アラン諸島(イニシュモア島)、ゴールウェイ
朝食、このホテルでは、ホットミールは皿ごと来る(多分、別注文している)のだが、量が少なめなのが、個人的には却って有り難い。3食のどこかで調整しないといけないので。8時台のTVでは「遊戯王」をやっていた。
今日はアラン諸島(イニシュモア島)まで往復の日。本土?以上に天気が変わりやすいため、傘は必須との話。「眺めが全て」な場所だけに、今日だけは、出来るだけ良い天気であって欲しい と思う。少なくとも雨ではないことを祈る。朝の天気はどんより重苦しく曇っている。が、昨日とは違い、雨は降っていないのが、救い。
まずはフェリーの発着場所まで1時間弱、バスに乗る。途中、添乗員が言うには、道路上に赤狐の礫死体があったとのこと。となると、昨日のはやはり、狐だったらしい。
車窓は極めてコナハト、西部的な光景。左手に広がる海の水平線上にアラン諸島の3つの島々が小さく見えてくる。空は少し明るくなってきた気がする。今日は、天気、大丈夫かも。
港に到着。風が強い。長袖のシャツに、薄手のレインウェアという格好だが、さ、寒い。さして大きくないフェリーに乗り込む。船室に入っては面白くないので、甲板上に残る私。同じく甲板に残っている人の中で、アニメ絵のTシャツを来ている外国人の(アイルランド人らしくないという意味で)若い女性がいた。明らかに日本のアニメっぽい、前髪を短く切りつめた、黒髪の女の子のキャラクターなんだけど、…誰?
船は最初、全然揺れなかったが、沖に出てくると東京湾フェリーよりはさすがに揺れる(荒れている時は、かなり揺れるらしい)。波がしぶきを上げるので、唇をなめてみると、塩辛くなっていた。45分後に、顔をすっかり塩味にして、イニシュモア島にたどり着く。いつしか、空はカラッと晴れている。
イニシュモア島の眺めはというと、「未来少年コナン」の「残され島」を思い浮かべて貰えば大体間違いない。というか、あれは絶対、この島をモデルに設定していると思うのだが、単なる推測なので、実際は分からない。勿論、イニシュモア島の方が面積は遙かに広いし(東西に細長い島なのだ)、宇宙船が地面に突き刺さっていたり、槍を持った男の子が裸足で走り回っていたりはしない。
波止場の狭い道を、追い越していく(ポニーが引く)馬車を避けながら進み、ミニバスに乗り込む。島の西側にあるドゥーンエンガスまでの道は、アラン諸島の風景を特徴付ける石積みの塀で両側が仕切られていて、かなり狭いのだが、そこをミニバスと馬車と自転車と歩行者が競合して進むので、結構、危なっかしい。同じく石塀が区切っている左右の風景を眺めている内に10分弱で、ビジターセンターへ。ここからは歩いて上ることになる。
空はすっかり晴れ渡り、非常に気持ち良い。景色の色は、基本的には空の青に、石の灰色、それに草の緑だが、草原には、何種類もの小さな花々が咲き誇っており、緑の地に赤や黄色の模様が混じっている。
15分ほどテクテク歩くと、目の前の丘のように見えたドゥーンエンガスの上まで到着。ここは、海面から90mの高さがある断崖絶壁の上の平たい場所で、そこに崖側を円の中心とした半円形の石塀が何重にも取り巻いている。2000年位前の、ケルト以前の先住民族による遺跡である。
ともかく、断崖。まさに、絶壁。ガケです!ガケですよ! しかも、ここには手すりなんてものは全くないわけで。恐ろしいです。振り返って見た島の眺めが本当に水平になっているだけに、その端がスパッと切れて落ち込んでいるのが何とも強烈。
崖の縁に腰掛けて(といっても、本当の端に腰掛ける勇気などない(死んでしまうわ)ので、くぼみ一個分だけ内側に)、目の前に丸く広がる青い海を眺める。これが、世界の果てなのか… 携帯プレイヤーを取り出し、モイア・ブレナン(エンヤの姉)をBGMに掛けながら、その眺めにしばらく浸る。世界の果てについての物語を幾つも思い浮かべて、目の前の海に重ねてみる。
……この眺めは、綺麗すぎる、かも。もう少し荒涼たる風情を予想していたのだけど、こう天気が良いと、余りにも観光地的な美しさというか、神秘的なものにいささか欠けるきらいが。いや、観光地なんだけど。
せっかくなので、崖の真下も見ることにする。怖いので、腹這いの姿勢で(笑)。うわっ、海面があんな遠くに… こういうイニシエーションってよく有るよな、とか思う。あれは死んだつもりになる、ということなんだろうな… そうそう、言い忘れていたけど、私は高所恐怖症気味で、高いところは駄目なのです(なら、覗くな)
