空の蒼さを 見つめていると


2003年12月

12/31

 夕方やっていた「プリンプリン物語スペシャル」。内容は主に、放送当時のスペシャル「プリンプリン物語紅白歌合戦」だったが、紅組の方は、プリンプリンが毎回出てきて歌うのには笑った。どさくさに紛れて「あこがれ」 (石川秀美)のレコードまで掛けてるし。他の人はヘドロが1回歌った位で。ちなみに、私は、紅白を見たりはしません。

 

 この1年を振り返って何かのベストをまとめる、というと昨年同様、せいぜい展覧会くらいしか、書きようがないのだけど、一覧を改めて眺めてみると、これだと言えるものがない… 個性的な展覧会は勿論あったけど、「誰もが認める質量ともに充実した展覧会」については不作の年、というか何一つとして思い付かない有様。

 …単に私が行かなかっただけ? 確かに、下半期は見に行くのをさぼったな、とは自分でも思っているわけですが。夏の旅行の反動もあって、気が抜けてしまったので。そんなわけで、今年は特にどれかを選ぶことはせず。あえて選ぶなら、やはり旅行中に見た絵からになるのだろうけど。ここからさらに選ぶなんて不可能だ。

 一方、来年はメジャーな展覧会だけでもかなり目白押しな様子なので、今から楽しみ。

 

 「灰羽」は結局、昨年のTV放送時と全く同じ形(途中から1回に2話ずつ)で、11話まで視聴終了。今年最後の1時間は、残りの2話を見ることに使うつもり。

 というわけで、今年の更新はここまで。

 

12/30

 今月のジョーンズ作品の中で「ファンタジーランド観光ガイド」は未購入。来月の楽しみも一つくらい、取っておかなくちゃ。

 

Novel ダイアナ・W・ジョーンズ 「いたずらロバート  ブッキング

 ジョーンズ作品がまだ数作しか翻訳されていなかった昔(といってもほんの数年前)、貴重な翻訳、かつ既に絶版ということで、いずれ入手せねば、と思っていた本の復刊。

 彼女の作品としては2作目らしい。なので、物語的には、すごくシンプル。今のジョーンズなら物語の中に、あと5,6個はトラブルの種をばらまいてみせるところ?

 例えば、本編のロバートは、この前の「マライアおばさん」の某人物を連想させるのだが、 「いたずらロバート」ではその話が全てなのに対し、「マライアおばさん」では、多くの設定の一つでしかない。つまり「いたずらロバート」を今風に「書き直した」のが、「マライアおばさん」だと言えなくもないわけで、今まで余り意識することのない、作者のテクニックが時代と共に上達したこと、を実感させるという点で も興味深い一冊。

 ただし、シンプルながらも「ジョーンズらしい」面白さは勿論、持っているのだけど、お薦めかというと優先順位は正直言って低め。これだけジョーンズの圧倒的に面白い作品が溢れている時代だと特に。小学生が学校の図書室で何気なく読み、後年、他のジョーンズ作品を読んだ際に、似たような本を前に読んだことあったような?と思い出す、というのが一番正しいこの本の読まれ方かも。

 

Novel ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 「七人の魔法使い  徳間書店

 作者自身が、書いている内に(自分でも思っていなかった)その展開にわくわくしたというだけあって、前半からは予想も付かない物語後半の飛び跳ね方が楽しい。

 ラストでの、「悪」という燃えないゴミ?の捨て方は、有る意味、無責任すぎるような気がしないでもないけど。ディケンズの時代に、問題は全て移民で解決、とかやっていたのと余り変わらないような… まぁ、日本でも手塚治虫先生が、イルカに乗った少年の漫画 のラストで全く同じことをやっていたりしますが。

 ともあれ、これって、アニメにすると凄い面白いような… いや、違った。「アニメっぽい実写」が一番向いていると思う。ティム・バートン…だとジョーンズの世界にはウエット過ぎるので、もう少しカラッとした感じで。撮影監督のビットリオ・ストラーロが無駄に懲りすぎた映画「ディック・トレーシー」みたいな画面で、アニメっぽい動きを俳優にさせると絶対はまる筈。

 などと思いながら読み終えて、訳者あとがきをみたら、既にBBCでTVドラマ化されているらしい。なるほど、映像化したいと思うのは皆、同じか。でもTVドラマだと、原作本来の「すさまじさ」?が充分に再現出来ないと思うので、ここは是非、映画で誰かやってみて貰えないものかと。他の作品でも良いので。

 スタジオ・ジブリがあるじゃないか? あれは100%「宮崎的ハウル」なんだろうから、ジョーンズらしさという点では微塵も期待していないのです。

 いや、でもそのお陰で、徳間書店から、(この作品を含む)空前のジョーンズ作品ラッシュ、いうなれば「ジブリ・バブル」が巻き起こっているのも確か。だから、大感謝してます、ええ。いっそ、あと1年くらい映画の制作が遅れてくれないものかと。そうすれば、もっともっと翻訳作品が増えそうなので(^^;;

 

12/29

 移転後の渋谷の三省堂コミックステーションは、品数が無くなって全然使えなくなった…と思っていたけど、実は2階が有ったのか。今日初めて気付きました。

 というわけで、安倍吉俊の画集「グリの街、灰羽の庭で」を帰りに購入。個人的には、これ以上望めない位、タイムリーな発売。

 初めて実物を目にした「羊のうた」完全版も少し悩むが、今は冬目景に対するコレクター的な情熱は割と冷めているので、止めにする。新作であれば発売日に買いに行くのは変わらないけど。それにしても 、冬目景の本をまとめたコーナーに「妖幻の血」も一緒に並べるというのは、本屋としては正しいかもしれないが、人としてはやはり間違っている、と思う。

