空の蒼さを 見つめていると
ラジオ日本、月曜0時からの、大滝詠一の伝説的なラジオ番組「Go! Go! Niagara」の26年振りの!再放送を聴こうと、色々努力したが、かろうじて「聞ける」だけで、「聴ける」状態にならない… 今回は聞くだけか。やはりループアンテナを買い直さないと駄目? しくしく。
橘いずみの4年半振りの新譜「bellybutton」を探して、昨日の晩と今日の午後、右往左往。
HMV、TOWER RECORDS、新星堂…と有りそうなところを、横浜、上大岡、池袋、秋葉原と彷徨うも、どこにも見当たらず、思っていた以上の苦戦を強いられる。もうこれは注文するしかないのか、と思いながら最後に一応、チェックしてみたyamagiwa SOFT館でようやく発見。
…どうして、ここまで橘いずみに思い入れがあるかは説明し難い、というか、自分でも良く分からない。普段聴いているもの(基本的に、ふわふわ高音系)とはまた傾向が違うし。ただ、実は私と同い年の生まれだと後に分かった時、ああ、そうなんだと納得した、ということはあるのだけど。長距離走を、同じ様な位置で走り続けている者への共感? というのは、走るのなんて全然、好きじゃない私が使うべき比喩ではないよな、と思うけど、他に上手い例えも思い付かない。
とにかく、私は、彼女の「声」が好きなんだと今回聴いていて、改めて気付く。特に、3曲目「銀河」以降の、飾らないplainな歌声の、伸びやかな響きと優しさが。
あとは何と言っても、(今日、予約を取った)10月25日のライブで、その声を(初めて)直に聴くのが、非常に楽しみ。
乙一「暗黒童話」。まだ途中なのだけど。こちら側からのアプローチの方が、やはり「本領」なのか。かなり、飛ばしている。綾辻行人が絶賛しそうな世界。
「ヘルシング」4巻と「エクセル・サーガ」8巻。最近、「アワーズ」本誌を読んでいないので、どちらも新鮮。勿論、「エクセル」で、岩田にあんなことが起きているとはつゆ知らず。ところで、カードではなく通帳だけでATMから現金を引き出せる銀行って聞いたこと無いけど。六道神士的には、それくらい出来て当たり前なのか。
本屋で、今日購入したもの。
小説が、加納朋子「ささら さや」、乙一「暗黒童話」、Comicsが森山大輔「クロノクルセイド」4巻。ふふふふ、と思わず微笑みが零れてしまうくらい(…多分、端から見ていると、気味が悪いと思う)、嬉しい。好きな作家の新作をこれだけ一編に手にしてしまうなんて。中でも、乙一の新作は、待望の長編。読むのが非常に楽しみ。
デビュー作「残照少年」を含む短編集。お馴染みの、模型と現実の相関関係といった作者独自の世界は、これら短編でも再確認出来る。が、それだけで終わってしまっている、という気もする。近年の作である「透明な方舟」も、まるで「他の作品」の小さな模型に見えてしまうのだ。
一作も読んだことのない人のお試し作品、という気もするけど、この人の場合、長編の方が訴え掛ける力が強い気がする。やや期待外れ。
ところで、この文庫本は、中でタイトルが書いてある頁(ここ、何て言うんだっけ?)に「傑作小説」と付記されているので、何それ、と驚いてしまった。
本屋で、光文社文庫を色々引っぱり出してみる。この文庫は、どうやらジャンル表記か「文庫書き下ろし」という言葉を必ず、この頁に入れることになっているようだ。この文庫のラインナップって、ほとんど興味を引かれないので、今まで気が付かなかったのだけど。
表記の基本は「長編推理小説」。これが「長編伝奇小説」や、「長編ハード・アクション」や、「長編官能サスペンス」になったりする。調べてみると、祥伝社と廣済堂の文庫も同様。何となく分かる。というか、ごめん、どれも余り縁がないや(^^;
しかし、他の文庫は必ず「長編+ジャンル+小説」という形なのに、光文社はどうも変だ。「長編小説」というのがある。何を当たり前な、と思うのだが、ミステリや歴史や伝奇ではない、普通の?小説の場合に使うらしい。一方、短編集で、「連作」でも無いと、「傑作」と名付けているようだ。「長くない小説」=「傑作小説」、凄い約束事だ。しかも、その名付け方には、どうも統一性が感じられない。同じ作者でも統一されていない辺り、毎回、編集者が気分で決めているとしか思えない。
