7/19(土)

ブリュッセル(←→ゲント),→アムステルダム

 今日は、日帰りでゲントに寄った後、アムステルダムまで長距離電車で一気に戻るという日程。

 そのため、(いつもより早めに)8時40分にチェックアウト。9時4分の電車を目指し、駅の地下ホームに降りると、どうやら電車が遅れているらしい。 ホームに人が溜まっている。8時22分発が 9時過ぎに来たので、皆、どっと乗り混む。

 遅れているせいで、電車はえらく混んでいた。 危うく座れないほど。電車で立っている人をこちらで見たのは、初めてだ。数席奥に、日本人の親子連れがいるらしく、幼い女の子の声で、やや調子外れな「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉に止まれ」が聞こえてくる。 というか、延々とリピートしている。

 1時間弱後、ゲント駅で降り、1日パスを買って、駅横の停留所からトラムに乗る。路線図をろくに見る暇なく、来たトラムに飛び乗ってしまったので、目的地の広場が幾つ目か不安だったが、両側に教会が見えてくるので、降りはぐれる心配は無かった。

 まずは観光案内所で地図を貰い(日本語の地図があった)、ゲント美術館までの行き方を訊くと、歩けと言われる。…バスは?

 

 まずは、大聖堂に入る。中をぐるりと回ってから、ファン・アイク兄弟の祭壇画を展示している部屋の入り口が正面の手前左にあるのに気付いて戻る。

 部屋に入るとオーディオガイドを手渡される。日本語。せっかくなので入っている解説を全部聴いてみたが、な、長い… 聴いている内に、どんどん人が増えてきて、団体で部屋一杯になってしまった。人が少ない内に、全体を間近でよく見ておいた方が良かったかも。

 全体が驚異の業、というべき祭壇画だけど、中でもやはり、上部の3人の描写が圧倒的。特に真ん中の神(あるいはイエス)の表情は、神的存在を説得力を持ってリアルかつ細密に描き切るという、非常に困難な課題を実際にやってみせているという点で感嘆を興じ得ない。

 (とたまには堅苦しく表現してみようかと。「うわっ」とか「凄い」とか「びっくり。」ばかりでは、まるで馬鹿みたいなので)

 あのデューラーが、素直に感心したのも無理はないな。とはいえ、デューラーの日記では、その直後、当時、大聖堂の外で飼われていた(らしいのだ)ライオンをスケッチしたことの方がより重要だったみたいだけど。

 ただし、私が一番気に入ったのは、下の画面での樹木の描写。右側に描かれた南方の植物から、左側の北方の植物まで、丁寧かつ写実的な表現が美しい。

 なかなか立ち去り難く、絵の表側と裏側を行ったり来たりしながら、20分くらい眺めていたが、きりがないので、思い切って、部屋を後にする。

 

 時間にはまだ余裕が有ったので、ゲント美術館までは歩くことにしたが、街中の1.7キロはやはり結構あった。途中の大半が日陰でなかったら、絶対、後悔していたと思う。というか、また1日パスを無駄にしている私。トラムで途中まで帰ってきた方が賢明だったかも。

 ゲント美術館。入場料を払おうとしたら、何故か、無料の日だった。でも、大きな紙幣をここで崩すつもりだったので、当てが外れた気分。

 入って右側、割とすぐの部屋にボッシュの「十字架を負うキリスト」。凄い(あ、まただ)。

 エゴイステックな顔、顔、顔のアップで埋め尽くされた画面。晩年のボッシュは、人間 という存在自体をもはや信じていなかったのだろうか。諦念の表情を浮かべて目を閉じているキリストを見ていると、そう思わせられる。

 数多くの悪魔や魔物達を画面の中で創造した画家は生涯の最後に、そういった何かの象徴に一切頼ることなく、人間それ自体を描くだけで、その内面にある悪を表現出来るところまで辿り着いた。そういうことなのかもしれない。

 勿論、ボッシュが実際に何を考えてこの絵を描いたのかは定かではない。しかし、ここにあるのは、まぎれもなく、人間の描写についての一つの極北である。500年以上経った今でも古びていない。否、この絵のリアリティはむしろ (神も仏もない)今こそ、増しているような気がする。

