空の蒼さを 見つめていると


2004年12月

12/31

 昨晩、暇なので何かを見返そうと思ったのだが、ここで昨年同様「灰羽連盟」など見た日には、こういう(レキのような)心理状況では暗黒の闇から一歩も抜け出せなくなりそう。なので、作品を少しずらして、「ニアアンダーセブン」の壱を久し振りに見てみた。

 1巻から作画は微妙だなぁというか、コミックスのダウナーなイメージとは別物の妙なハイテンションに、こういう作品だったっけか?と思う。それとも、後半沈んでいくんだっけ? それなら、続きを見るのは暫く控えた方が良いかも。

 とはいえ、周りの棚を見渡しても、お気楽極楽な作品って、ほとんど持ち合わせがなかったりする。いや、無理に見る必要も無いんだけど。現実逃避したい心持ちというか。

 

Novel  森見登美彦 「四畳半神話大系  太田出版 (Amazon/bk1)

 前作「太陽の塔」(→感想)と一見似たような文体・作品世界だが、叡山電車が夢に繋がっているような「幻想的な内容」ではなく、その「語り口」こそ が作品をファンタジー(ただ「小説」と一言で言っても良いが)たらしめている、ということに、より自覚的になったところに、前作よりずっと好感を持った。

 勿論、こういうアイデアの作品は、例えばO・ヘンリーの大昔からあるわけで(作者が意識しているかは知らないが)、 小説としては別に珍しくはない。しかし、このタイプの作品をここまで嫌みなく読ませる文章のセンスは並大抵のものではなくて、作者の持って生まれた人徳、というのは嘘にしても、独特の品の良さというのが文章にあるからだろうと思う。

 しかし、どうでもいいけど、色々な意味で物語の主戦場?となる鴨川デルタ一帯を中心とした「京都左京区下鴨…」近辺の土地勘が、この作品を本当に愉しむためには必要 不可欠な気がするのだが、どうなのだろうか。

 (泉川町ではないが同じく下鴨に下宿していた)元地元民の私は自分の庭のような地域なので、どういう場所かよく知らないまま読む、というのが、却って見当も付かないのだが… いずれ、ネット上に『聖地巡礼』とかupする人が出てきたり…はしないか、やっぱり。

 

 ところで、ジュール・ベルヌの小説が登場することについては、作者には多分、深い意味はないと思うが(^^;;、四畳半小説?という室内志向の小説としては、実は正しい 先達といえる作家なのだった。

 生まれ育った港町から出る外洋船に密航しようとして連れ戻され、「これからは、僕は空想の中だけで旅するよ」 と言い放ったという少年時代の有名な挿話に相応しく、彼の小説は実は、アウトドア冒険小説では全然無かった。当時の百科辞典的な知識を織り込んだ、書斎上で組み立てられた机上の「冒険」であり、しかもデビュー作の「気球に乗って五週間」が、最新の気球を利用することで、暗黒大陸アフリカを上空から眺めて旅行出来るというアイデアだったのを初めとして、多くの作品で、世界を安全に観察しながら移動出来る最新のテクノロジーが物語の大前提とされていた。

 いわば、ジュール・ベルヌはTV画面(今ならネットか)のようなメディア越しに「全世界」を見ることが出来る時代を表現した最初のSF作家なのであって、あの「海底二万海里」のノーチラス号も、大王 烏賊との戦いに胸を躍らす前に、安全に深海を進むことが出来る上に外も覗ける、移動する「室内」であったことを意識すべきなのだ。

 ということを思い浮かべつつ、最終章を読むと、なかなか味わい深い、かもしれない。

 

 ついでにいえば。作品に登場するジュール・ベルヌの本は「海底二万海里」だが、最近の翻訳では(どうやら、海里と訳すのは誤りらしく)皆、「海底二万里」と訳されていることから、ほぼ間違いなく、福音館古典童話シリーズの一冊であると推測出来るのだった。いや、だから、何だというわけでもないですが。

 ちなみに、私の持っている「海底二万里」は創元推理文庫版(今の創元SF文庫版と同じ)なのだが、帯に赤字で、でかでかと『「ふしぎの海のナディア」原案』と書いてあるのが、何ともコメントし辛い郷愁を誘う(^^;; 原案というか何というか…

 

今年一年を振り返る、といっても私の場合、展覧会位しか…って、振り返ってみたら、未だ感想を書いていない展覧会が幾つもあった(^^;; 来年になったら絶対書かないと思うので、ここでまとめて簡単に書いておく。イタリア旅行の続きは…、まぁ来年にぼちぼちと(書けるといいなぁ)

