空の蒼さを 見つめていると
そんなわけで、今回の旅行の予定。大体、こんな感じ。
7/ 9(土) エディンバラ(泊):(昼)成田(発)→(BA)→ヒースロー乗換→(BA)→(夕)エディンバラ(着)
7/10(日) エディンバラ(泊):(一日)ハイランド周遊ツアー(現地バス会社)
7/11(月) ウィンダミア(泊):(午前)エディンバラ市内観光 →(鉄道)→(夕)ウィンダミア
7/12(火) ウィンダミア(泊):(午前)ウィンダミア湖クルーズとか?(午後)ミニバスツアー?
7/13(水) ロンドン(泊):(午前)オレスト・ヘッド(ウィンダミア) →(鉄道)→(午後)ロンドン・ディケンズハウス(夜間)ナショナルギャラリー
7/14(木) ロンドン(泊):(一日)←(バス)→オックスフォード観光
7/15(金) ロンドン(泊):(終日)
(午前)ナショナルギャラリー、ポートレートギャラリー、(午後)ジョン・ソーン美術館、大英図書館(夜間)大英博物館
7/16(土) ロンドン(泊):(午前)ウェリントン美術館、ウォレスコレクション、(午後)テート・ブリテン(夜間)テート・モダン
7/17(日) ロンドン→(午前)コートルードギャラリー、(午後)ヒースロー(発)→(BA)→
7/18(月) →(午後)成田(着)
微妙に忙しくて、どうしてこうなったのか、を解説している暇がなかなか無いのが残念ですが、決める過程で、当初の予定から、かなり(行き当たりばったりに)変更してます。
例えば、これだけは外せないと言っていたバースが無いとか(ジェーン、ごめん)。前半が当初考えていた以上に観光重視になったこともあり、後半はかなり思い切って、ほとんど美術館のみ、の計画に。お陰で思ったよりは落ち着いて見られそう(だけど、これでもV&Aに行く暇までは見付からず…)
ちなみに、今回の宿泊先は僅か3箇所なので、移動自体は割と楽(の筈)。1泊辺り、エディンバラ(ホテル)47.5£、ウィンダミア(B&B)27£、ロンドン(ホテル)50£と全てシャワー付き(ロンドンはバス付きと一応表示)の宿を取って平均8千8百円に収めることが出来たので、予算的には割と上手く行った方かと。
とりあえず、一つだけ説明すると、今回は(バースを含め)コッツウォルズを全てカットして、その分、湖水地方を2泊に。と言いつつ、正味一日なのでそれほど時間は無いのだけど、どうせ湖水地方に行くなら、と図書館の児童室に行って兎絵本を読んでみたり、帰りに「アマゾン号とツバメ号」を借りてきては今頃になって読んでいる私(遅すぎ)。
こんなことなら、今年の初めから、計画的にアーサー・ランサム全集を通読しておけば良かった。後悔先立たず。
ここ一週間、放置気味だった旅行の計画を詰めて、宿を取るのに精一杯?で、更新する余裕が有りませんでした(私はこの段階で、いつもすごく悩むので)。
そのためasadateさんとmonomiyusanさんから 、かなり前に頂いていたMusical Batonも、反応するのが遅くなってしまいました。
そんなわけで今頃、この話題を持ち出すこと自体、時期を大幅に逸していると思うのだけど。
一昔前だと、チェーンメールに類するものには内容の如何を問わず、否定的に対応するのがネットの「常識」という認識でいただけに、(少なくとも当初は)否定的な意見を殆ど見掛けなかったのが、個人的には不思議。まぁ、「無駄なtrafficを増やさない」という、「重いページを作らない」同様、ブロードバンドで絶滅しただけの「常識」かもしれないけど。
あと、(悪意を含んでいない)善意のバトンは繋いで当然という考え方自体にも違和感が有って。それ位なら、不幸の手紙の方が利己的な分、まだ嫌みがないような。
と書いてだけ終わるのもどうかと思ったので、設問4(Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me)は回答しようかと。設問の趣旨は、現在のiTunesに入っている中で再生回数の多い曲という意味だと思うけど、最近は携帯playerでは音楽以外を聴いているので、後半の「思い入れのある曲」の意味で選んだのがこれ↓ 果たして昔の曲ばかり(^^;;
相馬裕子「風の祭日」(「ウインド・ソングズ」(Amazon))
