのは皆、「宙に浮く球体に見張られ、追い掛けられる」強迫観念でも持っているのでしょうか。
右の奥歯に急に痛みを感じるようになったので、以前通った、職場近くの歯医者で見て貰う。診断の結果は虫歯ではなく、一時的な炎症とのことで、一安心したが、親知らずが上だけ生えていること(下の歯は向きが真横なので生えない)が、痛みやすい背景としてあり、今後も気になるなら抜いてしまう方が確実、とのこと。
歯医者から見れば、この歯は無用の存在である、ということらしい。でも、普通に生えてきたその歯に罪が有るわけでなし。抜くのも躊躇われる。…ただの貧乏性?
昨夜の「幻想美術館」はブリューゲル。だったので、久し振りに見る。もっとも、再放送が多い番組なので、既に再放送だったかも。ブリューゲルの絵の細部を映し出すのにハイヴィジョンは向いている。演出過剰のディレクターではなく、「7つの大罪」の版画をメインにした堅実な構成で、安心して見ていられた。
ブリューゲルやボッシュは、その道の専門家に徹底したレクチャーを受けたら、凄く面白いのではないかと言う気がする。勿論、絵解きは過程であって、ゴールではないのだけど、今の私の知識ではスタート台すら立ってないのと同じ。
せめて自分で少しでも何かを読んでおこう、と思った後に、そういえば、「ネーデルランドの百の諺」が全部図解してあるという理由だけで、TASCHENの画集を先日、買ったことを思い出す。買ったことすら忘れていた。
Comics。 富沢ひとし「プロペラ天国」。単行本には「プロペラじごく」は載っていないのか…
録り溜めした今月スタートのアニメを、今頃チェック中。「見るに耐えない」作品と「(私が)別に見なくても良い」作品を消去法で外していったら、…ほとんど残らなかった(^^;; お気楽な娯楽作で「ストラトス・フォー」、作画で「WOLF'S RAIN」くらい? まぁ、全部を見たわけではないし、見続ける作品が少ない方が、個人的には有り難いのだけど。そんなこともあって、「灰羽」cog.2は未だ見ていない。
年会費を払っているのに、最近は行かないことが多くて勿体ないので、金曜の帰りに軽く寄る。こういう行き方も、多分もう出来ないだろうし。
館蔵の工芸品の中から、縁起の良いデザインに彩られたものを選んだ展覧会。真剣に見つめるというより、鷹揚に眺めておめでたい気分になる、という感じ。そういうデザインということは、祝事等に使用された贅沢な 品であるのを意味するわけで、素人目にもその贅沢さはさすがに分かった。
今回は特に、能装束の豪華さに感動した。当たり前だけど、良い物は良い。鍋島とか、日常生活の中では全く縁のない品々だけに、せめてこういう機会に目を肥やそう。というようないつもの貧乏根性は止めにして、気楽に楽しんで眺めた後、眼福、眼福と唱えて、美術館を後にした。
「鳥姫伝」の続編がもう本屋に出ているようだけど、予定と違い「タイタス・アローン」が未だ読み終わらず、他の本に取り掛かれない。記憶していた以上に、この巻の主人公タイタスがどうにもイタい奴で、感情移入しにくいのが、スピードが上がらない主因。まぁ、一月中には終わるだろうけど。
でも、その後はその後で、灰羽関連で村上春樹の再読を既に決めているのだった。…今年になってから、再読ばかりのような。
偶然入った古本屋の「売れそうもない」古い本を並べた片隅に、「チボー家の人々」5冊が、ひっそりと置かれていた。現在の青いソフトカバーではなくて、60年代の箱入りの方。 中は、あの「黄色い本」である。 値段は、1冊、100円(^^;;
戦後の一時期、大流行しながら、その後、人気が凋落した「読まれなくなった」小説や作家群というのがあって、例えば、ロマン・ロランとかがそうだと思うのだが、「チボー家の人々」も多分、そ の一つ。少なくとも、私が10代の頃は既に、全然、流行っていなかった(ので、私も読んでいない)。
しかし、昨年、高野文子の短編「黄色い本」を読んだ際、これを本当に楽しむには、小説も読む必要があるのでは?と思った。読むのなら、当時の「黄色い本」が望ましい。とはいえ、わざわざ探す気力もなく、そう思ったことすら忘れていた。
その本を、ふと見掛けたわけで、しかも無料同然。これも何かの縁という気がしたが、小説としては既に「賞味期限が切れている」のではないか、という不安から、買う決心まで至らず。冷静に考えてみると、人が読まない長い小説を敢えて読んで、しかもつまらなかったら虚しい。人気が凋落した実績もあるし。
