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 バレン、モハー、アデア、キラーニー

 天気予報通り、雨。それも一昨日のような弱い雨ではなく、容赦のない強い雨。

 その雨の中、今日はゴールウェイから西の海岸線側を南下して、ケリー州のキラーニーまで行くことになる。

 最初の目的地は、バレン。日本では通常、バレン高原と言われている。バレンとは地域名であって、高原という表現は正しくない、と主張されているサイトもあるのだが、通った道路については、かなり上っていくことは確か。上るに連れ、風景は黒い岩ばかりになっていく。黒いと言っても、玄武岩とかではなくて、石灰岩。バレンという地名自体、石の多いところ、という意味らしい。

 この道路の近辺には、様々な遺跡があるのだが、何と言っても有名なのは、「巨人のテーブル」と呼ばれている、明日香の石舞台みたいな石組み。バスから降りると、 周囲は全て、石灰岩で出来た、荒涼とした岩の大地。道路から少し離れたところに、そのテーブルが見える。写真を撮るのに相応しい、不思議な光景。そこまで行くのも楽しいだろう。…普段の日なら。

 実際には、強い雨の中、濡れて滑りそうになる岩の上を、足下に気を付けて歩くのが精一杯の私達。あそこに見えているテーブルまでがどうしてこうも遠いのか、という気持ちが全て。着くと、必死に写真を撮るだけで、添乗員の案内を聞く余裕もない。雨が冷たい。カメラを持つ手がかじかむ… 今は本当に8月ですか。

 バスに戻っても、手の感覚が、暫く鈍いまま。それでも、バスに乗っている間は、雨に濡れないだけましといえばまし。

 ようやく服が乾き始めた頃、次の目的地、モハーの断崖の駐車場に着く。雨は一層強くなっていた。冷たい霧雨が降りしきる中、周囲は、まさに五里霧中。展望台の方へ向かう。ここから先、左手は海という場所に着くが、海ってどこ?な状態。展望台に辿り着く。添乗員が、ここから左手に、高さ200メートルもあるモハーの断崖が 8キロ続いている姿が見渡せます。晴れた日には、と言う。ああ、晴れた日にはね… 断崖とか永遠とかが見えるんだろう、きっと。今は、辺り一面の白い視界が広がっているけど。

 何も見えない景色の中で、諦め悪く立ちつくしていると、風が吹いてきたのか、霧が僅かに晴れてくる。次第に、前方に、うっすらとシルエットが。あ、あの黒っぽい気配が、崖? 本来の眺めが「モハーの断崖」だとすると、今目の前に見えているのは「…ハー?」という感じ。まぁ、これでも何も見えないよりは良かったような… ほとんど、想像図の世界だけど。などと思っている内に、また霧が濃くなって、シルエットも消えていった。

 駐車場に戻ってくるまでの20分くらいの間に、四方から降る強い霧雨のため、レインウェアを着ている上半身は良いとして、下半身はずぶ濡れに。こんなこともあろうかと思って、旅行前に防水スプレーを1缶吹き付けておいたのだけど、途中からは全然役に立たなくなってしまった。せめて、もう1缶使っておけば!(そういう問題か?)。

 雨の影響としては、体が濡れた(濡れた服が体に張り付いて気持ち悪い…)以外にも、T3の外側のシャッターが閉まらなくなっていた… 濡れて重くなってしまったのだろうか。写真自体は撮れるとはいえ、 困った。

 昼は、昔の家風のパブ兼レストランで。スープ。鳥肉のソテー。鶏肉は、付け合わせのマッシュポテトの山の上に、巨人のテーブルのような格好で置いてある。それと、マーフィーズという、ギネスとはまた別の黒ビール。この寒い状況下で、ビールでもあるまいとは思ったのだが、どんな味なのか確かめてみたかったので。ギネスの甘みを取り去ったような、さっぱりとしたビール。日本の夏にはむしろ、こちらの方が向いているかも。デザートは、冷たいプディング。食後の紅茶まで終わると、冷え切った体がようやく温かくなってきた。

 午後は、アデアという村に寄る。通りに藁葺き屋根の民家が並ぶ、いかにも観光写真に使われるような町並み。アイルランドで一番かわいい村として有名で、その根拠は、1976年に「かわいい村コンテスト」で優勝した村だからというのだが、そのコンテストは1回しか開かれなかったのか、大体、どこが何のために行ったコンテストだったのか、そちらの方が気になる。

 雨は既に止んでいたので(モハーでのあの苦労は一体…)、ともあれ写真を撮り歩くが、その内に本当に突然、また雨が降ってきて、またしても濡れる。アイルランドは、雨が降ることについては全く油断出来ないことを学ぶ。

 バスは、ケリー州に入る。今までとはどこか景色が違う。見晴らしの広さだろうか。奥に山が見えて、高低差があるところ?

