空の蒼さを 見つめていると
昨夏、ピークシーズンに行ってしまった反省から、今年の夏は早めに旅行に出掛けようと決意していたのだが、気が付けば6月も目前。そろそろ行き先を決めないと。とはいえ、風景と文明と絵画の中で何を優先するか、悩み中。来年からはまとまった休みなど絶対取れないのが目に見えているだけに、最後に行くならどこか、と思うと更に決め難い。
とりあえず、アイルランドか湖水地方かオランダかポルトガルあたりのどれかにしようかと、って全然絞れてないじゃん…
え〜と。改めて見てみると、思っていた以上に上手くなかったのには驚いた。アルコール依存症の治療のため、気晴らしとして描き始めた 、という経緯は有名だが、本来、プロの画家としての資質は余り持ち合わせていなかった人なのでは?
彼の場合、若い時に脚光を浴びてしまったこと自体が、不幸な間違いだったように思える。世間的な名声を得たものの、過去の模倣しか描けなかった(画家としては)悲惨な晩年 も、その間違いの延長線上だろう。
不幸な芸術家、哀愁のパリ。そういうものを何よりも尊んだ時代があったのだ、ということを偲ぶくらいしか、今見る意味は思い付かなかった。
休みを取って、免許証の書換。
今回の書換で、ようやくサイズが小さくなったのは嬉しいが、やはり「人には見せたくない顔」になってしまうのは悲しい。ところで、講習時に貰う小冊子の裏表紙に、今年の交通安全年間スローガンとやらが載っていた。「安全運転 若葉のころから 紅葉まで」。 ……あの、冬は?
夜は、表参道で橘いずみのlive。デビュー10周年記念ということで、今までのPVを集めて編集したものを最初に流したのだが、デビュー当時の映像に、皆口々に「若い…」と呟いていた。当時見ていたら、ストレートに填っていた気がしないでも。キリッとした視線の、ショートカットの女の子というのに、実は弱かったのか、私。
liveの方は、非常に楽しかったのだけど、待ち時間合わせて、4時間立ち続けるのは、割と辛いものが。…若くないな。
昨日の深夜、近所の家に泥棒が入ったらしい。
防犯を呼び掛ける回覧板が急遽、回ってきた。盗まれたのは、現金、証書、そして宝石だという。事件もさることながら、盗まれるような宝石を持っていた家が、近所にあったことの方が驚き。まぁ、あるところにはある と。うちの家の場合、宝石が盗まれることなど最初からあり得ないが。
ところで、今朝のポストには、某警備会社の防犯システムのチラシが。…出来過ぎのように思えてしまうけど、気のせいだろう、きっと。
個人的には、かなり待ち望んでいた一冊。通称「タック・シリーズ」と呼ばれる、匠千暁、辺見祐輔、高瀬千帆らが活躍する連作の中で、この前作となる「子羊たちの聖夜」を読んだ時に、残り は一気に読みたい、と盛り上がったのだが、新書のミステリは新刊以外、なかなか見付からないもので、本書も同様だった。従って、この後の「依存」が昨年、新書に落ちた時も、手が出せないままでいたのだ。
独立した一冊として見れば説明不足だと思うが、連作としての「重み」がここにきて、非常に上手く効いてきている。なるほど、この本で、ここまで進むのか、という感慨。これは、もう続けて「依存」に進むしか。…まだ、本屋にあるよね?
今月の日記は、既に分量が多過ぎるような。というわけで、今日の分については、週記の方に。
ちなみに、都会でもこの時期なら、割と聞こえてくるもの、なんでしょうか? それとも、近所に森とか丘がないと駄目なのかしら?