 この美術館での目的は、正直言って、この1枚だけだったのだが、2度と来ることも無いだろうから、その他の作品も全部見る。思っていたより大きな美術館で、特に近代絵画 については、かなり充実していた。すぐ隣に、現代美術館も建っているのに。すると、向こうは本当に現代美術だけなんだろうか。

 目に付いたものとしては。

 アンソールの版画が10点位。油絵とはまた違った感じで、例えば広場の群衆を1人1人細かく描いているのが印象的だった。細かい人だったらしい。見ているうちに「ウォーリーを探せ 」を思い出した。

 レオン・スピリアート。 いつもながら、陰気。とはいえ、題材と描き方は毎回、様々なので、飽きない。陰気な絵と言えば、クノップフも数点。こちらは、逆に毎回同じだが、それはそれで。

 あと、ここで良かったのは、クラウス。(言うまでもなく、どこぞの優柔不断な、幼女好きの飛行機乗り少年ではなくて)印象派のエミール・クラウス。 印象派といっても余り有名ではない。私も今回の旅で初めて意識した気がする。「ミレー三大名画展」にも確か来ていた筈だけど。

 どういう人かと言えば、昨日の王立美術館のガイドブックでは、「ベルギー最後の、転向した重要印象主義画家」と位置付けておきながら、その評価は「ウィリアム・ターナーとモネの追随者だが多少洗練に欠け、ぼかしたフォルムを踏襲する以外に先に進むことはなかった」と手厳しい。

 まぁ、実際、そうなんだろうけど。一言で言ってしまえば「モネのエピゴーネンの一人」に過ぎないのかも。

 ただし、(私が元々、モネのような絵が好きだからかもしれないが)そよ風が吹いてくるような木漏れ日の風景等、見ていて心地良い絵が多かった。日本の地方の美術館は、モネとか 馬鹿高い画家は止めて、この辺りの画家を集めたら良いのでは?

 あと驚いたのは、19世紀のフランス絵画のコーナー。オリエンタリズムの作品が並ぶ中に、フロマンタンの名前が! ちなみに、それらの絵は素早く描いてはいるもの、ぱっとしないドラクロワ、というレベルでしか無かったのが、何とも… フロマンタンの絵が全てそうだとも思えないけど。

 でもまぁ、実作者と評論家としての質に大きな差があるというのは、良くあることではある。最近だと、映画監督とかでよく見掛ける気がしないでもない。

 

 美術館からは、日差しが眩しい中、更に10分くらい歩いて駅に。13時半過ぎの電車で、ブリュッセルに戻る。今度は空いていた。

 まずは、小便小僧をもう一度見に行く。今日は普通に?こちらの貴族の格好をしていた。

 グラン・プラスに戻る手前の、ギリシア料理やトルコ料理といった安い一皿料理が並ぶ飲食店街でトルコ料理。焼き肉の定食とアイスティー (同じLiptonだがピーチ味の缶だった)で8.8Euro。 今回は「勝った」気分。

 というか、最初からこういう「庶民のための」店だけ利用すれば良かったような気が。もう遅いけど。

 時間が余っているので、メトロに乗って、街の東にあるサンカントネール博物館へ行ってみるが、外に出ると、うだるように暑い。それでも何とか、博物館まで歩き、建物の周りをぐるりと一周したが、入り口がよく分からない。…閉館中?

 隣の王立軍事歴史博物館の方は、体育館みたいな空間に昔の戦闘機が幾つも置いてあるのが窓から見えて、ある種の「男の子」なら夢中になるような場所だなと思ったけれど、あいにくと私はそうではないので、入る気分にはなれず。かといって、このまま入り口を探して歩き続けるのも もはや耐え難い暑さなので、予定より早めにアムステルダム行きの電車に乗ってしまうことに決め、潔く撤退。またメトロに乗って、市の中心部に戻る。

 

  明日一日がまだ残っているとはいえ、既に帰国準備の段階。で、海外旅行のお土産といえばチョコ。そして、チョコといえば、今回はベルギーで買っておくべきなのは 当然のこと。

