空の蒼さを 見つめていると


2004年11月

11/30

 この前、購入したDVD「魔笛」2枚と「椿姫」1枚が週末届いたのだけど、全然見る暇が無い。にも関わらず、今日まで有効のamazonのギフト券を一部使って「魔笛」のCD を更に注文する私。…馬鹿? 

 前にも書いたけど、明日はBSジャパンで「ヴァザーリの回廊」。出来るだけ間に合うよう帰宅するつもりだが、1/2の昼にも再放送するらしいので、間に合わなければその時にでも。

 

11/28

 一日大人しくしていたかいあって、風邪は、ほぼ治ったかも。

 もっともその反面、NHKのドナウ中継を途中まで見たくらいで、ほとんど何もせずに終わる。うわっ、今年の「夢の美術館」はルーブル百選か。まぁ、ある意味、究極の番組と言えなくもない。企画のつまらなさという点において。

 何だかちっとも進まない(気がする)イタリアの美術館の感想。ようやくヴェネツィアまで終了。

 

11/27

 風邪は相変わらず、なのだけど、天気の良い中、家に閉じこもっていてもしょうがないかと思い、久々に2時間半ほど歩く。…大人しくしていた方が賢明だったような?

 そんなわけで、書くべき事が色々と溜まってはいるのだけど、日記を付ける気力のない私。

 

 その癖、過去の日記から切り抜いて、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の感想ページをふと作ってみたりする。多分、何かからの逃避行為なんでしょうけど。まぁ、前から作ろうとは思っていたし。もし需要?があるとすれば、今を置いてない のではないかと。(という意味を含めて、初めて、お薦めランクとしての★評価を付けてみたりもした。)

 そういえば、「星空から来た犬」「バウンダーズ」「ヘックスウッド」「花の魔法、白のドラゴン」と、ここ1,2週間で読んでいた作品は皆、厚くて重いのには閉口。特に「バウンダーズ」と「ヘックスウッド」の2冊は無駄にでかい、という印象。

 あの魔法学校のシリーズの大ヒットが出版業界に与えた悪影響の一つとして、ファンタジーの単行本を分厚い表紙の大きな単行本で売る、というのがあるんじゃないかと思う。そうすることで、店頭で少しでも目立てるのではないか、という期待から? あるいは、普段、本を読まない人に「読んだ」という満足感を与える、という意味が含まれているのかも。

 が、しかし。私のように通勤時に立って、片手で読まざるを得ない者にとっては、いい迷惑である。置き場所にも非常に困るし。一読後は捨てちゃっても構わない(^^;;「バウンダーズ」はともかく、いずれ再読したい「ヘックスウッド」はもっとコンパクトなサイズにして欲しかった。大体、字が大き過ぎるんだってば>「ヘックスウッド」。

 こうしてみると、表紙の裏で毎回、粗筋を全部暴露したり、シリーズ物の2巻目だけ翻訳したり、と不満は多々あったけど、徳間書店は本の作りだけはまともだったな、という気が。やっぱり、(児童文学やファンタジーが)後発の出版社はその辺、単に商売優先になってしまっている感じ。本屋で目立つことしか考えていないようだけど、その本をその後ずっと本棚に入れておく読者のことを少しは考えてみたらどうなんだ。

 いや、図書館のような場所ではハードカバーの方が望ましいわけで、元々文庫だった「九年目の魔法」等を改めて単行本化したのは理解出来るのだけど、個人的には(D.W.ジョーンズに限らず)ファンタジーは文庫で読みたいんだよな。掌の中に自分の理解を超えるような「もう一つの世界」がある、という眩暈にも似た感覚こそ、ファンタジーを読む醍醐味というか。例えば「ゴーメン・ガースト」とか。

 

11/26

 風邪を移されたらしく、だるい。それでも帰りにBunkamuraの「ベラルド・コレクション 流行するポップ・アート」を見に行ったりしたのだけど、風邪のせいか、ほとんど印象に残らず。

 

