空の蒼さを 見つめていると


2006年11月

11/29

 色々なことが停滞中、なこともあって、更新する気力にも欠ける今日この頃。…このまま、春まで冬眠してしまいたい。

 

 先週以来、一日一冊と、あえてスローペースで読んでいた(←勿体ないから)「ゴーストハント」(というか当時の呼び方で言えば「悪霊」)シリーズ(第一期)、再読終了。今更だけど、今読んでもやはり面白かった。前編を通しての強固なミステリー的な構成と共に、初期の作者が一作ごとに「成長」していく過程に立ち会っている 、みたいな楽しさが格別で。

 原作を読んでしまうと、放送中のアニメはな… それなりに努力しているとは思うんだけど、要約の仕方が今一つ上手くないなぁと。この先は進めば進むほど、要約が難しくなる話ばかりなのに…

 

 1/4の新居昭乃LIVE2007。プレオーダーに申込みしようとして、はっと気付く。その日から、既に仕事じゃん… ZEPP TOKYOで18:30から、なんて間に合うわけがない。

 世間一般の感覚だと、1/4くらいまでは正月休みの内、なんでしょうか…

 

11/26

 寒いので、室内で雑事の片付け。

 旅行の保険金請求書(治療費)の作成とか、社会保険庁からの照会への回答(学生時代に払った未記載番号の紐付)とか。どちらも今頃になって、という感じだけど、貰える物ならきちんと貰っておかないと。例えそれが、2千円の治療費であっても。

 

 今後の展覧会情報をチェックしていたところ、NHKプロモーションの展覧会情報欄に、「鍋島」の文字が。

 どうやら、つい最近まで佐賀県立九州陶磁文化館で開催していた特別展の巡回展らしい。鍋島というと、サントリー美術館でその凄さを初めて知って以来、折に触れて見るようにはしているけど、体系的な知識は全然無いままなので、まとめて見られるこういう機会は結構、貴重。というか、(九州陶磁文化館の特別展のままなら)230点以上の鍋島を一気に見る ことが出来る、と考えただけでもクラクラします(^^;;

 巡回先はMOA美術館、大阪市立東洋陶磁美術館、福島県立美術館なので、MOA美術館に行くのが順当なんだけど、う〜ん、MOA美術館か… まぁ、それでも行くべき展覧会だろうな…

 

 和菓子とは季節感を味わうもの。

 と気付いてから、京都に行った時は大抵、季節にちなんだ簡単な和菓子を買って帰ることにしている。今の季節だと一番人気はやはり栗。というわけで、今回はその中から、(いつもと違って、多少奮発して)虎屋の栗蒸羊羹を買ってみた。栗蒸羊羹自体は、この時期、多くの菓子屋が出していて、虎屋のは他の2倍もするのだけど、餅は餅屋、羊羹なら羊羹屋が一番旨かろうとは誰でも容易に想像出来るわけで。

 で、想像通り、栗蒸羊羹は美味しかった。全てにおいて嫌みのない、甘過ぎない味で。言うなれば、何でも出来る優等生のそつのなさに感心!みたいな感じ? それこそがある意味、嫌みな気もしないでもないけど、いつもいつも土産物の和菓子に独創性やサプライズを求めているわけではないので、値段相応の美味しさということで、十分に満足しました。高いから、さすがに毎回は買えないけど(^^;;

 あー、こういう時こそ、あの台詞を言えば良いのか。『和菓子の究極は羊羹だから』

 

11/25

 本日が発売日だった、来年6月のパレルモ・マッシモ劇場来日公演

 6/30の「シチリア島の夕べの祈り」のD席を何とか確保。オーチャードホール3階で18,000円は正直、高いと思うが、来日公演ラッシュだった今年の6月と違って、来年の上半期は、主立った来日公演も他に無いようだし、まぁ良いかと (思うことにした)。皆、同じようなことを考えたのか、その後、すぐB席(33,000円)までsold outになったのには驚いたけど。パレルモ・マッシモ劇場がどんな水準の劇場かなんて、皆全然知らない筈なのに。

 来年の来日公演で言えば、9月のチューリヒ歌劇場だけは何とか見に行きたい!と思っているのだけど、こちらはチケットを取るのがもっと厳しいだろうな…という予感。

 

 雑誌「ku:nel」23号(マガジンハウス)。

 「トーベ・ヤンソンとムーミンのひみつ」という題で、トーベが暮らしていたクルーブ島の写真を巻頭に載せているというので、島の生活を写したあのドキュメンタリーフィルムを東京デザインセンターで見てからもう3年か、懐かしいなぁ、などと思いつつ、本屋の店頭でパラパラと眺めていたら。

