3rd day
(今日の予定) ドナウ曲がりを経て、ウィーンへ
- 朝食。昨日とは食堂の場所が変わっている。混んでいるためか、入り口でウェイターが交通整理をしていて、なかなか入れない。しかも彼が、大人数のグループばかりを優先して案内するので、一人の私は、いつまで経っても入れない。怒って、人差し指を挙げ、One,One!と叫んでいると、同じように叫んでいた、どこかの国のおっちゃん含めて、諦めたらしく通してくれた。やっぱり、こっちでは自己主張しないと駄目だよな、と思う。
- 部屋に戻って荷物を畳む。ああっ、昨日、洗濯した服、乾いていないよ。また今夜、洗い直しだとうんざりしながら、スーツケースに入れる。今日は、バス移動ということで、朝9時半出発。時間がまだあったので、近所のスーパーへ出掛け、売っている物を見る。レジの前の棚に、ポケモンのPetsが売っているのを発見。ハンガリー語で説明が書いてある、ポケモンPetsなんて、小学生にあげたら、受けるかもしれない、と一瞬、思ったが、よく考えたら、小学生の知り合いはいないので、買うのは止める。
- 戻ってバスに乗り込むと、ほぼ既に満席。…しまった、敗北した。というのは、今日のコースはドナウに沿って北上するわけで、窓の景色には明らかに差があるのだが、右側、景色が良い方が埋まっていたのだ。ううっ、ポケモンなんかにうつつを抜かしているのではなかった。
- 車中、前の中年の男性は、ずっとビデオを回している。ビデオでの録画というのは、自分の身の回りの空間を勝手にずっと占有する行為だと思う。ビデオを回している前は、なかなか通りにくいでしょ? 私からすれば、外でタバコを吸う人と同じくらい周囲に無神経かつ迷惑な行為である。
- などと考えている内に、バスはドナウ曲がりの角、即ち、そこで大きく左に曲がっている角の上の丘、ヴィシェグラードに辿り着く。昨日の反省の下、今日は半袖にしたのだが、高台だけあって昨日よりは涼しい。とはいえ、30度以上はあるようだが。
- ここでは、20世紀になってから再び発見されたとかいう城塞跡から、遙か下方のドナウの流れを見渡す。この景色を表す四字熟語と言ったら、100人の内、66人くらいは「風光明媚」というに違いない、と思う。しかし、「風光明媚」というのは、もしかしたら中国伝来の言葉かもしれない。長江辺りの。となると、もっと湿った景色を指す言葉なのだろうかという疑問が浮かぶ。普段は全然気にも止めないことが、日本語と関係のない国では、えらく気になるというのも不思議な話だ。
- 駐車場には土産物屋もあったが、帰ってさっさとバスに乗り込み、一番後ろの席から、誰かの荷物を余所に排除し、右側を確保する。これは、ここから西に向かう(従って右が日陰になる)、という点からも絶対必要なことなのだ。sol
y sombraって、ハンガリー語で何というのかは知らないが。
- バスはしばらくドナウにそって走っていたが、その内、河とは別れ、一面の畑の中をひた走る。とうもろこしとか、ひまわりとか。一面に広がるひまわりを眺めていて、思い浮かぶものはゴッホの「ひまわり」でも、デ・シーカの「ひまわり」でもなくて、谷山浩子の歌だったりする。……。 ひまわり、(こういう育ちから抜けきれない)私を助けて。
- バスは昼食の場所ということで、古都エステルゴムに着く。今でも大司教がいる大聖堂がある街。国家仏教があった奈良みたいな所。駐車場から石段を登って教会へ。で、でかい。屋根に立っている人がまるでマッチ棒のような小ささ。中に入って、ちょうどドイツ人観光客らしきグループが、賛美歌を合唱するのに出くわす。そういう目的のツアーなのか、手にビニール袋とか持ったままのラフな格好で歌っているのだが、彼らの合唱が響き出すと教会内は非常に荘厳な空間に包まれる。ちょっと得した気分。上の屋根にも立とうと、中の階段を随分登るが、昼休みなのか何なのか、屋根への入り口の切符売りが入れてくれない。かなり損した気分。教会の裏手には下の方に、ドナウ河が流れている。向こう側はスロヴァキアか。
- 階段の下の、石壁の中のレストランで昼食。観光客独占販売、ということで、混雑していて、しかも暑い。食事はスズキのムニエルのようなもの。ウエイターが「suzuki」と言って置いていったので、ハンガリー語で何というのかは分からない。ハンガリーで食事するのは最後なので、飲み物はトカイワインにしてみる。ハンガリー特産として、有名な貴腐ワイン。飲んだ感じは甘い。林檎ジュースのような甘さだ。