11/25

 ハイビジョン特集「リヒテンシュタインの秘宝」を途中から見る。

 美術品収集と外交センスで400年を乗り切ってきた小国の歴史を結構、感動的に(特に、ナチス政権末期のオーストリアからいかにしてコレクションを助け出したか、という辺りの話はまるで映画のようなドラマティックさ!)語っていて、なかなか面白かった。

 まぁ、奇麗事だけでそんな長い間、小国を維持出来る筈もなく、カリオストロ家のように、この国の歴史にも光と影が有ったりするのかもしれないが…

 ところで、ウィーンにあるというリヒテンシュタイン美術館。紹介されているのを見るだけでも、ルーベンスの大作を初めとした超一級のプライ ベートコレクションである。……前に行った時は、そんな美術館の話なんて全然聞いた覚えが無かったけど。

 と思ったのも当然、今年の春、66年振りに開館したばかりだという。どうやら、上に書いたように、ナチスが国外(オーストリア含む第三帝国から)持ち出しを禁止したコレクションを機転を働かせて税関を通過させ、自国に持ち帰った件が後を引いて、戦後ずっと、ウィーンでの美術館再開が出来ない状態が続いていたらしい。

 そうか、ウィーンにはいつかまた行かないといけないのか(^^;;

 

 三省堂の「新明解国語辞典」。7年振りに改訂した第六版を発売、との吊り広告を見掛ける。←字を間違えてました。「明快な」国語辞典というのも有ったら便利そうですが(^^;;

 「新明解」だけを「面白い」辞書として持て囃す、というのは「広辞苑」を(権威有る辞書として)引用するのと同じくらい恥ずかしい傾向だと前から思っている私だが、大昔書いたように、辞書とは最新版を参照すべきものなので、今回の改訂版は、どこが変わったかを把握するためだけでも、とりあえず購入しておこうかと。

 ちなみに、辞書類はいつでも引けるよう、国語・英和等内容を問わず、机の横の床上に一列の山として縦に積み重ねているのだけど(整理していない、とも言う)、「新明解国語辞典」の今の位置を見たら、下から2番目 に有った。最近は使っていなかったということ? …新しいのを買っても無駄かも。

 むしろ思い切って、「日本語新辞典」辺りを買った方が得るところが大きいような。値段分まで読む暇があるかというと疑問だけど。

 

11/23

 同じく横浜美術館の映画上映で、ヨリス・イヴェンス「動力と土地」、F.W.ムルナウ「タブウ」。感想は後日。

 

 あと、出掛けたついでに、ポータブルプレイヤーを買い換えました。I AUDIOのU2 1GB (Amazon)。

 今までNETWORK WORKMANのNW-10という黎明期のプレイヤーをずっと使っていて、このメーカーにしては珍しく!タイマーも作動しなかったし、まだ使えないわけではないのだけど、このプレイヤーだとatrac3に変換しないと聴けないasfファイルを聴く機会が今後増えそうな事情が出来たので、この際買い換えた方が吉かと思って。ちなみに、HDDでなくフラッシュメモリーなのは、とにかく重いのが嫌いなのと、使用目的の中で、散歩中に聴くというのが一番比重が高いため。

 そんなわけで、OpenMGと決別したので、今さらながらiTunesを入れて、差し当たって聴きそうなCDを7,8枚読ませたり、プレイヤーのeffctを色々変えてみたり 、と今日のところは試行錯誤だけで終了。

 Novel。中野美代子「眠る石」(ハルキ文庫)(Amazon) 。スクロヴェーニ礼拝堂の話が出てくるというので読んでみた。…そうだったのか!

