11/1(木)

 昨日、シャワーを使おうと思ってドアを開けると、隣りのサロン(と言ってもTVと自販機とソファーがあるだけの部屋)に日本人の家族が居たので、そのまま少し話す。日本人が同じ宿に居るのはセビリヤのhotel murilloでもあったが、こういうのは初めてである。特に家族というのが珍しい。明日はマラガに泊まるというのでパラドールからの眺めをすすめたりした。

 さて、今日。何と雲一つない、快晴。アンダルシアの澄みきった青空である。こんなに晴れたのは初めてだ。しかし、それだけに放射冷却して、9時だというのに、ひどく寒い。コートがほしい位。ともかく歩いていれば暖まるだろうと思い、アランブラヘ向かう。

 9時30分、すごくすいている。何てラッキーなのと思いながら、最初にどこへ行くか迷うが、やはり素直にアルカサバに入る。ここだけでかなり広い。しかし、よく晴れている。神に感謝(ところでどの神?アラー?)。

 次にいよいよ宮殿へ。思った通りのすごさである。しかし、色はほとんどないから、かなり地味である。なるほど、銀閣とかのように金がなくなってから技術力だけで作り上げた建物なのだということがよく分かる。写真をとりまくるが、フラッシュは駄目といわれて、いささか残念(減るもんじゃないのにと思うのだが、もしかしたら減るのかもしれない、けっこう薄いのである)。 AS400に変えるが、どうなっていることやら。もっとゆっくり見るつもりだったか、貧乏症のせいか、11時30分過ぎには出てしまう。

 カルロスVで気分を変えようと思うが、何故かmuseumは2つ共閉まっている。せっかくだから写真が多いガイドブックを買って(このちょうどいい位の奴には日本語版がないのである。プラドでもそう。やっぱり日本人はちゃんとしたガイドブックなど買わないのだろうか 。だって「地球の歩き方」を手にしたバックパッカーと何も分からずにガイドの後をついていく団体客しかいないもの。

 ヘネラリフェヘ向かう途中、名高いパラドールを横に見る。まぁ、平凡に見えるが、実際に泊まると、夕方など素晴らしいのかもしれない。

 さて、ヘネラリフェの庭園は、まさに天上の楽園という感じで(誰だって花咲きみだれ、泉がこんこんと涌いているところを見れば、そう思うに違いない)、何となく天空城を思い浮かべてしまったが(伏線としてアルカサバでなるほどダンジョンは直角に曲がるのだ、と思ったこともある)、発想がやや貧困という気がしないでもない。

 それにしてもGranadaも猫が多い所である。アランブラにも沢山いて(といっても勿論、宮殿を歩いているわけではなく庭に)、ヘネラリフェのベンチで持ってきたみかんを食べようと思ったら、猫が2匹もやって来て、じっとこちらを見つめて、食べ物を何か袋から出したとたん、飛び乗ってきそうな感じだったので、断念してしまった。

 その後、「地球の歩き方」にのっていた丘を目指すがよくわからず、あきらめ(本当、あの本はdetailがないので駄目である)、下まで降りてヌエバ広場まで戻ると、何とあの親子がテラスで食事をしている(といっても終わる頃)。又もや、少し話をする。娘2人がエ○バの証人で、日本人(マドリッドの)に布教をするべく、マドリッド近くに滞在していて(つまり信者の家に)、この度は家族(あと、おばあさん、父母、弟)が訪ねがてら、観光をしているらしく、グラナダは珍しく宿をとったが、他は信者の家に泊めてもらっているとのこと。う〜む…。

 まぁ、すごく人がいい感じのおばあさんだったし(宗教関係者は大抵そうだけど)、別に困ったことがあったわけではないのだが、う〜ん。話を聞いていると全世界どこにも信者がいて、どこにでも泊まれるようだったが、それはすごい。人類皆兄弟、やはり宗教の力は大きい。もっともソ連にはいないだろうと思ったが(クリスチャンならともかくエ○バの証人は)、宗教の人にその手のジョークは通用しないのである。

 その後は、サクロモンテの丘を上り(別に面白くはなかった)、カルトゥハ修道院に苦労してたどり着き、バスで戻ってきて、急いでアルバイシンを上るが、残念ながら夕日のアランブラを見るには数分遅かった。明日も晴れていたら、もう少し前に来よう。

 上がった頃ちょうど日が落ち、……刻一刻と暗くなるが、広場の一隅で何と日本人のおばさん連が絵を描いている。聞くと、朝日カルチャーセンター(何てことだ!)のメンバーを中心に(当然、先生を含めて)13人で15日位スペインを回るとのこと。自分のことはさておいて、こんな凡庸なおばさん連 がアランブラをスケッチしたりして回るとは、日本も豊かなのだと思う。

 私の親もこういう所に来ればいいのにと思うが(まぁ「遠出」は日本でもしたがらないけど)、その分を私に出資してくれているのだと考え、やや感傷的な気分になる。そのぜいたくを私は本当に生かしているのだろうか。ともあれ、無事に帰ることが 、とりあえずは一番の親孝行という奴なのだろう。

 hostalに帰って、フロントでかぎをもらいながら(ここのお嬢さんは親しみやすい美人)、机を見ると、何と京都の寺の絵ハガキがはさみ込んである。思わず、cerca mi casaなどと口走る。どうやら彼女の友達が旅行(or留学)の際に送ったものらしい。場所を説明しようとして、寺の名前が全然出てこないのには参った。部屋でしばらく考えていると、やっと浮かぶ。法然院である。

 


・最初どこへ行くか …現在は混雑緩和のため、王宮部分は時間指定のticketらしいが、当時は、時間指定など無かった。
・カルロスV …ルネサンス様式の宮殿部分。美術館として使われている。
・天空城を思い浮かべてしまった …すぎやまこういちのメロディが頭に鳴り響く、ということ。
・「地球の歩き方」 …少なくとも当時の本には、場所が特定されておらず、実際には何の役にも立たない情報が数多く載っていた。
・アルバイシン …ヌエバ広場を挟んで、アランブラのある丘と、向かい合わせになっている丘。王宮の夕焼けを見るなら、ここから。
・私の親も …母親は絵を描くのが一応、趣味だったりするので。
・一番の親孝行 …自分に都合の良い結論。
・cerca mi casa …(訳)「うちの近くやねん」


写真:  Granada
観光案内:グラナダ  スペインの地図:small(日本語)  small  large


翌日
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