参考図書


・旅行に行く直前に、フランドルの画家について最低限?のことは理解しておこうと読んだもの。中には、そうでないものも含まれていますが…
・日記に書いた感想を転記しているので、くだけた表現となっているものが大半です(またか…)。
・画家毎に、トピック分けしています。行く前に書いた文章なので、現地で見ようと思った絵を「今回の予定」として挙げています。実際に見た感想については、旅行記の方をご覧下さい。


索引

Hieronymus BoschPieter BrugelJan Van EYCK
Jan VermeerEugène FromentinAlbrecht Dürer
Pieter Pauwel RubensWalter Spiesothers

ボッシュ(ボス)ブリューゲルファン・アイク(エイク)
フェルメールフロマンタンデューラー
ルーベンスヴァルター・シュピースその他


Hieronymus Bosch

その代表作(以降、Web Gallary of Artの該当ページをリンク)。

 (パルコ美術選書)「ヒエロニムス・ボッシュ」 ハインリヒ・ゲルツ PARCO出版

 (新潮美術文庫)「ボス」 新潮社

 ボッシュという画家の捉えどころの無さは、名前からして既に始まっている。ボッシュ?ボス?ボッス? 前書の訳者によると、ボッシュという読み方はドイツ語読みであって、現地的に発音すればボスになるとのこと。日本では、どうやらドイツ圏経由の紹介が多かったことで、「ボッシュ」が定着しているらしい。

 どう読むにせよ、BOSCHとは、住んでいた町の名「セルトーヘンボッス」(ドイツ語読みでは「スヘルトーヘンボッシュ」)から来ていて、本名はファン・アーケンだという。ボッシュとは外国人顧客向けのサイン名だったらしいのだ。つまり、横浜市民がハマっ子と呼ばれるようなものか(かなり違う)。

 しかし、本人の履歴を調べれば(というほど、残っていないが)、その絵が分かるわけでは無くて。むしろ「完全に分かることなど無い」のがボッシュなのだが、そうは言っても、丹念に絵を見れば分かること(あるいは想像出来ること)とそれでもお手上げなことがあるわけで、前者に関して、主要作品の全てに対して解説しているのが、前書。

 勿論、その妥当性は、本人の名前で躓いているような私に判断出来るわけもないのだが、年代順での作品の変遷をイメージとして掴めたので、一応、良しとしようかと。

 とはいえ、図版は白黒。かつてプラドで見た作品は良いとしても(でも大半の細部は忘れていた)、他はカラーで見ないとピンと来ないな、と後書も購入。ただし、昭和50年の出版なので、印刷技術はかなり苦しい… というか、駄目? TASCHEN位は必要かと後に英語版(だけだった)を本屋で見たのだが、印刷はともかく、今一つな印象は同じ。元々の画面が大きいので、縮小してしまうと、肝心なところが伝わってこないのだ。つまり、実際に見ないと駄目な画家の一人 。

 

 今回の旅でのボッシュ(予定)。

 ボイスマンス・ファン・ベーニンゲン美術館「大洪水」「聖クリストフォロス」「カナの結婚」「放浪者(放蕩息子の帰宅)」。ブリュッセル王立美術館「キリスト架刑」。 グルーニング美術館「最後の審判」。ゲント美術館「贖罪する聖ヒエロニムス」「十字架を負うキリスト」。

 特に人間不信の極北たるエゴイスティックな顔で埋め尽くされた「十字架を負うキリスト」と、表情で人生そのものを感じさせる「放浪者」が同じ作者の晩年に共に描かれたことの凄さを実際に見てみること。

 ちなみに、「快楽の園」に匹敵する作品といえば、リスボンにある「聖アントニウスの誘惑」らしい。さすがにその絵のため、リスボンへ行くことは一生ないと思うけど。でも、ベネルクスに行くことがある、とも一月前まで思ったこともなかったし…

 

 ところで、何故、その画家の絵を見たいか、という肝心なことを書くのを忘れていた。

 ボッシュに関しては、「快楽の園」を目にした時の強烈な印象から全ては始まっている。その出発点が無かったら、今も縁遠い画家だったのは確か。

 とはいえ、中世人であるボッシュと今の私達では世界観が離れ過ぎていて、思っている以上に、本質的なところは 「分からない」のが実際だと思う。同時代でもレオナルド・ダ・ヴィンチなら「分かる」気がするのと比べれば、なお一層。しかし、ごく部分的にしか理解出来ないとしても(いや、解けない謎に満ちているからこそ?)、ボッシュの絵には、強く惹き付けられる。

 結局、登山家の有名な言葉ではないが、ボッシュの絵を何故見るかと言えば、そこにボッシュの絵があるから、というのが一番素直な返答。…説明になってない?