 

11/21

 とりあえず、まずは溝口健二の「東京行進曲」を観に、横浜美術館の映画上映に行ってきました。

 

 今日の「帝都東京の諸相」の内、programD「モダニズムの光と陰I」という奴。30分前に着いたら、240人の会場にも関わらず、まだ5人しかいないので、どうしようと思ったけど、始まるまでには50人位にはなったので、ほっとする。溝口なのに…

 とはいえ、その「東京行進曲」、抜粋版過ぎて(全体で25分の短さ)、元の作品がどういう編集のリズムだったのかさえ、よく分からず。都市風景を多重撮影で写し出す辺り冒頭のモダンさは凄い、と思いましたが。

 しかし、同時に上映された、1925年に文部省が製作した「公衆作法 東京見物」という映画が妙に面白かったので、良しとします。「地方に暮らす老夫婦が、息子の洋行を見送るために上京して、ついでに一日掛けて東京見物に興じる」という筋立てを通し、東京の観光案内と、社会道徳の啓蒙という二つの要素を描こうとした欲張りな作品(^^;;

 前者の方は小津安二郎の諸作品を思い出さずにはいられない。というか、こういう作品が戦前から戦後の日本では、いわばジャンルとして存在していて、小津の「東京物語」はその末尾を飾る、一番洗練された作品に当たるということではないかと思う。

 後者は老夫婦が上京中に目にするマナーの悪い人達という形で描かれるが、当然ながら、ほとんど喜劇映画になっているわけで、結構おかしい。

 監督は森要。邦画の黎明期の監督らしく、この作品を見てもセンスを持った監督だったのが窺えるが、フィルムセンターにも1本しか現存していない、ということは要するにこの作品位しか残っていないということか。多重露光のイメージカット等、1925年の映画としては非常にモダンな映像の撮影は白井茂。こちらは記録映画の歴史では割と有名な人らしい。

 

 ところで、横浜美術館は、開館15周年記念イベントの一つとして、「アートとしてのポスター展」と題して、歴代ポスターの人気投票をエントランスホールで行っていたのだけど、その投票結果がいつの間にか、サイト上に出ていた。結果は1位が「マン・レイ展」

 あれ、私が投票した奴だ。……自分が投票したものが選ばれたのに、何か余り嬉しくないのは何故だろう? 自分の趣味が平凡だと証明されたから?(^^;;

 

11/20

 イタリアの美術館の感想ページ、ヴェネツィアまで。と思ったのだけど、実際には、特別展の2つを書いただけ、という。先は長い…

 

 ところで、「ハウル」はどうしたものか。別に観るのはいつでも良いんだけど(年内に観なくても全然困らない位)、放っておくと他人の感想だけで観たような気になってしまいそうだし。 (今日挙がっている感想だけで既に「分かったような」気になっているわけで。「シナリオが弱い」というのが最大公約数的な印象みたいだけど、少なくともそれは原作のせいじゃないな)

 

11/18

 という昨日の文章は実は単なる前振りでしかなくて、今日の話の方が本題だったりするのです。

 

 展覧会の関連事業として、戦前の映画作品の上映が、この週末から来週日曜までの休日に掛けて予定されている。これが、普段見ようと思っても見られないという意味で、何ともレアな作品ばかり。

 関東大震災後の復興状況のニュース映画や、戦前のプロレタリア活動のPR映画、植民地政府が製作した記録映画といった作品は、極めてレア映像とはいっても、通ってまで見たいとは思わないのだが、同時に上映される劇映画にも見逃せないものが多い 。

 十代の原節子が主演した日独合作の国策映画「新しき土」のドイツ版と日本版の差異を比較する、というプログラムは私にはマニアック過ぎるとしても、他は気になるタイトルが並ぶ。

 蓮實重彦の言及を待つまでもなく、サイレント時代の溝口健二、というだけで当然、素晴らしい作品だと確信させる「東京行進曲」(縮刷版)。ニュー・ディール製作の一環として制作された記録映画の内、ドキュメンタリー作家ヨリス・イヴェンスが監督した「動力と土地」。ロバート・フラハティとF.W.ムルナウという異色のコンビによる南海映画「タブウ」。見てない状態で題名だけパクって(と本人は書いている)手塚治虫が描いた作品の方が今や有名で、映画はなかなか見る機会のないSF映画「来るべき世界」。

 媒体がDVDだったりと、厳密な意味では映画上映とは云いかねる上映会だけど、入場無料でこれだけ貴重な作品が観られるのなら、それはもう行くしかないのでは?

