8/9

 リング・オブ・ケリー、キラーニー

 ここケリー州は、ディングル半島にイベリア半島という、2つの風光明媚な半島で知られているのだが、今日のコースは、後者を主に海岸線に沿って一周する170キロの周遊路、Ring of Kerryを観光するもの。

 考えてみればすぐ分かると思うのだが、こういう道路だと、車窓の片方はずっと海側、片方は山側になる。勿論、海側の眺めの方が圧倒的に良いのは明らかだ。

 昨晩寝る直前に(3時に目を覚ました時)そのことに気付いたので、今朝、モーニングコールを掛けてきた添乗員に(寝坊防止からか、毎朝、全員の部屋に掛けていた)、周る方向を聞く。バス等大型の車両は、道幅から一方通行の決まりで、北側から、という情報を入手、バスに乗る際に右側の座席を確保する。他の人には特に教えなかったが、こういうのは、卑怯ではなくて、個人の努力の範疇だと思う。

 コネマラ地方の時は、南回りと予想したら北回りで、湖がずっと反対側にあった、という失敗を犯したので、そのリベンジという意味合いもなくはない。

 もっとも昨日のような雨では、景色どころではなくなるが、幸い、今朝は少なくとも雨は降っていない。雲は厚いが、見えないよりはましと。今日も「景色が全て」の日だから、少しでも天気が良くなることを切に祈る。

 この辺は、ゴルフ場が多いことで有名らしい。ケリー州というのが、アイルランドの中でも南西にある、気候が最も温暖な地域で、観光地として名が高いことが大きいのかも。アメリカ人はここにゴルフバッグを持ってやってくるという話。今日バスに同乗する現地ガイドのおじさんも、ガイドとキャディーを半々で仕事しているそうだ。

 そういえば、ゴルフ場というのは、なるほどこちらの土地の姿そのままなのだということを、この旅の中で納得した。(正確には、隣の英国で)牧草地にしかならないこういう痩せた土地の別な使い方を、ある日、発見した人がいたわけだ。だから、ゴルフとは元々そういう土地で行われるべきスポーツであって、日本の山を造成して作っているゴルフ場は、醜悪な自然破壊以外の何者でもなく、そこでプレイに興じる人達も同じくらい醜悪だと改めて思う。 私に言わせれば、日本でゴルフをやろうとすること自体が、間違っている。

 向かっていく空に、大きな虹が出る。何となく、晴れる予感。ちなみに、虹を見ると反射的に、「Over the Rainbow」を頭の中で歌ってしまうのは、私だけ? いや、最初のところしか歌詞知らないんですけど。

 キローガンという小さな町を横切る。ここの祭りは、山羊に王冠を被せ「King Puck」と呼んで祝うのだという。確かに窓の外を見ると、川に掛かる橋の横に、王冠を被った山羊のブロンズ像が。「蝿の王」をふと思い出す。…それは山羊じゃなくて豚だろ。しかも死んだ豚。しかし、こんな「異教の祭り」が、現役のカトリック国であるアイルランドに今も存在していると知って、ちょっとびっくり。

 ところで、Puckって、プークと読んでいたけど、もしかしたら、あのパック? 「真夏の夜の夢」の。イメージ、全然違うんですけど。でも、元々は全然違う、悪魔みたいな存在の妖精を、シェークスピアがcuteな妖精のイメージに新たに造り直した、といったようなことをどこかで読んだことがあるような。すると、パックも本来は、怖ろしい山羊の王だったのか。

 ちなみに、その祭りは、何と明日かららしい。惜しい。とは言え、その日に通っても、町は通過する以外ないので、混んでいて却って困るだけだと思うけど。祭りに合わせて、移動遊園地が、町の広場に造営中。少しだけブラッドベリとかを連想する。

 最初の停車地は、ボグビレッジ。農民の家とかを移築保存してあるところで、昔の暮らし振りを見ることが出来る。当時の家に入ってみると、余りにも何もなくて暗いのに驚く。寒いので、隣接した喫茶コーナーで、アイリッシュコーヒーを飲む。駐車場には、「Believe」と書かれたギネスのポスターが掲げてある。ギネスを信じよ、ということ? 居酒屋で「自分を信じて!」と叫ぶゆかり先生の姿を思い浮かべてしまう。「信じるなよ」と突っ込みたくなる私。

