空の蒼さを 見つめていると
「ハイビジョン特集」の「喜びは創りだすもの ターシャ・テューダー 四季の庭」を見た。
ガーデニングの分野には全く疎いので、ターシャ・テューダーの庭、といっても初めて聞いた位なのだが、30年掛けて育ててきた自分の庭(30万坪!)を今も毎日手入れしている90歳のターシャ・テューダーの姿は、素直に凄いと思った。悠々自適とも見えるが、精神的(かつ体力的)に相当タフでないと、そこまで自分の好きなことを続けて来れなかった筈。
ターシャ・テューダーは現役の絵本画家(「幻想図書館」内のターシャ紹介ページ)でもあって、コーギー好きには特に有名な人物らしい。番組でも、愛犬のコーギー犬がいつも彼女の側を歩いていて、微笑ましかった。あいにくと、私は彼女の本は一冊も読んだことが無いのだけど。
うわー、しまった。
マピオンラボを使って4月に作成した、森見登美彦の小説に関する地図は、これまで保存期限(一ヶ月)が来る前に更新し続けていたのだが、今回更新するのを忘れてしまったため、既に削除されていた。のに今気付いた。せめてスクリーンショットでも取っておけば良かった。
でも、まぁ、地図を見て喜んで貰えるような人には既に見て貰った筈だし、期間限定のコンテンツというのも有りか…
Book。A・J・ジェイコブズ「驚異の百科事典男」(文春文庫)。
1年間掛けて「ブリタニカ百科事典」全32巻の読破に挑戦した人物の読書日記。積み上げると高さ125cmにもなる膨大な百科事典の読破への試みは、35歳となったいま、知的レベルが下がる一方の「ぼく」が、(文字通り)高く聳え発つ知識のエベレストへの挑戦として思い付いたことから始まる。
いやぁ、何だか全然、他人事には思えないんですけど。年々バカになってきたという自覚とか。 著者紹介を見ると同い年だし。
そういえば、私も「日本国語大辞典」全13巻(総幅75cm)を購入した時は全巻読破しよう、と無謀にも思ったものだった。ちなみに、最初の「あ」の途中で即、挫折したのだけど(^^;;、前の職場で、もの凄く暇な時期に、古本市で買ってきたCD−ROM版の「大辞泉」を(今度は後ろの)「わ」から読み始めて、最終的に「や」の項まで読んだことが有ったりも した(そこまで読んだ時に、職場のノートパソコンのOSがアップグレードされ、「大時泉」のCD-ROM自体が読めなくなったのだ)。
もっとも、著者が私と違うのは、その試みが超え難い父親や極めて優秀な義兄へのコンプレックスと密接に関係していること。出てくる親戚が知的エリートばかりで、こういうのがユダヤ系アメリカ人の社会なのかと逆に感心してしまう。帯には「映画化決定」とあるけど、確かに、偉大な親戚で埋没する悩みを持つ「ぼく」の挑戦は、ウッディ・アレン風味の自意識過剰な喜悲劇によく合いそう。百科事典から得たトリヴィアを日常生活でついつい使ってしまって、周囲から呆れられるシーンとか。
ともすれば嫌味な話になりそうなこの読書日記がおかしいのは、逆説的だが、本人の知的なセンスの良さに有ると思う。「ポータルZ」のコラムで普通の人がやらない「実験」の記事を読むような面白さ 。まぁ、著者も元々「エクスクァイア」誌の編集者なのだから、当たり前かもしれないが。
そして、日常生活の悩み(子供をどうやって授かるか)と、1年間の成果を試すため「クイズ・ミリオネア」に挑戦、という2つのサスペンスが物語?を最後まで引っ張 って飽きさせない。全体としての平凡さ(以外とポジティブシンキング)を含めて、思った以上に楽しんで読めた一冊。印象としては、ロン・ハワード「バックマン家の人々」みたいなコメディ?
