今日も明日もいつもの道で 01'

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30.「六国峠ハイキングコース」 12/1

 天気が良いので、近くの丘を歩くことにした。金沢文庫から金沢動物園を経て横横道路の下を潜り、鎌倉の天園から瑞泉寺に向かい、更に明王院までの約12キロ。極限まで宅地開発されたこの地域で、僅かに残された丘陵の尾根だけを繋ぎに繋いで歩いていくコース。骨格だけ残った恐竜の背骨の上を進む気分。

 このコースの良いところは、そのまま家まで歩いて戻って来られる点。明王院まで来れば、すぐ近くなので。そんなの誰も聞いてないよ、という気もするけど。…などと書いていると、時々はここを歩いたりもするように見えるかもしれないが、実は、この道を歩くのは、多分17,8年振りのことだ。半日一杯掛けて歩きたい、という衝動が突然、沸き起こったので、帰路が便利なここを選んでみたのだ。

 久々に(本当に!)歩いた道は、その間の時間を全く感じさせないくらい同じところも、あるいは動物園の辺りのように(当時、出来たばかりだった)風景自体、完全に変わってしまい、当時どこを歩いたのかも分からなくなってしまったところもあった。

 そういえば、当時の私は、ちょうど今の私くらいの年齢の「私」を主人公にした物語を漠然と考えていた。多分、それくらいの年齢までしか、自分の将来を想像することが出来なかったのだろう。「私」は、仕事を無難にこなしつつも何か物足りない日々を送っていて、土曜と言えば昼まで寝ているような生活。だけど、ある週末、珍しく朝早く起きると、何故か、昔よく歩いた尾根道を再び歩いてみることにする…

 何だか、今日の私は、その「私」の行動にそっくりだ。一体、何をやっているのだろうか。こうやって歩いていることに、というより、こうやって「昔の自分が想像した自分」以上の人生を未だ送れていないことに対して、そう思った。

 物語は、冒頭を書いただけで中断したので結末はないのだけど、確か、その途上で何か/誰かに出会う筈だった。多分、「私」にとって、大切な意味を持つ何か/誰か。勿論、今日の私は、そんな何にも/誰にも出会うことはなく、最後の方で足が痛くなっただけで、4時間半後には、家に辿り着いてしまったのだが。

 本来なら、今の私は、更に先、いわば中高年、という将来像を想像すべき時期に来ているのかもしれない。しかし… 今の私にはこれからの将来像など、まるで想像がつかない。とりあえず今の私が、自分に対して言えることといえば、運動不足なのが証明されたので、もう少し歩く機会を増やそう、ということくらいである。

 

29.「オーエス、オーエス」 10/8

 あずまきよひこ「あずまんが大王」という4コマ漫画に、大阪という名の女子高生が登場する。いや、本当の名前は、大阪ではないのだが、それは置いておくとして、のんびりとした関西弁と、日常のふとした疑問へのあくなき好奇心が、彼女の特徴である。「パンツ一丁」の丁とは何か、雷がヘソを取るとはどういうことか、マツタケとシイタケは、カレーライスとハヤシライス以上に違うのか…

 そんな彼女の「疑問」を巡る四コマの一つに、、体育祭での綱引きの話があった。「オーエス、オーエス」と、皆が声を掛けながら綱を引いている最中だというのに、ふと疑問に思った彼女は叫ぶ。「オーエスってなんやー!?」 勿論、綱を引くのに必死なクラスメートからは、それに対する回答はなく、「うるせえ、ひっぱれ !!」と叱責が返ってくるだけなのだが。

 

 実は、この話から、作者、少なくとも編集者が使用している辞書は余り新しいものではない、ことが推測出来るのだ。

 まず、この話の面白さのポイントが、『「オーエス」という言葉の意味は、言われてみれば、よく分からない』という点にあることは言うまでもないだろう。辞書でさくっと引けるようなことであれば、大阪が単なる無知になってしまうだけで、面白くも何ともない。当然、編集者は手元にある辞書で、この言葉を引いてみた筈だ。