そんなわけで、「チボー家の人々」を実際に読んだことのある方がいらっしゃいましたら、果たして今読む価値があるか(読んで、単純に面白いか)教えて頂けると幸いです。背中を押される意見に出会えたら、買いに行くかも。どうせ、しばらく誰も買わないと思うので。
ちなみに、一時期の人気の高さは、高野文子の短編で、主人公が読んだ5巻の奥付が、(初版が出て10年目の)「1966年・38版」である辺りでも分かるが、私の知っているもう一つの傍証としては、小津安二郎の「麦秋」にも、「チボー家の人々」を巡る会話が有ること。北鎌倉駅で、紀子(原節子である)とその兄の同僚の謙吉が電車を待ちながら交わす台詞 の中に、かなり唐突に出てくるのだ。この会話が観客にも自然に受け止められるほど、当時は「読むのが当然」だったのが伺える。
謙吉「(別の話から、急に話題を変えて)面白いですね『チボー家の人々』」 紀子「どこまでお読みになって?」 謙吉「まだ四巻目の半分です」 紀子「そう」 (電車が入ってくる)
それ以来、北鎌倉駅で電車を待つ会社員を見る度に、条件反射のように「チボー家の人々」を思い出してしまう。確かに、あの映画を観た時から、気になっている小説ではあるな…
というか、原節子のような女性に「どこまでお読みになって?」と聞いて貰えるのなら、何巻だって読むと思う。
Comics。 島本和彦「吼えろペン」1〜6巻。ここ数日で。4巻までは再読だけど、つい読んでしまう。
実はまだ続く、雪だるまの話。
中国に関しては、中国新聞社の写真データベースというのを発見。ここで、中国語で「雪だるま」を意味する「雪人」で検索した結果。…どう見たら良いのか。多種多様というか、格好がバラバラだ。とりあえず、最初に思ったのは、中国の人にとっては、帽子を被せるのは割と重要みたいだ、ということ 。昨日のも、弁髪じゃなくて帽子の飾りだったのかも。
しかし、サムネイルではなくて個々の写真を見てみると、そこには驚愕すべき共通点が! 胴体が丸くない!雪だるまの方が多いのだ。ちょうど△(円錐形)の胴の上に、○の頭が載っているという感じ。
これはもはや、私達の思い描いている「雪だるま」という概念(雪を転がし「雪だるま式」に大きくして作るモノ)とは、根本的に別物のような気がする。「snowman」の方がはるかに雪だるまに近い。中国の人は、雪を転がす楽しさには余り興味ないのだろうか… アジアの他の国、モンゴルや韓国ではどうなのか、いよいよ気になる。
従って、中国語で「雪だるま式」という表現が有るかは非常に疑問なのだが、英語の場合、雪玉(=「snowball」)がそのまま「雪だるま式に増える」(増やす)という動詞になるらしい。もっとも、このsnowballは、「 (事業等を)加速度的に拡大する」という定義にもある通り、物自体の価値判断を含んでいないのが、日本語とは違う様子。
日本語で「雪だるま式」に膨らむものと言えば、それはもう、「借金」に決まっている。同じ現象から同様の表現を生み出しておきながら、日本だけ、マイナスの形容表現となっているのは、一体何故なのか。こうしてまた、 容易に解けない新たな謎を提示しつつ終わるのだった。
中国の雪だるまに関しては、職場に、奥さんが中国人という人がいるので、どんな雪だるまを作ってきたか聞いて来てくれるよう頼む。中国は広いから、また違う形の雪だるまが出てくるかもしれないし。
CNNの「完璧な雪だるまの作り方」を読んで、あれ?と思ったので、Googleで確認してみた。→「雪だるま」 と 「snowman」。…やはり、そうだったのか。
片や「達磨」、片や「…男」なのだから、違っていても不思議でないとはいえ、原料が同じ以上、出来るものも当然同じだろう、という思い込みが有っただけに、驚きもひとしお。どうやら、欧米では全て「snowman」らしい(例:フィンランドの写真)。ロシアは、マトリョーシカという達磨みたいな人形が特産の国だから、「雪だるま」型ではないか?と期待したのだが、これに関しては欧米と同じ様子。