実は今日は振替休日でお休み。だったのだけど、暑いので自室でだらだらと。
気が付くと、RD-X5のHDDが残り僅かになっていたので、その整理を中心に。「Design Channel」の残りとか、フジの「art lover」(金曜の朝4:25からの3分間というマイナーな美術番組)とか、溜まっていたものをザクザクと削除して、とりあえず、危険領域からは待避。
今回、その中で一番興味深かったのは、「Design Channel」で紹介されていた、サクラクレパスが地方色のクレパスシリーズを発売中、というニュース。土地にちなんだ6色のクレパスにイラストとストーリーをセットした「色彩紀行」というシリーズで各商品には「大阪慕情」「博多純情」(…どこかで聞いたような?)といった名前が付けられているらしい。
イラストを担当した黒田征太郎作品の通販サイト「さいた さいた」で、それぞれのクレパス見本を見ることが出来るのだが、かなり無理矢理な色が多くておかしい。それにしても、イメージとしての「色」自体が商品になる、という発想は面白いと思った。
今朝の日経を見ていて気付いたのだが、国立博物館の「北斎展」は前売り・当日券共に「2回券」が発売されるらしい(前売りは既に発売中)。展示替えが有る展覧会に関して、前々から要望していたことが、ようやく実現? 割引率も結構大きい(前売り2枚とは100円の差だけど)ので、観に行く予定の人は事前に買っておいた方が吉かと。
TVを買い換えたことで居間では不要となったBSデジタルチューナーを自室に回収。自分の部屋でBSデジタルがようやく見られるようになった。
といっても、自室にあるのは、ハイビジョンTVどころか、買い換え寸前の昔のTVなので、有り難みも半減(以下)だが、ゴーストの出ないTV局が増えた、というだけでも嬉しい。HDD内に未見の番組が200時間溜まっている現状で、これ以上、視聴可能なTV局を増やしてどうする ?という気もするけど。
さっそく、NHKで放送していた「雲のむこう、約束の場所」を録ったりして、活用中。
とはいえ、休日なので、夜中に見ているのは専ら居間の方の新しいTV。「かみちゅ!」1巻のDVDを観たりとか。
市立図書館からメール。一瞬、延滞中の本を早く返せ、という督促メールかと思ったが、リクエスト本確保の知らせだった。延滞のまま次の本を借りることは出来るのだろうか。…まぁ、いずれにしろ、借りている物は早く読まないと。
藤原歌劇団の「アドリアーナ・ルクヴルール」@東京文化会館。
オペラを観に行くのも3ヶ月振り。 いつも新国立劇場の公演位しか行かないので、他のところも観てみようかと。この「アドリアーナ・ルクブルール」が、実話を元にしたヴェリズモオペラだということすら、会場での説明で初めて知った位、予備知識0の状態で観た。
そんなわけで、公演としての出来がどうだったのかなど判断を下せるわけもないのだが、内容的には大時代的なメロドラマ、それも感情のまま喚き散らすタイプのメロドラマだな、という印象。それを超越する美しい旋律だとか、凄い歌声だとまでは思えず。主役の人が当初の予定通りだったなら、また違ったのだろうか…
筋道は大雑把に言えば、三角関係のもつれで(メロドラマだから)、「椿姫」みたいに終幕でヒロインが突然死してしまうのだけど、前幕で自分が調子に乗って酷い目に遭わせた恋敵から 送られた毒による死なので、余り同情も惹かない。
会場は年配の人が目立ったのだが、歳を取ると、こういうドロドロなメロドラマが楽しくなるのだろうか。それなら昼ドラでも見ていれば良いじゃんか、と(まだ若い?私は)思うのだが。
というわけで、正直な感想を言えば、下らないものを観てしまった、という感じ。(このチケットを先に買っていたため、諦めた)橘いずみのワンマンライブに行った方が、遙かに有意義だったと思った。というか、行きたかったよ…
結局、私のような(メロドラマが大の苦手な)者にはオペラなんて世界は向いてないのかも… と思いつつ、今日も、e+で「アリオダンテ」 のエコノミー席を購入していたりする。
お陰で、10/2のモネ王立劇場「ドン・ジョヴァンニ」@オーチャードホールに、10/7のバイエルン国立歌劇場「アリオダンテ」@東京文化会館、と10月の第一週は、個人的にはオペラウィーク と呼びたい位の非常に楽しみな一週間に。