 

12/28

 グリの街に、冬が到来。これからだ…

 

 御利益何でも有り、みたいなその無節操さから、何が本尊なのか、昔から気になっていた成田山新勝寺。←公式サイトを見てみたら、不動明王なのか。

 『お不動さまは、真言密教の根本仏である大日如来の化身であります』とか言われても、え、そうなの?としか反応出来ないが、空海に由縁する真言宗の寺なのは分かった。とはいえ、真言宗と言ってもやたらと流派があって、素人には何が何やら。

 調べてみると、成田山は、高野山直属ではなくて、真言宗智山派。他にも、川崎大師や高尾山、高幡不動などが同派とのこと。で、総本山が智積院。へぇ、智積院はそんなに大きな流派の総本山だったのか。全然、知らなかった。ちなみに同じ東山で、名前がやや似ている気もする知恩院は浄土宗の総本山。 宗派自体、別なのね(当たり前だ)。

 京都にいた頃、ネットがあれば、寺巡りをする時、便利だったのに… と自分の無知さ加減を棚に上げて、感心する私。

 ともあれ、(有名どころは)どれも現世御利益を誇示宣伝する点で共通する寺のような>智山派。商売繁盛とかを願うなら、それくらい積極的な営業姿勢の寺でないと駄目なのかもしれないが、個人的には、ちょっと苦手で、行きたいとは余り思わない。まぁ、私は初詣自体、元々、行く習慣がない のだけど。

 ところで、今回の件で知った、弘法大師と真言密教に関するリンク集「弘法大師空海と高野山への旅」の情報密度の濃さには感動。

 最近のネット一般の「広く薄く」に慣れちゃっているけど、元々、ネットに期待していたことって、こういうレベルだったような気が。空海に関しては、その伝説も含めて多少は知っておきたいと思っている人物なので、いつか、機会が来たら、ここを参照させて貰おうかと。

 

12/27

 今のところ、「灰羽連盟」は毎日1話ずつ、順調に消化中。ただし、とある事情により、「カレイドスター」もその後で1話ずつ見ているため、「灰羽」でラッカが喋る度に、語尾を2回繰り返しそうな気がして、すごい不安(^^;;

 

Book  田中眞澄 小津安二郎 周游  文藝春秋

 小津という一人の映画作家とその作品の足取りを辿っていく中で、作品と作られた時代の文化(戦前のモダニズム等)との同時代性に改めて注意を促し、ひいては、昭和という時代そのものに意識を向けさせる、映画作家の「評伝」という形を取った社会文化史 。

 画期的な、と言っても良い労作。勿論、著者にとっては画期的、というよりは、今までの集大成という方が正しいのだと思うが。

 小津といえども時代から離れては存在しない、という当たり前の事実(しばしば忘れがちだが)と、他の監督、作家と違い、時代に埋没することのなかった強固な距離感(十何年掛かっても、没シナリオを映画にするような頑固さに代表される)の両方を、改めて実感させてくれる。

 17のトピックの中では、モダニズムを再考した戦前の章が特に優れていると思うが、読者として一番、ショッキングなのはやはり、戦時中に小津も従事した中国での毒ガス部隊の詳細に関する章。勿論、小津が毒ガス部隊にいたことまでは現在ではよく知られていることだが、その実態がどうであったのか、あるいは当時そして戦後、毒ガスの使用がどう扱われてきたかということ(簡単に言えば、存在しないものとされてきた)については恥ずかしながら、私自身は全く無知だったので。

 

 というわけで、最後にまともな本を読んだところで、今回の書籍での小津月間は終了。あとは、DVDでの再見なのだけど、……いつになることやら。まぁ、全部でも40本はないわけだから、週に1本も観ていけば、1年以内には軽く終わる筈だけど。計算上は。

 

12/26

Art 生誕100年記念展 棟方志功  Bukamaura 2003.11.22〜2004.2.1

 忙しい年末間近に棟方志功など見に来る人などそう居るはずもなく、閑散としたBunkamura。

 棟方志功といえば、決して「知られていない」画家ではないわけだけど、こうやって、大作をまとめて見る機会もそうはないわけで。まぁ、エネルギッシュというか、とにかくパワーがあった人なのは確かだよね。って今さら感想がそれかという。

 多分、海外の美術展での審査委員のように、何も分からず(彫られた字も読めずに)見た方が、ただ感歎することが出来るタイプの作品なのでは? 同じ日本人として、余計なことが透けて見える分、素直に楽しめないところがあるのが気に掛かるというか。

 気のせいかもしれないけど、この人の場合、コンプレックスとか虚栄心とか成功欲と同種のどす黒い感情が画面の底辺にうっすらと流れている気がする。それが一慨に悪いわけではないが、所謂「天衣無縫」なイメージとのギャップから、ある種の不信感を抱いてしまう。例は悪いが、「みつを」(実はちょっと似ている ?)が好き だという人はとても信用出来ない、みたいな感じ?

 

 ところで、谷崎潤一郎の短歌を幾つか選んでそれに絵を付けた「谷崎歌々板絵柵」という作品があったのだけど、題材として人工衛星を詠み込んだ歌が有ったのには驚いた。

 「空に人工衛星の翔る日に生きてあらばや」

 まさか谷崎潤一郎がSF短歌を? というか、谷崎って人工衛星が実用化される前に亡くなったんだっけ?

