空の蒼さを 見つめていると


2003年8月

8/31

 「コスモス荘」は、スタッフの「本気」が毎回、伝わってくるのが素晴らしいところかと。…その対象が、たとえ、何であっても。

 Comics。あずまきよひこ「よつばと!」1巻。

 あずまきよひこは、情報量の制御ということに意識的な漫画家だと思うのだけど、「よつばと!」はその辺がまだ試行錯誤という感じ。読み易いけど、情報量が少ない(あるいは無駄な部分で情報量が多い)と感じさせてしまう。昔の「ととと」よりは遙かに改善しているとは思うけど。面白さは、まぁ普通。

 ちなみに、ウエダハジメは、内容の情報量と(速読で得られる)情報量の少なさのギャップが独特の読みにくさなのかと、ふと比較してみたり。こちらもまた意識的、なんだろうけど。

 

8/30

 8月も間もなく終わりだというのに、未だに途中の、昨月の旅行記。ようやく4日目5日目を追加。でも、まだ半分なのか…

 Comics。久々に、買うだけではなくて、そのまま多少読んでみたりした。竹本泉「よみきりもの」5巻、氷川へきる「ぱにぽに」4巻、ウエダハジメ「Qコちゃん」1巻。

 

8/29

 職場で週に一度見せられる、社内の広報ビデオ。9月末の某目標を必達するように、との所轄の部長による檄が入っていた。

 「何がどうであれ」「ありとあらゆる手段でもって」「何としてもやりぬかなければならない」とか「達成する以外の言い訳はもはや許されない」とか色々。相手のあることなのに、「何がどうであれ」とは恐い言葉だ。もっとも、私が今いる部署は直接関係ないから、そんな感想を暢気に浮かべられているのであって、対象の職場にいれば、洒落にならない脅しなんだろうけど。

 …まぁ、この件に関しては、会社自体が強く脅されているので、末端に転嫁する他無い、という事情は一応分かるとはいえ。無理なものは「何がどうであれ」無理に決まってるよなぁ。とは言いたくても言えないのが現場なんだろう、きっと。気の毒に…

 

8/28

 惑星見るなら、やはり口径が無いと、ということで、とりあえず科博に直行してみたものの、天候不順のため、観望会は中止とのこと。昨日だって悪かったのに… 落胆して帰宅し、 バスを降りると、空にはいつものように燦々と輝いている火星。…充分に見えてるじゃん。何か、納得いかない。

 

8/26

 「薄い!」という印象の「隠魔羅鬼の疵」だけど、ずっと持ち歩いていると、やはり重い。早いこと読み終えてしまおう。

 

Art PYHÄ TILA 〈聖なる空間〉  東京デザインセンター 2003.8.18〜2003.8.31

 フィンランドの12の現代建築−いずれも教会−の紹介と、トーベ・ヤンソンが後半生のうちの二十数年間、毎年、冬以外の季節をそこで暮らしていたクルーブ島の別荘の紹介。

 前半は、日本で思い浮かべる教会のイメージ(薄暗い、カトリック的なそれ)とは全く違う、明るく清々しい、何もない空間が新鮮。ただし、キリスト教徒ならぬ者としては、そこまでして新しい教会を現代に作る必要性自体がよく分からないのだけど。フィンランドというのは、今もなお、敬虔なキリスト教徒国、なんだっけか?

 後半の展示の目玉は、島での暮らしを友人トゥーリッキ・ピエティラ(一緒に島で生活していた)が撮影した8mmを再構成し、トーベ・ヤンソンの文章を被せた45分のドキュメンタリー。百聞は一見に如かずというか、本当に岩しかない小さな島で、私だったら、そんな所に住むのは絶対嫌だな、と思うのだけど、二人とも、結構、楽しそう。中でも、小屋の外で、トーベ・ヤンソンが猫を抱いてダンスしているシーンが印象的だった。

 

Essay トーベ・ヤンソン 島暮らしの記録  筑摩書房

 東京デザインセンターの書籍売り場で購入。ドキュメンタリーで使用されたテキストは主にここからの引用。翻訳時(1999年)には、本屋で見掛けて買おうか迷った末、止めてしまった本なのだが、ドキュメンタリーの字幕も全部読み切れたわけではないし、この機会に読んでみることにした。