 少なくとも、「東京行進曲」と「タブウ」は行きたい。当時流行した南海映画(South Sea Romance)の中でも、ポリネシアのボラ・ボラ島オールロケ、現地人キャストでの撮影というのは、かなり珍しい筈だし、図譜の解説によれば、ムルナウの作劇とフラハティのドキュメンタリーの揺らぎが、見ていて現実も虚構とも付かない不思議な印象を与える作品らしいので。日本語字幕が付かないのは残念だけど。

 

 Comics。 星野之宣「神南火−忌部神奈・女の神話シリーズ−」(小学館)。

 この火曜サスペンス劇場みたいなタイトルの付け方は何とかならなかったのか。というか、「宗像教授」の時以上に、ネタがないのに「とりあえず始めてしまった」感が強いのは、私の気のせいでしょうか。勿論、星野之宣の古代史推理ものなので、荒唐無稽でもそれなりに読めますけどね…

 どうでも良いけど、ヒロインの女性史研究家(兼神木鑑定家、兼温泉評論家)の台詞が「…だよ、…だね」という男口調なのが、妙に気になる。まるで「ギャラリーフェイク」の藤田の「…ですぜ、フフフ」並。これもまたキャラを立てるための工夫? 70年代的なセンスというか、何か時代の感覚とずれてる言葉遣いのような気がするんだけど。

 

11/17

 見に行ったのは先月ですが。この展覧会については、開催中に書いておかなくては、と思って。

 

Art 失楽園:風景表現の近代1870-1945  横浜美術館 2004.10.9〜2004.12.12

 出来ることなら、本展の図譜&テクスト「失楽園 風景表現の近代1870‐1945」(Amazon)を先に購入し、読み込んだ上で行くべき展覧会。

 会場内の解説文も通常の展覧会よりは遙かに高密度なのだが、その場でいきなり言われても、論点が多過ぎて整理し切れない、という前回「明るい窓:風景表現の近代」展同様の結果になりかねないので。そう、多方面に手を出し過ぎて、一つ一つが問題提起止まり、という印象も前回と同様で、…で、結局、何が言いたいの?と言う人も多そう。

 ただし、(日本で)今まで殆ど言及されること無かったテーマに今回、敢えて踏み込んでいるのは、問題提起のレベルであっても、非常に意味のあることだと思う。

 それは「植民地の風景」というテーマ。一つは今では忘れ去られた西欧の「植民地画家」の作品の評価(植民地という別世界の「楽園」の風景に魅せられた彼等の創作態度と、前世紀、南仏等に光を見出した印象派達の創作態度には、どのような差異があるのか)であり、もう一つは、日本による植民地支配と美術 の関係。

 日本の植民地(朝鮮・台湾)及び傀儡政権である満州においては、戦前、内地の帝展を模した展覧会が現地で開催されていた、というのを今回初めて知った。朝鮮では「鮮展」が1922年から、台湾では「台展(のちに府展)」が1927年から、満州国では「国展」が1938年から、ほぼ日本の敗戦の前年まで、毎年開催されていたらしい。

 いずれも日本人の画家が審査員として派遣され、現地の郷土色(ローカルカラー)を出した作品に高い評価が与えられていたという。植民地支配の一環であったこれらの展覧会の意義、そしてそこで出展された作品の価値は、功罪の両面から 再検討されるべきなのだろうが、それ以前に、そういう歴史自体、(私が記憶している限り)この国のメディアや美術館のどこも取り上げようとしてこなかったことにまずは驚かされた。

 例えば、梅原龍三郎の有名な北京の風景画が、審査員として招かれた第二回国展の際に、北京を訪れて描いた作品であったように、日本人画家の当時の作品は見ることがあっても、当時の文脈は消し去られているし、現地の画家の絵画を見る機会などは今まで全く無かった。その事実を教えられただけでも、今回の展覧会を見た価値はあったかと。

