空の蒼さを 見つめていると
日本国語大辞典の最終巻が届く。これでようやく、この辞書を「引く」ことが出来る。←不明な言葉があれば調べますので。
帯に、引用数の上位ランキングが載っている。大辞泉同様、この辞書でも、近代作家の一位は、漱石。何と13,090例。二位の鴎外を倍以上離している。よく某新聞が入試に引用される紙面の一位とかいって広告しているが、国語を学ぶのであれば、まずは漱石を読破することが一番の近道なのが分かる。高校の国語から漱石を落とすのが、今の教科書の流れらしいが、それは明らかに、間違っている よな 。
というわけから、ではないのだが、今日は、「こころ」を再読。年末というのは、漱石のような文章を読むことで、精神を澄ませたい、と思ったりするのだ。
しかし… 基本的に推理小説なのだな、と感心したり、「私」と先生はやおいだし、先生とKもそう言えるかも、と邪推したり、気が付けば全然そうでない読み方に終始する私。
その流れでいえば、この「遺書」はつまり、先生が「私」に、奥さんをよろしく頼む、という意味で書いたのは間違いないけど、この後、「私」は結局、どうしたのだろうか? いや、絶対、奥さんと結婚したに違いないと思うのだが。
ええと、この後の「道草」ではどうなっているんだっけ? ……よく覚えていない(汗 この際、もう一度、読み直すべき? それなら、やはり「倫敦塔」からでないと。まぁ、その辺は来年の課題、ということで。
正月くらいは、京の漬物を食べたいよね、とか言ってみても、勿論、誰も買ってきてくれるわけではないので、自分で、横浜高島屋まで買いに出掛ける。
関東では、(私の好みであるところの)西利は高島屋でしか売っていないのだ。地下に下りてみると、一歩進むのもままならない混雑振り。なるほど、これがデパ地下の繁盛振りなのか。混雑しているところは苦手なので、買うだけ買って、さっさと離脱。ちなみに買ったのは、「味すぐき」と「柚子大根」。わたし的には定番の品。やっぱり、すぐきが無いとね。
年賀状を調達し、薬局と漫画屋とCD屋と本屋をくるっと回り、年内の買い物を済ませる。
泉鏡花「海神別荘」は岩波文庫から出ていた。私が鏡花を読んでいた学生の頃は確かにまだ出ていなかったが。1994年の再刊らしい。
早速読んでみる。あー。ああいう風に変えるのはどうなんでしょうか。オリジナルは恋愛至上主義を高らかに謳った作品と一応は要約できると思うのだけど、改訂版?では、皆「許します」とか言っていた気が。かなり強引に主題を変更しているのか。…まぁ、良いか、どうせ「サクラ大戦」だし。
感想を書くには、既に出遅れた感もあるけど。外伝ということで、ファンこそが狂喜する作品だとは思うけど、レンズマンなんて朧げなイメージしか存在しない初心者(私だ)にも問題なく楽しめた。現在、こういう物語を読ませるためにどんな技術が用いられているのか、その辺も興味深いのだが、この本に対して分析といった立場で臨むのは、読者としては恐らく正しく無いだろう。ただ、読めば良いのだ。今年の暮れに、この明快な娯楽活劇を読めて良かった、そう思った。
年賀状の準備。といっても今更出しても、という気がするので、例年通り、返信が(正月に)即出せるための準備。
今回、プリンターも更新したかったのだが、普段は使わないので、とりあえず保留。前はパラレル接続だったので、USBコードだけを新調。ドライバはサイトから落としてと。 以前はインク量の管理もパソコン上で行っていたのだが、それはXPでは未対応、らしい。つまり、パソコン上からはインク交換の指示が出せないのだ。しかも、このプリンターはオフラインではインク交換が出来ない仕様(電源オフ時は、カートリッジがカバーの下に引っ込んでいて物理的にも不可能)。
…ということは。永久に交換できない、ということ? 既にインクが切れ掛かっているのに。仕方ないので、ヘッドクリーニング中、カートリッジが中央に出ている間に、入っているカートリッジを強引に素早く引き剥がして、新しいのを埋め込む、という方法で何とかする。
しかし、これはどう考えても根本的なレベルでの、メーカーの設計ミスだよな。インクが交換出来ないプリンターなんて。ちなみに、このメーカーはエプソンというのだが、こうした苦情を今 まで受け付けたことがないのか、どうも不思議。
今日からは休み。せっかくなので、映画を見に行くことにする。「指輪物語」の予告編を観た事が最大の成果だった?