それにしても、いくら一種の宣伝だとは言え、「傑作小説」だけは恥ずかしいので、止めた方が良いのでは? いかにも「看板に偽り有り」、という感じで、手にした時点で脱力してしまう。
そういえば。結局、売り出されなかったよなぁ。百年に一度のチャンスをフイにするとは、何て勿体ないことを>JA鳥取 …やはり、名付けるに値する新種が作れなかったんだろうか。
この監督の映画なので、邦題から、場所をBARに限定した映画なのかと思っていたら、街中を親子でダラダラしゃべりながら歩き回る映画だった。親バカな父親と、父親に愛情を感じつつもその支配が鬱陶しい息子の対話、ということで、この前読んだ西澤保彦「仔羊たちの聖夜」とテーマが被っているのが、ちょっと興味深い。こっちは、普通のイタリア映画なので、話は殺人事件とかエキセントリックな方向へは向かわないのだけど。
それにしても、親子の葛藤って、普遍的なテーマではあるんだろうけど、地味も地味。今どき(10年前だけど)、こういう映画が商業ベースに乗る辺り、イタリアはまだまだFamilyという価値観を大事にしようとしているのか。日本だと、小津の「一人息子」とかそんな感じだけど、あれは戦前の映画だしな…
観ていて、マストロヤンニは「駄目男を演じさせれば超一流」だったことを思い出す。この映画でも、その親バカ(価値観の押し付け)でしか息子に接することが出来ない父親像を見事に演じていた。
とはいえ、本当に地味な作品なので、彼のfan以外はあえて観なくても良いかと。マストロヤンニ+スコラなら、昔の「特別な一日」とか、あるいは同じくベタな映画なら、やはり「マカロニ」の方がお薦め。
「ケロロ軍曹」4巻を、ぼーっと読んだぐらいのまったりとした一日。4巻は、クルル曹長の男のこだわりに涙。こだわり、といえば、巻頭と巻末のおまけ漫画のそのこだわりの凄さには、ただ感服。
明日の夜は、BS(NHK)でエットーレ・スコラ(と情報誌に有る。ーが移動したんじゃ無かったのか)の「BARに灯ともる頃」を放送するので、早く帰って観る予定。大きな期待はしないが、晩年のマストロヤンニが見られるだけでも、見る価値は有りかと。
夏の間は、すっかり途絶えてしまっていたが、涼しくなってきたので展覧会行きを再開。
10月以降の展覧会では、見に行きたいと思っているものがかなり有るので、忘れないよう、Art欄に整理。
当館所有の名画の内、30点弱を展示。流石に、大家の名前ばかりが並ぶ、のは良いけれど、やはり点数が少な過ぎ。仮の店舗?である、今の狭い場所では仕方ないのか。主な作品としては、福田平八郎「筍」とか。それにしても、「これこそ名画」という割に、速水御舟の「炎舞」を出さないのは卑怯。代わりに「昆虫二題 粧蛾舞戯」を展示してはいたけど。
と思っていたら、受付に有ったチラシに「炎舞」の絵が! 次次回の展示か(次回は土牛なので)と思ったら、『「山種美術館名品展」10.20〜11.25 名古屋市美術館』。はぁ?名古屋? 何故、当地で展示しないの! チラシには「幻の名画・「炎舞」にあえる」とかコピー入れてるし(幻にしているのは山種なのに)、エルガーラ的にはかなりムッときた…
そう、近代日本画史上、最も有名な作品の一つなのに、現物を見たことが(多分)ない私としては、一回は是非見ておきたい絵。この際、名古屋へ行くか? でも、いつかまた公開される日も必ず来るはずだし(恐らく、山種が数年後、赤坂に移転した時の記念展で)、そこまでしなくても良いような… でも、数年後、休日に、絵を見に行けるほど暇かどうかは、分からないし、どうしたものか。う〜ん…
同名のNHKスペシャルとのタイアップ展。要は、番組で取り上げた石器や、土器や、人骨の展示。こういうのって、割と空いているのでは?と漠然と思っていたのだが、埋蔵物マニアは実は沢山いるのか、上野公園に来た親子連れが何となく入るためか、入場制限をするほどの混雑ぶり、というか、展示スペース、ちょっと狭すぎだ。あと、展示場所が、新館の一番奥の地下二階という最深部で、辿り着くまでが「はるかな旅」だった。
