空の蒼さを 見つめていると
一日、試験問題を解いていて日が暮れる。
「生誕100年記念写真展 土門拳の昭和」@日本橋三越。
二度目。全体の話が分かってみると、軽い笑いを引き起こす場面(台詞)がことごとく、最後に明らかになる過去の惨劇を指しているのに気付く。この切なさは二度目に見る人だけが分かるのかも。
二回見たことでの新たな発見、というか、感じ方の違いは余り無かったのだが、二回見たことに対して後悔することは無かった。
昨年5月の健康診断に対して、なので今さらにも程があると思うのだが、「動機づけ支援」な保健指導に呼ばれた(^^;;
数値上はいわゆるメタボでは無かった(←強調)ので、関係ないやと思っていたのだが、微妙に対象基準が違うらしい。「動機づけ支援」という名の通り、モチベーションを上げましょう、というゆる〜い感じのカウンセリング。昔、あの時期に少しだけ受けた栄養指導での、悪魔のような冷酷さと比べれば、随分と気楽な感じだった。こんなんで、動機づけになるのやら…
とはいうものの、試験が終わったら、もう少し、体を動かす生活に持っていこうかと。 また今年も呼ばれるのもあれだし。
せめて、ここ2日に行った展覧会の感想くらいは書こうと思っていたのだけど、今日確認してみたら、来週半ばの試験の準備が思いの外、遅れている(半分以上が前回と同範囲なので「忘れてる」というべきかも)ことが判明したので(^^;; 余計なこと?に時間を割くのは、試験が終わるまで出来るだけ自粛の方向で。
そういう時に限って、色々とやりたいことが出て来たりするのだけど…
「特別展 妙心寺」@東京国立博物館。 「アジアとヨーロッパの肖像」@神奈川立歴史博物館。「アジアとヨーロッパの肖像」@神奈川県立近代美術館葉山館。
「ウェッジウッド -ヨーロッパ陶磁器デザインの歴史」@そごう美術館。
午前中に住宅地の周りの小道を散歩。この時期、木々の枝をワラワラと駆け下りたり、駆け上ったりしているタイワンリス達を見る度に、これだけいれば、何かに使えそう(!)な気がしてしまう。
斜面から伸びた太い樹の枝に黒猫が。ちょうど地面から50cm位のところで、やや宙に浮いている感じは、ニヤッとしていたら間違いなくチェシャ猫なのだが、無表情なので菱田春草の黒猫を連想。
午後は、次の試験も近くなってきた(半月後)なので、家で地味に試験勉強。
汗ばむほど暑い。今回の整理の一環として、カセットの音源からmp3に今週、移行作業をした12年前の某深夜番組を掛けながら、いつもの丘陵を2時間歩く。
今でも違和感のないトークと、「ワープロ止まり」発言とか、LDで新発売、とか12年前との環境の変化の差が、今聴くと不思議。
「文字のチカラ・書のチカラ」@出光美術館。
般若心経を書く文字でも謹厳実直じゃなくても良いんだ、とか、文字を書くことの多様性に目を向けさせてくれる展示。
「国宝 三井寺展」@サントリー美術館。
智証大師帰朝1150年記念。って、記念の単位としては明らかに無理があるような(^^;;
折しも、上野の「妙心寺展」と時期的にバッティングしてますが、こちらの方が(仏教に対する門外漢としては、仏像とか絵画とか、ビジュアル重視なので)見て面白い。やっぱり、禅宗よりは密教の方が 「見て分かる」仏教なのか。
それにしても、説明文で「焼き討ちされたり、反対にやり返したり」などと、さらりと書いてある山門派と寺院派の長年の抗争って、「仁義なき闘い」というか、昔 の過激派同士での内ゲバみたい…
ちなみに、私が三井寺で思い出すのは、三井寺の晩鐘、ではなくて、孔雀。
まだ学生の頃、桜の季節に一度、三井寺を訪ねたことが有って、桜も確かに多かったのだが、敷地の一角に孔雀が何羽も飼われていたのが妙に印象的だったのだ。なぜ、孔雀…
改めて気になったので、三井寺のサイトを初めて覗いてみたら、おっと、書いてありますね、「孔雀と密教」というコラムで。え、今や50羽も飼われているって?