ガラガラ。「アヴァロン」の時以上(笑) 一人、前の回から熟睡中のおじさんがいて、年の瀬だし、事情があって家へ帰れないのではと心配になったり、あと、一人、電波なお兄さんがいて、とあるキャラが喋る時だけ何やら話し出すのが、遠くから聞こえてきて甚だ迷惑だったり、とそんな館内。
意外にも、正攻法な良作。物語全般に係る、根本的な疑問は色々感じたのだが(世界設定の薄さ、主人公たちの行動原理の浅さ等)、それはこの「サクラ大戦」という初期設定の限界に伴うものであって、その中の作品としては、ほぼ望みうる最良の出来、ではないかと。
いわゆるアニメファンの期待を裏切らないアニメ映画としては非常に久しぶりな印象。その作画と動画のクオリティだけで再見に値する(まるでI.G.と思っていたら、実際そうだった(^^;)。庵野絵コンテのように、決めはヒロインが「うがあぁ!」とアップで叫んで勝利とか 、発進?時の段取りを精緻に描くとか、既往のアニメ快楽原則を的確に組み上げた、完成度の高さには素直に賞賛。ここまでやるのなら、もう少し高望みしたかった気もするけど…
ところで後半、割と唐突に鏡花の「海神別荘」が引用されるのだけど、あれって、こういう話だっけとか振り返って、実は「海神別荘」をまだ読んでいないことに気付いた。不覚。今度、読んでみないと。
というわけで、観てきました。こちらは更にガラガラ。渋谷なのに。
交通事故で死に掛けた、内気な漫画家の主人公が生と死の狭間にある悪夢の世界から、自分の作り出した下品な猿のキャラクター「モンキーボーン」と共にこの世界への復帰を目指すが…といった、マペット趣味に満ちたB級ダークファンタジー。
主人公の相棒?の「モンキーボーン」の「ひとまねこざる」風な騒動が主のドタバタコメディと言った方が正しいかも。モンティ・パイソンにでも有りそうな臓器回収隊とか、マッドな笑いもあるのだけど、全体としては、割とまっとう、なのが逆に弱点な気も。ましてや 映画史上記憶されるような傑作では決して無いのだが、それも含めて、愛すべき映画、というのが相応しい。映画を観る楽しさ、とはこういう作品のことを言うのだと思う。
「アメリ」なんかよりずっと人に観てほしい映画。…とかいって、期待して観られたりするとそれはそれで大いに困るけど。
登場人物のなかでは、閻魔大王役のウーピー・ゴールドバーグが美味しい役どころ。最後、あんなのに乗って出てくるし。個人的には、悪夢の世界の住人の一人、猫娘が可愛かった。猫耳が、というより猫髭生やしている様ね。
小学館から、「日本国語大辞典 第二版」完結記念の愛読者プレゼントなるものが届く。
開けてみると挨拶状と携帯用の拡大レンズが入っていた。恐らくは、全巻購入特典の書架を申し込んだ人全てに送ったものと思われるが、頼みもしないのにこうしたものが、突然送られてきたのにはやや驚く。こういう大事業な出版物の刊行時には、記念品を出す慣わしなのか、予定より多くの購入者がいたので気を良くしたのか、それとも単に、こうした事業を成し遂げた自分を褒めてあげたいという気分からの企画なのか、意図はまるで謎だが、確かに、辞書を見るのには役立ちそうな拡大レンズなので、有り難く頂いておくことにする。
ところで、この「日本国語大辞典」、本屋からは最終巻の13巻がまだ届いていないままだったりする。…完結、したんだよね?
さすがに年末は忙しかったり、それほどでも無かったりで、最近、ここも、とみに不規則になっていて申し訳ないです。
しかし、それも明日まで。本当は明後日までですが、自主的に一日繰り上げさせて頂く予定。毎年30日まで、休日ダイヤなのに出勤していたことを思えば隔世の感。ついでに年初も自主的に繰り延べさせて頂く予定なので、となると、目の前には、10日連続、という、未だ体験したことの無い(多分、今後も体験することの無い)長期休暇がっ!