 というわけで、グラン・プラスに戻り、お土産用に、ガレとノイハウスでチョコを買う。プラリネの詰め合わせ250gで、ノイハウスは9.2Euro、ガレは8.8Euro(…逆だったかも)。もっとも、ガレの方が日本では貴重なので(ノイハウスならどこでもあるし)、自分で食べてみる予定(なら、「お土産」じゃ無いじゃん)。職場には 本場のノイハウスだよ、と言って持っていくことにしようと考える。

 アムステルダムまでの道中は3時間余りと結構長いので、飲み物が無いと辛いだろう、と水を買い、更に閃いて、クリークの缶も買う。1.3Euro位なので、値段的には、日本で言う発泡酒みたいな感覚。クリークを飲むのもこれで最後だろうし。

 ホテルで荷物を回収。お土産用のチョコ3箱分だけいつもより多いので、3wayバッグ(一杯でこれ以上入らない)と、いつも持ち歩いている手提げのバッグの他に、手提げのバックをもう一つ出して、チョコを入れる。荷物が3つになってしまったのは初めてだが、まぁ、アムステルダムのホテルまで持っていけば良いだけの話だし。

 手提げのバッグを2つ肩に掛け、3wayバッグを引いてcentral駅へ。駅まで数分とはいえ、上り坂なので多少、大変だった。

 

 ホームに降りてみると、午前中のスケジュールの遅れがまだ続いているらしく、 予定時刻の16時37分を過ぎても、アムステルダム行きの電車が一向にやって来ない。地下ホームは蒸し暑くて、苛々する。

 10分強遅れて、ようやく電車がホームに入ってくる。待ちかまえていた人達が三々五々、電車に乗り込んで行く。私も2つのバッグを提げ、3wayバッグを引っ張り上げて、車内に乗り込む。シートは2人掛けの席が両側とも同方向に並んでいる (阪急や京阪の特急と同種類の)ロマンスシート。

 車内は空いていたので、乗車口から5,6列進んだ適当なところに座ることにして、右側の席の上に、肩に掛けていた2つのバッグをまず放り出し、乗車口からここまで引いてきた3wayバッグ の方を次に振り返ったところ、バッグのすぐ後ろで、バッグがあるために通路が通り難いという感じで立ち止まっている男の人がいたので、sorry、とすぐに3wayバッグを網棚に上げる。

 すると、男の人も早く通りたいのか、上げる時に一緒に手伝ってくれた。のは良いのだが、座る席の上ではなくて、更に左側へずっと押し込もうとするので、ここで良い、と制して、自分の席に向き直ると。

 え?

 席の上にバッグがない?あれ?置いた席より前に進んでしまった?と更に後ろの席を見るも、何もない。というか、その辺には後から乗り込んできた人が次々に座って、空き席はなくなってい る。

 先程の男は、と見ると、車両の前の方までそのまま歩いていき、どんどん遠ざかっていく。

 ……え?え? 「事実」がぼんやりと明らかになってくるが、頭がなかなか理解しようとしない。何回も無意味に周りの席を見渡すが、どこにも手提げの黒いバッグ2つは見当たらない。

 荷物を上げようとしてずらされた後、すぐに振り向いて… 上げて、振り向いて… one,two,three.せいぜい、3秒程度の間に荷物が消え失せた。ということは、つまり…

 盗まれた。それ以外、有り得ない。

 やられた、という思いと共に、胃液が逆流する。発車のベルが鳴り出す。追い掛けなくては、と思いつつも、足が動かない。追い掛けるにしても、3wayバッグを持ち上げるのを手伝った男は去っていく時も、何も持っていなかった。

 ということは、少なくとももう一人が後ろ側のドアから盗って逃げた筈で、そちらはいたことさえ気付かなかった。顔も分からない相手を追うことなど出来やしない。大体、重い3wayバッグがあるのに、走って追い掛けられるわけがない。

 …どれもこれも、計算ずくなのか。ベルはすぐに鳴りやみ、そして電車が動き出すが、どうすることも出来ない。

 1つのバッグには先程買ったお土産と水とビール。もう一つのバッグには、contax T3とデジカメ、そして、アムステルダムまでの切符も兼ねたベネルクスツアーレイルパスが入っていた。

 2つのカメラもさることながら、撮った写真が失われてしまったことが何よりも痛い。今回は撮影が主でなかったとはいえ。思い出が失われる悲しさ。あ… そういえば。ここまでずっと日記を付けていたメモ帳もバッグの中だった。………………。

