7/18(金)

ブリュッセル

 朝。 今までの中では一番、大規模なホテルなので、朝食のビッフェも種類が多かったり豪勢だったりするのではないかと秘かに期待していたのだが、内容は、意外とフツウだった。

 9時40分にホテルを出て、グランプラス近くの両替所で両替。レートはよく分からないが(2本立てレートになっているので特か損か、にわかには判断付かない)、2万2千円 をユーロに替える。とりあえず、もう両替しないで済む筈。多分。

 ホテル側に戻り、坂を上って、10時頃、ブリュッセル王立美術館に到着。

 

 ショップで日本版版のハンドブックを買った後、古典部門の入り口から入場。

 当然ながら、全部を見て回るのが今回の趣旨なので、部屋の番号の頭から、即ち古い時代から順々に見て行く。

 カンパン。 ファン・デル・ウェイデン。メムリンク。バウツ。ファン・アイクを除けば、フランドルの代表的な画家の作品は皆、揃っている。1枚1枚をじっくり見ていったら、一日では到底、見終えることは出来ない質量。

 ボッシュは「寄進者のいる磔形図」。当時としてはごく普通の(ボッシュらしい奇怪な描写のない)作品だが、背景の丘や林の緑の微妙なグラデーションが非常に美しい。彼が繊細な色彩センスを持っていたことを再認識する。

 部屋には大作「聖アントニウスの誘惑」も。勿論、本物はリスボン美術館にある筈なので、ここにあるのは当時の工房で制作された模写らしいのだが、ボッシュの絵の面白さが伝わってくる、良く出来た模写だった。今のところ、リスボンに行くことは一生無さそうなので、「聖アントニウスの誘惑」を見ることは諦めていたのだが、こういう形で見ることが出来たのは、予想外の儲け物だった。

 クラナッハ「アダムとイヴ」。「私、もう食べちゃったわよ?」と歯形を付けた林檎をアダムに見せびらかしているイヴの得意げな表情が見ていておかしい。

 2時間後、最初から数えると21室目にして、ようやくブリューゲルの部屋に到着。 どれもこれも素晴らしい。「ベツレヘムの戸籍調査」を眺めていると、日本人数人のグループを連れたガイド(勿論、日本人)が部屋に入ってきた。

 ブリューゲルは地動説の時代の人で、作品の中に太陽を多く描いているけれど、息子は全く描いていない、といった話をする。なるほど、その場で納得出来、しかも、ちょっとだけ感心するようなトリビアを織り込むのがガイドのコツなのね、と横から聞いて感心する。

 「イカロスの墜落」も面白かったが、ここで一番惹き付けられたのは、何と言っても、「反逆天使の失墜」。

 失墜する天使(というか魔物)達をバサバサと殺戮している天使達の、いかにも楽しげな表情が良い。…というと、何だか語弊があるけれど。

 天使の吹き鳴らすラッパに、楽器と融合した魔物と、善悪どちらも音楽で争っているのが、ユーモラス。まさに「歌合戦」とかそういったノリ。

 細かく見れば見るほど、尽きせぬ発見があって、見飽きない。中でも、楽器、魚介類、は虫類、昆虫、植物と、魔物達の合体バリーションの豊富さときたら。右上には音速丸の親戚筋まで見受けられるし!

 ゴチャゴチャした画面かつ有る意味グロテスクな題材にも関わらず、見ていて気持ち良いのは、透明感のある色遣いによるところが大きい。特に天使の服のパステルカラーなピンクと、背景に薄く塗られた空色の明るさが、モダンでファンタジックな印象を作り出している。500年も前の作品だとはとても思えない。

 そういえば、この絵も太陽の光を中心とした構成だ。

 13時過ぎに、17,18世紀絵画のフロアーの入り口まで進む。ここの中心はやはり、ルーベンス。14時からここのフロアーは1時間閉鎖、と 書いてあるので、残り時間1時間を意識して回る。

 ここも、大広間1つ(とその隣室)がルーベンス。もっとも、「ルーベンスの間」としてはアントワープの方が良かったかも。 こちらは1枚1枚を取ってみると、傑作と言うにはやや弱いかな、という気がする。

 その中では、「聖母被昇天」の青空が印象的。 ルーベンスの絵には普段、見掛けないskyblue。確か、フロマンタンもこの空については、特別に何か言っていた記憶が。初期ならではの「ヴェネツィアの青空」、だったかな?

