空の蒼さを 見つめていると


2003年 4月

4/29

 家で(DVD等で)映画を見る時は、夜中しかないので、いつでもヘッドフォン限定。というわけで、前から導入を考えていたPinoneerのSE-DIR1000を、今回思い切って(衝動的に、とも言う)購入。ドルビー等のバーチャルなサラウンド環境をヘッドフォンでバーチャルに再現するという、幾重にも屈折した考えの元に作られている製品 。

 とはいうもの、スピーカーと違い、本当の意味で前後が再現出来るわけはないのだが、音が空間の中で聞こえるのは確かなので、映画を観るのには向いているような。とりあえず、「指輪」のモリアの辺りを観てみたのだけど、通常のヘッドフォンとはなるほど違う。オークの群れが天井をガサガサ動き回る物音までくっきりと(それが嬉しいのか?)。

 今日チェックしたのは、自室の21型TV&プレステ2という、割とpoorな再生環境なので、今度は、居間のTVで使ってみるつもり。まぁ、この製品は、「迫力が出る」というよりは、長く聴いても「疲れない」ための物だと思うけ れど。あと、PCのサウンドボードも、今の「単に音が出る」奴じゃなくて5.1対応にレベルアップして、これを使えるようにしておきたいところ。

 

Comics とり・みき 猫田一金五郎の冒険 講談社

 (文字通り)角が取れた作りなど、祖父江慎の装幀は、例によって凝り過ぎの境地。内容的にはパロディ的な設定の下、ひたすらギャグを連発するという、とり・みき本来のパターン。本領発揮、の筈なのだが、全体の印象としては、「吉田さん危機一髪」の頃と比べると、息継ぎがいかにも苦しい、という感じは否めない。

 ただし、最近作の「百八墓村」の出来の良さを見ると、単に(設定に対する)慣れの問題なのか、という気も。まぁ、京極夏彦と合作したあの問題作「美容院坂の罪つくりの馬」を読むだけでも、今回の単行本は、買っておく価値は有る(といえば有るような)。二人が交互にネームを書き進める際、問題解決を相手に押し付けようとして、話がどんどんあさっての方角に進む様が、今読んでもおかしい。あと、京極夏彦描く「さつきさん」 の魅力と。

 

4/28

 恐らく、ほぼ誰からも「…もう良いよ」と思われている作品だが、前述の理由でそれでも観に行く私。とはいえ、強引に仕事を片付けて、夕方からの分を観てきた。休日を潰してまで行く、という気にはさすがになれないので。

 

Cinema 京田知己 ラーゼフォン 多元変奏曲  シネ・リーブル池袋

 ファミレスで、何かのご褒美に、自分の好きなモノを頼んでも良い、と言われた子供が、テーブル一杯に好きな料理を注文したは良いけれど、どれも食べ切れずに残した挙げ句、母親から「だから、一つにしておきなさいと言ったでしょ!」と怒られている…

 通して見た印象を「情景」として表現すると、どうにもそんな感じだったTVシリーズ版だが、「世界」は調律し直せば良い、ということなのか、同じ素材で再チャレンジしてみたのが劇場版らしい。最近、流れているTVCM以上の予備知識(と期待 )も無いまま、どうせ総集編でしょ、とぼーっと見ていたら、びっくり。

 TV版の時と同じ映像なのに、登場人物の台詞内容が全然違うよ。新作部分も含めると、台詞の半分以上を録り直した?と思える程、違う。というか、「世界」自体が、既に別物。

 お陰で、物語はもの凄くシンプルかつ分かり易くなっていた。分かり易ければ良い、というものでもないけど(登場人物は何でも台詞で説明しちゃうし。富野アニメかと)。なるほど、出渕裕は本来、こういう物語がやりたかったのだろうな、と。監督を人に任せたことで、初めてそれが可能になった、というのは皮肉だけど。

 もっとも、分かり易い、と言うのはシリーズを観た上での感想であって、この映画だけ取れば色々と説明不足。完結した「映画」とは言えず、アニメ映画でお馴染みの「総集編」というフォーマットでしかない。ただ不思議なのは、ここまで話が違うと、言ってみれば 「実際には存在しないTVシリーズ」の「総集編」という趣きであること。