 『コロボックル物語』の生みの親・佐藤さとるを訪ねて。」、などというインタビュー記事があったので、思わず購入してしまった。70歳で執筆を引退宣言してからは、鉄道模型のジオラマを制作中、というのが「せいたかさん」らしい。しかも 、「でも、これ完成させないんだ」とか言っている辺り(^^;; ともあれ、お元気そうで何より。

 

 今週は、22日に「鈴木信太郎」@そごう美術館、24日に「仏像展」(後期)@東京国立博物館、25日に「山本丘人展」@平塚市美術館、という風に、微妙な暇を見つけては、ちょっとずつ展覧会を訪問中。いずれその感想も記入したい けど、旅行(京都の方)中に見た展覧会の方が先か。

 

11/23

 それでは、先週の京都の話。行ったところとしては、こんな感じかなと。(「→」は交通機関、「〜」は徒歩での移動)

 11/16(木) 北大路橋→東山(哲学の道〜(大豊神社)〜永観堂〜細見美術館(「江戸琳派 抱一・其一の粋」)〜賀茂川(丸太町橋〜デルタ)。
 11/17(金) 高雄(西明寺〜神護寺〜清滝)→嵐山(嵯峨小付近〜渡月橋〜法輪寺)→北野(大将軍八神社)→鷹峯(光悦寺〜妙見宮〜源光庵)→奈良県立美術館(「応挙と芦雪」)
 11/18(土) 大原(来迎院〜三千院〜実光院〜寂光院)→下鴨(出町柳〜下鴨神社)→京都国立博物館(常設展示)
 11/19(日) 京都国立近代美術館(「都路華香展」)〜南禅寺(通過)〜水路閣〜日向大神宮〜蹴上〜南禅院

 京都の土地勘がある人でないと、さっぱり分からないとは思うけど、今回は実質3日間としても、3泊4日にしては緩過ぎる位の緩い日程。回るだけなら、この倍近くは回れた筈。

 何でこの程度かというと、紅葉が(今週ならまだしも)どこもまだまだで、しかも午後になると一面の曇り空となって(土曜からは雨)、ろくな紅葉の写真を撮ることなど凡そ無理だったため、のんびりと過ごして終わったから。元々、一番の目的は京都の紅葉じゃなくて、奈良県立美術館の「応挙と芦雪」の後期だったし。

 

 とはいえ、紅葉の状況が悪いだけに、自分なりに今回のテーマを設定。『今まで行ったことのない、あるいは卒業以来、再訪したことのない場所に行ってみること』

 前者として行ってみたのは、大豊神社、法輪寺、大将軍八大神社、来迎院等。

 大豊神社は、哲学の道のそばの狛犬ならぬ狛鼠で有名な神社。哲学の道自体は何十回も通ったことがあるのに、何故か行ったことが無かった。境内の石の動物たちがチャーミング。法輪寺は渡月橋の先の十三詣りで有名なお寺。こちらも上までは上ったことがなかった。ここには電電宮という電気の神様を奉った社があるというので、不思議な神社もあるものだと長年思っていたのだが、由来はともかく、経緯としては昭和30年〜40年代に掛けて、当時の近畿電波管理局長等の音頭で再興されたことを知って、ちょっと納得。京都の場合、何でも何百年の歴史が有って当然という感じなので、逆に実質、数十年しか経っていないものも有るというのを忘れ勝ち。なるほど、八百万の神の国。どんな新しい需要が出来ても、それに該当しそうな神様が、よく探せば(こじつければ?)何かしら出てくるものなのかも。

 後者としては高雄や清滝、そして大原。両方とも行楽シーズンの休日は道路が渋滞するので、卒業して以来、足が遠退いていた。十数年ぶりに訪ねた感想としては良くも悪くも! 余り変わっていないなと。

 最後に大原を訪ねたのは確か、「ノルウェイの森」がベストセラーを続けていた頃。作中に登場する阿美寮が八瀬の先にあるという設定だったので、バスに乗って八瀬を越えて大原に向かう時、「ノルウェイの森」の方角だなと、妙なことを思ったのを覚えている。そんな大昔の記憶しか無いにも関わらず、自分の中で、土地勘がまだ生きていたのには驚いた。特に、中心部から少し外れて、梅の宮前から寂光院側に向かおうとして、高野川に掛かった小さな橋を見た時。橋を渡り、林の向こうにある筈の畑のあぜ道を通り抜けるというルートが、頭の中のどこかに閃いた。この辺って15年前に1回位しか通ったことが無い筈なのに。

