空の蒼さを 見つめていると
折笠富美子Liveの入金案内葉書が届いてしまう。…どうしよ。11/5、九段と千川のどちらのLiveを優先すべきか。う〜ん、う〜ん… とりあえず、入金だけはしておこうか。
BSのアニメ劇場「風を見た少年」。たまたま放送時間前に戻ってきたので、何となく最後まで観てしまう。妙な作品だった。(機会があれば後日感想を書いておきたい)
風邪から完全復活していないらしく、帰宅後に何かをする気力がない日々が続き、更新する気力も同様だった(現在も余り変わらず)。
帰りに、東急百貨店東横店の「大・大阪博覧会」をのぞく。予想通り、大したことは無かったのだけど、「ビリケン」なるものを見たのは初めて。
こういうものだとは知らなかった。というか、元々アメリカの女性が1908年に考えた像でBILIKENだとは思わなかった(通天閣公式サイト)。今まで、大阪弁だとばかり思ってた。福の神として賽銭箱まで置かれていて、結構、皆がお賽銭を入れていたのに驚く。
見ていて、思い浮かべたのはキューピー。調べてみると、キューピーもアメリカの女性が1909年に考えたキャラクター(ローズオニールキューピー公式サイト)だった。
………百年前のアメリカって、そういうキャラクターの需要が急激に高まった時代だったんだろうか? 少なくとも、この2つのキャラクターは同時代の産物という気がするのだが。動物のぬいぐるみや絵本のキャラまで含めて、時代の精神との関わりを踏まえた、歴史的な見取り図を誰か作っていたら、ぜひ一度見てみたい 。
ちなみに、このビリケン人気は、その後、全世界的に零落したらしく、海外でBILIKENについて取り上げたページを見ても、(恐らく例外的な)日本でのリバイバルが大きく取り上げられていた。しかも、ビリケンさんに手を合わせて拝む日本人の写真という、誤解を招くような写真で…
結局、後半は雨にはならなかったのだけど、風邪気味だったので、どこにも出掛けず、休養しているだけで終わる。私の場合、連休だと、いつもこのパターンのような…
鑑定の絵画4点、レンブラント作品と判明、という先日のニュースで、来年がレンブラント生誕400年と初めて知る。記念イベントを探してみると、果たしてオランダ政府観光局のサイト内に特集ページが設けられていた。結構、有りますね。これらを全部見るため、来年は1年間、オランダに住まなくては!
と言えるわけは勿論、無く、彼方から、指をくわえて見ているだけですが。でも、すっぱい葡萄風に言えば、思ったより地味かも。レンブラント&カラバッジョの組み合わせが人目を引く位? 世界各地から自画像を集めまくるとか、そういう感じではないので、そんなに悔しくないや(^^;;
3連休。というか月曜も有給消化日なので、実は4連休だったりするのだけど、この時期は天気が読めないということで、予定を立てないでいたら、果たして雨模様の連休中。この土日はもう一歩も出ずに過ごそう、と思ったけど、先日予約したNODAMAP「贋作・罪と罰」のチケット引換期限(ローソンで発券)が明日までなのに気が付いた。
やむを得ず、小雨降る中、隣街のローソンまで歩いていく。大体、私のいる街に1店も無いってどういうことよ。関西の感覚で言うと、ローソン位、どこにでも有る、という感じなのに。
昨日、練馬区立美術館で入手したチラシの中で、とても気になっているのが、「ユートピアを探しに−想像力の彼方へ−」という展覧会(10/29〜12/11)。
「この展覧会は、ユートピアを巡って描かれたイメージを、版画、油彩画、日本画などの表現の中に、近世から現代まで、また西洋から日本まで、約250点の作品を幅広く見てみようとするものです。」
私の大好きな、テーマ設定型の展覧会で、チラシに挙げられている作品だけでも、竹内栖鳳、ギュスターヴ・ドレ、ジョン・マーティン、斎藤与里、アンリ・ルソー、小野竹喬、ピラネージ…と自由自在に選ばれた名前が並んでいる。それにしても、「どこにもない場所」を集めた展覧会。テーマとしての魅惑度でいったら、今年一番の展覧会かも。
これは是非、行かなくては。とは思うものの、開催場所が、新潟県立万代島美術館なんだよな… う〜ん、遠い 。というより(交通費が)高い。まぁ、「ユートピア」に行くと思えば、それ位、近い方なのかもしれないが(^^;;