 そんなわけで、個人的には、予想外に面白かったのだが、それは、そういう同人誌的な、「世界」を改変することへの面白さであって、シリーズ抜きに観た場合は何とも言えず。 まぁ、「2時間のOVA」としては、それほど悪くない、というのが、妥当な評価? シリーズを何の因果か最後まで見てしまい、溜息を吐いた方こそ、面白く感じられるのではないかと。

 今回の「変奏」は、小中千昭的な「不協和音」は一掃され、とにかく聴き易くはなった、という感じ。音の響きも単純になったけど… らら? そういえば、「音」に関する話は割愛されてしまっているな…

 

 ちなみに、TVでの「オズの魔法使い」に対し、劇場版で引用されるのは「鏡の国のアリス」(の末尾の詩)。山田章博の挿絵によるそれらの本を実際に出版してくれたら、絶対、買うのに!

 

4/27

 たまたま、NHKのサイトを眺めていたら。明日の夜8時からのBS2に「鏡の国のアリス」の放送予定が。1998年に英国で制作されたTVドラマらしい。

 写真で見る限り、アリスがいくら何でも老けすぎだ、などと思いつつ、キャストを見たら、白の騎士が何とイワン・ホルムではないですか! 「ドリーム・チャイルド」で、ど、ど、ドジソン先生を好演していたあのイワン・ホルムに(ルイス・キャロルの分身とされる)白の騎士を演じて貰っている辺り、制作者はよく分かってる、という感じ。年齢的にもぴったりだし。

 これはもう、録画しておくしか。 ちなみに、ここのレビューを読むと、このドラマ化ではアリスはやっぱり大人(母親)らしい…

 

4/26

 野田秀樹の、というか、NODA・MAP「オイル」の感想をようやく書く。

 

4/25

 桜前線は、東北の北側へ。本州で桜を見るなら、そろそろ最後の時期なのだが、割と寝不足だったり、天気が冴えなかったりで、そこまで足を伸ばそう、というパッションが一向に涌いてこない今週末。今年は、JR東日本の派手な宣伝で、東北の桜の名所への人出が多そうなのも嫌だし、大体、風邪が完治しないままなので、出歩かずに大人しくしていようかと。未見のビデオもこの一週間であっと言う間に溜まってしまったし…

 Comics。島本和彦「吼えろペン」7巻。えのあきら「ジャジャ」3巻。竹本泉「トランジスタにヴィーナス」5巻。最近、帰りの電車で本の代わりにComicsを読むという実験中。そうすると確かに、軽いComicsは少しずつ消化出来ることが判明。一つ問題なのは、本を読む時間が全く無くなること(当たり前だ)。

 

4/24

 TVアニメ版の「ガンパレード・マーチ」終了。

 とりあえず、(予想以上に)ラブコメ街道一直線だったシリーズ後半には、非常に楽しませて貰った、という感想。結局のところ、「めぞん一刻」で育った人間なので、こういうウエルメイド、という かベタベタなラブコメディの幸福感というものに、実は弱かったりするのだ。原作に思い入れのある人から見れば、色々言いたいことはあるだろう、と想像は出来るけど。

 ところで、ここ2年間、熊本に何回か出張した際、市電に乗り合わせた女子中高生らの会話を耳にした限りの印象では、熊本というのは、若い世代にもお国言葉が強く受け継がれている、全国的にもかなり特異な地域だと思ったのだが、この作品では街の人々(中高年以上)以外で、熊本弁が使われている、という気はしなかった。5121部隊には、地元民は 偽関西人以外、いなかったんだっけ? まぁ、主要キャラクターがいきなり「よかよか」とか話し出したら世界観が変わってしまうので、下手に使わない方が賢明なのだろうけど。

 Comics。細野不二彦「ダブルフェイス」1巻。 作者は、こういう「仕事人」的な話が好きらしい。この手の作品はいつも今一つ面白くないのだが… 今回は駄目、というほど悪くはないが、凝った設定を上手く使いこなせていないので、全体に安い印象止まり。

 

4/22

Exhibition 皇妃エリザベート展  大丸ミュージアム 2003.4.17〜4.29

 …この前のドールハウス以上に、女性客ばかり。それはそうかも。田舎でのびのびと育った、地方貴族の娘が16歳にして、若い皇帝に見初められる、というのは、まさにプリンセスブライドストーリーだし、都会と宮中の暮らしに馴染めず、おまけに姑と絶えず衝突して、という結婚後の苦労話(の特に後半)は、今でもTVのワイドショーでよく聞く話だし。

 いかにも少女マンガ的な人生だ、と思っていたら、出口の売り場には、エリザベートを主役にした少女マンガ(と小説)の数々が。既にそういう物語があり、美貌の主人公がいるわけだから、当然といえば当然?