 

Pieter Brugel

勿論、(父)の方。その作品

 「ブリューゲル」 ローズ=マリー・ハーゲン/ライナー・ハーゲン TASCHEN

 「ブリューゲル・さかさまの世界」 カシュ・ヤノーシュ 大月書店

 ブリューゲルについては読むと書いたような記憶もあるのだけど、適当なものが見付からなかったので(森洋子の本は高いし)、前に買ったTASCHENの画集だけで、まぁ良いや、とお茶を濁す。しかし、今さら読んでも遅いよ、という気も。ウィーンに行く前に、それこそもっとちゃんと読んでおけば良かったのだが。

 まぁ、ブリューゲルについて理解を深めるのはライフワークの一つとして、晩年の楽しみに取っておこうかと(言い訳)。本人は、代表作のほぼ全てを12年の間に描いていて、40台前半では既に亡くなっているらしいけど。

 TASCHENの画集は値段の割にはお買い得。作品の点数が画集にちょうど良い画家だということも有るのだけど。「ネーデルランドの諺」118個全解説は素晴らしい。

 後者は、ブリューゲルの絵(「子供の遊び」「ネーデルランドの諺」「バベルの塔」)の細部に描かれていることを平易に説明している(子供向けの)本で、元々はハンガリーの絵本。こういう絵本を楽しんで育つ子供が羨ましい。

 

 ところで、ブリューゲルの絵の魅力といえば、そういう細部の魅力がまず有るのは当然だが、同時に「全体」を感じさせる絵だというのも大きいと思う。特権的な主人公の動作に画面が集約されることがなく、沢山の人物が各自の意思で動き回っていることで描かれる「社会」「全体」の姿。「風景」も同様に「全体」として広がっている。

 しかし、画家は「全体」を認識し統合する眼差しを求めつつ、その視線の「力」に対する自制の必要性もまた常に意識していたようにも思える。「バベルの塔」や「イカロスの墜落」といった作品を好んで描いたのも、高みの視線への欲望とそれに対する心理的な抑制、と捉えると納得し易い。

 といった無責任な心理分析はともかく、彼の絵の魅力は、部分と全体、その両方向へ見ている者を誘うところにある。と今考えてみたのだが、どうか。(どうかと言われても…)

 

 さて、今回のブリューゲル(予定)。

 ボイスマンス・ファン・ベーニンゲン美術館「バベルの塔」。マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館「狂女フリート」「12の諺」。ブリュッセル王立美術館「反逆天使の墜落」「ベツレヘムの人口調査」「イカロスの墜落のある風景」。

 多分、今回の旅行のクライマックスの一つになると思われるのが、ブリュッセル王立美術館のブリューゲル室。特に「反逆天使…」は写真で見るだけでも愉快な絵なので、実際に見てみるのが、とても楽しみ。

 10年振りの再会となるロッテルダムの「バベルの塔」も、せっかく二度目の機会だし、今回チェックすべきことを事前に考えておいた方が良さそう。まずはもう一度、原寸大ポスターをよく眺めてみることにしよう。ちなみに、長谷川三千子的な見方では評価されていないけど、私はむしろ、こちらの方が好み。

 

Jan Van EYCK

 本来なら、フランドル絵画を見に行く、という以上、ヤン・ファン・アイク(エイク)がまず筆頭に置かれるのが、当然なのだと思う。油絵画法の完成者にして、絵画表現の完成者。最初にして既に最高峰というのは、例えば漫画における手塚治虫みたいな存在。

 とはいいつつ、彼(及び兄)の絵については、今までほとんど意識したことがなかった。

 絵画と鏡の関係についての話にはヴェラスケスの「ラス・メニーナス」と並んで絶対に引用される有名な作品「アルノルフィーニ夫妻の肖像」(実は「プリンプリン物語」のブリカ殿下にちょっと似ている)の作者だったと言われてみれば、ああそうか、とは思うものの、ロンドンにある実物を見たことはないし、まして日本で彼の絵を見る機会などまずない。

 ベルギーを回るツアーのパンフには、『ゲントの聖バーフ教会の「神秘の子羊」にもご案内します』と必ず書かれているので、今回初めて、そういう絵があると知った位。…フランドル絵画とか騒いでいるようでも、私はそんな程度の知識しかないのです、ええ。