 映像が頭に入っているせいもあるのだろうけど、非常に面白かった。

 小屋を建てるまでの苦労(建築許可がなかなか下りず、骨格まで組んでしまえば取り壊し命令は出ないから、と無許可のまま、急いで建て始めるとか)、嵐が来ると全てが持って行かれてしまう話、母ハムが寝泊まりしていたテントサウナ(フィンランドにはそんな便利なものがあるらしい !)が水浸しとなり、小屋まで5月の海を泳いで渡った話(当時、ハムは80歳以上)、そして竜巻がすぐ近くを通っていった話(まるでフィリフヨンカの短編のようだ)等々、大変な、と騒げば幾らでも騒げそうなことでも割と淡々と語っていて(小屋を建てるまでの過程は興奮に満ちているけど)、却って興味深い。一番意外だったのは、不在の時期に空き巣が入る話。そんな孤島にもわざわざ盗みに行く者がいるとは。

 ちなみに、トーベ・ヤンソンは生涯、「ムーミン」を書き続けていたわけではなくて、島で暮らした後半生は、主に大人向きの小説だけを書いていたらしいのだけど、「海へ行く」の出版時期を確認してみたら、ちょうど小屋を建てた翌年だった。あれには、小屋を建てた興奮が反映しているのかもしれない。前に読んだ時は、ひどく憂鬱な小説だ、と思ったが、本人としては 決してそういうつもりではなかったのかも。…読み返してみた方が良い?

 トーベ達が最後、この島から引き払う前、近くの土地に住んでいる友人(小屋を建てるのを手伝ってくれた人)が言うセリフが、この島の「魅力」をよく語っている気がした。

 「どうだい?」と彼は言う。「ここじゃ、草の一本も生えやしない。なんにも、なにひとつ育たない。だけど、なんとなく、そこがいいんだと俺は思う」

 

8/24

 今朝、(「ココロのマド」係に)電話掛けてみたら、通じた(笑) 30分前に直接行けばOKという話。

 

 というわけで、西洋美術館での、高山宏のレクチャーに参加してきました。

 1時半から5時まで3時間半、途中、ブラザーズ・クエイの15分の短編映画を資料として観た他は、高山宏氏がひたすら喋りまくり、に圧倒される。期待通り、もの凄く面白い講義で、しかも、これが全くの無料とは !(今日は常設展も見なかったので、一切何も払わなかった)。行って良かった。こういうのが、上野のど真ん中で無料でやっているのに参加しないなんて、何て勿体ない、という感じ。

 開場までの段取りが悪く、30分待たされたりしたけれど、多分、資料を急いでコピーしていたのではないかと。本人が2日費やして今日の11時まで掛かって作成した、というその資料は、両面に図像をぎっしり貼り込んだB4の紙が17枚も有った 。

 ちなみに、切符売り場で渡された名簿では一桁で、他にいなかったらどうしよう(ディスカッションをやるという話もあったし)と思ったのだが、葉書で応募した人の方が多かったらしく、参加者は30人強だった。でも、満員ではなかったので、もっと宣伝すれば良いのに、という気が。構成的には老若男女、バラエティーに富んでいたけど。

 内容は一言ではとても言えないのだけど(何せ3時間半の話)、メモを取ってきたので、復習も兼ねて、その内、要点だけ整理しようかと。人の話を熱心に聴いてメモを取る、なんて学生の時以来。

 

 …昨日は西洋美術館のことを悪く言い過ぎたかも(^^;; 確かに広報姿勢は失格だと思うのだけど、こういう企画をやってみせる辺りは、流石。展覧会そのものだけではなくて、こういうイベントについても、日頃から、もっとチェックしておいた方が良いのかも。

 

8/23

 今さら暑くなられてもな、という感じだけど、午前中に近所の丘陵を歩いて、午後は(「クリーク」と一緒に買ってきていた)「ヒューガルデン」を飲んで涼む、という(多分)健康的な一日。

 

Art ドイツ・ロマン主義の風景素描  国立西洋美術館 2003.6.24〜2003.8.24

 19世紀初頭のドイツ語圏のロマン主義の画家、しかも素描なんて、全然興味無かったのだけど、同時代の画家カスパー・フリードリヒの素描も出品されている、というので金曜の帰りに寄ってみた。

 カスパー・フリードリヒの素描は、まぁ、ごく普通としか。彼らしい神秘的な絵を期待すると、失望することに。というか、フリードリヒはどちらかというと客寄せで、展覧会のメインは、イタリアで共同生活を行っていた「ナザレ派」(時代遅れという意味で呼ばれた蔑称らしい)の中心人物ユリウス・シュノル・フォン・カルロスフェルトの「風景画帳」。

 ローマ近郊の農村や教会、遺跡といった風景は今と変わらない(行ったこと無いけど)。しかし、人々の服装はむしろ中世以来のもので、そこで初めて、2百年前の絵であることを意識する。

 全体に奥行きへの関心が伺われること。切り立った岩など、メリハリのある風景が好まれていること。しかし、描かれているのは「自然そのもの」ではなく、必ず建築物のある風景であること。…それで?