今日は、ソフト館でのイベント。今までの中でも、かなり高得点な内容。というか、1時間ずっと笑ってました。
今週のBS11の映画は、西部劇特集。「ラスト・シューティスト」「捜索者」「ブロンコ・ビリー」「ペイルライダー」「荒野の用心棒」と、思わず歓声を挙げたくなるような、通好みの作品が並んでいる。
例えば、「ラスト・シューティスト」は、ジョン・ウェインの遺作であり、最後に彼から銃を譲り受けるのが子役だったロン・ハワード、というわけで、映画史的に非常に重要な作品 。本当は全部を観たいところだけど…、少なくともジョン・フォードの「捜索者」だけは要録画。
昨日、清川虹子さんが死去。出演作がどうにも思い出せないので、その一覧を見てみる。この中で、私がちゃんと観た作品って、…もしかして「ガメラ3」だけ? 道理で思い出せない筈。どうでもいいが、こうしてみると、いかに私が娯楽映画としての過去の邦画をろくに観ていないか、バレバレ。
なお、訃報を聞いて、最初に思い出したのは、ひゅーほほほ。て、それは本人とは全然関係無いんですけど。
ビクターの関連会社から厚みのある封筒が届く。何かと思ったら、ゲーム「サンサーラナーガ」の宣伝用アニメのビデオだった。年末にソフトを(結局)買った際に、プレゼント応募の葉書を一応送ったものが、当選したらしい。送ってみるものである。
押井守自身は、昨年のレトロスペクティブで、『劇場版「パトレイバー」を作り終えた直後で、スタッフの緊張の糸が切れていて、作画が全然駄目だった』と述べていたが、川井憲次の曲が盛り上げることもあり、まさに押井守アニメという出来になっている、とは思う。 販売されたことはないので、とりあえず、割とレア。あっという間に終わってしまうのが残念だけど。
ちなみに、ゲームの方は、RPGをやる気力がやはり無くて、ほとんど進めていない…
今日は久々に関内まで。こういう機会も久々なので、そこで会う人も皆、久々。
予約したCDを引き取りに行っただけの筈なのに。菅野よう子「23時の音楽」や新居昭乃「覚醒都市」といったCDが目に付いてしまう罠、店頭で椎名林檎「唄ひ手冥利」が販売されている罠、DVDコーナーで「メメント」コレクターズセットを思わず手に取ってしまう罠、と世の中、危険が一杯。
なお、その全てに引っ掛かってしまったのは、言うまでもない。まぁ、「蝉時雨」を含む「マジカルエミ」BOXという罠を危うく逃れただけでも良しとしないと。
DVD「メメント」の目玉は、時系列順再生モードが付いていること。さすがに、よく分かっていると感心。もっとも、そうやって観たら、それほど面白くはなさそうな予感。
で、引き取ってきた、菊池志穂「バースデイ・ディスク トーラス」。
かつてのカウントダウンdb(のコント部分)を70分ひたすら続けたようなCD(^^;; 個人的には非常に好きな世界なんですけど。需要がどれくらい有るのかは、かなり謎。
このところ、体調が低調な気がするので、大人しく早々に帰宅。目は充血するわ、口内炎は出来るわ、時計のバンドはいきなり切れるわ、て最後は体調じゃないけど。低調なのはむしろ運勢?
細野不二彦「東京探偵団」文庫版3巻。今年描かれた新作の読み切りを巻末に収録してくれたこと自体は嬉しい。しかし、あえて今描くことも無かった出来なのを確認しただけのような。解説者は「他の作品と違和感が無い」とか書いているが、それは嘘だろ、さすがに。
当時の流麗な描線が失われてしまった以上、どんな内容でも、それはもはや当時の作品の再現とはなり得ない。現役の作家としては正しい変化だとは思うけど、当時の線が好きだった者にとって悲しいのは確かで、こういう形で新作を見ると更に辛いものが。
この巻に収められているのは、オリジナルで言えば、ほぼ5巻以降。国鉄最後の日を描いた「MOBIUS EXPRESS」のエピソードは今読んでも傑作。
朝の出勤時、地下鉄の駅で。
ホームに降りた時点で発車間際、しかも混んでいたので、次を待つことにしたのだが、後から来た、メガネを掛けたスーツ姿の中年男性は、背中から強引に乗り込んだ。同時にドアが閉 まる。次の瞬間、 閉まるドアに弾き飛ばされたメガネが、ドアの外側で一瞬高く舞い上がると、車両とホームの隙間に吸い込まれるように落ちていくのが見えた。
…数秒間の沈黙の後、車両が動き出し、駅を去っていった。ドアの向こう側で何とも情けない表情の、そのおじさんを乗せたまま。