関連イベントのうち、谷川渥氏の講演会「絵画のユートピア−あるいは地誌学的想像力について」も、可能なら、是非聞いてみたいんだけど…
新宿まで出掛けるついでに、練馬区立美術館の「佐伯祐三−芸術家への道−」展を見に行く。西武池袋線に乗るのは、実はこれが初めて。沿線の人から見れば何で?と思われるだろうけど、知らない私鉄に初めて乗るのって、かなりドキドキしますね。 というか、特急、快速急行、急行、快速、準急、各停…って色々有り過ぎで一体どうしろという気分に。まぁ、結果的には各停で良かった(というか、各停しか止まらない駅だった)のだけど。
佐伯は元々、世間的に過大評価されてきた画家の一人だとは思うけど(夭折した画家だから?)、私の中でもどう捉えて良いのか位置付けが定まっていなかった。で、位置付けで言えば、 もう少し落としても良いや、というのが、今回見た上での暫定の感想。
もう少し詳細な感想は(いずれ?)書くけど、いや佐伯は凄い、という人がいたら、ご指摘頂けると幸い。出来たら具体的に。
ちなみに、西武線の各駅では巾着田の曼珠沙華を大プッシュしていた。百万本の曼珠沙華… 私のイメージだと、地獄の入り口がそんな感じですが。
夕方より「猫森集会2005」。
いつものように、まったりとした時間を楽しむ。果たしていつものように、当たらないけど、まぁ、それはそれとして。
会場で貰ったチラシに「HIROKO TANIYAMA & KERA meet MONTY PYTHSON」というものが。モンティ・パイソンの作中曲に2人が日本語の歌詞を付けて歌うというイベントらしい。…何てコアな企画なんだ(^^;; でも、 こういうイベントなら絶対行きたいという人も(中には)いる筈。
私も凄く惹かれるけど、本編自体、何年も見ていない(昨年?購入したBOXも当然、見ていないまま)状況で行っても、本来の楽しさが味わえないような。勿論、今から毎日2エピソードずつ見ていけば最後まで辿り着く計算に はなるわけだけど、そんな暇はさすがに無いし。
ベストアルバムとか無いのかと思ったら、「Monty Python Sings」(Amazon)が有ったので、とりあえず、これで予習するとか。(しかし安い。イベントはともかく購入しようか)。
明日は、谷山浩子「猫森集会2005」のリクエストデイ。
参加するようになった3年前から、リクエストしたい1曲は変わっていないのだが(そして、1回も当たったことがない)、万が一、他の人がその曲をリクエストした場合(ないと思うけど)、あるいはラスト1曲等を選ぶことになった場合等に備えて、他にも数曲決めておこう、と予習をしようと思ったら、iTunesにもWMPにも手持ちのCDが全く入ってなかった。
そういえば入れたのって、OpenMGの時代だったかも。OpenMGは既にソフトごと削除したし。仕方ないのでiTunesに改めて取り込み。取りあえず見付かった16枚を入れていくだけで夜が更けていく。いつものことながら泥縄の人生 。
考えてみると、毎年、この時期しか聴かないなぁ。
先週末、Bunkamuraに「モロー展」を見に行った際、隣の東急百貨店に「大・大阪博覧会」なるキッチュで怪しげなポスターだか縦看だかが立ててあって、しかも「栄光のナニワ歴史展」とかいう展示に入場料500円と書いてあったのに、金取るのかよ!と驚いたことを今ふと思い出し、イベントの公式ページを探してみたところ、実質は無料だった。
全体に、何か大きく勘違いしているような気がしないでもないけど、テーマ的には多少興味が有るので、無料なら、Book1stにでも行った時についでに寄ってみようかと。
「アーサー・ランサム全集4 長い冬休み」。
題名通り、初めての冬(休み)の話。 ウィンダミア湖北岸のアンブルサイドがモデルという「北極」は、この回で登場するエピソードだった。氷結した湖上でソリに乗る一行。当時でも珍しいこととして書かれているけど、温暖化が進む今現在、ウィンダミア湖は果たして氷結するのか、ちょっと気になった。
というようなことはどうでも良くて、今回より仲間に新メンバーが加入! ディックとドロシア。何と、メガネ君な天文博士と文学少女ですよ! 今までの健全明朗なアウトドア少年少女に対して、いかにも文化系な姉弟がこの世界に投入されたのは、何故だろう。主な読者層とのギャップを埋めるため? それとも、ランサムの実生活での交遊関係を反映してとか?