問題は何の予定も入れていないこと。いや、正月3ヶ日は「何もしないをする」予定なのだけど。さすがに10日間何もしない、というのも、駄目人間過ぎな気もするし…
今日も今日とて、ぽかぽかな日差し。
住宅地の周りに作られた、林の中の小道を散歩していたら、リスの群れを見掛ける。外来種が繁殖している、という話は聞いたことがあるが、それにしてもごく狭い範囲で見付けたのが計12匹、というのは幾ら何でも多過ぎる気が。この辺の生態系は、おかしいのだろうか? それとも、リスとは元来、それくらい群れているもの ?
今年の「クリスマスもの」用として、BSで放送した際に、録っておいたもの。
すっかり忘れていたけど、主人公(勿論、ジェームス・スチュアート)の役どころはsmall townでの良心的な信用組合の経営者だった。不況(戦前の大恐慌)時に人々に善意で資金を貸し付ける辺り、何かこう見ていて身につまされるものが… しかし、それは経営者としてはどうよ、という気も…
淀川長冶氏が、「『素晴らしき哉〜』の頃は、(キャプラは)ちょっと落ちてたのよ」と「映画千夜一夜」の中で語っていたように、冷静に見返すと、全体にはやや冗長。それから、弟が戦争(第二次世界大戦)の英雄、というエピソードがやや唐突に挿入されたりする、この映画のイデオロギー的側面が気になったりもする。
しかし、二級天使と名乗る爺さんによって、「自分が初めから存在しない(ために皆が不幸になっている)世界」を見せられる様は、何度見ても素晴らしい。こういうのって、リファインすれば今でも使える、魅力的な設定だと思うのだけど。
などと考えながら見ていたら、主人公が後悔して、元の世界に戻ろうとするところで、プツリ。きゅるきゅるきゅる…
え? 時間を間違えて録画切れしてしまったらしい。が〜ん。ここからが肝心なのにぃ。神様なんてもう信じられない気分(^^;; 途中はともかく、最後のシーンだけは観たかった。非常に感動的な、小道具の使い方。映画とはこうやって終わるものなのか、と昔、 深く感銘を受けた、あのベルの音をもう一度聞きたかったのに。
…結局、いずれソフトを買ってくるしかないのか。しくしく。
昨日とはうって変わって暖かい日差しに、うとうとと。
本屋でカバーを掛けて貰わなかったため、表紙裏の、全面ネタばれという、相変わらず犯罪的な説明書きがページをめくる度に気になって仕方ない。やむを得ず、表紙を外して読む。
古くからのジョーンズのファンには思い入れの深い一冊、らしい。私としても、割と期待して読んだのだが… う〜ん、ちょっと物足りない。一冊の完成度としては「クリストファーの魔法の旅」の方が遥かに高いと思うのだけど。登場人物も、グウェンドリンお姉ちゃんだけは、物凄くキャラが立っているけど(というか立ちすぎだ)、他の人は今ひとつ、平凡な気がするし。
クレストマンシー・シリーズはこの作品から、というのが古くからのファンの定説のようなのだけど、私は出来の良い「クリストファー」からの方がお奨めだな。まぁ、順番はともかくどれか一冊を選ぶの なら、「クリストファー」かと。勿論、全部を読むに越したことはないのだけど。
社会人になって最初に勤めた支店に、必要な届けを出しに行く。
勿論、仕事中に行けるわけではないので、午後を半休にした。当時、一緒に働いていた仲間で、今も残っているのは、僅か二人… 既にほとんどいないのは知ってはいたが、実際に目にすると、やはり時の流れを 痛感させられる。
その内、当時新人だった女の子が見違えるように綺麗になっていたのには驚いたけど。彼女に手続きを頼んで、店を出ると、まだ2時過ぎ、せっかく渋谷に来ているので、そのまま映画を見て帰ることにする。
平日の昼だし、30分前に行けば問題なかろう、と思ったら、あやうく座れないところだった。渋谷は、これだから嫌いだ。
奈良美智の絵みたいな女の子が、そのまま成長したようなアメリは確かに、チャーミング。なので、取り立てて文句を言う必要はないとは思うけど。映画としてはかなり凡庸、というか、 割とどうでも良い出来。…皆、こんな程度で簡単に癒されちゃったりするのだろうか。映画を見ない人なら感動する作品?