言葉っておもしろい! 言語による認識の可能性と限界を描き出すのも言葉、というわけで。作者の著作の中では、一番好み。
それにしても、「星界」シリーズが同種の関心から生み出されたのは分かるのだけど、スニーカー文庫のあの2作は何故書いているのか、私には未だによく分かりません(^^;; 作者としては、ライトノベルという「新しい言語」を使ってみることに意義があるのかもしれないけど、作品だけ取ってみれば、単なる説明不足の、安易な文章にしか思えないので。
「広告批評」とか「小説すばる」とか。前者は「特集 アニメ2002」、後者は「ロボット小説」特集 ということで。「ロボット小説」特集の、瀬名秀明、我孫子武丸、倉阪鬼一郎、乙一、菅浩江という顔ぶれには、割と期待出来そうな気が。
展示替え後。久々に、昼休みに(以下略)。
今回は、応挙VS若冲、という雰囲気。尋常ならざる凝視力、という芸風?も良く似ているし。ただ、応挙の「孔雀図」は、萬野美術館所蔵の物と比べると、背景がおざなりなので、若 冲の方が優勢勝ち。というのが個人的な判定。
若冲の方の一枚は、蓮池図。奇妙なのは、池の上から水面を覗き込んでいる構図なのに、魚の姿は、水の中で横から見たようになっていること。といっても、当時の常識ではどう描くのが「普通」だったのかはよく分からない。水中(の動植物)の描き方の変遷、についても機会があったら調査してみたい、とまたしてもメモ。
所用でヤマギワまで出掛けたついでに、今更ながら「ほしのこえ」と、「ラーゼフォン」のサントラを購入。
天気が良いので、隣の駅から歩いて帰ったのだが、その途中、「四十八願」という表札を目にする。
…しじゅうはちがん? 仏教用語? 検索してみて、珍しい名字を収集しているサイトというのが沢山あるのを知る。たとえば「名字見聞録」 とか。ここによると、読み方は「よいなら,よいなが,よそなら」のいずれか、らしい。とても読めない。
一方、言葉自体は予想通り、仏教から来ていた。ごく簡単に言えば「阿弥陀如来が仏になる以前(=遠い昔)に、一切の衆生を救うために立てた48の誓願」とのこと。「その世界 」では常識みたいだけど、私は今回、初めて知りました(←無知)。
ということは、やはり、僧侶か信徒のどちらかが名乗った名字なのだろう。
擬人化された蛙とか、鼠とか。どうぶつ奇想天外!という言葉が頭をよぎる。
暁斎は思い付いたことは何でもやってみせるタイプだったようだが、その思い付きは時代的な感覚と連動していた部分が大きいような。だから、その知識がない私には、絵本来の面白さも理解出来ないのかも? と、個人的にややピンと来なかったことの言い訳。
興味深かったのは、日々描かれていた風の「絵日記」。今生きていたら、絶対、webで絵日記サイトをまめに更新していたと思われる。萌絵だったかは、分からないが。
今後、ビデオで観直すための準備として、「小津安二郎を読む」(フィルムアート社)を段ボールの奥から掘り出してくる。
中の、キーワードによる解説を読み返していたら、「犬」という項が。『人間はしばしば犬型と猫型に大別されるが、これに従えば小津は犬型に属するように思える。』と始まるその項では、犬は小津の映画によく登場するのに対し、猫が登場したのは「宗方姉妹」のみであろう、と説明していた。
驚いたのは、その箇所に、「長屋紳士録」にも、との書き込みがあったこと。しかも、私の字で。学生時代のものらしい。私は普通、本への書き込みはしないので、 その「新発見」がよっぽど嬉しかったと見える。……全然、覚えていないんですけど(^^;;
そんなに熱心に観ても、十年経てば、ストーリーすら、忘却の彼方… でも、それは、今観ると全てが新しく楽しめる、ということでも(←ポジティブ・シンキング)。というわけで、 これから一本ずつ小津作品を借りて観ていく予定。犬と猫にも注意しつつ。
田中芳樹「マヴァール年代記(全)」。中世ハンガリーをモデルにした、という点に以前から興味があったのだが、読んでみたら、現実のハンガリーとは余り関係無かった。というか、田中芳樹の物語って、舞台 がどこだろうと登場人物の思考は全く変わらないな 、と改めて思った。
「アベノ橋魔法☆商店街」第7話。これだから、油断出来ない。
「アニメージュ魂」。…おかしいな。もっと「濃い」のかと思っていたんだけど、この程度? という感想を持ってしまう時点で、既に人として駄目なのかしら?