検索した限りでは、違い自体は既に有名なようだが、しかし、その理由(文化的な背景)について説明しているものは見当たらず。この辺、図像学における、和洋の相違点として改めて調べてみると、かなり奥行きの深いテーマではないか、という予感がするのだが。単純に考えられるのは、欧米人は省略の思想というのに向いていない(ので、手足まで作らないと駄目)といった、東洋・西洋の思想の違いに関連付けることか。
しかし、私の個人的な閃き(=根拠のない妄想)としては、日本人の持つ「人のイメージ」のパターンの中に、そもそも、この「雪だるま」型という形があるのではないか、ということ。例えば、あのドラえもんのように。顔と体。小さい○と大きい○だけで構成されたイメージ。
最近の漫画やアニメでの3等身キャラとは、頭が異常に大きくて、下半身が圧縮されている不自然なデフォルメ表現だが、それを「かわいい」と好意的に受け取る私達の意識の基層には、恵比須様や福助といった「雪だるま」型のイメージが歴史的に蓄積されていて、雪だるまの姿もその一つではないか、と思うのだ。
ついでに、勢いで言ってしまえば、幸福を呼ぶもののイメージ(招き猫、蛙、狸)は大抵、この雪だるま型のラインに収まっている、という気がしてならない。
ともあれ、雪だるまを語るには、基礎知識がまだ不足。「世界の雪だるま」みたいなページがあると良いのだが。中国や韓国の雪だるまがどういう姿なのか、というのも今一つよく分からないし。今回、こういう写真を見付けたのだが、…これって、かなり特殊なのでは? それとも、中国の子供達は皆、弁髪付き?雪だるまを作っているのだろうか。う〜ん、謎。
ちなみに、どうでも良いことだが、私の住んでいる所では、雪は降っても僅かしか積もらないので、雪だるまではなくsnowmanを作るのは、材料調達の観点から、かなり困難。
最後に、今までの話とは全然関係ないのだが、この映画は一度見てみたい、と思った 。
「ゴーメンガースト」3部作の内、2巻「ゴーメンガースト」まで読了。1巻同様、帰宅時に毎日、少しずつ読んでいたのだが、今日、後半に入って物語が盛り上がってきてからは、中断出来ず、帰宅後、最後の250ページを一気に読んでしまう。その後半は、伯爵妃の堂々たる存在感が圧倒的。…タイタスはまぁ、どうでも良いけど(^^;;
ちなみに、1,2巻を通して一番好きな登場人物は、プルーンスクワラー先生。ベルグローブ塾頭も好きですが。なかでも、ビー玉のシーンが良いです。ドラマで省略されてしまったのが非常に残念。
と未読の人に意味不明な感想を書いても仕方ないのだけど。ともあれ、残る3巻「タイタス・アローン」はかなり薄いので、今度の日曜位までには最後まで読めそうな予感。
JR東海による「そうだ、京都行こう。」の毎冬恒例「冬の京都めぐり」キャンペーン。今年は、NHKのドラマにあやかるつもりらしく、「バガボンド」の武蔵が正面を見つめているイラストを金屏風の背景に重ねたポスターが駅の各所に貼られている。
一見、格好良さげなそのポスターに書かれているコピー(「冬の京都」がその男を強くした。という話を聞きました。)にも言いたいことは有るのだが、それよりも、見て不思議なのは、武蔵の両側に、手の長い猿の絵が合成されていること。
いや、それが長谷川等伯の描いた「竹林猿猴図」の一部であるとか、中国の画家・牧谿の「観音猿鶴図」をお手本として描かれた絵なので、中国の猿になっているとか、この絵が「冬の京都めぐり」で紹介されている京都の寺社の冬季特別公開の代表例であると か言った、ここにその猿が登場した理由は容易に推測出来るし、「竹林猿猴図」が傑作だということにも異論を差し挟むつもりはない。大体、私は昨年の初夏、静岡美術館の「相國寺 金閣・銀閣秘宝展」 まで、実物を見に行った位なのだ。
しかし、合成した結果、そこにあるのは、「真面目な顔をした人の周りで、猿がちょろちょろ動き回る図」という古典ギャグの画面にしか見えない。当然ながら、ポスターを見掛ける度に、これって笑うところなんだよね?と確認したくなる。ところが、隅々まで読んでも、どうも冗談でやっている風には見えない。制作者(JR東海)は 、格好良く出来たと本当に考えているのだろうか? まさかね…
「そのつもりで合成してみたら、大失敗。だけど、今さら仕方ないので、そのまま出した」というのが、私の受けた印象。それとも、何か変だとは思ったけれど、誰も声に出せなかったのか。だって、おさ〜るさ〜んだよ?