展示は、まぁ普通、でしょうか。私は別に、人骨マニアではないので、本物を見たからと言って、興奮する、というわけでもないし。まぁ、そうかという程度。
かつての疑惑の化石人骨を集めたスペースで、「明石原人」が今では完全に否定されているのを初めて知った(ということは私の知識は、50年前のものから、ほとんどup dateされていなかった)とか、埼玉県から借りてきた、捏造疑惑の石器が数点展示されていたのを熱心に見つめたくらい。
で、番組のテーマ「日本人のルーツ」の結論としては、色々混じり合っているのは確かとは言え、どう混じっているかは、まだ良く分からない、らしい。こういうのは、分からないからこそ、想像するのが楽しいのかも。
ちょっと面白かったのは、化石人骨と現代の高校生の頭蓋骨のX線写真を比較しているコーナーで、脳の容量について、高校生の方を「まだ生きているので、測定出来ないが」と書いている辺り。何か、「残念ながら」と付け加えたかったように見えた。
国立博物館に入るのは、随分と久し振り。だから、平成館なんて新館が出来ているのも初めて知る。その代わり?現在は、表慶館が閉まっていた。ここは昔からそうだけど、渋い内容というか、地味な展示なんで、素人が楽しむには余りにも敷居が高いような。客に媚びない、というのも一つの在り方なのかもしれないけど。しかし、この博物館には、もう一つの使い道が。平成館の広いロビーに置かれたソファーで、眠りこける人々。そう、上野でちょっと昼寝をしたいなら、ここがお薦め。入館料430円だけで、静かな時間を手に入れることが出来ます。というか、展示の方も、もう少し見せ方を工夫してよ、とは言いたい。
その中では、割と努力している?平成館の、土器などの出土品の歴史の展示。人型の埴輪を見て、複数の人が思わず、「はに丸」と呼んでいた。ある年齢層の日本人にとって、埴輪=はに丸らしい。かくいう私も、その一人。
展示品の中には、宋か元の磁器(重要文化財)があったのだが、出土地を見て、びっくり。家の近所の丘だ。どうやら、民家の庭から出てきたらしい。私も掘れば出てくるかもしれない、と一瞬思った。(しかし、どこを?)
ところで、地下鉄で、同じ車両にいた女子中学生のグループの一人が、「青く透明な睡魔を見た」と友人に話すのを耳にしたのだけど、彼女は、川原泉の愛読者? それともこの言い回しには、更に元ネタがあるのか? 非常に気になるんですが。ちなみに、私は電車で座っている時ならばいつでも眠れるので、きっと「無色透明な睡魔」をいつも見ているのだろう、見えないけど。
空き容量を捻出するのに四苦八苦。結局、当面要らないものは全て削除したのだが、IEの更新のために、パソコン内の環境がどんどん貧弱になっていくのは、何か解せないものが。それにしても、6年前の機種をそのまま使うのは、色々な意味でほぼ限界。買い換え含めて、環境を改善させるしかないような…(実は、この手のことが非常に億劫な私)
一日、部屋に籠もっていたので、夕方、気分を変えようと、西の丘まで散歩。
ううっ、寒い。これって、11月中旬の気温では? 寒いだけ有って、空はよく晴れていた。富士山がくっきりと見える。ちょうど日没前だったので、展望が良い丘の上まで更に上る。頂上にカメラマンが4人もいたので驚く。わざわざ撮りに来る人もいるんだ。上からは、伊豆半島が端までと、更には大島まで見渡せた。ほとんど晩秋のような晴れ方。
日が沈んでいく… あれ? 富士山の裾野じゃない? ここからは、富士山は真西に位置する。だから、春分・秋分には、太陽は富士山麓に沈む筈。小さい頃から、ずっとそう信じていた。しかし、実際は富士山一つ分?左だった。ということはだ、微妙に西北西にある、ということなのか。
自分の思い描いていたのと、実は世界が(微妙に)違っていたことに気付いた時の衝撃。帰ってから緯度を調べると、富士山の方が3分くらい北。やはり、そうなのか。それにしても、ではなぜ、真西だとずっと思い込んでいたのだろう…
「エイリアン9」のvol.2を買うべく、DVD屋へ。
…トリトンガキタ。思わず、そう呟きたくなる。まさか「海のトリトン」がBOXで出るなんて… でも、学生の時、再放送を通しで見たので、良いや。幻の第一話のためだけに3万出すほどのマニアではないし(と自分に言い聞かせる)。とりあえず、「エイリアン9」を買ってと。
