空の蒼さを 見つめていると


2008年10月

10/31

 「大琳派展−継承と変奏」@東京国立博物館。

 既に1回行ってはいるが、今回の目玉である風神・雷神図4作揃い踏みを体験せずに、この展覧会に行ったことにはならないので。

 前回同様の夜間入場だが、確実に人の出は増えていて、空きのロッカーが出るまで、帰る人の出待ちをする羽目に。これからの後の休日は多分、凄いことになっていくんだろうな。

 後半の目玉は抱一の「十二ヶ月花鳥図」(ファインバーグコレクション)かなと。あとは光琳の「波図屏風」(メトロポリタン美術館)の左隣に、抱一による銀の「波図屏風」(静嘉堂文庫)が並べられているのが目を引いた位? 其一はいかにもデザイン的な「流氷千鳥図」(島根県立美術館)や、フクロウがすごい存在感の「群禽図」、シルエットの夜桜が 綺麗な「暁桜・夜桜図」といった小品ながら面白いものも出ていたけど、これだっ、というほどの作品は登場せず、其一好きとしてはちょっと残念。(会期の最後には根津美術館の「夏秋渓流図屏風」が登場するらしいけど)

 さて、風神・雷神図だが、一直線に並ぶのではなく、左のケースに宗達、真ん中のケースに光琳・抱一、右のケースに其一、という感じで、せっかく一同に会しているというのに、視覚的に一遍に見られない… このもどかしさ、どうしてくれよう(^^;; というか、閉館直前になっても、宗達の前からだけは一向に人が無くならないので、3者(其一は別として)を綺麗に見比べることが出来ないんですけど。まぁ、無理もないけど。こういう風に、距離を置いて眺めた場合、どうしてもオリジナルの宗達の絵の力に、他は勝てないので。体のラインというか、筋肉の表現が一番自然なんですよね。

 抱一の「風神・雷神図」も実は割と好きなんだけど(少なくとも光琳よりは遙かに)、こうやって見ると、宗達・光琳・抱一の順で、どうしても「劣化コピー」という言葉を思いだしてしまう… と思いながら、其一の襖絵まで歩いていって、ふと違和感を覚える。何というか、TV画面の解像度がぼんやりとしていったのが、急に元のシャープさに戻ったような感じ。あれ?

 そこで、出光美術館の時に教わった細部の劣化に何があったか思い出そうとしながら、4作を見比べていると、抱一で1本になっていた風神の角が其一で2本に復活していることに気付く。更によ〜く見ていると、同じく抱一で指が4本になっていた雷神の右手も、其一では5本に戻っていることを発見。…其一は、師の抱一の絵を写したのではなかったのか。

 光琳は宗達の絵をトレース描き出来たのに対し、抱一は光琳の絵を見ただけで、記憶で写すことしか出来なかった筈(ついでにいえば、宗達の絵は存在自体知らなかった)。では、其一は一体どの絵を?

 思わず、会場内の案内係に聞くと、自分では分からないけど、インフォメーションの人なら分かるかもしれませんとのことで、閉館時間ぎりぎり、1階のインフォメーションのお姉さんに聞くと、何と即答だった。図譜の該当ページを開いて見せながら、其一は抱一が編纂した「光琳百図」(か後編)に収録された、当然モノクロの「風神雷神図」を見て描いたのだと教えてくれ た。

 なるほど、だから、其一の雷神の帯だけ、他と色が違うのか! あと、光琳の代ですっかり横目になってしまった雷神が其一ではまた前を向いていたので、ひょっとしたら宗達準拠?と思ったのも、もしかしたら、「光琳百図」の大きさでは光琳の絵をそこまで正確に表現出来なかったために起きた偶然の一致(なのかも)。色々と、納得。聞いてはみるものである。

 それにしても、そんな質問にも(アンチョコも何も見ずに)すぐ答えが返ってくるとは、さすがは国立博物館のインフォメーションコーナー。あそこって、ただの会場案内かと思っていましたよ(失礼)。

 

  今月は遅れていた分を一気に取り戻そうという勢いで、日々行きまくっただけあって、行った展覧会の総数が延べ34件に(+ついでに見た数件)。一日1件以上だ(笑)。多分、というか間違いなく、自分の中での月間観覧数の記録を更新。他のことが(旅行の感想とか(^^;;)全然進まないわけですよ(と言い訳)。でも、その割には、凄かった!という展覧会の印象が殆ど無いのは何故?

 良かったものもあるんだけど、全体に小粒感が強いんですよね… ひょっとして、先月のワシントン・ナショナル・ギャラリー辺りの比較でスケール感が麻痺したままとか?

 

10/29

 「ゴールド展〜その輝きのすべて」@森アーツセンターギャラリー→「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」@森美術館。

 森美術館は職場から直線距離では恐らく最も近い美術館の一つなのだが、辿り着くまでに無駄に多くの時間を要するので、可能な限り「行きたくない」美術館の一つでもある。従って、2展とも単独なら行かなかったところだが、今回は合わせ技一本ということで。

 「ゴールド展」はNYのアメリカ自然史博物館とヒューストンの自然科学博物館の共催展、の世界巡回展ということらしいが、この夏、科学博物館で「金GOLD 黄金の国ジパングとエル・ドラード展」というネタ被りにも程がある展覧会を見たばかりだったので、どう違うのか、逆に興味が有った。

 金の性質等を紹介する、最初の辺りはそう違わないけど、途中からは、金貨とかいわゆる金の延べ棒であるインゴットとか、ひたすら貨幣・金塊系統の展示。要するに金=カネなのね、という感じ。リディア金貨から始まる各国の金貨をずらりと並べられても、どれがどう違うのやら、わっちにはよく分かりんせん…

 とはいえ、大きな金のインゴットを見せつけられると、さすがに(大金庫にあるような)カネの象徴としての金を実感。

 思えば、科学博物館の展示は、優雅な「文化としての金」だったんだなと。こちらは文化ではなくて「経済としての金」の展示。いかにもアメリカらしいというか。あと、科博の展示の最後は「リサイクル」として、携帯電話等、都市鉱山からの回収を大きく取り上げていたけど、アメリカ側はそんなチマチマとしたことなど、一言も触れず(^^;;

 今ではゴールドラッシュのように、金塊を掘り出すことが出来た時代はとうに過ぎ、肉眼で確認できない含有度の金鉱石を大量に採掘した上で、危険な薬品等で処理することで金を精製している、というのは、両者とも説明があったが、地球上で最も大量の金を含んでいるのは海水だというのは「ゴールド展」で初めて知った。ただし、そこから金を抽出するのはコストに合わないので、誰もやっていないらしい。

 それにしても、日中ならもう少し賑わってもいるのだろうが、展望台と直接関係ないギャラリーまで入る物好きなど夕方だと稀で、金色に輝く展示ケースが置かれた各部屋を僅か数人が通過していく、余りにも寒々とした会場内は、六本木ヒルズの今の立ち位置を写しているようで、思わず苦笑。バブル展〜その寂れ方のすべて、みたいな?