 これらの風景素描は、英国でのピクチャレスク趣味や、近代における「風景」の発見と何が共通していて、どう違うのか、初心者にもその「位置付け」がよく分かるような説明が欲しかった。年表で、当時はロマン主義の時代で、とだけ強調されたって全然分からないってば。

 やけに分厚い3,300円の図譜にはきっと詳しく載っているのだろうけど、会場に来たら分かるのが展覧会の在り方では? 分からない人は最初から相手にしてません、みたいな姿勢はどうかと。

 

 と、特別展の展示に否定的な気分になっていたからか、常設展内の企画「ココロのマド 絵のかたち」には、逆にかなり感心。絵の内容、ではなくて形にスポットを当て、所蔵作品中の「王冠型」や「アーチ型」といった 絵の形の意味を説明することで、西欧絵画にもっと関心を持って貰おうという、子供達向けの企画。勿論、大人でも楽しめる。やれば出来るじゃん、西洋美術館。私の中で、好感度がupしましたよ。

 ところで、閉館前にチラシ置き場を眺めていたら、24日の午後1時から、その「ココロのマド」関連イベントとして、何と高山宏のレクチャー&ディスカッションのチラシが。「絵画の矩形と近代の思考」と題されたそのイベントでは、「絵画を矩形(であるのが当然)と考える思考は、我々の認識にどのような認識を及ぼしているのか」という問題について高山宏がレクチャーするらしい。

 それは相当に面白い筈。「申込方法」は事前に申し込むか、当日12時半に直接カウンター横の受付にお越し下さい、とのこと。行ってみようかな。暑くなるらしい日曜にもう一度来るのは面倒だけど。

 と思いつつ、帰ってからサイトで確認すると、定員40名で葉書で申し込み、とある。行ったは良いが締め切り済、というのも嫌なので、今日、美術館に電話してみた。

 そこで判明した衝撃の事実。

 西洋美術館は(他の国博等も同じかもしれない)、土日は電話に一切出ない、ということ。休館日でもないのに。代表回線はテープのみ。ハローダイヤルなる、NTTが代わりに案内する番号はあるのだけど、こちらに電話しても、そういうチラシは美術館から貰ってないので分からない、と言うのみ。チラシにある「ココロのマド」係の番号は鳴るのだけど、誰も出ず。

 ……観客に来て貰って初めて成り立つ施設で、観客が一番来る日に、電話受付自体が無い、なんて世間の常識では凡そ考えられない。それがお役所の常識なのか。ああ、前言撤回。やっぱり最低だ、国立の美術館なんて。サービス業のイロハのイも出来てないお粗末さ。少なくとも、電話に出る気がないなら、土日は電話には出ません位、サイトやチラシに書 いておくべきでは?

 

 というわけで、行っても聴けるのかは不明。レクチャー自体は絶対面白いと思うので、門前払いされるリスクを負っても可というチャレンジャーな人は行ってみても良いかも。私は…どうしようかなぁ。行って断られたら、代わりに、科博で「江戸大博覧会」を見て帰るのが順当なんだろうけど、混んでそうだし。カラクリ人形の実演は見られないようだし。ここの動画で見たから良いや、というのもあるのだけど。

 

 それにしても「くらのかみ」のもう少しちゃんとした感想もそろそろ書かないと。

 再読したら(まだしていない)印象がまた変わる可能性もあるけど、この前さらりと書いたコメントは(ミステリ的な、「言葉」の使用法において)「嘘は吐いていない」つもりではあるものの、初読で思ったことの半分しか書いてないのも事実。「小野不由美の児童文学」としては充分に「楽しんだ」のだけど、「小野不由美の新刊」として、または「児童文学の新スタンダード」としては「満足していない」のです。ちなみに、「ミステリ」としては、元からそういう観点で読んでいないので、何とも言えず。

 

8/21

 前に「やるだけのこと」をやった件については余り期待してしなかったのだけど、思った以上に好結果だった。これで先月の旅行関連は一応、終了。あとは旅行記の続きを書くだけ…

 