ついでに、お気楽な作品を一緒に買おうと思うが、適当なものが思い付かない。吉田戦車「はまり道」での「やらなくても良いゲーム」みたいな感じで、「見なくても良いアニメ」みたいなのが欲しいのだけど。いや、何で、わざわざ、そんなものを買わなければいけないのか、といわれると困るが。
結局、「KYUKYOKU CHOIN "R"」と「COWBOY BEBOP」のthe compilation2を購入。前者はノスタルジー、後者はマッシュルームの話をもう一度見たい、ということで。
映画については、今回も手を出せず。ところで、BOXで出ていて当然な筈の岡本喜八作品が全然、発売されないのは、何か大人の事情が有ったりするんでしょうか? もっとつまらない作品ばかりの監督のBOXだって沢山、出ているというのに。
岡本喜八は大学の時、名画座での特集で「殺人狂時代」とか7,8本観たっきり。他にも観たい作品が沢山あるのに… 最近のは要らないですが。白黒のみで可。
とりあえず、安全のためにIEを更新しておこう、と思ったら、実はそれだけの空き容量も無かった(^^; どうやって開けるか(=何を削除するか)、今、ちょっと悩んでいるところ。
とだけ書いて終わるのもどうかと思うので、(興味がある方は)旅行記の続き、3日目をどうぞ。何かダークですが。
上遠野浩平「ブギーポップ・アンバランス ホーリー&ゴースト」や伊藤明弘「ワイルダネス」についてどう書いたら良いのか、考えあぐねてしまったので、気分を変えて、週記を書いてみる。珍しく、本当に「週記」だ。
家の展示会における万国旗の謎、の続き。
万国旗が祝祭空間の徴であり、それが、小中学校の「運動会」の記憶から来ているのは恐らく、間違いないと思われる。「運動会」とは、歴史を辿ると、要するに、戦前の、未成年に対する軍事教練、というのが元々の成り立ちのようで、従って、万国旗の飾り付けも、海軍の文化を受け継いでいる、らしい。
海軍の万国旗といえば、誰でも思い付くのが進水式の飾り付け(「万国飾り」だっけ?)なわけで、あれが運動会に移植されたのではないか。ということまでは、仮説を立てることも出来るのだが、では何故、進水式に万国旗を飾るのか、というところで止まってしまっている。
万国旗はどうみても、近代国家を前提とした存在なので、そんなに昔の話ではない筈なのだが、ネット上で、この件に触れているsiteを見付けだすことが出来ないまま。ミリタリーなマニアの方って、こういうことには興味ないんでしょうか…
久々に、映画館へ。前から思っていることだが、東映系の映画の予告編は、総じてセンスが無さ過ぎ。そうだ、誰か、予告編の批評siteを作ってくれないものか。本編より面白かった予告編とか。…それはそれで問題があるような気もするけど。
月曜の夜6時半とはいえ、ガラガラ。しかも、銀座の映画館で、女性客が二、三人しかいないのは致命的のような。
一つ一つの要素はそれなりに凝っていて、悪くはないのだけど… 映画を観た、という気にはさせてくれない。では何かといえば、アニメ映画に多い、「劇場版」というのが多分、正しい。その違いを乱暴に説明すると、「映画」は帰納法、「劇場版」は演繹法、によって成り立っている。と、私が今、そう決めた(笑)
つまり、「映画」となるためには、必要不可欠なものは何か、から出発する必要があるのだが、「劇場版」は、出したい要素を色々積み上げていくことで作ろうとするため、結果的に、余計なものが混ざってしまう。本作だと、シーン自体、不要なのに、もの凄く力が入ってる空中戦とか。あるいはオールスターキャストで、しかも皆に見せ場を作ろうとして、感情移入すべき視点を喪失するとか。
従って「劇場版」にろくな作品はほとんど無いのだが、今回はTVシリーズ自体、相応のクオリティが有ったわけで、その劇場版もそれ以上のクオリティは保証されている。だから、そのつもりで観れば充分満足、ではあるのだけど… ちょっと勿体ない気が。
巫女委員会漫画。…そうか、「そういう世界設定」だから、彼の名が「楠木」なのか。読み返していてようやく気付いた。遅すぎ?