でも、この姉妹(特に弟)、普段ぼんやりしていても、やる時はやるよ、みたいな位置付けなんで、普通の子供たちからすると、ちょっと反則かも。
アウトドアライフの「情報」としては旗の挙げ方や手旗信号、モールス信号等、離れた場所と場所で交信するための手法が色々と描かれている(上に、実は重要な伏線にもなっている)のが楽しい。
ところで、最近気付いたのだけど、野尻抱介のクレギオン・シリーズ、少なくとも「ベクフットの虜」って、このランサム・サーガに出てくる湖畔の地名「ベックフット」から取った名前? 12冊読んだ時点で、クレギオン・シリーズを再読してみると、他にも発見が有りそう…
ランサム全集の4巻をようやく読んだので、リクエスト本を回収してくる予定。先日、恩田陸の「ねじの回転」を読んで、宮部みゆきの「蒲生邸事件」も読まなくては、と思ったのだけど、…あまり関係ないのかな? ちなみに恩田陸は「Q&A」と「クレオパトラの夢」を借りてきたまま未読。
「アーサー・ランサム全集3 ヤマネコ号の冒険」。
(何の伏線もなく)大西洋に面した港町に集合するいつもの面々。どうやらフリント船長が所有するクルーザーのヤマネコ号で外洋を航海する様子。え、タイトルから言っても、7巻の「海に出るんじゃなかった」が最初の海の話じゃなかったの? しかも、知り合った老水夫の思い出話を元に、カリブ海の無人島へ宝探しの旅へ出発!と気付けば、物語はどんどんエスカレート。
そして、悪い海賊とのデットヒートの末に辿り着いた無人島での最終日、地震は起きるわ、火山は噴火するわ、地面は隆起するわ、ってナディア島篇の最終回ですか(^^;;
全体に今までとのリアリティの審級の余りの違いに唖然。どうやら3巻は登場人物達の書いた(皆で作り上げた)物語であるというのが、ランサマイト(ランサム好きの人々はそう自称するらしい)の間では定説らしい。確かに、老水夫の名前は2巻にも想像上の人物として出てくるし、この本だけ、「登場人物達による脚注」が幾つも入っているのが妙だとは思ったんだけど。いきなり(説明抜きに)メタフィクションでまる一冊とは、予想外のフェイントにやられた、という気分。
そんなわけで子供達が考えた冒険話(らしい)ので、他の話のような日常的なリアリティ描写の味わいには欠けるが、物語を考える上で一人一人が自分達の活躍する場面をそれぞれ主張して入れていったに違いない、などと妄想しながら読むと、それなりに興味深かった。湖水地方の話の方が面白いけど。
午前中は再び近所の丘陵を歩いて、午後はNODAMAPの「贋作・罪と罰」の事前予約を中心にチケット確保の一日。
英国でお茶を飲んだ人なら誰でも一度は考えることだろうけど、クリームティーを頼むと出てくる、クロテッドクリームとジャム付きのスコーンと言えば禁断の美味さなので、あのクリームティーを自分の家でも飲みたい!と私も7月に行って以来、ずっと思案してきた。
ややこしいことはさておいて、必要なのはクロテッドクリームとスコーン。前者については、日本では中沢乳牛の製品しか、市販のクロテッドクリームを見掛けることは無いので、基本的に選択の余地は無い。ちなみに、私が見た限り、クロテッドクリームを置いているか否かで、 その店が高級スーパーか否か判断出来るようなので覚えておくと便利(かも)。
問題はスコーンで、本来はオーブンでの自家製が当たり前なのだが、そうもいかない者としては、スコーンを売っている店を探す必要が有るのだが、これが意外と見付からない。それもその筈、スコーンってそれだけで はそう美味しいものではないのだった。勿論、紅茶専門店(例えばアフタヌーンティー)のティールーム店頭には有るのだが、それならそこで飲めよ、というものであって、買って帰るのも何だか本末転倒。
そんなわけで、このささやかな野望は長らく(大袈裟)実現しないままでいたのだが、実は地元の高級スーパーにも紀ノ国屋のレーズンスコーン(袋詰め)と、テナントのパン屋のスコーンが売っていることが判明。というわけで、クロテッドクリームとジャム、ついでにサンドイッチも買ってきて、昼の代わりに、アフタヌーンティーとして試してみた。
まず、レーズンスコーンは単体として食べることを想定している甘さで、しかも割ろうとするとボロボロ崩れる… パン屋の方はまぁまぁ。もっとモチモチしているのが理想なんだけど、こうやってクリームティーを自宅で飲めるというだけで、ちょっと幸せ。
しかし、こんなことをやっていたら、せっかく2時間歩いてきても何の意味もない…(クロテッドクリームの乳脂肪分は63%(笑)) まぁ、たまには良いでしょ、こういうゆとりも。
といいつつ、クロテッドクリームの賞味期限は2週間なので、その間に一瓶食べ尽くさないといけないのだった。…やはり、禁断の食べ物なのかも(^^;;
脈絡とかは全くないのだけど、感想を今頃書いたので載せておこうかと。現在は京都市立美術館でやっているみたいだけど。ちなみに展覧会の感想は(いつ書くかはともかくとして)あと幾つか、(私の)記憶力の衰退シリーズというテーマで続く予定(^^;;