 というわけで、知れば知るほど、深く反省。レオナルド・ダ・ヴィンチと同じ位の敬意が払われてしかるべき画家であり作品だと思う。というわけで、恐らく、今回後半のハイライト。

 「ヤン・ファン・エイク<ヘントの祭壇画> 教会改革の提案」 ノルベルト・シュナイダー 三元社

 まずは、その絵を見て貰うとして。(なお、本のタイトルでは「ヤン」だけだが、通常、ファン・アイク兄弟の作品として言及される)

 「作品とコンテクスト」シリーズの一冊。著者は、画面の分析を通して、そこには「未来の神の国」という神学的な教義だけではなく、寄進者の改革主義的な教会論も含んでいると見る。つまり、上部のパネルからは一見、王権と教皇権の争闘の中で教皇権の絶対的優位を示しているように見える(神の頭上の冠=教皇の冠、足下の冠=皇帝の冠である)が、下のパネルには、平等性の原理と、教皇に対する公会議の優位性が表現されているとして、寄進者の改革主義としての理念の表明を読みとる。

 と乱暴に要約してしまうと、単なる思い付きみたいだが、その真偽はともかく、実際の分析は極めてシャープで、説得力はあった。そうそう、こういう文章が読みたいのですよ。とりあえず、ここに描かれている人物がそれぞれ誰か分かっただけでも、充分に役に立ったし。

  ちなみに、この絵には、現代まで色々なドラマが有ったりするのだけど、その辺はこのページに詳しい。

 

 今回の初期フランドル絵画(予定)。

 ヤン・ファン・エイク。アントワープ王立美術館「泉の聖母」「聖女バルバラ」。グルーニング美術館「参事会員ファン・デル・パウエルの聖母子」。聖バーフ教会の祭壇画。

 メムリンク。アントワープ王立美術館(修理中?)、ブリュッセル王立美術館、グルーニング美術館、そしてメムリンク美術館。

 

Jan Vermeer

 「どこへでも見に行きたい」のを一枚の絵ではなく、一人の画家とした場合、日本で、そういう「熱心なファン」が一番多いのはフェルメールではないか、という気がする。全作品でも三十数点と数が手頃なせいもあるのだろうが、一度その熱に取り憑かれてしまうと、世界各地に分散した作品を全て制覇するまで「巡礼」の旅を続けたい、と思うようになるらしい。

 幸か不幸か、私はフェルメールにはさほど思い入れはないのだが、しかし、オランダに行く以上、国立博物館やマウリッツハイス美術館のフェルメールも見てこないと、と思うのは言うまでもない。

 

 (六耀社アートビュウシリーズ)「フェルメール」 編著・小林頼子他 六耀社

 数人の筆者がそれぞれの分野からフェルメールの特色を説明する入門書。一見、厳密な規則の下に描いているようだけど、実は作品の仕上がりを考え、割と臨機応変でもあったというような話(若干、強引な要約)。

 ところで、編者・小林頼子による「フェルメールの妻と女性観」の章は、妻カテリーヌを「悪女」として想像するという箇所に、やけに熱が入っているのが謎。もしかしたら、今まで伝統的に「貞女」「孝女」としての妻像が永らく語られてきたことへの著者の積年の恨みがこの機会に表面化した?と想像はしてみるものの、その辺の経緯を知らない者が読むと、いきなりどうしちゃったんですか、と言いたくなる。想像で語るだけならゴシップと同レベルという感じで、正直、やや違和感が。

 

 「フェルメールの世界」 小林頼子 NHKブックス

 その著者が、フェルメール研究は冷静かつ客観的でなくてはいけないと主張する、フェルメールの基本的な解説書。どうして、そういう話になるかというと、有名な20世紀の偽作事件に関係者が巻き込まれた背景に、文学的な印象批評から抜け切れていなかった研究者の甘さを自戒と共に反省するところから来ている。それにしても、他人事として読んでも、面白いと共に、充分に「痛い」話なので、関係者にとっては、さぞ情けなくて腹立たしい事件なんだろうな、とは思った。

 今回、その贋作を実際に見ることが出来るのか、ちょっと興味津々。

 

 (赤瀬川原平の名画探検)「フェルメールの眼」 フェルメール(画)赤瀬川原平(文・構成) 講談社

 いつもながら、目の付け所は的確ではあるのだが、突っ込みがやや不十分というか、物足りない気はする。先輩「写真家」であるフェルメールに対する遠慮でも有ったとか? ともあれ、赤瀬川原平が言うように、フェルメールの魅力の一つが、スナップショット的な「臨場感」、今その瞬間に立ち会っているような錯覚を呼び起こすところにあるのは確か。もっとも、実際には、立ち会っているというより、影から覗き見している、という方が正しい気もするが 。