ええと、いきなりマイナーな一昔前の歌手のデビュー曲。気が付いたら、会社に行かずに郊外の丘に行ってしまったという内容(笑) 新入社員の頃、目覚まし用 のCDに使っていて、会社になんか行かず、どこか郊外の丘?に行ってしまいたい、と思いつつ毎日起きていた。
ZABADAK「遠い音楽」(Amazon)
逆に、ZABADAKを今さら挙げるのも気恥ずかしいけど。自分の思い描いている音楽に一番近い世界なので。あと、 この曲を聴いた直後に読んだチャールズ・デ・リント「リトル ・カントリー」が、非常にシンクロする内容だったのに驚いた記憶が。
橘いずみ「十字架とコイン」(Amazon)
勤め始めて数年目、色々な意味でボロボロでヘロヘロだった頃、一番「染みた」のが橘いずみ。これは歌物語というか、登場人物の台詞?まで入っていて何だか良く分からないんですが、当時、一番印象的だった曲。最近の、余計な力が抜けた感じの橘いずみも好き ですけど。
鈴木祥子「どこにもかえらない」(「Long Long Way Home」(Amazon))
自分の中でのbest singerというと鈴木祥子かも、と思って。初期から最近までどれも好きなのだけど、この曲には独特の開放感があって、時折聴きたくなる。
菊池志穂「Dream Child」(Amazon)。
かつての思い入れという意味では、やはり外せないかと。曲についてはサイト名の元々の由来だった「青になれ!」とか、KONAMI時代の曲も考えたのだけど、本人が一番前に進もうとしていた 時のこの曲を敢えて選んでみた。
…文句を言っている割にはやけに長い。旅行の計画が結局、どうなったかというのは、またの機会に。
旅行月間その2、に戻って美術。
週末、図書館で「世界の博物館」みたいなシリーズを眺めていて思い出したのだが、大英博物館はケルト美術でも、「バターシーの盾」とか重要なものを所有しているんだった。前にアイルランドに行って以来、ケルトに関心を抱き続けている者としては、ロンドンまで行って見て来ないのは余りに勿体なさ過ぎ。
というわけで、前言撤回。大英博物館を予定リストに追加。
しかし、その分、どこからか時間を捻出して来なくてはならない。となると、犠牲になるのはV&A美術館か。こちらの目玉はモリスルームだけど、ウィリアム・モリスの重要度は(今のところ)、自分の中ではそれほど高くないので。
とはいえ、19世紀からの各国のケルト文化復興と、それと無関係ではなかったモリスの美術工芸運動の二つの流れの延長線上に、アールヌーヴォーでのケルト模様の流行が起きていく(この前のミュシャのように)といったことまで思いやると、実際には結構、繋がっているのだけど。…でも、やっぱり、時間無いし。
それから、「ケルズの書」「ダロウの書」と並ぶ、ケルト3大写本の一つ「リンディスファーン福音書」は、今は大英図書館の所蔵らしい。エキシビジョン・ギャラリーで展示されている稀覯本の中に当然含まれている筈(と思う)。そうだ、「アリス」の原本もあるらしいし、大英図書館のギャラリーにも行かなくは。…と行く場所をこれ以上増やしてどうする?
休出日。もっとも、思ったより早く帰れたのを幸い、溜め込んでいたものを3つ。残りは9。(ようやく一桁へ(^^;;)
太田記念美術館といえば、原宿駅からそう遠くないのに、強く決意しないと行くことが出来ない、「苦手」な美術館の一つ。
その理由は、駅周辺がゴスロリな人達その他でいつも混雑していて歩き難いったらありゃしない、ということも有るけれど、入り口で靴を脱ぐのが面倒とか、広さの割に千円は高い、といった美術館への不満がやはり大きい 。
浮世絵専門という経営の難しさや、日本家屋で靴を脱ぐのは当然と考えても、履く時に靴べらが見当たらない(探せばあるかも)とか、出品リストは言わない限り出 さないとか、来たことが余り歓迎されない印象を受けるので、一度行く度に暫く足が遠のいてしまう。今回は、この機会に広重のすべて?を見るべく、(強く決意して)3回通ったのだが…
第一部は肉筆画中心。って版画すらよく知らないのに、いきなり肉筆画を見せられても。
天童広重(財政難の天道藩が借金返済の代わりにとりあえずこれで、と債権者達に渡した掛け軸らしい)等の作品を見たのだけど、全体にさらりとした上品な感じで、悪くはないけど、返済の代わりに渡されて、皆これで納得したのか?とやや疑問に思った。
あとは画稿。当時は墨と筆で写生したんだ、と当たり前のことに改めて感心。消しゴムなんて無いんだから、輪郭線を取るのが上手くなるわけだ。(4/23訪問)