 ところで、エリザベートゆかりの品(乳歯とか、旅行用品とか)を見て、何かの役に立つかと言うと、少女マンガ的な妄想を膨らませる以外のことは、実際のところ思い付かなかった。後半生は、自分の義務から逃げ続けた自分勝手な女性(と展示品を提供した現地の博物館館長が述べていた)で、容貌の衰えた顔を撮らせなかったので、若い頃の肖像画以外、確たるイメージを見せてくれるものが無いのも、盛り上がりに欠ける要因。顔を隠していた大きな扇子を見せられても…

 というわけで、内容的には今一つピンと来なかったのだけど、彼女の体型への執着を説明した文章の「身長172cm、ウエスト50cm」に、場内の女性は皆、驚嘆の溜息を吐いていた。そのインパクトが他の全てを圧倒していた、という感じ。実際にベルトが展示してあったのだけど、本当に細かった。

 art的なことも書いておくと、いわゆる帝室?御用達だけあって、服飾、特にレースの贅沢さは凄かった。なるほど、結婚式場のイメージというのは、こういう世界のチープな模倣なんだ、と納得。本物はさすがに違いますね。

 それにしても、エリザベートといえば、こうして余計なことまで、結構知っているのに、ほぼ同時代の明治天皇のお后がどういう人だったのか全然知らないのは、ちょっと問題あるような。いや、別に興味は無いのだけど。

 

4/21

 本屋のレジに有った「ロマノフ王朝展」の割引券。それに書かれていた展覧会のキャッチフレーズは、「ロシアより愛をこめて」。

 …主催者(産経新聞だ)は、何か大きな勘違いをしているような気がしてならないが、こういうマヌケなセンスは嫌いではないです。公式サイトに「現在の混雑状況」という項目が有るのも悪くないし。で、クリックしてみると「すいています。」とだけ出てきて、哀愁を誘うのがまたおかしい(でも、16日の状況は「現在」じゃないと思う…)。

 Comics。竹本泉「よみきりもの」4巻。井上和郎「美鳥の日々」2巻。このところ、新番組を消化するのに精一杯で、Comicsを全然読んでいないのです。本も読んでないけど。

 

4/20

 久々の観劇だったので、とにかく目の前で小林聡美が喋っているという、ただそれだけでもう楽しくて。あ、普通なら、松たか子を挙げるところか。主役だったし。

 

Drama NODA・MAP オイル  シアターコクーン

 感想は別ページに。筋の紹介はしていないので、読んでもどういう話かは全然分かりませんが(^^;; 激しくネタバレであるのは確かなので、一応注意。

  客観的な批評では決してなく、見た後の喫茶店で、一緒に見た知人にまくし立てるその場の感想みたいなもの。一人で演劇を見に行ったのは、実は初めてなので、そういう時間が無くて、胸の中に溜まっていたモノを吐きだしただけ、という気がしないでも無いです。

 

4/19

 今春のTVアニメ。「宇宙のステルヴィア」「獣兵衛忍風帖」「LAST EXILE」「成恵の世界」「ガドガード」「カレイドスター」「TEXHNOLYZE」「学園戦記ムリョウ」辺りを、とりあえず継続しようかと。誰でも大体、この辺から選ぶだろうという、特に意外性は無いチョイスですが。

 とはいえ、これでも多過ぎるので(前月までの3本─「ストラトス・フォー」「WOLF'S RAIN」「ガンパレード・マーチ」─からだと、3倍増だ)、もう少しバッサリ切りたいのだけど… まずは、今後も駄目そうな「TEXHNOLYZE」? あるいは、この際、 思い切って、今季は佐藤竜雄の3本だけにしても良いかも。

