空の蒼さを 見つめていると


2003年6月

6/29

 実は、今回の旅の目的をまだ書いていませんでした。ということで、週記の方に。

 

 今日の日経を開いたら、他ならぬヤン・ファン・エイクの祭壇画だったのに驚いた。タイムリー?

 (昨日書くのを忘れた)今回の初期フランドル絵画。

 ヤン・ファン・エイク。アントワープ王立美術館「泉の聖母」「聖女バルバラ」。グルーニング美術館「参事会員ファン・デル・パウエルの聖母子」。聖バーフ教会の祭壇画。

 メムリンク。アントワープ王立美術館(修理中?)、ブリュッセル王立美術館、グルーニング美術館、そしてメムリンク美術館。

 

6/28

 旅行用の鞄というと、今はスーツケースしか持っていないので、適当なものを買いに出掛ける。

 昨晩の天気予報では確か、午前中には降り止むと言っていた筈だが、昼過ぎに渋谷に着いてもまだ降っているので、雨が止むまでBook1stで時間を潰す。その内に、乙一の「ZOO」が出ていることを思い出し、探すと「サイン本」だった。目の前でサインを貰うわけでもない「サイン本」というのも微妙だと思ったが、有って困るほどでもないので、そのまま購入。どうでも良いけど、平積みしてあると、ぱっと見 では「北上次郎の本」にしか見えない装幀に、何なんだこれは、と思った。

 まだ全然読んでないのだけど、短編集ということで、あの「SEVEN ROOMS」も収録されているのは嬉しい。勿論、あれを上回る作品があれば更に嬉しいのだが。

 雨が止んだ後、東急ハンズで、Woodsの3wayバッグを購入。帰ってから本を開いてみて、サインについては、…やはり微妙だ、と思った。

 

 ボッシュ、ブリューゲルから時代を遡って、Jan Van EYCK。

 本来なら、フランドル絵画を見に行く、という以上、ヤン・ファン・エイクがまず筆頭に置かれるのが、当然なのだと思う。油絵画法の完成者にして、絵画表現の完成者。最初にして既に最高峰というのは、例えば漫画における手塚治虫みたいな存在。

 とはいいつつ、彼(及び兄)の絵については、今までほとんど意識したことがなかった。

 絵画と鏡の関係についての話にはヴェラスケスの「ラス・メニーナス」と並んで絶対に引用される有名な作品「アルノルフィーニ夫妻の肖像」(実は「プリンプリン物語」のブリカ殿下 にちょっと似ている)の作者だったと言われてみれば、ああそうか、とは思うものの、ロンドンにある実物を見たことはないし、まして日本で彼の絵を見る機会などまずない。

 ベルギーを回るツアーのパンフには、『ゲントの聖バーフ教会の「神秘の子羊」にもご案内します』と必ず書かれているので、今回初めて、そういう絵があると知った位。…フランドル絵画とか騒いでいるようでも、私はそんな程度の知識しかないのです、ええ。

 というわけで、知れば知るほど、深く反省。レオナルド・ダ・ヴィンチと同じ位の敬意が払われてしかるべき画家であり作品だと思う。というわけで、恐らく、今回後半のハイライト。

 「ヤン・ファン・エイク<ヘントの祭壇画> 教会改革の提案」 ノルベルト・シュナイダー 三元社

 まずは、その絵を見て貰うとして。(なお、本のタイトルでは「ヤン」だけだが、通常、ファン・アイク兄弟の作品として言及される)

 「作品とコンテクスト」シリーズの一冊。著者は、画面の分析を通して、そこには「未来の神の国」という神学的な教義だけではなく、寄進者の改革主義的な教会論も含んでいると見る。つまり、上部のパネルからは一見、王権と教皇権の争闘の中で教皇権の絶対的優位を示しているように見える(神の頭上の冠=教皇の冠、足下の冠=皇帝の冠である)が、下のパネルには、平等性の原理と、教皇に対する公会議の優位性が表現されているとして、寄進者の改革主義としての理念の表明を読みとる。

 と乱暴に要約してしまうと、単なる思い付きみたいだが、その真偽はともかく、実際の分析は極めてシャープで、説得力はあった。そうそう、こういう文章が読みたいのですよ。とりあえず、ここに描かれている人物がそれぞれ誰か分かっただけでも、充分に役に立ったし。

 

 ちなみに、この絵には、現代まで色々なドラマが有ったりするのだけど、その辺はこのページに詳しい。

 

6/27

 ボッシュの次の画家といえば、PIETER BRUEGEL。勿論、(父)の方。その作品

 「ブリューゲル」 ローズ=マリー・ハーゲン/ライナー・ハーゲン TASCHEN

 「ブリューゲル・さかさまの世界」 カシュ・ヤノーシュ 大月書店

 ブリューゲルについては読むと書いたような記憶もあるのだけど、適当なものが見付からなかったので(森洋子の本は高いし)、前に買ったTASCHENの画集だけで、まぁ良いや、とお茶を濁す。しかし、今さら読んでも遅いよ、という気も。ウィーンに行く前に、それこそもっとちゃんと読んでおけば良かったのだが。

 まぁ、ブリューゲルについて理解を深めるのはライフワークの一つとして、晩年の楽しみに取っておこうかと(言い訳)。本人は、代表作のほぼ全てを12年の間に描いていて、40台前半では既に亡くなっているらしいけど。