第二部は代表作と稀品らしい。稀品と言われても全然分からない私。その筋の人には、滅多に見られないこの一枚が!という感じなんだろうけど。ただし、色々なタイプの作品を見られたのは良かった。え〜と、あとは、モノトーンの画面に凝っていた時期が有ったんだなとか。(5/22訪問)
第三部は「名所江戸百景」全点。これですよ、 これ。こういうものが見たかった。
望遠、広角と画角を自在に使い分けた画面は見ていて飽きないし、画面構成のアイデアも多彩で、色彩も非常に綺麗。特に夜景の空の色が美しい。 場面ごとに、それぞれ違う夜空の色を使っている繊細さには感動してしまう。
会場には、各場面の近くで撮られた大正時代の写真と平成の写真を並べて展示。「百景」と連続性が感じられる大正に比べ、平成の写真はほとんど全ての「風景」が隔絶していて、江戸の「風景」の豊かさを東京が失ってしまったことを痛感させられた。
とにかく1枚1枚を一度じっくり模写したくなる位の素晴らしさに(ゴッホの気持ちが良く分かった)、適当な画集が有れば絶対買おうと思ったのだが、美術館の画集は1500円と手頃だけど、図版が小さいので止めてしまった。
帰って探すと、「広重名所江戸百景―新印刷による」(Amazon)辺りが、私の求めているような画集のよう。しかし、33千円 の画集か… マーケットプレイスでは半額なので、それ位なら、と思わないでもないが、実物(画集)を見てないのに1万以上は出せないよなぁ。まぁ、いつか入手するつもりで、頭の中のウイッシュリストに入れておこう。(6/11訪問)
神奈川県立近代美術館葉山館で「片岡珠子展」を見る。近所なので。そして、未記入の感想は残り12に(減らない…)。
次は、百貨店の展覧会かつ現在開催中(終了間近だけど)から、2つ。
平日夜間で人がほとんどいないこともあって、仏像(神像)を美術館で見る違和感は思ったより無かった。勿論、元々置かれた環境で見てこそ、というのも真実だと思うけど、こういう風に、部屋毎に沢山の円空像が置かれている様を見るのも、不思議な体験 。
今までどこかの寺に行って円空像に会ったことが無い。と前から思っていたが、それもその筈、(円空は生涯に12万体に及ぶ木造を彫ったらしいが)現存が確認されている約5千体の内、4千5百体位は愛知・岐阜に有って、関東には幾つかしか無いらしい。
そんなわけで、まとまった数(140点)を見たのは今回が初めて。大半は小さいものだが、中には等身大?サイズの像もあって驚く。初期は写実的だったのが、ある時期から、あの簡素化されたデザインになっていくのは、表現としてはこれで必要充分、という(ある意味)効率化の追求だったのか、より本質に近い形を目指す内にこうなったのか。実際には両方の意味が有りそうだけど。
会場の最後の辺りにあった掌サイズの大黒天が、机上に置いておくと、時々眺めるだけで非常に和めそうで良い感じ。出来たら1つ欲しい…。大体、円空って今、一体幾ら位なんだろう、と有り難い像の数々を見ながら、甚だ下世話な疑問を抱きつつ会場を出たのだが、数日後、「円空仏21体盗難」という 事件の報道で、答を知ることが出来た。
21体で1億円。盗難品には貴重な像も含まれていたそうだから、平均値はもう少し低いとして、1体3,4百万円。掌サイズでも1,2百万円台か。癒し系グッズとして購入しておくのは 、やはり無理そう。もっとも、新たに「発見」(時々あるらしい)される分以外、滅多に市場に出るとは思えないが。(6/6訪問)
ところで、こういう円空像と現代のフィギュアを一直線に結びつけてしまうのは飛躍が過ぎる、とは分かっているけど。
日本人の精神的な「世界」のサイズって昔からずっと、割と掌サイズというか、半径20p位の円または球の中に収まっている、という気が。盆栽とか、茶器とかも多分そう。だから、仏像やフィギュアといったイコンもその「世界」に相応しいものが(欲しくなるという点では)一番魅力的に感じられるのではないかと、ふと思ったりした。
…いや、まぁ、等身大フィギュアとか、等身大抱き枕とかを大事にされている人もいるでしょうけど(何の話だ)。
浮世絵に関しては、日本人として基礎的な「経験値」が無さ過ぎ、と最近、感じ始めたところなので、北斎の「富岳三十六景」と広重の「東海道五十三次」という最もメジャーな両シリーズを揃いで見られただけでも、感謝。しかも、それが(無料券で)タダ !