 ルーベンスに続いてはヨルダーンス。 彼の得意分野らしい、サチュロスや王様とその一行が酒を飲んで騒いでいる場面の絵が幾つも。酒場でまさにノリノリな一瞬を上手くシャッターチャンス?として描いている。

 学生や若者が多い居酒屋で今も見掛ける風景で、「一気、一気」といった掛け声や、居酒屋特有のざわざわとした喧噪まで聞こえてきそう。わはははは、楽しいなぁ。と、そういう宴会は実際には余り好きでない私でも思える程。

 このフロアには、ブリューゲルとは別のバベルの塔の絵があって、興味深かった。「バベルの塔の絵」の歴史というのは、個人的な関心事項の一つなので。作者はFrancen,Frans II。螺旋ではなくて、細い円錐形だ。

 ここまで見終えたところで、13時50分に地下のカフェへ。好きなものを選び、レジで精算するカフェテリア方式で、私が取ったのは、サンドイッチ、サラダバー(ミニ の皿)と、サクランボビールのクリークと水で計8Euro(クリークに早速はまっている)。

 ここでは、コストパフォーマンスから言えば、サラダバーから大皿で取るのが一番、お得かも。バーにはパスタなどもあるので、結構食べた気になれる筈。

 お腹にものを入れたところで、隣の彫像展示を見てから、午後は、近代美術館の方へ。一旦、吹き抜けの大広間に出て、近代美術館側の入り口に入る。券は共通なので、今度は見せるだけ。

 エスカレーターで下ったところが地下2階。ここから地上3階まで5階分上がって… 上がって… 入り口が閉まってる? 仕方ないので、更に下へ向かって、長い階段をずっと下りて地下3階へ。

 最初の回廊に、画家の代表作ばかりが、ダヴィッドの「マラーの死」、バーン・ジョーンズの「プシュケの婚礼行列」、クノップフの「愛撫」「メモリー」、スーラの「セーヌ川のグランド・ジャット島」、アンソールの「憤慨した仮面」と続くので驚くが、実は先程の5階分、つまり19世紀作品を展示している一角が、何かの理由で(改装とか?)閉鎖されているための措置だったらしい。

 つまり、目玉だけはせめて見せましょう、という親切心か。

 この中で一番見たかったのはクノップフの「愛撫」。昔、日本に来た際、見に行き損なって以来の話なので、少なくとも10数年間はそう思い続けていたことになる。

 非常にナルシスティックな画面は見ての通り、というか、それ自体は謎めいているわけでも何でもないのだが、見る人を惹き付け、かつ拒絶する強さに、どうして良いのか分からなくなる作品ではある。

 ちなみに、来年の初めに、この美術館では、大々的な(だと思う)「クノップフ展」を開催する予定らしい。「可能なら見に行きたい」と思う展覧会の一つだが、クノップフはある意味、金太郎飴、というか、どれも似た感じの作品なので(女性の顔はいつも妹だし)、まとめて見ても仕方ないかも(と行けない悔しさを正当化してみる)。

 「メモリー」もそういう意味で面白い作品だった。薄明の淡い明るさの中、テニスコートの芝生の上でラケットを持ち、ヴィクトリア朝のファッションでじっと佇んでいる7人の女性達。というだけなら、まぁ普通?だが、その全員が、同じ妹(の顔)とは、シスプリもびっくりである。…まぁ、同じ顔だから呼び掛け方も多分、同じなんだろうけど。

 印象派まで続くと、あとはいきなり(元々の配置にある)現代絵画。フランシス・ベーコンの法王がこちらを不安げに見つめていたり。

 (そういえば、ベルギーの象徴主義の画家ってもっといた筈だけど。デルヴィルとか。あの白目を剥いた魔女?の絵とか見たかったのだが、出てなかった)。

 メジャーな画家から、今回の旅行で初めて知った画家、更には今まで聞いたことも見たこともない画家まで、膨大な作品が展示されている展示室を下へ、更に下へと下る。

 その道程から、幾つかピックアップすると。

 春にブリヂストン美術館で見たレオン・スピリアールトは数点ながら、流石に良い作品が置いてあった。中でも「格納庫の飛行船」という絵は、一見、砂漠のような空間に置かれた飛行船を後ろ(前?)から描いた奇妙な作品で、まるで押井守の「天使のたまご」のような、ノアの箱船みたいなイメージが印象的だった。

 デルヴォーやマグリットといった、ベルギーの国民的?画家についてはかなりの点数が置いてあって、それぞれの画家のコーナーという感じ。

 デルヴォーは、まぁ、何というか。オタクの妄想(主に性的な)も突きつめれば、芸術になる(なるのか?)という感じ。まとめて見ると、ちょっとアレだ。

 オガキチカ「ひとはだスパイラル」の名台詞?の一つ、(本物のロリコンは)「極めれば神聖ですらあり、アカデミー賞も夢じゃないわけで」と同種の話かも。いや、まぁ、デルヴォー自身は「そっち側」の人では無いですが。おっぱい星人だし。って身も蓋もないけど。