 

10/28

 山田風太郎「八犬伝」(上・下)(広済堂文庫)。

 実はまだ続いていた八犬伝月間。amazonのレビューを読んでいたら、面白そうだったので、取り寄せて読んで見た。元々は朝日新聞夕刊の連載だったらしい。へぇ。

 馬琴の生涯を語る「実」のpartと、馬琴が執筆前に構想した粗筋を誰か(主に北斎)に語った内容という体裁のダイジェスト版「八犬伝」である「虚」のpartが交互に置かれる構成で、当時の最新の学説(中公新書版の「八犬伝の世界」等)を踏まえた上でのツッコミを入れている辺りが、今読むと、割と微笑ましい。あと、「八犬伝」の矛盾や冗長な部分を作者なりに解決させた粗筋になっている(従って、原作とは微妙に展開が違う)のも、「ぼくが考えた八犬伝」みたいでおかしかった。

 思ったよりも「大人しい」作品だったが、同時代に生きながら芸術観の違う鶴屋南北とのやり取りを創りだしてみせる辺りは、作者ならではの面目躍如というべき面白さ。

 晩年の有名なエピソード(全盲となった馬琴に代わり、ほとんど字の書けない息子の嫁が、馬琴に漢字を習って、口述筆記したことで、「八犬伝」が完結に漕ぎ着ける)の下りも感動的で。ただし、この前の展覧会の説明によると、馬琴の書いた後書きの通り、素直に受け取って良いかはやや疑問のようだったが… 展覧会場で展示されていた、彼女の書いた原稿は非常に立派な 筆遣いだったし。

 ともあれ、今回の八犬伝月間はこれにて終了。来月からは普通に小説を読もう。

 

 BShiの「ハイビジョン特集 映画監督 押井守 妄想を形にする 〜新作密着ドキュメント〜」。

 たまたま早く帰ってきたのでリアルタイムで見た。NHKのドキュメント番組だけあって、よく出来ているなと感心。字幕を付けて、海外のファン向けに販売すれば、買う人がいるんじゃないの?とか思った。

 

10/27

 「江戸・東京の茶の湯展」@日本橋高島屋。

 茶の湯系の展覧会場で前に招待券を入手したので、一応寄ってみた。全体に余りぴんと来なかったような…

 最後のコーナーで各流派ごとの立礼卓?をずらりと展示しているのが、何だか不思議な光景だった。昔、フランクフルトの広場で見たトラクターの展示会とどこか似た印象。関係者にとっては性能とか美しさの違いが分かるんだろうけど、門外漢から見ると、意味が分からないところがむしろアート、みたいな感じで。

 

 来年1月に東京国立博物館で開催予定の「妙心寺展」。

 この手の「…寺展」にはもうすっかり食傷気味ではあるのだが、しかし、この「妙心寺展」は少しばかり楽しみにしている。

 京都で大学生活を送る一年前の高2の春休みに、学校の下見という意味も兼ねて、京都市内を2,3日旅行したことがあって、家族旅行や修学旅行を別にすれば、京都の寺社を自分の意志で回ったのはその時が初めてだったのだが、その際に訪ねた寺が、等持院や妙心寺だった。つまり、私の寺社巡りはこの辺りの寺から始まっている。

 その時、妙心寺で退蔵院という塔頭にたまたま寄り、そこの寺宝が「瓢鮎図」という絵であると知って以来、この鯰の絵がずっと気になっていたのだが、退蔵院に行っても本物が見られるわけはなく、妙心寺については、肝心の鯰の絵が見られないという点において、物足りない思いを(今に至るまで)秘かに?抱えてきたのだった。

 それが、今回の展覧会では展示されるらしい。その一点だけで、個人的には絶対見に行くべき展覧会に。

 

10/26

 休養日。とはいえ、本当に一日、一歩も外出しないでいると、余りにもアレなので、散歩を兼ねて、八幡宮の鎌倉国宝館まで往復。

 

 「鎌倉の精華」(第1期)@鎌倉国宝館。

 鎌倉国宝館創設時の原点を振り返り、当時の展示風景を再現するのが、今回の特別展の目的らしい。TVシリーズのエヴァで言えば「ネルフ、誕生」のような回に当たる(のか?)

 仏像の中で、国宝館に寄託されながら、元々安置されていた寺の地元の村で悪病が流行ったことで、返還運動が巻き起こり、村と国宝館で揉めたというエピソードが紹介されていたものがあって、ご丁寧に当時の新聞のコピーまで貼られていた。「唐突にいきなり言われても、と頑張る国宝館」みたいな見出しで、今さら返せないと新聞の中では拒絶していたが、結局、その後、地元に返還したらしい。

 国宝館は(大正12年の関東大震災の被害を教訓に)昭和3年に開館し、この事件が起きたのは昭和10年らしいのだが、昭和10年にもなって、そんな「いなかのじけん」みたいな事件が起きていたとは、驚き。

 展示品の中では、鎌倉の名品展に欠かせない「当麻曼荼羅縁起絵巻」も。実はいつも下巻の来迎の辺りだけしか見たことがなかったので、上巻の大工仕事のリアルな描写が結構、興味深かった。

 あと、「建長寺展」でも見た蘭渓道隆関係の資料にも再び対面。自筆の「法語規則」とか。あの「…したら、罰油一斤」とかいうペナルティが書いてある奴。気になったので「罰油」を改めて調べてみたら、煮えたぎった油を背中から浴びせられる、とかいう体罰では別になくて、罰金として灯明用の油代を科せられる、ということらしい。なるほど、油代は高いですしね。サーチャージとか。

 