両方とも全部見たのは、初めて。なるほど、と思ったのは私でも知っている有名な版画はその中でも飛び抜けているということ。知識がある=名画に見える、という心理学的な影響が無いとは言えないけど、有名な作品はやはり、それだけのことはある 。
二人を比べると、北斎は「漫画」指向というか、効果のためならどんなデフォルメも平気、という感じなのに対し、広重は「臨場感」の再現が得意。「京の三条大橋」を描いた終点?の絵で比叡山の位置が実際とは逆だったり、あるいは「雪の蒲原」を描いたりと、実は「正しく」再現なんかしてないのだけど、見た人がその場に居合わせているかのように感じさせる点では本当に上手い。
北斎のセンスは簡単には真似出来ないが、広重の画面はだから、舞台セットを組む人なんかには凄く参考になりそう。この場所に何を置いて、どこから撮せば、その場所らしく見えるか、という秀逸なアイデア集として。例えば、宿場街なら馬のお尻をアップで入れるとか。あとは、やはり風なら北斎、雨なら広重、かと。
肉筆画は(個人的には)断然、北斎。全体にあっさりし過ぎな広重と比べ、北斎の肉筆画はアクが強いけど面白い。
240点と量が多くて、後半はややバテ気味だった位(とはいえ、広重の「箱根七湯図会」など、箱根の温泉好きとしては非常に興味を引かれたシリーズも有って、飽きなかった)。
原宿の太田記念美術館には、日本人より外国人の方が多く来ていることがあるのだけど、この展覧会こそ、浮世絵スキーな外国人達なら涙を流して喜びそうな内容。なのに、残念ながら殆ど姿を見掛けなかった。まぁ、三越としては、これはあくまでも中元商戦の客寄せパンダ?であって、「中元」に縁がない外国人が来ても迷惑なだけ、だろうけど。 勿論、いつも通り、店内は素通りな私も「お呼びでない」のは間違いない。(6/8訪問)
風邪気味のため、二日ほど帰宅後は何もせずに寝ていたけど、ようやく復活。
エディンバラのホテルを2泊、ネットで予約。1泊50£という安めのホテル。とりあえず最初の2泊が決まって、やや安心。もっとも、その先の計画が全然決まらないのが悩みの種…
旅行月間その3の続きの続き。
5.ハワース
なぜハワースかと言えば、ミーハー(以下略)
と言いたいところだけど。ハワースに行くなら、(ヒースの丘を往復4時間歩いて)トップ・ウィセンズ、「嵐が丘」の舞台までは是非とも行きたいが、その場合、ハワースかその近隣で1泊する必要が出てくるわけで、日程的にそんな余裕はとても無さそう 。
それにエミリー・ブロンテはともかく、シャーロット・ブロンテは余り近付きになりたくないタイプだし… 無理に行くこともないか。
…風邪気味? 何だか、この時期、毎年必ず一回は風邪を引いているような気が。
展覧会の感想。週末に書いておいた中から、クールベな展覧会を2つほど。
クールベは自意識過剰なヤな奴、であったのは絵を見ればよく分かるけど、良い画家だったのかはよく分からん、という感じ。少なくとも、クールベの絵を見てその絵に感動したことが一度も無い私にとっては。
ただし、退屈かというと、そうでもなく。見えるものしか描かない、という有名過ぎる言葉にも有るように、自分がこう見たんだ、という自意識のドキュメンタリーみたいな面白さは強く有って。多分、今なら写真家 になっていそう。だから、途中までの制作過程を他人に任せても平気でサイン出来てしまうのではないかと(受注をこなすのが重要だっただけかもしれないが)。見ているこちらも、クールベ自身のタッチが素晴らしいのに…とかは元々思っていないので、それ位、どうでも良いというか。
趣旨としては、地元(オルナン)の名士クールベを皆で称えましょう展。その生ぬるさだけはどうも居心地が悪かったが(好きでもない知人の誕生日パーティに招かれた気分?)、クールベ美術館展だし、開催する方としては間違ってないのか。 (5/5訪問)
英語タイトルでは「ファーブル美術館からのフランス絵画」なのに、日本語タイトルだと「魅惑の」が加わる不思議。
こういう意味の無いインフレ形容詞が付く場合は、逆方向に考えると実情に近くなる、という傾向が一般的に存在するので覚えておくと便利。即ち、今回は地味な展覧会であろう、と(見なくても)大体、予想が付くのだった。
いや、実際そうだったんだけど。基本的に退屈な(と私は思っている)フランス絵画、それも地方美術館のコレクションだから、一層地味な印象に。もっとも、ルーブルだと壁一杯に溢れている空疎な大作が無い分(来てないだけかも)、却って気分良く見られたのも事実。
目玉は勿論「こんにちは、クールベさん」。解説によると、画家とパトロンのブリュイアス氏の親密さを表すこの絵が、世間からは相当に嘲笑されたようで、ひどく傷付いた氏は5年で手放してしまったらしい。気の毒な人だ。そして、やっぱりヤな奴だ、クールベ。
(偉そうな)クールベの姿は明らかにキリスト教の伝統的な聖人像が下敷き。ええと、聖ヤコブ辺り?(貝はないけど) ところで引っ掛かるのはクールベの影。左の二人は画面前方からの(恐らくは樹の)影が被さって影が見えないのだが、これってクールベだけ当たっている光の方向が怪しい。どうもインチキっぽいと思うのは私だけ?