 TASCHENの画集は値段の割にはお買い得。作品の点数が画集にちょうど良い画家だということも有るのだけど。「ネーデルランドの諺」118個全解説は素晴らしい。

 後者は、ブリューゲルの絵(「子供の遊び」「ネーデルランドの諺」「バベルの塔」)の細部に描かれていることを平易に説明している(多分子供向けの)本で、元々はハンガリーの絵本らしい。こういう絵本を楽しんで育つ子供が羨ましい。

 

 ところで、ブリューゲルの絵の魅力といえば、そういう細部の魅力がまず有るのは当然だが、同時に「全体」を感じさせる絵だというのも大きいと思う。特権的な主人公の動作に画面が集約されることがなく、 沢山の人物が各自の意思で動き回っていることで描かれる「社会」「全体」の姿。「風景」も同様に「全体」として広がっている。

 しかし、画家は「全体」を認識し統合する眼差しを求めつつ、その視線の「力」に対する自制の必要性もまた常に意識していたようにも思える。「バベルの塔」や「イカロスの墜落」といった作品を好んで描いたのも、高みの視線への欲望とそれに対する心理的な抑制、と捉えると納得し易い。

 といった無責任な心理分析はともかく、彼の絵の魅力は、部分と全体、その両方向へ見ている者を誘うところにある。と今考えてみたのだが、どうか。(どうかと言われても…)

 

 さて、今回のブリューゲル(予定)。

 ボイスマンス・ファン・ベーニンゲン美術館「バベルの塔」。マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館「狂女フリート」「12の諺」。ブリュッセル王立美術館「反逆天使の墜落」「ベツレヘムの人口調査」「イカロスの墜落のある風景」。

 多分、今回の旅行のクライマックスの一つになると思われるのが、ブリュッセル王立美術館のブリューゲル室。特に「反逆天使…」は写真で見るだけでも愉快な絵なので、実際に見てみるのが、とても楽しみ。

 10年振りの再会となる(もう一生見ることは無いと思っていたけど)ロッテルダムの「バベルの塔」も、せっかく二度目の機会だし、今回チェックすべきことを事前に考えておいた方が良さそう。まずはもう一度、原寸大ポスターをよく眺めてみることにしよう。ちなみに、長谷川三千子的な見方では評価されていないけど、私はむしろ、こちらの方が好み 。

 とりあえず、単眼鏡を持っていくのだけは忘れないようにしないと。

 

6/26

 ようやくスーツを夏服に替える。さすがに涼しい。季節一つくらいは違う。…というか、今日の気温が単に低いだけ?

 

 一昨日は、いきなり名前から始めてしまい、何故、その画家の絵を見たいか、という肝心なことを書くのを忘れていた。

 ボッシュに関しては、「快楽の園」を目にした時の強烈な印象から全ては始まっているわけで。その出発点が無かったら、今も縁遠い画家だったのは確か。

 とはいえ、中世人であるボッシュと今の私達では世界観が離れ過ぎていて、思っている以上に、本質的なところは 「分からない」のが実際だと思う。同時代でもレオナルド・ダ・ヴィンチなら「分かる」気がするのと比べれば、なお一層。しかし、ごく部分的にしか理解出来ないとしても(いや、解けない謎に満ちているからこそ?)、ボッシュの絵には、強く惹き付けられる。

 結局、登山家の有名な言葉ではないが、ボッシュの絵を何故見るかと言えば、そこにボッシュの絵があるから、というのが一番素直な返答。…説明になってない?

 

6/24

 あと3週間。今回の目的に関して、事前に整理出来るだけのことは、その間に書いておこうかと。完全に自分用メモなので申し訳ないですが。

 

 1人目。HIERONYMUS BOSCH。その代表作(以降、Web Gallary of Artの該当ページをリンク)。

 (パルコ美術選書)「ヒエロニムス・ボッシュ」 ハインリヒ・ゲルツ PARCO出版

 (新潮美術文庫)「ボス」 新潮社

 ボッシュという画家の捉えどころの無さは、名前からして既に始まっている。ボッシュ?ボス?ボッス? 前書の訳者によると、ボッシュという読み方はドイツ語読みであって、現地的に発音すればボスになると のこと。日本では、どうやらドイツ圏経由の紹介が多かったことで、「ボッシュ」が定着しているらしい。

 どう読むにせよ、BOSCHとは、住んでいた町の名「セルトーヘンボッス」(ドイツ語読みでは「スヘルトーヘンボッシュ」)から来ていて、本名はファン・アーケンだという。ボッシュとは外国人顧客向けのサイン名だったらしいのだ。つまり、横浜市民がハマっ子と呼ばれるようなものか(かなり違う)。

 しかし、そういう本人の履歴を調べれば(というほど、残っていないが)、その絵が分かるわけでは無くて。むしろ「完全に分かることなど無い」のがボッシュなのだが、そうは言っても、丹念に絵を見れば分かること(あるいは想像出来ること)とそれでもお手上げなことがあるわけで、前者に関して、主要作品の全てに対して解説しているのが、前書。