10/25

 「山辰雄遺作展」(後期)@練馬区立美術館→「古代エジプトの美展」@古代オリエント博物館。

 当初は、練馬区立美術館、府中市美術館、町田市立国際版画美術館、と普段行けない美術館を一挙に回る計画を立てたのだけど、府中市美術館がどこの美術館から行くにも1時間位掛かって、不便なこと極まりない。気になる展覧会だけど、往復2時間掛けて行く価値までは無い(チラシで紹介されている作品を見る限り)ので中止。町田(ここも遠い!)は別の機会として、帰りに古代オリエント美術館に寄ってみた。

 …池袋も足を運ぶには遠すぎる、というのが今回の実感。あと、人の動線がぶつかり過ぎる街は苦手。幸いにして、今年の間はこの辺まで足を伸ばす必要性はもうない筈だけど。

 

 「駅2008 鶴見線に降りたアートたち」とか、最近、…線での野外アート展、みたいなイベントが流行しているような気が。

 こういうのって、色々な場所を見て回ること自体が好きな人と、別にそうでない人がいると思うのだけど、私は後者の方。一箇所にまとめて置いておけば良いのに、とかつい思ってしまう。ついでにいえば、鉄な趣味もないので、こうしたイベントには余り食指が動かない。

 多摩川線沿線のイベント「多摩川アートラインプロジェクト」も同様なんだけど、どこかで拾った今年の「アートラインウィーク2008」のチラシには、関根伸夫の「位相ー大地」を40年振りに再制作との文字が!

 サイトを見たら、本当だ。あの物体の写真が。勿論、40年も前のイベントを実際に見たわけではなく、埼玉県立近代美術館での写真記録の展示を見たことしかないのだが、実物でぜひ見たかった企画なので、これだけは見に行くことにしようかと。制作過程も気になるのだが、多摩川まで、そう何回も行くほど暇ではないので、その辺はせめてサイト上に逐次アップしてくれないかな…

 

10/24

 有休。元々は、東北の紅葉を見に行くならこの時期に休日を取らなくては、と入れておいた休みだったのだけど、予定を立てる間もなく、日が近付いてきて。この際、上野の森の展覧会一掃日で良いや、と思っていたら、一日雨の日。しかし、勿体ないので、(私にしては珍しく)雨天決行で、出掛ける。

 「ボストン美術館 浮世絵名品展」@江戸東京博物館→「art of our time」@上野の森美術館→「線の巨匠たち−アムステルダム歴史博物館所蔵 素描・版画展」「退官記念 米林雄一展 〜微空からの波動〜」@東京藝術大学大学美術館→東京国立博物館(→東洋館→「スリランカ 輝く島の美に出会う」@表慶館→「国宝 聖徳太子絵伝」上映@TNM&TOPPANミュージアムシアター→本館)→「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」@西洋美術館。

 

 一日雨、といったって、こんな土砂降りだとは聞いてなかったよ… あと、これだけ回ると、さすがに疲れた。くたくた。

 

10/22

 「米田知子−終わりは始まり」@原美術館

 有名人の遺品の眼鏡のレンズ越しに、関係する文書を撮ったシリーズとか、アイデアとしては分かるんだけど、…ただのレンズ越しの文字という気も。スナイパーアイのシリーズ等は、過去の歴史と、今見えている何の変哲もない風景の落差のアイロニーになるほどな、と思ったけど。

 

10/21

 「ピサロ展」@大丸ミュージアム・東京。

 オックスフォードにあるアッシュモリアン美術館のコレクションで、ピサロ家のコレクションとしては世界最大とか、何とか。

 実はアッシュモリアン美術館は、3年前の英国旅行で、オックスフォードを訪ねた際に、ついでに寄ったことが有るのだけど、う〜ん、ピサロの絵があったかなんて、全然覚えていない(汗

 日本で言えば「博物館」といった方が適切な、考古学の発掘品から貴金属まで何でも少しずつある、雑然とした館内だったことと、入って直ぐ1階の奥に柿右衛門が置いてあったことと、恐らくここで一番の貴重品であるウッチェロの「狩猟」という作品がどこにあるか探し当てるのに、館内全部を歩き回ったことくらい、しか記憶にない。あとは…ラファエロ前派の作品も一部屋くらいあった(割と良かった)ことくらい?

 どちらかというと、美術館の前にある、(C.S.ルイスのお気に入りの場所だったらしい)ランドルフホテルでアフタヌーンティーを飲んだことの方が印象的で。あと、ルイスの有名な散歩道から一時、脱出出来なくなって(入ってきた門を閉じられてしまって)、パニックになりかけた想い出とか(^^;;

 

 展覧会としては地味過ぎ。でも、大丸ミュージアムは年間パスで入っているので、文句は言いませんが。今回初めて、子供達の絵の特徴を有る程度、認識した。長男リュシアンはカミーユ似の穏やかな風景画を描いていて、それ自体は好感を持ったのだけど、1920年代に、まだそういう絵を描いていたのは、相当に時代遅れになっていたんだろうなと。

 改装後の大丸ミュージアムの絵画展示は、和洋を問わず、そういう穏健路線が続き過ぎかも。絵画と人生に驚きを求めたくない人のためのミュージアム?

 

10/19

 「堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世。」@神奈川近代文学館。

 堀田善衞の海外に関する文章といえば、「上海にて」「インドで考えたこと」が名高いが、私にとっては、何と言ってもスペインの人、である。といっても、有名な「ゴヤ」についての著作を指しているわけでもない。単純に、スペイン滞在日記を描いた人としてだ。

 大学4年の時、一生に一度位は海外旅行をしてみたいと思い立ち、その目的地をスペイン(とパリ)に決めた。理由は色々有ったのだが、一言で言えば、ヴィクトル・エリセ監督の「エル・スール」という映画を見て、映画に描かれるスペインの北部と、対比して暗示される南部を実際に見てみたい、と思ったのが 一番の要因だった。

 当時はネット社会など勿論無く、情報と言えば、出来たばかりで記述がいい加減な「地球の歩き方」等のガイドブックを除くと、外国についての生の情報など殆ど無かった。その時、スペインに関する本を探しまくった中で、一番面白くかつ参考になったのが、堀田 善衞の「スペイン断章」というエッセーと「スペイン430日」という日記だったのだ。(一番つまらなかったのは例によって、司馬遼太郎の「街道をゆく」)

 その時の旅行は、スペインを北部一週間、首都一週間、東部一週間、南部一週間、と一ヶ月の間、明日の宿も殆ど決めることなく旅を続けるという、今の私では到底考えられないような、緩い長旅だったのだけど、旅行中、一つの心の支えになったのが、堀田善衞の日記だったのは間違いない。何せ、70歳を過ぎてから、スペインに一年以上滞在(移住)していた作家の日記なのだ。20歳そこらの青年が一ヶ月程度の旅行を出来ない筈がないというものである 。

 ついでにいえば、その後、日本に戻ってきた作家が終の棲家としたのが割と近所らしいということも当時知って、ある種、運命的なものも感じた。

 

 展覧会は作家の生涯を丹念に辿る構成。解説の文章が細かい文字でやたらと長いのは文学館ならでは?