 幸い、その記憶は本当で、通常の道より遙かにショートカットで寂光院側に辿り着いた。恐らくこの先はもう二度と使うことのない知識だけど。

 (後から考えれば、阿美寮の場所としてはむしろ鞍馬の先として想像する方が自然だと思う。もっとも、架空の施設のモデル探しは所詮、「正解」には辿り着かないけど)

 

 行ったことのないといえば、今回初めて行った中には、下鴨神社横の「加茂みたらし茶屋」も。

 学生時代、下宿から歩いて7,8分の近所に有ったのだけど、むしろ近過ぎて観光客気分になれず、一回も入ったことが無かった。その後、御手洗団子発祥の地の「みたらし団子」とはどんなものか気になったのだが、思った時は後の祭りで、ここまで団子だけ食べに来る機会もなかった。今回、土曜の午後、天気も悪くて暇だったこともあり、出町柳から下鴨神社を抜けて 訪問。感想としては、見た目より、あっさりとしていた。美味しかったですよ。長年の懸案が一つ解消して満足。

 次に確認すべきなのは、出町「ふたば」の豆餅か。とはいえ、私がいた頃は商店街内の普通の和菓子屋だっただけに、休日に行列までして買いたいとは思わないし。

 

 ところで、撮ってきた写真ですが。今年の紅葉の写真。(昨年の紅葉の写真はこちら) あと、おまけとして?大豊神社の駒動物に、気になった看板

 ちなみに、これを見て、どこも十分綺麗!(に紅葉している)と思われた方は、京都の本当の紅葉をまだ見たことがない人だと思います。

 

11/21

 京都の話は、ちょっと置いておくとして。先週話題にした、真作と判明したカラヴァッジョの絵のニュース再び。現在、ローマで公開中らしい。

 『来年1月31日までローマ・テルミニ駅内の画廊で展示された後、東京にも巡回の予定。』とは本当? 何かやけに手回しが良いなぁ。どこがお金を出したんだか。まぁ、どうでも良いですけど(^^;;

 

 アニメの「ゴーストハント」。第3作目(File3)まで進んで、ようやく堅さが取れてきた気が(あるいは見る方が慣れただけかも)。

 そろそろ原作を読み返してみようか、と本棚の最上段(=小野不由美棚)から久々に「悪霊が(以下略)」な文庫本の数々を引っ張り出してみたら。…何、この付箋だらけの本(笑) って、あぁ、あれか!

 5年半前、サイト開設5年目の記念として、小野不由美作品を再読し、「水面に映る異界」という小論(←「ゴーストハント」シリーズ全体に関するネタバレも含むので注意)を書いてみたことがあるのだけど、その時、ペタペタ付箋を貼りまくったままの状態で、本棚に そっくり戻していたらしい(汗)  ということは、このシリーズ(の小説)を手に取るのって、5年半振りなのか。うわー。

 …そういえば、あの小論、本当はその2とかその3も書こうと思っていた筈だけど、既に5年経過… もっとも、作者の人だって同じく5年間、シリーズ物の新刊が出ていなかったりするから、まぁ良いか(良いのか?)。

 

11/19

 ここ3日ほど、京都に行ってました。

 といっても、泊まった宿の所在地は、粟津(滋賀県大津市)と東淀川(大阪府大阪市)で、旅の主目的も奈良県立美術館の「応挙と芦雪」の後期でしたが… 紅葉は、昔の私だったら、一目見るなりそのまま踵を返して即刻立ち去る程度の状況だったけど、紅葉の写真を撮りに行ったわけではないので、そのまま眺めてきました。高雄とか大原とか鷹峯とか東山とか。

 まぁ、旅行の様子については、後日改めて、ということで。ともあれ、「長めの休み」は今年はもう使い尽くしたので、あとは日常生活を地味に送るのみ。

 

11/14

  こういうことを言うと馬鹿にされそうなので、普段は黙っているのだけど、私には、非常に有名な画家の中にも「どこが良いのかさっぱり分からない」画家が結構います。

 

 その中の一人が、最近、英王室が模写だと思って物置に放り込んでいた絵が真作であると判明したニュースで、その名が広く報道されたばかりのカラヴァッジョ。

 このニュースでも、一番気になったのは、模写でも真作でもどうでも良さそうなカラヴァッジョの絵そのものでも、それが真作なら100億円以上の価値があるとかいう下世話な報道でもなく、英王室の物置とはどんな部屋なのか(まさか、イナバ物置のようなモノではあるまい)ということなわけで…