 最後のコーナーは20世紀の「風景」の行き着いた先として、ホロコーストと爆心地の風景。米海兵隊が撮影した写真のタイトル「廃墟と化した那覇の素晴らしい眺め」には、やはり、やり切れないものを感じる。今なお続く加害者(勝者)の傲慢な言説。

 ところで、必要性は分かるとはいえ、悲惨な廃墟の風景写真等を美術館で「読み取る対象」として展示することへの疑問も感じたのだが、図録を読むと、そういう図像を見ることには「彼等の苦痛を搾取している」という感情がつきまとう、というスーザン・ソンタグの言葉を引いて、認識した上で敢えて行っていることが分かったので、 一応納得。

 「資料によって記憶を再構築することが、普遍性獲得の名の下に審美的な作品化と結びつくことの是非は、絶えず批判的検討に付されるべきである。美しい風景画が留保なく描かれ、享受される条件はもはやどこにも存在しない。それは遅くとも、先の大戦の大量殺戮と破壊による現実の風景によって、決定的に無化したのである。」(図説の末尾の文)

 

11/15

 実は、本日は有給消化日で休み、だった。

 元々この時期に休みを入れていたのは、紅葉でも見に行って温泉に浸かろう、という心積もりだったのだけど、雨が降って、そういう計画も全てご破算に。大人しく部屋の中で、「噂の秋休み、何をするでもなく」ぼーっと過ごす一日。

 

 というのも、何か虚しいので、未開封のDVDの棚の中から、↓ を観ることにする。買ってから1年半も経つけど。

DVD アニエスカ・ホランド 秘密の花園」  (Amazon)

 あー、やっぱり、これは良い作品ですね。原作の世界をきちんと再現しようという真面目さが伝わってくる。ディズニー映画のお子様向きテイストとは全然異なる、かつて愛読者だった大人のための映画、という味わい。解説を見ると、監督も脚本家(「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」や「シザーハンズ」の人らしい)も原作の愛読者だったらしいので、なるほどと納得。(春の開花の インターバル撮影とか、周りに溢れる小動物とか、ちょっと恥ずかしいところもあるけど、その辺はご愛敬ということで)

 メアリー役の女の子が「可愛過ぎない」ところとか、ディコン役の少年の木訥な顔付きとか、キャスティングも凄く良くて。そういえば、メアリー役のケイト・メイバリーって23歳位になっている筈だけど、今も女優をやっているんだろうか。聞かないけど。子役は大成し難いということか。

 ちなみに、劇場公開時に観た直後のメモ書きがこれ。93年というと、うわー、まだ入社2年目の時だ(遠い目)。書いてることは今と変わらないけど(^^;;

 

11/14

 (思っていたよりやや早く)復活。

 3万以上の見積もりだったら即、返却させて、本体含めて買い直すつもりだったのだけど、予想外にも、無償修理という扱いで戻ってきました。品質向上のための事例として今回だけは特別に、とか何とか言ってたけど、裏を返せば、メーカー自身も認めざるを得ないような欠陥品を掴まされていた、ということではないかと。

 ともあれ、購入当初のようなクリアーな画面になって(液晶パネル自体を交換したから当然だけど)戻ってきたので、結果オーライ? というか、今までの苦労って一体…

 それにしても、あの会社がタイマーが切れて1年以上経つのに、無償修理に応じることがあるとは意外。とはいえ、ついでに、という調子で、要望外の不具合(可動部のゆるみ)も直すなら部品代9千円+技術料12千円で21千円と言い出す辺りは、油断が出来ない。勿論、断りましたが(ただし、部品を交換しないレベルで、ゆるみも直してくれた様子)。

 

 一週間というと、個人的には結構長くて。天気予報からTV番組まで情報のチェックはネットに頼っていたので、不便な上に、帰宅してもやることが無い、という感じ。いや、まぁ、やるべきことが無いわけではないのだけど、敢えてする気力も沸かず、DVDで「魔笛」を見ていたりした位。