とにかくペカペカ。内容以前に表面がどれだけ光っているかが今回の選択基準だったんじゃないか、と疑ってしまう程の光り物展覧会で、目玉のアングルを初めとして、そこそこ来ているとは思うけど、「悪くは無いんだけど…」という言い方が、一番無難かつ適切な表現かも。
(例文)思ってたよりは「悪くは無いんだけど」、良かったというほど良くも無いよね。
この煮え切らなさは、19世紀フランス絵画の各主義(公式サイトのキーワード)を紹介するという展覧会の性格が総花的で、一つ一つは中途半端な印象が拭えないところから来ていると思う。オリエンタリズムとか、当美術館の「風景表現の近代」展の方が遙かに深い内容の展示だった。
結局、何を見せたかったのか不明。モナリザ部屋の改装資金を出してアングルが借りられることになったので、それを目玉に展覧会を開く(ことで元を取る)のがまず有りきで、それ以外はほどほどで良いんじゃない?という企画だったのではないかと邪推したくなる。
以下、個々の作品について、若干の感想。
アングルは現地で見た覚えが有るので、特段の感想は無いのだけど、覚えているだけで絵としては凄いのかも。というのは、今回来た他の作品は展示されていたとしても全く記憶にないので。
ちなみに、当時の旅行記には、「フェルメールとアングルとジェリコーを」写真に撮ったとあるのだが、アングルについては「泉」はオルセーで見たから(あれ?そういえば、何故ここに?)、「グランドオダリスク」か「トルコ風呂」のどちらかだけど、恐らくは前者。あっちの方が より重要という認識は当時もあったと思うし。
「マラーの死」。「ダヴィッド(アトリエ)」という表記には、物は言いようという気が(「工房作」が通例では?) まぁ、アトリエでも工房でも良いけど、オリジナルはブリュッセルに有ることがどれだけの人に分かったのかは疑問。で、ブリュッセルで見た時は足を止めて見てしまったのに対し、アトリエ作にはそういうオーラが無かったような…
ジェリコー。 「賭博偏執狂」のお婆さんの描写に震え、「洪水」の絵に手塚治虫の「大洪水時代」を連想する。やっぱり、ジェリコーは「本物」だと思う。極論すれば、この展覧会(というより、この時代)のフランスの画家で真に見る価値が有るのはジェリコーだけ、という以前からの確信を強める。
そんなわけで、数点ながらジェリコーの作品に会えたので、私的には見て良かったかと。でも、それこそ複製とか下絵とか、あるいは写真でも良いから「メデューズ号の筏」を紹介して欲しかった。ルーブル美術館のコレクションから一つだけと言われたら、私の場合、 間違いなくあの作品を選ぶので。 (6/24訪問)
ようやく、日中もさほど暑くなくなってきたので、近所の丘陵を横断する、週末のウォーキングを再開する。
CD。折笠富美子「Flower」。ウォーキング時のBGMに。
1枚目「Lune」に引き続き、上野洋子プロデュースなので購入。かつてのZABADAK復活!みたいな「光さす、希望の彼方へ」の1曲以外は正直言って退屈だった「Lune」と比べ、今回は曲調が多様になった分、飽きずに最後まで聴けるという印象。あと、これで歌声自体 に魅力さえ有れば… とりあえず、ライブ予約のハガキは出しておくか。
ちなみに、声優としての折笠富美子はヒロイン役としての活躍よりも、「ぱにぽにだっしゅ」の姫子とか、「苺ましまろ」の美羽とか、難易度高めのキャラを自然にこなしている辺りに、結構、好感を持っています(いや、誰も訊いてないし)。
「ギュスターヴ・モロー展」@Bunkamuraザ・ミュージアムの後期分を見る。
後期の方が水彩画が多くて、「モロー展」って感じでした(ショップのポスターの絵も通期分を除くと、前期分が2枚で後期分が4枚)。といいつつ、その感想は(も?)また今度。
「石川九楊の世界展」@日本橋三越。9/13に見に行ったのだけど、何というか、敵は思っていた以上に手強かった… ポスターを見て貰えば分かると思うけど、背景の模様みたいなの、それが全て「字」であり「文章」である(らしい)。
カンディンスキーの抽象画というか、震度計の波形というか、最初の一字位は想像が付いても、あとは、どこからどこまでの空間が漢字1文字に相当するのか、それすらも全然分からん……
これって作者にしか分からない俺様文字なのでは?と思いつつ、他の誰にも読めない文字は果たして文字と呼び得るのか?と「無人の森の中で倒れる樹の音は存在するや否や」みたいな、認識論の問答を、頭の中で繰り広げてしまったり。もしかしたら、書道の達人なら誰でも、割と読めるのかもしれませんが。