 というか、一時期ほとんど見ていなかったのに、今になって、TVアニメを何故そんなにも、きちんとチェックしているのやら>自分

 

4/18

 サントリー美術館の「友の会」継続は(今年の展覧会予定が余りにも地味なので)止めて、代わりにBunkamuraのザ・ミュージアムオプショナルメンバーへ入会。その特典として、Bunkamuraの展覧会なら全て、招待券が来ることになった。招待券といっても、年会費でその分、前払いしているだけ、のような気はするけど。そんなわけで、元々行くつもりのなかったこの展覧会にも、せっかくなので寄ってみる。

 

Art ミレー3大名画展 ヨーロッパ自然主義の画家たち  Bunkamura 2003.4.10〜2003.7.13

 ミレーで「晩鐘」と来れば、いかにも混みそうなので、会期始めに行ったところ、夜間とはいえ、予想以上に空いていた、というかガラ空き。見に行くのなら、早いほうが吉かと。

 「3大名画展」とは、いささか品のないタイトルだが、ミレーの絵はいわば客寄せで、実際には、ヨーロッパ近代の「農民画」展とでもいうべき、結構、変わった趣の展覧会。こういう地味な展覧会をやるために、確信犯的にミレーを目玉として利用したのであれば、それはそれで許せる気はした。

 勿論、ミレー自体も十数点はある。まとめて見て初めて気付いたのだが、どれも下向きの人ばかりだな、というのが素朴な感想。上を向いて歩こうよ、と坂本九のように言いたくなる 。「3大名画」は皆、2回位は既に見たことがあるので、感激!とかそういう感情面での感動は余り無く、淡々と再確認してみた、という感じ。「晩鐘」が記憶より小さかったのには、少し驚いたけど。という、今回の見方にもよるのだろうが、ミレーは「巧い」画家という範疇に収まるのではないかと。「上手い」ではなくて、伝えたいイメージを伝えるのが「巧い」。多分、良くも悪くも。

 展覧会の後半は、ミレー人気の後、ヨーロッパ各国で流行した色々な農民画の数々。国毎の服装や顔付きのディテールの違いが面白い。とはいえ、続けて見ると、さすがにいい加減、飽きる。こういう自然主義の農民画というのは、(各国風俗の映像的な保存という価値は有るにしても)絵画表現としては奥行きがなかった、ということを図らずも証明しているのかも、とやや皮肉な感想に至る。ということもあって、最後に登場するピサロの絵が、やけに新鮮に見えるという「美味しい位置」に有ったような。

 自然主義の画家の中ではジュール・バスティアン=ルパージュという画家が、当時から人気があったらしいが、見て納得。「登校する娘(もしくはおませな娘)」の少女の表情など、いかにも人目を惹く。ミレーだって人気画家になったのはサロンに出展した「羊飼いの少女」が評判を呼んだのがきっかけらしいし。「ぱにぽに」の一条さんなら 、(人に受ける秘密は)「少女ですよ」と言うに違いない。

 ちなみに、グッズショップのコンセプトはどうやら「自然に優しい」とかそういったことらしく、ポストカードにも「100%再生紙で、100%大豆油を使用」との但し書きが 。というわけで、100%大豆油のインクで印刷されたバスティアン=ルパージュの少女の絵ハガキを買って帰ったのだった。

 

4/16

 ビデオに録っておいた「パパ・トールド・ミー」を見始めたが、途中で止める(^^;; 私には、好きな作品が歪んでいるのを見て楽しむ、といった自虐的な趣味は無いので。それにしても、的場信吉の最初の台詞が「今度の新作はベストセラー間違いなしや」って… どこをどう読んだら、そういう根本的に違う台詞をわざわざ入れようと思い付くのだろう。

 

4/15

 桜に関する新書、2冊。

Book  鳥越皓之花をたずねて吉野山  集英社新書

 吉野の桜は、京都にいた学生時代、一度見に行ったことがあるのだが、その時の記憶は、とにかく遠かった、という印象に尽きる。

 関西的な常識から言って、特急料金を払ってまで特急に乗るという発想はなく(近鉄は運賃自体が高いので、更に特急料金を出すなど、貧乏学生には考えられず)、急行で行って、歩いて上ったところ、蔵王堂に着くまでで3時間も掛かってしまった。9時に出て、昼過ぎ。桜を見ながら奥千本まで上ったら、3時である。疲れた。