新居昭乃LIVE2009 フユノスフィア@Zepp東京。
2階席だったので、いつもにも増してまったりと。まったりし過ぎて、全体にぼーっと聴いてしまったが、最後の「WANNA BE AN ANGEL」の広がりはやはり素晴らしかった。
音の響きは、以前の品川の教会の時の方が良かったけど、背景の映像はどんどん進化し続けていて驚く。「マクロスプラス」のコンサートシーンが再現?される日も遠くないかも。
「描かれた寺社」@神奈川県立金沢文庫。
昨日から続けている捜索活動の方が行き詰まったので午後、気分転換に。ちょうどボランティアの人による展示開設の時間だった。
展示物は主に2種類。各種儀式の間取り図を写した、中世の指図。そして明治政府が全国の寺社に作成を命じた社寺明細帳の付録図。後者は昭和20年の6月に当文庫が主に相模地区の図を沢山、買い集めたものが残っているらしい。
「描かれた寺社」ということで、奈良国立博物館の「神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美」展で教わった、ご神体を象徴するイメージととしての境内図みたいなものを期待していただけに、何それ?みたいな感じもあったのだが、世の中には色々な知識のストックがある、ということを知る意味では興味深い内容だった。
面白かったのは、社寺明細帳の中で、私も正月によくお参りする、鎌倉の
昨日から捜索していたカセットが未だに見付からない件。
探すだけ探しても見付からず、途方に暮れる。考えている内に、期間後半は元々、カセットに録っていなかった(最初からMDに保存していた)という可能性に思い当たる。録っている主客の転倒…? 一歩前に進んだ気がする反面、となると、やっぱりMDプレイヤー(現在、動くものを所有せず)を入手しないといけないことに… ええと、こういう時は。ヤフオク?
ビデオテープの移行作業は現在も続けているのだが、あの後、隣室の(引っ越し後の)荷物置き場を隅まで確認したら、12本入りの収納袋があと10袋も発見された(^^;; あと、ひゃくにじゅっぽん…
最初はまとめてDVD化の作業をしようと考えていたのだが、こうなると、適宜、DVD化の方も進めていかないと。そんなわけで、HDD移行済分の60個のタイトルに、一日掛けて話数やサブタイトルを追加。勿論、情報源は全てwikipedia。この件に関してだけは便利な世の中になったものである(というか、大抵のTVアニメに詳細な説明が付いている方が、知識の在り方としてどうかと思うが)。
あとは、最初と最後をチャプターで切ったプレイリストを作った上で、DVD-RにコピーすればOK(と口で言うのは簡単だけど、量があると面倒…)。
一方、カセット→mp3化も今週末より着手。 こちらの方も最初はMD→MP3化を考えていたとか、話せばかなり長いのだが、とりあえず、方法としては(捨てなかった)カセットデッキ→ライン接続→ICレコーダー(SANYOのICR-PS603RM)という形で開始。しかし、肝心のカセットの方が(一番重要なラジオ番組の録画分について)期間後半が行方不明、という事態が発生。…一体、どうすれば。
「加山又造展」@新国立美術館。
加山又造の展覧会だから当たり前だけど、その多様性に「飽きない」展示。ただ、もう一つ物足りなさが。数年前に茨城県立美術館の時の方が全体として遙かに「見た」感じがしたのは何故だろう…
と帰ってから図譜で比較しようとしたら、本棚にあったのは、98年に東京国立近代美術館で開催された「加山又造展」の図譜だった。当時は関西にいたので、見ていない筈なのだが、図譜だけ古本屋で前に買っていたらしい。最初に売った人が几帳面だったのか、巻末にはチラシや展示替え予定表まで挟まっていた。古本屋の帯は1500円。なるほど、お買い得な値段設定だった。