ただし、問題はどちらも退社後に行こうとしていること。18:30開演の前者は近所でもあるし、大丈夫だと思うのだけど、18:00開演の後者は間に合うか、極めてスリリング(^^;; 台風の時は定時で退社したし、その気になれば決して不可能ではない、と踏んでいるのだが…
しかし、冷静になってみると、10月のオペラの観劇予定が4回というのは(幾ら安い席とはいえ)多過ぎだ。一応、月1回というのが、当初の目標なのに。身分相応に、来年はもう少し厳選しよう(と言いつつ、1月は既にマリンスキーオペラの「ワルキューレ」「ジークフリート」を予定していたような)
カルロス・ヌニェス来日公演2005@すみだトリフォニーホール。 平日夕方だけど、無事に間に合った。
こうして生で音楽を楽しむ、という時間は久し振りかも。 心が次第に解きほぐされていく心地良さ。今回の公演は映画音楽のアレンジ中心ということもあって、ゲストの大貫妙子の歌含めて、まったりとした感じで終わるのかと思っていたら、最後の数曲で(大人しい観客を)盛り上げてきた辺りは、やはりプロのエンターテナーだと思った。
でも、盛り上がりでいえば、一昨年の「ケルティック・クリスマス」での特別公演の方が凄かったような。あの時はMagicとしか言いようのない位の会場の熱狂だったので。
勿論、今回のまったりとした内容も、それはそれで満足だけど。
貰ったチラシの中で、今年の「ケルティック・クリスマス」もようやく発表に。 今回のメンバーは、ソーラスとハウゴー&ホイロップにアイリッシュ・ダンサーとしてジーン・バトラーが来日らしい。ハウゴー&ホイロップはもはや恒例の、という感じ。隣の人は、あのお笑いコンビの、とか言っていた(^^;; …それは違うだろ。いや、確かに間違ってない (気はする)けど。
で、来日メンバー総揃いとなるメインの「ソーラス特別公演」の開催日は12/10(土)。…あれ、その日って何かあったような?
自分用のBlocで確認すると、果たしてソフィア国立歌劇場「オテロ」 を観に行く予定とバッティング… う〜ん、「ケルティック・クリスマス」の方が(多分)「オテロ」より遙かに楽しいとは思うんだけど、「オテロ」もこの辺りで、一回は観ておきたいし。せめて他の単独公演の日にでも行くことにしようか。
今年の夏の暑さに耐えきれなかったのか、居間のTV(5年目の32型ワイド)が壊れてしまったので、先日、TVを買い換えた。
今まで使用していたのはビクターのAV-32MP900だったが、買い換えたのは東芝の32DX100。このサイズでは価格比、一番賢明なのは、依然としてハイビジョンのブラウン管TVなので、その中で実売価格が一番安かった(ネットで11万円)ものを選んだ次第。
今回、電機店に見に行って改めて思ったのは、大画面のブラウン管TVはまさに絶滅寸前な電化製品だということ。新製品も今年になってから出てないし、大体、店に置いてない。
でも、配達されたTVを据え付けようとして、その重さに苦戦する私。…やはり、皆、液晶を買うよな。
ところで、本当は、以前から買い換えたいと思っていたのは、自室のTV(9年目!の21型ワイド)の方なのだった。画面が上に少しずれているという以外、故障はしていないのだが、視聴時間を考えると、もう少しまともなものに替えたい。取り扱いの手間(ながら見で何かをするため、左右や上に向きを変える等)を考えると、こちらは液晶しか有り得ないのだが、コストパフォーマンスに見合ったものとなると、悩ましい。
せめて、地元で地上デジタルが開始する(らしい)年末まで待つべきかも。その頃になると、価格も多少落ち着くかもしれないし…
図書館本は返却期限が今日来たのにアーサー・ランサムはまだ手付かず。なので、読み終えるまで、更新は更に途絶え気味、かも(^^;;
半年掛けてアーサー・ランサム全集を通読中(予定)、ということもあって、地元の図書館での借り方は、現状、かなり「抑えた」選択にしている。
まずはアーサー・ランサムを1冊(毎回、児童書の閉架から出して来て貰う)、ミステリ関係(現在は恩田陸)から1冊、その他の小説(現在は川上弘美)から1冊、後は美術か民俗学辺りの棚から適当に1冊、といった具合。2週間で6冊までは借りられるのだが、アーサー・ランサムだけで1週間弱掛かるので、無理はしないとすると、大体そんな感じ。