メディアを入れても認識エラーを繰り返すDVDレコーダー(私が)みたいな作品の中で、盃千字文という、1つの盃に1つの文字を描いて16字(杯)で1つの漢詩を書いていったものだけは、普通の文字(横に置かれた印刷した漢詩)と一対一で比較出来たので、何とか文字として認識出来たけど。いやぁ、 同じ内容を複数の文字で記したロゼッタストーンの発見が考古学上、いかに画期的な出来事だったのかを改めて実感した(^^;; (でも、あれもシャンポリオンという天才が解読するまで誰も読めなかったわけだけど)
それにしてもどうしてそうなるのか、盃千字文(というか盃)を悩みながら「解読」していたところ、隣のおじさんが「良い線を書くよなぁ」と、すごく感心した声を挙げていたのには驚愕。やっぱり、「良い線」なんだ? というか、この人はこの「線」が「良い線」だと分かるんだ!? 私には、…分かりません。でも、実際に書く人なら線の良し悪しは分かりそうな気も。
私の個人的な好みでは、最近の波形文字?より、(作者が既に封印したらしい)画面一杯に墨が滲んで広がった緩い文字の方なんだけど、全く分からない作品も含めて、全体 として刺激的な体験だったのは確か。絵と文字の狭間の中で、どう認識したら良いのかと、脳が活性化されるのかも。
Comics。 竹本泉「かわいいや」(芳文社)。足の多い生き物を可愛いと感じる親娘の経営するファンシーショップのお話。
いや、まぁ、どうでも良いんですけど。実は私、足の本数の多い生物は苦手だったりするので(苦笑)。百足の類は当然としても、足が沢山有る系の食べ物が余り好きじゃなくて。タコとかイカとかエビとかシャコとか。 エビも足を剥いたエビチリとかなら良いけど、あの、ほら、川海老の唐揚げとかで、足や触覚が口の中にガサガサ当たる感覚って、かなりアレな…
改めて考えてみると、唇のぶ厚い人と並んで、私の2大恐怖要素と言っても良い位かも。でも、カニは好き(矛盾)。
「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を観た14日。結局、帰ってきたのは24時01分。
割と楽しかった。まぁ、今回は(私にしては贅沢にも)2階のドアサイド席だったことも影響有りそう。2階からだと、ちゃんとお芝居として見えるので(上の方からだと、舞台がドールハウスみたいに見えてしまい感情移入出来ないことも多々)。1幕は全然暖まっていない感じだったが、3幕は初日にしてはまとまっていたような。
とはいえ、カーテンコールで芸術監督以下が登場した時には盛んにブーイングが出ていたので、根本的な問題が何か有ったのかも。この作品を初めて観る私には、そのブーイングが演出に対するものか、芸術監督に対するものか(人選とか)、あるいは単なるいつものお約束、なのかよく分かりませんでしたが…
ペーター・ウェーバーのザックスはそれなりに説得力が有ったので、個人的にはチケット代分は納得。リチャード・ブルナーのヴァルターは物足りなかったですが。
この作品のラストの、マイスターの芸術の中にこそ真のドイツが存在する、というメッセージは、(統一国家のドイツなど未だ存在しない中で)言語=詩歌=習俗=法共同体としての「民族Volk」という概念を追い求めたJ.グリム以来のゲルマニストの理想なわけだけど、現実に国家としてのドイツが後追いで登場して きた段階で良い様に歪曲されてしまい勝ちな内容では確かに有るかも、と思ったりはした。物語は基本的には(NHK辺りが好きそうな)歌合戦なんですが。
それにしても。4時間も聞いていると、あのメロディにすっかり染まってしまい、帰宅しても、頭の中で半ば自動的に鳴り続けていた。ワーグナー、恐るべし。
そういえば、口笛を吹きつつ登場し、「僕は自動的なんだよ」とか言っていたあの人のシリーズは今どうなっているんだか。数年前に追い掛けるのが面倒になって、もはやそのままになっているんだけど…
Novel。加納朋子「ささら さや」(幻冬舎)。
再読。あー、結構忘れてましたね(^^;; 現実離れした「お人好し」なサヤよりも、「てるてる あした」の女の子の方が共感し易い性格かも。某作品でもアニエスよりクルージェの方が共感し易い わけで(という例えで良いのか?)。ここで、もう一度「てるてる あした」を読んでみると、面白いかも?
と、そんな寄り道をしているから、またしてもアーサー・ランサム(4巻目)が延滞になってしまう…
明日は振替休日ということで、新国立劇場の「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を観に行く予定。ちなみに、開演は16時だけど、終演後すぐ帰宅しても、家に辿り着く頃には日付が既に変わっている可能性大(^^;;
加納朋子+菊池健「ななつのこものがたり」サイン会開催の案内(10/1。ジュンク堂書店池袋本店)。
この機会に一度お目に掛かりたい気もするけど、会っても何を話せば良いものやら… 作家のサイン会に参加する人って、サインを貰う時にどんな会話をするものなんでしょうか。そうだ、「魔法飛行」を読んだ頃に住んでいた街の話をしてみるというのは?