Art 恐い、怖い、こわい  ブリヂストン美術館 2003.6.17〜2003.9.28

 特別展、というほどではなくて、常設展の一部を、「コーナー展示」として、テーマを設けて展示しているもの。

 一番、興味深かったのはヘンリー・ムアの一連のリトグラフ。ムアの立体作品といえば、調和のイメージだけど、これらのリトグラフは、室内を覗いている「目」(小野不由美的に言うところの「コソリ」)を題材にした、神経症的な作品。こういう一面も有ったのか。

 ピカソが描くミノタウロスのイメージに、妙に強い既視感があると思ったら、どうやら、カプセル怪獣のミクラスらしいことに後で気付いた。…というのは、もはや、ピカソとは何の関係もなくて、私の原体験は全てその辺にある、というだけの話なのだけど。

 悪くはないけど、もう少し、ハッとするような作品が有った方がタイトルに相応しかった。ここには余りそういう作品が無いのかもしれないが。直接的な幽霊画とかではなくて、あくまで精神的な闇の怖さ中心なので、そういえば、という程度。題材的に最もインパクトが有ったのは、ウジューヌ・グラッセの「硫酸魔」?

 

 本日の某ニュース。特に「驚かない」自分を改めて意識した、ということで、「時の流れの速さ」(というほど速くもないか)を今さらながら意識させられた、という意味において、少し「驚いた」、というのが感想。何のことやら、という感じですが、まぁ、分かる方だけ分かって頂ければ。

 

8/20

 次は、京極夏彦を読む筈が、何故か「木製の王子」などをちまちま読んでいる今週。…あんまり面白くはないのだけど。

 

 近頃、運動不足かもしれない、ということで、朝、自分の部署の階までは、エレベーターではなく、歩いて上ることに。それ自体の運動というよりは、体温を上げて午前中の代謝機能を向上させるのが主目的なのだけど、14階分、一気に上がると、さすがにやや息が切れてしまうのが、運動不足たるゆえん。とりあえずは、息を乱さずに上り切ることが当面の目標。

 このところ、帰宅後は、溜まっていた未見分(「カレイドステージ」とか「捨てプリ」とか)を今頃まとめて消化したりしているので、旅行記含めて何も進まず。逃避行動? 何からの?

 

8/17

 NHKスペシャルの「トルコなんとか」2回目って、1回目を見た記憶が全然無いんですが。…あ、そうか。先月いない時だったのか。

 ついでにトルコ年の行事を確認してみたら、あちこちで見掛ける「大トルコ展」が全部同じであることが判明したり(来月のそごうのも、サントリー美術館でやったのと同じらしい)。デパートでの催しが多いのはやはり、同時に物産展を催すのが目的なんでしょうか。

 

 近所の川沿いを散歩していたら、茄子の馬が捨ててあった。お盆だし。とはいえ、水量が乏しいこんな小川に投げ入れたら、単なる生ゴミの不法投棄のような。日本人は何でも水に流せば良いと思っているけど、今求められているのは循環型社会の実現ですよ?

 ちなみに、散歩の目的地は、いつものように霊園墓地。オンシーズン?だけあって、この悪天候にも意外と人出が多かった。そこで、ふと見掛けたキリスト教徒のお墓。多分、キリストの言葉を刻んだものなんだろうけど、「我は甦りである」という墓碑銘は心臓に悪い。キリストならいざ知らず、普通の人にそうそう蘇られては… そういう循環型社会の実現は幾ら何でもまだ早い。せめて、裁きの日が来てから。

 

8/16

 結局、ここ2日の大半、横須賀線は不通。どうなっているんだか。まぁ、私は今日はずっと籠もって、旅行記の3日目を書いていたので、 実害はなかったのだけど。

 というわけで、3日目。画家の名を確認するのに時間を要したこともあり、予想外に時間が掛かってしまった。1日分を書くのに1日掛かるようでは、効率悪過ぎ… 

 

8/15

 この程度の雨で運転を取り止めてしまうなんて、最近の横須賀線は弱過ぎ。

 

Art 鉄道と絵画  東京ステーションギャラリー 2003.8.2〜2003.9.15

 テーマもテーマなら、場所も場所だけに、「鉄っちゃん」向けの展覧会、と思い勝ちだが、「鉄道に関する物が描かれた絵画(写真)」というテーマ縛りを上手く使って、近代美術の変遷を(通常の「…派」というジャンルを横断する形で)概観する、予想以上に面白い展覧会だった。