 第二部というか、会場の最後におまけのように付いていたのが、ジブリpart。「ゲド戦記」のあの監督が、堀田善衞の作品から、2種類のアニメ映画を作るなら、とイメージボードを山のように積み上げていった、いわば嘘企画なのだが、この本気っぷりは何?という位の熱の入りよう。鴨長明と定家を二人の主人公とした方など、ストーリーまで作り込んでいて唖然。

 「ゲド戦記」よりは充実した画面になりそう、と思ったのは事実だが、でも、まぁ、実際に作ってみたら、ここに示したストーリー以上のものには全くならないんだろうな、とも思った。

 

 そして、ちょうど会場を出ようとしたところで、アナウンスが。ただ今から2階のホールで、先週の宮崎駿監督による講演を収録したビデオを放映します。…な、何ですと!?

 宮崎駿監督による講演自体、非常に珍しい上に、堀田善衞について語る、ということで、申込み期限を過ぎてから気付いて悔しい思いをしたアレが。追加100円ということだったが、勿論、参加することに(^^;;

 で、感想なのだが、聞きしにまさるグダグダトークだった(^^;;; 奥さんから「講演に最も向いてない人に依頼が来た」と言われたというのも頷ける。いや、最近の宮崎映画は構成がグダグダだとよく言われるが(私も言っているけど)、これを聞いてしまうと、映画の時はあれでも、構成をかなりまとめているに違いないことがよく分か った。これほど、一貫したトークが出来ない人は初めて見た(^^;;

 でも、つまらなかったかというと、そうでもなく。時々、チャーミングな表現が登場するし、今回はとにかく堀田氏への尊敬が話全体に溢れていて、聞いていて楽しかった。グダグダだったけど。

 堀田作品のアニメ化は、宮崎監督自身、生前の作者から薦められたことがあるらしいが、(色々必死に考えてはみたものの)アニメでは映画にならない(出来ない)、とのことで。今回の息子の展示については「全否定。あんなもので良いなら、とっくに作ってる。」との宮崎節が炸裂。「ここで親子ゲンカしても仕方ないんですが」

 あと、すぐに、妙にトリビアな方向に暴走していく辺りがおかしくて。方丈記の話の前提として12世紀の異常気象を話し出したら、日本だけではなく、当時の世界全土の異変について、延々と(5分以上)話し続ける宮崎監督。アボリジニーの人達がどうしたとか、南米の海岸線から移住した人達がインカを築いたとか。…いや、その話、もう良いから。

 そんなわけで面白かったのだが、2時間分、予定外に遅くなってしまったのは、少し痛かった。今週末は他にもやる予定のことがあったんだけど…

 ちなみに、このビデオ上映、会期中の休日は(「モスラ」(←原作者!)とかを上映しない日は)毎回やっていそうな気もするので、見てみたい方は文学館に上映予定を問い合わせてみると良いかも。

 

 あと、冒頭で書いたスペインに行った時の(私の)日記はこちら(写真のリンクは今は無し)。最後まで目を通すには凄く長いので(一ヶ月分だから)、今さら読むのは特にはお薦めしませんが…

 

10/18

 「近代日本画の巨匠 速水御舟−新たなる魅力」@平塚市美術館。

 平塚市美術館の展示室自体の拙さ(ガラス越しに、ガラス付きの額に入った絵を見るしかなく、しかも、額のガラスに展示室が映って見辛い)は相変わらずなんだけど、展覧会自体は充実して素晴らしい。

 これだけまとめて見るのは初めて。思っていた以上に色々(なタイプの絵を)描いていたことに驚く。パステル調の風景画なんて知らなかったですよ。あと、御舟というと、20代の細密描写にしろ、晩年の水墨画にしろ、線の画家というイメージがあったのだけど、今回は、色の選択と配置の軽快さの方がより印象に 残った。(大正的な)モダニズムを色で体現した画家、というイメージさえ浮かんだのだけど、どうだろうか。

 ともあれ、「御舟展」としては充分魅力的だった。とはいえ、普通に考えれば、ここに山種美術館所蔵作品が無いのは不思議。かつての山種美術館問題が 跡を引いているんだろうか、やっぱり。

 こうなると、再移転する山種美術館が移転記念展として、満を持して開催予定の「速水御舟展」が、今回の平塚市美術館の「御舟展」より、優れた構成を打ち出せるのか、今から興味津々(というわけで、その時に、展示作品を比較するつもりもあって図譜を購入した私(^^;;)。勝負の行方は一年後。 果たして。

 

 今月の初めに一日だけ暴食した報いで、体重が増えたままになってしまったので(^^;; 早いところ、せめて先月水準まで戻さなくては、と今日は久々に近所の丘陵を縦断(2時間半)&平塚市美術館まで駅から往復(40分)。お陰で、多分、摂取カロリーより消費カロリーの方が多い一日になった筈。なのは良いのだけど、さすがに血糖値低めでクラクラする…(気分的に)。もう寝ようかな…

 

10/17

 「大琳派展−継承と変奏」@東京国立博物館。

 ハンマースホイ展は金曜の夜に静かに見たいのだけど、金曜の夜は一週間に一回しか来ないので(当たり前だ)、なかなか行く時間が作れない。いや、先々週も今週も実際に上野まで来てはいるんだけど、休日だともっと混む方を優先せざるをえないというジレンマに。