無関係なものを合成した結果、ギャグになってしまったという、モンタージュの初歩的な失敗例として、エイゼンシュテイン先生だって、頷いてくれるに違いない。
Comics。 こがわみさき「新装版 でんせつの乙女」。ギンザハッチョ〜 ブ〜ラブラ〜
風邪。
をまだ引いているわけではないのだけど、職場で、部屋の端からウェーブのように感染者が発生しており、気が付けば、今や波打ち際に立っている、という危機的状況なので、今週は「いのちをだいじに」をモットーに、安静に過ごすことに。というわけで、特に書くこともない静かな一日。…今週は、ずっとこんな感じかも。
Comics。 石田敦子「いばら姫のおやつ」。
掃除にも疲れたので、特に何もせず。↓を読んだくらい。
気弱で優柔不断な主人公の部屋に、眼鏡っ娘の魔女っ子(とその親友のお姫様とペットの猫(耳娘))が突然、願いを叶えにやってくる(けれど、主人公が小さな願い事しか思い付かないので、いつまで経っても願いを叶えたことにならない=モラトリアムの無期限延長)という願望充足型のComicsを、日曜の昼間から読んでいる私は、…駄目人間レベルMAXですか?
cuteな絵柄と、ふにゃふにゃとしたぬるま湯加減が心地良い。(と思う時点で、やはり駄目なのでは?) ちなみに、零式Comicsの一冊だけど、主人公がだらしない余り、何も起きない(^^;ので、その点?は (概ね)安心です。
最近の週末といえば、外を歩いているか、部屋の中で掃除(過去の荷物の整理)をしているか、何もしていないか、の3択という、凡そ地味な生活を送っているので、ここに書くこと もほとんど無い(^^;;
掃除の方は、(今では)不要な物の除去から徐々にやっているので、早くても、あと2ヶ月は掛かる気配。ちなみに、最終的に残った荷物を置く場所が、実は無いので(だから、過去5年間、隣室に段ボールで山積みになっていた)、その時にどうするか、また考えないといけないのだが、とりあえずは減容作業を優先中。根本的な解決方法が無いという現代の廃棄物処理問題の縮図を見る思いです 。
今日のところは、小学校から大学まで、各々の年代の物が詰め込まれている箱を、順次開けてはみたものの、この辺の物は今更、なかなか捨て難く、後日、考えることに。でも、(特に)小さい頃書いた文章は、自分が亡くなる前に必ず焼却しておかねば、恥ずかし過ぎる、とは思った。
例えば、小学2年の時に書いたらしい「本」という題の「詩」(??)はこんな有様。
『本をよむ そんなときは たいくつなとき、
でも よむと その話に
ひきこまれるような気がして こわいとき
「よみたくない」と 思うときがある。
もっと 本をよみたい』
………読みたいのか、読みたくないのか、どっちやねん。というか、本を読むのは「たいくつなとき」だけなのか。当時からそんなに退屈していたのか、私は。小2の子どもの書いたものなので、文章が変なのは、仕方ないとは言え、頭を抱えたくなる。こうした恥ずかしい文章が、それぞれの年齢毎に残っているわけで…
物持ちが良いのも考えもの。とはいえ、今さら捨てられないのだけど。…いや、これは捨てても良いけど。というより、早く捨てるべきだろう。
Comics。 橋口たかし「焼きたて!!ジャぱん」5巻。井上和郎「美鳥の日々」1巻。
本州の端の方で今も地方公務員をやっている、とばかり思っていた大学の同期が、僅か1q圏内の所で現在、働いていることが、年賀状で判明。何でも昨年の4月には、そこへの研修という発令が出て上京していたらしい。…早く言ってよね。ということで、連絡を取り、十年振り位?に会って、飲む。
お互いの近況などを話している内に、「学生時代が一番、良かった」と彼が遠い目をして言うので、それは半世紀以上も前の小津安二郎の映画に既に出てくる台詞だと指摘する。まぁ、私も同感だけど。当時は、勤めれば勤めるほど、給与水準が毎年下がっていく、とはまさか思ってもみなかったし。
ともあれ、飲み会自体久し振りな上に、上司との付き合いではない飲み会は本当に久し振りで、「ほっとする」時間を過ごせた。
Planktonのサイトで、4月11日に渋谷で行われる、ルナサのライブチケットを購入。
今のところ、2月以降の勤務先や勤務実態がどうなるかは不明で、ましてや4月に金曜夕方のライブに実際に行けるのかなど、全然分からない。というハイリスクにかなり悩んだのだが(恐らく、かなり難しい)、もし行けた場合は、早めに買っておかないと、当日後悔すると思うので。しかし、アイリッシュ音楽好きとしては、これを聴かないで何を聴く、という待望の公演なので、(策を講じても、あるいは弄して でも)何とか行けるようにしたいもの。