後期。大幅に展示替え。どの作品を観ても楽しめるのは前回同様で、面白さという点では、前回以上。
最も眼を引くのは、簫白「群鶴図屏風」か。自由闊達な筆遣いで、あっという間に描き切ったような活きの良さ。些かパフォーマンス過多で、いかにも得意げなところがやや大人げないとは思 うけど、それこそが簫白らしいところかと。
鈴木其一「聖観音像」も、彼のいわばグラフィックデザイナーとしてのセンスの高さを示す、格好良い作品。其一はしかるべき作品を集めた展覧会が開かれれば、そのモダンなセンスとテクニックの高さから、江戸時代の画家で一番、「現代でそのまま通用する」と評価され得るのでは? 器作って魂入れず、の感も強いけど。
若冲、応挙、抱一、雪村、狩野芳崖らの、各々らしさに満ちた作品も良かった。こういう展覧会が月に一度でも観られれば良いのに。
ところで美術的な価値とは別に、非常に興味を引かれたのが、荼吉尼天を色鮮やかに描いた、南北朝時代の掛け軸。
恐らくかなり裕福な層の誰かが、信仰のための本尊として描かせたものに違いないが、ダキニといえば、日本の宗教史上、有数の、もの凄く強力な呪力を持つ(と信じられた)存在。何せ、元々が人の心臓を取って食う鬼神である。注文者は、単にお稲荷さん(ダキニと同一視された)を篤く信仰していただけかもしれないが、荼吉尼天の法と称して、例えば誰かを呪い殺そうと、この絵を前にして妖しげな呪法を繰り広げたりしなかったのか、とつい、妄想が膨らんでしまう 。
ちなみに、だから(?)お稲荷さんには願を叶える力がある=御利益があるとされるわけです。
チラシで見る限り、近代美術館は「MOMAT」と呼んで欲しいようです。モマト? モヤシトマトの略みたい…
二つの大作を中心とした、その色彩と形態の乱舞に、理屈はともかく、体全体が反応してしまう。特に(何故か)お腹に響く感じ。観ることが、不愉快であり、かつ愉快でもある。ただし、私にとって「心に響く」のはやはり、晩年の澄み切った作品の「青さ」なのであって、今回の作品群の「乱暴さ」は、「体に響く」のに留まるような。…アブトロニック?(違)
一通り観た後、分析的な観点からも見たいと、音声ガイドを借りてもう一度。………。音声ガイドって、どこもこんなにつまらないんですか? 薄い「印象」をやたらと漢語混じりでもっともらしく述べるだけ。耳で聞かされることを絶対に考えてない。もっとプロらしい、実践的な解説は出来ないの? ま、人に頼るような真似をしちゃ駄目と。
ところで、今回は、ロシアと旧ソ連諸国の美術館所蔵の作品によるとのことで、後援も「外務省/文化庁/ロシア連邦大使館」なのだけど、こういうのにも、どこぞの支援 委員会がいかがわしく絡んでいたりするのでは?と邪推してしまう癖は当分抜けそうにない。
かつてのタペストリー以来、「羊のうた」関係のグッズは、「気が付けば締め切りを過ぎていた」を繰り返してばかりだけど、今回の卓上カレンダーに関しては、何とか直前に思い出 しす。締め切りは、明日まで。危ないところだった。ちなみに、全図柄を使うため、とりあえず2冊を注文したのは言うまでもない。
第一部は文句なく面白いのだけど、第二部の方は後半駆け足、という印象ばかり残ってしまうのが、何だか非常に勿体ない気が… ただ、これが、作者の理想とする描写バランスであるのならば、こういう小説に求めているもの自体が作者と私では多分、違う、ということなので、それはそれで仕方ないかと。
今週は、「未見展覧会の消化」強化週間です。
「ミロ、だね」「ミロ、だな」「……」「……」「他に言うことないの?」「そうだな、このミロ美術館、昔、旅行した時に、行ったこと有るよ」「それなら、今回の絵も見覚え有るんだ?」「…中のカフェで、ボカディーリョって、スペイン風サンドイッチを食べたのは覚えてる。どこでも美術館のカフェは高いと思った」「そうじゃなくて。絵は?」「全然、覚えてない」(Pakan!)「あんたは、バルセロナの美術館までお茶しに行ったんか?」「だって、絵って、何が描いてあるか、 つまり、言葉で頭では記憶してるわけだよね。だけど、ミロの場合、何が描いてあるかじゃなくて、最初からミロの絵と思っているだけだし」「そんなの、単なる言い訳」「あ、そういえば!」「何か思い出した?」「ミロと言えばさぁ、『強い子のミロ』って最近、聞かない けど。まだ売ってるのかな?」(Pakan!Pakan!)「飲み食いすることしか関心ないんか!」
……普通に感想を書いた方が良かったかも。いかにもミロ、なので、そういうのが好きな方には悪くはないです。
相変わらず、休日は近所の丘陵を散策する日々。段々暑くなってきて、日差しも馬鹿にならないので、数年ぶりに帽子を買い、ついでに、ウォーキング用の靴だとか、適当なデイパックとか、それらしい服装を揃えてみる。歩いてみると、特に靴に関しては効果大で、1割くらい歩く速度が早くなった(当社比)。
まるで、「そうび」している防具の防御力がアップした気分。…とはいえ、実際は、「ぬののふく」が「かわのよろい」になっただけ?