見比べてみると、近美の時は水墨画の山林図が揃っている分、迫力がある。「加山又造展」としてはこれがベストだった様子。
でも、まぁ、今展示するのはそれはそれで意味があるかと。どうせなら、着物のデザインとかじゃなくて、近代美術館にある、皇居の庭を白黒で描いたあの絵とかを最後に持ってきた方が現代に繋がる画家、として明確になったと思うけど。
「よみがえる黄金文明展」@大丸ミュージアム。
改装後の大丸ミュージアムで、初めて!数年後でも開催が記憶に残るくらいの華やかな展覧会に。金、金、金だし。バラの香り(香水)が広がる一室に展示された花冠の造形が素晴らしかったです。
それにしても紀元前6千年前に黄金加工の文明って… 紀元後になって隣国から小さな金印を貰って喜んでいるような島の末裔は一体どうすれば(^^;;
3月の試験勉強にそろそろ着手。前回、かなり直前の泥縄だったので、それを反省して(^^;;
今さらだけど、ゴヤの「巨人」が実は弟子の作だった、とプラド美術館が発表したニュース。 読売系だけ、「調査中」という妙に慎重な表現の見出しを使っていておかしかった。
まぁ、あれだ。2002年の方の「プラド美術館展」で目玉として持ってきた(らしい)主催者として、はいそうですかと簡単にはいえないのかと、邪推をしてしまうのは私だけではない筈。ちなみに、当時の自分の感想を読み返してみると、「巨人」についてはまるでスルー。というか、「目玉が無くて地味」とさえ、書いている。
結局のところ、自分の中では昔から、印象に残っていない絵かも。プラドでゴヤ、といえば、何と言っても「黒い絵」の衝撃だったし。あの犬とか。あとはロイヤルファミリー肖像画の壮麗な空虚さとか、2枚のマハとか、5月3日の絵とか。
今回知って驚いたのはプラド美術館が入手したのが1930年代だったとの履歴。王室コレクションから出発したプラド美術館の「ゴヤ」なので、「昔から持っていた絵で出来はともかくとして本物」なのかと勝手に思っていましたよ。
ゴヤというと、昨年、近代文学館で回顧展(感想)が有った堀田善衞のライフワークの一つでもあったわけですが、堀田が最初にゴヤを意識したのはロシアにあった絵で、しかし、それは今ではゴヤではないと評価されているとの回顧展の紹介を読んだ記憶が。
堀田善衞はアルバ公爵家に秘蔵されている「アルバ公爵夫人像」を見るために、長い時間を掛けてアルバ公爵家とのコネクションを作り、ようやく絵を見ることを許された、というエピソードも紹介されていて、見られるものは何でも見た上で書くというジャーナリストとしての徹底振りに改めて感動したのだが、そういう人でも、この「巨人」はゴヤの作品として色々書いている筈で、今読むと、なかなか複雑な気持ちになりそう。
復活(多分)。近所を散歩する。天気は良いけど、風は寒かった。見晴らしの良いところから西側を見ると、富士山が麓まで真っ白の姿を綺麗に見せていた。
シュレッダーでザクザクと処分。思ったよりも早く一杯になる。もう一サイズ大きくても良かったかも。まぁ、でも今の作業さえ一通り済めば、シュレッダーに掛けるべきものはそんなに大量に出る筈はないし。
あと、今週は、本棚の前の段に乱雑に横積みしていた文庫本を縦にきちんと並べ直してみた。やっぱり、本は縦に並べるべきものなんだな、とつくづく思った。置き場のない者としては、「全ての本を一列に並べよ」(小野不由美)とまではとても言えないにしろ。
一列といえば、この機会にあちこちに散乱していた「マリみて」を一箇所の本棚に並べてみた。うわっ、マリア様がならんでる……
今まで立てたことが無かったから、シリーズ全部でこんなに幅を取るとは思っても見なかった。それにしても、未だ床に積み上がっている何列もの本。「マリみて」を処分するだけでも、32冊分が本棚に並ぶな…