Novel。加納朋子「てるてる あした」(幻冬舎)。
図書館本。「ささら さや」の続編。主人公は違うけれど、「ささら さや」の雰囲気を受け継いでいる佳作。手紙が物語のキーとなる、20世紀後半を舞台にした「魔法飛行」「スペース」と違い、現在?の物語であるこの作品ではケータイも登場するのだが、「魔法飛行」での手紙と同じように、物語の終盤、救済を求めるメッセージを伝える媒体として使用されるところに、「魔法飛行」以来の読者としては胸が熱くなる。クドリャフカの鈴の音はきっと届く。周りに耳を澄ませる人がいるのなら。
「ささら さや」以上にもはやミステリでも何でもなかったりするけど、それは些細なことで、加納朋子的な世界に満足。つい図書館で借りてしまったけど、他の作品と同じくその内に購入しないとな。その前にまず「ささら さや」を再読してみようかと。
新日曜美術館の「スペイン美の旅」。
グラナダ、セビリア、トレド、マドリッド、バルセロナと、いずれも学生時代の旅行で泊まった街。中でもグラナダは4泊して毎日アルハンブラ宮殿を見に行っていたので懐かしい。あんな贅沢な時間の使い方はもう二度と出来ないだろうなと思う。
旅と言えば、アートシーンで昨日の「美しき日本 大正昭和の旅」展が紹介されていた。早いこと、感想も書かないと。
Essay。恩田陸「酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記」(講談社)。
図書館本。イギリス・アイルランドへの一週間の旅行の日記だが、初めての海外旅行ということもあってか、恐ろしくハイテンションな文章。現地での話より、著者が大の苦手な飛行機に恐々乗るまでの話の方が中心、というのが、いかにも「初めての」という(恐怖の?)臨場感に満ちていて面白い。
中でも、搭乗時の「順序よく中に吸い込まれていく客たち。いけない、これは罠よ。みんな、引き返すのよ。騙されちゃ駄目。」という文章には何回読んでも笑ってしまう。
一週間なので訪問箇所はそれほど多くなくて、例えばロンドンの美術館ならテートモダンとテートブリテンのみ。勿体ない(と私は思う)けど、それはまぁ、人それぞれだし。で、著者がテートブリテンで特に意識して見たのが、ターナーとウォルター・シッカート。
シッカートは切り裂きジャックの候補の一人と目されているらしいが、私はパトリシア・コーンウェルは小説自体一冊も読んだことが無いので、そんなことはつゆ知らず、ただ、ちょっと陰気な感じが妙に気になる画家なので名前を覚えておこう、と思いながら眺めていただけだった。あの「エア・ハート嬢の到着」もシッカートだったのか。著者同様、私が行った時も展示されていなかったので、全然気が付かなかった。
著者の後追いとなったイギリスに対し、私の方が先だったアイルランドでは、自分と同じような感想が幾つも載っているのがおかしい。
ダブリン=大阪説とか。司馬遼太郎のエッセーに対する否定的な感想とか。
特に後者については、同業者の大先輩に対する言葉としてはかなり強い言い方で「違和感」を表明しているのに、非常に共感を抱いた。
「虚構というものの力を信じない作り手が、私はあまり好きではない。司馬遼太郎は、手塚治虫が自分の外側に持っている神の視点を自分の外側には持てない。彼は、その神自身になりたいのだ。自分が歴史になりたいのである。「街道をゆく」には、特に、そういう歴史になりたいという色気を感じてしまうのだ。」
あの紀行については前にも書いたけど、あれは「つまらない」を通り越して「酷い」と思う。故人でも(書く姿勢が)駄目な物は駄目とはっきり言わないと。
恩田陸の旅行記として興味深いのは、何と言ってもタラの丘で浮かんできたビジュアルイメージの描写。なるほど、現実の風景を触媒として、小説の風景が断片的に浮かんでくる(というか降りてくる?)人なんですね。ちなみに、この旅行は、三月シリーズの続編「薔薇のなかの蛇」の取材だった筈なのだけど、その成果が出てくるのはまだまだ先?