昨日のNHK教育「国宝探訪」は、円山応挙の「雪松図屏風」。
「雪松図」以外にも、色々な作品を紹介していた。その中でも、個人(京都の旧家らしい)所有の写生帳が、一番興味深かった。あの卓越した観察力で描かれた動植物の数々。松に関しては、葉の、枝からの開き具合の季節毎の違いまで、描き止めていた。
その写生の天才が描き上げた、理想的境地としての山水画ではない、「冬の朝の、雪を被った松の樹が目の前に有る空間」。近代人の眼が初めて捉えた世界。ぜひ、実際に見たい一枚だけど、あいにくと私はまだ未見。三井文庫か。
この前読んだ本がアレだったので、口直しの意味も含め、「時かけ」モノから、再び。
療養のため、母方の農場に移り住んだ少女が、過去の時代の、その屋敷に迷い込む。400年前のそこでは、イングランドとスコットランドの王位継承権の争いにまつわる大事件がじきに起きようとしていた…
「タイムスリップ」物として、特にユニークな作品ではない。しかし、現代/過去の双方で描かれる、豊かな農園の自然、そして人々の素朴で満ち足りた生活の描写が非常に好ましく、それを味わうための小説。いわゆる「まったり」とした作品世界。中でも、少女が向こうに行く度に、皆が当たり前のように温かく迎えてくれる様は、新鮮だった。
物語は終盤、ドラマ性を強めるようでいて、そうでもないまま終わってしまうのだが、これはこれで良いかと。岩波少年文庫らしい良作。でも、この文庫には、イギリス+庭+「時かけ」モノのファンタジーという、まさに同ジャンルにあの大傑作「トムは真夜中の庭で」が有るので、比較されると弱いかも。
世評が高いので買ってきたものの、そのまま一年ほど未読になっていた。良い機会?なので、併せて読む。
小6の少女・真央は奇妙な「ケータイ」を拾ってしまったことで、本能寺の変の少し前の時代、森乱丸の体に意識を飛ばされてしまい、信長や光秀に出会うことになる。果たして、彼女は歴史を変えることになるのか? と、 これまたオーソドックスな、歴史改変物。現役の?小学生として連載を読んだら、さぞかし面白かったのではないかと思う。
どうでも良いけど、主人公の年齢といい、タイムスリップする年代といい、驚くほど「時の旅人」とそっくり。印象は、全然違うけど。
ともあれ、物語はよく練られていて、綺麗にまとまっている。こういう話が好きな方には、間違いなくお奨め。
最近、文章の調子が愚痴っぽい?
プラドと言えば、私が実際に見た、数少ない美術館。学生時代にスペインを旅行した際、3日通い詰めた。一通り眺めるのに10時間掛かったことを覚えている。ちなみに、ルーブルは5時間で見終えたので、その倍は必要 、といえば、そのボリュームが想像付くかも。
というわけで。今回の展覧会の絵は、駄目とは言わないにしても、プラドに来た人の大半が、貸出中の絵があるのに全く気付かない程度の質量なのは確か( ベラスケスやゴヤの全作品を見ようとした人は別として)。
せっかく、本格的に紹介する初めての機会であるのなら、やはりここは、瞠目するような作品の1点も欲しかった。その1枚でプラドを世界最高の美術館と呼び得る究極の絵画「ラス・メニーナス」 や、あるいは、ボスの「快楽の園」といった、無理は言わないにしても。
例えばベラスケスなら「ブレダの開城」位の傑作をどかんと出して貰えれば、全体の印象は全く違った筈。目玉が無くて、地味。この内容で、「これがプラド」というイメージを抱かれると、ちょっと… 3部屋くらいひたすらルーベンス、という「量」 は再現不可能としても、 「質」はもう少し頑張って欲しかった。ティツィアーノ、ティントレット、ルーベンス辺りはどれもプラドに点数がある画家だけど、その中の最良の作品では、やはり無かったし。
個人的には、スルバランの描写力には、改めて凄いと思う。静物画も見たかったけど。あと、最後の一枚がソローリャだったのは嬉しかった。地中海の光と風を心地よく描いている素敵な画家だ けど、日本で見る機会は殆ど無いので。
見る価値は確かにあるけど、これを見てプラドへ行こうと思う人が増えるとは思えない。…それって、こういう展覧会としては失敗では?