 で、夜、汽車といったそのモチーフは実は良く分かってしまう気もするのだけど、余り分かりたくない。というか、自分との間には一線を引いておきたい、というか…

 マグリットに関してはかなりのコレクション。え?これがマグリット?というような作品もあって面白かった。マティス風の版画とか。

 勿論、いわゆるマグリットらしい作品も沢山。マグリットという画家も、クノップフ以上に、どれもマグリット、という感じなのだけど、一番魅力的なのは、やはり「光の帝国」 かな…

 静寂、すなわち無人であることの寂しさ、そして同時に安らぎまで感じさせる(気がするだけかもしれないが)作品。

 …どうでも良いけど、「常野物語」とはえらくイメージが違う。恩田陸はどうしてこの絵から名前を取ったのか、よく分からない。単に語感の良さ?

 下に下れば下るほど(つまり、現代に近づけば近付くほど)真面目に見る気が失せてきたので、一々名前を見ることもなく(見てもどうせ知らない名前ばかりだし)、少し離れて歩いて見ていたのだが、1枚の絵に、ちょっとハッとして立ち止まる。

 紫色、1色だけで塗った大きなキャンバスに、カナブンのような光沢のある緑色の昆虫が1匹貼ってある。

 気になって近付いてプレートを見ると、ヤン・ファーブルの名が。

 あぁ、そうだったのか。現代のベルギーの芸術家として聞いたことのある名前。舞台演出家として聞いた気がするのだけど、美術のアーティストでもあるのだろう。昆虫を使う辺りは、曾祖父アンリ・ファーブルゆずり?

 何でもありの時代だけど、やはり、人を惹き付ける作品を生み出す人は違う、ということなのかも。

 最後にはいい加減疲れたので、最下層である地下8階!から、長椅子が両側に置かれた部屋のようなエレベーターで (勿論、長椅子に腰掛けたまま)地下3階?まで戻り、更に階段、エスカレーターを上り、地上の大広間に辿り着く。16時。近代部門は2時間で見たことになる。かなりの駆け足。

 ショップで再び買い物。よく見たら、もう少し分厚い日本語版のガイドがあった。最初からこちらを買えば良かった… 「反逆天使の墜落」のポスターと一緒に買い、カフェで 、アップルパイを食べながら(コーヒーはイマイチ)、先程買ったそのガイドを見る。文章が直訳調でかなり妙なのがおかしい。

 例えば、デルヴォーについての解説。

  『デルヴォーは独自のエスプリを保持し、正統的超現実主義派に荷担したことも、マルグリットの様に啓蒙活動を展開したこともない。超現実主義の一般的手法を採択した事は、詩情に溢れ、非現実の連想から生まれた非論理的イメージを描写していることから、異論の余地無く明らか』

 『超現実主義は、広義にはフロイト説に裏付けられ、無意識の解放に準ずる意識的推敲を拒絶。心理分析的な女性版ピグマリオンで、所有欲の強い女が母性を発揮している事から、作家が主導的両親にどれ程耐え忍んだかがわかる最適例証。こうした論評は制作背景を説明出来るが、実現不可能なイメージが持つ、普遍的象徴性から受ける美的衝撃を損なわない様、自戒が必要』

 …言いたいことは大体分かるけど、日本語になってないよなぁ。というか、後半の文章、「自戒が必要」って、そこでそう言われても。 論評しているのはあんたの方だろう。

 でも、日本ではほとんど紹介されていない画家についての説明もあって、思った以上に役立った。アントワープで見たリック・ワウタースも載っていた。 第一印象通り、やはりマティスと同じくフォーヴの画家で、その中でも「ブラバン野獣派」と呼ばれた、ベルギーで活躍した一派だったらしい。「ブラバン野獣派」。「湘南爆走族」みたいな響きだ。

 で、画布の白さを残したあの薄塗りの画風だが、この本によると、最初は厚塗りの絵を描いていたらしい。しかし、「絵の具を節約出来るように」独自の画法へ進んだとのこと。あれって… 元々は絵の具をケチって描いていただけだったのか(^^;;

 でも、マティス並みに、とは言わないにしろ、日本でもきちんと評価されてしかるべき(かつ、そうすれば、結構、人気が出る)画家だと思うのだけど、全然紹介されていない様子。ネットで検索しても、全く出て来ない。