先週借りた「蛇行する川のほとり」に、予約を入れていた「黒と茶の幻想」も追加、と現在、手元には恩田陸の未読本が溜まっているのだが、ここ数日は購入したばかりの文庫本を珍しくすぐに読んでいたりするので、図書館本の消化は一向に進まない。アーサー・ランサムも手付かずだし…
で、今読んでいる本は何かというと、文春文庫の新刊、A・J・ジェイコブズ「驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる! 」(Amazon) 。
この余りにも酷いセンスの邦題はどうかと思うが、内容はまぁその通りで(といっても、この題では正確には分からない。「百科事典男」って何?)、全32巻のブリタニカ百科事典の全ページを通読しようと思い立った 人物の日々のレポート。店頭でパラパラと捲っていて、ピンと来るものが有ったので、思わず購入してしまった。
ちなみに、(読者の私が)今読んでいるのはPの辺り。
ここ数日、更新出来ないほど忙しかった。とかそういうわけでは別になくて、むしろ逆だったのだけど、間が空けば空くほど、更に怠け癖?が付いていく感じで。
今週やっていることといえば。例えば、RD-X5に5月から取り溜めた番組の内、美術系の中から「Design Channel」や「ニューデザインパラダイス」辺りを消化中。普通に見ていると一向に減らないので、倍速再生で(^^;;
ところで、後者はいかにも(良くも悪くも)小山薫堂的な深夜番組だと思うのだが、放送開始から1年以上経った今でも、見ているという人の話を余り聞かないのは何故だろう。
展覧会で溜まっている分は、とりあえず置いておいて(というか、一体、どうすれば…)。
五百城文哉の名を最初に知ったのはいつだろう、と考えてみたが、どうも思い出せない。ともあれ、その植物画を一度見てみたい、と前から思っていた画家だっただけに、今回は「待望の」展覧会。
その緻密な植物画から連想したのは、この前テートで見たリチャード・ダッド「お伽の樵の入神の一撃」。遠近感無く、隅々までピントが合っている世界の持つ幻想性というか。
ただし、遠近感が無いといっても、若冲や田中一村のような「望遠レンズ」の風景ではなくて、五百城文哉はあくまでも「標準レンズ」という印象。基本的に嘘が付けない性格の人だったのかも。水戸藩士の家の出だし。植物画の写生図を実際に生えている状態で描くという(ボタニカルアート一般から見れば)ユニークな姿勢も、植物の本来の姿を大事にするところから来ていたような気がする。
油彩にしろ水彩にしろ、高橋由一同様の、「描くこと」への強い執念とでもいうものを感じたのだが、この時代に「画家」であるということはどういうことだったのだろうか。この時代の画家について、そして五百城文哉について、知るべきことはまだ幾らでも有る、という感じ。
Novel。新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー2」。
「TT」好きとしては、あー、何というか、非常にもどかしい思いで。作中のコージンの台詞じゃないけど、エピローグ(=説明)抜きで(それだと小説として成立しないのは分かってるけど)、「ただのファンタジー」で終わっていれば…、と思ってしまった私は、SF読者としては失格なんでしょうか。でも、この夏、「ひとなつの物語」をこうして読めたのは良かったかと。
聖心ウルスラ学園の試合は勿論、録画しておいて、(1回が終わったところで流れた)その校歌を聴いた。
いかにも元々女子校としての校歌を無理やり男性コーラスで歌い直したという感じのアンバランスさは、ほぼ予想通りだったのだけど、歌詞の方は凡庸以下の出来だったのが残念。全体がごく短いのに「意気高く」という言葉を3回も繰り返す歌詞って… 吉幾三ですか? カトリック系女子校(元)の校歌に対して、過大な期待と幻想を抱き過ぎていたのかも、私。
あと、驚いたのは、最初の学校紹介で、「カトリックの宗教関係者から」名前を取った、と説明があったこと。ということは、「聖人」(「聖女 」)って、NHKではNGワードなの?