ミュージアム・ショップで、プラド関連の内、「快楽の園」のポスターを購入。恐らく、今までで見るのに一番時間を掛けた(20分くらい?)絵の一つではあるけど、「見終えていない」絵の一つでもあるので。画集等だと細部が見えないか、拡大して全体が見えないかのどちらかだし。…もっとも、このサイズでも、実は小さ過ぎ。
3年振りくらいに、レンタルビデオの会員証を作ってみた。
別に利用しない信条等が有ったわけではなく、単に生活圏&通勤途上にただの1軒も無く、借りようが無かっただけ。中途半端な郊外都市の悲哀。今回、途中駅の駅前の店を利用すれば良いことに、ようやく気付いたのだが、果たして 、借りてまで映画を観る暇があるのかは、不明。多分、どうでも良いアニメしか見ないような、駄目な予感がひしひしと…
でも、かつて撮影所が有った場所柄からか、小津のビデオの全作品が揃っていたのは嬉しい。昔から好きだと言っている割には、未見の作品も結構、残っているので、これはもう回顧特集をやるしか、と一人盛り上がる私。もっとも、いつから始めるかは、やはり不明。
地元の駅で、高校時代の同級生に、バッタリ。会うのは一年ぶりだが、いつの間にか、怪しげな髭を蓄えていたのには、驚く。もっとも、そういう私の姿が相手にどう写っているのかは定かではない。ちなみに、私は髭は生やしていないです。
前世紀に活躍した女優の写真に運命的なものを感じ、彼女に出会うため、時間遡行を試みる男の話。「時かけ」モノと (某映画に習い、私が勝手に)呼んでいるジャンルの中でも、(少なくとも映画化された方は)有名なタイトルの作品、なのだが…
「想いは、時を超える。」といった、ロマンティックな物語を期待したが、実際には、そう思い込んだ男の、独善的な熱愛でしかなかった。時を超えるストーカー。
特に男が、ホテルの一室で一人思い詰める辺りの言動には、思わず引いてしまうものが。「つまり、ぼくに選択の余地はない。僕は過去にもどらねばならないのだ。」「ぼくの恋人。すぐに、きみのもとに駆けつけるからね。ぜったいに。」 …電波大王?
「時かけ」モノは、『不可能なことを可能にする』というファンタジーのエッセンスを、時間軸において実現する、基本的に純度の高いファンタジーではあるけれど、主人公にそうせざるを得ない事情が存在するから、物語が読者の共感を呼ぶのであって、身勝手なストーカーの願望を満たす「魔法」では無い筈。
大体、夢を叶える代償としての限定条件の付け方(「過去とやりとり出来るのは3回まで」とか)が、このジャンル最大の見せ所というか、泣かせ所なのに(例えば、梶尾真治はそれが非常に上手い) 、その辺のセンスに鈍感な作家には、このジャンルは書いて欲しくはないなぁ、というのが正直な感想。
遡行の方法等、ジャック・フィニィを強く意識した作品だが、似て非なるものとしか。いわゆる、劣化コピー。
ちなみに、解説は瀬名秀明。舞台となったホテルを実際に見に行ったほど思い入れが有るらしく、「奇跡の作品」とまで呼んでいる。そうか、プラネタリウムの話は、この作品へのオマージュだったのか。お手本がこれでは、あの出来なのも、まぁ、無理もないな…
涼しい。というか、むしろ寒い。…何とかならないんでしょうか、この極端な気温変動。
このサイトを開設してから、実は今日で、ちょうど5年が経過。
こんなに続くとは、飽きっぽい私としては驚くばかり。ただし、これだけ無事に続いたということは、その間、自分の生活に、特段の変化も、進歩も無かった、ということでも 有るわけで… 果たして喜んで良いのか、やや複雑な心境。
暑い。もはや、ほとんど夏の暑さ。
大人300円。…千葉の時と比べて、えらく安い。スペースの違いを考えれば、当然か。ギッシリ押し込んではあるものの、いかにもダイジェストな規模なので、なまじ雪村に興味を引かれた人ほど欲求不満が募るような。そのためか、帰り際に図録を購入する人多し。
こうしてみると、千葉まで行っておいて正解、だったと思う。労を惜しむ者に功少なし(今日の教訓)。
間近で見るしかないので、どの絵も細部に目が行ってしまうが、屏風などは、本来もっと離れて見るべきでは? ただし、お陰で、3枚の仏画に入れられた隠しサインを、全て発見出来たのは、勝利(何に?)。
ともあれ、あくびする布袋像(光琳の「紅白梅図」の原型に見える絵)を実際に見ることが出来ただけで、満足。
鍋島は良いねぇ。日本人が生み出した食器の極みだよ。
いや、もう本当に。うわー、うわー、と(心の中で)叫びつつ観る。だって、数枚でも有れば凄い鍋島の優品が、百枚近くもずらりと並んでいるんですよ? 大名への贈答品として金に糸目を付けずに作られた経緯と、あくまで実用的な工芸品であったことから、普通の人には全く縁のないやきものだけど、 だからといって、知らないままでいるのは、余りにも勿体ない。