時間一杯、上でずっと海を眺めてから、元来た道を下って戻る。花々を写真に撮りながら。足下の地面にダンゴムシを見掛けて、ちょっと感動する。こんなにも景色の構成要素が違う世界で、花々も日本とは全く違うのに、ダンゴムシは同じ、ということに。大阪ならきっと、この「感動」を分かってくれると思うのだけど。
麓?まで降りてくると、アコーディオンが聞こえてくる。老人が観光客に対して弾いている。集合時間間近だったので、聴いていく暇が無かったのはやや残念。
センターからまたバス。行きとは違うコースになっているようだが(ミニバスがすれ違う広さはないので)、相変わらず、馬車をぎりぎりですり抜けるバス。爺さん は、何でこんなことを思い付かないんだとでも言う風に、「皆困って居るんだから、道を広げれば良いのに」と素朴な感想を漏らす。
あのな。 この道は、かつての島民達が1個ずつ(合計で1500キロの長さになるまで!)積み上げた歴史的遺産であって、しかも、今はこの石垣を含めた景色そのものが、この島に人を呼ぶ観光資源となっているわけでしょう。観光客の利便性のために単純に道幅を拡大すれば良いという考えは、余所者の傲慢であるばかりか、この島に何を求めて観光客が来ているのかを少しでも考えれば、それを変質させる行為が簡単に容認出来ないことぐらい、普通の人なら、口に出す前の1秒間で、誰でも思い当たるだろうに。
「はだかの王様」 の子供のようだ、と思った。「素朴な感想」は、悪気がないだけに一見、正論のように見える。しかし、当然行うべき考察や配慮を欠いた一面的な感想は、何の役にも立たないばかりか、極めて暴力的である。
私は幼い頃から、あの物語に登場する得意げな子供が好きになれなかった。後年になって、その理由も分かった。この子供(ガキ、とルビを振る)が、無知に加えて、無神経な人間だからだ。私は、ああいう子供が現実にいたら、その場でこっぴどく叩いておいた方が世の中のためだと思う。
しかし、この歳まで、世間が甘やかしてきた(中小企業の社長?少なくとも、会社勤めを送ってきた人じゃないと思う)老人に、そういう矯正の可能性はもうないだろう。自分が良いことを言っていると錯覚しているのを、今さら正してみても始まらない。
ただし、私の目の前では、口に出さないで欲しい、それだけ。こちらから近寄らないことを、改めて決意する。
ミニバスの運転手が、左手の海を指して何か言う。見ると、海岸近くの海に、何頭ものアザラシがプカプカと浮かんでいる。アザラシにとっては、過ごしやすいところなのだろうか。
海面に、海草が沢山見える。この島は元々土がほとんどなく、農民達は海草を採ってはそれを土に変え、その僅かな土が風で飛ばないよう石を積んだ(だから島中に石垣がある)という歴史があるのだが、そのためか、こちらの人には、海草を食べるという発想自体、無いらしい。勿体ない。緑色の海苔みたいなものも生えているのに。
ミニバスを途中下車して、聖キーラン修道院跡に寄る。ここも教会の壁だけが残っている。キーランの名前で呼ばれているが、その時代(6世紀)ではなくて、12世紀の教会。脇に有った日時計 (立てた石の棒に丸い穴が空いている)はもっと古いらしいが。
波止場のある村(といえるほどの集落ではないけど)に戻って、昼食。この島で一番のシーフードレストランとのことで、非常に繁盛していた。普通の観光客はフィッシュアンドチップスなどを食べていたが、私達のメニューは、カボチャスープ (という名のジャガイモスープ)にロブスター。 かなり大きなロブスターで美味しかったが、こちらの人はロブスターとか食べるのか不思議。ひょっとして、観光客専門メニュー? デザートはアップルクランブル といって、アップルパイの中身、みたいなもの。
食後、周りに数軒だけある土産物屋を見物。アラン諸島のお土産といえば、勿論、アランセーターに尽きる。もっとも、私は今回、セーターを買うつもりはなかった。あんな分厚くてごわごわしたセーター、近年とみに温暖化が進む日本の関東地方で、着る機会なんてないだろうと。
しかし、セーターの山を見回っている内に、一万円くらい出して記念になるのなら、買って帰っても良い気がしてきた。買わぬ後悔、買って後悔。 同じ後悔するならと呟き、自分用に一着買って帰ることにした。