 勿論、その妥当性は、本人の名前で躓いているような私に判断出来るわけもないのだが、年代順での作品の変遷をイメージとして掴めたので、一応、良しとしようかと。

 とはいえ、図版は白黒。かつてプラドで見た作品は良いとしても(でも大半の細部は忘れていた)、他はカラーで見ないとピンと来ないな、と後書も購入。ただし、昭和50年の出版なので、印刷技術はかなり苦しい… というか、駄目? TASCHEN位は必要かと後に英語版( だけだった)を本屋で見たのだが、印刷はともかく、今一つな印象は同じ。元々の画面が大きいので、縮小してしまうと、肝心なところが伝わってこないのだ。つまり、実際に見ないと駄目な画家の一人 。

 

 というわけで、今回の旅でのボッシュ(予定)。

 ボイスマンス・ファン・ベーニンゲン美術館「大洪水」「聖クリストフォロス」「カナの結婚」「放浪者(放蕩息子の帰宅)」。ブリュッセル王立美術館「キリスト架刑」。 グルーニング美術館「最後の審判」。ゲント美術館「贖罪する聖ヒエロニムス」「十字架を負うキリスト」。

 特に人間不信の極北たるエゴイスティックな顔で埋め尽くされた「十字架を負うキリスト」と、表情で人生そのものを感じさせる「放浪者」が同じ作者の晩年に共に描かれたことの凄さを実際に見てみること。

 ちなみに。ボッシュの絵で、「快楽の園」に匹敵する作品といえば、リスボンにある「聖アントニウスの誘惑」らしい。さすがにその絵のため、リスボンへ行くことは一生ないと思うけど。でも、ベネルクスに行くことがある、とも一月前まで思ったこともなかったし…

 

6/23

Art 京都・細見美術館名品展  大倉集古館 2003.5.13〜2003.6.22

 しまった。感想を書くのを一番後回しにしたせいで、もはや忘れている。というか、展覧会自体、もう終わってるし…

 見に行った主目的は、鈴木其一の「鵞鳥図屏風」。板橋区立美術館の「鈴木其一展」の図譜(美術館で半額セールをしていたのを買ってきた)で見た時、凄く面白いと思ったのだけど。…写真の方が良かったかも(^^;; 其一の場合、グラフィカルな画面構成が面白い一方、実際の絵そのものは割とそっけないところがあって。こういう風に、保存状態がイマイチだと特にそういう気がしてしまう。つまりは、グラフィックデザイナー?

 しかし、さすがに細見美術館から選り抜いて借りてきただけのことは有り、小規模ながら(スペース上、ここではいつもそうだけど)、質の高い展示に満足。若冲の鼠の絵を実際に見るのは初めてだったので、得した気分。あとは、チラシの表紙にも使っているだけ有って、高坂雪佳「金魚玉図」が楽しかった。金魚を入れたガラスの玉を釣り下げた様子らしいのだが、金魚を真正面から捕らえた様がおかしい。「Fantastic!Flying Golden Fish!」とか変な外人風に絶賛したくなる絵。

 

6/22

 昨日、駅までの道を久し振りに昼間に歩いてみて、その途中、右手にある崖の斜面に、山百合が既に咲き揃っているのに気付く。もうそんな季節だったのか。暑いわけだ。

 私にとって百合とは、こうして昔から通学時によく見掛けたこの山百合をまず意味するのだが、小さい頃の印象が強かったためか、今でも、この花を見た時、まず浮かんでくるのは「野生」とか「獰猛」とかいった言葉になる。

 百合が「獰猛」というのも変な話だが、あの強烈な黄色い線に、紅い斑点、そして威嚇するかのような花びらの開き方に、特有の強い香り。あれはどう見ても、豹やジャガーといった猫科の獣のイメージそのものではないか。そう、私は小さい頃、この花を見掛ける度に、「噛まれそう…」と思っていたのだ。だから名前も、「山猫」を「ヤマネコ」と書いた方が より野生の生き物という気がするように、「山百合」でなく「ヤマユリ」と書いた方がぴったり来る。

 世間では、「百合のような」といえば「清楚で可憐な」女性を形容する言葉だとは頭では分かっているが、自分内定義は上の如しであるから、この手の表現を目にする度に、違和感が 拭いきれない。百合といえば、ワイルドでタフなのに…

 とはいえ、百合一般の世間的イメージにことさら異を唱えるつもりは別にない。ただ、ヤマユリを見ても、同じく可憐と清楚とか、そう言い出す人がいたら、その人こそ、「山百合のような」(自分内定義での)人だと思うので、 そういう人とは、お近付きにはなりたくない、という気はする。

 

 そういえば、「最近の世間」では、「百合」といえば、また別の人間関係を指すわけだけど、あれはどこから来た言葉なのか、ふと気になった。結論的には、どうやら、映画のタイトル辺りが語源としては有力らしく、となると、せいぜいここ20年位の歴史しかないことになる。吉屋信子の頃から、そういう言い方があったのかと、何となく 思い込んでいたので、ちょっと意外だ。

 

6/21

 うだるように暑い… 暑さの余り、乙一の新刊見付けた!と中身も見ずにレジに直行しそうになり、「石ノ目」と同じだということに買う直前で気付く。

 ええと、書くことは幾つか有る気はするのだけど、気力が無いので、パス。週記の方は更新してます(実は昨日、upし損なった分)。

 

6/20

  溜め込んでいても仕方ないので、先週の感想を書いておくことに。ちなみに「アニマトリックス」は今のところ見てません。

 

Cinema ウォシャウスキー兄弟 マトリックス・リローデッド  渋谷パンテオン

 今月末で閉館の渋谷パンテオンで観る最後の映画。文化会館は、私にとっても、東京でのロードショー劇場の基本だったので、閉館となると色々と感慨深い。例えば、ここ数年で思い出すことといえば、「ロード・オブ・ザ・リング」(字幕版)を観に行ったら微妙にピンボケなままで平気で上映していたとか、「サクラ大戦 活動写真」が場内ガラガラだったのはともかく、登場人物に話し掛ける電波なお兄さんがいて甚だ迷惑だったとか、……嫌な思い出しか浮かんでこないのは何故 ?