 そして、彼がそこで目にしたのは、「語源未詳」の四文字であった可能性が高い。例えば、私の持っている辞書でいえば、三省堂の新明解国語辞典(第四版)では、「オーエス」は『〔語源未詳〕〔東京地方で〕綱引きなどをする時の掛け声』、岩波国語辞典(第三版)では、『綱引きなどの掛け声・語源未詳』となっている。勿論、「オーエス」自体が載っていない辞書を引いた可能性も有るが、両者とも、机上用としては代表的な辞書なので、どちらかを引いたと想像することはそう無理でもないだろう。いずれにせよ、「オーエス」という言葉の意味は不明であることを編集者が確認した上で、作者はこの話を描いたものと思われる。

 私も、この話を読んだ時、上の定義を引いて、なるほどと納得した。元々、関西人である「大阪」が、「オーエス」を耳にしたとすれば、それは確かに奇異に響いただろうと。

 しかし、その後、もう少し調べてみると実は、今も「語源未詳」とされているわけではなくて、通説とでもいうものが既に存在しているのだった。

 最も詳細な例として、我が国で最大の国語辞典、小学館「日本国語大辞典(第二版)」を見ると、『(フランス Oh hisse)(hisseは帆などを引き揚げる意のhisserの命令法。そのかけ声が海軍または海員を通して一般に広まったものか)綱引きなどをする時のかけ声』となっていて、「やれ引け」という意味のフランス語が、その語源とされている。この説は、今では広く膾炙していて、先程の新明解、岩波とも、現在、本屋に置かれている最新の版(各々第五版、第六版)では共に語源として載せている。というか、今や「オーエス」という言葉を取り上げている国語辞典で、語源未詳としている辞書など存在しないと言って良い。

 従って、最新の辞書を編集者が使っていたら、この四コマは恐らく、没になっていたと思われるのだ。

 

 ちなみに、岩波国語辞典において、初めて先の語源が載ったのは平成6年の第五版であることから、辞書にこの語源が載るようになったのは、せいぜいここ十年くらいのことに過ぎないと、ほぼ限定出来るようだ。私は辞書の版が替わる度に必ず購入しては前の版と差異をチェックする程の辞書マニアではないので、この語源を最初にいつ、どの辞書が採り上げたのかまでは残念ながら、分からないが。

 しかし、不思議なのは、文例を通して証拠を明らかにすることがまず不可能な、こうした語源の場合、辞書の編纂委員はどのような基準でその正否を判断しているのだろうか、ということである。他の辞書の定義を読んで、ああそうか、と納得したら、そのまま採用、なのだろうか。それとも、こういう語源に関する学会でもあって、そこで報告され、評価されるとかのお墨付きが必要なのだろうか。その辺の事情も、大阪並に知りたいことの一つではある。

 ともあれ、「オーエス」という言葉一つ取っても、その意味が確定したのはここ十年くらい、というわけで、辞書というのが、いわば生もののような鮮度を持っていることが理解出来ると思う。かなり古い辞書をそのまま使っている方は、この際、最新の辞書も手に入れて見比べてみたらどうか、と提案したい。あずまきよひこの担当編集者氏には特に、お薦めしたいところである。

 

28.「納得」 9/19

 先日、映画を観た帰り、最寄り駅から家までタクシーに乗った。通常は、駅からはバスに乗るのだが、遅くなると、本数も減るため、わざわざ待っていられないことも多い。タクシー乗り場で待っている車にそのまま乗ると、行き先を告げた。

 すると、運転手がいきなり振り返り、私の名前を呼んだので驚いてしまった。…え? な、何故、分かるわけ?

 「やっぱり。ほら、中学の時、一緒だった。俺のこと覚えている?」 あっ!そういえば、見覚えが。しかし、前にも書いたが、私は他人の名前というものについては非常に物覚えが悪い。当然ながら、彼の名前は出てこない。「Iだよ」と彼が言うので、そういえば、確かにそうだったと初めて気付く有様。

 もっとも、言い訳を言わせて貰えば、中学の時は同学年で10クラスもあって、毎年クラス替えもあった。しかも、その後、クラス会というものは一切無かった上、街を歩いていても、同級生に会うことなど全くないまま、15年以上経ってしまったのだ。それで、自分のクラスの全員を名前と共に再現出来る方が珍しいように思う。