この監督は、処女作「デリカテッセン」の頃から、凝った映像作家というのと、映画的センスが欠如というのに、評価が二分されていた記憶があるのだが(そして、そういうこともあって今まで見ていなかったのだが)、この作品を見た限りでは、後者。私が見たいのは「映画」なのであって「映像」ではないのだ。
冬といえば、鍋。
鍋といっても色々有るが、私としては、一冬に一回はどうしても食べたいのが、鴨鍋である。特にあのスープ。くうっ、美味さが五臓六腑に染み渡る、という感じで。
昔、ある機会に、人様から鴨鍋セットを頂き、その美味さに開眼して以来なのだが、待っていても、毎年、まさか鴨が葱を背負ってくるような、そんな僥倖はやって来ない。自力で調達する他ない。
というわけで、ネットで鴨鍋を検索。ネットで注文出来る鴨鍋セットも、探すと結構有る。便利な世の中になったものである。一番惹かれたのは、鴨肉専門の業者の物だったのだが、今回は、コストパフォーマンスを重視し、とりあえず、楽天の中の鴨鍋セットを注文することにした。
せっかくなので、楽天の会員登録も済ませることに。多分、ネットオークションに出品することは無いと思うのだが、登録をするには、その際のニックネームも決めないといけないらしい。適当な名前を入れる。どれもが既に登録済み、と弾かれる。ううっ、実は私は、RPGを始める際も、キャラクターの名前で半日悩むくらい、名前を付けるのは苦手なのだ。とはいえ、これを決めないと、登録作業も終わらず、鴨鍋も注文出来ないわけで…
こういう場合、妥協案として、それなりに好きな小説やComicsの登場人物の名前を拝借するというのがパターンなのだけど、さすが大手サイト。私が思いつくような名前はどこかの誰かが既に使用している。むむむ… ふと天啓が閃く。「スナフキン」のような名前は当然、使われているだろうが、幾らなんでも「スヌスムムリク」なんて奴はいないだろう。で、入力。
ところが。実は、それさえも使用済みだったとは! 恐るべし、楽天。というか、一体、どんな人やねん>スヌスムムリク
仕方ないので、ひとまず、数字混じり型で登録。ちなみに、注文した鴨鍋セットは今日届いたのだけど、食べるのは何故かクリスマスらしいので(鳥繫がり?)、味の感想はそれ以降。
志穂さんの最後の?新譜「Climb The Mountain」の発売日。なので、帰りに、渋谷のメイトまで。ついでに、本屋に寄ってクレストマンシーシリーズの新刊「魔女と暮らせば」も回収。
本屋で、表紙に宮崎駿が写っている「SIGHT」をふと手に取ると、宮崎駿が自作について語ったインタヴューと、押井守が宮崎駿について語ったインタヴューが載っていたので、つい買ってしまう。いや、内容についてはもう大体想像出来る気がしたし、読んでみると、実際、想像した通りの内容だったのだけど。
勿論、前者は、読む必要など別に無いのに対し、後者は相変わらず、ではあるけど、やはり面白い。「千と千尋」は「蝋燭の最後の揺らめき」だとか 言いたい放題(^^;;
で、帰ってきてからは、CDをリピート。…前半は、どうなることかと思ったけど、後半、ほっと一息。
スッキリ。
パソコンの移行も終わり、目の前には、広々とした机の上が出現。素晴らしい… とかいって、一ヶ月もすれば、読みかけの本やComicsの山で、キーボードを叩くスペース以外、無くなっていそう。
TV周りの家電製品の接続も完了。別途買わないといけなかったコードの本数と接続にかかる手間が半端ではなくて、この週末はそれだけで終わってしまった感もあるけど、これでようやく、まほろさんが見られるようにNHK-Hiも見られるようになったわけで。D3だけど。こうして、映像の方が整ってくると、次は
音響という感じだが、背面にスピーカーを置こうとすると配線が… 居間だし。
ところで、BSデジタルって、結構、ラジオも有るんですね。というより、有り過ぎて分からない。ラジオについてのガイド雑誌とか無いのかな。
常識で説明のつかないことが、ほとんど起きないのに、驚いた。普通、逆のような気もするけど。川上弘美の作品だったら、変なことの一つや二つくらい起きて当然、起きなきゃおかしい、みたいな気がしていたので。 次第に、一見「普通の小説」を書くようになってきたのか、これだけなのか、文庫本になっていない作品はどれも未読なので、よく分からないが。
普通に楽しい連載小説だ、と思った。ただ、構成含めて割と、普通に良く出来過ぎている、ような。これが「川上弘美の最高傑作」と言われると、何だかなぁ、と思ってしまう。
ところで、これは最後まで読むと、全体が一つの「お話」になっているのが分かる。つまり、作品中に、聴者というか読者を想定した形式となっているのだが、それはどういう意味なのか気になった。あるいは、どういう聴者を具体的に想定すれば良いのか、というか。そこを埋めるのが、この小説で一番興味深いところ?