皿の表面を彩る、考え抜かれたそのデザインのセンスには、絵画とか平面上のデザインに少しでも関心のある人なら誰でも、今なお衝撃を覚える筈。
少しでも多くの人に(数ヶ月前までの私のように「鍋島、…化け猫?」みたいな人に特に)、ぜひ観て頂きたい展示。渋谷から遠くないですよ。
3回目。2作目の予告編が目的なので、否応なく字幕版。
今回は、字幕に頼らない努力をしてみる。結果、リスニング能力の低さを確認して終わる(^^;; 耳に集中する分、画面への集中力が落ちてしまうのも痛かった(下側を見な かったせいもあるけど)。でも、ピーター・ジャクソンやトロル(と並列して良いのか?)の確認は出来たので、良しとする。
気になったのはむしろ、前回(吹き替え版)より明らかに不鮮明な画面。とはいえ、この辺を指摘する話は聞かないので、字幕/吹き替えのプリントの違いではなくて、上映状況の違いだと思うが。暗く感じたし、少なくとも、ピントは完全には有ってなかった。普通なら一応許容範囲だけど、モリアとかで画面の暗いところが全然見えない…
文化会館は、昔の職場が近くにあった頃から、私にとって定番の劇場なだけに、悲しい 。都内の上映状況を採点している本によると、実際はどこもかなり酷い状態で、小さい所だと初日に本職の技師が調節するだけで、その後ピントはズレていく一方(最終日ほどピンぼけ)という恐ろしい事実があるらしいのだが、まさか、ここでは日々チェックしているのでは?(と思いたい)。
ところで、目的の予告編。字幕は当然、無視するとして。観に行ったかいはそれなりに。あんな人がこんなことを!みたいな感じ(どんな感じだ)。1作目以上の期待をしても大丈夫そう。でも、「二つの塔」といえばあの彼ら、をどう表現しているかが最大の関心事だったのだけど、さすがに予告編、一瞬しか見えなかった。しかも一部分だけ(^^;;
久々に、大楠山という半島の中心にある山に登ってみる。山一帯に毛虫が大発生していて、しかも風が強い日だったので、上から首筋に落ちてくるのではという恐怖に怯えながら歩くことに。この辺だとそんなことも無いのだけど。三浦半島の生態系は、実はピンチ?
週末に、一週間録り貯めしたアニメを整理するルーティーン。少し減らしたものの、まだ10本弱見る作品が残っているのは、いくら何でも多過ぎ。その中で、一番丁寧な作品作りをしている印象があるのが、「フィギュア17」。
変身ヒロインものというジャンル的お約束の方は、正直どうでも良いが、主人公である子供達の、日々の描写の丁寧さは本当に素晴らしい。言葉にならない感情のさざ波を、表情だけできちんと描いていく様に好感大。それだけに。今週の大技的な展開には、ショックが大きかった… それが今後、物語上で果たす意味は予想は付くとしても、そこまでやらないといけないの?と思ってしまう。多分、この責任はちゃんと取ってくれるとは思いますが。
頭の中で「空耳ケーキ」と「Raspberry heaven」が止まらなくて、ちょっと困っています。
藤島武二というと、昔(鎌倉?竹橋?で)見た回顧展の遠い記憶では、イタリア古典絵画風の女性の横顔の印象が全てだったが、どうやらそれはあくまでも一時代の試みであって、全体としては風景の画家、という性格が強い様子。
割と充実した展覧会だったが、戦前の洋画家の絵に、どう接するべきなのかという点について、自分の中で整理が出来ていないためか、作品の軌跡を追ってみても、この画家の本質がよく分からないまま終わってしまったような… 決して嫌いな画家、嫌いな絵では無いのだけど。
構成的には、海や朝焼けを描いた晩年の作品群を一つの到達点として展示していたが、個人的にはむしろ、朝鮮や台湾へ旅行した頃の、アジアの風景を描いた辺りが、一番豊かな内容であったように思えた。この時代の絵をもっと見てみたい。
目的は、若冲と抱一。若冲の「動物綵画」を観るのは実は初めてで、非常に興味深かった。
これだけ細密描写かつ鮮明な色彩だと、画面の極端な平面性が非常に気になる。押し花のような、というか。あるいはプレパラート上の世界。もっとも、江戸時代の絵画における空間表現について確たる理解が元よりあるわけではなくて。その辺は今後の課題、とメモ。
美術館ではなくて、記念館。なので、気持ち程度、しか展示していなくても仕方ないのか… この前の屏風のような驚くべき作品は残念ながら無かった。というより、掛け軸が幾つかと、色紙が二十枚くらいしかないので、内容の出来不出来以前に、いかんともしがたい。やはり、美術館がある青梅まで行かないといけないの ?