 彼の没年は1965年。一方、世界初の人工衛星は勿論、1957年10月4日に打ち上げられたスプートニク1号。実際には願い通り、「生きて」いたわけだ。改めて、この「絵柵」の制作年を見ると、なるほど1956年。歌は少なくともその前には 作られた筈だから、その頃は、谷崎ですら?そういうことを言う雰囲気があったことが伺える。新しい時代の象徴みたいなものだったのかも。

 人工衛星といえば、低迷する国力の象徴として、国民からひどく冷たい目で見られている今の時代とはえらい違いだな…

 

12/25

Picture Book   乙一・羽住都 くつしたをかくせ!  光文社

 「夜になると大人たちは、おびえながらこどもたちに言った。サンタがくるぞ!」(帯の紹介)。で題名のように、「くつしたをかくせ!」と。

 ほうほう。それで… え?それだけ? 捻りが最後に何か入るだろう、と期待した私の方が間違っていたの?(^^;;

 「見えないもの」を表現しようとした、らしいけど、「絵本」って結局、「見せる」ことの中で全てを表現するメディアじゃん(2枚の絵を並べて、その間の時間を表現するといった間接表現はあるとしても)。(乙一好きの私から見ても)ひどく凡庸な出来にはがっくり。作者は幼少期に良い絵本を読んだ体験が無いのでは? 羽住都の絵自体は悪くないのだけど。

 まぁ、後書きだけは相変わらず、面白いわけですが…

 

12/24

 今年も残り少ないので、昨日より「灰羽連盟」を見始める。1日1話のペース、では今年中に終わりませんね… 大晦日に、残った分をまとめて見ることになりそう。

 

 日本で、クリスマスという異国の行事が、違和感なく受容された前提として、サンタクロースが実は馴染みのある存在だったことが大きかったのではないか、とふと思う。勿論、サンタクロースなんて日本には居なかったわけだけど、その代わり、福の神である「恵比須様」という、「機能」的に全く同等の存在が元々居たわけですよね。そう、まさに「夷」。

 外の世界より来たる、富をもたらす異形の存在。民俗学で言う「異人(マレビト)」。シャンシャン鈴を鳴らしながらやってくるのも、異人の前触れには金属音が伴うのと合致している。

 つまり、日本では、クリスマスは(キリストの生誕とは余り関係なく)異人の来訪を受け入れる祭りとして受容され、だからこそ、ケーキやケンタッキーフライドチキンを「食べる」ことが必要不可欠なことと理解されてきた…(日本では一般的に「祭り」=ハレの日の食べ物を口にすること、である)。などと何を今さら、みたいな話を突然、始めたかというと。

 異人ときたら、小野不由美のファンとしては、連想するのはただ一つ。毎度お馴染み?「異人殺し」の伝説。

 江戸の昔、異国(ロシア?)から流れ着いた老人を一旦は救いながら、雪吹き荒ぶ年末近くの晩に殺してしまい、奪った持ち物を元に財を成したという伝説がある海辺の旧家。埋められたとされる場所には、当時植えられたという樅の木が一際高く聳えていて、毎年その時期には今でも、海の彼方から風の音に混じって鈴の音のような音が聞こえて来る…

 こんな感じだ、きっと。

 

12/23

 久々に外に出なくても良い休日だったので、年賀状を作成したり(必要最低限の十数枚だけなので、実は手で書く方が早いのだけど…)、溜まっていたビデオを消化したり、のんびりと。

 

Cinema  候孝賢 珈琲時光」  有楽町朝日ホール(試写) (公式

 OZU2003後のプログラムとして、試写上映されたもの。完成が、ぎりぎり間に合ったらしい。小津安二郎にオマージュを捧げるという意味合いを込めて、日本で日本の役者を使って撮られた日本映画(当然ながら、松竹配給)。上映前の監督挨拶によれば、オマージュとは「形式」ではなくて「精神」という意味で理解して欲しいとのこと。

 

 実は最近の候孝賢の映画を見ていないので、近作との比較は出来ないが、それにしても、えらく、ゆるゆるな映画だと思った。その緩慢な時間の流れこそが、この映画の目的なのだろうけど、心理的緊張に満ちた劇的な(いわゆる「映画的な」)瞬間を期待する人にとっては、肩すかし、で終わってしまうこと間違いなし。

 ヒロインと家族の間の話が淡々としたままなのは、「そういう話」だとしても、同時並行する、戦前の台湾出身の作曲家の足取りを訪ねる物語が、これぞ、という成果が明確に描かれることなく終わってしまうのには、作りものでない「自然さ」があると好感を持つ人と、「結局、何だったの?」と物足りなさしか覚えない人に二分されそう(多分、普通、後者だ)。

 ヒロインの過去を象徴する物として登場する、「取り替え子」を題材にしたモーリス・センダックの絵本「マヤウルのおくりもの」「まどのそとの そのまたむこう」にしても、後でフォローされないので、登場するだけにしか見えない。いや、実際の人生では物事はそういうものだ、とは思うけど。そういうものを再現するのはどうなのかという…

 まぁ、日常生活の感情の細やかさというリアリティに拘るのは良いとして。その割に、全体にクリシェ(と取られて仕方ないもの)を使い過ぎなのが気になった。センダックもそうだし、ヒロインの好物が「肉じゃが」だとか。

 良かった探し?としては、御茶ノ水駅を初めとして駅や電車を写したシーンはさすが候孝賢、という画面だったこと。鉄道好きだった小津のキャメラマン厚田雄春なら「うめぇなぁ」と誉めたに違いない。というか、この映画を小津と関連付けて褒めるなら、まずは誰でもそこだろう。

 しかし、松竹の宣伝部は、…売り難いだろうなぁ、この映画。小津の名を単純に連呼したら、詐欺みたいなものだし。

 個人的には嫌いな映画では無いので、必要な人(って誰?)には見て欲しい、とは思うのだけど。見て頂ければ、私のこのモヤモヤとした感想も分かって貰えると思うので(^^;;

 

12/22

 というわけで、寒鰤のしゃぶしゃぶ。…またですかっ!