Comics。 紺野キタ「あかりをください」。夢路行「春の回線」。捨て子ザウルス…
電車で運良く席に座ると、ヒーターの暖かさで、すぐに眠くなってしまい、手に持った本のページが遅々として進まないこの季節だが、「ゴーメンガースト」3部作の内、1巻の「タイタス・グローン」をようやく読了。
BBCのドラマは、思ったより上手く物語を要約している、と改めて感心する。もっとも誕生会のシーンはドラマでも大いに笑ったけど、原作の方が更におかしかった。この勢いであと2冊、と言いつつ、1巻より更に分厚い2巻が、この先に立ちはだかっている のだけど。今月中には最後まで読めるだろうか…
Comics。 小野敏洋「ネコの王」3巻。
(昨日の「とうふのチーズケーキ」とは違って絶品らしい)「トーフのジャム」も作れる「なんでもジャムにしちゃう機械」 から、H・G・ウエルズ以来の世紀の発明に至るまで、いろんなものを発明をするハカセと、そのおとなりの住人であるミソラの日常を描いたシリーズである表題作を中心とした短編集。
確かにsweetな世界だけれど、ベタベタ甘いのではなくて、サクサクと軽快な読後感が心地良い。いちごのお菓子で言えば、六花亭のストロベリーチョコの食感?
身の回りの物の「かたち」に、コミュニケーション(「気持ち」を伝える)という新たな意味を発見する後半の短編群が、素晴らしい。そこでは、伝えられる「きもち」は「かたち」になる。「真夜中郵便」(この題名に「銀河通信」を思い出すのは私だけ?)での美しい台詞のように。「まざりけのない きもちは こんなふうに 星や 花のかたちの 結晶になります」
名前が気になって買ってみた「とうふのチーズケーキ」という名の菓子パン。食べようとして初めて、1個534kcalなのに気付く。高っ! 豆腐ハンバーグとか のように、少しは低カロリーなのかと(普通)思いますよね。こ、これって詐欺なんじゃ…いやそれ以上の何かだ!と思ったが、後の祭り。半分だけにする。ちなみに、味は良くも悪くも、ただのチーズ蒸しパンだった。
Comics。 三部敬「テスタロト」1〜4巻。(菜々子さんと違い、気軽に読めずに)1巻から溜め込んでいたので、長年の懸案が一つ解消。やろうとしていた(と思われる)ことには親近感を覚えるので、ここでの打ち切りは残念だが、確かに連載では辛いかも。
隣室の掃除、というか段ボールの整理の続き。当時のLDBOXが幾つか出てきて、山浦章「ご存じ!!オタクの用心棒」の気分に陥る。いや、まだ再生は可能ですが。
今週放送された中で、とりあえず、第1話にチャイナさん(とブレッケンリッジ博士)みたいな人が出てくるアニメを見た。チャイナ服なのに、足のラインを綺麗に見せるシーン(回し蹴りとか?)が全く無い、という時点で、既にこの作品は駄目だと思った。
Comics。 伊藤明弘「ワイルダネス」2巻。岩原裕二「クーデルカ」1〜3巻。動きと奥行きを強調した画面に、3巻まとめて酔いしれる悦楽。
DVD「ゴーメンガースト」を見終える。このBBC製作のドラマは、「タイタス・グローン」「ゴーメンガースト」までで完結。「タイタス・アローン」は、ある意味、別物なので、 妥当な判断だとは思うけど、「タイタス・アローン」こそ、どう映像化するのか見たかった、という気がしないでも。
エピソード4は、内容、映像の両方で盛り上がって、「見た」という気分にさせてくれた。シェイクスピアの史劇を1本、最後まで見たような見応え。
全体にどうしても演劇的というか、「世界」の再現性という点で物足りなさは残ったけど(城にはもっと重苦しい存在感が欲しかった。ゴゴゴゴゴゴ、といった効果音が入るような)、キャスティングに関しては、フレイ=クリストファー・リーを筆頭に全てのキャラクター共、ほぼ完璧 !(スティアパイクが格好良すぎるのが、やや難ではあるが)。
スティアパイクの野望を巡る物語に絞り込んだ脚本も分かり易くて良かったかと。僅か4時間で、この世界を描くなら、これが正解だと思う。ただ、その反面、主人公である筈のタイタスの影が薄くなってしまったのが哀れ。エピソード4での青年タイタスは、エピソード3の少年タイタスほど、綺麗じゃなかったし(^^;;
本編の後、メイキングを見ていたら、クリストファー・リーが、生前のマーヴィン・ピークを本屋でよく見掛けた、と話していた。トールキンにピーク、羨ましい…
原作を再読してから、吹き替え版でもう一度、と思っているのだが、読み始めてから一週間近く経つのに、まだ「タイタス・グローン」の半分程度。最後まで辿り着くのはいつ?