 カラヴァッジョの美術史上における重要性というのは知っている。油絵が、光という演出効果を手に入れるために、画面がどんどん闇に染まっていくことになったその転換点の画家という意味で、例えばレンブラントの絵もカラヴァッジョがいなければ生まれなかった 的な言い方も。でも当時、多くの追随者を生み出したということは、要するに時代の要請でもあったということで、遅かれ早かれ、誰が似たようなことをやっていた気がする。仮にカラヴァッジョがそのケンカ早い性格のため、誰かとのいざこざから無名のまま殺されていたとしても、美術史の大きな流れは今と余り変わらなかったと思う のだ。

 ケンカ早いといえば、その傷害事件(殺人含む)を何度も起こした短い人生から、奇才とか、不遇の天才扱いされることも多いようだが、それはおかしいんじゃないの?とも思う。作者本人が何をしようが、基本的に作品の評価とは別な筈で、真面目な人なら作品が素晴らしいわけではないように、殺人を犯した人物だから作品が素晴らしいわけでもない(それでいてラファエロのような絵を描けば、精神分析学的には興味深いが)。ともあれ、彼の生涯には興味がない。隣にいたら、さぞ迷惑な人物だったろうな、と思う位だ。

 では、肝心な、彼が描いた絵といえば、「どこが良いのかさっぱり分からない」のだ。フェルメールほどではないにしろ、西欧に行ったら出来るだけカラヴァッジョを見て回る(そして満足する)人は結構いるようなので、そういう人達は、彼の絵に何かを 見出しているに違いないのだが、私にはそれが何か全然分からない。早い話が、じっと眺めていても、絵が全然訴えかけて来ないのだ。…私の目って、節穴?

 描写力とかリアリズムとか、そういうことは認める(アンブロジアーナ美術館の「果物籠」だけは確かに良いと思った)。だけど、別に感動しない。表情がわざとらしいし、バラバラな角度から指す光と影も仰々しくてうさんくさいだけ。特に、ウフィッツィ美術館のように、名作や傑作がひしめきあう美術館では、カラヴァッジョなんかどうでも良い1枚にしか見えない。というか、そんなの有ったっけ?みたいな感じ。

 私なりに納得したのは、ローマのサンルイージ・デイ・フランチェージ教会やサンタマリア・デル・ポポロ教会、サンタゴスティーノ教会等に、本来の目的通り、その絵が飾られているのを見た瞬間。こういう教会では堂内が暗くて絵がよく見えない。しかし、小銭を箱に入れるとライトが付き、1分から1分半位の間だけ、絵が照らされる仕掛けになっている。で、彼の絵はそういう時に最大限の効果を発揮するように出来ているのだった。

 つまり彼の絵はインパクト重視の、いわばハッタリ系の絵なのだと思う。良い意味で(cv.斎藤千和で)。それはそれで良い。感動はしないけど。

 だが、ではその1分半では物足りないと何度も小銭を投げ込んだかというと、実は、私の場合はその1分半も興味が保たなかった。見ている内に何だか飽きてしまうのだ。何故かというと、情報量が少ないから、だと思う。光と影を強調するため、画面自体は割とフラットな印象で、ぱっと見は力強いが、一通り見回すともう見るものがないという感じ。

 教会の他にも、バチカン美術館、ボルゲーゼ美術館、ドーリア・パンフィーリ美術館、バルベリーニ宮とローマのあちこちで彼の作品は目にしたので、数的には割と見ている筈なのだが、私の印象は一山幾ら、でしか無かった。追随者と区別が付かないな、と思ったことの方がむしろよく覚えている位なのだ。(あえて言えば、「マグダラのマリア」は好きだけど、あれはカラヴァッジョらしくない甘めの絵だし )

 

 そんなわけで。今日放送されたBS-hiの「天才画家の肖像」でのカラヴァッジョの回。

 自分が分かっていないカラヴァッジョの魅力が分かるかも、と(時間に間に合ったこともあって)最後まで見たのだけど、カラヴァッジョ研究者の間で意見が分かれていること等を紹介するばかり。なるほど、研究者として細部をつつき回すには「面白い」画家なのかもしれないことは分かったが、絵としてどこが素晴らしいのかは、やっぱり分からなかった。がっかりだ…

 ちなみに、ここまで書いたからといって、カラヴァッジョなんてつまらない、と断言したいわけではなくて。ここをこう見ると、素晴らしいでしょ?というツボを、カラヴァッジョ好きの人には御指南頂きたいのだった。 ぜひ教えて下さい。本当に。

 

11/13

 不測の事態を色々恐れていたけど、今日は何も起こらず、開演前には無事にサントリーホールに到着。平穏で無事な一日って、大切ですよね。

 

 舞台を取り囲むサントリーホールの中で、今回はオケの後方席(安いから)。正統な聴き方からすれば邪道な位置なのだろうけど、指揮者の顔がよく見えて、一緒に曲を作り上げている感(←勿論、錯覚)が有って、それはそれで良かった。何より、ウィーンフィルの面々がすぐ目の前で演奏しているのを見るのは、すごい贅沢な気分だった。

 ところで、アーノンクールの指揮の特色なのか(すいません、聴いたの初めてなので)、演奏の緩急が凄く激しいのには驚いた。節目節目で、ピタッと曲を止める。思わず、観客も息を止める。そしてコンマ何秒か止めては、また激しく動き出すことの繰り返し。この緊張感ってまるで、「だるまさんが転んだ」 ?