まずは、訂正。1975年に出版された本の再刊でした。そういう時代的な限界、そして作者22歳のデビュー作という限界を前提に評価すべきだとはいえ。結論、今、読む価値は無いです。
児童文学好きだった女の子が成人してから、多分、何も考えずに書いた「行って帰ってくる物語」。冒頭の、東北弁の会話は、日本のファンタジーとしての意欲を感じさせるのだけど、別世界たる「霧のむこうの町」に着いてしまうと、途端に無国籍的な小世界で、住人は「魔法使いの子孫」だと話す有様。で、問題は、その「魔法使い」とは何かを作者が突き詰めて考えたことが微塵も感じられない辺り。働く、ということについても深く考えていないようだし。全体に、安易。しかも、安っぽい。
「千と千尋の神隠し」というスープの中に、この作品の良いところ(そんなに多くない)は全て溶け込んでいるので、映画だけで充分。
隣家の建て替え工事がようやく完了したので、昼まで眠れた。ちなみに、今日の隣家は、建て替え業者による展示会ということで、屋根中に万国旗が張り渡されていた。お祭りのイメージらしいのだが、考えてみると、祭り=万国旗というのも、奇妙な習慣。そもそも、万国旗って、誰がいつ始めたものなのか。
2巻までと比べると、真実の探求者としての春日歩の姿が少なかった気がするのが、個人的には物足りなかった。もっと、疑問を! もっとも、ボンクラーズとしては充分すぎるくらいの活躍だけど。ところで、入浴剤愛好者としては、一言、言っておきたい。「ゆかりセンセー、「登別カルルス」は『バスクリン』ではなくて、『日本の名湯』ですよ」
いや、確かに同じツムラなんだけどさ。ちなみに、ツムラは、創業者の母方の家で、中将姫を先祖の家に泊めたという由来と共に家伝薬として受け継いできた「中将湯」を明治になって、大々的に販売したのが、会社の始まりらしい。知らなかった。けれど、製薬会社とかの発祥は皆、大体そんな感じなのかも。
バーズで始まったComics版「東亰異聞」初回。無難な出来、というか、それなりに要領よくまとめていて、まぁ良いんじゃないんでしょうか。もっとも、このComics化、所詮、「あの兄弟をどれだけ美形に描くか」だけで、Fanの評価は定まってしまいそうな気がするんですが(^^;
一冊で、何冊分も楽しめる、お買い得な小説。登場人物にならって、その中で一番好きな章をあえて選べば、3章「虹と雲と鳥と」。少年少女の心の軌跡が鮮やかに刻み込まれる、さすが恩田陸という挿話。他の章、例えば出雲行も、学生の頃、松江に旅行したこともある私にとっては非常に良く分かる描写で、十二分に楽しめた。
ところで、4章のあのPartは、この小説にとっては不要な気がするのだが。いや、単品?としては非常に魅力的で、多分、この小説で最も華やかな部分だとは思うのだが、入れるくらいなら最初からそれだけで良いのでは?とも思うわけで。ちなみに、後の長編の方は、まだ読んでいない。
旅行から持ち帰った宿題として「バベルの塔」の理解、というのがある。ブリューゲルの絵を表紙に使用しているこの小説も何かの訳に立つかもと、一応読んでみることにした。
…結論的には、それほど得るものは無かった。バベルの塔は、結局、ミステリの小道具に過ぎない扱われ方だし。注意深く読んでいれば違いは分かった筈でしょ、えっへん。的なミステリには、だからどうした、と思ってしまうだけだし。もっとも、あとがきは、役に立ったので、まぁ良いか(そういう問題か?)。
そうか、バベルの塔を理解するためには、まず長谷川三千子「バベルの謎」(中央公論社)を探さないといけないのか。その本を本屋で見掛けた(気がする)のは、結構昔のような。手に入れるのは大変そうだ。あと、文中に登場する「バベルの塔」だけの画集が欲しい。
久々に、帰りに映画でも観ようか、そう思ったりするような日に限って、夕方から会議が始まったりする。今の勤め先の会議は、無制限一本勝負なので、始まったらもう諦める他ない。始まった所から終わる所まで。しかも全員一致方式。今日も、気が付いた時には5時間が過ぎていた…
LIVEで映し出された、黙示録的光景。