 モーツァルトといえば、昨夜、オーチャードホールで見てきたのが、ワルシャワ室内歌劇場の「フィガロの結婚」。

 学芸会風というか、いかにも田舎の小劇団という感じだったけど、それはそれで楽しかった。B席で5千円のチケットだったし。ただ、旅行以後、右の視力が低下したこともあって、暗い場面で、字幕が凄く読みにくいのには困った。他の人は普通に読めているんだろうか。来月、同じ歌劇場の「ドン・ジョヴァンニ」をまたオーチャードホールに見に行く予定なのだけど。

 ところで、「フィガロ…」は第4幕になると、いきなりつまらなくなる気がするのだけど、それは私の鑑賞力不足のせい? それとも、一流の顔ぶれだとまた違うのだろうか。第4幕は掛け合いよりも単独のアリア中心だし。

 ちなみに「魔笛」も来年1月のプラハ国立歌劇場の公演を見る予定で、割とモーツァルト付いているのだが、今月再発売されたDVDの 「魔笛」(Amazon) (1976年、ライプツィヒ歌劇場の上演をTV収録・編集したもの)がやや期待外れだった(いや、演奏は悪くないかもしれないが、音質に映像の古さ、それに登場人物のケバケバな厚化粧…)ので、この際、1月までに他の「魔笛」も見比べようかと思っていたりする。

 「魔笛」のDVDなら、幾つ有っても別に良い、という気がするので。

 とはいえ、暇とお金にも限りがあるので、 今回は、同じ指揮者の「マクベス」が格好良かったチューリッヒ歌劇場の「魔笛」(Amazon)と、とりあえず安いのが取り柄のメトロポリタン歌劇場の「魔笛」 (11/21再発売)(Amazon)の2本の予定。そういえば、ベルイマンの「魔笛」もどこかに録ったビデオが有った筈だな…

 

11/7

 液晶モニターの状態にもう耐えられない、という話を先月末書いたが、メーカーのサポートにメールしたところ、実際に見ないと分からないので預かりたい、という回答。

 個人的にはモニター含めて全て買い直す方向で突っ走りつつあったのだけど、近々、他にも買わないといけないものが幾つか有るので、液晶モニターの交換が安価で済めば、今年のところはそれに越したことはない。ピックアップと見積もりまでは無料だというので、一応、預けて見積もりを聞くことにした。

 というわけで、明日預けるので、戻るまで、暫く(1,2週間?)ネットからは撤退の予定。

 持っていくのはモニターだけで本体は残っているのだが、他のモニターには繋げられない機種なので、使いようがない。サブのノートでもあれば良いのだが、私用パソコンは持込禁止の職場だし、それに行き帰りは本を読む時間なので、使うとすれば旅行した時位。年に何日かのために買うのも… と思って買わないままで今まで来てしまった。

 そんなわけで、(書くことを色々溜めたままだけど)モニターが戻るまではいかんともし難いので、ここもお休み。ちなみに、「ジェーン・エア」までようやく追い付いたので、今週からは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の8月からの未読分を一気に消化するという「ダイアナ・ウィン・ジョーンズ月間」に入る予定。

 とりあえず、最初の一冊として、「ジブリによってアニメ化されてイメージがぶち壊される前に」(石堂藍「ファンタジーブックガイド」)、「ハウル」だけは再読しておかないと。

 

11/6

Novel C.ブロンテ 「ジェーン・エア上・下  新潮文庫

 9月始めに読み掛けたまま中断していたが、ようやく再開し、何とか読了。

 まぁ、最初懸念していたよりは、ずっと面白かった。これはあれですね、NHKの連続TV小説の元祖みたいな作品。

 大雑把に言えば「一人の女性の成長と恋愛の一代記」なのだけど、不幸な幼少期の思い出話といい、途中に発生するトラブルと成功の繰り返しといい、他の男から求婚されちゃってさぁどうする、みたいな終盤の盛り上げ方といい、都合の良いラストといい、そして何よりも極めて独善的なヒロインの性格こそ、まさに連続TV小説のエッセンスそのもの。

