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 グレンダーロッホ、ダブリン市内観光。

 ホテルの朝食は、アイリッシュ・フルブレックファースト。トーストに、ソーセージとベーコンと卵と言うのがイングリッシュ・ブレックファーストだと思うが、それにブラックプディングとホワイトプディングとホットトマト とマッシュルームのソテーが加わった(更にそれらホットミールの前に、ホテルの朝食の場合、ジュースやヨーグルト、フルーツ、チーズ、ソーダブレッド、菓子パン、スコーン等も好みで取る)、いわば、最強の朝食。ただし、朝からそんなに詰め込んでいるようではカロリーオーバー間違いなし、という諸刃の剣でもある。

 ちなみに、ブラックプディングとはオートミールに豚の血を練り込んだ、堅めのソーセージのようなもの。丸いのが輪切りにした形で出てくる。ホワイトプディングも似たようなものだが、こちらには血は使 わず、ポークミートに穀物を混ぜて作る。意味合いとしては、旅館の朝食での、蒲鉾3切れみたいな感じ? 個人的には気に入って、毎日食べていた。

 食べながら窓の外に目をやると、美しい花壇の向こう、屋外プールで泳いでいる人が居たので驚く。寒くないんだろうか。

 このホテルのエレベーターは、非常にゆっくりとしかドアが閉まらない上に、閉ボタンが付いていない。そういう国民性なのだろうか。エレベーターですぐにドアが閉まらないと思わずボタンを(高橋名人のように)連打してしまう癖のある私にとっては、結構、カルチャーショック。

 霧の中、グレンダーロッホへ。ここは、山間の谷に作られた修道院、中でも美しい円塔で有名な場所。なお、アイルランドにおける観光地とは、景勝地を除くと、ほぼ全て遺跡か廃墟と言って良い。修道院といえば、だから、全て廃墟。一千年近く前の石の壁だけが残っている、ということになる。

 円塔とは、ずんどうの円筒にアポロチョコみたいな屋根が載っている建造物。太い鉛筆みたいな形だ。目的は色々有ったらしいが、ヴァイキング襲来の際の緊急避難場所というのが中でも有力。ヴァイキングの襲撃は一撃離脱型というか、略奪してはすぐに帰ってしまうものだったため、その間避難していれば割と何とかなったらしいのだ。 とはいえ、このグレンダーロッホの修道院が衰退したのはヴァイキングとは直接関係ない。

 小川のせせらぎ、緑に包まれた谷、ひんやりとした空気。今が8月とは思えないこの涼しさに、しみじみ幸せに浸る。中年の男性は、ニコンF何十かの巨大なカメラを肩から提げて歩いている。 昨日の推理は、ほぼ当たりだったようだ。カラス?がキョンキョンキョンキョンとけたたましく鳴いている。昨日の爺さんは、何かとしゃべりまくりである。取り立てて否定的な発言でないだけ、去年の爺さんよりはマシかもしれないが、歳を経た知性とか洞察力とかを少しも感じさせない「素朴な感想」を頭からぼろぼろと零すのは止めて頂きたい、と切に思う。私は、あなたの「どうでも良い感想」に相槌を打つために、ここに立っているわけではないのですよ! とはいえ、ええい、もう喋るな、とも言えない。聞かされ続けていると精神衛生上よろしくないので、出来るだけ近付かないことに決める。

 ダブリンに戻り、ダブリン城の前の店で昼食。サラダと、鶏肉のソテーにホワイトクリームを掛けたもの、付け合わせにジャガイモとインゲン豆。鶏肉はどかんと一羽。うわっ、というボリューム。デザートはミニシュークリームの山にカラメルソースが掛かったもの。食後は紅茶かコーヒー。そう、今回のツアーの食事では、毎回必ず、食後のお茶が付いてきた。その全てに紅茶を頼んだのは言うまでもない。文字通りブラックティーと言えるくらい濃い(黒いくらいの)紅茶(ホテルの場合、それほど濃くはなかったが)にたっぷりとミルクを注ぎ入れて飲む幸せ。紅茶好きとしては、この点に関しては、アイルランドは天国のような国である。

 食事時の話題として、ニコンを提げていたM氏は、2週間前、締め切り直前に(コネで?)潜り込んだと言う。どこでも良いので、休暇が決まったこの10日間に填るツアーに入れて貰ったらしい。他のおばさんからも日程が合うところで適当に選んだという話が多く出る。南アフリカに行くつもりだったのだけど、アイルランドにしたとか。…それって共通点、英語圏というだけじゃん。そんなものなのか… 少なからぬ思い入れがあって来た私からすればややショック。こういうツアーに参加する人達の大半は、いわゆる「リピーター」らしい。大抵の国には行ってしまって(!)他に行くところも特に思い付かない、といったような人達。あなたの知らない世界、というか、そういう人達は世間の人が思っている以上に、(一つの市場となる程)沢山居るわけだ。世界中、それこそ「秘境」と呼ばれるような土地になればなるほど、現地の人が出会う日本人はそういう「おばさん」ばかりになっていくということ か。現代の世界の人達が思い浮かべる「日本人」のイメージとは、もはやジャパニーズサラリーマンではなくて、彼女たち「おばさん」なのかもしれない。