 休日だと混んでいそうなので、先週、平日に休みを取った時に観たのだけど。特に期待していたわけではないが、退屈過ぎる、という点で、ちょっと酷すぎるよね、としか。

 冗長な映画、というのはよく有る話だけど、全体を1/4に縮めれば観られるようになるかも、と思ってしまう作品はそうないのでは? 勿論、そこまで縮めたら、1本の映画になるわけもなく、従って本来は次回作の序段に過ぎない内容を、金儲けのため、水増したという印象。

 「アニマトリックス」を待つまでもなく、日本のアニメとの親近性が1作目から言われてきた本作だが、見せ場を凝って描くことに情熱を注ぐ一方、そのアクションを必要とする理由付けはお粗末でも平気、という日本のアニメ映画によく見られるダメダメ脚本 にまで、よく似ているのが今作。…いや、そこは真似しなくても良いんだってば(^^;;

 というわけで、嫌な思い出を上書きして、渋谷パンテオンと最後の別れを告げたのだった。…なるほど、「リローデッド」。

 

6/19

 蒸し暑い。のは嫌なのだが、梅雨が明けて、更に暑い夏が来るのもまた嫌。

 

 「ネーデルランド絵画を読む」 吉屋敬 未来社

 女流画家である著者が、現地の日本人に対して行った講演を本にまとめたもの、らしい。元が講演だけあって、非常に読み易く内容も平易。だったので、立ち読みで済ませてしまいました。すみません。

 週刊「世界の美術館」 講談社

 (NO.32)「クレラー=ミュラー美術館」(NO.34)「アムステルダム国立美術館」(NO.39)「ベルギー王立美術館」(NO.53)「アントワープ王立美術館」の4冊を購入。何となく馬鹿にしてしまいがちなこの手の雑誌だけど、意識しておくべき作品を予習するという意味では、まさに最適。数年前のこのシリーズは、普通の本屋からはすっかり姿を消しており、三省堂とかそういった所まで探さないと無かった。「ゴッホ美術館」の巻なんか、どこにも見付からなかったし(ゴッホしか展示していないと思うので、別に良いけど)。

 一冊の裏表紙に今は亡きサベナ・ベルギー航空が広告を出しているのを見て、ちょっと物悲しくなった。

 

6/18

 夏の旅行の宿を8泊分を全て、何とか決める。(連泊もあるので)計6つのホテルを、4つの違うレップを通して予約した、という辺りで、その悪戦苦闘振りが伺える。結局、日本語のレップで全て取ったのだが、最後の頃は現地のレップをうろうろした挙げ句、その該当ホテル数の多さに収拾が付かなくなっていた のだった。

 決めた、といいつつも、探せば、もっとリーズナブルで快適な宿が確保出来るのではないか。と考え出すと切りがないのだが、これ以上は気にしないことに。今回はどれも、3つ星レベル。本当は、1〜2つ星 位で快適な宿を探す方がよりスマートだと思うのだが、1泊数千円の差なら、と無難な所を選んでしまう弱気な私。

 それにしても、現地で小さい宿を直接訪ねては、「部屋空いてます?」と片言のスペイン語で訊いて、その場で泊まっていた学生時代の旅行を思い出すと、人として何かこう、えらく「駄目」になってしまった気がしないでも。いや、だからといって、今さら同じことは出来ないし、したいとも思わないけど。そんな時間的余裕もないし。

 ともあれ、ここ数日かなり時間を要していた宿の予約が終わったので、これからは少しは落ち着いて… 出発まであと3週間だけ? せっかく多少買ってきた画集を読む(見る)のを優先しないと。今年の場合、読む時間はあっても、感想を日々書く時間まではないので、昨年のような勢いで書くのは無理なのは勿論、通常より更新ペースが更に落ちるかも。

 

6/16

 ええと。とりあえず、一つずつでも片付けていこうかと。

 

Art ロマノフ王朝展  東京都美術館 2003.4.22〜2003.7.6

 昔から「ロシア的なもの」には、漠然とした憧れを持っているのだが、私の思い浮かべているそれは精神的な何かであって、金銀財宝の類ではないことは分かった。

 何でも金と宝石で飾り立てたがる悪趣味な人達である王族と、(根っから庶民の)私と趣味が合わないのはロシアに限ったことではないのだが、ロマノフ王朝に庇護されていたロシア正教まで、同様の価値観に基づいているように見えるのは、 どうもよく分からない。