 ともあれ、何たる偶然。タクシーの運転手っていつから?と聞くと、半年との答え。どういう事情でそうなっているのかは聞けない。彼からも、私がどこまで通勤しているか聞かれる。都心の駅名を答える。「遅くまで、大変だねぇ」と彼。今日、帰りが遅いのは単に、映画を観に行ったからだ、とは言えない。

 彼も、数人を除くと卒業以来、皆どう過ごしているのか知らないらしい。数人の消息を聞く。Sは結婚して、この前離婚したとか。Nは相変わらずだとか。うんうんと頷いてはみせるものの、SもNも、ぼんやりとしか顔が浮かばないまま。

 家までは(タクシーでは)そんなに遠くではないので、そうこうしている内に、着く。それでは又、と挨拶して別れたのだが、多分、彼に出会う(あるいは、彼のタクシーに乗る)ことはもうないような気がした。20年の歳月で一瞬の再会。何だか、彗星の周回軌道のようだ…

 

 ところで話は変わるのだが、O.ヘンリーに確か「二十年後」とかいう短編があった。時の流れで、人生に成功した者とそうでなかった者が再会する話だったように思う(それこそ、中学の時に読んだのでよく覚えていない)。今回の話は、しかし、そういう意味での紹介では全くない。言うまでもなく、二人のどちらがまともな人生を送っているのか分かりはしない(少なくとも、私の人生は「成功」というものとは余り縁がない)。

 では、何故書いたかというとそれは、今まで「魁!!クロマティ高校」を読む度に、登場人物の内の一人、林田くんの顔にどうも既視感が付きまとっていたのだが、実は、他ならぬIの顔(髪型ではない)にそっくりだった、ということを今回、発見したからなのだ。世の中には、こうして永年の疑問が解決することもあるのだなぁ… (ていうか、ここまで書いてきて、そんなオチ!?)

 

27.「叙勲制度に対する提言」 9/5

 叙勲制度を見直しするとかいうニュースを聞いた。段階も簡略化した上、等級を数字で示すのは止める、のだそうだ。

 私は、恐らく生涯、叙勲などというものとは縁は無い。だから言うわけではないが(もし万が一、縁があっても辞退する筈、だ)、叙勲なんて旧態依然の愚かな制度はさっさと止めて欲しい、とは前から思っている。

 しかし、叙勲を受けることや、日経の「私の履歴書」を依頼されることを、人生の成功点として思い描いている(逆に言うとそれしか思い描けない)経済人や議員は、この国には幾らでもいる。あっさり廃止、とはなかなかいかないことは容易に想像できる。簡素化するだけでも、とりあえず良しとすべきかもしれない。

 問題は、ではどうやって等級を示すかだろう。数字でなく、どんな日本人でも聞いただけで判断できるランク付け。となれば、勿論、あれしかない。「松・竹・梅」の三段階である。

 今までの、勲三等とか、旭日、とかいった言葉に伴っていた偉そうなニュアンスがなくなって、単なる便宜的な段階なんだよ、というのが明快になる。しかも、仮に「梅」を貰ったとしても、所詮、「梅」だ。というわけで、叙勲を受けた=人間的に「偉い」ことが認められたのだと、はた迷惑な勘違いをする人も、少しは減りそうだ。

 ちなみに、同じようによく知られたランクに「特上・上・並」というのもあるが、これだと国民の平等をうたった日本国憲法に違背する可能性が有り、私としてはお薦めしかねる。叙勲は、寿司屋の握りではないのだ。それに、ランク付けしてみたところで、「特上」の人と「上」の人の間に、中トロと赤身ほどの明確な違いがあるとはとても思えないし…

 

26. 「Discover Japan」 7/7

 ここの「日記」を前から読んで頂いている方は、今年になってから、その内容が美術、それも日本の美術中心に移ってきているのに、お気付きだと思う。勿論、それは、そういう美術館、展覧会に行けるようになったということでは有るのだが、それだけではなく、私の関心が、日本的な方へ向いてきた、ということでもある。