Art マティス展  国立西洋美術館  2004.9.10〜2004.12.12

 大切なのは結果ではなくその過程だ、という展覧会。私らの場合、仕事の評価は所詮、結果だけだからなぁ、と羨ましく思うものの、過程まで含めて評価しようという話になるのはマティスが誰もが納得する「結果」を示した「勝ち組」の画家だったからなわけで、やっぱり大事なのは結果そのものなのではないかと…

 展示作品を描いている映像が(20世紀だから残っていて当然とはいえ)新鮮だった。しかし、撮影中に描いている顔と、実際の作品の顔が違うのが可笑しかった。この後、また描き直しちゃったらしい。

 質的にも充実した展示で、西洋美術館には今後も、このレベルの展覧会を期待したいところ。
 

Art エミール・ノルデ展  東京都庭園美術館  2004.9.18〜2004.11.7

 私は常々、「世界」には水気が必要だとは思っているのだけど、水で滲んで全面ぼーっとしているだけの水彩画は苦手だ、ということが今回、判明した。あと、(作品保護のため明度を落としているとしても)照明の色温度が低過ぎて、作品本来の色合いではないような気がした。

 いずれにしろ、見ていて段々と気分が悪くなる一方で、どこが良いのか分かる前に、退場。もっと明るい美術館で見る機会があったら、もう一度見てみようかとは思うけど。
 

Art −ベラルド・コレクション−POP ART & Co.  Bunkamura 2004.11.6〜2004.12.26

 印象に残っていないのは、風邪気味でぼーっとしていた時に行ったから、ということもあるけれど。

 現代美術は元々、作品が生み出された状況とセットで捉えないと理解出来ないわけで、会場にもっと説明があっても良かったのでは? 現代美術を取り巻く西欧の当時の状況が全然分からない者にとって、作者の個人的な造形センスと色彩センスに反応するだけで終わってしまった感じ。

 

 展覧会以外に一つだけ特筆するならば、下半期のダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の刊行ラッシュかと。こういうことはもう二度と起きないだろうけど、バブルを引き起こしてくれたジブリには改めて感謝。映画は…果たして全くどうでも良い作品でしたが、それはそれとして。

 そんなわけで、彼女の作品についての感想ページは、恐らく、下半期に一番力を入れて作成した内容だったのだけど、結局、二桁に満たない位の人しか見てくれなかったのが何とも… まぁ、世の中そういうものだ、とは思いますが。いつか、何かの作品でダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の魅力に気付いた人の次なる一歩への手助けになることを祈って。

 最後の日まで取り留めがないけど、今年の更新はここまで。


 

12/30

 私的に休みを取ったので、例年より一日早く冬休み。

 …なのに、寒い上に、年初に掛けて憂鬱な悩み事が発生して、心身共に凍り付き状態。せめて体だけでも回復しようと、箱根湯本へ行ってきた。日帰り温泉に一日浸かって、肩凝りをほぐしたかいがあったのか、後者についても、自分の中での方針はある程度決まったので、悩むのは止めることにする。とりあえず、休みの間は。

 

 Comics。こがわみさき「陽だまりのピニュ」1巻(ガンガン・コミックス)。

 心の安らぎを求め、ここ数日読まずに取っておいたこがわみさきを解放。お陰で、心持ち、ほっとしたような。しかし、単行本だからまだ良いけど、連載で読んだら余りの起承転結の無さに、却って、物足りなさが募りそう。

 

12/29

 昼間の雪。は夕方には止んでいたものの。余りの寒さに真っ直ぐ帰宅… 「ベルヴィル・ランデブー」を観るどころじゃ無かったです。

 

 Book。「クリエータイズファイル 宮崎駿の世界」(竹書房)。

 押井守X上野俊哉の対談を目的に。宮崎駿に対する押井守の「悪口」はいつもながら滅法、面白い。押井守(に関する言説)の不幸は、本人の発言より面白い「悪口」を言う人の不在かも。残りの対談も興味深く読んだが、その他は未読。新しい知見が得られそうな気はしないので。

 

12/28

 明日、可能なら帰りに「ベルヴィル・ランデブー」を観に行こう、と目論んでいるところ。

 「ハウル」の前に流していた予告編がかなり良い感じだったので。ところで、フランス語の発音はよく分からないんですが、「ベルヴィル」と書くなら、後半も「ランデヴー」と違うの?