 電車は、アムステルダム目指して走り続ける。呆然として、座り込んだ席から動けない私を乗せたまま。

 

 

 

 

 

 ………………いつまでも、このまま呆然としているわけにもいかないので、被害状況を頭の中で整理してみる。

 パスポート、航空券、現金といった貴重品は全て身につけたままなので、帰国することについてはとりあえず問題ない。

 しかし、バッグにカメラ2つが入っていたことで、金額的なダメージは大きい。 デジカメは二昔前のOptio330。当時は6万5千円はしたが、今は3万でもっと良い物が買えるからまぁ良いとして、contax T3は愛着もあったし、値段も落ちていない。財布を盗まれた方が遙かに被害額が少なかった。他に金額的に大きな物としては256Mのコンパクトフラッシュと、バッグそれ自体。

 カメラ2つを11,2万円とみても、少なくとも15万円以上は被害に逢った計算になる。勿論、私にとって笑って済ませられる金額ではない。

 それに、パスも無い、ということは、今の私はいきなり無賃乗車 。乗った時点ではそうでなかったのに。こちらの国鉄は車内検札が必ずしも無い代わりに無賃乗車に対しては、何倍もの料金を請求するという話だが、来たら事情を説明するしかない。来ないことを祈るが、この長距離電車で来ないとはまず考えられない。

 とはいえ、金で諦めが付くことはまだ良い。メモリーと一緒に無くなってしまった写真。そして日々の記録。後悔してもしきれないのが、それらが失われてしまったこと。

 

 一縷の望みを託して、まさか真剣に見ることがあるとは思ってもみなかった保険会社の小冊子を3wayバッグの奥から取り出して眺める。警察に被害届を出して、帰国後、請求する、というのが携行品被害の場合、必要な手続きらしい。

 請求の際に必要になる書類に、品物を買った時の領収書・保証書、とある。…そんなもの無い。去年、期限切れの保証書はまとめて処分してしまった記憶があるのだ。少なくともカメラ2つの保証書が残ってないことだけは自信を持って言い切れる。

 …保険は下りないのか。さらに憂鬱な気分になるが、ともかく、請求してみるしかない。そのためにも警察には被害届を出しておかないと。………。警察って、この場合、アムステルダムでも良いのだろうか。ブリュッセルでないと駄目、と言われても今さら戻れない。

 車掌が(果たして)やって来る。必死に事情を説明すると、分かった、と37Euroを 請求される。通常運賃(多分)であっただけ、マシか。しかし、明日含めて現金の出費はこれ以上ほとんど無いつもりでいたので、危うくそれすら払えないところだった。切符を買った後の残りは2.35Euro。かろうじて払えた、という有様で、500円玉1枚分も残っていない。

 

 喉の渇き。正直言って、これが今回の結果で、今一番辛く、腹が立つことかも。水もビールも奪われてしまい、車内販売の飲料を買うお金も無い(日本円なら有るけど使えない)。

 アントワープ、ロッテルダム、ハーグと、電車は、この旅行で訪れた街を次々に通過していく。本来なら 、今までの旅の思い出を、それぞれ懐かしく思い返すところだが、とてもそういう気分にはなれない。

 荷物が3つに増えたのもこの旅の中であの10分だけなら、荷物を手から離したのもあの一瞬だけで… それさえ無ければ、あるいは大きなバッグをすぐに網棚に載せることさえしなければ…

 後悔しても仕方ないから止めよう、と思っても、後悔しかやることがない。あの時の状況をぐるぐると反芻するばかり。

 ゲントでボッシュの「十字架を背負うキリスト」を見たのが同じ日とは思えない位、遙か昔のような。あの時、絵の「人間不信」について感心したけれど、こうなって分かったのは、私は結局、全然甘いのだということ。疑うべき時に疑う厳しさが無いから、こうやってつけ込まれる。あの絵に感心する資格なんて、全くない…

 