 特に、これから暫く、向き合おうとしているのが、茶道と俳句の世界である。と書くと、いつまでも、オタッキーなサブカルチャーに傾倒していられるわけでもないし、年相応の教養も身に付けてと、いわば保守的で、まっとうな身の振り方として見えると思うのだが、そういうつもりでは全然ない。

 歴史を背景に、その権威を当然の物として主張しているような、そういう日本の文化、それは本当に、そんなに大層な代物なのか、それを自分なりに問い直してみたい、というだけのことなのだ。

 だから、茶道の文化を一通り理解した上で、飲み方なんて、別にどうでも良いよ。と、軽く否定出来るだけの教養を見付ける、というのが最終的な目標だと言える。有る意味、非常に嫌味な態度であるのは間違いない。勿論、そうして理解に努めた結果が、やはり尊敬に値する文化である、という結論になれば、それはそれで構わない。ただ、こういう日本の文化が、その価値を疑わずに、学ぶことだけを、初心者に求めているのが、気に入らないのだ。「…道」とは、つまり、宗教のようなものに過ぎないのでは?

 特に、その価値を疑わしく思っているのが、俳句だ。あれほど、巷に溢れているにも関わらず、では「俳句とは何か」という根本命題は、いまだ明らかでない。それぞれが何となく、思っているだけ。本屋にある俳句の本はどれも、俳句というジャンルが存在することを当然の前提に、その中で、良い句、悪い句を相対的に、語ってみせているだけ。

 …本当に、これは、芸術と呼べる、自立した文化なのか? 所詮、それは「内輪の芸の競い合い」でしかないのでは? まるで、オタク文化でのパロディ本のように。

 というわけで、今後の日記は、この二つの文化に関する記述が、増えていく筈。茶道は、かなり手強い相手だと思うので、まずは茶器を中心に、長期戦の構え。俳句は、ここ一年で、ある程度集中的に、関連する書物を、読んでいこうと思っている。多分、読めば読むほど、絶望的な結果が待っているような気はするのだが。

 なお、そんなことは無い、俳句は、ここで明快に語られている、という本があれば、ぜひ教えて頂きたい。

 

25. 「校歌斉唱」 5/17

 作曲家の團伊玖磨氏が、亡くなった。

 長く書き続けていた「パイプのけむり」の最終回を偶然、読んだ話は以前にも書いたが、同じ半島の住民であったということも有り、「ぞうさん」の作曲者とかいう知識以上に、割と親近感が有った人なので、やはり少しばかり、ショックな出来事だった。

 そういえば、と訃報を聞いて思い出したのは、(多分、地元という繋がりからだろうが)私がかつて通っていた高校の校歌を作曲したのも、團氏だったということだ。最近、創立以来初めて、首相を卒業生に出した、ということ以外に、ほとんど話題に上ることもないような、首都圏近郊の地味な公立校で、とりたてて誇るようなものも特に思い付かない学校なのだが、私は、その校歌だけは割と好きだった。

 校歌としてはかなり不思議な曲だったと思う。「あ〜まかける白雲か〜」と優美に始める歌詞を受けて(というか、氏が、近所の女子校と勘違いして作曲したのだ、という尤もらしい噂を聞いた)、女性的な優美で高い音程のメロディが、まず校歌らしくない。氏の曲でいえば「七色の谷を越えて」で始める「花の街」のような曲なのだ。しかも、更に不思議なのは、サビのところで、いきなり「いざ、さらば道の友垣」と別れを切り出す歌詞に、盛り上がるメロディ。…どう見ても聞いても、卒業式専用ソングではないか。

 一応、公式行事である入学式でも演奏されていたが、入学するや否や「いざ、さらば」と聞かされると違和感有り有りだった。従って、体育祭とかでは、もう一つの校歌である、旧制中学時代の校歌(こちらは、またやたらとバンカラだった)が専ら活用され、普通の在校生にとって、校歌とはそちらを指すものとなっていた。この校歌をきちんと歌えるのは、音楽を授業で取ったクラスの者くらいだった。

 しかしこの曲は、卒業式の時には十二分にその魅力を発揮したし、何より、校名が一切出てこない、という前代未聞の歌詞が素晴らしいと思う。

 今回の訃報を機に、検索してみたら、その校歌を載せているページがあった。私は、改めて歌詞を眺めながら、知らずに曲を口ずさんでいた。私にとっては、團伊玖磨という人は、何よりもまず、あの校歌の作曲者だったのだ、と思った。