 出品されている作品自体は、正直言って、特にその画家を代表する傑作等ではないのだけど、その分は創意工夫でカヴァー。ターナーが借りられなくても、その版画や模写を出してみるとか。むしろ、集められた作品のジャンルへの目配りの広さと、その作品で示そうとする視点の多様さに 感心すべき展覧会。

 例えば、19世紀英国での駅を舞台とした風俗画に、鉄道に死の印象を結び付けた世紀末絵画、鉄道のスピード感にその理想を重ね合わせた未来派、 逆に、登場する機関車が既にノスタルジーの象徴となっているデルヴォーやデ・キリコ等々。 「新5か年計画の最重要課題は、輸送力の増大だ」というコピーが描かれたロシア構成主義のポスターや、アールヌーヴォー風かつ東洋風な天女が描かれた南満州鉄道のポスターといった珍品も登場する。

 こういうテーマ設定型の展覧会には不可欠な、熱心な説明書きもあって(ただし、専門用語頻出な文章には疑問だけど)、主催者の企画力の強さを感じた。中心となったのは三浦篤?

 とりあえず、ルソーの夕焼け空の絵(日本の個人が持っているらしい。羨ましい)とドーミエの風刺画を楽しむだけでも、損はしないのでは。

 日本人の絵については、余りピンと来なかったけど、そちらも興味有る人には面白いかと。その中では、長谷川利行の絵が一番、印象的だったかも。

 

8/14

 「マルドゥック・スクランブル」3部作と、「イリヤの空、UFOの夏」4巻、読了。

 それぞれ十分に堪能したのだけど、感想は後日ないしは保留。前者は、私とは無関係に「作品」が既にそこに立っている気がするし、後者は、逆に「作品」について書いているつもりで、そこに投影した「自分」のことだけ書いて終わってしまう気がする、のが感想を書くのを躊躇ってしまう一因。

 とりあえず、後者についてはもう一度、頭から読んでみた方が、その苦さがよく分かるのだろうな…

 

8/12

 思ったより早く退社出来たので、帰りに鎌倉で降りて、海岸まで花火を見に行ってみた。

 数年ぶりに見た鎌倉の花火は(ここ2年は、この時期、旅行していた)、想像以上に不況の影響を受けていた。とにかく貧相で、水中花火を続けていることだけが唯一の取り柄 。昔は「花火大会」という名前に相応しい華やかさがあったのだけど… あの人混みを耐えてまで見る価値は全然無かった。多分、この先、鎌倉の花火を、海岸まで見に行くことは2度とないと思う。

 終了後すぐに雨が降り出したように、湿気が多かったのも一因ではあるけど。湿気た夜の花火鑑賞なんて、湿気た煎餅がもはや煎餅ではないのと似たようなものなので。

 

Cinema 高坂希太郎 茄子・アンダルシアの夏  渋谷東急

 47分に1千円は高くはない。つまり、「観たこと」自体は悪くなかったと、心から思っているのだけど、「言いたいこと」としては、否定的なことしか出て来ない、という「不幸な」作品。

 特に映画を見た後で、全く無駄のない原作を読み返してしまうと、ちょっとね… アニメで付け加えた部分が、質的にプラスになってないのが何とも。「まぁ、ジブリだし。」といってしまえば、それでお終い? そう、「ジブリである」ことは裏切られないけど、それ以上の期待をす ると…、という微妙な出来。

 個人的に、この映画を評価出来ないのは、アンダルシアという舞台の空気が一向に伝わってこないこと。例えば、BARのオヤジの歌。あんなまのびした歌のどこがアンダルシアの歌かと。少なくとも、日本語で歌った時点でもう駄目。歌だけでもスペイン語にすればと思うが、それなら、いっそ、会話全部をスペイン語(他、英語等)にしても良かったのではないかと思い当たる。その方が、マーケットは大きくなるわけだし。そこまで「真剣」に作る気がないのなら、歌なんか最初から止めておけと言いたい。結婚式のダンスシーンも発想としては「正解」だけど、あの程度の、もさもさしたジブリ的な動きに留まるのなら、入れない方がマシ。

 一番、駄目だったのは、あのセルリアンブルーの青空。夏の空が実際にどうなのかは知らないが(私が行ったのは11月だったので)、強い光と影の対比の中ではもっと深い青に見える筈だと思うし、そうでなくても、あんな安っぽい色で済ませるのは、手抜きか、 色彩のセンスが悪いか。

 全体としては頑張っているな、という印象なので、ムキに貶すこともないのだけど、突出したところが無いので、引っ掛かる点だけが浮かび上がってしまうのかも。

 