 最近の出版物だけ有って、絵の印刷は非常に綺麗になので、画集と割り切っても買うだけの価値はあるかも。

 

 「フェルメール」 ノルベルト・シュナイダー TASCHEN

 というわけで、こっちの画集は買う必要は無かった。印刷も今一つだし、文章もやや古いレベル(だと思う。よく知らないが)。後ろの地図と政治的イデオロギーの関係の記述とか、それなりに興味深い話も少しは載っていたけど。

 …これ位読めば、必要最低限の知識としては宜しいのでしょうか? いや、先ほどのフェルメールな人達だと、フェルメールのことなら関連する書籍も全て読んで当然、みたいな雰囲気があるようなので。

 

Eugène Fromentin

 先人の旅の記録。まずは1875年の美術鑑賞記。

 「昔の巨匠たち」 ウジューヌ・フロマンタン 白水社

 ガイドブックなどで何度も「フロマンタンが書いているように…」と引用されているので、気になって読んでみた。

 フロマンタンは19世紀後半のフランス人で、画家でも作家でもあった人。当時のサロンで絵画部門の選考委員を務めていたことからも、当時の著名な「文化人」の一人だったことが伺える。そのフロマンタンが晩年、オランダ・ベルギーを旅行した時に見た多くの絵画の感想を通して自らの絵画に対する考えを示した、のがこの本で、ゴッホやプルースト等、多くの者に影響を与えた名著であるらしい。

 …うわぁ、思っていた以上にめちゃくちゃ面白い。

 確かに、現在では全く別の画家によると判明している絵画を指して、誰それの資質がよく表れている傑作と断言しているような誤りは多いし、大体、傑作かそうでないかを自分の審美眼だけで決めている辺りの自分に対する疑いの無さには、さすが19世紀的文化人、やや呆れもするのだが、そういう古さを超えて、絵の前に立って考えたこと、そして感動したことがリアルに伝わってくるその文章は、123年!経った今読んでも全然古びていない。

 こういうのが読みたかったのだ。というか、これ、私と同じタイプの文章ではないですか。勿論、レベルは全然違うわけだけど。

 後半の山場は、レンブラントの「夜警」批判で、私としては当然、結論には頷けないのだが、そこに至るまでの分析には感心させられる。(フェルメールについては余り注目していないのだが、著者の理想の絵画はどうやらフランス・ハルスにある(つまり、活き活きとした自然な表現)らしいので、評価しないのは不思議ではないのかも)

 というわけで、3900円という定価も安い位だ、と満足して読み終えたのだが、その後、別の邦訳が岩波文庫でも出ているらしいことを知る(^^;; …いや、初の完訳らしいし、豊富な図版も役に立ったし、訳も読みやすかったし。惜しくなんか、全然無いですよ?

 

Albrecht Dürer

 「ネーデルラント旅日記1520−1521」 アルブレヒト・デューラー 朝日新聞社

 正真正銘、あの画家デューラーの日記。だから、こちらは500年近くも前の旅の記録。これもガイドブック等で(主に、ゲントの祭壇画の所で)引用されるので、気になっていたところ、邦訳が出ているのを発見して、思わず購入してしまった。ちなみに、こちらは3800円。

 …あぁ、思った通り、つまらない(笑)。勿論、これはデューラーが悪いわけではなくて。大体、これは日記というよりは、収支記録帳、つまり家計簿とでもいうべきものなのだ。

 〜(を買うの)に幾ら支払った、〜へ行き(交通費として)幾らを支払った、〜(主に版画)を売り幾ら手に入れた、という記述がひたすら続く。誰かに奢って貰った結果、支払わなくても済んだ食事代まで推定して付けている辺りの細かさには、恐れ入る。その代金もペニッヒ、シュトゥーバー、グルテンと言われても、全然ピンと来ないのだが、訳者による推定値(ローストチキン1羽=10ペニッヒを2千円として計算。1ペニッヒは200円、1シュトゥーバーは2000円、1グルテンは5万円とお考え下さい)を信じて、日本円に頭の中で両替しながら読んでいたのだが、途中で面倒になって止めた。とにかく、お金の支払いばかりである。 あと、賭には毎回負けているのがおかしい。