隣が椿山荘なので、結婚式等で行く機会が有ったら、ついでに覗いてみたら、という程度。10分で見ることが出来るし(^^;;
友の会の期限が来ていたので、更新する。ここは、地味めだけど、内容的には充実していて、観に行ったかいはある、という展示が多いと思う。これもその一つ。
カリフォルニアの事業家クラーク氏による日本美術のコレクション。作品を通して収集者の顔が見えるというか、本人が観て面白いと思ったものだけを集めているのが伝わってきて、観ている方としても、非常に楽しい。日本の企業がバブル期に洋画を集めた時、世間的な知名度の高さだけを優先したのと好対照。
今回(中期)で一番インパクトがあるのは、やはり鈴木其一「月に波濤図」。現代絵画並みの、モダンな画面。ただし、あの色遣いはどうかと(^^;; 個人的には、月岡芳年の「お菊の図」を観て、幽霊画の賞味期限は長いなと感心したり。今のホラー漫画も、少なからぬ点で、その延長線上にあるのが分かる。
展示替え後(後期)に、更に面白そうな作品が集中しているので、もう一度来ないと。
鶴田謙二イラスト集「ひたひた」。
ここ3年間のカレンダーに使われたアレやコレ。つまり、一言で言えば、はだか画集(^^;; ただし、メインは、むしろロングインタビューの方?
鶴田謙二といえば、ある時期から奇跡的に多作(あくまで、以前から比較して)に変化したようにも見えるわけだけど、実際には、本人の問題意識としては、描いていても「描ける」ようになったわけではないという趣旨の話がずっと続いていた。分かったのは、鶴田謙二の絵でさえあれば、それだけで喜んでしまう編集者と読者(私含めて)が、本人にとっては一番迷惑な存在なのだろうということ。
そんなわけで、「Forget-me-not」がいつ(単行本になるまで)完成するかは、今のところ、目途すら立たない様子。…まぁ、本人が納得するところまで待つしかないのだが、待つことに掛けては、こちらももはや素人ではない?ので、時期は問題ではない。完成さえしてくれれば。
新居昭乃「RGB」とOrange&Lemons「空耳ケーキ」を買いに、帰りに秋葉まで出掛ける。
ついでに立ち寄ったDVDshopで。
わっ、「フォルティ・タワーズ」のBOXが! とある下宿を舞台にしたコメディ、と書くと「めぞん一刻」みたいだけど、但し、管理人さんはジョン・クリーズ(^^;; 「モンティ・パイソン」 関連としては、最も重要な作品の一つと言って良い (=バカバカしい)シリーズ。勿論、あの馬鹿歩きも登場する。思わず手が出そうになったが、その前にCDを色々買い込んでいたため、先立つものが無かった。…どうせ、その内、買うことになるんだろうけど。
しかし、もっと驚いたのは、特撮コーナーの、「スペクトルマン」限定BOX付属の(というか主体の?)スペクトルマン頭像型のDVDケース。「驚嘆!業界初」って、そりゃそうだろう。この種のケース(生首?)が部屋に幾つも並べられていたら、嫌過ぎだ。
このメーカー、次の発売予定は「ライオン丸」らしい。今度は特典が獅子の頭のケースじゃないだろうな… ちなみに、私は、この辺の作品まで見直したい程の特撮フリークでは無いので、幸いにして、買う必要は感じず。
でも、隣のコーナーの、「コメットさん」のBOXは、いずれ買わないといけない気がする。のは気のせいったら気のせいかしら?