 世界はそういう画家で溢れている、と言ってしまえば、それきりなのだろうけど、日本で紹介されている画家の範囲というのは、相当に片寄っているのは事実だと思う。もっと、こういう画家を紹介してくれる展覧会があれば良いのに…

 最後にブリューゲルの部屋をもう一度訪ねてから、美術館を去る。17時の閉館少し前。

 

 言うまでもなく、外はまだ日中。ブリューゲルが埋葬されている教会を横目で見た後、小便小僧のところに行ってみる。

 人だかりがしているので、遠くからでもすぐ分かる。しかし、何故か、着ているのは、消防服。しかも日の丸の旗を持っているんですが。

 近くに寄ってみると、消防服の帽子には、「東京都消防局」というロゴが… つまり、今日の小便小僧は「東京都消防局員」のコスプレということか。「世界一衣装持ち」な人物として(ギネス認定済)、毎日、違う服を着ているとはいえ、ちょっとびっくり。

 しかし、ということはだ。これは都民の税金でもって贈られた衣装ということになる。知ってるのか、東京都民はこのことを。いや、まぁ、別に良いけど。私は都民じゃないし。

 ホテルに戻ると、広場ではネイティブアメリカンの人々がパフォーマンスをしていた。

 荷物を置いて、再び外出。今日はイ・ザクレロ地区で食べることにする。避けるのも「逃げている」気がしたので。

 観光客向けの定番はバケツ一杯のムール貝なのだが、今は シーズンでない筈だし、大体、私は貝類は、「好き嫌い」で言えば数少ない「嫌いな」方に属するものなので、いくら無難なムール貝といえども、バケツ一杯食べるなんて、やりたくない。とはいえ、全く食べないのもまた、何だか悔しいし。

 というわけで、パエーリャにする。12.5Euroと一番安い値を掲げていた店に入ったのだが、持ってきたメニューには16Euroしかない。12.5Euroは?と訊くと、それは量が少ないので、お腹一杯にならないですよと16Euroの方を強引に薦める。

 客寄せだけの価格かと腹が立ったので、なら要らない、と席を立とうとすると、いやいや、12.5Euroで大丈夫だと、といきなり言うことが変わる。おいおい、と思ったが、当初の予定通り、そちらを注文。来た皿は確かに大盛りではなかったが、普通の一皿ならこれで充分。パエーリャを食べたのは久々なので、美味しかった。コストパフォーマンスとしては、今回は「引き分け」か。

 といいつつ、やや物足りないので(^^;;、昨日ほっつき歩いていた時、広場の西でフリート(フライドポテト)の屋台が有ったことを思い出し、行ってみる。

 賑わっていたが、行列に並んで注文。タルタルソース付きで1.7Euro。安い。ほくほくで美味しい。でも、全部食べたら問題だと思い、泣く泣く半分で止めておく。 こういう方が私は向いているのかも。とりあえず、これについては「勝った」気分。

 帰りにまたビール3本(昨日とは違う銘柄)をビール屋で購入して、ホテルでチャレンジ。

 夏は、グラン・プラスがライトアップされる。 とガイドブックに書いてある。といっても、暗くなるまでが長い。22時前、ようやく暗くなったところで、広場に向かう。途中でカメラを忘れたことに気付いたが、取りに戻るのも面倒なので(徒歩5分程度だけど)、そのまま広場へ。

 行ってみると、広場には多くの人が。しかも、広場中に座り込んでいたりする。ええと。そういうのは余り気にしないのか。

 しかし、ライトアップといっても正直、大したこと無いなぁ、と帰ろうかと思い始めた時に、ショーが始める。広場の南の建物を照らすライトを音楽に合わせて、色を変えたり、点滅させたり。曲はどこかで聴いたことがあると思っていたが、終盤、ドカンドカンと鳴り出すので、思い出した。「1812年 」。派手な曲だからか?

 ライトの点滅に対して歓声が上がる。いわば、花火大会のようなもの? 思っていたより楽しめた。旅の最後の思い出、みたいな感じ。一人で見ても、余りロマンティックとは言えないのが難だけれど。

 それにしても23時というのに、広場もそこに面したカフェも人で溢れているのだけど、皆、一体いつまで、外で騒いでいるのだろう。

 


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補足

・ブリューゲル「反逆天使の墜落」
・クノップフ「愛撫」 「メモリー」
・マグリット「光の帝国」
・ヤン・ファーブル →公式サイト …うわっ、虫ばっかりだ。しかも、年々エスカレートしているし。


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