というわけで続けるが、今日はモンジュイクの丘と旧市街。
まず時間を短縮すべくフニクラの駅へ出ると、フニクラが動いていない。昨日以来、Metroの切符を無駄にし続けている。しょうがないのでスペイン広場に出、ミロ公園のモニュメントを見てから(何か危ないなあとその立像を見ていたのだが、実は 、裏には楕円の穴が空いていてもっと危ない作品だったらしい)、丘を上る。上の道路ではバイクと車の路上教習をやっている。この辺、やっぱりスペインである。
カタルーニャ美術館が休みなのにがっかりするが、例のオリンピック施設の一部を見て(仏教風と言うが、ゴキブリに見える)(それにしてもメインスタジアムがもう完成しているとは気が早い) 、ミロの美術館に入る。すごく明るい美術館で実は大した作品はないが気持良い。ちょうどこの頃、少し晴れて(ミロのあの青空に通じる空)、特にそう思ったのかもしれない。
ここのカフェでボカディーリョを食べる。割に大きくて美味しいが、飲み物と合わせて550Ptsとは高い。ここでは初めてフォートナムメイソンのカンを見たから、Teaを頼んでみるべきだったか。
その後、苦労の末に頂上までたどり着き、海を眺める。今度は青いので安心する。が、また雲に太陽が隠れてしまう。バルセロナ港は別に美しくないことを確認する。ロープウェイで海を渡って反対側の港に着く。海岸の砂浜まで歩いて 、海を見る。波が非常に荒い。近くの砂を巻き込んで落ちてくるので、茶色い波だ。クールベはやはり自然主義であったようだと納得。サンタンデールでは一応水をなめてみたが、ここではさすがにしなかった。
その後、内陸まで戻って(安そうなRestaurantが並んでいた。しかし、奥の道に行く勇気はなかった。)、いよいよウワサ高いPicaso Museumへ。さて、結論から言うと、少しも恐い目には会わなかった。それは、そうだよな、毎日あれだけ 観光客が来ているなら。しかし更に裏道を散歩する勇気はなかった。この辺歩けば面白いことは確かだが、避けうるTroubreは避けるのがこの際bestだろう。
ところで、この美術館の中心はピカソの少年時の作品なのだが、その14、5歳の時の作品を(きちんとしたデッサン、確かな筆使い)、生れた年を10年間違えて、あやうく4、5歳のものと思って腰を抜かす所だった。やれやれ。まぁ、15歳なら、これ位おかしくない。ピカソが天才と言っても シャカや聖徳太子ではなかった。
しかし、ともかく、ラスメニーナスの連作は最高。本来の視覚設計などどっか行ってしまって、ただ「部屋の中の人と犬」。ピカソはやはり元気が出る。
ピカソ詣でを無事に済ませたので気が軽くなって、ゴシック街のカテドラルとかも見てしまう。ついでにグエル邸にも行くことにする。夕方のせいか、グエル邸は薄暗かったが、その代わり静かで(その中でフラッシュをたきまくる罪悪感)、とても良かった。
なるほど、ガウディの才能はまず細部のデザインの多様性と細かさにある。アールヌーボー、ムデハル様式、深海魚、プラネタリウム(!)、ミニマリズム(?)、様々な言葉が頭を駆け抜け、そして結局、落ち着く言葉はない。細部まで凝りに凝って作られた作品。ベルトルッチなら「暗殺の森」というところだ。建築家は生涯に一軒はこういうのを作るのが夢だろうな。
帰りにエルコレテイングレスでペンチを買うが、宿に帰って試してみると、もっと薄い特製のスパナでもない限り、とても外せないことが分かる。えい、この不良品!
(20) バックパックを買う時はくれぐれも気を付ける (私にとってはもう役に立たない痛切な教訓)
P.S. フロアのTVを何げなく見ると「ドラゴンボール」をやっている
・フニクラ …フニクリ、フニクラ。登山電車が出来たので、誰でも上れる〜、と言っても動いていないのでは仕方ない。
・例のオリンピック施設 …当時はオリンピック一年前。ゴキブリ風だったのは、磯崎新設計のサン・ジョルディ館(室内競技場)。メインスタジアム
は、実はオリンピックのために作られたものではなく、何と、元々は1929年の万博のために建てられ、1936年の人民オリンピックの時に改築されたスタジアムだったらしい。
・ムデハル様式 …忘れた(笑) ええと、イスラム教の影響を受けた教会建築様式だったかな(自信なし)
・ウワサ高い …私の読んだ限りでは、Picaso Museumの近辺でのトラブルは非常に多い、ということで、緊張していた。
・エルコレテイングレス …スペインで代表的なデパート。食品売場をよく利用した。
写真:2 Barcelona(Gaudí), Montserrat, Valencia 観光案内:バルセロナ スペインの地図:small(日本語) small large