 

 Novel。森岡浩之「星界の戦旗IV 軋む時空」(ハヤカワ文庫)。

 短いなぁ。ところで、途中の議論では、アーヴなら当然、ファラムンシュのように考えると思ったのだけど、私はまだアーヴの何たるかを理解出来ていないのだろうか。

 

12/27

 結局、年賀状は、正月に着かないといけない義理の一通だけを印刷。あとはもう、来た奴に返事を出すだけで良いや。

 

 Novel。米澤穂信「春季限定いちごタルト事件」(創元推理文庫)。

 年末も近いので、越年するような長編小説は今さら手を出したくないけど、慌ただしい中の現実逃避として何か軽い物は読みたい…ということで。満腹でも軽いデザートなら別腹なので大丈夫、という感じ?  でも、実際にはタルトだと多分、ちょっと重過ぎる気が。イチゴのムース位?

 「日常の謎」系のミステリには、北村薫にせよ、加納朋子にせよ、日常におけるバランス感覚への信頼感とでもいうものが存在していた気がするのだけど。この作品では、日常へのそういう信頼感は既に崩壊しているようで、そのためか、扱われる謎の軽重もバランスをひどく欠いているという妙な印象。まぁ、そういう時代なのかもしれませんが。

 

12/26

 残っていたデイルマーク王国史3冊の感想だが、ここに書くのを省略して、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の感想ページに直接、追記。これで、(1月発売予定の最終巻を除けば)D.W.J月間はようやく終了。

 ちなみに、「たびげいにん」と言えば、「朱旌」だったっけ?と取りあえず「風の万里 黎明の空」を久々に本棚から出して、ぺらぺら捲ったところ、そのまま最後のページまで読んでしまった私<馬鹿。しかも、結局、「朱旌」の字は使わなかったし<大馬鹿。

 まぁ、同じく参照しようと思ったイアン・ワトスンの「黒き流れ」3部作が「見付からなかった」ことが幸いか。あちらまで再読していたら、日記を更新するところまでとても辿り着かなかった。

 

Art 国芳・暁斎展〜なんでもこいッ展だィ〜 東京 ステーションギャラリー 2004.12.11〜2005.1.23

 あはは、楽しい。役者を妖怪に見立てた巨大な引幕にいきなり対面させられる最初の「掴み」から既に強力。ほとんど、お化け屋敷状態。というか、何故、この企画を今の時期に? とにかく国芳・暁斎が本当に好きな企画者の「どう?どう?」という誇らしげな笑顔が浮かんでくるような展覧会だった。

 こういう何でもありな展示だと、人それぞれ、面白がれるツボが色々有ると思うのだけど、今回の私が一番嵌ったのは、猫好き画家としての国芳。

 猫のポーズを地口で東海道五十三次に当て嵌めた「五十三匹」の強引さが何と言っても、おかしい。あと、団扇絵「猫と遊ぶ娘」の、娘に腕を引っ張られている猫のすごく嫌そうな顔も最高! 国芳は猫好きで有名だったらしく、数えで7歳の頃、国芳の画塾で教わっていた時のことを後年の暁斎が描いた絵でも、国芳は猫を懐に入れたまま、子供(暁斎)の絵を直していた。

 最後の部屋の解説に「ここまで見てくると、両者の共通点とか相違点とか優劣とか、そんなのはもはやどうでも良くなってきたのではないか」といったことが書かれていたが、まさに同感。 

 

Art 桑原弘明展 scope−覗いてみれば−掌中に納まる真鍮小箱の極小世界 ギャラリー椿GT2 2004.12.13〜2004.12.25

 本日の主目的。会場に置かれた箱、scopeを覗くと、その中に部屋の風景が見える、と言うと何だか、大したことがないように感じられると思うけど、実際は凄く面白かった。(scopeの外観と、覗いて最初に見える風景については、サイト参照)

 まず当たり前のことだけど、一回に一人しか覗けない。つまり、今見ているこの風景は、自分ただ一人のものだという愉しみ。そして、それを見るためには明かり取りからペンライトで光を入れる必要があるため、わざわざマンツーマン(最初は作者ご本人から!だった)で一つ一つの風景を見せてくれる、という贅沢さ。

 で、驚くべきなのは、同じ覗き穴から眺めているのに、明かりの位置によって、全く違うもの−例えば昼と夕という光線の違いだったり、手前の部屋の様子と窓の奥の風景という違いだったり−が見えてくること。こればかりは、実物で見てみないと分からないかも。