 なお、記述によると、当時のデューラーの絵はもの凄く高くはなかった。版画で数万円、絵画でも高くて100万円位(推定換算値)で売っている。買って置けば、一財産だ(500年ほど保管しておく必要はあるけど)。

 ところで、私はデューラーに会ったことは無いが、話に聞く限りでは、「会いたくない」人物である。自分を売り込むことに長けた自意識過剰(少なくとも過小ではない)な画家。初めて自画像を、しかもキリストの似姿として描いて見せた、というエピソードが有名だが、他の絵も作者の自己主張が強く感じられ、巧いかもしれないが好きになれないのが多い。

 しかし、この日記ではそういう自己主張の必要性がないからか、素顔のデューラーが感じられ、好感が持てた。中でも、唐突に差し挟まれるマルティン・ルター追悼文の生々しい感情の強さには、感動させられる。この事件(ルター逮捕のニュース)が無かったら、この日記がただの「画家の小遣い帳」で終わっていたと思うと、皮肉ではあるが。

 美術史的な興味から言えば、ファン・アイク兄弟の祭壇画を具体的に褒め称えている部分がやはり印象深い。ボッシュがかつていた街(スヘルトーヘンボッシュ)に通りながら、教会に会った筈の作品を見た気配がないのは勿体ないと思うが、でも、デューラーにはボッシュは分かるまい(^^;;

  なお、ネットで見付けた、現代の旅の記録として。村田真氏によるアートレポート。山科玲児氏によるベルギーオランダ旅行

 

Pieter Pauwel Rubens

 今までの中では、フランドルの画家として当然出ているべき名前がまだ1人欠けているのだが、言うまでもなくそれは、デューラーが滞在したその百年後のアントワープで活躍したルーベンスその人に他ならない。

 今回、ルーベンスに関して特に何かを読むことはしなかったのだが、フロマンタンのルーベンスの章は非常に素晴らしく、これを超える(日本語で出版された)文章は多分、存在していないと思うので、まぁ、良しとする。

 ところで、ルーベンスなら以前、プラドで見た分でお腹一杯という気分。新たに見たいという気は正直言って、そんなに起きないのだが、本場?で見ればまた違う感慨もあるかもしれないので、もう一度、素直に眺めてみようかと。

 とはいえ、ブリュッセル王立美術館、アントワープ王立美術館、ノートルダム大聖堂、聖ヤコブ教会、ルーベンスの家は勿論のこと、どこへ行ってもルーベンスなら有る、というその膨大な量に、どれも結局、流し見になってしまう気がしないでも。多すぎて、どの作品を注意して見たら良いのか、僕にはもう分からないよ、パトラッシュ……

 …あ。ネロは、大聖堂の絵しか知らないで死んじゃったんだっけ?(^^;; 哀れな奴(←最終シスター四方木田風に)。

 

  「フランダースの犬」 ウィーダ 講談社青い鳥文庫

 などと、適当なことを書いたが、実際に読んだことは無かったので一読してみた。

 黴の生えた19世紀の児童文学に、今さら突っ込んでもしょうがないとは思うのだけど。本当にどうでもいいわ、これ(^^;; ネロって、悲劇の主人公だと、何となく思い込んでいたけど、実際は、地元の誇りルーベンスのように「偉くなる」ことを願っていただけの少年だった。 「皆から尊敬され、ちやほやされる未来」を妄想して喜んでいたりするシーンまであるし。

 (アロアの父がアロアを描いた絵に対して払おうとした)絵の代金の受け取りを拒否する辺りの妙なプライドも理解出来ないところ。そのお金さえあれば、ルーベンスの絵が見られるというのに。自分の絵は売り物ではないと言いたいらしいが、コンテストで入選して賞金を貰う(ことは期待していた)のは、それとどう違うのか。

 いわゆる「田舎者」。コンプレックスから来る、極端な自己卑下と逆に強い自尊心。だから、一度の落選で自己の全てを否定されたと思ってしまったらしい。

 普段、カーテンに覆われて見ることの出来ない2枚の絵が最後の晩、たまたま見られた、というのも神の恩寵という印象だったけど、実際に読んでみたら、夜に教会に入り込んだネロがカーテンを 勝手に!引き剥がしただけだった、というのにも驚き。月光が差してきたので絵が見えた、というのは確かだけれど、それにしても、今までの可哀想なイメージと違い過ぎだ。

 カルピス名作劇場の中で、最も「名作でない」原作だったのではないかという気がしてきた。というか、むしろ「迷作」?