目撃者になるということは、否応なしに責任を負わされる、ことなのだと思う。この時代の地球の片隅に生きていることの責任。…そんなもの、どうやったら取り得るのか、そもそも、幾らかでも取り得るものなのか、見当も付かないけれど。それでも。
昨日、何もなければ、書くつもりだったのは、相米監督の映画について。
残念ながら、彼の熱心な観客では無かった私は、その訃報に際し、自分にとって、これだ、という映画を思い浮かべることが出来ないまま、関係者の弔辞を眺めていた。その中で、牧瀬里穂の名が目に留まる。あれ、何でだっけ? 「東京上空いらっしゃいませ」の主演。…ああっ、そんな映画があったことも、すっかり忘れていた(^^;
とはいえ、その題名を見て、すぐ思い出したのは、あの映画を観終えた時の、非常に幸せな気分。牧瀬里穂の、新人女優としての、あの時期しか出せない輝きに、ウエルメイドなコメディの暖かさ。勿論、相米作品といえば、もっと傑作と言える作品はいくらでも有るわけで、愛すべき佳作という出来に留まるとは思うのだが、あの映画を思い出したことで、監督の死を初めて、実感出来た気がした。もう一度観てみたい、と思った。
帰りに本屋に寄って、紫堂恭子の新刊を買う。宇河F弘樹「仁義なき裸足の忠尋」弐巻も出ていたので買う。バーズは…まぁ良いや、その内で。
台風。夕方から雨も止んじゃうし、とか訝しげに思っていたら、つい先程から強い風雨が戻ってきました。
適材適所、という言葉が相応しい例。えのあきら、という作家と、サンデーGXという、やや趣味的な雑誌のカラーがピタリと填った感じ。そうそう、作者にはこういう作品を前から、一度描いて欲しい、と思っていたのだ。とにかく、描きたいことを描いているのが伝わってきて、読んでいて気持ち良い。キャラクターや語り方は、相変わらず達者だし。
伊藤伸平+ラブコメ。これは、どうみても適材不適所、の筈が意外にも、スマッシュヒットだった例。とはいえ、いわゆるラブコメではなくて、文化部日常漫画というタイプ。「月は東に日は西に」とか。ああ、そうか、どこかで読んだことがある感じだと思ったら、わかつきめぐみ作品での、淡々とだけど着実に時は流れていく、あの楽しいけれど何故か切ない読後感に良く似ているんだ。主人公の少女が、戻れない時間のかけがえの無さを実感するまでの「はるかリフレイン」も同様。
それにしても。こうしたのどかな学生生活と別れを告げてからの、この十年で、私は何か変わっただろうか。変わらない日々の繰り返しの後で。ええと、ええと… フカく考えないことにしておこう。
NHKスペシャル「日本人 はるかな旅」2回目。今回は、「我々は南から来たんだ」(「ヤマタイカ」)な人達。
2万年前、インドネシアの辺りにあった巨大な半島、スンダランド。地球温暖化により、その土地の大半が水没していく中、住んでいた人達の一部が、舟で移動を始める。フィリピン、沖縄を経て、(1万2千年前に九州側へ流れが変わった)黒潮に乗り、南九州へ。そこで9千年前、豊かな集落を気付き上げるが、6千5百年前、海中火山の大爆発により、滅亡してしまう… しかし、彼らの文化は、更に黒潮に乗って、日本各地に受け継がれていく、というストーリー。
相変わらず、星野之宣の漫画並に、面白い番組(真実はどれくらい含まれているのかは知らないが)。
そうか、最近のOLが、バリとかのアジアンリゾートへ行きたがるのは、遠い祖先がスンダランドで楽しく暮らしていた頃の無意識の記憶のせい? ←発想が飛躍し過ぎ、です。
旅行記、休日の一日を使っても一日分のペースでしか進まず。ということは、終わるまであと5日も掛かるのか… 精神的に挫けてきたので、自分を追い込む、というか、続けさせるために、出来上がっている分だけ先に、公開していくことにする。本当は、完成後、一日毎に更新していくつもりだったのだけど、完成なんて、いつになるかわからないし。
まずは、旅行記初日まで。基本的に、今回の旅を記憶しておくための個人的なメモなので、(もし読まれる方は)余り期待せずに、読んで頂ければ幸い。