 ギリシア正教時代から国家宗教としての仰々しさを受け継いだのか、ロマノフ王朝との結び付きでそうなったのか、それとも、ロシア人は、宗教といえば光り物なのか。一見素朴に思えるイコンの板絵には、宗教性の奥の深さを(分からないながらも)感じるのだが、そ れに宝石のカヴァーを被せたがる(一番地味な部分で真珠のビーズ)意識は理解困難。

 私の宗教観の基礎に、幼少時に日曜学校に通ったプロテスタント的なものがあるのは事実で、それで他の宗教観を一方的に裁断する傲慢さは自覚しているのだが、この豪華絢爛な様式や服装には 一向に興味が湧かない。タルコフスキーの世界とか、彼が描いたアンドレイ・ルブリョフには、全く別の宗教性が有るような気がするのだけど… ロシアの精神世界の全体像が頭に入っていないので、今回来ている物の位置付けが出来ない、という不完全燃焼に終わったのが今回 の結果。…結局、私が無知なのが悪いのか。

 一箇所に宝石を付けられる限り付けた、という品ばかりで、工芸センスに驚嘆させられる物に乏しかったのも、満足感に欠けた要因の一つ。実際に現地で、これでもかというほど見せ付けられれば、参りましたと素直に思うのかもしれないけど。

 

6/15

 一ヶ月切ったし、ここらで宿を決めておかないと。と、あちこちのレップや、個々のホテルのサイトの内容を比較し続けて、一日が終わる。…ぐったり。仕事をするより、遙かに疲れました。

 至って優柔不断な私としては、どこかに決めなくてはいけないのは楽しみ、というよりストレスなのだけど、今回はそれが8日分も有る。最初は頑張って良い条件のところを探して いたのだが、最後は面倒になってきて、利便性で選んだ結果、思っていたより高い買い物に付いたような。

 ともあれ、8日分の予約や問い合わせをし終えて、やれやれ。なのだけど、実際のところ確定したのは、まだ3日分だけ。空いてないと返事が来れば、再度探さないといけないのが実態。

 

 というわけで、今日は疲れたので、残っている感想は明日以降に延期。内容的には、別に引っ張るほどのものでは無いんですが。

 

6/14

 晴れていたので、家から建長寺まで歩くことにするが、昨日以上の蒸し暑さに、途中で後悔。どうでも良いが、建長寺に入るのは、中学生の時以来。

 帰りは北鎌倉駅まで出たところ、明月院へ入場待ちの観光客の行列が、駅から2百メートル位のところまで延々と伸びていたのに驚く。並んでまで見るものとはとても思えない地元民としては、……馬鹿じゃないの?という感想しか出て来ないのだが、遠くから来た人は並ぶのも楽しい 、のだろうか。

 

Art 小泉淳作雲龍図  建長寺・法堂 (春秋)

 1体の「龍」として見える前に個々の鱗の表現が目立ってしまう、という感じがして、出来としては、この次に描かれた建仁寺の双龍図の方が見応えはあるけれど、法堂の天井画としては、これはこれで良いような。

 ところで、受付の幕に、土日は小泉淳作サイン会も開催(時間未定)と書いていたので、へええと思って入ったのだが、龍を眺めた後(普通に見ると、龍が逆向き。仏様から見易い向き?)、周囲を改めて見回すと、法堂の隅に ご本人が座っていて、せっせとサインを書いていた(^^;; 勿論、その隣では寺が、複製の色紙を3千円で売っている。

 もういい歳ではあるし、今の内に?サインを貰っておいた方が…というのが人情というものだが、あの元気さだと、少なくともあと数年は毎回、サイン会が開かれる気はする。

 

 昨日の続きを一つ。

Art ヴィクトリアン・ヌード展  東京芸術大学 大学美術館 2003.5.24〜2003.8.31

 ヴィクトリア朝時代の英国で、裸体を題材にした絵画がいかにして市民権を得ていったのか、を検証する展覧会。当然ながら、全編、ヌード。というわけで、館内 にウハウハ?な空間が広がっていたらどうしよう、と少しだけ期待、じゃなくて危惧していたのだが、実際のところ、体温を感じさせない「綺麗な」ヌードが大半で、淡々と眺めている内に出口、だった。

 今どきの展覧会らしく、その時代の厳格な道徳主義の中、裸体が描かれた大義名分も説明されていて、最初は神話上の女神像、後には殉教者や、裸になって世の中を救った聖女の姿、というように、偽善に満ちた当時の芸術観も示されているのだが、倫理上の善悪はともかく、肝心なその絵画が、全体に迫力に欠けるのが難点。

 大体、19世紀後半になってアングルを後追いする、という出発点からして「遅れてる」国だとしか。そして、努力?の結果、裸体画がアカデミックなものとして認められる、というその絵画史(と絵画)も退屈。

 勿論、ヴィクトリア朝という社会の闇はもっと深い訳で、春画風なビアズリーの版画とか、ルイス・キャロルの少女写真とか(2点の内、1点は凡庸だったけど)、その裂け目を伺わせる作品も有ったのだけど、そちらをリアルに感じるには踏み込み不足。時代をよく「分かっている」人が見れば非常に面白い展覧会かもしれないのだが…