 今からではとても真面目には読めない筋だけど、逆に連続TV小説の総集編を一気に見た時のような、妙な面白さがあるのも事実。もっとも、今だって、連続TV小説を楽しみに見ている人も(多分)結構いるわけだし、この作品に真剣に感動する人だっているのかもしれない。

 全編に渡り、表現が修飾過多で、自分のことを得意げに語るジェーンの一人称は、恐らく作者その人と近似なんだろうと思う。その率直さは必ずしも嫌いではないのだが。

 「(…が)つぎの言葉を言う前に、わたしは本能的に、どんないきさつになっているかを知った。しかしわたしは、それと同じ直感による理解を、読者に期待するわけにはいかない。だから、彼の説明をここにくりかえさなければならない。」

 …あのなー。読者を平気で自分より馬鹿呼ばわりする、この賢しげな無神経女に、誰か何とか言ってやって下さい。まぁ、「本能的に」とかさりげなく言葉を選んではいるけど。

 ともあれ、家庭教師の女性と雇い主の恋愛という設定は、「エマ」(漫画の方)の副読本として興味深い。当時としてはかなり斬新だった筈。一方、金が無いと自立出来ない、という経済力の話をリアルに持ち出しておいて、結局、金持ちの親族の遺産で解決してしまう辺りはいかにも19世紀的。

 ところで、ロチェスター氏はちょっと気の毒過ぎるような… それで満足しているなんて、きっとそれまでが不幸過ぎたんですよ、この人は。

 

11/5

BS-Hi 今 敏 千年女優

 今監督作品を見るのは実は初めて。今まで機会がなかったというか、あるいは「彼女の想いで」辺りで感じた自分との「肌の合わなさ」から無意識の内に避けてきたというか。

 とはいえ、実際に見てみたら、…やっぱり、思っていた通りだった(^^;; 緻密な画面構成を始め、細部に渡ってアイデアが練り込まれた秀作であるのは確かなのだけど、あちこちに感じる違和感(趣味の違い)が喉の小骨のように刺さって全面的には楽しめず。

 例えば、そもそもこの作品を支える枠構造の語り方自体、余り趣味ではないし、日本映画史をなぞるような構成でありながら、言及される映画の世界が松竹・大映・東宝…と至って節操ないのも、私の趣味ではない。架空の映画史なら、それはそれとして、作中で一貫性が感じられる「映画会社」であって欲しいわけで。あと、ヒロイン千代子は時代毎に、3人の声優によって演じ分けられていたけど、ラストはその出発点である少女時代の声(折笠富美子)に戻るのが、こういう物語の綺麗な締め方というものではないのかとか。

 作品の出来とは別に、私にとってのそういう違和感が多すぎて、再見したいと思うほど好きにはなれず。こういう機会に一度見れば充分、という感じ。

 一つ気になったのは、千代子が駆け出す姿を、明らかに他とは違う熱意を持って繰り返し描いていること。ヒロインが必至に駆ける姿を描くことこそ、この作品の真の「目的」だったのか、それとも作品に統一感を出すための「手段」だったのか、どっちなんだろうか。

 

11/3

 今日の「ルネサンス時空の旅人」。

 大体、予想の範囲内かと。メディチ家=支配者、共和制=自由といった分かり易〜い物語とか、状況を絶えずクラシック音楽で強調する些か品のない演出とか、民放が「良心的に」作った教養番組なら、まぁ、こんなものかという感じ。ミケランジェロの話なのに、ザビエルの話が唐突に出てくるのはどうかと思ったけど。ミケだけでは、時間が余ったのか。

 その癖、「ドゥオーモのピエタ」も「ロンダーニのピエタ」も取り上げないまま終わっちゃうし。何故? ローマで話を終わらせる、という結論が大前提の企画だったとか?