江戸東京博物館の一日。
先日書いた講演会(映画「Beautiful Japan」の解説)を聞き、企画展「美しき日本 大正昭和の旅」展を見た上に、講演会までの時間待ちに常設展まで(初めて)見てしまった。なるほど、常設展はこういう空間(吹き抜けに日本橋が掛かっていて、下には寄席の舞台)になっていたのか。確かに、外国人向きの博物館という気が。
色々と情報量が多くて、取り上げたいこと(個人的にツボに嵌った事柄)も沢山有るのだけど、実は明日は朝から休出日なので、その辺についてはまた後日(の予定)。
「美しき日本…」は基本的には美術系というより、情報系の「面白い」展覧会だったが、川瀬巴水の版画が思った以上に繊細な美しさで、それだけでも結構満足。(川瀬巴水の版画の展示替え分だけのため、後期にもう一度行ってみようかと思っている位)
ところで、次回の「生誕120年 川端龍子展」のチラシ。「会場は、見渡す限りすべて龍子です。」って、それはまぁ、当たり前のような気がするんですけど…
先日のターシャ・テューダーの庭についてのドキュメンタリーが、明日朝9時30からBS2でも放送予定らしい。庭作りに関心が有る人の他、元気なお婆さんが好きな人とか、コーギー犬が好きな人 も一度くらい観ても良い番組かも。
黒部アルペンルートについてのJRの吊り広告で、鮮やかな紅葉に染まった山の写真に寄せられた宣伝コピーが目に入る度に、いつも気になってしまう。
『ゴッホだって描けない。』
いわゆる「絵にも描けない美しさ」を強調するために捻りだしたコピーであろうこと位、頭では分かる。が、しかし。どうも落ち着かない。ゴッホは、何でも描ける、という意味での「絵が上手い」画家じゃ全然ないだろう。少なくとも風景画が上手い画家として彼を思い浮かべるのは、不適材不適所としか思えない。
かといって、立山連峰を描くのに、ターナーやコローではイメージと合わない。もっとピクチャレスクな風景だから、例えばフリードリヒ、だと天気が悪そう(雪山?)でこれまた違う。なるほど、適当な風景画家の名を挙げるのも確かに難しいと、暫く考えた末に、無難な名前をようやく一つ思い付く。
『ロイスダールだって描けない』
ね? これなら、ちゃんと「絵にも描けない」の強調表現になっている筈。まぁ、ロイスダールなら(ヤコブは勿論、ソロモンだって)、それ位の風景、描けるのだが(^^;; しかし、そんな名前では、JRの広告にならない一方、『ゴッホ だって描けない』は(内容に無理があるだけに)コピーとしては、そこそこ「意味が伝わる」。
まぁ、ここから得られる教訓?としては、世間の人によるゴッホのイメージは、絵の天才=絵の上手い人ということなのかと。ゴッホバスが混むわけだ。
Novel。川上弘美「龍宮」(文藝春秋)。図書館本。 う〜ん、良いんだけど、割と同じところをずっと回り続けているような印象があって、ちょっと飽きてきたのも事実。
江戸東京博物館の「美しき日本-大正昭和の旅」展の関連イベントの内、無声映画「Beautiful Japan」についての講演会(「映画「Beautiful Japan」が映した大正の日本」)というのが有った。
面白そうな予感を感じたので、とりあえずネットで探してみると、講師の人が映画「Beautiful Japan」について記したサイトを発見。ここで紹介されている撮影者ベンジャミン・ブロツキーの生涯は小説かと思う位、波瀾万丈で面白く、映画の撮影状況についての話も興味深かったのだが、「10」以降の実際のフィルムについてのページは何とNOT FOUND…
ここまで興味をそそられた以上、実際に聞く(観る)しかない、と先週応募しておいた葉書が今日、戻ってきた。他に用事が出来なければ、この週末、行ってみるつもり。
Novel。川上弘美「パレード」(平凡社)。図書館本。「センセイの鞄」の単行本未収録部分を元にした短編で、素麺と天狗の話。川上弘美の中では一番ノレなかった「センセイの鞄」よりは好きかな。
品川駅内のみどりの窓口で、ピーター・フランクル氏が新幹線の切符を購入しているのに遭遇。
というか、通路上に置かれた二つの鞄(スーツケース)の表面に大きく「ピーター・フランクル」という派手な色彩の文字が貼ってあるので、ふと横を見たら、本人が切符を自販機で買っている最中だった。何故、名前を?と思ったが、後から考えてみると、大道芸時の宣伝用として役に立つのかも。それに、あれだけ派手に名前が書かれていたら盗難防止にもなりそう。いわゆる、攻撃こそ最大の防御という奴?(違)
Novel。加納朋子「レインレイン・ボウ」(集英社)。
図書館本。加納朋子の作品では何故か唯一の未読本、というか未購入本だった作品。と思ったら、「ささらさや」の続編「てるてるあした」も買ってないままなのに今気付いた。で、こちらは「月曜日の水玉模様」の続編で、片桐陶子の高校時代のソフトボール部のチームメイト達の(その後の)話なのだけど、焦点が最後まで定まり切らないまま、終わってしまったような感じ。
新しく魅力的なキャラクターも登場するし、加納朋子の文章自体は好きなだけにちょっと勿体ない。というか、物語的には完結している「月曜の…」なのだから、その登場人物を再使用しない方が良かったんじゃ…