ちなみに。ゴーメンガースト、何それ?な方へのご参考として、このドラマのファンページ「ゴーメンガースト城への誘い」。キャラクターのイラストが良い味出してます。
Comics。森薫「エマ」1巻。ようやく。
明日から連休。一日くらい、温泉でも行きたいですね。日帰りで良いので。
シーボルトは、2度の来日の際、各地の植物を採集し、当時の日本の絵師に植物画を描かせている。彼がオランダに帰国後、刊行した「日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)」という大著の基礎となったそれらの原画を展示する、日本では2回目(前回は95年)の展覧会。福岡、岩手、千葉(佐倉市)と巡回してきて、東京が最後の会場 (千葉とは別の原画らしい)。
ものを「視る」力、というのは昔の人の方が遙かに有ったのではないかと、改めて思わされる絵の数々。あくまで細密かつ正確な描写でありながら、全体としては、優美で調和が取れた美しさ。特に、川原慶賀という人が描いた葉や茎の素晴らしさには、ただただ感嘆するのみ。こんなに上手い人が、日本人にもいたのか、という驚き。
細密な博物画は、世界の真実の一端に触れた喜びをもたらす。眼鏡を替えて、急によく見えるようになった時のような快感。少なくとも私は、こんなに(実際の)植物を凝視したことは、今まで一度たりと無いな、と思った。それだけに150枚も続けて見るのは、かなり疲れたが、 充実した体験だった。
出口の売り場では、平成6年に丸善が復刻した『シーボルト旧蔵「日本植物図譜」コレクション』も置かれていた(巨大な本だった)が、限定450部とはいえ、定価 980,000円というのは… 1桁間違えたのかと、値札を読み返してしまった。さすがに手が出せないので(2桁違わないと)、せめて図譜を買っておくことに。2,300円。 いつもと違い、やけに安く感じた(^^;;
Comics。いけだたかし「FADE OUT」1巻。
『世の中には、「プロジェクトX」での田口トモロヲのナレーションが嫌いな人は、いないのか?』と、検索して辿り着いた方から、強い共感の書き込みを頂く。
この正月に再放送を見た際、無性に苛立ったことをふと思い出し、検索してみたとのこと。私の方からも、同志(tovarishch)、とお呼びしたいところです。
ところで、元の勤め先が近頃、打ち出したリストラ策は、社内的には、プロジェクトXなんとか、という名で呼ぶことになっているらしい。…そんなんで、洒落たつもりになっている場合じゃないと思うのだが。それこそ田口トモロヲの陰気な声を被せたくなる。「従業員の給料にまで手を付けた。もはや、後がなかった。」
………ええと。冗談抜きに洒落にならない話になってきたので、この辺で止めておこうかと。画面?に流れる字幕とかも考えたのだけど(^^;;
最近、もう一つ、同志!と頷いてしまったのは、maosukeさんの
「定期的雰囲気観測点」の1月3日、箱根駅伝についてのコメント。私も昔から似たようなことを毎年、言っているので。
もっとも、前者の(田口トモロヲに関する)「同志」は多くない(からこそ、番組が視聴率を得ている)のに対し、後者の(駅伝に関する)「同志」は多くいる(からこそ、番組が視聴率を得ている)と思われるのが、両者の違いかも。
Comics。川原泉「ブレーメンII」4巻。
などと言っていたら、出向からの戻りが一ヶ月延びて、来月になる見込みであることが判明。何かするなら、今がチャンス!(…って何を?)