 ちなみに、今回の主題、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」ですが、この絵を実際に見た時、私の頭に浮かんだのは、「神も仏もない」という言葉だった。

 …いや、だって。いるじゃん、神様、しかも真ん中に。

 と突っ込まれそうだけど、この世界を日本語で表現するなら、それしか無い気が。審判の日に、天国に行ける人と地獄に行く人を、中央のキリストが交通整理?する様子を描 くのが、「最後の審判」という絵のセオリーで、システィーナ礼拝堂のも基本的にはその通りなのだけど、捨てる神有れば拾う神有り(それは多少意味が違います)、というよりは、むしろ、「お前ら全員、地獄へ叩き込んでやる!」という感じの猛々しさ。勿論、ミケランジェロは最終的には神の救いを信じていたんでしょうけど、その絶望の深さは、「神も仏もない」としか言いようが無いのではないかと。

 などと、旅行の感想を小出しに書いてみたりして。旅行記はいつ書けるか検討もつかないし。美術館の感想は、少しずつ地道に書いてはいるんですけど。

 

 「うたかたの日々」で露地温さんがblocというスケジュール管理ページを紹介されていたので、私も作成してみた

 今まで、はてなダイアリーを予定表として使用していたのだが、元が日記だから、展覧会みたいに期間が有るものを掲載出来ないのが悩みだったのだ。こちらのblocにも、カテゴリー分けが限られているので予定と未定の区別が付かないとか、会場名(の大半)でキーワードリンクされないといった短所もあるのだけど、とりあえず、暫く使用してみようかと。

 となると、はてなダイアリーが空くので、この際、日記として普通に使用するか考え中。まぁ、違う物を2つ書く気力もないし、ローカルにファイルを残さないはてなに全面移行する気もないので、片方をもう片方に転記する位だけど。一番、本人に無理がないのは、何かの感想だけ後で転載する形? それで何になるかというと、同じ事を取り上げている人の日記を私が探し易いという、ただそれだけですが…

 

11/2

 この週末の出勤に対する振替休日を利用して、「マティス展」と「エミール・ノルデ展」へ。そしてまた、宿題が増えていく…

 それにしても、火曜の午前中なのに、「マティス展」人多過ぎ。と思ったら、秋の日展が今日から都美術館で始まったため、らしい。今日のところは「フィレンツェ展」に寄らなくて正解だった? 「マティス展」の絵はとても良かったので、出来れば、夜間延長等、空いている時にもう一度行きたいもの。

 

11/1

 今日の昼の定食、「真鱈の若草焼き」を食べながら、ふと閃く。「真鱈の干物」事件というのは、どうだろう?

 しかし、この程度なら誰でも思い付くわけで、確認してみたら、いしいひさいちが単行本のタイトルとして既に付けているのだった。あぁ、やっぱり。

 

 先月の旅行の関連番組の一つとして、文化の日恒例の日本TV「ルネサンス時空の旅人」。今年はミケランジェロの生涯がテーマらしい。

 などと書くと、まるで毎年欠かさず、楽しみに見ているようだが、実は今まで1回も見たことが無い(^^;; 旅行しておいて何だが、イタリアルネサンスこそが人類文化の最高の遺産だとかいうような風潮は大嫌いなので、そういう思想を長年に渡って広めてきた(らしい)このシリーズについても、むしろ苦々しく思っていたりする。

 とはいえ、復習という意味では役に立つかもしれないし、一応見ておこうかと。今年の11/3は特に予定もないし。

 

 Novel。清水マリコ「嘘つきは妹にしておく」(MF文庫)。オリジナルの小説としては、作者のデビュー作?

 突然現れた女の子が、自称「本の妖精」で、壊れてしまった物語のピース探しを手伝ってと頼んできて、気が付けば、押し掛け「妹」として、自分の家でご飯食べていて… と設定だけ聞けば、何だそりゃ、という話だが、どこかのんびりとした日常の描写(特に日々の様々な食べ物への言及(^^;;)とのバランスが良くて、全体的には、懐かしさを感じさせる一夏の出来事として、割と綺麗に着地していたのには感心。

 というわけで、予想していたより遙かに面白かった。失礼な言い方かもしれないが、意外な「拾い物」という感じ? しかし、デビュー作が今のところ、一番面白いというのは問題かも。