 

 さて、この本は、帯にあるように「吉野山はなぜ一面、桜に覆われたのか?」という疑問を扱っている。吉野の桜は(本来、桜に向いていない山に)千年の間、人が植え続けてきたもの。つまり、その問いは、人はなぜ、吉野山に桜を植え続けて来たのか? と等しい。

 関心のある人は著者の仮説を読んで頂くとして、興味深いのは、明治初期、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れると、近隣の人々は皆、 それまで神木として大事にしてきた桜を薪にして切ってしまっていた、ということ。今の桜は、その後の植林が元になっているので、吉野の桜は皆、古木であるような思い込みは誤りなのだ。

 この吉野の桜の歴史に、千年間、人が植え続けてきた桜の山という「作った自然」の素晴らしさを読みとるか、法的規制や罰則のないところで、人のモラルなど当てには出来ないという実績を見るか、どう捉えるかは、見る人次第 。

 とはいえ、原生林こそ素晴らしいという原理主義的な環境保護では、桜に覆われた吉野山は生まれなかったのは確か。したがって、人が手を加える形での「自然」にもっと注目し評価すべきだというのが、著者の立場。

 いわんとすることは分かる。ただし、私の家の近くの丘陵はどこも、山桜で覆われているのだが、これは人が植えたのではなく自然に増えたもの。その穏やな美しさを見慣れていると、吉野山の桜はハッとはするものの、やはり不自然に (貧しく?)感じられる。伊豆から三浦半島のような、桜の自生地の美しさの方が、私には好ましい。向いてない土地だったら、そんなにムキになって桜を植え続けることもないのでは?というのが、私の持っている素朴な疑問なのだ が。

 まぁ、今見たら、また違う感想もあるのかもしれないが… でも、こちらからだと、更に遠い。というか、遠すぎ。遠くの吉野より、近くの桜ですよ。

 

Book  田中秀明(監修)桜信仰と日本人  青春出版社

 監修、て書いたのは、じゃあ誰なんだか。桜に関しての豆知識集、といった感じの、割とどうでも良い新書。

 しかし、二三、雑学的には感心したこともあって、江戸時代には浅黄という青みがかった桜の花があった、という記述には、それはぜひ見てみたかったものだと思う。白色、藍ぼかしの中輪の花だったらしいが、大正時代には既に絶滅していたとのこと。残念。

 

4/14

 ここ一週間ほど毎日聴いているのが、「WOLF'S RAIN」のサントラと、坂本真綾の「tune the rainbow」。特に後者には、菅野よう子の作曲で坂本真綾が歌う、しかもこういう曲調の曲がどうやら自分のツボらしい、と再認識。歌の甲乙や、曲の良し悪しはまた別にして、耳に馴染むというか、一番、自然に聴けるという。

 

4/13

 というわけで。一日掛けて、神代桜を見に行ってきました。

 

 甲斐路は、今や花の盛り。甲府盆地は桃の花で一面、桃色に染まっているし、勝沼ぶどう郷駅(という駅があるのだ)はホーム全体が満開の桜に包まれているし。道中については別に期待していなかっただけに、非常に得した気分。桃源郷とは、まさにこういう風景を指すのかも。

 ところで、山梨は桃の産地であると同時にすももの産地でもある。「桃もすももも桃のうち」とは言うけど、園芸種のすもも(プラム)の花は梅のように白いので、この時期の見た目は全然違う、ということが今回、初めて分かった。

 

 さて、神代桜。案内書によれば、樹齢1800年という日本最古の桜だそうな。ともかく、もの凄く長命の桜であることは間違いない。写真で見ると、幹を保護するために上に屋根が掛けてあるため、絵にならない樹だ、と事前の印象は余り良く無かったのだが、実際に眺めてみて、写真写りなど、どうでも良いことだと気付く。