 これって欲しくなる人が多いだろうな、と思った。というか、私も欲しくなったのだが、もし仮に売り物だとしても簡単に手が出せるとは思えない(少なくとも数日で作れるようなものではとてもない)ので、見ただけで満足することにしてギャラリーを出る。来年、また展示が有ったら、次回も是非、来ようと思いつつ。

 

Art ありがとう赤坂見附―サントリー美術館名品展  サントリー美術館 2004.12.18〜2004.12.30

 割と混んでいるだろうことは予想は付いていたものの。中高年のオバサン連おばさま方が群れをなしたら、やかましい。ということまでは忘れてた…

 というわけで、真剣に何かを見るような雰囲気では無かったので、軽く一周するだけに留める。今回は、最後にもう一度足を運びたいと思っただけで、何を見たい、というわけでも無かったし。

 この展覧会に際して行われた、館蔵品ベスト10の人気投票の結果は、ガラス工芸品が大半。コレクションの性格から言えば、順当なんだろうけど、それぞれに投票した人がいるというのは、ちょっと驚き。1位の藍色ちろりは確かに名品だと思ったけど。

 ところで、サントリー美術館が、ガラス工芸、食器(やきもの含む)を収集しているのは会社的にも納得出来るのだけど、「南蛮」というテーマにも拘っているらしいのは何故なのか、前から謎。最初に南蛮屏風か何かを(たまたま)手に入れて、その勢いで続けることになったとか、そんな話ではないかと推測はしているのだけど。

 サイトでは、過去の図録は半額と書かれているが、正確には(元の値段に関わらず)千円均一セールだった。自分で見た展覧会で図録が欲しかったのはその時、購入しちゃっているしなぁ、萬野コレクションの回とか。とそのまま帰ろうとして、「信貴山縁起絵巻」全巻の箱詰め図譜の存在に気付く。

 これは買いでしょ、少なくとも千円なら絶対。いつか必要になる日が来る、という気もするし。まぁ、いつ、何の必要が出てくるのか、と訊かれると自分でもよく分からないが(^^;;、ともあれ購入して帰宅。

 

12/25

 日本橋高島屋「大本山 相國寺と金閣・銀閣の名宝展」は、開催初日になって概要を公開。う〜ん、名品という割には無難な範疇。銀閣寺からの奥田元宋の襖絵辺りが、むしろ気になる位で。行けたら行く、という程度? まぁ、それでも、今さら平山郁夫という三越新春の展覧会よりはなんぼかマシですが。

 ところで、百貨店のサイトはどこも、展覧会情報の告知には著しく消極的。普段、来ない人間には意地でも知らせたくないんじゃないか、と真剣に疑ってしまうほど。

 客商売としてその姿勢は間違っているだろう、と思うが、結局、今の百貨店にとって、展覧会とは来店誘致の口実として無料券を得意客に配る催事以上のものではない(だから、それを機に新たな顧客を呼び込もうという発想自体も無い)のだろうな。

 もっとも、かく言う私は、展覧会を見に行ったついでに買い物して帰ったことなど ただの一度も無いのだから、百貨店にとっては、そんな奴に来て貰っても全く嬉しくないのだろうが。

 

  東京ステーションギャラリーで「国芳・暁斎展」、ギャラリー椿GT2で「桑原弘明展 scope」、サントリー美術館で「ありがとう赤坂見附―サントリー美術館名品展」の3つを見てきた。一度に見るなら、これ位がちょうど良い、という感じ。感想は後日。

 

BS-hi 佐藤順一 ユンカース・カム・ヒア

 なるほど、思い入れを持ったファンがいるのも肯ける、忘れ難い印象を残す佳作というべき作品ですね、これは。

 主人公の女の子にだけ「喋ることが出来る」飼い犬という一点を除けば、「日常性」を逸脱しないファンタジー(あるいは日常を描くためにただ一つのファンタジーを導入する)というのは、極めて日本的なファンタジーの作り方だけど、アニメで表現するには、むしろ負荷の高い手法。それを丁寧な作画と演出の力で、きちんと成り立たせているのに 好感を持った。

 物語的には、肝心な「三つの願い」の位置付けが曖昧なままで、物語作りの素人が書いたプロットだなとは思うものの(原作は木根尚登なので)、両親の離婚話に揺れる小学生の心情表現に一貫して無理がないので、話の弱さは余り気にならない。

 ただし、最後の「奇跡」で、パジャマ姿で空を飛ぶ辺りは、ウインザー・マッケイの「リトル・ニモ」のイメージを安直に借用し過ぎでは?とちょっと思ったけど。あ、向かい合う二人がくっついて空の上で浮遊するシーンって、……もしかして、「幻の大技」って、この作品から遠く受け継がれた「奇跡」のイメージなんだろうか?