 ウィーンフィルだからもっと繊細でお上品な演奏かと思っていたら、曲目(モーツァルトの交響曲39番+ベートーベンの交響曲7番)のせいもあってか、基本的にはワイルドアンドタフという感じで。ともあれ、後者のエキサイティングな演奏振りには皆満足。聴いていて、血湧き肉躍る、っていう奴? こういう演奏が目前で聴けるなら、多少の(でも無いけど)お金を払っても確かに惜しくない、と思った。

 

 駅からの通路に貼られたポスターのコピーでは「人がひとに還る場所」なサントリーホール。その洗面所には、サントリーのバイオテクノロジー部門が以前開発した青いカーネーションが活けてあった。人が自然に戻るホールでは、「自然」がどんどん人工化されていくという逆説? ご自慢の青いバラがホールのロビーを鮮やかに飾る日も、いずれ来るに違いない。

 

11/12

 休日出勤の仕事が、思いの外、早く終わったので、「ウィーン美術アカデミー名品展」@損保ジャパン東郷青児美術館へ。最終日だからか、予想以上に混んでいた。

 なかなか動かない列に沿って、時間を掛けて見る気力も無かったので、目玉作品が出てきたらそこだけじっくり見れば良いかと思いつつ、列の後からパラパラ眺めながら歩いていると、出口まで辿り着いてしまい(^^;;、却って欲求不満が 募ったので、その後更に、大江戸線で汐留まで行き、「重森三玲の庭 ー地上の小宇宙ー」@汐留ミュージアムまで見てしまった。

 

 ところで、その直前のことなのだけど、渋谷駅のホームの最前列に立って電車を待っていた時、到着した山手線の車両のドアから出てきた小学生位の女の子が、目の前で、電車とホームの間の広い隙間に、いきなり落ちたのには驚いた。隙間を覗き込んだら、まっすぐに落ちたらしく、床面上にそのまま立っていた。余りのことに、一瞬あっけに取られる。そのまま垂直に、すとんと落ちるものなんだ、へぇ…

 周囲の人で、すぐに駅員に連絡しようとしたが、ホーム上は多少混雑していて、少し離れたところにいる駅員までは直接、声が伝わりそうもなかった。とりあえず自分が駅員のところまで駆け付けて、子供が落ちた旨を知らせた。しかし、子供の方は、その子の両親か周りの人達がすぐに 引っ張り上げたらしく、(安全確認までの停車を指示した駅員と)私が現場に戻った時には、既にホーム上に立っていたのだった。

 あれ? 何だか、一番良い瞬間を見逃したような気がしないでも… というか、無駄骨? とはいえ、この場合、こうするのが一番正しい行動だろうしな。しかし、渋谷駅では、「ホームと電車の間が空いておりますのでご注意下さい」のアナウンスがよく流れているけど、まさか本当に落ちる人がいる なんて。いや、実は結構、多いのかも。

 でも、目の前の人が隙間に落ちて、視界からいきなり消えるのを目撃することは、そうそう無いと思う…

 

11/11

 今日は、久々に展覧会を見に出掛けるつもりだったけど、冷たい雨がザーザー降っていたので、一日中、家の中に引き籠もっていました。まぁ、明日仕事が早く終われば、見に行けるかもしれないし。

 

 せっかく暇が出来たので、通常のHDD内のTV番組の整理の他、(月曜にはウィーンフィルの演奏(モーツァルトの39番とベートーベンの7番)を聴きに行く予定なので)昨日録っておいたBSのクラシック・ロイヤルシート(NHK音楽祭でのN響によるモーツァルト39番)なども見てみたりした。

 指揮が(ベルリンフィルを指揮していた)ノリントンだったのにはちょっと驚く。やっぱり、この人は指揮棒を使わないで指揮をする人らしい。ウィーンフィルの来日公演での指揮者はアーノンクールなので、同じ古楽系の指揮者で同じ曲の演奏がどう変わるのかが興味津々。…なのは良いのだけど、職場の状況(主に人手)が割とピンチ!なので、月曜の帰りに抜け出せるかも微妙な気配に。いやいや、絶対何とかしよう。

 