 感心したのは、当時(個人が覗く形式で)流行した短編映画を、わざわざ穴を開けた壁の向こう側で上映しているコーナー。いや、映画自体はどれもたわいないのだが(女性が下着姿まで服を脱ぐ一部始終を収めた短編には、当時はコルセットもあるし、脱ぐのに一苦労だったんだ、と妙に納得)、穴を覗いている隣の人の姿を見て、ヴィクトリア朝市民の覗き趣味を実感させられる仕掛け。気が付けば、観客も当時の文化の「共犯」にされているわけで、展覧会全体がそういう作りなら、もっと良かったのに、と思った。

 

 

6/13

 有給の消化日。幾つか展覧会に行って、医者に行って(一週間我慢した喉の痛みをが一向に引かないので。自然治癒力を期待したのだけど、私にそんな力は無いらしい)またしても抗生物質を貰い、最後に映画を見て帰ってきた。「やることはやった」という 一日だが、問題は見聞きしたものが皆、今一つだったということ。まぁ、そういう日も有ります。

 

Art 鎌倉−禅の源流  東京国立博物館 2003.6.3〜2003.7.13

 建長寺創建750周年展。一連の寺社展覧会の中でも、特に地味。大体、鎌倉時代の禅文化ほど、ヴィジュアル的な面白さから縁遠いものもそうないわけで、歴代 高僧の像をひたすら見せられても、信者でない者には豚に真珠、どうでも良いとしか。(ちなみに「豚に真珠」は新約聖書からの言葉なので、この場合、適切な例えなのかは微妙)

 ではなぜ行ったかというと。前にも書いた通り、牧谿の観音猿鶴図を展示しているから(15日で終了)。等伯や探幽も真似をした、鶴や猿を描く場合の日本絵画史最高のお手本 として一度は見ておきたい作品である以上、この機会を逃すのは勿体ない。(国博には、昔「国宝展」で来たらしいけど)

 それなのに。前面のガラスに他の照明が写り込み、程良い距離から眺めることが不可能な展示には、強く失望。会場全体が明るさ不足なのはともかく、手前の青磁 を入れたケースの強い照明が牧谿前のガラスに写るのは、配置の拙さ以外の何ものでもない。学芸員は恵まれた条件で既に見ているので、実際に立ってどう見えるか、ということ など真剣に考えていないのでは? ここが二流の施設である、という思い込みはこうしてまた増幅される。

 

 後半は、仏像が数十点も展示されているので、仏像好きには見逃せない展覧会ではあるのかも。フィラデルフィアから百年ぶりに里帰りした仏像とかもあって、あの白薔薇姉妹なら間違いなく来るところだな、と思ったり。

 ただし、里帰りの仏は個人的には今一つ。気に入ったのは、アールヌーヴォー並の曲線美だった東慶寺の水月観音菩薩遊戯坐像。もっとも、私にとって仏像は鑑賞の対象外なので(だから仏像巡りとかもしません)、たまに目にした者の無責任な印象でしか無いのだけど。

 それにしても、建長寺の頼みとあらば、ということなのか、鎌倉の多くの寺から仏像を借りて来ているのには驚いた。寿福寺なんか、本尊が来てるよ(^^;; しかし、どうやら仏様側としては納得していないらしく、酷く不服そうな表情に見えたのが、印象的だった。

 

 ところで、会場にあった小冊子で知ったのだけど、今現在、建長寺では、小泉淳作の龍の天井画を特別公開中なんですって? 旅行中で涙を飲んだ昨年秋の公開時はマスコミで取り上げられていたけど、今回は初耳。しかも、15日までって、あと2日しか無いじゃん。早く言ってよ。まぁ、良いや。明日、見に行くことにしよう。

 

6/12

 朝から、雨。駅からの歩道橋の階段は、まるで様々な花が咲き誇る花園のように色とりどりの傘で埋め尽くされていて、雨でくすんだ街の景色の中、ひときわ華やかに見えた。なるほど、通行人の構成が違うと、こうも違うものなのか。さながら、雨の日の空中庭園?

 

 本日、また一つ、歳を取ったことに。

 今年はある意味で節目とも言え、色々考えさせられる、というか、考えないといけない気にはさせられているのだが、そう簡単に、人の性格が変わるわけもなく。大体、私は昔から、誕生日の度に「今年こそは変わらないと」という反省を、毎年書き続けてきた人間なので、「変わらない」ことにかけては、年季が入っているのだ(と声高に自負することではない)。

 それでも、今までと同じであるのに充足せず、少しでも精神的に成長することを目指そう。と思うのも、だから、毎年のことで…

 Novel。奥泉光「ノヴァーリスの引用」。

 

6/11

 今日辺りから、ベネルクス(今回、ルクセンブルクには行かないけど)月間をぼちぼちと開始。今回は、文字通り「趣味の世界」になってしまうと思いますが。

 

 「旅名人ブックス56 フランドル美術紀行」 谷克二・武田和秀 日経BP社

 今回の旅の目的そのもの、という感じ。美術館の室内を広角に引いて撮った写真が多く、その場の雰囲気が掴み易いのは有り難かった。ただ、実用的かというと、必ずしもそうとは言えないような。意外と重いので、ガイドブック用に現地に持っていくわけにもいかないし。結局のところ、行かない人のための 紀行本?