 

Book  吉田喜重 小津安二郎の反映画  岩波書店

 これも会場で買ってみた一冊だが、ちょっと奇妙な印象を与える本だった。

 通常の映画批評や解説ではなく、小津安二郎の作品と真摯に対峙した著者が、作品の「黙示」をどう受け止めるか、自問自答しながら書き進めたような文章(…だろうか。…だろうか。…だろうか)。あたかもキリスト教上の、神との対話である信仰告白を思わせる。

 個人的な「体験」としての小津安二郎の映画の生々しさをそのまま書こうとしたその誠実さは、笠智衆の木訥な演技のように、確かに読む人を感動させるものがある。ただし、その「体験」はあくまで吉田喜重個人のものであって、他の者には置換可能ではないのもまた事実。つまり、この本が「役に立つか」と問われると、そうとも言えないわけ なのが…

 言ってみれば、一読する価値はあるけれど、読んだ後は全て忘れてしまった方が良い、というような本? いくら貴重でも、結局のところ、他人の体験なので。

 ところで、「小津安二郎生誕百年記念復刊」と帯にはあるけど、5年前の本を再版するだけで「記念復刊」は無いだろう>岩波書店

 

12/21

  今日は今日とて、某所のライブから、今帰ってきたところ。さすがに疲れてきたけど、今年はこれで、ライブの予定は一応、終了。しかし、明晩はまた忘年会…

 

Magazine  東京人2003年10月号(No.195)  都市出版

 特集が「今こそ明かす小津安二郎」。シンポジウム会場の書籍売り場にあったので買ってみた。特集の中心記事である、関係者へのインタビュー(甥・長井秀之氏や姪・小津喜代子氏の話)は興味深かった。ただし、 映画監督やらが「小津映画をいま語る。」の方は、別に語って貰わなくても良いよ、という感じ。

 最もこの雑誌らしい記事は多分、川本三郎の「小津が見た東京」かと。まぁ、読まなくても予想が付く通りの内容だけど(^^;;

 ともあれ、この雑誌(の性格)が元々好きでない私としては、その範囲内である小津の特集も全体的には余り感心出来ず。ここにあるのは、ある種の懐古趣味でしかない。それもやや排他的な。東京人(て何だ)であることなんて、特に誇りに思う ようなことじゃ別に無いですよ。

 

Book  いま、小津安二郎  小学館 Shotor Library

 今春に何となく買っていた本。既に忘れていた。こちらは要するに雑誌「サライ」からのムック化。お洒落な趣味人としての小津安二郎を取り上げ、そのダンディズムについて今学 ぼう、みたいな本。小津のファッションとか、愛用品のパイプとか。それからお馴染みの「グルメ手帖」に登場する店の料理をカラー写真で紹介するとか。

 上記同様、雑誌の性格をそのまま反映した内容とは言えるのだけど、こちらには特に反感を感じないのは何故だろう。趣味に徹しているから? 勿論、趣味人としての小津個人と、小津の映画はまた別物だけど。

 薄いのに1,600円する以上当然かもしれないが、紙質は良く、収録されているスチール写真も非常に綺麗なので、個人的には納得。

 ところで、帯に書かれたコピーにはちょっと笑ってしまった。「21世紀になっても、小津安二郎は我々の隣にいる。」 …それじゃあ、ただのストーカーだよ。

 

12/20

 今年のケルティック・クリスマスのメインライブ。九段会館での「ケルティック・クリスマス2003〜カルロス・ヌニェス特別公演」。

 凄かった! 何かを見聞きして、ここまで完全燃焼したのは随分と久し振り。ガリシアン・バクパイプの奏者と聞かされても、パイプなんてどうせ地味だとばかり思っていた私が間違ってました。 まるでMagicのようだった、と話していた人がいるように、何が起こったのかよく分からないくらい凄い盛り上がりだった。

 昨年のアイリン・アイヴァースが凄かったので、今年はあそこまでは行かないだろうと思っていたけど、終わってみれば甲乙付けがたい内容。しかも、アイリン・アイヴァースが徹底したプロのステージの凄さを見せ付けたのに対し、カルロス・ヌニェスは聴衆と一体の演奏なのがまた素晴らしくて。

 オールスタンディングになって以降は、凄かった、としか言葉が出ないけど、全体で一番心に響いたのは、ガリシアン・バグパイプとイーリアン・パイプの共演。何かが舞い降りてきた気がする位、美しい瞬間だった。

 2公演で12,000円も、こちらが7,500円、木曜が4,500円と思えば、充分すぎる位、納得。

 

 それにしても、ティン・ホイッスル(リコーダー)系の名手の演奏を眼にすると、他の楽器以上に尊敬してしまうのは何故? もしかしたら、自分でも音階を鳴らすだけなら出来るから、その凄さが多少なりと想像出来るというところにあるのかも。…そういえば、明日は某縦笛集会の方だったっけ。

 