19世紀後半以降の作品にはバジール他、興味を引かれたものも幾つか有って、やや得した気分。中でも、不健康なそうな絵の画家が他にどんな絵を描いているのか、ちょっと気になったのだけど、名前を覚えていなかった… カリエールじゃなくて、白い絵の方。 (6/10訪問)
旅行月間その3の続き。
4.オックスフォード
なぜオックスフォードかといえば。私がミーハーだから(笑)。クライストチャーチとか、マートン・カレッジとか。
magazine。「散歩の達人」6月号(「鎌倉・江ノ電」特集)
買ったのは2週間位前だけど。雑誌を買う趣味は無いのだが、鎌倉(の東側)なら歩いてない道など殆ど無い者としては、「脇道・抜け道・隠れ道」の副題が無視出来なかったので。あと、「散歩者インタビュー/高橋源一郎(作家)」も、どこを散歩しているのか気になった。
で、そのインタビューを読むと、家から八幡宮経由、段葛沿いに駅まで、とのこと。つまんないコースだな、と他人毎ながら思ったり。まぁ、駅前に買い物に行くついで、なんだろうけど。そういや、その家を(私の)散歩のついでに見に行ったのも、…え、もう3年も前?。月日の経つのは早いものだなぁ。
ところで、この雑誌、誰が読む雑誌なのやら。例えば鎌倉の「とっておきの探検コース」を5本紹介する「鎌倉探検ルート」という記事。いずれも切り通し等の山道で、地元民の私は勿論、全て歩いた ことがあるけど(幾つかは近所だし)、この記事を頼りに実際に歩くのは(地図が無いので)多分、難しい筈。言うなれば、実用性に乏しい記事が多いのだ。
結局、実際は行く気のない人達が何となく行った気になる「バーチャルな散歩」雑誌? するとタイトルの「散歩の達人」とは、歩かずとも歩いた気になる境地のことなのか… 中島敦の「名人傳」みたいだ。
誕生日。とはいえ、特別変わったこともなく淡々と過ごす一日(というのを今年は目指したのだけど)。
そろそろ来月の計画を立てなくては、と思い、国鉄のタイムテーブルを検索してみたりしたのだけど、殆ど進まず。どこかで欲を捨てないと収まりが付きそうにない… でも、最初と最後、エディンバラとロンドンの宿だけは安い所に泊まるなら、早く取らないと。
旅行月間その3の続き。
2.ロンドン
ロンドンではどう考えても忙しいので、宮殿とかロンドン塔とか通常の観光は無しの方向で。ホームズ博物館もその例に漏れず。とはいえ、ここ位は寄ろうと思っているのがディケンズ・ハウス。ディケンズといえば、2年前から読み始めて、実は現在もまだ読んでいる最中の作家なので。まぁ、途中に先に読むものが色々と入って、長期中断中なんだけど。
3.エディンバラ
ライターズ博物館。エディンバラでは恐らく割と暇なので、ここに寄る位の時間はあるかと。ウォルター・スコット、ロバート・ジョーンズ、R.L.スティーブンソンの3人を中心にした小さな博物館らしいが、興味があるのはスティーブンソンのみ。しかも、私が思い描いているのは中島敦の「光と風と夢」でのスティーブンソンなので、実際は全然違う人なのかも。(小学生の頃に子供向きの「世界文学全集」で読んだ「ジキル博士とハイド氏」を除けば)本人の作品は読んだことがないのだった…
あ、そういえば、「ゴーメンガースト」のDVDを見て、マーヴィン・ピーク熱が盛り上がった時、挿絵画家としてのピーク作品をamazonで衝動買いしたことがあっ て、その際、ルイス・キャロルの両アリスや「スナーク狩り」と一緒に「Treasure Island」も買った覚えが。珍しく原書を持っている作家の一人だったのか。って、挿絵を見た後は本棚に仕舞ったままだけど。
コクーン歌舞伎「桜姫」。
すげー面白かったですよ。見たいものを見た、という感じで。他の南北作品も見聞きしてみようかしらん。って四谷怪談位しか知らないんだけど。
ちなみに、コクーンも歌舞伎の時は、場内に飲食物持ち込み可なのね。こういうのって、ジャンルによってカルチャーが違うんだ、と妙に感心。オペラの会場だとシャンパンが付き物とか。 歌舞伎の時は人形焼き(売ってた)が付き物、というわけじゃないですよね?