 キラーニーに着く頃には、空から光が差し込むようになった。やっぱり、旅行者にとっては、晴れているに越したことはない。街の一角には、紫陽花が敷地一杯に咲いていた。そういえば、こちらの家々は、どこも庭の花をよく手入れしていて、紫陽花の花もあちこちで見掛けたのだが( 酸性の土地が多いからか、青い花が多かった)、今、紫陽花というと、季節感がどうも掴めない。こちらでは夏の花、というようなものはないのだろうか。向日葵は咲かないだろうし。

 ホテルに着く。ランドルズコートという名で、今までの近代的なホテルとは違い、19世紀の地主の家を改装したような、アットホームな作り。暖炉のある応接間とか。夕食までの時間に、洗濯を済ませる。これで、この旅行ではもう洗濯する必要がないと思うと、ほっとする。しかし、それは、この旅も終わり近いということでもある。もう、そんな時期なのか。カメラについては、湿気が抜けたのか、シャッターの開閉は、幸い元に戻っていた。やれやれ。

 夕食はホテルで。メロン、コンビーフ。ピーチメルバのアイス。コンビーフも、ベーコン同様、巨大なもの。塩漬け肉というだけあって、ひどく塩辛い。美味しいけど。塩分控えめ、とかいう発想は全くないらしい。その代わり、こっちでは野菜の味付けが淡泊、というか茹でただけで全然味付けしていない。多分、肉の塩味で食べるということかと。だから、こちらには(野菜の)漬け物、に当たるものは全くないわけで。所変われば、という感じだ。

 今度のホテルは、街中まで7,8分の場所にある。夕食後、パブというところに一度行ってみましょう、ということで、街中のとあるホテルに隣接したパブへ。えらく、まったりとした雰囲気。ソファーに腰掛け、アイリッシュコーヒーを頼む。来たものを見ると、グラスに入っていて、見た目はギネスによく似ている。普通のコーヒーカップを予想していたので、ちょっと驚く。飲んでみる。苦甘っ。中身は、コーヒー+砂糖+アイリッシュウィスキー。それにクリームが掛かっている。コーヒーとしてはかなり甘い。飲んでいると暖まってくるから、寒い時には良いかも。

 しかし、せっかく街に出たからには、音楽が聴けるようなパブに行きたいわけで、こんなところで、いつまでもまったり佇んでいても仕方ない。と、飲み終えると、ツアーの人達とは別れ、街を散策。

 この街は、パブが軒を連ね、「この世の天国」と呼ばれる。とガイドブックにも書いてあるのだが、なるほど、パブ比率が異様に高い。パブ、パブ、土産物屋、レストラン、パブ、普通の店、パブ、土産物屋、パブ、パブ…といった感じ。その気になれば、何十軒でもハシゴ出来そう。日本で 言うところの、何とか横町という奴ですか。酒飲みには確かに、この世の天国かも。

 そんな中、音楽をやっていそうなところを探していたら、「TRAD SESSION UPSTAIRS FROM 9.00」とチョークで書いた黒板を外に出してあるパブが見付かる。時計を見ると、9時15分。もう始まっていてもおかしくないと、入ってみる。

 看板に書かれた通り、そのまま2階へ上るが、えらく閑散としている。音楽が聞こえるどころか楽器を持った人もいない。あれえ? 騙された?と疑うが、歩き疲れたので、とりあえずギネスを飲んで待っていると、45分くらいに、楽器を持った3人が入ってきて、窓側の席に座る。楽器は、バンジョー、ギター、アコーディオン。いよいよ始まるかと期待したが、適当に短く1曲弾く度に、それ以上の時間をギネスを飲んだりして休憩する彼ら。やる気ないんか? しかし、そろそろ帰ろうかと思い始めた10時半位から、本当の演奏が始まった。さすがに、上手い。店はいつの間にかぎっしり混んでいて、しかも、どんどん新しい人が階段から上ってくる (同じくらい出て行くが)。

 ギターに合わせて踊る人もいたりと、3人の周りの十数人は熱心に聴いているのだが、驚いたのは、それ以外の、店の奥の方にいる大半の人達は自分たちの会話に夢中で、音楽なんて誰も聞いちゃいやしない、ということ。BGM程度にしか思っていないらしい。こっちの人にとって、音楽があることなんて当たり前、なのかも…

 結局、11時過ぎまで聴いて、パブを後にする。残念だけど、明日もあるし。広場の方からは、誰かの歌う声がマイクで響いてくる。この街は、まだまだ眠りそうもない。ホテルまでの道のりがえらく寒かったこともあり、部屋で風呂に入って暖まると、すぐ意識を失ってしまう。3時半に目を覚ますが、その時間に起きても、何が出来るわけでもないので、そのまま、再び寝ることにする。


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