 3時間後、午後8時前に、ようやくアムステルダム中央駅に到着。長かった。駅に降りると、まずは両替。次に、水を買ってその場で飲み干す。やっと呼吸が少し落ち着く。

 ホテルまで、荷物を引きずる。ホテルはCrowne Plaza City Centre。今回の旅行では唯一の5つ星で値段は15,400円と一番高かったが、駅から歩いて数分という便利さを優先して、オクトパストラベルで予約した。余り考えずにすぐホテルに着く、というのは、今回は幸いだったかも。

 着いたは良いが、バウチャーがない。勿論、すぐ出せるようバッグに入れておいたからなのだが、盗まれたとも言い難いので、無くしてしまって…と言い訳をする。大丈夫、と言われたが、不安なので、チェックアウト時に二重に料金を請求されないように、支払い済だと念を押しておく。人間、悪いことが起きると、どんどん思考が後ろ向きになっていく。

  部屋で、保険会社の小冊子を再度取り出す。必須ではないらしいが、盗難時には保険会社に即、連絡すべきらしい。面倒なことは出来るだけ増やしたくないので、連絡は帰国後で良いかと思ったが、被害届を出した時に警察から貰ってこないといけない「盗難証明」とやらを英語で(オランダ語とは言わないにしても)何と言うのか、全然分からないことに気付く。

 ……証明。あ、identification?いや、それは絶対違う。certification?? 駄目だ、訊かないと。

 とはいえ、冊子によれば、オランダ内に連絡先はない。ヨーロッパ大陸内だとフランスのみ。あるいは日本。コレクトコールで掛けるように、と書いてある。…どうやって?

 フロントに降りて、コレクトコールの掛け方を訊く。自室で掛けるか、前の店(インターネットカフェ? )で掛けるように、と言われる。どっちも同じなのかと聞くと、前の店の方が安くて、ホテルからだと何とかEuro(忘れたが結構、高額だった)だと言われる。…料金取られるなら、どっちもコレクトコールじゃないじゃん。

 諦めて、公衆電話で電話することにする。コレクトコールなら日本に掛けようと思っていたのだが、自分で掛けるならフランスしかない。しかし、今度は、フランスの国番号が分からないことに気付く。

 残っているガイドブック(そういえば、ガイドブックも1冊無くなった)をひっくり返していると、(他の)保険会社のパリオフィスの連絡先が載っているのを発見。どうやら「33」らしい。やれやれ。大体、何で小冊子には書いてないのか。

 駅に戻る(駅まで近いのが役に立った)。駅前には公衆電話があったと記憶していたからで、実際、あったのだが、電話会社が2つあるらしく、別々の種類の機械。しかも、どちらもテレフォンカード専用。どちらの会社でもこの際、良いのだが、問題は、日本と違って、テレフォンカードの自動販売機など、どこにもないこと。…どこでカードを売っているんだ?

 いつまで経っても、電話を掛けるところまですら、行き着けない。泥沼に填っていく気分。

 こういう時の最後の頼みの綱、ということで、観光案内所に入り、テレフォンカード はどこで売っているんですか?と訊くと、隣を指差される。見れば、案内所内の切符売り場。何とテレフォンカードも売っているらしい。

 1枚(5Euro)を買い、案内所のすぐ外の公衆電話で、早速、掛けようとする。と、此処に掛けてくれと紙を持ってまとわりついてくる男。……こっちだって、 それどころじゃないんだってばっ。Noと断るが、ここで掛けると、離れそうにないので、駅の反対側の公衆電話まで逃げて、周りに人がいないのをよく確かめてから、ようやく保険会社のパリの事務所宛に電話する。

 出てきたのは、暢気そうな女性の声。状況を簡単に説明すると、保険の番号を聞かれる。持ってきてないと言うと、生年月日等を訊かれる。次に被害状況と品目を再度訊かれ、パスは保険の対象にならないかもしれないと説明が入り、更に被害品目の詳細を訊かれ… こっちがどういう状況で掛けているかをまるで気にする気配がない無神経さに(こういう時なので)腹が立つ。どんどん度数が落ちていくテレフォンカード。残りが3.5Euroまで下がったところで、忍耐の限度を越し、相手の声を遮る。

 こっちは公衆電話から掛けているのだから、訊きたいことだけ教えて、と警察への届出に最低限、必要なことを確認する。

 盗難届を出して、その証明を貰う。その中に、被害品目とその値段が書かれていないと駄目。…で、「盗難証明」とは英語で何と言えば? 『「Police Report」です』