正月に読んだ、倉多江美「続 お父さんは急がない」は、正月休みの穏やかさに相応しい、読んでいてほっとする作品だったが、感想を書こうとして、前巻の時に書いたことを読み返してみたら、これ以上、特に付け加えることもないような気がしてきた。
それにしても、倉多江美といえば、私が学生の頃、古本屋で必ず探していた漫画家の一人。70年代から活躍している筈なのだけど、今なお、こういう作品を描き続けているのは凄い。これからもずっと、淡々と描き続けて欲しいと思う。それこそ、300歳くらいまで。
Comics。赤美潤一郎「妖幻の血」2巻。熊倉隆敏「もっけ」1巻。
2月以降は、アニメなどを日常的に見続ける暇は多分、余り無いと思われるので、この冬のアニメはまだチェックもしてません。
書跡(拓本)や茶道具に興味のある人なら、貴重な品が並んでいるのだろうとは思うのだけど、絵画に関しては余り… 沈南蘋の1枚だけは、なるほどこういう作品かと興味深かったけど。そういえば、遠目では「あれ?雪松図屏風?」と思ってしまう位、そっくりな後世の模写が展示されていたが、なぜ本物を出さないのか理解出来ない。三越の会場は国宝を展示する基準(があるのか知らないが)を満たしてないから? あるいは単なる出し惜しみ?
中心となる展示として、三井高棟が隠居後、昭和十年代に作らせていた豪華な茶器の数々があったが、全てに金を使用した茶器という発想自体、私の趣味ではないので、あの大不況の時代に良い気なもんだ、としか思えず。三越のエスカレーターの両側の装飾が金色なのと、同種のセンス。何というか、根本的には、みっともない(というのが、それらに対する私の感覚)。
やはり、自分でお金を払わない(=招待券を貰った)展覧会は駄目だな、と反省。
Comics。外薗昌也「琉伽といた夏」1,2巻。 最初の辺りしか読んで無かったので、そーいう話だったとはつゆ知らず>がんばれお兄ちゃん
仕事始め。とにかく、寒かった。
休み中、ビル中が冷え切っていたためか、いつまで経っても部屋が暖まらず、座っていても落ち着かない。
こういう時は運動して、筋肉からの発熱量を増やせば良いのでは?と昼休み、階段を1階から屋上まで歩いて昇ってみる。10階近くで、さすがに息が切れたが、10分弱で、19階へ辿り着く。やれば出来るものだ。しかし、だからといって、別に暖かくもならず、自分の職場のある4階まで、また歩いて下った。 「無駄足を踏む」とはこのことだ、と思った。
帰宅時の電車で、「ゴーメンガースト」3部作を再読しようと、第1巻の「タイタス・グローン」を読み出すが、最初の15ページでいきなり意識を失う。この調子では読み終えるのにどれ位掛かることやら。ドラマの方はエピソード3を視聴。ようやく出てきた少年時代のタイタスは結構、綺麗な子だった。
Comics。小野不由美/梶原にき「東亰異聞」2巻。
昨日は結局、「ロード・オブ・ザ・リング」ズの本編を観てから寝た。
奥方の贈り物もさることながら(サムへの贈り物があれじゃない、ということは、「王の帰還」でその辺の下りは割愛されるということ?)、前半部分がより分かり易く、自然な流れになっているのが良い感じ。ちなみに、素直に映画を観たかったので、今回は吹き替え版の方を選択。
夕方、用事で外に出ると、空一杯に広がった大きな雲が、綺麗に色付いていた。日没後の薄い水色の空に輝く、朱色がかったピンクの雲。感嘆して見上げていると、僅か数分で、まるで魔法が解けたかの如く、ごく普通の灰色に戻ってしまったけど 。自分が気付かないだけで、奇跡はいつでも、こうして起きているのかもしれない、と思った。
Comics。岩原裕二「地球美紗樹」1〜3巻。やはり、イチオシはお嬢様でしょうか(そんなことは誰も訊いてない)。「人前では弱気を見せない」キャラに弱いので(そんなことも誰も訊いてない)。
三が日も終わったので、掃除をぼちぼちと再開。
隣室の段ボール(の本)に取り掛かる。とはいえ、他の街で寮生活を送っていた頃の本で、既に何回もの引っ越しを通り抜けてきたものばかりなので、なかなか捨てられるものがない。あまつさえ、その場で読み返してしまったりして。今読んでも「シャーリィ・ホームズ」は面白いなとか。「アリシア・Y」は捨てちゃったんだっけ?