 ところで、最近の平成館の企画展は宣伝が上手いのか、時代が追い付いてきたのか、金曜夜でも結構、混んでいて、ややげんなり。

 あと、いつも思うのが、ここは見せ方が「博物館」であって「美術館」じゃない、ということ。絵を情緒的に見ることが困難。だから、今回や「対決展」みたいな寄せ集め展だと、まず所蔵先を最初にチェックして、国内の美術館の場合は、いずれそこでまた見れば良いか、とカタログチェックの気分に終始してしまう。逆に、所蔵先で見たものだと、ここで見ても嘘っぽい感じというか、標本展示みたいにしか感じられない。

 個人や海外の美術館の場合は、(次にいつ見られるか分からないので)真剣に見るけど(^^;; というか、今回の展示品の中で、ひときわ光っていたのが「米国・ファインバーグ・コレクション」の品々。不勉強で初めて耳にしたのだけど、な、何者?と叫びそうになる位、吟味された作品ばかりだった。 このためだけにでも、見に来る価値は多分、有るかと。

 「風神雷神図」は今は2枚だけ。とりあえず、其一の襖絵は初めて見たので、非常に新鮮。写真では今一つかな、と思っていたけど、実物は非常に丁寧な描き方で、何というか好感が持てる作品だった。

 

10/16

 「ヴィジョンズ オブ アメリカ 第二部 わが祖国」@東京都写真美術館。

 

 旅行の話は、すみません、もう少しテンション高めの時に開始します。

 

10/15

 「ボーメ〜アーティストデビュー10周年記念展〜」@PARCO FACTORY。

 混んだ状態で見るのも嫌なので、平日の帰りに寄ってみた。どうせ、近所だし。しかし、殆ど誰もいない状態で、こういう展示を見るのも、いささか気恥ずかしい(^^;; 村上某とのコラボについての、揶揄なのか愛情なのか、突っ込みキツめの解説を、誰が書いたのかちょっと気になった。

 

 押井守の次回作は宮本武蔵とのニュースが各所で。割と納得してしまう題材。前から監督が繰り返し言っている、「勝つべくして勝つ」戦いとは何かを見せてくれる作品になると良いかなと。

 

10/13

 休養日。ううっ、少し気温が下がると、クシャミが止まらない…

 

 早一ヶ月前になる先月の旅行について、そろそろ感想を書いておこうかと。といっても、それぞれの美術館(博物館)の簡単な印象と言った程度の話になると思いますが。

 今日のところは総論というか、全体的なことだけ書くと、ほぼ予定通りの旅行だった。で、感想を一言でいえば、余り楽しくはなかった(汗

 いや、それも予想の範囲内ではあったんだけど。大体、今回は「観光」partが乏しくて、綺麗な景色を目にして歓声を上げる瞬間など殆ど無かったし。シカゴの二つの超高層ビルからの夜景を眺めた時位?

 あと、アメリカという(余り好きでない)国に一週間いた感想として、その自由な社会の有り難さというか、見直した部分も確かに多かったのだけど、全体的な印象はやはり変わらなかった。良くも悪くもルールというか、システムの国という印象。しかも、それは、(禁じられていない限りOKという)有る意味、法の下での悪平等とでもいうべきシステムで。思いやりとかモラルという曖昧な社会規範はここでは期待してはいけないんだなと。

 メリオンというフィラデルフィア近郊の小さな町に行った時、帰りの電車に乗ろうと思ったら、駅舎が閉まっていて切符が買えなかったので、電車の中で切符を買おうと(それしか選択肢がないので)、来た車掌に乗った駅を言うと、(明らかに5倍の無賃乗車での)運賃を言ってきたので、いや、だって、駅が閉まっていたと文句を言ったのだが、車掌は「It doesn't matter」と取り合わなかった(ので、やむを得ず払った)。

 まぁ、そういうことかと。車掌の職分(だけ)からは駅が開いていなかったとか、そんなの関係ない、わけで。そういう社会なんだなと、ちょっと納得した。で、その中でずっと住むなら、それはそれで明快な社会だろうとは思ったけど、短期の旅行先としては余り楽しくはないなぁと。何せ、一つ前の訪問 国がホスピタリティの国スイス(例えば、氷河列車の車掌は、私がとある事情から二つ重複して買った切符の一つは本来払う必要がないからと、駅で払い戻すための手紙までわざわざ書いてくれた 位)だったので、その受ける印象の落差も激しくて。

 ともあれ、用がない限り、また行きたいとは思わない国であることには変わらなかった。でも、まぁ、NYの美術館をまだ見ていないから、もう一度は行くことになると思うけど(^^;;

 

 絵画は思いの外、色々と見られなかったのだが(^^;; でも今回最大の目的のスーラとレオナルド・ダ・ヴィンチの2枚は見られたから、良いかなと。バーンズコレクションにも行けたし(切符代はともかく)。

 特に後者については、ルーブル、チャルトルスキ(←これだけは横浜で見た)、スフォルツァ城、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、アンブロジアーナ(?)、ヴァティカン、ウフィッツィ、ロンドン・ナショナルギャラリー、アルテ・ピナコテーク、エルミタージュ、そしてワシントン・ナショナルギャラリー、とこれで、レオナルドの現存する(素描以外の)絵画作品は一応、全部見たことに(パチパチ)。ロンドンの後、思い付いてから、自分の中では最短で回って3年掛かりでした。

 でも、(「モナリザ」「ヨハネ」以外の)ルーブル所蔵作品については印象が既に薄いので、自分の中で完了した、と言えるのは、いつか、もう一度、ルーブルを訪れた時のことかな…

 

10/12

 都内の小さな展覧会をせっせと回る一日。

 「丸山直文展―後ろの正面」@目黒区美術館→四大嗜好品にみる嗜みの文化史」@たばこと塩の博物館→「富岡鉄斎とその周辺」展@虎屋ギャラリー→「現代美術への視点6 エモーショナル・ドローイング」「壁と大地の際で」@東京国立近代美術館→「特別展 茶人のまなざし「森川如春庵の世界」」@三井記念美術館。

 「丸山直文展」は、人に薦めて、その人がもし見に行ったとしたら、絶対に感謝される展覧会だと思った。2階の広い部屋に足を踏み入れた時の幸福感。なので、私もお薦めしておきます。絵を見ることの幸せを感じたければ、今行くべきなのはこれです(断言)。

 あとは、例によって、どこかでまとめて(多分)。

 

 名古屋ボストン美術館で随分前から予告されていた来年の「ゴーギャン展」、その公式サイトがやはり早々とオープン。驚いたことに、東京国立近代美術館でも開催予定だった。勿論、この展覧会の中核たる、ゴーギャンの代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」も来るわけで。