買う以上は真剣に選ぶ。機械編みではなく、手編み(値段が倍以上違うのだが)。そして、実際に着たくなるものでないと意味がないので、肌触りが優しいメリノウールのものに。本来のアランセーターは、海の男達が着る、もっとごわごわした毛で出来た丈夫なセーターなのだけど。そういえば、あの模様も、元々は一人一人違っていて、遭難して打ち上げられた土左衛門が誰か識別するため、という意味が有ったとか、そういう話 (もっとも、よく出来た作り話だと後日、聞く)。色は、様々な色があったのだけど、伝統的なグレーがかった白。形は、前のボタンで閉じるカーディガンタイプのもの。それなりに納得出来るものが選べたので、満足。
旅をした人が、土産物を買わないといけない気がするのは、人類の獲得欲という本能に根ざしているのかも知れないな。 とセーターを入れた紙袋を提げて歩きながら、ふと思い、続いて、個人的なことを、「日本人」とか「人類」とかいった抽象的なところまですぐ話を広げてしまうのは、私の悪い癖だ。と更に思った。
来た時と同じように、フェリー、バスという経路で、 ゴールウェイに戻る。街中を少し観光する。1966年に建造された大聖堂に入り、橋を越えて、旧市街へ。川では、サーモン釣りをしている人がいた。 この街を説明する中で、この街の歴史で、一番有名な一族は、リンチ家であるという話が出る。デビッド・リンチも、ひょっとしてアイリッシュ系の家系なんだろうか。
暴行を加えるという意味のリンチは、アメリカ南部の悪名高い、リンチという名の治安判事に由来するという話を前に聞いたことがあるが、この街の名家リンチ家でも、自分の息子を殺人罪で絞首刑にして法の正義を守った知事がいるそうなので、その判事も、この一族の末裔だったりするのかも。今、ガイドブックを見たら、リンチという言葉は、先の知事の行為から生まれたと紹介している。一体、どっちなんだ。
市街は賑やかで、こういうところのパブに是非行きたいと思っているのだが、今のところ、ホテルが街の中心部と離れているところばかりで、行 く機会がない。ゴールウェイのホテルも、街から外れていて、とても街中まで歩いてはいけないのだ。 このままホテルに泊まるばかりで、アイルランドを離れてしまうことになったら、何しに行ってきた、と言われても仕方ないような。残りのところでは、もっと近くに泊まれるのだろうか。
そのホテルにバスで戻って。夕食まで、少し休憩。TVを付けていると、アイルランドの放送局が、天気予報をやっていた。 面白かったのは、各地方毎に、何人か人の名前も掲示されること。○○さん、32歳(ダブリン)、みたいな感じで。アナウンサーは天気と一緒に、その名前を読み上げ、congratulation!みたいなことを言っている。どうやら、誕生日を祝っているらしい。多分、知り合いの人が依頼するんだろうけど、日本でもラジオ番組とかでは聞いたことがあるけど、TVで、しかも天気予報と一緒にやるというのは、さすがに見たことがない。こういうのは、アイルランドならでは、という気がして、ちょっと素敵かも。人と人との距離感が近い、という感じで。明日の天気は悪い様子。
夕食は、七面鳥のテリーヌ(マンゴーソース)、ビーフストロガノフ、それに3色アイスクリーム。 量的には、最後のアイスクリームが罠だった(美味しかったのだが、泣く泣く半分にした)他は、ちょうど良い感じ。
同席したご夫婦の2人と色々会話する。旦那の方は、歳を感じさせない若々しい人なのだが、それもその筈、スポーツ好きとのことで、私が天気予報をぼーっと見ていただけの先程の時間も、ホテルのプールで泳いできたとか。旅行中も、毎日、早朝に起きて、1時間外を歩いているとのこと。 確かに、そうすれば運動不足はなくなる気が。しかし、歩くために早朝に起きるなんて、私にはどう考えても無理。
部屋で、また意識を失う(またか)。起きると、12時半。今度はSky Newsを付けてみる。相変わらず、失踪した少女の捜索のニュースばかり。天気予報 を見る。こちらはイギリスとセットで説明。というか地図のアイルランドがお姉さんの後ろに隠れて、見えないんですけど…
雨のマークにも2つあって、弱い雨は「白い雲で雨」、強い雨は「黒い雲で雨」らしい。雨が多い国ならではと感心する。ちなみに、明日のアイルランド西部は、黒い雲 。…………。