 

Walter Spies

 「バリ島芸術をつくった男」 伊藤俊治 平凡社新書

 新刊時に、買いそびれていた新書。ヴァルター・シュピースの評伝ということで、前に見た「幻想美術館」のシュピースの回と重なる部分が多かったが、それもその筈、著者が監修したあの番組が好評だったため、本書の刊行が企画されたということらしい。

 知られざる(というのは、今の日本から見た場合の)芸術家ヴァルター・シュピースの人生は波瀾に富み、またバリ島を心から愛した人物として人物像も非常に魅力的なのだが、少なからず扇情的な(盛り上げるのに自己陶酔しているかのような)著者の文体が、内容の魅力に対して、却って足を引っ張っているような。もっと淡々と語った方が良いのに…

 それでも、内容は面白いので、読む価値は有った。ドイツ時代に、ムルナウの映画に美術アドバイザーとして参加していたとか、驚く話もあったし。

 文章以外にも大きく不満だったのは、シュピースの魅力を広めるための新書なのに、彼の絵や写真はどこで、あるいはどの本で見ることが出来るのか、というのが殆どフォローされていないこと。その点こそ、一番期待していたのに。何のための「紹介」なんだか。

 

 ところで。これが一体、何故、ここに出てくるかというと。芸術と人生で煮詰まっていた若い頃のシュピースがアムステルダムで個展を開き、その期間中に、市内にあった当時の(オランダ)「王立植民地博物館」でジャワやバリの芸術に触れ、脱ヨーロッパという動機を与えられる、というエピソードが登場するからなのだ。

 北のヨーロッパの港町にあった「熱帯の夢」。意外なところで知った接点だけに、印象深かった。出来れば、滞在中、「植民地博物館」を引き継ぐ現在の「熱帯博物館」に行って、私もまた「熱帯の夢」を見てみたいと思うのだが… でも、それって、初めて日本に来た外国人が、京都や奈良にも行かず、いきなり民博を目指すようなもの?
 

 (追記) ネット上で見ることが出来るヴァルター・シュピースの絵


Others

 「旅名人ブックス56 フランドル美術紀行」 谷克二・武田和秀 日経BP社

 今回の旅の目的そのもの、という感じ。美術館の室内を広角に引いて撮った写真が多く、その場の雰囲気が掴み易いのは有り難かった。ただ、実用的かというと、必ずしもそうとは言えないような。意外と重いので、ガイドブック用に現地に持っていくわけにもいかないし。結局のところ、行かない人のための紀行本?

 

 「ヨーロッパカルチャーガイド15 ベルギー」 トラベルジャーナル

 このシリーズは読んだから役に立つ、というわけでは全然無いのだけど、毎回、つい読んでしまう私。とりあえず、ベルギーは食べ物(とビール)の美味しい国だということはよく分かったが、フリッツ(フライドポテト)とかワッフルとか、カロリー高そうなものが多いのは困る… まぁ、今回はそういう目的ではないから大丈夫。…な筈。
 「フランダースの犬」に関するコラムで、かつてのTVアニメでは登場人物は昔のオランダ人の服装をしていた、と日本におけるベルギー文化の認知度の低さを説明。「オランダース(?)の犬」というか、舞台のアントワープがオランダにあると 私がずっと誤解していたのも、それでは無理もないな。と、自分の無知は全て、昔見たアニメのせいにしておくことに。

 

 「ネーデルランド絵画を読む」 吉屋敬 未来社

 女流画家である著者が、現地の日本人に対して行った講演を本にまとめたもの、らしい。元が講演だけあって、非常に読み易く内容も平易。だったので、立ち読みで済ませてしまいました。すみません。

 

 週刊「世界の美術館」 講談社

 (NO.32)「クレラー=ミュラー美術館」(NO.34)「アムステルダム国立美術館」(NO.39)「ベルギー王立美術館」(NO.53)「アントワープ王立美術館」の4冊を購入。何となく馬鹿にしてしまいがちなこの手の雑誌だけど、意識しておくべき作品を予習するという意味では、まさに最適。数年前のこのシリーズは、普通の本屋からはすっかり姿を消しており、三省堂とかそういった所まで探さないと無かった。「ゴッホ美術館」の巻なんか、どこにも見付からなかったし(ゴッホしか展示していないと思うので、別に良いけど)。

 一冊の裏表紙に今は亡きサベナ・ベルギー航空が広告を出しているのを見て、ちょっと物悲しくなった。

 


home/diary/旅行記の表紙に戻る