8/10

 今年が「トルコ年」なのは、最近、NHKが派手に宣伝している展覧会を初めとして、目にすることも多いのだが、同時に「Feel Finland」というプロジェクトが開催中だとは知らなかった。前に見た「エイヤ−リーサ・アハティラ展」もその一環だったらしい。ムーミン映画が公開されているのも、そう…ではないみたいだけど、まぁ、あながち無関係でもないような。

 で、今後のイベントとしては、東京デザインセンターでの「Pyhä Tila <聖なる空間>」とか、原美術館でのマリア・リウリアの「タロット」展とか。どちらも、行ってどうする、という気もするのだけど、前者は「トーベ・ヤンソンの島の別荘」が気になるところだし(特に、彼女自身が撮影した8mmとか)、後者はよく分からないけど、この際。

 Comics。奥瀬サキ/目黒三吉「低俗霊DAYDREAM」5巻。宮野ともちか「ゆびさきミルクティー」。オガキチカ「CHIKA MANIAX」。何か、作品の傾向がバラバラだ(^^;; とりあえず、「ひとはだスパイラル」が良かったということで。(良いのか、それで)

 

8/9

  遠くても、(風が)すごい、台風。なのは、私には関係なく、クーラーでドライを利かせた部屋で一日、旅行を終わらせるための作業。結果はどうなるのか不明だけど、やるだけのことはやっておかなくては、ということで。

 ともあれ、このまま放置しておくといつまで経っても進まなそうなので、懸案の旅行記をとりあえず、最初の2日分だけup。お試し版というか、まだ完成形ではないのですが。(一日中やっていたのは、旅行記ではないです)

 ちなみに、3日目以降は、当分先になる見込み。

 

8/7

 私の場合、蒸し暑さと気力のなさは大体、比例するので、ここの更新意欲も、いつもより余計に低迷中です。

 

 完結したのでまとめて一気に、ということで、「マルドゥック・スクランブル」を「圧縮」から。

 今さらですが、エンターテインメントな良作。ところで、少女とジェントルな「鼠」のコンビという設定には何だか、強い既視感を覚えるんですが。とはいえ、ほたほた、ではないだろうし。ええと、ええと… 「ポケットナイト」のムラマサ?

 Novel。梨木香歩「りかさん」。「からくりからくさ」の続編、というかその昔話だが、個人的には全然駄目だった前作と違って、素直に読めたのは、何故だろう。

 

8/3

 日経の「私の履歴書」は、今月初から、水木しげる。

 というわけで、まだ始まったばかりだが、『5歳の頃、死がどういうものか気になって、3歳の弟を海に突き落とそうとしたが失敗した』話とか、なにげなく、とんでもないことが書いてあるので、見逃せない。

 ちなみに、同じ最終面で連載中の高村薫「新リア王」だが、先月、旅行から帰ってきたら、父から子に、語り手がいつの間にか交代していたのには、ややショックを受けた。いや、元々、今日も長々と喋っているな、という程度の読み方しかしてないので、語り手が誰だろうと代わりはしないのだけど。何か、損した気分というか。

 

 蒸し暑いので、すべきことをする気力も、単に外に出る気力すらなく。先月の新番組を今頃、チェックしたりして、一日過ごす。で、とりあえず。メテオさんは見続けよう、と。

 Comics。伊藤明弘「ジオブリーダーズ」9巻。もはや、どうでも良くなっているけど。

 

8/2

 昨夜、池袋の東武百貨店のビール売り場まで行って(ここにはベルギービールが売っていることを知ったので)買ってきたランビックのクリークを飲む。暑くなったので、美味しい。 値段は向こうでの3倍だけど。

 …これでようやく、喉の渇きが収まった。というか、あの旅行を終わらせることが出来たという気分。どうしてそうなのかは、いずれ旅行記で。

 

 「くらのかみ」。一回目、読了。(それこそ佐藤さとるのような)児童文学的な世界と、過去の小野不由美の世界という二つの点で懐かしさを随所に感じさせる、なかなか楽しい作品でした。きちんとした感想は、しばらくしてから。とりあえず、もう一回は読まないと。

 

8/1

 小野不由美の新刊「くらのかみ」。事前情報はあえてシャットアウトしていたので、店頭で初めて、どういう装幀なのか知る。

 何と。表紙が村上勉の絵ではないですか! さすがは「講談社の児童書」! 中身はこの週末、楽しんで読みたいと思います。