職場の近くにノリタケの支店
があって、時々謝恩セールを開いている。今週もそのセール週間だったので、昼休みに店を覗いてみる。2Fは、大倉陶園。大倉陶園はどこでも定価販売が原則なので、2割引というのは非常に得。デミタスカップの一つでも…などと思ったが、ちょっと良く見える、手描きのカップだとやはり2万円は下らない。2割引でも、1万6千円だ。
毎朝使っているモーニングカップのような必要性がない物に、そこまではちょっと手が出せない、というか。1Fのノリタケの、トトロ柄の皿3千円くらいなら、買えるけど。
でも、例えば2万円の家電製品なら、決して高い、という印象は受けないと思う。しかも、普通、家電製品の保証期間は1年。大事に使っても5年くらいなのに、こういうちゃんとした陶磁器は、(割りさえしなければ)一生ものであることを考えたら、実は、2万円の食器は決して高くない、と考える方が正しいのではあるまいか?
という理論を元に、何か買おうと再度考えたのだけど、やっぱり、購入までの決心には至らず。悩む時点でこういうものを買う資格は既にないのだろうけど。
で、結局、何が言いたいかというと。夏に、ヘレンドのカップを買えなかったのをまだ根に持っていると、そういうことらしい…
今日からは、新しい方からの更新。書いている方としては、画面が液晶になったり、ソフトのバージョンを上げたり、ATOKがIMEになってしまったりと、色々 と違和感だらけなのだけど、…読まれる方からすれば別に変わらないかと。
さて。今日12月12日といえば、小津安二郎監督の誕生日&命日(60歳の誕生日、というキリの良い日に亡くなった人なのだ)。1年の中で、私の誕生日と対蹠的な位置に存在する日(「不思議の国のアリス」に出てくる対蹠点のような日) に当たるので、個人的には割と印象深い日。他にも、この街に2歳半の時に引越ししてきた日とか、ふたご座流星群の極大日とか、色々な思い出があったりする。
本来なら、小津映画でも見つつ追悼したいところだけど。そういえば、上遠野浩平の誕生日も今日らしいのだけど、それだけは、正直、ちょっと羨ましい。同い年だけに。
先日、買った物のうち、まずパソコンが届いたので、現在、乗換準備中。
というか、本当は昨日届いたのだけど、旧から新へデータを移動するためにPDを繋ごうとしたのに、SCSIカードのドライバーがどこにも無いのに気付き、まるで、向こう岸に渡らないといけないのに、唯一の手段である吊り橋が落ちているのを目にしたようなショックに、思わず寝てしまったのだった。今日、やむなく新しくカードを買ってきて、ぼちぼちとデータを移しているところ。
そんなわけで省スペース機を導入することで机の上を広く使うという、当初の目的とは裏腹に、今現在は新旧のパソコン、モニターの両方ともが机の上を占領していて、邪魔なこと、この上無い。
パソコンを換える、ということで、プロバイダーその他のパスワードを書いた紙とかを、隣室に山積みにしている段ボール箱から急遽、探しまくる一日。ある意味、既に大掃除。
もっとも、副産物もないわけではなく、多量の商品券が発見されたりした。今まで、お祝いとかお歳暮とかで貰っても一回も使わないまま、しまい込んでいた分。まとめて数えてみると6万円くらい有る。ビール券も合わせれば10万円近く? 何だか突如、商品券成金?になった気分。
今回、特に沢山捨てたのは各種製品の保証書(全部、保証期間が過ぎていた)。それから前の街、その前の街の色々なカード。時が経ったことで、かつては貴重だった品々が、今では何の意味もなくなっていることに気付き、いささか感傷的な気分に。自分だけが、あるべき時の流れから取り残されてしまったような。
とはいえ、本当は、更にバッサリ、思い切りよく、捨て去るべきなのだろう。箱の山を、せめて半分にしないとな。