 太い幹は既に化石のような状態で、小振りの花が咲いているのは、いわば両腕の先の方から。本体としては既に生を終えたように見える樹が、こうして花を咲かせている不思議。必死になって生き長らえている、という生への我執はもはや感じさせない。逆に、元々生きていないものが年を経て、ついに花を咲かせたようにさえ感じられる。

 咲いているのは、大きな幹一杯に咲き誇っていた頃の「かつての記憶」かもしれない、と思った。あるいは、もう醒めることのない深い眠りの中、年に一度、樹が見る夢。

 勿論、花が咲くのは、周りの人達が延命策を講じているから、なわけで、そのまま安らかに眠らせてやれば?と頭では思わないでもないのだが、しかし、実際にこうして咲いている姿を見ると、ただ咲いている、そのことだけで感動してしまう。いずれ(十数年後か、百年後かは分からないが)寿命が完全に尽きる日も来るだろうが、その前に、咲いている姿を目に出来て良かった、と思った。

 暑すぎるほどの晴天の下、背景にアルプスを望む、桜と水仙の庭という風景も素晴らしかった。また来よう、というほど近くないのが残念だけど、一回は見る価値の有る場所だったかと。

 

4/12

 この辺りではソメイヨシノは既に終わり、ヤマザクラもほぼ終わり。しかし、今年の花見はまだ終わらない。明日は、山高神代桜を見に行くつもり。昨年、滝桜は見たので、今年、神代桜を見て、来年、薄墨桜を見れば、 3大桜に関しては制覇出来る、という3年計画を立てているのだ。

 ちなみに、神代桜は、駅で言えば日野春、小淵沢の少し手前なので、はっきり言って、家から遠い(^^;; 途中、特急を利用しても、家から4時間は掛かる。往復だけで9時間近く。 そんなわけで、この週末も日記の更新に回せる時間が余り無い。

 それなりに書きたい話題も溜まってきているのだが… まぁ、仕方ない。「だから、なぜ行ってみなければならないのよ」「花が咲くからだよ」と昔の小説にもあるように、桜が咲く以上、行って見なければならないので。

 Comics。古賀亮一「ニニンがシノブ伝」2巻。1巻と比べて今一つ、な気がしてしまうのは何故だろう…

 

4/11

 渋谷クアトロで、ルナサのライブ。

 割と良い順番で入場したので、左端とはいえ、最前列で見ることが出来たのも良かったけど、とにかく演奏がこれぞ、ライブという素晴らしさで。良かった、という以外、言葉で伝えることが出来ないのがもどかしい。新作のCDも会場で買ってきたので、聴くのが楽しみ。とはいえ、あのライブでの演奏には勝てないに違いない。

 終演後、階段でバンドのサインを貰う列に並んでいると、招待席にいたピーター・バラカンが凄くニコニコしながら降りてきたのが印象的だった。

 

4/10

 幻冬舎のネットショップで注文した「冬目景 画集 羊のうた 絵顧録」がようやく届く。本人のサイン入りのもの。

 基本的には、「サイン入り」とか初版とかいったことには余り関心がないのだけど、画集なんて元々ファンアイテムなので、入っている方が嬉しい、という単純なファン心理。最終巻から一ヶ月後の画集の刊行というのは、タイミング的には良いところだと思う。描き方や色調に、時期によって色々な変遷が見られるのも楽しい。

 

 明日は、待ちに待ったルナサのライブ。チケットを申し込んだ時は、本当に行けるのか?と不安だったが、今のところ、明日の日中に余程のトラブルが起きない限りは無事、行ける見込み。楽しみ楽しみ。

 

4/9

 今週から再放送が始まった「プリンプリン物語」。

 第1話の後、(今回作った)番組紹介の回を挟み、当時の放送に戻ると、いきなり第443話まで飛んだのには、驚く。昔の作品の例に漏れず、ビデオテープが高価だったので、その間の回 が保存されていないらしい。現存は僅か1/3だけなのか… 残念。ただし、人形を制作した作家が自宅で録画していたテープから、その間の話の名場面を幾つか、番組の紹介の回で流してはいた。