12/19

 BOOK 1st.にダイアナ・ウィン・ジョーンズの新刊「七人の魔法使い」を買いに行ったところ、復刊の「いたずらロバート」も発見。復刊ドットコムだと1,500円の本に送料380円というのが自分の中で納得出来なくて、注文しようか、ずっと悩んでいただけに得した気分。

 一方、指輪物語文庫版での追補編が今月出たのは、1年前、単行本版で買った者としては損した気分。本編は文庫版しか持ってないので、参照ページが一致せず索引として使用出来ないのにも関わらず、 中つ国の歴史を再確認するために買わざるを得なかったわけで。今さら買い直すのも、癪に障るし…

 

 Comics。細野不二彦「さすがの猿飛」4巻(文庫版)。帯にある「こんなキャラクターは私自身、この後も描けないかもしれない」という本人のあとがきが気になって購入。

 読んでみると、「こんなキャラクター」とは霧賀摩子ではなくて肉丸の方で、肉丸への愛着を語っていた。それはまぁ、良く分かるのだが、かつてのファンとしては、あの当時の線によるキャラクターをもう「描けない」辺りの事情こそ、本当は訊きたいところだった。

 勿論、今の細野不二彦も物語の語り方に掛けては昔以上に「巧い」。しかし、当時の線はもう望めない。今回の文庫版も描き下ろされた表紙は(4巻は特に)惨憺たる出来なのが、悲しい…

 「猿飛」といえば、今月発売されたDVDも気にはなったけど、90,000円のBOXなんて買えません。ちなみに、アニメの「猿飛」が後世に残した言葉といえば「スキトキメキトキス」という「恋の呪文」?だと思うけど、個人的には、三ツ矢雄二のラジオ番組で当時流れていた「さすがの猿飛、さすがのショウワノート」。

 

12/18

 ケルティック・クリスマス2003から、草月ホールでのシャロン・シャノンのライブ。

 …まぁまぁ、かな。悪くは無かったのだけど、突き抜けた印象は無かったので。シャロン・シャノンのステージにはもう少し期待していただけに。低音が無いのが物足りなさに?

 席も確かに前だったのだけど、前列の男の頭で舞台がよく見えなかったのも、今一つ冴えない印象に拍車を掛けた点。というか、舞台が見易いホールじゃないですね、ここ。毎回つい飲んでしまうマーフィーズは美味しいし、アンコールは やはり楽しかったのだけど。でも、これで6,000円は高いかも。

 

 アンケートに回答して貰ったKiLA「ルナパーク」のサンプルCD。聴いてみると、なるほど、ただ者じゃないような。何でも有り的な猥雑さは私の趣味と若干外れるので、CDで聴き込もうという気には余りならないけど、ライブはもの凄く盛り上がりそう。来年の 来日時に参加してみようかと考え中。ちなみに、プランクトンのサイトでも試聴は可能。

 

12/17

 寒鰤のしゃぶしゃぶ。とかその他の事情?で、まとまった時間が取れないここ数日。何とか、とりあえずレポートの後半。といいつつ、試写の感想までは辿り着けず。

 明日は、ケルティック・クリスマスからシャロン・シャノンのライブ。結構良い席の筈なのでかなり楽しみ。…平日の夕方、果たして時間に間に合うか、それが不安 。

 Novel。西澤保彦「実況中死」。

 

12/14

 「OZU2003」について、まずは前半部分だけ、簡単なレポート。自分用の覚え書きに過ぎないものを公開するのもどうかとは思いますが、関心のある方もいるかもしれないので。ちなみに、来年の正月明けにBSで放送があるらしいですが、全部併せて僅か75分だからなぁ…

 

 会場に置いてあったチラシを見て初めて気付いた事実。「復活」の監督はタヴィアーニ兄弟だったのね。現在公開中にも関わらず、全然盛り上がってないようだけど、どうなんだろう。『タヴィアーニ兄弟が「復活」した!』とマスメディアなら(出来はともかく)とりあえず言っておこうと考えそうなタイトルなのに。

 原作がトルストイだからか、チラシの裏には、文部科学省選定とか全国高等学校PTA連合会推薦とか沢山書いてあって、いかにもつまらなそうなオーラが漂ってるけど、「父」とか「サン・ロレンツォの夜」の頃のタヴィアーニ兄弟はかなり好きだったので、観に行くよう一応努力しようかな… と思いながら、表を見直すと、題名と監督名の次に大きな文字で 書いてあったのが「東京都知事推奨」

 ……死んでも観に行きたくなくなった(^^;;

 

12/13

 今日については、黒崎さんがお元気そうだったのでとりあえず良しとします、とだけ書いておこうかと。元々、それだけが目的だったし。

 

12/12

 と言いつつ、2日間のOZU2003と候孝賢監督の「珈琲時光」の試写を見てきたところで、少しだけ。

 ここ半月ほど、小津小津と書いている私だが、日本で最高の映画監督である、とか思っているわけでは別にない。そういうのは、例えば黒澤明のような「相対的な」監督を好きな人が言いたがる序列主義であって(「世界のクロサワ」だとか)、小津の映画を観ることとは何の関係もない。

 今日の誕生日(命日)に因んで、多くのマスメディアが小津をかつての「巨匠」だの「名匠」だのと急に思い出したかのような賞賛をしていて驚いたが、「そういう小津」について も興味はない。私にとっての小津とは、何度観ても「まだ何も知らない」という恐れにも似た確信を抱かせる、つまり、「これから発見される」筈の映画という印象。