今月、来月は、(個人的に)電化製品大幅増強月間。
二週間位、何を買うか頭を悩ませてきたが、いつまでも悩んでいても仕方ないので、本日、買いに出掛ける。自分のパソコンの買い換えと、居間のTV周りの強化(デジタルチューナー、DVD、ビデオ)。久々に大枚をはたいて購入したというのに、宅配に回したため持ち帰る物がなく、何だか、有り金を全部、すってしまったような悲しい気分に陥る。
という虚しさもあって、CD屋で、クリスマスなCDを数枚、買うことにした。今年は、ポリシーもなく、うろうろと店内を回った結果、「Snow Candle」、Charlotte Church「dream a dream」、LIBERA「libera」、大滝詠一「NIAGRA CALENDAR」の4枚。最後の2枚はクリスマスアルバムじゃないけど。
「Snow…」は、日本人アーティストによるクリスマス曲のオムニバス、というか懐メロ集? たまにはこういうのも良いかと。中では、EPOの「12月のエイプリル・フール」がやはり飛び抜けて名曲だと思う。あと中西圭三の「クリスマス・キャンドル」が、編曲・村松邦男のせいか、あたかもNIAGARA的なwall soundで、個人的に拾いもの。
Charlotte ChurchやLIBERAは言わずもがな。今年は、この辺の癒し系?で気分に浸ることにしようかと。今の自分の、中途半端な賛美歌指向がよく窺える選択。それにしても、少年合唱団の方が、少女合唱団より尊ばれる(気がする)のは何故? ボーイソプラノの「期間限定」な宿命が、有り難みというか聖なる歌声、という気がする から?
最後は、日本人なら、「クリスマス音頭」(から除夜の鐘を経て「お正月」に到る流れ)を聴かずに年は越せない、という個人的な信念から。これは、分かる人だけ分かって頂ければ良いです(^^;;; 勿論、既に持っているCDだけど、探すのも大変なので。でも、このアルバムのおめでたさはむしろ正月向きかも。
なかなか治らない。明日は、勤め先の忘年会。高い会費なので、元を取るべく、万全な体調で臨みたい、と思っていたのに…
読んだ後、じわじわと、あったかくなる。そんな遠赤外線こたつのような作風。いつの間にか、「OURs LITE」で、その作品を読むのが最も楽しみな作家の一人になっている。独特の、cuteな絵も魅力的で、特に、表題作での、渦巻きぐるぐるな目をしたハニーが可愛い。
こがわみさき作品の素晴らしさは、読んだ誰にでもパッと伝わる、と思うのだが、何が素晴らしいのかと問われると、なかなか難しい。
とはいえ、思うに、それは多分、「関係性の再発見」ということではないかと。「幼馴染み」や「同級生」や「サークル仲間」という既往の関係である二人が、物語の小さなエピソードを通して、新たな関係をそこにもう一度発見する。その開放感と、新たな連帯感。
それにしても、「魅惑のビーム」に引き続き、どれを取っても、珠玉の、作品集。読んでいて、とにかく幸せ。
風邪、という時は、いつも喉に来る私。フィニッシュコーワのお世話になることが多いです。今回も、買ってきました。好奇心で、まだ未経験の「やさしいマスカット風味」を。シュッ、シュッ… ぐわっ、ファンタグレープ味なヨード液、しかも大甘。…次回は、絶対、ミント風味にしよう、そう思いました。
いつの間にか、シリーズ3作目。今までは、作者が登場人物に託そうとしていたものと、実際の物語との間に、少し齟齬感があって、読んでいてやや居心地の悪い思いもしたのだけど、本作にして、ようやく馴染んできた、というか、上手くはまってきた気が。完成度とかはいいから、この際、このシリーズで、突き進んでいってみて欲しい。と思うようになってきました。