 何とかといえば、来週後半は京都(+奈良)に何とか行きたい。というか、行く筈。こちらの問題は紅葉がまだまだ進まない(らしい)ということなんだけど、こればかりは人の意志では何とも出来ないわけで…

 

11/9

 相変わらず、平日は美術館には行けない、どころか本屋にも行けない(本屋なら全く不可能ではないけど)反面、帰宅してから、サイトとかを普段よりも、まめに巡回してしまったりしているわけですが。

 

 Bunkamuraザ・ミュージアムの今後のラインナップ情報に、来年6月の予定として「プラハ国立美術館所蔵 ルーベンスとブリューゲルの時代」などというものが。

 見た瞬間、プラハ国立美術館でブリューゲルと言えば、あの「干し草の収穫」かっ!と必要以上に大興奮してしまったけど、まぁ、違いますよね、どう考えても。

 ブリューゲルと言ったって、『トノサマガエル、アマガエル、カエルに色々あるけれど』。良くて?せいぜいヤン・ブリューゲルの細密画位ではないかと。大体、ペーテル・ブリューゲルの絵が来るくらいなら、「ルーベンスとゆかいな仲間達」みたいな感じのタイトルにはならない筈だろうし。

 現在開催中の「ベルギー王立美術館展」では、板絵は決して外に貸出しないという王立美術館の方針から、フランドルの巨匠の絵は一枚も借りられず、代わりに?「イカロスの墜落」(キャンバス)を貸してくれたという話を、西洋美術館の学芸課長さんがされていたようだし、ブリューゲルの代表作 (板絵)ともなると、日本ではなかなか見ることは難しい…(まぁ、以前、ボイスマンス・ボーニンヘン美術館の「バベルの塔」は来たことがあったから、全ての美術館で全く不可能というわけではないとは思う)。「干し草の収穫」と「穀物の収穫」は一度是非、実物を見てみたい作品なんだけどな。

 

11/7

 ところで先日、東京国立博物館に「仏像展」を見に行ったら、来年1月オープンの国立新美術館のチラシが。

 最初の企画展が「20世紀美術探検」で、次がパリのポンピドー・センターからの借り物展だということまでは既に知っていたけど、その更に次、4月からの企画展として用意しているのが、(日本で開催された中では最大規模の)「モネ展」らしい。

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 モネは嫌いな画家ではないし(美術館から1枚好きな絵を盗って自分の部屋に飾って良いと言われたらモネかも、と思った時期もある)、とりあえず花火を打ち上げなくては、という大人の事情も想像は出来る。だけど、21世紀に開館する国立新美術館が最初 期に行う大型の企画展が「モネ展」? しかも、その理由が「アンケートなどでも「ぜひ見たい」展覧会としてモネ展は筆頭にあげられている」からですって?

 絶望した! 安全牌ばかりを引こうとする新美術館に絶望した!(背景は黒バックで)

 というか、まぁ、最初から、大して期待はしてなかったけど。いよいよ、この美術館に夢が持てなくなってきました。

 で、web上に何か無いか探していたら、設立準備室の平成17年度実績報告書(pdf)なんてものが。ここに平成19年度の共催展についての準備作業の記載があった。これを見ると、モネ展の後に予定されているのは、「日展100年記念展」「アムステルダム国立美術館所蔵品展」「横山大観展」「モディリアーニ展」(いずれも仮称)らしい。

 ライクスの所蔵品展の中身だけは気になるところだけど、それはともかく、モネ展に対する、日本画家での最初の企画展が、横山大観?

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 もう良いです。

 

11/6

 来週日曜日の休日出勤(予定)に対する振休日。なかなか行けない郵便局に行って、音泉からの小為替を換金したり。返金分として受け取ってから、危うく半年経つところだった。

 

 11月中も余り暇が無い見込みなので、今月中に何とか行きたい展覧会を、この機会に整理してみる。

 損保ジャパン東郷青児美術館の「ウィーン美術アカデミー名品展」はチケット購入済みだから必須。11/12までだから、(11/12は仕事だし)11/11に行く他無さそう。翌週は関西に行っている筈なので、次に空いているのは翌週の11/23と25,26の休日か。優先順位としてはまず、平塚美術館の「山本丘人展」かな…

 千葉市美術館の「浦上玉堂展」や世田谷美術館の「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」もこの辺で見ておかないと、そろそろ危険なのだけど(どちらも遠いし)。江戸東京博物館の「江戸の誘惑」や、東京国立近代美術館の「揺らぐ近代」の前期や、東京国立博物館の「仏像展」の後期も同様に、って多過ぎるわ。この辺は夜間延長に行けると楽に見られるものばかりなのにな…