 Ring of Kerryを進む。見晴らし良好。道の右側にはディングル湾が広がり、その更に向こうにはディングル半島が見える。空も段々晴れてきた気がする。わんだほー。

 ケルズというところで停車。シープドッグショーをオプションで(実費を払って)見る。ここの犬は、牧羊犬のコンテストで優勝したこともあるとか。3匹の犬のうち、2匹を使って、 羊の群れを移動させる他に、群れから2頭ずつ離れさせるとか、逆に2頭ずつ合流させるとかいった、高度な指示をこなす様を見せる。それぞれの犬毎に右左進め止まれの4種類の合図が身振り、口笛共にあって、3頭それぞれ違った動きをさせることも出来るとか。凄い世界である。

 2匹が仕事をしている時、小屋で待たされている若い犬が「僕にも!僕にも走らせて!」といわんばかりに飼い主に必死に全身で訴える様が見ていておかしくてしょうがなかった。ようやく仕事を貰うと、もの凄い勢いでダッシュ。そんなにも羊を追うのが好きなのか。

 それにしても、こちらの犬は、街中にいる犬も含めて皆、人懐こく、しかも賢い。人を見掛ければギャンギャン吠えるしか能がない、家の近くのバカ犬達と同じ種族とはとても思えない。

 空はすっかり晴れ渡り、バスの旅行は、まさに行楽気分。車窓の風景が余りにも綺麗なので、走るバスの中から写真を撮る試みをしたりする。

 バスは途中、ダグラス・オコンネルの生家の前を通る。生家といっても、完全な廃墟である。日本だったら、吉田松陰の何とかとか、絶対復元して、博物館とかが建っていると思うのだが。 もっとも、隣町の教会に資料館のようなものは有るらしい。

 周遊路のちょうど半分に当たるところにあるウォータービルという町で下車。チャップリンが気に入って、ここに別荘を建て晩年を過ごした保養地として有名なところだという。海岸にチャップリンの銅像が建っている。ちなみに、遺族は今も、その別荘を毎年利用しているとか。南部の家々のカラフルな外見も相まって、リゾート地という印象を強く受ける。海も、透き通るように美しい。

 昼はウォータービル近くのB&Bで。魚のパテをカリカリのトーストに塗ったもの、プラム入りのソースを掛けたポークスタッフ、ブレッド&バタープディング。こちらではビールを頼まない時は、水道水をそのまま持ってきて貰って飲んでいたのだが、ここでは色が付いているのでどうかと店の人が聞きに来る。この土地では、泥炭層で濾過?される時に、水は、お茶のようにカテキンが溶け込んで色が付くのだとか。味は変わらないし、地元の人は普通に飲むというので、持ってきて貰う。本当に黄色いので驚くが、味は無味無臭だった。

 ところで、こんなにも牛がいる国なのに、今回、食事に牛が出ることが滅多にないのは、旅行会社から指示しているわけでは別にないですよ、と添乗員。BSE騒ぎの時に、牛をキャンセルした会社が多かったので、日本人なら最初から牛を出さないということになっているのかも、あるいはたまたま魚の日に当たっている可能性もある、とか。

  西洋では、魚とは断食日に食べるもの。という固定観念が根強いらしい。日本人からすれば、魚だって肉だと思うのだが、魚は断じて肉ではない、というのが、こちらの人の考え方(だから、断食日にも食べられる)。日本でいうところの「精進料理」のイメージ。なるほど。そんなわけで、嫌いではなくても、そうしょっちゅう食べることもないだろう、というのが、今も、普通の人の気持ちらしい。一方、修道僧はよく食べていたわけで、そういえば、コングにも釣り場があったし、クロンマクノイズも川のほとりにあった、と納得する。

 騒がしい爺さん、でない方の老人は、胃が悪くて肉を食べられないとかいう話で、昼食時には一緒に食べることなく外を歩いていることが多かったのだが(ツアーにはそういう人もいるのだ)、今日の昼食後は、集合時間になっても一向に現れない。

 バスを出発させ、周辺を少し探索した結果、別な場所で見付かる。どうやら、集合場所を勘違いしていたらしいのだが、そういう時に、過失のあるなしに関わらず、一言「ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」くらい、何故すっと言えないのか、不思議である。この人も何十回と海外旅行を行っているそうなのだが、この世代の社会的常識は一体、どうなっているのやら。団体客には社会的常識が欠如していることが多い、という逆説?