 その中には、頭の大きな独裁者が支配するアクタ共和国の回も。私の場合、「プリンプリン物語」は好きで見ていたとはいえ、正直言って、主題歌やアルトコ中央TVの花のアナウンサー(つぼイノリオということも忘れていた)位までの記憶しか無く、登場した国やキャラクターなどは完全に忘却した、と思っていたのだが。アクタ共和国のシーンで、歌が掛かると、…覚えてる。というか、歌えるよ、自分。アクタ共和国国歌が。アクタ、アクタ共和国。

 いやぁ、今まで(この25年間)、頭の中の一体どこに入っていたのだろう。不思議だ。

 ともあれ、今見ても、(思った以上に)充分面白いので、録画に挫折しない限りは、暫く見続けるつもり。

 

4/8

 今日の雨で桜は散ってしまった様子。もっとも、朝のうちは、乗車駅では降っていたものの、下車駅では止んでいた。そんなわけで、すぐ前を歩いていた女子高生達の会話。

 (一人が空を見上げて)「あ。雨降ってない!」 (もう一人が今さら何をという顔で)「?」 「気付いてた?」 「気付いてたよー」 「…エスパー?」

 いや、それエスパーと違う… というか、何でやねん、という突っ込みはこういう時こそ使うのではないかと思った。

 

 NODA MAPの「オイル」は、先月、自前でのチケット調達にはあっけなく挫折したのだが、観ない方が後悔するだろうと、今までのポリシーを転換。手段を問わず、チケットを確保することにした。

 となれば、どうせならそれなりに良い席で観たい。と欲が出てくるのが人情というもので、途中、色々悩んだのだが、結果的には、+1千円で1階前半の席を確保出来たので、 首尾としては上出来だったかと。4月20日に観に行く予定で、NODA MAPになってから、実はまだ劇場で観たことが無い私としては、非常に楽しみ。

 

 というわけで、「オイル」の戯曲が掲載されている「文學界」五月号を購入。勿論、予め読んでは面白くないので、観た日の帰りの電車で読もうという考えである。それにしても「文學界」を買うのも随分と久し振り。もしかしたら「パンドラの鐘」が載っていた号以来かも。

 ところで、今号の「文學界」は朗読特集、ということらしく、武藤康史による文芸朗読CD及びカセットの百選が載っていた。武藤康史といえば、稀代の辞書マニアとして知られる編集者だが、朗読CDを聴くの が、彼のもう一つの趣味だったらしい(私は今回初めて知ったが)。

 学生時代、NHKFMの朗読の時間が好きだった私としては、朗読CDというのは、以前から気にはなっていたのだが、武藤康史も言うように余りに批評のない世界で、とりあえずどれから聴けば良いのかさえ分からないのが実態だった。闇雲に買えるほど安いものでも無いし。従って、今回の特集は、私にとっては、まさに待ち望んでいたガイド。

 もっとも、それぞれの短評を読んでいると、どれも一度は聴いてみたくなるのが難点。

 

4/6

 ぽかぽか。昨日とは、気温がまたえらく違うんですけど。というか、違いすぎるのでは。

 遠出する気力はないので、周りと近所の霊園の桜並木を2時間ほど散策。雨の後の割には、花はよく残っていて、透き通った青空を背景に、綺麗に浮かび上がっていた。もっとも、満開前の妖艶たる気配、 いわば「憑き物」は流石に落ちていた。まぁ、こういう長閑な春の休日も、たまには良いものかと。世は全てこともなし。

 

 昨日に続き、「ラーゼフォン」は最終楽章まで見た。のだが、今さら言うべきことも特に無いような。

 作画や美術は終始、高レベルだったものの、何かが決定的に足りない、という気は最初からしていて、結局、それが何だったかというと、監督としての才能。と 一言で片付けたくはなるけど、それは禁句として、問題点を具体的に探せば、この作品の場合、監督の一番やりたかったことと、作品の形式が、そもそも合っていなかったのではないかと。

 これって要するに、違う時を歩んでしまった二人が再び同じ時を生きようとする、「時かけ」ジャンルのファンタジーの一種だと思うのだが、「時かけ」モノというのは、梶尾真治の諸作を持ち出すまでもなく、短編こそ純度が高 く、長くなるほど冗長になる。そういう話を26話も掛けてやること自体、間違いだったとしか。