展覧会の前倒し週間は、3つ行った今日で終了。明日以降は暫く、都内の美術館に行く予定は無しにしたので、この機会に感想の残りも(無理の無い範囲で)減らしたいけど、今や書いてない展覧会の数は確か15個に… 払っても払っても増える一方、って南米諸国の累積債務みたい。
今週は、仕事的には落ち着いているのだけど、(旅行直前にバタバタしないよう)7月前半までの展覧会は、今週中に前倒しで片付けてしまおう、と帰りにそごうへ寄ったり、三越に行ったりしているので、何かとせわしない日々。勿論、感想も更に溜まる一方(^^;;
日本橋三越の「北斎と広重展」は夕方にも関わらず、思った以上に人出が。
招待券付きチラシをばらまいていただけのことは有る。タダより安いものは無い。浮世絵240点は結構凄いボリュームで、さっと見るだけでも1時間以上。普通にお金取っても良いんじゃない?と思ったが、百貨店としては、この時期(中元セール)はそこまでしても、客を来店させたい、ということなのか。
一方、そごう美術館の「円空展」は(夕方は)ガラガラ… まぁ、仏様を見るなら、その方が有り難いけど。
明日も無事に早く終われば、夜間延長の展覧会(「ファーブル美術館展」、「小林古径展」、「ルーブル美術館展」のどれか)を見て帰ろう、と思うのだが、明日は雨らしい。一番濡れずに行けるところにしようか、と考えたが、どこも似たり寄ったり(必ず少しだけ外を歩く)だった。
ちなみに、駅から全く濡れずに行ける美術館は意外に少なくて、ぱっと思い付くのはオペラシティアートギャラリー位? 駅美術館の東京ステーションギャラリーは入り口に屋根が無かったような(ほとんど濡れないけど)。
旅行月間その3、目的。 文学。具体的には、好きな作家にまつわる土地(博物館)。一度に書くと大変だ、ということが分かったので、小出しに書いていくことに。
1.バース
尊敬する英国の作家として一番に挙げたいジェーン・オースティンなので、ここのジェーン・オースティン・センターだけは外せないかと。
もっとも、旅行期間が倍有ったら、ジェーン・オースティン自身は余り好きでなかったというバース以外にも、チョートンの家や、ウィンチェスターの(最後の)家、あるいは「説きふせられて」の舞台、ライム・リージスのような街まで周りたいところなのだが、せめてバースだけでも。
それにバースと言えば温泉地。人類の温泉利用史がライフワーク?の一つだったりする私としては、(今や入浴出来ないとしても)行かないわけにはいかない街なので。って、どっちが本題なのか、自分でもよく分からないけど。
旅行月間その2、目的。
一週間という短い旅行なので、目的を明確にしなくてはと思い立つ。今回の目的は、美術、自然、文学の3つだけに絞ろうかと。本当は、映画とか、演劇とか、カントリーハウスとか、マナーハウスとか、庭園とか、お城とか、教会とか、ボーン・チャイナとか、ケルトとか、 近代史とか、世紀末とか、それだけを目的に見て回りたいものが幾らでも有るのだけど…
というか、3つも有る時点で、「絞って」なんか全然無いだろう。
まずは美術。
ファン・アイクを含むナショナル・ギャラリーが、この旅行の元々の目的。ロンドンには有名な美術館が数多く有るけど、他の都市はどうなのか、と思っても、よく分からない。
とりあえず、内容を大まかに知ることが出来るものはないかと買ってきたのが「世界美術館の旅」(小学館)(Amazon)という本。は、恥ずい… 世界と言いつつ、ヨーロッパとアメリカだけだったりするけど、眺めていると、ドイツとスイスに気になる美術館が結構多いなぁ、って今回は英国の話だった。
最初のエディンバラでは、(スコットランドの)ナショナル・ギャラリーに当然行くとして、他はどうしても、というまでの美術館は幸か不幸か無かった。
こういう場合、何を置いても見に行きたい画家の作品が有るか否かが最重要。私にとって、そういう「絶対的な」画家といえば、ファン・アイクの他、ボッシュ、ブリューゲル辺り。何だかフランドルばかりだけど。あとはやはり、ヴェラスケス。
そんなわけで、英国の美術館の紹介サイト「ART GUIDE」で、ARTISTSから検索してみると、どの画家でも大抵、ナショナル・ギャラリーに行っておけ、という託宣が。でも、ヴェラスケスなら、ロンドンのウェリントン美術館にもスペインの王室コレクションからの作品が幾つかあることが判明。ブリューゲルは行けるとしてもハンプトン・コート宮殿美術館くらいか。
そんなことも念頭に置きつつ、以下、現状でのとりあえずの方針。
美術館に行くのはエディンバラ、ロンドンのみ。ロンドンはナショナル・ギャラリー、両テート、コートルード・ギャラリー、ウェリントン美術館までは必須。V&A美術館も行くけど、145室ということは1部屋5分でも12時間掛かるわけで、収拾付かなくなる可能性大。ロンドンには2日位しかいないのに、ナショナル・ギャラリーだけでも最低、半日以上は必要なのに。