この土日は、家にずっと引き籠もっている?予定なので、今日の帰りに、「気の利いた本屋」まで行ってしまうことにする。ここなら問題なかろう、ということで渋谷のBook 1stへ。途中、消防自動車が何台もあちらこちらに止まっている。渋谷も火事? サイレンは鳴っていないし、火も見えないんだけど。まさか防災訓練、ではないよな…
目的のダイアナ・ウィン・ジョーンズは、児童書の階の、エスカレーターを降りた正面の棚であっけなく発見。まぁ、あれです。「千と千尋」フェア棚というか、ジブリ棚ということらしい。また買いに来るのも大変なので、やや重くなるが、「魔法使いはだれだ」「魔法使いハウルと火の悪魔」「アブダラと空飛ぶ絨毯」の三冊とも購入することに。
それから「千と千尋」関連書籍として今回、名前が挙がっている中で、読んだことのない柏葉幸子「霧のむこうのふしぎな町」も置いてあったので、この際、読んでみることにする。何で今まで、その名前を目にした記憶がないのか不思議に思っていたのだが、95年に出版された単行本。それならば、知らないのも無理はないか。子供の頃、当時の図書館にあったような、めぼしい日本の児童文学は大体読んだと思うけど、中学以降は、このジャンルにあえて足を踏み入れることはなかったし。まして、社会人においておや。
本当は、同じく関連書籍とされる「クラバート」も読み返してみたい気もするのだが。あれは、私にとっては、トラウマ小説、という印象。何せ「大どろぼうホッツェンプロッツ三たびあらわる」の人が書いた本だと思って読んだのに、あんな重苦しい世界だなんて、普通思わないよ(^^; 山中恒だと思って読んだら超シリアスだったみたいな。でも、そのショックを覚えている、ということは、自分の内面に引っ掛かった作品なんだろうな。(読んだことさえ)忘れてしまった作品なんか、山ほどあるわけだし。
せっかく来たので、同階のComicsの棚も少しチェック。夏以降、大きい本屋に来ていなかったので、買い洩れているもの、余りにも多し。目に付いた作品を、持ち帰れる範囲で購入。
あずまきよひこ「あずまんが大王」3巻、伯林「しゅーまっは」2巻、伊藤伸平「素敵なラブリーボーイ」、紺野キタ「あかりをください」、陽気婢「内向エロス」1巻、水原賢治「紺碧の国」、雁須磨子「ピクニック」、別天荒人「プリンススタンダード」4巻、山田章博「夢の博物誌b」。…意外に、方向性が感じられる選択かも。アワーズライト的というか。勿論、例外もあるけれど(^^;
こんな私でも、たまには社会に有益な提案をしてみよう、と思うことも有るのです。というわけで、久々に週記の方を更新してみました。
「華胥の幽夢」(WH版)、購入。いや、急いで入手する必要など別に無いのだけど、発売されているのに手元に無いと、何か不安で。今回のイラストの目玉は、やはり「書簡」なのかな、久々だし。ほたほた。
あっけらかんとした中国の怪異談の数々。それを本当に淡々と目の前で演じて見せる、という感じの漫画+エッセイ。元々、著者のイラストはかなり好きなのだが、その力の入っていない感じが、この世界によくあっていて、心地よい。全体では、どこぞの仙人とか、割と変な顔の人物が多いが、「茶肆の客」に出てくる、茶店の娘は、ちょっと可愛かった。
「イタリア通」は今週の集中放映みたいで、チャンネルを色々変えていたら、今日もやっていたので、少し驚く。
「ぼくらは虚空に夜を視る」の続編、とはいっても、前作での「ぱあん」と鳴り響く平手打ちのような、「目の覚める」瞬間に立ち会う気持ち良さはここにはない。前作が全体としては明快な少年マンガ的エンターテインメントだったのに対し、今回の作品は、より内向的な、少女マンガ的な世界に思える。
そう、生硬で、断片的なセリフで語られる思想や、他の作品への目配せ等の、衒学的な意匠を捲っていった末に現れるのは、余りにも古典的な、自分だけの世界にいる少女の姿なのだ。ただ、それが、文字通り、絶対の孤独として描かれる辺りが、この作者特有の感覚なのかもしれない。
などと書きながら、この孤独には確かに、いつかどこかで出会ったことがあるような。SF系の少女マンガの何か? あるいは… それも単なるデジャ・ヴー(=偽りの記憶)?