 あと、ロボットモノである必然性が殆ど無かったのもどうかと。その意味では、「エヴァ」の方が遙かに誠実だったし、この作品で言えば、最も有効に「設定」を使っていた第19話が一番出来が良かった かと 。とはいえ、全体では、この19話の意味が余り無いことがまた問題なのだが…

 …わ。結局、何だか、書いてしまっている意志薄弱な私。

 と、感想はそんな感じなのだが、劇場版は今のところ、それでも、見に行く予定。このジャンル(ロボットの方では全くない)のファンとして 、作品の最後まで看取らないと、というある種の義理を感じるので。往年の特撮ファンが、期待は出来ないと分かっていても、新作ゴジラは毎回行かざるを得ない、と思ってしまうのと似た ような心境?

 

4/5

 本来なら、冷たい雨が打ち付ける外へは一歩たりとも出たくない休日。しかし、先週の続きでやむなく皮膚科へ。また同じ薬を処方されたら、大変な出費だと恐れていたが、以後はビタミンB12で神経の修復を図るとして、薬代も塗り薬込みで前回の6,000円から600円へと、一桁下がる(^^;;

 疱疹も若干薄くなり、ピークを越えたからと思い込んでいたが、後で調べると、抗ウイルス薬は高額につき、保険は一週間しか下りず、これ以上はどのみち処方されないらしい。 まぁ、薬代は安いに越したことはないので、違和感さえ引けば。

 

 あとは家の中で、何故か今頃になって「ラーゼフォン」をえんえんと見る一日。この際、劇場版も観て溜息を吐こう、ということで、その前に復習しようという深慮遠謀。というか、真ん中辺りの1/3しか見ていない中途半端さだったので、今さら、予習して一体どうするという短慮浅薄振り、の方が適切かも。ともあれ、16話まで一気に見る。

 なお、放映時には、もう少し先の、ガールフレンドと逃避行したものの、さぁ大変なことに、という辺りまでは見た記憶が。あれが本当の記憶だったとして。

 OPの「ヘミソフィア」(今回、改めて確認するまで、『半智』?とずっと思っていた。『半球』=ヘミスフィアだったのか)を十数回も繰り返し見ると、「人生の半分も僕はまだ生きてない」というフレーズが耳に残り、私の場合、もしかして、人生の半分は既に生きてしまったのかと、ふと考え込む。

 平均余命的に言えば、「まだ生きてない」方だとは思うのだが、これから体験出来る事柄は今までと同じ程度がせいぜい、と思うと何だか凹む。多分、その考え方自体、間違っている、ような気はするけれど。

 

4/4

 今日も幸い、仕事が早く片付いたので、速攻で帰宅。家の周りの桜並木の夜桜を見ようと、夕食後、ドアを開けた瞬間、ポツポツと降り出した。夜桜まではぎりぎりセーフと昼の天気予報で言っていたのに… しかし、ここで挫けては何のために帰ってきたのか分からないので、傘を差して、街路を一周。

 ちょうど今日満開になったばかりの桜の「声」というか「気配」を身に感じながら歩く。せっかく桜並木の住宅地に住んでいるのだから、年に一度位は、こうやって桜の声を聴かないと。

 

4/3

  今週は、夜桜を見に行きたいとずっと思っていたのだが、今の職場は月末より月初の方が忙しいことが判明(そんなわけで、更新も止まっていた)。とはいえ、東京で桜を見るなら今週一杯で終わりなので、今日は仕事の方は割り切って、帰りに千鳥ヶ淵まで。薄手のコートを着ていて正解な寒さの中。

 以前、来た時と比べると遙かに人が溢れていて、入り口で暫く入れない程の混み様。ところで、今回は前の時ほどは、感動出来ず。満開ではあったのだけど、花に力が無い気がして。見慣れただけかもしれないし、昨年、弘前の桜を見てしまったせいかもしれないけど。…あるいは、単に人が多過ぎるから?

 本当は、2年前のように、真っ暗になる前の、夕暮れの桜を見たかったのだが、さすがにその時間に来るのは無理だった。「夜桜」よりも綺麗だったと思うのだけど。

 

 それにしても、週末、天気が悪いとなると、残念ながら、今年は首都圏の桜はほとんど見ることが出来ないで終わりそう。

 Comics。おがきちか「Landreaall」。感想は後日、追記。