 前にも書いたけど、もう一度、渡米してNYの美術館を回ってこよう、という将来的な野望があるのだが、その際、ボストン美術館にも寄るべきかが、悩みの種。もしボストンまで行くとすると、実際は移動を含めて2日は使ってしまう計算になり、NY内の予定がかなり圧迫されてしまうことに。観光もある程度はしながらNYの美術館を回ると考えると、ボストンは思い切って落とした方が無難だと思う。ただし、ボストン美術館とイザベラ・スチュワート美術館のためにだけ、更に渡米することは凡そ考え難いので、その場合、ボストン美術館には多分、一生行かない可能性が大。…それで良いのかと。

 でも、ボストン美術館のコレクションは印象派とミレーと、(行ったからといって見られるとは限らない)日本美術が特色なわけで、そう考えると、どうしても現地まで行って見るべき絶対的な一枚ってあんまりないような… というか、このゴーギャンの「我々は…」こそがその一枚だったと言っても過言ではないので、それが今回、ボストンから来てしまうとなると、「我々はボストンに行くのか」と思わなくても良いような(^^;;

 まぁ、それだけで判断は付かないのだが、とりあえず、我々は名古屋には行かなくて済んだようだ。

 …と思ったら、「関連企画」の「名古屋ボストン美術館でも「ゴーギャン展」を開催します。」のところに、「※展示内容は異なります」の注意書きが。うわっ、もしかして、分家の方が優遇待遇とか。しかし、点数だけ見ると、近美は約50点、名古屋ボストン美術館は約40点と、むしろ近美の方が点数的には多いようなのだが…

 

10/11

 「八犬伝の世界」@千葉市美術館。

 千葉に着くまでに2時間掛かるので、それまで読み続けたら、稲毛(千葉の一駅前)で、高田衛「完本 八犬伝の世界」を読了。なるほど、これは知的興奮に満ちた良本。

 展覧会は見て楽しい八犬伝、という感じ。主に歌舞伎の「八犬伝」の名場面集というか。私が期待したのとは微妙に違ったのだけど、この2週間の予習の甲斐あって、全登場人物、全場面が分かったので、単純に楽しかった。あと、土日のみのワークショップの実演の中で、人形劇の「八犬伝」の第20話(伏姫が亡くなる場面)のDVDを見ることが出来たのも、ちょっと得した気分。

 

10/10

 「トゥーランドット」@新国立劇場オペラ劇場。

 今回の演出は割と変化球。1920年代のイタリアの街を巡業している中国雑伎団の演目、みたいな設定かと。正攻法でやって、予算的に貧相になってしまうより、遙かに面白かった(舞台上で軽々と動き回る道化達!)のだけど、初めてこの作品を観る人達(今回は多分、そういう人達が多かった筈)にとって適切な演出だったのかは微妙。

 それから、他の人の感想を読むと、舞台の登場人物(カラフ、トゥーランドット、リュー)の物語に、プッチーニ自身の三角関係が重ねられて描かれていたようなのだけど、リューの自死の後(のアルファーノの補曲部分)は、劇中劇であった筈の「トゥーランドット」と、そちらの恋愛話が空中分解してしまって、甚だ上手くない感じだった。もう少し、何とか工夫出来なかったものか。

 あと、気になったのが、1920年代のイタリアという必然性。戦後のイタリア映画でこの時代を扱った作品なら当然、ファシストの台頭といった政治状況への言及がされているわけで。まぁ、ただの背景として政治に言及しても仕方ないとも思うけど、それなら、その時代を選ぶ理由はどこにあるの、という疑問が(当時のモダンな踊りを追加したかっただけ?)。

 3年前からの「セビリアの理髪師」も(別の演出家だけど)、フランコ政権下の1960年代に舞台を置いていたけど、やはり、社会風俗以上の必然性が感じられなかったのを思いだした。

 でも、「トゥーランドット」のバリエーションとして一見の価値はある、と思うので、NHKで放送したら(ちょうど収録日だった)、一度見てはどうかと。的外れなフライングの拍手が何回も入っている筈だけど。恐らく見たことのない作品で、どうして、そうも確信を持って、的外れな場所で、一番乗りに手を叩けるのか、私には不思議でしょうがないですが…

 とはいえ、見ている間中、これぞ異世界の「中国」という「トゥーランドット」を見たくなっていた私。いや、本当に今見たいのは、「トゥーランドット」より、むしろ「ゴーメンガースト」かな、気分としては。

 

  ノイタミナ枠の「あさきゆめみし」アニメの監督決定。いや、まさか、本当に出崎統監督になるとは(^^;; 

 

10/9

 白井喬二抄訳の「現代語訳 南総里見八犬伝」(上下)読了。

 後半に行くほどすごいダイジェスト(最後なんて巻の21〜53を一章に)になっていて笑った。まぁ、普通に面白いのは八犬士が邂逅するまでだからな…

 とにかく、間に合った(^^;; 調子に乗ってきたので、続いて、(予め注文しておいた)高田衛「完本 八犬伝の世界」(ちくま学芸文庫)に取り掛かる。

 

10/8

 「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」@Bunkamuraザ・ミュージアム。

 3年前の夏、テート・ブリテンに行った時、何故か「オフィーリア」が展示されておらず、ひどく物足りない思いをしたので、その時のリベンジという意味で有り難い展覧会。

 しかし、ミレイについて「オフィーリア」以外に、特に知識があるかというと、ラスキンとその妻を巡るゴシップめいた人間関係を除けば、余り無く、何も知らない画家なのだった。で、改めて紹介された作品を見ると。

 まぁ、一言で言えば、上手く描くテクニックを持った、通俗画家だったんだなと。だから、その絵を見ても感動する、ということはないけど、それはそれで、面白かった。

 ところで、通俗的かどうかはともかく、Bunkamuraって、写実指向の画家が割と好きな気が。アンカーとか。次回のワイエスとか。昔有ったミレー(伸ばす方の)3点を集めてきた農民画の展覧会とか。そういう絵を紹介してくれる美術館も必要だと思うので、それに拘る姿勢は評価するけど、幻想絵画を積極的に紹介するという方のbunkamuraが最近、ご無沙汰気味なので、そちらにも力を入れてくれないかな…