 言い換えれば、見る度に新たな時間が流れ続ける映画。

 

12/10

Book  蓮實重彦 「監督 小津安二郎  筑摩書房

 これもまた学生の時に購入して以来の再読。

 記憶の中では、同じ著者の例えば「夏目漱石論」のように、幾つもの作品に同じ主題が出現する様を、次から次へと指摘してみせる手品師のような手業の巧みさに感嘆する評論だと思い込んでいたが、久々に読み返してみると、もっと基本的な立場表明が中心だったので、ちょっと驚いた。

 いわく、小津を「…がない」という「否定形」の表現で語らない。「ものの哀れ」等「日本的な」もの、「小津的な」ものについて語ろうとするのは、小津の映画とは無縁の振る舞いでしかない。画面を見る、という困難なことに徹する。

 どれも当たり前なことばかりだが、当時はそれほど基本的なところから始めないといけない位、(小津に限らず)映画に対する言葉が不自由な、風通しの悪い時代だったことを忘れてはいけないのだろう。でも、これは確かに、具体例の章を追加したくなるところ 。

 新たに3章が書き加えられた〈増補決定版〉も一度読まないといけない気がしてきたが、そのために買い直すのも… 同じ本は2冊は買わないというのが、私の基本的な考え方なので。要するに置き場所が無いからなのだが。

 

 間もなく小津の生誕百年(&没後四十年)。というわけで、明日、明後日は、シンポジウムに参加の予定。

 

12/9

 今週後半に休みを取るために、いつもよりはバタバタと。

 

Book  松竹=編 「小津安二郎 新発見  講談社+α文庫

 写真を中心にした小津の紹介本。内容的には特筆すべきところはないが、俳優毎のスチール写真が載っているので、いつも出てくるあの俳優って何て名前だっけ?みたいな人には、便利な本?

 俳優に限らず、確かに写真、それも珍しいもの、が多い。子供時代の中井貴恵(=佐田啓治の娘)と遊んでいる姿は今までも見たことがあったけど、同じく子供時代の関口宏(=佐野周二の息子)を抱いている写真は初めて見た。有名人の交遊を写真で見るのが好きな人には向いていそう。

 もっとも、何が「新発見」なのかは、結局分からなかったが…

 

Novel  高橋治 「絢爛たる影絵−小津安二郎  講談社

 「東京物語」の助監督だった著者が書いたいわば私小説としての「私から見た小津安二郎の実像」。当時の大船の助監督(篠田正浩や大島渚ら)が、小津監督をどういう風に思っていたかがよく分かる。割と通俗的に面白かったが、それが小津の「映画」を楽しむ上で必要なことかといえば、それはまた別の話 。

 ただし、著者がこの話を書くことで、何らかの落とし前を付けたかった、ということは何となく理解出来た。ある種の告解のようだ、というか。あぁ、何かを思い出すと思ったら、「アマデウス」か。「偉大なる存在」を見つめた身近な同業者の回想というのは、どうしても 、ある意味でサリエリ風になってしまうのかも。

 

12/7

 今日は久々に澄み切った良い天気。住宅地の外れからは、このように富士山もくっきりと。

 このところ、散歩のついでに探していたある人の家を、3回目の今日、ついに発見。

 近所にあるらしいということは大昔から知ってはいたのだけど、具体的にどこかは知らなかったので。分かってみれば、灯台もと暗し。多分、そうだろうと予想した通りだった。勿論、分かったから別にどうするつもりもなくて。本人を見掛けたいと思っているわけでもない(多分、自分が不幸になるだけだと思う)。ただ、家の近所にある(徒歩25分以内にあった)以上、それ位知っておきたかったという程度の話。ともあれ、日当たりの良い、居心地の良さそうな場所で安心し ました。

 ちなみに、誰の家かは、今までの流れから丸分かりだとは思うが(^^;;、あえて固有名詞は出さないのが、こういう場合のお約束、ということで。

 

 ハイヴィジョンのスペイン世界遺産中継。

 ライオンの中庭は、今日ようやく出てきた。しかし、アベンセラーヘスの間もアセキアの中庭も最後まで見せないままで、「アランブラ宮殿中継」としては、かなり不満。その代わり、サンティアゴ・デ・コンポステーラでは、大聖堂内で巨大な香炉をブンブン振り回す様を中継してくれたので、満足。前から思っていることだけど、「巡礼の道」は一度歩いてみたいなぁ。

 いや、そんな暇いつになったら出来るんだ?とか、スペイン語がもっと話せないと辛いのでは?とか、800kmも歩けるのか?とか、そもそもあんたキリスト教徒じゃないだろう、と幾つか問題は有るわけだが。(…少なくとも、最後のは重要な問題では?)

 アランブラは世界遺産に指定されて以降、入場規制が厳しくなった等の違いはあるようだが、当然の事ながら十年やそこらで何かが変わった様子は無かった。例えば、私が歳を取って最後にもう一度グラナダに旅をしてアランブラを訪れたら、何十年も前に若い私が訪れた時と全く変わらぬ眺めがきっと当たり前のように広がっていて、建物の悠久の美しさと、自分の人生の儚さを感じたりすることになるのではないかと思う。それは甘美なことなのか、あるいは酷く辛いことになるのか、今の私にはよく分からない。

 だから、私にとってアランブラは、生涯の終わりにもう一度だけ行ってみたいような、二度と行かない方が良いような、そんな場所。

 

12/6

 寒いので、家の中で映画の日。2作品共、かつて映画館で観た時、衝撃を受けた作品の一つ(「麦秋」を初めて観た時の話は、昔書いた通り)。

 