そういえば、段ボールの中にあった、創元推理文庫のジェラルディン・ハリス「七つの砦」というハイ・ファンタジーのシリーズだが、四部作と大々的に発売したのに、最終巻がとうとう出なかったような。いや、最後まで完結したらまとめて捨てようと思っていたのに、いつまで経っても出ないので、捨てる機会を逸してしまったのだ。(ということを今回思い出した)
まぁ、シリーズものの翻訳ではよくあることなのだろうけど、あと1冊が出ないというのは、待っている方としては、かなりのフラストレーション。そこまで来たら、最後まで出すのが義務ではないかと思うのだが、…余りにも売れなかったんでしょうか、3巻が。 さほど面白くもつまらなくもない、というレベルだったような気はするけど。
昨日に引き続き、「ゴーメンガースト」エピソード2を視聴。今夜、この際、最後まで観てしまうか、それとも「ロード・オブ・ザ・リング」ズを観るか、考え中。
Comics。赤美潤一郎「妖幻の血」1巻。にく…
今日は雪が舞いましたね>駅伝。だけど、個人的には寒い日は嫌い(^^;;
正月中、何一つ観ないのも勿体ないので、未開封のままだった「ゴーメンガースト」を、とりあえずエピソード1だけ視聴。結構、頑張っている感じ。というか、原作をかなり忘れていて、よく思い出せない私。フレイ氏って、こんなに格好良かったっけ? サルマンに匹敵する位の格好良さなんですが>リー様。正月が明けたら、もう一度、原作を読み直さないと。
手持ちで未読のComicsも順次、消化していく予定(は未定)。ただ読むだけでは励みがないので(?)、今後読んだ分は、日記の末尾に記録。途中で放置していたシリーズや、 既読本も思い付きで読み直すので、今頃、なぜこんな本を?というのも出てくると思いますが、気にしないように(^^; なお、感想は書きたくなった時だけで、基本的には題名のみ。こんな感じで。
Comics。岩原裕二「狼の瞳」。田丸浩史「課長王子 外伝」。
箱根駅伝、往路。この正月は寒い、という天気予報から、雪の箱根路、故障者続出、ブレーキ発生、途切れるタスキ、みたいな展開を年末から期待していたのに。こんな晴天に恵まれるとは、がっかり…
その後、鎌倉に初詣へ。といっても、鶴ヶ丘八幡宮ではなくて、明王院という、茅葺きの小さなお寺。正月でも静かで日差しの明るい境内が気に入っている。何と言っても近いし。
ここに参拝して、正月だけ張り出す九星運勢の早見表で、今年の自分の運勢を確認するのが、毎年の正月の習わし。余り良いことが書いていない年は黙殺するのだが(^^;; 今年は良い年らしいので、有り難く信じておくことに。今日はタイミング良く、寺の人が作った甘酒も振る舞って貰えたし、私が正月にやるべきことは、これでもう果たした気分。
とはいえ、せっかく出たので、そのまま10q歩いて港南台まで行き、高島屋の地下で西利の漬け物を買って帰る。いや、漬け物を買うためにそこまで歩いたわけではないですが。すぐきとゆず大根でも買おうと西利の売り場を覗くと、そこには福袋が。漬け物の福袋というのは初めて見た。在庫処分な気もしたが、漬け物なら、中身が何であろうとも食べられることは間違いないと思い、ゆず大根の他に、福袋一袋も買ってみた。
参考までに中身を書いておくと。通常の400円の袋の半分のサイズ、確か250円のものが6袋、それと大きめのお皿(漬け物を並べるための)が付いて、1050円(税込)。6袋 の種類は、「青しそ むらさきの」「赤しそ むらさきの」「青しそ」「はりはり漬」「生しば漬」「味すぐき」。店の人によると、長く保つものの中から6種類がランダムに入っているらしい。嫌いな物が無ければ、 お得ではある様子。
ちなみに、私が福袋という名の付いたものを買うのは、多分、これが初めて(笑) レピシエの福袋(紅茶の詰め合わせ)は、毎年どうしようかと思うのだけど、そのために買いに出掛ける、とまでは行かなくて。生まれて初めて買う福袋が、漬け物詰め合わせ… まぁ、それも、また人生。
とりとめのない一日を送っただけで、特に書くことがない元日。掃除も小休止しているし(掃除以外、他に書くことは無いのか)。…そんな日もあります。