 ちなみに、ミレイについては、人物画より、最後の風景画の方が、絵としては興味深かった。「オフィーリア」だって、人物よりも周囲の植物の細密描写が主体だけど、最後の風景画はそういう「何かを描く」ための絵でもなくて。ミレイの風景画については、もっと見る価値があるかも。といっても、テート以外に、まだ作品があるのかは知らないのだが…

 

 駅から勤め先までの行き方は二通りあるのだが、最近は階段の上り下りが少ない歩道橋側を専ら使用していたので、ここ数日、久々に連絡通路側の道を帰り道に使って驚いた。

 十年来ほとんど変化の無かった街並みだったが、その隣の地区の再開発がこれから本格化するに伴い、一気に地上げされたらしく、通る度に左右の商店が次々にシャッターを下ろしていき…、気が付けば、その通りはゴーストタウンのように開いている店が殆ど無くなってしまっていた。

 今までと変わらず、そこで営業していると思っていた飲食店や本屋やドラッグストアがあっという間に消えてしまった光景。それはまるで「うる星やつら2」的な非現実感というか、SF的光景とでも言いたくなる衝撃で。とはいえ、それも数日、そこを通れば、この光景さえもすぐに日常として慣れてしまうんだろうな、と思うと、そのことがまた恐かった。

 ちなみに、周りが全てシャッターを下ろしたその街並みの中で、(すぐ撤退出来るからか)マクドナルドの店だけが平然と営業を続けているのが、妙におかしかった。地球最後の日でも、マクドナルドだけは営業を続けていそう だと思った。

 

10/7

 「パリ・ドアノー ロベール・ドアノー写真展」@日本橋三越。

 巡回展のためか、写真展としては意外と凝った展示空間だった。いかにもフランス人が好きそうな、エスプリとでも言うに違いない感覚はむしろ苦手なのだけど、子供と犬の写真には勝てない、と思った。あと、通りから、画廊の壁に掛かった裸婦の絵を覗き込んでいる人達の表情を隠し撮り?したシリーズで、驚きで目を剥いているおばさんにはやはり笑った(^^;; でも、これってドッキリというか、今やったら問題のような…

 

10/6

 私の場合、朝はいつもバタバタするので(ギリギリまで寝ているため)、靴だけは前の晩の内に、、天気予報を参考に、明日履く靴を玄関に出しておくことにしているのだが。

 今朝、玄関に昨晩置いた雨用(ゴム底)の革靴を履こうとしたら。細い緑色の芋虫が、靴から外に垂れている靴紐の上に乗っかっていた。……な、何故??

 夜の間、当然ながら玄関は閉め切っていたわけで、どこから(外から?)入ってきたのかも不思議なのだが、それにも増して、わざわざ靴紐まで上ってきた理由が不明。サナギになるとか?

 (アゲハの幼虫とかであるように)うかつに叩いて靴に妙な匂いが付くのも嫌だし、とりあえず、下駄箱から他の雨用の靴を出して出勤。帰宅した時は、それまでにいなくなっていてくれることを期待していたので、ドアを開けた瞬間、問題の革靴の上に虫がいなくなっているのを見て一安心。と思ったら、少し離れて置いてある休日用のウォーキングシューズの一番上(履き口の上)に移動していることに気付いた。

 …黙って、シューズを玄関の外に出した。

 

 NHK教育の「知るを楽しむ」。派手さは無いが、地味に面白いので、よく見ている番組。時間も短いし(25分を倍速で見ているので(^^;;)。

 割とデフォルトで見るのは木曜の「歴史に好奇心」で、他のは関心を惹くテーマの場合のみ。例えば、8〜9月に放送していた「神になった日本人」辺りがそうで、講師が小松和彦だけあって、結構面白かった。「神になった」ってどうせ天神様とか怨霊系の話なんでしょ、と思っていたら、それだけでもなくて、庶民であっても顕彰の対象として祀られていった例も紹介されていて、興味深かった。一言で言えば、語り継ぐための記憶装置としての神化(神社)、というテーマだったのだけど、それを庶民の側からの暖かい目線で紹介していたのが印象的だった。

 で、今週からの「歴史に好奇心」の講師は、おおっ、銭湯の人だ(^^; 前にも何回か書いたように、入浴の文化史・社会史は、私のライフワーク的な関心事の一つなので、これは見ておかないと。話自体は知っていることが多いと思うけど、百聞は一見にしかずというか、映像で見て分かることも多いので。

 

10/5

 「正木美術館40周年特別記念展『−禅・茶・花−』」@東京美術倶楽部→「出光コレクションによる 近代日本の巨匠たち」(併設:仙がい展)@出光美術館→「山辰雄遺作展」(前期)@練馬区立美術館→「西洋絵画の父『ジョットとその遺産展』」@損保ジャパン東郷青児美術館。

 本当は、正木美術館の後は都営三田線繋がりで、遙か遠くの板橋区立美術館まで行ってから練馬区立美術館に行く予定で、私には珍しく昨夜のうちに、一日のスケジュール(朝のバスの時間から、帰りの電車まで)を綿密に立てていたのだが、朝起きてみると、そのバスの時間を既に過ぎていた(^^;; これはムリダナ、と板橋区立美術館は諦め、有楽町線経由として、出光美術館を代わりに足してみたのが上のコース。

 これでも、展覧会の会期終了の蟻地獄から、全然抜け出せない… 練馬区立美術館なんかはもう一度行かないといけないし。

 しかし、こうしてまとめて回ると、また感想が遅延していくんですよね…


 

10/4

 「ライオネル・ファイニンガー展 光の結晶」@横須賀美術館→「生誕100年記念 秋野不矩展」@神奈川県立近代美術館葉山館。

 近くの(といっても交通は不便)の展覧会をまとめて片付けよう、な一日。相変わらず、先月の旅行の影響下で、展覧会を見に行くのがギリギリ(いずれも明日まで)の状態が続く。明日も都内の展覧会を回る日、の予定。どこかで一気に追い付かないと… 今日の感想はどこかでまとめて。

 

10/3

 買った靴をようやく履いてみた。といっても、今週届いた方ではなく、8月にamazonで買った(笑)アントニオ・マウリッツィのパンチド・キャップトゥ(NEW TORINO)の茶。