ましてや、大英博物館は最初から行かない方が賢明そう。古代エジプトには全く興味がないし。同じく大英帝国による略奪品でも、エルギン・マーブルスには少し興味が有るけど、そこまでピンポンダッシュするだけで時間が掛かりそうだし。でも、日本絵画とか(「氷図」以外知らないが)も見てみたい分野も山ほど有るらしい。う〜ん…
他に有名なウォレスコレクションは、ロココ趣味の貴族コレクションなんて「けっ」という感じなので無視。逆にジョーン・ソーンズ博物館は必ず行くつもり。他のギャラリー は、多分、行く暇が無さそう。近郊なら、フェルメールの有るケンウッド・ハウスに行く人もいるけど、私には「相対的な」画家でしかないので、それよりはハンプトン・コートに行きたい 。
結局、首都の美術館・博物館の有名処を一通り見るなら、昔パリでやったように一週間、美術館だけを見て帰ってくる位でないと実際は無理。でも、英国に行ってそれだけ、というのも悲しいし。残り2つの目的も有るし…
英国月間の話。
ここ数年、旅行の前にまず本屋で(一ヶ月で読める量の)関連書籍を買い込んでいたのだけど、英国の場合、関連書籍が多過ぎて選ぶのも困難。それに、本を置く場所ももう無い。というわけで、今年は、地元の図書館から本を借りることにしようかと。
もっとも、地元の図書館は、両隣の市町村と比べても蔵書と施設が酷く劣るため、二十歳以降、全く利用したことはなかった。
考えてみれば、今まで住んだ街の図書館に恵まれたことがない。例えば、新社会人の頃に住んだ街は、加納朋子の「魔法飛行」に出てくるあの図書館だったのだけど、施設はともかく、蔵書は隣街の図書館(隣街なので借りられず)の大きさから見ると、悲しい位だったし、関西で働いていた頃の街の図書館も、決して魅力的ではなかった。
そのため、いつしか図書館で本を借りること、それ以前に図書館に行くことさえ、しなくなった。学生時代、(学校に行った日に)付属図書館に寄らない日は無かったことを思えば、余りの変わりようだ。
しかし、この春、地元の図書館がリニューアルしたというので、先週末、初めて行ってみた。建物が新しくなった他に、ネット予約が可能になるなど、なるほど今時の図書館らしくはなった様子。 ただし、改装したからといって、蔵書数が増えるわけはなく。やっぱり、数が圧倒的に少ない…と溜息を付くばかり。
とはいえ、文庫化されていない恩田陸とか西澤保彦とか、探せば半年分位は読みたい小説も見付かりそうだ、って今日はそれが目的じゃなかったと思い直して。一度に6冊までは借りられるようなので、とりあえず、行く場所を決める参考になりそうなものを幾つか借りてきたところ。
ところで、地元の図書館の棚に小野不由美の本が並んでいたのには、妙に感動してしまった。いや、今や有って当然と分かっているのだけど、小野不由美というと、「月の影 影の海」以来、必ず発売月に新刊を買っていて、図書館で借りることが有り得ると考えたこともなかったので。
というより、私が図書館を利用しなくなってからの作品が大半だからか。
新国立劇場の「フィデリオ」を観る。
ベートーベン唯一の歌劇で当時、凄く不評だったとか、手直しにつぐ手直しで序曲ばかり増えたとか、色々と話は聞くので、かなり逆向きの期待(好奇心)をして行ったのだけど。
想像以上の駄作でした…
まぁ、そりゃベートーベンだし。序曲や合唱は重厚だけど。話はつまらないし、キャラに血が通ってないし(脚本は彼の責任じゃないけど)、音楽も物語に対して終始、平凡な付け方だし(ちょっとだけ面白かったのは、いわゆるベートーベンらしい高揚するメロディが悪役の方にだけ出てくること)。
せっかく魅力的な設定なのにな、どうしてここまでつまらないのか。だって、主人公が男装の麗人ですよ? つまり「リボンの騎士」ですよ?(全然違います)。
オケの響きや出演者はそんなに悪くないと思ったのだけど。演出は、元々知らない作品なので、(最後を除いては)こういうものかと思ったのだけど。作品自体が余りに…
誰にでも向いていない分野は有るということですね。と言いつつ、モーツァルトという万能の天才だって世の中にはいるわけで。
感想の方は早く切り上げて、「月間」の話を始めようと思っているのだけど、一つ一つ書き出すと、どうしても長くなってしまう。まだ残り10個(また2つ増えた)も有るのに…
見たのは2ヶ月前なんで(^^;;、良く覚えてないけど… 夜間入場(半額)でちょうど良い位(の内容)だ、と思った記憶が。
香水瓶ばかり並んでいたけど、正直言って、香水瓶には余り興味がないので(普通、男性はそうだと思う)、その辺はさらっと流してしまったこともよく覚えていない一因。
ガラス工芸なのに平面的な図像が中心の作品が多かったのは意外だった。確かにジャポニズムの影響を強く受けた一人。
ガレと違い、ラリックのガラスは、現代の大量生産時代の工業デザインに繋がるわけで、その意味では分かり易い、と思って見ていたら、後半は、車に付ける有名な巨大マスコットが。そんなもの 今付けてたら、石を投げ付けられて割られてしまうのがオチでは?