DVD ジャック・ドワイヨン ラ・ピラート

 一人の女を男と女が奪い合う(一人の男を二人の女が奪い合う、ではない)三角関係に、更に二人の男女が加わって、五角関係?が行き着く先は…という話。

 あうう。思っていた以上に「映画館で観るべき」作品だった…

 一つには、久しく映画から失われていた闇の黒さが描れていると当時の蓮實重彦が激賞した、あの前半の、夜の画面の「黒さ」がモニターでは見えない、というもどかしさ。そして、もう一つは、のめり込んで翻弄されるべき作品なのに、モニターを通す場合、どうしても一歩引いて客観的に観てしまう ことでの物足りなさ。

 それでも、後半、フェリーに移ってからは、ラストまで息が付けない緊迫感に(モニターであっても)、ただ圧倒される。グリフィス監督が言ったという、映画とは「女と銃」であるという定義からすれば、これこそが映画だ、と呟くほかない、痛切なラストの美しさ。やはり、これは映画館の闇の中で、いつか、もう一度観たい。

 

DVD 小津安二郎 麦秋

 このところ、小津小津と言いつつ、実際には全然観てないので、今週のシンポジウムの前に、観た時の感じを思い出そうと、まずは一番好きな作品を開封。

 とにかく楽しい。色々な意味で充実した、小津の全作品の中でも最も豊かな作品だと思う。全てが満ち足りていて、終わってしまうことだけが物悲しい。

 この作品における「食べること」の重要性は、例えば貴田庄の「小津安二郎の食卓」で「麦秋」にだけ独立した一章が割かれていることや、あるいは蓮實重彦の「監督 小津安二郎」 における最初に選ばれた主題が「食べること」で、しかも「麦秋」のケーキについてであることでも分かるように、今まで散々と指摘されている 。私が今さら言うまでもないとはいえ、何度観ていても、この作品で杉村春子が「アンパン食べない?」という言葉を唐突に口に出すシーンほど、おかしく、そして感動的なシーンは 滅多に無い。しかも、アンパン。

 もっとも、庶民としては、もう一つの重要な食べ物として登場する(銀座で買ってきたらしい)高価なショートケーキの値段も気になるところ。(ホールで)900円だか950円と言っていたが、当時の900円といえば、かなり高い気がする。多分、現在だと4,5千円? 今 はそれ位のケーキを平気で買う人もいそうだが、当時はさぞ、うわっ金持ち、みたいな感じだったのではないかと。そりゃ、子供には隠して食べたくなる値段だわ(^^;;

 

 ところで、地元民として前から思っているのは、舞台となる家のロケーションの不思議さ。最寄り駅が(あの「チボー家」のエピソードも登場する)北鎌倉駅であるところを見ると、当然、北鎌倉の近くと思われるのだが、父親に反発した子供達が家出して海辺を歩 くシーンでは、間近に江ノ島が見える。それはもう腰越の辺りでは? 北鎌倉からだと子供の足では到底辿り着けない。私は一度、材木座から江ノ島まで歩いたことがあるので分かるのだけど、予想以上に遠いのだ。由比ヶ浜からでも10kmは有る。

 いや、まぁ、映画の中の話と言ってしまえば、それまでのことだけど、なまじ北鎌倉から東京までの距離感が正確に描かれているだけに、その奇妙さがいっそう際だってしまう。子供達はその晩、鎌倉駅前で座り込んでいるところを発見されたことになっている。由比ヶ浜まで行って戻ってきた、というのなら一応、納得出来るところなのだが…

 小津の映画でしか「Kamakura」を知らない外国人にとっては、鎌倉とは恐らく、北鎌倉駅、竹垣の道、セットの家、大仏、鶴ヶ丘八幡宮、江ノ島が近くに見える海、のほぼ6つだけで構成されている筈で、地図を描かせたら、町の中心(つまり鎌倉駅の位置)に北鎌倉駅が来てしまうのはほぼ間違いない。そもそも、鎌倉駅が実際に出てきたことって有ったかな…

 

 

 NHKハイヴィジョン、スペインの世界遺産の生中継。

 トレド、セゴビア、コルドバ、グラナダと自分が行った街はやはり、何もかも皆懐かしい。セゴビヤの水道橋の横は私もそこに立った!とか。グラナダのアランブラ中継は、王宮の中に入らず、外で喋っていただけ(普通怒るだろう、と思ったが、ライオンの庭は明日らしい)。むしろ、レオンの中継の方が、カテドラルのステンドグラスや、ガウディ建築の建物の紹介があって面白かった。

 今回の訪問箇所の選択とその紹介のコンセプトは、「レコンキスタ(国土回復運動)」。しかも、その紹介を通して、かつてスペインには3教徒(イスラム、ユダヤ、カトリック)が平和共存した時代があった、今の私達もその多様性と寛容の精神に学ぶところがあるのです、と言いたいらしい。

 いかにもNHKらしい採り上げ方だとは思うけど。ちょっと奇麗事過ぎるよな。融和が見られたのは過渡期の一段階であって、基本的には黒か白か、光と影に2分される世界。キリスト教徒でないものは根絶やしに、の土地柄じゃん。ほら、まさかの時のスペイン宗教裁判(それは違います)。

 ところで、レコンキスタがテーマなら、北から南下すれば良いのに、何故か北上する一行。週末の二大中継地としてグラナダとサンティアゴ・デ・コンポステーラに居たかったから?