Novel。新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー1」。
「アーサー・ランサム全集2 ツバメの谷」。
ツバメ号の乗員であるウォーカーきょうだい(兄姉妹弟)とアマゾン号の乗員であるブラケット姉妹の出逢いを描いた第1巻の「ツバメ号とアマゾン号」に続くこの2巻では、一年後の夏に、湖に戻ってきたウォーカーきょうだいと、地元のブラケット姉妹が、ヤマネコ島をキャンプ地とした冒険の日々をまた繰り広げるのだろう、と誰でも期待するところ。
ところが、物語が始まってすぐツバメ号は座礁してしまい、修理が終わるまで湖には出られなくなるウォーカーきょうだい。一方、ブラケット姉妹も、滞在中の厳格な伯母から、良家の子女としての振る舞いを要求され、ウォーカーきょうだい達のところに自由に遊びに来ること さえ出来なくなる(あの「海賊」姉妹が、伯母の手前、お嬢様ファッションで大人しくしている様が可笑しい)。
と1巻目の「冒険」を封印するところから2巻が始まる。シリーズものの2巻の展開として素晴らしいと感心。物語の「世界」を広げるためには、昨年と同じことをやっていては確かにしょうがないのだが、それにしても、いきなり大切なツバメ号を転覆させるとは思わなかった。
2巻で、湖上の冒険の代わりに描かれるのが、秘密の谷(秘密の洞窟付き!)でのキャンプ生活と、(近所で一番高い山である)「カンチェンジュンガ」登山。羨ましいのは、子供達が登山に成功した後にそこで発見するのが、自分達の親が数十年前に残した「マッターホルン」登頂のしるし。
親達も同じようなことをして遊んできたんだ、というのが分かる好エピソードなのだが、日本の児童小説ではまず無理だろうな。自然環境自体、ここ数十年で激変してきたし、そういう優雅な生活水準が2世代以上続いたケースなんて、ごく例外だった筈。そう遠くない過去まで「貧乏」だった国なので。(というか、今読んでも、この子達の「夏休み」は羨まし過ぎ だ)
といったことも含めて、1巻よりぐっと面白くなってきたので、3巻以降も引き続き(ぼちぼちと)読んでいく予定。
今夜のBS2「深夜劇場へようこそ」。
松本修という名前に、この1月に(体と首を横にして)見た「城」か、録っても見直さないよなぁ…と詳細をサイトで確認すると、前作の「AMERIKA」の方では無いですか。比較のためにも一度観てみたいと思っていた作品だけに、ちょっと得した気分。というわけで、録っておこうかと。すぐに観るというのは難しいにしても。
私の勤め先は、お客様第一のサービス業なので、基本的にはノーネクタイなどとんでもない、のだが、今いるビルの部署はそういう制約が無いので、時代に迎合して(というより冷房費節減の観点で)今年から半袖上着無しの軽装勤務に限り、ノーネクタイ可となっている。