- そういえば飲み物はその都度、各自注文の上、現金で別途精算なのだが、大家族の一つが、もう最後だと思ってハンガリーFtを使い切ってしまったと添乗員にごねる。端から見ていて、あんたら、大人げないよ、と思う。ここで食事になることくらい当然、分かっていることだろう。添乗員もむっとしたようだが、とりあえず自分のFtを貸しましょうか、と聞くが、その家族は飲み物なしで通したのだった。部屋は暑いし、何というか、そういう有様を目にするのは、不快。ちなみに、目の前の物にケチを付けたがるじいさんも、ビデオを回し続けのおじさんもその家族の一員。ルサンチマン一家。出来るだけ、彼らには近付かないようにしようと思う。
- デザートが来るまで、やたらと待たされる。ずっと黙って待っているのもあれなので、このエステルゴムからドナウ側の眺めは綺麗に見えるけど、実は向こう岸はスロヴァキアの工業地帯で、その煙突の煙がこちらに流れてくるので、その公害問題で両国間が揉めている、とか行く前に新書で読んだことをつい滔々と周りの人に語ってしまい、その後、、これでは、聞き囓ったことを得意げに吹聴する嫌な奴だと、思いっ切り後悔。食事の席で、蘊蓄を説きたがる奴ほど(ラーメン屋のカップルの男に多いような気がする)見苦しい者はいないと常々思っているというのに。
- そんなこんなで、他人や自分の嫌なところを見てしまった昼食後、バスはまた、ひたすら畑の中を走っていく。段々、意識も遠くなってきた頃、国境近くへ。その手前のガソリンスタンドでハンガリー側最後の休憩。残りのFtの小銭はここで使い切った方が良い、ということで、ペプシのペットボトルを買う。コカ・コーラはどこでもあるけど、ペプシは久々で、この二日、こちらの何だかよく分からないミネラルウォーターや、アイスティーばかり飲んでいたので、ちょっと感動する。
- そういえば、こちらではミネラルウォーターは炭酸入りの方が普通だけど、日本人にとって炭酸入りの水が美味しく感じられないのは何故なんだろう。清涼飲料水だとかビールだとかで有れば炭酸入りで問題ないわけなのに。逆に、こちらのひとが炭酸入りを好むのも何故なのか。入ってないと飲んだ気がしないのか。この好みの違いには、もっと深い意味が隠されているような気もするのだが…
- 気が付けば、雲行きが怪しくなっており、これから向かう西側の空には、まるで「ターミネーター」で、親子が最後に向かう方向のように黒雲が湧き出ている。私たちのバスが出る頃、JTBのバスが同じ場所にやってくる。出発するのはこっちの方が先なので、「勝った」と思う。いや、何に勝ったのかはよく分からないが。
- 国境をあっけなく越え(一番、easyなタイプの管理官だったのことで、日本人の観光客というだけで、パスポートチェック等もなく、そのまま通過)、オーストリア側へ。勿論、国が変わったからといって、風景が大きく変わるわけではないのだが、畑もハンガリー側が粗放的という感じだったのに対し、こちらではより細かく手入れされているというか、一つ一つの区画が小さくなっている感じ。ぽつり、ぽつりと降り出した雨は次第に、窓ガラスに貼り付くようになってきた。
- とはいえ、それ以上、強くなることはなく、降ったり止んだり。途中、車窓の畑の向こうの空に虹が現れて、慌てて写真に撮ったりする。ウィーンに近付くにつれ、高速道路は段々と混み始め、渋滞の兆しが。しかし、止まるところまではいかず、とろとろ走っている内に、いつしか、コンクリートのビルの谷間を走るようになっていた。
- 今回、私たちが泊まるのは、13区、シェーンブルン宮殿の横の、パークホテル・シェーンブルーン。市中心部からは、南西だ。しかし、全員の部屋が確保出来なかったらしく、4人だけはドナウの向こう側にある22区のホテルということで、こちらは北東。全然、方角違うやん。とりあえず、北東の方からということで、ドナウを渡って、そのホテルへ。その後、道を引き返し、北駅を通り、リングを時計回りで半周、ウィーン川に沿って、シェーンブルーンへ。それにしても、車窓から見るだけでも、ウィーンはさすがに綺麗な都市で、建築好きにはたまらない街だろうなと思う。