 午後は最初に、国立博物館へ。ケルトの技術の粋を凝らしたタラブローチが何と言っても有名だが、あれが突然、単独に生み出されたわけではなくて、それほど華麗ではないにしろ、様々なものの中に文化的頂点として生まれるべくして生まれたことがよく分かる。こういうところは、それこそ一日中いたって見飽きないのだが、時間がないのはツアーのやむを得ないところ。

 引き続いて、トリニティカレッジへ。目的は勿論、図書館が所蔵している「ケルズの書」である。燦々と日差しが照りつけている(午後中、良い天気だった)中庭の芝生を横切って、図書館へ。建物の横に「Please Q here!」という看板が立ててある。Queue here(ここに並べ!)という意味らしい。こ こで気付いたのだが、英語圏の国を旅するのは、私はそういえば初めてだった。アイルランドにはQから始まる言葉は無い、と先月読んだテリー・イーグルトンの本にあったことをふと思い出す。ともあれ、混んでいる時は、この看板の前から伸びる長蛇の列の最後尾でずっと待たないといけないらしいが、幸い、私たちの前に待つ者は一人もなく、そのまま入場。

 そんなわけで、「ダロウの書」も「ケルズの書」も私たちだけで、間近に覗き込んで眺めることが出来たのは嬉しかった。「ケルズの書」で今日開かれていた頁は、マタイ福音書の一節(124r)。その装飾は、まるで魚の内臓が透けて見えるような妖しい美しさ。艶めかしい、というのが相応しい。実物を見ると、装飾が結構厚みを持って描かれているのが分かる。もっといつまでも眺めていたかったのだが、ガイドを含め他の人は皆2階へ上っていくので、諦めて私も離れる。

 2階のlong room。長い部屋の両側にずっと、天井まで届く書架が並んでいる、本好きにはうっとりとするような場所かも。古本屋の匂いがする。卒業生の中で有名人の像が幾つか置かれていて、ジョナサン・スイフトの像も有る。劣等生だったスイフトは、恩赦 だか何だかでやっと卒業した、とかいうエピソードをガイドが紹介する。この像の前では世界各国のガイドがそれぞれの国の言葉で、スイフトは恩赦で卒業した、と説明しているのだろうか。本人が聞いたら、大きなお世話だと、さぞ気を悪くすると思う。

 ここでは下のショップで「ダロウの書」のガイドブックと、「ケルズの書」のCD−ROM(本は日本語版を既に持っているので)を購入。帰国してから、このCDを再生してみると、何と、全ページの画像が取り込んであって、画面上で仮想的にページを捲ってみることが出来る優れもの。「ケルズの書」の当時の復刻版を海外でもずっと持ち歩いていたジェイムス・ジョイスが見たら、狂喜乱舞するに違いないし、毎日通うことなく全ページを一度に読むことを夢見たというウンベルト・エーコは…当然、既に入手しているだろうな。本当に、これを「読め」たら、素晴らしいと思うのだけど、私は「美術」として「見る」ことしか出来ないので、残念。ええと、ここへ行ったら、とにかく買っておくことをお薦めします。

 隣接するメインの繁華街、グラフトン・ストリートで少しだけフリータイム。流れに沿ってふらふらと歩き、見掛けたHMVに入ってみる。DVDが発売されたばかりの「THE LORD OF THE RINGS」の音楽がじゃんじゃんと流されている。店内を見回る。あ!これが噂に聞くBBC制作のドラマ「ゴーメン・ガースト」のビデオか。ほ、欲しい… 2巻組で32ユーロとお値段も手頃だし。でも、こっちのビデオは買っても見ること出来ないしなぁ。結局、アルタンのCDを2枚買っただけ。「harvest storm」「ISLAND ANGEL」。別に日本でも買えるけど、前から買うつもりだったので。通りでは、大道芸としての演奏を熱心に見る人の数の多さに、音楽の国であることを改めて感じる。

 夕食は郊外でアイリッシュダンスのショーを見ながら食事。行った所は、Three Rock Barという名のビアホールみたいな店。サービス、サービス、というわけでもないが、四人組での演奏(必ずしもアイルランド音楽というわけではなかった)の後にダンスのショーを見せる。客はノルウェー人の団体とイタリア人の団体と日本人の団体(私たち)。予想される通り、その中でも、イタリア人が飛び抜けてノリがよかった。演奏している曲を止めるのに合わせて拍手を止めるという余興で、止め損なった罰ゲームとして舞台に呼ばれたイタリア女性が、Tシャツをプレゼントされ、セクシーに着るように言われると、曲に合わせてノリノリに踊りながら着てみせたりと。食事は、 洋ネギと青豆のスープ。サーモン、温野菜。ジャガイモ。ケーキ。それとギネスを1パイント。アイリッシュダンスは激しいが、ここのは完全に観光的でやや興ざめ。

 ホテルに戻って、TVでこちらのCM(年寄りのシンクロナイズドスイミングの映像で、飲めば若さを保つといったイメージのエビアンのCMとか、火事になった家から、消防士が無傷の缶のケースを救い出すギネスのCMとか)をぼーっと眺めている内に、意識を失っていた…


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