というのも、立っている姿勢、そして向いている方向は、決して間違っていないのだから。そのまま進んでいけば、きっと、今よりずっと輝いた星を掴むことが出来る筈だから、この作者は。
ぼーっ。としているのは、いつもな気もしますが、これは、多分、風邪気味のせい。軽い内に養生しないと。
ところで。突然ですが、白状すると、実は、私、「ハリー・ポッター」を読んだことがありません。
自分の勘でも、信頼を置いている方々の感想を総合しても、単行本を買ってまで読む程の本、とは思えないので。私にとってファンタジーは元々、ホームグラウンドだけに、他のジャンルより、点が辛くなるのが確かなのも、手が伸びない要因。
ともあれ、映画は観ようかと思っていたのですが、上映時間が2時間半と聞いて、止めることに。こういう物語を2時間の枠に収めていない事実だけで、エンターテインメント映画としては駄目なのが証明されているようなもの。それに加え、監督がクリス・コロンバス… やはり、観ない方が無難かと。
作者が、原作の忠実な再現を強く望んだ為、だらだら長くなったという噂も聞きましたが、そうすると、一番の元凶は作者? 「ネバー・エンディング・ストーリー」での驚天動地なラストのような例もあるので、その気持ちも分からないではないですが。
というわけで、小説が文庫化されるか、映画がTV放映され、早送り可な状態で観られるようになるまで、どちらにも縁は無さそう。
師走。その語源が、前から気になっていたので、辞書で引いてみる。大雑把に言って、(四季や年が)果てるところ、という説と、忙しい様、という説の二つがあるようだ。後者だと、「法師がお経を唱えるのに東西駆け回る」ので師走、らしいのだが、昔は、年末にはお経を唱える必要があったのだろうか。ともあれ、学校の先生が走るから、でないのは言うまでもない。
黒田硫黄の漫画は見飽きない。無人島に持っていく一冊、という質問が、半月くらい一冊を繰り返し読む、ということを念頭に置いているとしたら、黒田硫黄を迷わず選ぶに違いない、と思うくらい。何度見ても、その画面を、登場人物の表情を、見切った気がしないのだ。それはつまり、「読み終えた」という感覚が得難い漫画だとも言える。今年の「茄子」や「黒船」も自分の中で読み終えた気がしないため、…気が付けば、この日記ではどちらも触れ損なってしまっている。
これでは、いけない。そう思って、今回は買ってきた当日に書いているのだが、しかし、改めて書こうとすると、良いものは良い、というトートロジー以上のことは、なかなか言えない。
ということで、あえて蛇足。黒田硫黄作品は、セリフも格好良いのだが、最も格好良いのは無音部分のページだと思う。この作品は、エンターテイメント指向の割と軽い?作品だと思うので、これはこれで良いのだが(というか、元々「声」の話だし)、一度、長編で完全サイレントの一冊、というのを描いて貰えないだろうか。148Pとかを見ていると、そういう願望が。
久しぶりに、週記を更新。二ヶ月ぶりの週記とは何か、という気もしますが。
著者の処女長編。川上弘美の作品は鏡花的だと言われているのかどうか、私はよく知らないのだが、多分、そう言われている筈で、そしてその際に必ず触れられるのが、この「いとしい」なのではないか、そう思った。世界や登場人物の変容、それと関連して幾つもの「話」が作中で語られるところ、と要素を抜き書きしていくと、まるでテスト勉強のようで、面白くも何ともなくなってしまうのだけど、読んでいると、鏡花を読む時のどきどきとした気分の昂揚が確かに感じられる。その文章の、なめらかな、あわあわとした膜のような肌触りも。
鏡花を読んでいて思うのと同様に、この作品もぜひ一度、その朗読を聴いてみたい気がする。きっと素晴らしいものになる、と思うのだ。