先日、唐突に名前の出てきたダイアナ・ウィン・ジョーンズについては、創元推理文庫からの2冊、「わたしが幽霊だった時」「九年目の魔法」しか読んでいないのだが、どちらも「一筋縄ではいかない」複雑な構成と、キャラクターの生き生きとした魅力が印象的なfantasyで、これだけただ者ではない作者の書く作品なら、他のも普通でないことだけは間違いなく、是非読んでみたいと前から思っていたのだった。
…そうか、「気の利いた書店」を探すことから始めないといけないのか(^^;
TVを付けると、フジでホイチョイプロダクション/小山薫堂的なドラマをやっている。自称イタリア人の江守徹が、ローマのレストランで生半可な知識を振りかざして恋人に振られた男に、「40分間で一人前のローマ通にしてみせよう」とか何とか言って、ローマを連れ回し、その歴史を教える作品。「見栄講座」の頃から、全然、変わらへんやんと思ったが、つい最後まで見てしまった。
ラストは恋人を追って、ヴェネツィアへ。次回予告も「40分間で一人前の…」って、これは続き物だったのか。どうやら「イタリア通」という番組らしい。やはり、脚本は小山薫堂。
彼らの擬似教養番組の内、一番面白かったのは「カノッサの屈辱」だったと思うのだが、このスタイルにもいい加減飽きたような。「イタリア通」は、続けて見るかは不明。
高田馬場で、「PEPPER 7 ALL STARS」。この前の志穂さんのbirthday liveの続きのような、あの3人のジョイント・ライブ。
12月に発売予定の志穂さんのアルバムのタイトル名は「Climb The Mountain」らしい。川原由美子とは関係ないんだろうけど。しかし、それが「ラストアルバム」だというのは…
買い物day。
流行もののCDと文庫を3点ずつ調達して欲しいとの依頼が某所から来たのだが、CDは、店頭のtop30辺りから適当に選ぶとして、流行の文庫本って何?
悩み掛けたが、良いことを思い付く。一つの指標として、映画化された/される作品から選べば、文句無かろう。というわけで、さくっと選出終了。結果、私なら絶対読まない作品も入れてしまったが、読むのは私ではないので、それは全然問題ないし。CDはとりあえず今週1位の竹内まりやに、あと2枚を適当に下の方から選んでと。あ、竹内まりやは、私も買っておこう。
「コメットさん」のDVDを買うつもりが見当たらず、その代わりに?「大場久美子の コメットさん 傑作選」とかいうものを買ってしまう。この「傑作選」、ゲストがウルトラセブンとかタロウとかの回ばかり選んでいるようだが、色物篇? というか、この作品全体が色物だったのか? ジャケットの色がショッキングピンクなのも、不安をそそる。
本屋で、おむらよしえさんが「今日のひとりごと」でダイアナ・ウィン・ジョーンズの新刊について述べられていたことをふと思い出し、児童書のコーナーを覗く。が、出版社もあやふやな状態ではどこをどう探せばよいのかも分からず、あえなく敗退(^^;
また出直そうと思った瞬間、目の前の本棚の「マーヴィン・ピーク」の文字に目が止まる。「行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙」という単行本で、国書刊行会。奥付を見ると、今年1月の発行。知らなかった。内容は、ピーク自身の鉛筆のイラストに、漫画の吹き出しのようにワープロで打った手紙が張り付けてある体裁の、いわば絵本? ともあれ、即、購入。
マーヴィン・ピークといえば、「ゴーメン・ガースト」三部作といったその文章は勿論、独特のイラストにも非常に惹かれる作家。いつか彼の挿し絵による「不思議の国のアリス」を入手したいと思っているのだが… 国書刊行会様、この際、ついでに出版しては頂けないでしょうか?
先日、ブラームスの交響曲に飢えている話を書いたが、「聴いて元気が出る」のは言うまでもなく1番の方だった。1番は、やはりフルトヴェングラー/ベルリンフィルの52年のライブが超名盤らしいのでそれと、あと聴き比べるべく他の人のということで、ミュンシュ/ボストン交響楽団を買い、曲が思い出せない4番もついでにバルビローリ/ウィーンフィルを買ってみる。
クラシックと言えば、プラハで夜、「ドン・ジョバンニ」のオペラの人形劇を見ていて、自分は「ドン・ジョバンニ」を見たことがないのに初めて気付いた。というわけで、オペラのDVDも見ておきたいのだが、今日見付けたのは高かったので、ちょっと躊躇。所詮、セリフが分かれば良いのだけなので。
帰って、1番を聴いてみる。まずはミュンシュの方。雄々しい演奏だというのは分かるのだが、ピンと来ない感じ。この際、フルトヴェングラーの方も聴く。…おお。これは凄い。モノラルで音質は決して良くない上に聴衆の咳が絶えないのだけど、真髄という言葉を使ってしまいたくなるような、気合いの入った演奏。なるほど、これは確かに名盤と呼ばれるだけのことはあるような。
しかし、もっとお気楽に、ながらで聴けるようなCDも欲しいんですが。精神性は無くて良いので(笑)、音が良くて、華麗で軽快な感じの。そういうのなら、やはりカラヤン?