と心配してしまう者には、やっぱり縁のない世界なのかと。というか、付けるような高級車自体、買えないし(買いたくもないが)。
元々がヴィクトリア&アルバート美術館の企画展だけ有って、非常にスマートな展示内容。
アール・デコの源泉となった様々な美術スタイルから、世界各国での展開まで、スパッと切り分けたテーマ毎に、厳選した展示品を提示していて(V&A美術館は日本の漆見本の板、なんてものまで所有している)、アール・デコに全く知識の無い(私みたいな)人間でも、会場を出る時には理解出来た気分になれる、「一時間で分かるアール・デコ」。
ただし、その分かり易さは、予備校の講義で聞く世界史みたいな気も。本当はそんなに綺麗に整理出来るものでもなかろうにと、ついケチを付けたくもなったりする。特に、アール・デコの広がりという点では、多方面に目配りが行き届いていて、どこまでがアール・デコなのか、却って輪郭線が分かり難くなっていた。
映画を中心にした映像分野についても、もっと触れられていると良かった(と思ったけど、都美術館のような混んでいる美術館では無理か)。ロシア構成主義、ドイツ表現主義といった同時代の表現様式との共通性を、当時の映画に於いてまず連想してしまうので。(前者で言えば「アエリータ」、後者で言えば「メトロポリス」とか)
展示品の中にはカルティエの宝飾品を始め、高価なものも多く含まれていたようだけど、私のような者にとっては「豚に真珠」、有り難みはよく分からず。それでも、これがあのミステリークロックか、と某漫画で読んだ程度の知識で感心してみたり。
時間が余ったので、当時の音楽がBGMに入っているというオーディオ・ガイドを借りて、もう一周してみた。あのエントランス・ホールの所で、フレッド・アステアがバックに掛かるのは、なかなか格好良かった。
だけど、BGMが入っていたのはごく一部の解説だけ。グッズショップで売っているCD(展覧会のための)は3枚組だというのに! 解説(ごく普通の解説だった)なんて要らないから、好きなBGMだけが聴けるものを貸して欲しかった。
ところで、こういう企画は、この日本版もどこかでやってくれると、比較が出来て非常に面白いと思うのだけど、本来その期待を担うべき東京都現代美術館を初めとして、出来そうなところは凡そ見当たらず。埼玉県立近代美術館とか頑張っているところもあるけど、椅子だけ、とかがせいぜいだし。
BAで往復のチケットを電話で購入。これでもう、後戻り出来なくなった(^^;;
芸大という(美術教育の)プロが開催する展覧会なのだから、もっと色々解説してくれたって良いじゃないか、と思うのだが、館側で想定している観客層が元々素人?じゃないのかも。まぁ、300円だし、余り贅沢は言えないか。
前もそうだったのだけど、高橋由一の「鮭」が、展示会場の真ん中に置かれている(吊されている)。芸大美術館の本尊なんでしょうか、この鮭は?
狩野芳崖の「悲母観音」。実際に見たのはそう言えば初めて。思っていたより、SF風なコミックイラストのイメージだった。それこそ、メビウスとか。
ところで、「資料は繋ぐ」ということで、「悲母観音」の下絵の他、観音図の別の下絵というか、初期のラフ?も展示されていたのだが、一目見て、目が点になる。
何と。観音様に羽が生えてるよ! それも、レオナルドが「受胎告知」を描く時に、歴史上初めて取り入れたという立派な白鳥の両翼が。
今では日本人もキリスト教の常識に染まっているので、例えば巨大化した綾波に羽が付いていようが、誰も不思議に思わないが、荒川紘の「龍の起源」という本に関連して昔、天使の羽について述べたように、天使/天女の羽の有無こそ、洋の東西を分かつメルクマールの一つの筈。
その辺を平気で無視してしまう辺りがいかにも明治で、新しい日本画を生み出そうとする芳崖の苦心の様が窺えて興味深い。
もっとも、流石に誰かが忠告したのか、それとも下絵を描いた後で、はっと我に返ったのか、実際に描くのは思い留まったようだけど、もし描いていたら、奇妙極まりない一大キッチュ絵画が近代日本画の代表作として重要文化財に指定される事態にまで発展していた可能性だって少なくないわけで。
個人的にはむしろ、その方が面白かったような気が(^^;; ちなみに、羽付き観音で良いなら、他にもバリエーションが色々作れそう。千羽観音とか。