しかし、私が毎朝1時間乗るJRの車両では、強い冷房の風がずっと腕に吹き付けてくるため、長袖で無いと体調を崩すこと必定。今まではやむを得ず、長袖上着有りの状態で通っていた(長袖上着有りと半袖上着無しの両極端しか、この官僚的な会社は認めていないのだ)。が、このところの帰りの暑さに、流石に耐えきれなくなり、半袖、しかもこの際ノーネクタイにしてしまおうと決意。
となると、問題は朝の冷房対策。何か身に纏うものが必要だと、この暑い中、買い物に出掛けて、結局、その時だけ着る用のごく薄手のジャケットを買ってきた。
上着無しの軽装をするために新たにジャケットを用意する… 何だか凄く本末転倒、な気がしないでもないけど、夏風邪を引くのも嫌だし。
あと、軽さだけで選んだ安物(セール品で1500円だった(^^;;)なので、実際に羽織ると、かなり妙に見えると思うのだが、自分が座席で寝ている間のことだし、まぁ別に良いか、ということで。
高校野球に興味を失ってから久しいが、この夏は少しだけ気になる出場校がある。言うまでもなく、聖心ウルスラ学園である。
ウルスラといえば、ハンス・メムリンクの聖遺物函が有名な、あの聖女ウルスラ?と学校のサイトで確かめると、やはり、その通りで、「女子教育の保護者としてその名を頂く」という由来が。なるほど、数年前まで女子校だったからか。
ちなみに、聖女ウルスラに関する伝説は勿論、ウルスラが殉教するまでの話なのだけど(聖人・聖女は大体、殉教者がなるものなので)、登場人物の数が余りにも多過ぎて、真面目に聞いているのが馬鹿らしくなってくる伝説の一つ(→「黄金伝説」の一挿話として詳しく紹介しているページ参照)。その極端なインフレ振りがこの伝説の面白さ?なんでしょうけど。清らかな乙女ばかり1万1千人で組織された船団って、当時のイギリスにそもそも、どれだけ人が 住んでいたんだという…
あと、この話を読んで、王の求婚に対して無理難題を言い放つ姫、って「かぐや姫」みたい。と思ったのは私だけ?
というのはどうでも良いけど、(元)キリスト教系女子校なら、校歌も聖歌風なのだろうか、というのが目下「気になっている」こと。
私の母校も、以前にも書いたように、團伊玖磨氏作曲による(氏が女子 校と間違えたと噂される)優美で高い音程のメロディと、「いざ、さらば」と盛り上がる卒業式専用としか思えない歌詞、しかも最後まで校名が一度も出て来ない、と甲子園で歌われたら、多くの人に衝撃を与えるであろう素晴らしい「校歌」を持っているのだが、残念ながら、最激戦区の神奈川県にあるので(というか強かった例しがないので)、県の上位100校が出場辞退の事態にでも陥らない限り、まず甲子園に出る機会は訪れないと思う。
ともあれ、聖心ウルスラ学園の校歌は是非、一度聴いてみたい。そのためにはまず勝って貰わなくてはいけないわけで。当サイトは聖心ウルスラ学園を応援しています。って今さらなフレーズを使ってみたり。それとも、1回戦だけは勝者・敗者、両方流すんでしたっけ?