 終了間際の森アーツセンターギャラリーの「クリーブランド美術館展」は… 普通なら一応行くと ころだけど、あのビルに入ること自体が苦痛なのだけに、そのままパスするかも。終了までは間があるけど、東京都美術館の「大エルミタージュ美術館展」も 、行くのが何だか億劫なラインナップ。無理して行かなくても良いかな。

 そういや、10月からやっているというのに見に行った人の話を訊かないけど、逓信総合博物館の「ぼくらの小松崎茂展」はどんな感じなんだろう。

 

11/5

 朝6時半に、バスは横浜へ。横浜駅の中央通路があんなにも見晴らしが良い状態って、初めて見ましたよ(^^;;

 帰って昼まで寝て、その後はHDDを整理したり、日記を書いたり。そして、「応挙と芦雪」の後期も見に行くべく、11月中旬の宿の予約(今度は自分の連休を取るので)を検討したり。でも、「そうだ 京都、行こう。」というわけで、果たして今更予約しようと思っても、この時期、京都市内の宿はとても取れないのだった… (元々は10月中に予約しようと思っていたのだけど、風邪の後遺症と仕事の忙しさで今まで余裕がなかった) 昨年同様、近隣の府県で宿を取るしか無さそう。

 そういえば、JR東海の今年のCMは曼殊院だけど、去年行った時はかなり駄目な印象だった(別の年に撮った映像?と思って改めてCMをよく見ると、実は余り綺麗な色ではないので、やはり昨年かも)。いずれにせよ、ただでさえ、紅葉の時期は混んでいて落ち着かない寺なので、今年は行かない方が賢明だと思う。

 

11/4

 今日は奈良県立美術館の「応挙と芦雪」 (前期)を見に、奈良まで日帰り(帰りは夜行バス)という強行日程。

 この時期、奈良に行くなら(洒落ではないですよ)、ついでに「正倉院展」も見ないと「負け」なのでは、とは思ったものの、通常、会期が始まって一月位経ってから主催メディアに載る「10万人突破!」の記事が、9日目で突破とか書かれる展覧会なので、実際に見られるかは微妙…と思いつつ、奈良に向かう。

 だって、9日間で10万人ということはですよ、1日で1〜2万人(休日)、混んでいる時間だと1時間で2〜3千人もの人が僅か2部屋の会場を右往左往している計算に。うわっ、嫌すぎる。このままだと例え入っても、試合に勝っても勝負に負けたとか、そういう感じになりそう。13時過ぎ、京阪奈良駅に降りると、既にそこは凄い人。皆、目指すは「正倉院展」?

 とりあえず、14時過ぎに会場の横を通ったら、広い道まで長い列が。最後尾のプラカードを持った人が「入場まで2時間半」とか恐ろしいことを叫んでいた。列に並ぶこと自体を喜ぶ趣味はないので、そのまま直進、若草山の山腹に上って、ぼーっと奈良の街を眺めていた(あの斜面に一度上ってみたかったのだ)。それにしても奈良市内を歩くのは、恐らく中学の修学旅行以来なのだけど、相変わらず、鹿(せんべい)と木刀の土産ばかりやけに目立つ街だった。あの木刀は一体何なのだろう、と中学の時と全く同じことを思う私 (←進歩がない)。

 16時半頃に会場横をまた通ると、今度は、入場まで30分(ただし、中は混んでいます)、とのことなので、一度、近鉄奈良駅まで戻り、前売り券を買ってから博物館へ。17時に待ち時間無しで入場。多分、それまでの8時間と比べれば雲泥の差で空いていたとは思うのだけど、普通に見ようとするには(特に後の方ほど)混んでいた。ということもあって、「……こんなもん?」というのが見終えた最初の感想。いやまぁ、どれも貴重だというのは(頭では)分かるのだけど、ビジュアルでインパクトのあるものがもう1点位有っても良いのでは?  ほんまに皆、2時間半待って、これを見て満足したんか?と訊きたくなる。

 何とか、一通り見ることが出来たのだから、試合には一応勝ったと思うけど、勝負には…ええと、ええと、引き分け?