 午後は、周遊路を南側へ。海の奥に小さく2つの島が見える。大きい方が、スケリグマイケル島だという。ニューグレンジ、それから北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイと並ぶ、アイルランドの世界遺産。カマクラみたいな、小さな石積みの小屋を建てて、修道士達が修行をした、まさに「異界」たる島なのだが、読んだ本の中に、アイルランド側からよく見えるという地理条件に注目して、世間から見られていることを意識した「異界」だったという趣旨のことを述べていたものがあったことを思い出す。なるほど、確かに「手の届かない」異界ではなくて、「今、そこにある」異界である。

 「世界の果て」を見に行くという、今回の旅の目的の中では、この島を無視出来ない気がしていたので、こうして実際に見ることが出来たのは嬉しかった。

 周遊路は途中からは、山道を上がっていく。ちなみに、そこからは左側の方が眺めは良い。世の中、全て上手くいくことはないものなのです… でも、それまで海側の景色が堪能出来たので、右側で間違ってはいなかったと思う。

 途中、「Lady's view」即ち「貴婦人の眺め」と呼ばれる、180度の大パノラマが満喫出来る見晴らしポイントで停車。昔、この南のケンメアという町まで船で来たヴィクトリア女王が、11キロの山道を馬車で越え、キラーニーのマクロス邸まで旅をしたということがあるのだが、この場所で一行が、この素晴らしい景色を堪能した際に、何でも、お付きの侍従長だか何だかが「陛下のお持ちの領地の中で、最も美しいところでございます!」とか感極まって叫んだことから、そう呼ばれるようになったとかいう話らしい。

 それだけ聞くと、まるで某国の真田さんみたいだが、当時の大英帝国には多分、猫耳の侍従長はいなかったのではないかと思う。今もいないかもしれない。

 この「貴婦人の眺め」がある峠は、「LEPRECHAUN CROSSING」の標識があることでも有名。レプラホーンは、アイルランドを代表する?小人の妖精で、捕まえるとお金持ちになれるという言い伝えがあるのだが、この標識の意味が、「(妖精が通るから)気を付けて引かないようにしろ」という意味なのか、あるいは「気を付けて引いて(倒れたところを)捕まえてしまえ」という意味なのか、その辺は定かではない。

 それにしても、この周遊路、海に山に草原に岩に林に川に湖。自然の風景の全てが有る、といっても良いくらい変化に富んだコースだった。ケリーには世界の全てが含まれている、とか誰かが言っていなかったっけ? 言っていなければ、今の台詞は私の発案ということで。

 バスは、キラーニーのマクロス邸に到着。先程のヴィクトリア女王が滞在した、ヴィクトリア朝様式の洋館である。何でも、持ち主はその滞在(僅か2日間だった)のために、訪問の計画が決まった6年前から、建物の改装等に莫大な費用を掛けて準備して、それで没落したとのこと。しかも、女王は、そうやって用意した部屋が大して気に入らなかったらしい。哀れな。

 女王は火事恐怖症だったらしく、馬車の旅に一緒に消防車(消防馬車?)を連れてくる程で、この邸でも、せっかく眺めの良い2階を用意したのに、火事になったら逃げられないと1階の部屋を要求し、しかも、外に非常階段を取り付けさせたという(今もその階段が残っている)。火事に対するトラウマでもあったのだろうか。

 そんなマクロス邸(ガイドブック等ではマックロス・ハウスと書かれているのが多い)は、ギネス家とか人手を経た後、国立公園になって、今はこうして公開されている。

 マクロスといっても、Muckrossと書くので、今あなたの声が聞こえる、あのマクロスとは字が違う。…そういえば、マクロスって、どこから来た名前なんでしたっけ。単なる語呂?