Comics。菊池直恵「鉄子の旅」4巻。
キートンの「ハードラック」が参院中継のため一ヶ月延期になって、政治に対する不信を更に強める今日この頃。というか、国会中継はニュースチャンネルであるBS1でやれば良いんじゃないの? 地上派だって総合テレビで流しているんだから。
残りの2つは、(「文化生活一週間」だけでなくて「ゴルフ狂」も)見たことがあっただけに、なおさら「ハードラック」が見られなくて残念。
「文化生活一週間」は何度見ても、あの家と最後のシーンは笑える。
「ゴルフ狂」は反乱を起こした囚人達を看守達が撃ち殺すとか、夢オチにしても割と陰惨な感じ。例えば「戦艦ポチョムキン」辺りと並べても違和感がないというか。囚人の親玉が看守の一人を足を持って振り回すシーンには、ジャイアント・スイングて、この時代から既に有ったんだ、と妙な感心をしたけど。
Comics。丸川トモヒロ「成恵の世界」8巻。
図書館で借りたアーサー・ランサム全集2巻の返却期限が迫ってきたので、今週は更新よりも、そちらを優先の予定(現在、未だ151/560P)。ちなみに1巻は児童図書室の開架に有ったけど、2巻以降は全て閉架。今時、読む人は(少なくとも本来の対象である子供は)もはや、殆どいないんだろうな…
BS2で、明日から3日間、バスター・キートンの短編(「キートンの文化生活一週間」「キートンのゴルフ狂」「キートンのハード・ラック」)の放映有り。
「探偵入門」や「将軍」といった長編の代表作と違い、これら短編はいざ見ようと思ってもなかなか見る機会がないので、要保存。この中で一番有名なのは、「文化生活一週間」でしょうけど、個人的に興味があるのは未見の2作の内、「ハードラック」。
『仕事をクビになり、彼女にもふられ、世の中がほとほと嫌になったバスターは自殺を決意するが、やはりつきが無く何をやっても死ぬことが出来ない。』という前半はキートン作品の定番のストーリーなんで凡そ予想が付くけど、『しかし、酔った勢いでアルマジロ捕獲に名乗り出てから人生がついてきた・・・』の後半が、どういうギャグで組み立てられているのか。
というか、アルマジロ捕獲って?
Novel。恩田陸「ロミオとロミオは永遠に」(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)。
図書館本。ここ数日で読了。恩田陸の中では余り良い評判を聞かない方(悪ノリ系)の作品なので今まで手を出しかねていたけど、借りて読むなら、ということで。予想通り、かなり ぐだぐだ(^^;; ただし、最初から低調な分?、いつもより普通に終わったのが意外といえば意外。
恩田陸が現代?を描こうとすると、どうして妙に屈折してしまうのか、は気になった。あと、もっと20世紀的だった気がする「国民クイズ」との相違点は何なのかと考えてみたり と。
久し振りの「ベルギー象徴派展」が変わり映えしなかったり、「レオノール・フィニ展」が外し気味(才気は有ったけど、才能は…、だった画家という印象)だったりと、期待する割にはいつも何か足りない気がするBunkamuraザ・ミュージアム 。今月はギュスターヴ・モロー展。 モロー美術館には昔行ったので、それほど気合いを入れて待っているわけではないですが。
Bunkamuraのチケット情報誌をパラパラと見ていたら、モロー展に関して「前期・後期で展示作品が入れ替わる!!」との見出しが。いや、展示替えは分かるけど、「水彩・素描の全230点は〜9/11までと9/13〜で展示が入れ替えられるので二度楽しめる!」と、それを自慢するのは 、ちょっとどうかと。
東京新聞の展覧会紹介を見ると、松江展が前期、神戸展が後期にスライドしているようなので、そう思えば、お得 なのかも。でも、2回分金払え、ということでしょ?
とはいえ、ギュスターヴ・モローが好き好き大好きな人なら、彼の本領は水彩画にこそ有ると思うので、(2回分払ってでも)両方ともお見逃し無く、と言っておきたい。本当は、この手の展示替え有り展覧会は、熱心なリピーターのための割引をすべきだと思う。あるいは、前売りで前期・後期券を通常より安く売るとか。
もっとも、私の場合、(毎回2枚チケットが来る)Bunkamuraの会員なんで、今回は、別にどうでも良いですけど。