今月は「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を観に行く予定なので(新国の方)、以前にビデオに録ったメットの公演で予習しておこう、と思い立つ。
が、HDDレコーダー導入時にテープの山を移動したため、どのテープに入れたか探し出せず。この暑さの中、全部をデッキに掛けてみる気にもなれないし。大体、テープをデッキ に1本ずつ掛けてみる、という動作自体が既に面倒。…もはやビデオの時代には戻れないなぁ。もう良いや、予習無しで(^^;;
代わりに、HDDの整理として、(録り溜めしたまま見ていない)教養・紀行関係のフォルダから、NHK教育「知るを楽しむ」枠の5月放送分を見る。
テーマは「京都モダン 建築で訪ねる古都の近代」。講師は京都工芸繊維大学教授の中川理。
…おおっ、凄く面白かった。知っていることも多かったけど、改めて整理されると、なるほどと感心。例えば疎水が元々、東山山麓を工業地にする際の動力源(水力発電)を目的 に 作られたとか、工業地計画が頓挫した後で金持ちの別荘地となったので、あの辺の庭には疎水の水を利用した広い池の庭園が多いとか(無隣庵とか?)。
馴染みのある建物や風景が出てくるのも懐かしくて。喫茶店のフランソワの室内とか。三嶋亭のすき焼きを食べているシーン(絶対、役得だ(^^;;)は羨ましかったけど…
学生時代、京都に5年間住んでいた時は(本来の)住人でもなく(一見の)観光客でもない、という独特の立場にいたのだが、普段の生活で、より関心が有ったのは寺社仏閣 といった歴史的な京都の連続性の方だった(歴史的な連続性が実は存在しない、「なんちゃって」古都の鎌倉の近所で育ったという出自も有って)わけで、京都のモダン都市としての要素には、そこまで手が回らないと言うか、(一応の住民という立場からすれば 既に有る建物なので)余り意識することなく過ごしてしまったという印象が強い。
だから、地理的・時間的に遠ざかった今の方が、洋風建築に代表されるモダンな京都の面白さに敏感になっていると思う。一日、建物を見て歩くだけでも結構楽しめる気がする。…なんか、京都に行きたくなってきた。もう少し涼しくなってきたら、そういうテーマで、京都へ行くのも楽しいかも。
例えば、番組でも取り上げられていた武田五一の建物を見て回るとか。というか、学校の時計台自体、武田五一だったのか。知らずに見ていた彼の作品が他にも沢山有りそう…
で、結局。資料として保管しておいた方が良いような気がしてきた(整理にならない)。
BS2での明日からの成瀬巳喜男特集(24作放映)。
実は恥ずかしながら、今までほとんど観たことがない監督なので、この機会に(とりあえず)全て要保存なのだけど、HDD内が結構、ヤバめなので、録る側からせっせと焼いていかないといけないのが億劫。録ってもあと数年はどうせ観ないと思うんだけど… でも、来年以降はメディアからまた忘れられそうなので、録っておいた方が良さそう。
今月は内容が無くても、普通の日記を続けるリハビリ月間。
午前中「黒と茶の幻想」の4章を読み、午後、図書館へ。大体、前回同様のラインナップで借り換えてくる。とりあえず当面の予定は、恩田陸の未読本の解消。全部図書館で借りてしまうのも申し訳ない気がするが、「黒と茶の幻想」とかは文庫本が出たら買い直すと思うし。
私は書の世界には全くと言って良いほど縁がないのだけど、流石にその名前くらいは知っている「石川九楊の世界展」(日本橋三越)には、面白そうな予感が。ただし、この世界も愛好者の層が厚くて、この手の展覧会だと凄い混みそう… 行くなら平日夕方か。
帰りにBunkamuraの「モロー展」に寄る。幾つかの油彩と資料としての水彩・スケッチ展という印象だったので、1回は観る価値はあっても、資料大好き、な人でないと前期・後期の2回は厳しいかも。でもまぁ、私は後期も多分観に行きますが。
ついでに、Book1stのComicsのフロアーへ。買い漏れていた「サルガッ荘」の最終巻が最大の目的だったのだが、竹本泉だけで3冊、っていつから本屋に寄ってないんだ?私。いや、「てけてけ」だけはかなり前だった気は自分でもしているのだが。
「黒と茶の幻想」の3章を読みつつ帰宅。
冷房のせいで、夏風邪気味。何だか、2週間に一回位のペースで、引いているような。
何もせずにさっさと寝てしまえば、次の日には大体復帰する(筈だ)が、本を読む時間が取れないのが辛いところ。土曜日までに図書館に行かないと予約が取り消されてしまうのだが、現在延滞中の「黒と茶の幻想」が昨日の時点でまだ2章。木金と一章ずつ読めば間に合う、と踏んでいたのだが…
NODA・MAPから次の公演のDMが来ている。「贋作・罪と罰」か。う〜ん…
昔、戯曲で読んだ時は、劇中の美しい台詞に感動したのだけど、この作品を宝塚でミュージカル化した「天翔ける風に」は(BSの放送で観た限りでは)、すげーつまらなかったんで、ちょっと微妙。新作を出し続けることが絶対だとは思わないけど、あえて答えを出さなかった(あるいは出せなかった)「オイル」以降、旧作ばかりが続いているのも淋しい。「今観る必要」が有るかというと、この前の「メルス」同様、観ても観なくても良い作品だろうという諦めの心境。
でも、前回同様、近所で2ヶ月もやるわけだし、観に行かないと言い張ることもないので、多分、行くとは思う。