 マクロス邸見学が済むと、ホテルに一旦戻り、ホテルから、ロス城という郊外のお城まで、馬車に乗っていくことに。皆は後ろの座席の方に乗ったのだが、私はたまたま、御者のおじさんの隣に、前を向いて座った。黙って座っているのも、気詰まりなので、引いている馬の歳などを聞いてみる。「パティは、12歳だよ」と答えが返ってきた後で、団体客から話し掛けられるとは予想外だったという表情で、「おまえ、英語話せるんか?」と聞かれる。「いや、話せないんですけどね」と思わず答えてしまう私。

 しかし、おじさんとしては話し足りないらしく、ワールドカップのアイルランドチームはどうだったかというようなことを聞いてきた。「ああ、とてもエキサイティングなゲームでしたね」とは答えたものの、後で思えば、素っ気なさ過ぎたかも。「私もアイルランドを応援していたんですよ、残念だったけど、すごく感動させてくれたチームでした」くらいのことが何故言えなかったのだろうか。個人で旅行していたら、片言でも、もっと努力してコミュニケーションを図ろうとした筈で、ツアーということで遠慮してしまい過ぎたかも、と反省。

 パッカパッカとのんびり進んだ馬車は、ロス城に15分ほどで着く。夕方の湖を背景に逆光気味で佇む城の姿は、あたかも押井守の「Avaron」に出てくる廃墟のよう。ここは、クロムウェルが遠征の最後に攻略した城で、ここが陥ちたことでイングランドのアイルランド支配が決定した場所なのだが、そういう知識があるからか、どこかもの悲しく見えた。

 夕食は街に戻って。サラダ。鱒。鱒は、これまた今までの鱒のイメージを覆す巨大さ。海鱒なのだそうだ。それとケーキ。

 食後、今日も音楽が聴けるところが良いなと、適当なパブを探して歩くが、今日は、なかなか見付からない。一軒、おじさんがアコーディオンを弾いているところがあったが、余りに混んでいて 中に入れない。窓の外から見ていたら、曲もさることながら、語りの方がかなり達者(推測)で、聴衆を笑わせていた。地元の歌を歌っては、聴衆も皆合唱したりと、大変盛り上がっていたのだけど、諦めて他のところを探す。

 次に入ったのは、アイリッシュというより、ロカビリーとかそういった類の音楽をギターで演奏しているパブ。奏者の手前のテーブルに陣取っている家族の旦那が誕生日だったらしく、家族が奏者に「ハッピー・バースデー」を弾いて貰う。勿論、場内の皆で合唱する。終わると、家族が(お祝いの通例なのか)サンドイッチを皆に配って歩く。こういうのも、アイルランドらしい光景かも。ちなみに既に11時 は軽く過ぎているのだが、小さい子供とかも普通に混じっているのは、国それぞれの文化を感じさせる。

 最後、帰り掛けに音楽が聞こえてくるパブに寄ったら、カルテットで演奏していた。フィドル。アコーディオン。バウロン。ギター。…あれ、アコーディオンの兄ちゃん、昨日別のところで演奏していた人と同じだ。

 曲は、変奏を繰り返しながら、いつまでもどこまでも続く。ケルトの渦巻き模様を思い出す。果てしのない循環。ずっと聴いていたい気がしたが、12時過ぎには退散。昨日以上に、外の空気は寒い。

 ホテルで、TVを付けると、アイルランド特有のスポーツである、ゲーリックフットボールのハイライトシーンを放送している。フットボールと言うよりは格闘技のような感じ。野蛮というかワイルドというか。

 洗濯物を仕舞おうとして、全然乾いていないのに気付く。気温が低いため、一日部屋で干しても乾かなかったらしい。もう、すぐにでも寝る気になっていたので、少なからぬショックを受ける私。泣きながら(嘘)、ドライヤーをあてて乾かす。


← yesterday / next day →