 

 「ヨーロッパカルチャーガイド15 ベルギー」 トラベルジャーナル

 このシリーズは読んだから役に立つ、というわけでは全然無いのだけど、毎回、つい読んでしまう私。とりあえず、ベルギーは食べ物(とビール)の美味しい国だということはよく分かったが、フリッツ(フライドポテト)とかワッフルとか、カロリー高そうなものが多いの は困る… まぁ、今回はそういう目的ではないから大丈夫。…な筈。

 「フランダースの犬」に関するコラムで、かつてのTVアニメでは登場人物は昔のオランダ人の服装をしていた、と日本におけるベルギー文化の認知度の低さを説明。「オランダース(?)の犬」というか、舞台のアントワープがオランダにあると 私がずっと誤解していたのも、それでは無理もないな。と、自分の無知は全て、昔見たアニメのせいにしておくことに。

 Essay。川上弘美「あるようなないような」。Comics。ゆうきまさみ「鉄腕バーディー」1巻。最近の方。…地味。

 

6/9

 職場では悪質な風邪が蔓延していて、休む者が複数出る有様。しかも、中途半端に治った者達が、気味の悪い咳をして歩き回る恐怖の館と化している。

 もっとも、先週の私は、別件で漢方薬と抗生物質を毎日飲んでいたためか、皮肉なことに風邪とだけは無縁だったのだが、先週末に再度、医者に行ったところ、既に治っている(らしい)とのことで、今週からは薬無しに。と、いきなり今日の夕方、喉が凄く痛くなってきた… 早速、風邪を引いている?

 

6/8

 全くつまらない、というわけでもないだけに、どうにも困った感じ。喉に引っ掛かった小骨が取れない時のあの感じに似て。

 

Art エイヤ=リーサ・アハティラ展  東京オペラシティアートギャラリー 2003.3.21〜2003.6.8

 3面スクリーンによる14分の映像作品が2本。どちらも、精神障害の女性を主人公にした、一見、ドキュメンタリー風なドラマ。

 現代artの世界では「物語性を積極的に取り 入れている」と評価されている人らしい。確かに、物語性を全く欠いた作品よりはとっつき易いし、こういう形で表現されるartがあるのも分かる。だけど、それを言うなら、劇映画の枠組みで表現する方が、 ずっと多くの人に訴えかけることが出来て有意義なのでは?

 つまり、同じフィンランド人による映像表現なら、アキ・カウリスマキの方が遙かに素晴らしいし、観る方としても楽しいわけで。

 

Art 束芋展  東京オペラシティアートギャラリー 2003.3.21〜2003.6.8

 3面スクリーンによる短編アニメ「にっぽんの湯屋(男湯)」と、手描きの「家」の室内を足踏みコントローラーで移動、マウスをクリックし、仕掛けられたイベント(アニメ)を楽しむ「にっぽんの御内」。「にっぽんの湯屋」は銭湯風の舞台 にケロリンの洗面器を並べるなど、凝った作りの上映スペースで展示していた。

 ブラックな風味と、からっとしたユーモアのセンス、力のある原画。なるほど、人気が出るのも当然かも。

 不思議なのは、日常的にアニメを観る人やアニメ雑誌からは、完全に無視されているという現状。…これもアニメ、だよね? それは、「ほしのこえ」みたいな作品が、その閉じた世界の外では全く関心を引かないことの裏返しでもあるような。自分達の縄張りはお互いに荒らさない 、ということ?

 だから、最初に言いたいのは、アニメという表現手段に関心があるなら、もっと注目すべき作家だということなのだが、次に言いたいのは、そうは言っても、現代artという枠から離れて、 単純にエンターテインメントの「商品」として見れば稚拙過ぎる、ということ。

 「にっぽんの御内」の、クリックすれば画面が動きます、というのは、一昔前の「マルチメディア」なCD-ROMレベルの発想。それを今さら「展覧会」にされても…

 今後は、より個人的に楽しめるようなものにするか、あるいはお金と技術を贅沢に掛けた大規模なものを目指すか、方向性をはっきりさせた方が良いのでは? せっかく、良いセンスをしているのだから、もっと優秀なプロデューサー(に当たる人)と組んで欲しい。

 

6/7

 「かわいいコックさん」に関しては、こんなページが…  しかも、いつの間にか登録商標化されてしまっているなんて。でも、その由来は今一つはっきりしないと。

 

 昨日は、会社の(遺された数少ない)福利厚生施設を利用しての飲み会、というか宴会。

 メニューについては和食、という以外、聞いていなかったのだが、鱧の吸い物、鮎の甘露煮、鱧のお作り、鮎の塩焼き、と続いたので、驚く。いわゆる「尽くし」なコースらしく、最後まで、鱧、鮎…だった。そりゃ、都内でこういうものを食べるのは、多少、贅沢かもしれないが、ひたすら鱧、鮎というのもどうかと。鮎の塩焼きは、食べ慣れていない者には食べにくいし、鱧も京都人ならぬ身にはどうしても食べたい、というものでもないし。まぁ、両者共に滅多に食べることなどないので、新鮮な体験ではあったけど。

 

 ところで、たまに鱧を食べると、毎回、小津安二郎の遺作「秋刀魚の味」のことを思い出す。「秋刀魚の味」という題名でありながら、秋刀魚の話など全く出てこないことで知られるこの作品には、登場人物(東野英治郎)が鱧の吸い物を生まれて初めて食べて感心する、といったシーンが登場するのだ。