- 天気が悪いこともあり、時間は7時だが、辺りはすっかり暗くなっている。それだけに、ホテルのロビーの赤い絨毯にはっとする。照明は、勿論シャンデリアだし、フランツ・ヨーゼフ1世のお馴染みの髭を生やした肖像画が掛かっていたりと、ハプスブルグ趣味?に満ちたホテル。なのは、良いんだが、部屋に辿り着くまでに数百メートル歩かされるのは、どうにも。増築した新館の一番奥の部屋なんだけど。有馬とかの温泉ホテルじゃないんだから、と言いたくなる。
- 肌寒いし、レストランで食事ということなので、せめて長袖に着替えたかったのだが、荷物が部屋へ来るのを待っている時間が無かったので、やむなくそのまま出掛けることに。傘も荷物の中で、出せないままだ。廊下で、あのトロい家族のご主人と一緒になる。私も半袖だし、人のことはとやかく言うつもりもないのだが、しかし、そのTシャツ一枚の姿はどうかと思うぞ。しかも、変な漢字が書いてある謎のTシャツ。とはいえ、口に出すのは勿論、「寒くなりましたね」とか当たり障りのない会話だけ。
- バスはさっきの逆方向に、ウィーンを横断、4名を拾ってから、街中へ戻る。添乗員がレストランの場所を見失い、暫く団体ご一行で彷徨うが、ようやく場所が見付かり、入る。トロい家族4人と、若い夫婦と一緒のテーブルになる。
- ここで出てきたのは、チキンソテー。そう、狂牛病だか、口蹄疫だかのため、このツアーでは牛肉のメニューは取り止めたのだそうだ。…まぁ、それは仕方ないとしよう。しかし、ここのチキンは酷すぎるだろう。カチカチ。いかにも、観光客向けに手抜きの料理を出している店、という感じ。大体、ウィーンで、「ウィーンナーコーヒー」という名前のメニュー(日本語)がある、というだけで、どう考えても、駄目でしょ、ここは。京都に京風ラーメンがないように(今はあるかもしれない、嵯峨野辺りに)、その手の飲食物は、余所の土地での紛い物でしかないんだから。
- 隣のテーブルに座っていた、あのじいさんは、今度はホテルの部屋にケチを付けている。冷房が無くて、暑い、ということらしい。それは仕様でしょ。外は涼しいので、少し窓を開けてもらればと添乗員が言うと、虫が入るとか、殺虫剤はあるのかとか。グチグチとマイナス思考が続く。
- 私は昔から「おばさん的思考」というものがある、と思っている。それは現状をただ受け入れてしまって満足する諦めの思考で、例えば、京都にいた頃、いつ紅葉を見に行っても「今日みたいな良い天気の日に、紅葉を見ることが出来て良かった」とか「雨が降っていて、綺麗になった紅葉を見ることが出来て良かった」とか、その他、有りとあらゆる理屈を付けて現状を肯定しようとする観光客のおばさん達に出会った。彼女たちには、他の日に訪れる、という選択肢は無かったのだから、それは生活の知恵、なんだろうとは思う。しかし、毎日のように紅葉を見ていた私からすれば、本当に綺麗な時期はほんの一瞬しか無いのが真実だ。というか、その年は、綺麗にならないことだってある。そういう真実に直面するのを避け、ただ、目の前の現実を無批判に肯定する有様、それが「おばさん的思考」に他ならない。
- しかし、その逆もある。「おじさん的思考」ということになるのか、現状を全て切り捨て、価値を貶めようとする思考パターン。これは、もっとつまらない生き方だろう。このじいさんはまさにそれ。物事を否定することでしか、自分をアピールできないスクルージ。年を取った顔には、本人の責任がある、と言われることがあるが、この老人は恐らく、つまらないと永年言い続けてきた結果、苦虫を噛み潰したような顔になっている。…私は、ああいう顔にはなりたくはない、と思う。
- 誰にでも開かれた街/求めに応じて姿を現す街、という区分がふと頭に浮かぶ。多分、ウィーンは後者。私自身がどれくらいの深さで、この街を理解できるかはよく分からないが、このじいさんに至っては、求めようとする謙虚さが微塵もなく、従って、ウィーンを楽しむ、その資格自体がない。
- 大体、ツアー客は余りにも安易すぎる。自分が貰うことしか考えていない、という態度。しかも、排他的で、自分達のグループだけで更に小さく固まろうとして。そういう人達は、痒いところまで手が届くような、もっと贅沢なツアーにでも参加すれば良いのに。
- …食事の帰りのバスで、頭の中で一人、興奮していることに気付く。雨のせいか。疲れているのか。他人のことを気にするなんて、私らしくもない。
to be continued.
home, index, diaryへ