 元はといえば、夏のグレーのスーツに合わせようと思って買った茶の靴だった筈なのだけど、今週から、既に秋(春)服を着ている私(^^;; 8,9月はバタバタしていたし、天気が良くなくて、デビュー?の日を逸してしまっていたとはいえ、それにしても、こんなに遅くなる筈では…

 ブラックラピッドという製法のせいか、初めての日にも関わらず、履き心地はかなり良好。この分なら、履き混めば、お気に入りの一足となってくれそう。

 ちなみに、茶(栗色)の革靴で会社に行くこと自体、実は初めてなので、個人的には結構、思い入れが有ったのだけど、職場では(時間中、殆ど座ったまま、とはいえ)、誰からも全く何の反応もなくて、それはそれで、ちょっと寂しいものがあった(^^;; まぁ、サンダルOKな位で、靴には全く関心のない内勤の職場ではあるのだけど…

 

 「フェルメール展」@東京都美術館。

 そして、その靴で夕方行った先が、これ。

 始まったばかりの「ハンマースホイ展」を早速見たいところなのだが、この前、芸大美術館に行く際に、前を通ったら「60分待ち」とか札が掛かっていたこちらを、今の内に夜間開館で見ておいた方が良いかと。予想通り、(それなりに混んではいたけど)普通に見られる程度の人だった。

 

 今回の「フェルメール展」は7点も来ている割には展覧会として地味な印象が拭えないのだけど、その分、今まで見る機会が無かった作品をまとめて見られるチャンスでもあって。特に、エジンバラの美術館の中を一周しながら、有ったのか無かったのか存在さえ気付かなかった (今回見たら、大きな絵だったので、有ったら、多分、気付いたと思うが)「マルタとマリアの家のキリスト」とか、そんな絵のために片田舎まで行ってられない、とドイツ旅行の際に無視することにした「ワイングラスを持つ娘」、観光旅行で一度訪ねてしまっただけに、この絵のため(だけ)にもう一度ダブリンを訪れるということは無いだろうと思っていた「手紙を書く夫人と召使い」といった、現地に見に行く機会が考え難い絵が 一気に来てしまうというのは、個人的には、「守株待兎」のような有り難さで。しかも、あの怪しげな「ヴァージナルの前に座る若い女」まで付いてくるという。

 そんなわけで、8月直前に出展点数が確定した時、(9月の旅行でワシントン・ナショナル・ギャラリーにある2枚〜3枚(「フルートを持つ女」を含めれば4枚だけど)を見ることは分かっていたので)、ここまで来れば、全点踏破も普通に出来るんじゃない?と思い当たった。

 改めて数え直すと、未だ世間に戻ってこない(盗まれた)「合奏」と、真作ではまずないらしい「聖プラクセディス」(実質、個人蔵)を除外すれば、残りはNYにある(今回の「リュートを調弦する女」を除いた)6枚と、英国王室が持っている1枚とケン・ウッドハウスの1枚の計8枚。その気になれば、NYとロンドンにそれぞれ1回ずつさえ行けば、ひとまずコンプリート(?)である。

 フェルメールは、(私の中では)いわばAのマイナスといった画家。そこにあれば勿論、注意深く見るけれど、そのために世界中を「巡礼」したい「最高の画家」では別にないので、全部を見に行きたいと願ったことも無いし、だから、見ない作品も結構残るだろうな、と思っていたのだけど、気が付けば、ゴールが目前に。何だか目指しても良いような気がしてきたぞ(^^;;

 大体、NYには余程のことがない限り、一回は展覧会巡りに行くつもりなので、あとはロンドン。英国には機会があればまた行きたいだけに、夏に(英国王室の分は7,8月のみ公開しているらしいので)行くかどうか、だけが問題なのだった。ただ、前回7月に行った時はひどく暑かったので、この話さえ無ければ、英国には真夏以外に行きたいところなのだが…

 

 今回の中では(何度見ても欠点が見当たらない「小路」を除けば)「手紙を書く夫人と召使い」が一番心に響く絵だった。キャラ?的にはイマイチで、写真では余り好きではなかった1枚なのだけど、実物で見ると、画面に描かれている光の明るさに、はっとさせられた。今まで知っていたフェルメールと一味違うモダンな印象。(急遽、出展が決まった)この絵を見られただけでも、この展覧会は良かった。

 そして、本当に巡礼すべきなのか、いよいよ思案にくれるのだった。

 

10/2

 「南総里見八犬伝」といえば、勿論、人形劇の世代(古い)。

 多分、遠い昔に、子供向けダイジェスト位は読んだ筈なのだけど、原作を読み通したことはなく、今では何が何やら、誰が誰やら。千葉市立美術館で開催中の「八犬伝の世界」は、ぜひ行きたい展覧会なのだけど、そんな有様では勿体ない(千葉まで行くのに!)というわけで、泥縄式に、予習(いや復習というべき?)中。

 といっても、岩波文庫の全10冊などに今さら手を出していたら、数巻も行かない内に絶対、会期(10月26日まで)が終了してしまうので、ここは現代語訳で許して貰うことにして。白井喬二訳の河出文庫版(上下)を通読してみることに。

 最初の因縁話で早くも挫折し掛けるが(^^;; 物語の舞台が整った辺りから、ようやく面白くなってきた。ちなみに、帰りの電車で2日読んで、丸い珠を持った人は現在、5人まで出て来たところ。率直な感想としては、え、そんな近所で、ぞろぞろと見付かって、というか出逢って良いのか?という気も。まぁ、元々の珠がばらけた?範囲と考えると、ローカルな距離感で別におかしくはないんでしょうけど…

 

 展覧会には、来週末の連休中には出来たら行きたいなと考えているのだけど、果たして、あと一週間足らずで下巻まで読み終えることが出来るのでしょうか、私。

 星よ、導きたまえ。(下巻の終わりまで)

 

10/1

 6月26日に注文していた靴が届いた。大塚のM5-216の黒。

 9月末ということなのに、9月の終わりが近付いても音沙汰が無いので、連絡すらないのはどういうことよ、と思っていたが、昨日に「発送しました」のメール。改めてサイトを見ると、確かに毎回「〜末発送予定」になっていた。まさか、毎回、月末になるまでわざと送るのを待っているのでは…?

 段ボールを開くと、靴箱が妙にデカい。蓋を開いて初めて納得。ここの靴って、一足ずつ袋に入れて、両足を水平に揃える形で送ってくるんだっけ。

 試すのは来週以降、かな。