 などといいつつも、実は私は、この作品をまだ観たことがなかったりする。学生時代、小津の映画をよく掛けていた名画座がすぐに潰れてしまったとか、観ようと思ったビデオがたまたま再生出来なかったとか、色々理由は有るのだが、一つには、これを観てしまえば、あとはもうその先の作品は無いわけで、あえて避けていた、というところもある。

 ただし、今回のDVD化を機に、いよいよ「秋刀魚の味」を含め、未見の作品も全部観よう、というのが今年後半のテーマ。

 そのDVD全集だが、鱧を食べて帰宅すると、amazonから「もう予約受付出来まっせ」のメールが届いていた。

 結局、BOX4つ、という形での発売になったらしい。こういうのは年代順に出して欲しいのだけど、実際は、逆順。とはいえ、「東京物語」のvol.1と、初期無声映画のvol.4では、売れ行きも1桁は違いそうだし、商売としては、まぁ当然か。定価23,500円×4というのも、安くはないけど、DVD化にあたっての手間と、vol.3,4がさほど売れそうもないところを考えれば、やむを得ないラインかも。

 amzonなら15%引きだし、予約しておくのはやぶさかではないのだが、店頭で一括予約すると何か付く、とかそういうのが有ったら嫌だな。…まぁ、大きなお友達相手のアニメの限定BOXじゃないんだから、そういうのはやらない気はするけど。

 

6/6

 夏の航空券、買いました。これで、今さら後へは引けないぞ、ということに。行くのはオランダ、ベルギーであって、インドの山奥ではないけれど。

 

 日々の仕事において、その日の資料を元に作業をする際には、後々の整理のため、まず、その表紙に赤のサインペンで当日の日付を書き込むことにしている。

 というわけで。いつものように、今日も「6/6」という文字を何回もキュキュキュと書き込んでいる内に、頭の中で、いつの間にか「雨ザーザー」と続けていることに気付く。やはり、手を動かしていたからか。恐るべし、えかきうたの影響力。

 周囲の同僚に、6月6日といえば雨ザーザーですよね?と同意を求めてみると(仕事中に同意を求めることではないと思う)、人によって反応にかなり落差が有ることが判明。えかきうたって、結構、地域差があるのかも。新潟出身の女性は、似たような歌でスカートを履かせて女の子にするものを披露してくれたが、そんなの初めて聞いたし。

 この「コックさん」は、コッペパン等、登場するものを考えれば、戦後生まれの歌である気がするのだが、何かの雑誌とか、流行らせたメディアがあるの かしらん? というか、このキャラクター、改めて意識すると、結構、不思議。ドナルドダック系というか、日本人離れ?した容貌。もしかしたら、歌になる前から、元々、存在したキャラクターだったりするのだろうか?

 ところで、雨ザーザーという割には、全然、ザーザー振りじゃないと思う…

 Comics。赤美潤一郎「妖幻の血」3巻。

 

6/4

 「イエスタデイをうたって」の連載再開分を読んでいて。いい加減、話を進めたらどうか、と昔から思っているにも関わらず、しばらくはこれはこれで良いかと今回思ってしまったのは、変化を求める気力が自分の中で弱まっている ?

 

 そういえば、ヨーロッパに飛行機で行くのなら、行きは当日中に着くよなぁ。勘違いしていたので、一日得した気分。…というか、普通、気付くだろ、それ位。

 とりあえず、フランドル絵画についての基本的な解説書を探してみたのだけど、なかなか適当なものが見付からず。旅名人ブックスの「フランドル絵画美術紀行」とかいうのを購入したくらい。まずは手持ちの、TASCHENのブリューゲルとか「西洋美術館」のネーデルランドの辺りを読むことから始めるべきか。

 ブリューゲルについては、この際、出来る限り読むつもりなのだが、フェルメールやゴッホについてまで何らかの予習をするかは、微妙。まぁ、手が空いたら。

 Comics。紫堂恭子「王国の鍵」1巻。1巻目としてやることはやっている。とは思うのだけど、掴みが何だか弱い。とりあえず、様子見という感じ。それにしても、作品毎に、主人公の年齢が低くなっているのは、どうしたわけなのか。

 

6/2

 先日書いた夏の旅行だが、この際、思い切って、行くことを決心。 こういうのは行ける時に行かないと。

 というわけで、一番肝心な航空券だけは、まず確保。直行便を押さえたかったので、今回はJALの前売悟空35を予約。それにしても、(国内と同様に)オンラインで座席指定は出来るし、ホテルも例えば「旅の窓口」みたいなサイトを利用するのなら、日本国内と予約の手間が全く変わらないのには驚き。

 学生の時以降、個人で海外に行ったことが無いので、そういうことに関する「常識」が十年間、更新されていない私。…そんなんで果たして大丈夫か、という気がしないでも。

 ともあれ、これから1ヶ月間はベネルクス月間!

 と思ったのだが、「旅をする」というより、現地にある絵を見に行くだけなので、今回は(歴史・地理の)復習は特にはしないつもり。その気力もないし。まぁ、再読(再見?)するとしたら、「フランダースの犬」位?(…読み返すと子供の頃以上にネロが嫌いになりそうな予感はするけど) むしろ、フランドルの画家について、基本的なことをおさらいしておこうかと。

 とりあえず見付けたブリューゲル論のページ(まだ読んでない)。