 で、夕食後、19時頃、今回の主目的、「応挙と芦雪展」を金曜夜間延長で見るため、県立美術館へ。……何、このひとけの無さ(笑)。一部屋に数人、美術館全体でも十数人程度しかいないようなんですが。「正倉院展」との余りの落差に泣けてくる。こんなに面白いのに、見ないで帰るなんて 。勿体ないオバケが出ますよ、本当に。

 中でも最高だったのが、芦雪の「唐子遊図」。寺子屋風景なのに、隣で寝ている子の顔に悪戯書きする子や、手を墨で真っ黒にしてペタペタ手形を付けている子、似顔絵を描いている子等、皆自由奔放な悪ガキ振りなのがおかしくてしょうがない。他にも有名な「牛図」や、初めて聞く「百鳥図」(鷲の表情がニヤリ。という感じで楽しい)、幾ら 何でも急勾配過ぎるだろうという「富士越鶴図」等、芦雪の多様な面白さが満載の展覧会だった(その分、応挙の方は影が薄かったけど)。

 勿論、あの「虎図」の面白さは圧倒的。和歌山の先端、串本町まで(特急で大阪から3時間、名古屋からだと4時間掛けて)一度見に行くしかないか、と思い詰めていただけに、今回ここで見られるとは、何て幸福。しかも、周りに人いないし(^^;; しかし、見れば見るほど、妙におかしい(面白い)。 やっぱり、猫だよなぁ。しかも虎よりも巨大な猫。小魚の視点から見た猫の姿がこう見えている、という「美の巨人たち」で紹介されていた説は本当かも、と思う。

 美術館を出て街に戻ると20時半。既にどこも閉店済の奈良市街。…早っ。マクドで暇をつぶしつつ、22時50分発の夜行バスを待っていたのだが、正直、時間が余りに余った。

 

11/3

 結局、平日の帰りには美術館にはとても行けず。

 というわけで、夕方から、出光美術館の「国宝 伴大納言絵巻展」と東京国立博物館の「仏像展」(前期)を見に東京へ。閉館前の夕方なら少しは空いているかもと期待して。

 しかし。16時半に出光美術館に着いてみると、1Fのエレベーター前に「90分待ち」の看板が。…えーと。入った時点で18時ということだよなぁ。見終えて19時だと、上野の「仏像展」を見る時間が無くなってしまう… 悩んだ末、「伴大納言絵巻展」の方は断念。10〜20年というスパンで考えれば、いずれまた展示もあるだろうし。まぁ、一番の理由は「仏像展」のチケットだけは 既に購入済だったということなのだけど。

 国立博物館に行ってみると、建物の前に何やら人だかりが。ああ、これが例の「光彩時空」とかいうイベント。…余計なことをせんでもええのに。

 予定より早く来てしまったため、とりあえず本館の絵画展示を一周する。江戸絵画のコーナーで、遙か遠くから見ても、1枚だけ凄く変な絵があるなー、と思って近付いたら、長沢芦雪の「蝦蟇仙人」だった。な、なるほど。明日の「応挙と芦雪展」がますます楽しみに。普段よりも時間があるので、いつもは歴史資料のコーナーまでしか行かない1Fも、民俗資料の部屋まで足を踏み入れてみたり。ちなみに陳列内容は「アイヌの祈り」だった。ハクオロさ〜ん(←間違い)

 18時半に平成館に辿り着くと、あれ?入場する人ってパラパラ? 「仏像展」のメインは高齢者層は夜間には来ない、という読みが当たった様子。光彩時空イベントの観客も、外で見ている以上、館内に入って来れないわけで。お陰でさほど混んではいない会場で、割と落ち着いて見ることが出来たのだった。それにしても、未だに仏像の見方が私にはよく分かりません。どこかの白薔薇姉妹にでも教えて頂きたいところ。

 以下はそういう私による「仏像展」についてのその場の思い付きの一部。

 ・ウルトラマンの横顔(の目)は仏像のそれ(と今頃になって気付く私)。ということはウルトラマンを「正義の味方」と無根拠に信じられる世界観とは、一種の観音信仰みたいなものなの? 
 ・私が外国人だったら、威厳に満ちた古の「異教の神々」の展覧会を見た、との感想メモを残しそうな展覧会。
 ・表面にノミ目を故意にとどめる鉈彫という一木彫像の流行が平安時代に起きたとの説明が興味深かった。樹より仏(の姿)が登場する瞬間を強調する日本独自の様式らしい。確かに こういうのって、西欧には無い気が。
 ・顔がパックリ割れて仏の顔が出てきた、京都国立博物館所蔵の「宝誌和尚立像」もそこに。こういうところに有ると、割と普通の像に見えるから不思議。でも、素直に見たら 最初に連想するのはジョン・カーペンター…
 ・円空はいつ見ても、ほっとする。無駄がないから? せっかくだから、なのか割と大きめの像が置いてあった。
 ・木喰は久々に見たけど、やはり好きになれない。前にも書いたように、太いタラコ唇が忌まわしいし、表情に自意識を感じるというか、あの微笑みが邪悪なものに見えてしまう。私が外国人だったら(またか)、「会場の最後に、邪悪な表情のこびとたちの像が置かれていて面白かったが、これらも本当に神の像?」と書くと思った。