 

12/4

 昨年、観ようと思った当初になかなか無くて難儀した「LoR」(SEE版)なので、今回の「二つの塔」は最初からamazonに注文。今日、到着したのだが、世間の話では、字幕が何やら悪化しているとか…… でも、どうせ最初に観るのは吹き替え版の方だし。 というか、「旅の仲間」のSEE版は、未だに吹き替え版でしか観ていなかった。

 どちらにしろ、少なくとも年末までは封印の予定。そんな暇が有ったら、溜まっている小津を少しでも消化したいところ。

 

 とはいえ、同時に届いたジャック・ドワイヨンの「ラ・ピラート」は近日中に観てしまう気が 。

 DVD自体は昨年から出ていて、店で見掛けたら買おう、と前々から思っていたのだけど、いつまで経っても見掛けないので、「二つの塔」のついでに、一緒に注文してしまった。この「ラ・ピラート」は公開時に、(まるで体当たりをされたような)強い衝撃を受けて、ふらふらになってしまった作品なのだが、公開時の画面は実はトリミングで滅茶苦茶になっていたらしい。「遂にノートリミング・無修正完全版で初登場」と誤解?を招くようなシールがジャケットに貼ってある。うわっ、もっと凄いのか 。観るのが恐いような、楽しみのような。

 ちなみに、「80年代フランス映画を代表する最も重要な傑作」というのが、ジャケットに書かれているコピーだけど、その言葉は多分、正しいと思う。

 

Mook   「文藝別冊 小津安二郎   河出書房新社

 2001年7月の発行。このKAWADE夢ムックのシリーズを買うのは初めてなのだが、黒沢清X青山真治等の対談Partを除くと、全体としては雑文の寄せ集めという感じで、安い仕上がりという印象。ムックとは元々そういうもの? まぁ、「ユリイカ」等によく有る、学者や作家というだけで適当なことを書いている「勘違い甚だしい」文章が無かっただけマシか。

 もっとも、青木富雄(突貫小僧)のインタビューが非常に面白かったので、それだけで元は取れた気分。

 

12/2

  今日からBS2では、小津特集が本格的に開始。と言いつつ、私は多分、特集番組の一部しか見ないと思いますが。放送事故扱いを避けるための措置として字幕を喋る音声付きのサイレント映画なんて観たくないし( まぁ、消音にすれば良いのだけど)。

 

Book  厚田雄春/蓮實重彦 「小津安二郎物語   筑摩書房

 小津映画のキャメラマン厚田氏による、小津安二郎についての回想録。あのリュミエール叢書の第1回配本であり、蓮實重彦のインタビュワーとしての最良の仕事の一つでもある。

 刊行時に夢中になって読んで以来の再読だから、かれこれ14年振り。その間に、厚田氏自身が亡くなられたという時の流れが厳然としてあるわけだが、それでも、この本で、氏の話を読み返すことが出来るのは幸せなのだろう。まるで小津の映画を見終えた時のような幸福感を与えてくれる一冊。

 どんな素晴らしいシーンの撮影の話でも自慢げにならないその人柄が、全体を通しての最大の魅力なのだが、鉄道好きだった氏が、鉄道に関するものを撮るシーンの話だけ、いつもと違って熱が入って語っている辺りが微笑ましい。結果の素晴らしさを知っている者から見れば(小津映画は、地元民から見ても、鎌倉から東京までの乗車の距離感を非常に上手く再現している)、その熱の入り方にも深く頷ける のだけど。

 ヴェンダースの「東京画」も観直したくなってきた。

 

TV   小津が愛した女優たち  BS2

 NHKの小津特集の関連番組。工藤夕貴が小津映画に出演した女優達を訪ね、話を聞く1時間のドキュメンタリー。

 …工藤夕貴も老けたなぁ。「ミステリートレイン」辺りまでの記憶しか無いから(「BLOOD」は声だけだったし)。 時の流れの早さを感じてしまう。ましてや小津映画に主演した女優で現在も活躍中の人となると、当時はまだ娘役の人ばかりになるのはやむを得ない。あれから半世紀は経っているので、当時の面影を残している方もあり、そうでない方もあり…

 当時の面影を今も一番残しているのは淡島千景。話も一番面白かった。私は、原節子の「そうかしら…?」といったおっとりした話し方より淡島千景の「そうよそうよ」とか「言っちゃえ言っちゃえ」といったポンポン言い放つ口調の方が好きだったので、変わらぬ闊達さは嬉しかった 。

 他の方々は割と「大女優」然として(今や実際そうなのだろうけど)言いたい放題。それはそれで面白かった気はするけど、小津うんぬんということとは余り関係が無かったような 。

 勿論、「語る」女優に対して、「語らない」ことを選んだ女優である原節子を逆説的に浮かび上がらせることを狙った企画だというのは、誰でも分かるわけだが(工藤夕貴が鎌倉で降りるシーンではまさか家に押し掛けるのか、と一瞬恐怖に襲われたが、さすがにそんなことは無かった)。

 NHKのドキュメンタリーとしては悪くなかったけど、例えばダニエル・シュミットの同種の映画であれば、歳を召した女優をもっと綺麗に撮るわけで、日本のTVのドキュメンタリーは画面自体が見るに耐えない、と金井美恵子なら間違いなく言うところだと思った。

 あと、やはり残念なのは、本来は何と言っても、杉村春子にまず聞くべき番組だったということ。今さら、こういうことをやっても、もう遅いよな。「小津安二郎物語」のレベルで、健在な時の杉村春子に話を聞く人がいれば良かったのだが…