 ……そ、それで良いの? その一言を訊くために、私はこんなに苦労したわけ? どっと疲れる思いで、受話器を下ろす。

 一旦、ホテルに戻って、被害品の一覧を(被害届に書くことを考えて怪しげな英語で)ノートに書き出す。

 どこの警察に行くべきか少し悩むが、駅の構内、国際線切符売り場の近くに、(窓ガラスに「観光案内はしません」と張り紙をした)警察のオフィスがあったことを思い出し、駅まで戻ることにする。今回は、あそこで出すのが一番正しそうなので。

 中にはいると、中年女性の警察官が受付してくれた。カバンを盗まれたので届けを出しに来た。保険に入っているので、盗難証明を作って欲しい、と言うと、被害届の用紙を持ってきて、英語は出来るかと訊かれる。

 少しは…と答えて、用紙を埋める。氏名住所、滞在先、盗難品までは良かったが、状況の説明、のところで、はたと困る。自慢じゃないが、英作文なんて十数年前の大学入試以来、1回も書いたことがない私(確かに自慢ではないが)。

 とはいえ、何とか書くしかないので、まるっきり中学生並みの(and,andで繋げた)文章で必死に埋める。「大きなバッグを上に置いた。男が私を手伝った。椅子を見た。小さなバッグが消えていた。男を見た。男も消えていた。」といった調子で、我ながら、これはひどい、と思った。というか、これじゃあ、怪談だ。

 書き終わって、先程の女性を呼ぶと、「私はこれから、報告書を打たなければいけない。少し時間が掛かるが、待てるか」と訊かれる。もとより、それを貰うまで帰れないので、大丈夫、待っています。と言い、長椅子に腰掛けて待つ。

 しばらくすると、女性が戻ってくる。もう出来たのかと思ったら、状況をもう一度訊かれる。やはり、先程の文章では訳が分からないらしい(^^;; 身振り手振りで再現してみせたところ、大体、分かってくれたらしく、続きを書くためにまた引っ込む。

 待っている内に、他の人達が次々に入ってくる。まずは男2人組。女性は奥でパソコンを叩いているので、他の男性警官が対応する。よく分からないが、彼らの部屋(部屋って、どこの?)の荷物が開いていて、中身が無くなっているとか、何とか。その内に、もう1人やってきて、もう1回確認しようということになった(らしく)、来た人間は全員、出て行った。

 それから10分もしない内に、今度は老婦人。こちらは私と同様に、盗難の被害にあったらしく、被害届を貰って記入し始めたので、私が座っている(机のある)場所と交代してあげた。

 しかし、こう次々に被害者が駆け込んでくる様は、まるで民放TVが時々やっている、繁華街の警察署を密着取材したドキュメント番組みたいだ。「犯罪都市アムステルダム 24時」、そんな字幕が目に浮かぶ。…もっとも、私はアムステルダムでは被害に逢ってないんだけど。

 などと馬鹿なことを考えていると、先程の女性が報告書を書き上げて、プリンターで出した物を持ってくる。紙を見せながら、内容を説明してくれるが、書かれているのはオランダ語なので、報告書自体は全然、読めない。しかし、自分の名前の綴りが違っていたのは、さすがにまずいと思い、…済みません、違うんですが、と指摘すると、もう一度打ち出してくれた。

 3部にお互いにサインをして、そのうち1部を貰う。これで、この件に関しては、こちらでやるべきことはようやく終わり。やれやれ。

 

 駅を出ると、外は既に暗い。まぁ、もはや夜の10時を過ぎてるし、当然か。

 ダム広場まで歩く。昼以降、何も食べていないが、何かを食べる気力は起きない。こういう時はビールでも飲んで寝てしまおう、と思ったのだが、ベルギービールを売っているところが どこにもない。ハイネケンしかない… 隣国にあんなに美味しいビールが沢山あるのに、オランダ人はよくハイネケンなんかで満足していられるものだ。

 無いものは仕方ないので、見掛けたナイトショップで水とヨーグルトとハイネケンを買って、ホテルに戻り、それらを流し込んだ後、寝る。長い一日だった…

 


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補足

・ボッシュ「十字架を負うキリスト」


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