 

24.「ファウスト」 2/4

 一年の計は元旦にあり。とよく言うが、気が付けば、正月どころか、既に立春である。しかし、自分の生活環境が急変したこともあり、ここは一つ、中長期的な計画というものを考えた方が良いのでは無いか、と思うのだ。

 

 以前、ふとゲーテの「ファウスト」を読もうかと思って、スタンダードに?森鴎外・訳のものを読み始めたことがあるのだが、忙しさに紛れてしまい、実は途中までしか読んでいないままだったりする。そういう私が言うのも何なのだが、「ファウスト」とは要は、人生をやり直す機会を与えられた男の話、と言えなくもない。勿論、それまでの知識とか財産はリセットされることなく、だ(というか、出費は全てメフィスト負担なのだ)。

 そして、今年になって突然、私に与えられた境遇というのも、ある意味、「ファウスト」に似ていなくもない。社会人としての収入は保障されたまま、2年間限定ではあるが、(今までからすれば)遙かに莫大な自由時間…

 その気になれば、何でも出来る。かどうかはともかく、かなりのことは出来る筈だ。

 まず思い付くのは、趣味的な時間の充実。その気になれば仕事の帰りに映画を観ることも、あるいは美術館や画廊へ絵画を観に行くことも可能だし、本を読める時間も倍増した。そして、日記にそれらの感想を毎日書くことも不可能ではない。もっとも、享楽的にこの2年間の全てを使ってしまうことは、最後に後悔をもたらす、ような気がしてならない。

 少なくとも、もとの会社に戻って来た時、自分を守る材料として、何らかの資格を取っておくことは必要であろう。勿論、その資格が、会社から追い出されても役に立つようなモノであれば、更に望ましい。

 しかし、せっかく2年間という長い時間なのだ。ここは一つ、昔から、時間がないのを言い訳に、何もしてこなかったあれに、ここで決着を付けるべきではないのか、とも思ったりする。

 

 目の前には色々な可能性が広がっている。しかし、実際に出来ることはそんなに多くはない。さて、私はこの2年をどうやって過ごしていこうか…

 とりあえず、「ファウスト」を最後まで読んでみることから始めるべきかもしれない(^^;;;

 

23.「世紀末」 1/1

 いよいよ21世紀。新たな時代の幕開けである。

 という正月のめでたい気分に水を差すつもりは別に無いのだが、多分、「世紀末」はまだ終わっていない、という気がしている。

 100年前、絵画の世界では、象徴主義と呼ばれる、世紀末的な美術の流行が有った。確かに、その代表作の多くは19世紀末まで描かれている。しかし、実際のところ、そのブームは1910年頃まで続いているのだ。例えば、あのムンクも「叫び」を描いたのは1892年のことであるが、1908年に精神病で入院するまで同系統の絵を描き続けていたし、ウィーン分離派のクリムトやシーレがいかにも世紀末のデカダンスに満ちた作品を発表して活躍するのは主に1900年以降のことなのである。当時のヨーロッパの文化の分水嶺は第一次世界大戦の開始(1914年)というのが通説らしい。

 勿論、こういう美術史上の年代それ自体は、どうでも良いことだ。しかし、20世紀が21世紀に変わったところで物事は何も変わりはしないわけで、今日みたいな日に、文字通りの「画期的」な何かを期待するのは凡そ無意味である、ということの傍証にはなるような気がする。

 恐らく、20世紀の総括、あるいは反省というのは、まだまだ不十分であり、問題点の大半は21世紀中引きずっていくことになるのだろうが、少なくともそのツケを払う、という意味での「世紀末」はむしろ、これからやって来る、と考えた方が良いのではないだろうか。

 

 という考え方は、世紀末がテーマの小論文の展開としては悪くはないと思うが、日常生活では、どのクラスにもいる、何でも否定的なことしか言わない嫌な奴、という受け取られ方をされかねないので、人に向かって話したり、ましてや、HPに書いたりはしない方が望ましいことは言うまでもない。


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