 制作当時の日常風景を丁寧に描いているだけに、もはや「存在しない」世界であるのが、今見ると、少し切ない。「携帯電話が存在しない」とか。わずか10年前のことなのに… ある意味、それこそが一番のファンタジーなのかもしれない、と思った。

 (参考)ロサンゼルスの映画祭ということで、英語バージョンの予告編付き、作品紹介ページ

 

12/23

 NODAMAP「走れメルス」。再々発売で、ようやくチケット購入。今回は、ほぼ発売時刻に接続出来、土曜の公演分を確保出来たので、一安心。いつもこうなら良いのだけど。

 この前、気になっていた新国立劇場の「城」も購入したので(こちらは3千円と安い席)、ふと気が付けば、来年1月の土曜は、その内3回が観劇日ということに(もう一つは「魔笛」)。

 

 鎌倉芸術館小ホールで「大貫妙子 ピュア・アコースティック・クリスマス2004」。

 先日の鈴木祥子の時も、年齢層高めだと思ったのだが、こちらは「高め」じゃなくて、本当に高い(^^;; 平均が40代から60代という感じ? 2時間足らずで6千円って、明らかに若者向けな値段ではないけど (アコースティックということで、弦が5人とピアノという贅沢な伴奏なので、やむを得ないんだろうか?)。まぁ、ソロ活動30年目ですから。ファンも年取るよなぁ。

 夕方5時からなので当然、「食前」だったわけだけど、「食後」だったら、間違いなく意識が落ちていた、と思われるα波全開の静かなライブ。心に余裕が有る人のための公演かも。至って貧乏性な私は、年末にこんな時間を過ごしていて良いのかとか、余計なことを考えて、却って落ち着かなくなってしまった(^^;; 贅沢な時間だとは思うんですけどね…

 この値段で、忙しい年の瀬に、来年も来たいかというと、微妙なところだが、今回はアンコールで、懐かしの「メトロポリタン美術館」を生で聴けたので、とりあえず満足(したので、来年はやはり行かないかも)。

 ちなみに、なぜこんな地味?な場所で毎年(3年目らしい)公演をしているかというと、割と地元だから(らしい)。というか、十数年来、隣町の住人だったのか。全然、知らなかった。

 

12/22

 「mon petit lapin」というblogで紹介されていた「桑原弘明展 scope −覗いてみれば−掌中に納まる真鍮小箱の極小世界」。見た瞬間、びびっと来るものが。まさに壺中の天。

 ぜひ行って、実際に覗いてみたいのだけど、12/25までなのか。この週末に行く暇があるか、ちょっと微妙だな…


 忘れそうなので、メモ。12/24 23:00〜0:45 BS-hiで「劇場版 ユンカース・カム・ヒア」。今まで観る機会が無かったので。

 

12/21

 ここ数日、「グイド・レーニ」や「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」についてのキーワード検索が多いのに驚く。ちょろっと触れただけなのに。実は、世の中では秘かに流行っていたんでしょうか>グイド・レーニ。どうして調べようとしているのか、私の方が教えて欲しい位です。

 

12/20

 鈴木祥子ソロライブ「”SWEET WINTERING SONGS・渋谷編。〜あたしの孤独の旅路〜」。

 凄く良かった。ドラムスを叩く姿も、ピアノの弾き語りも想像していた以上に格好良かった。そして、直に聴く彼女の声の素晴らしさ。

 演奏曲は、どれもこれも皆良かったけど、実際に一度聴いてみたかった代表的な名曲を思ったより沢山歌ってくれたのが、(初めて彼女のライブに行った者としては)嬉しかった。特に「風に折れない花」「あたらしい愛の詩」辺りは、聴いていて背筋がぞくぞくする位。

 余りに良かったので、自分の中でこれから暫く、鈴木祥子リピート状態が復活しそうな予感。来春発売のライブ(今回のでは無いが)DVDも購入しないと。

 

 しかし、あれだ。好きなアーティストが同世代、ないしはそれより年上ばかり、というのは、20歳以降、「新たな出会い」が出来なくなっているわけで結構、困ったことなのかも。年下で驚いたのは、椎名林檎のデビューシングルを聴いた時位か。
 

12/19

 今週の「厳窟王」。フランツがモンテ・クリスト伯爵のことを図書館で調べようとするシーンで、検索画面に「GANKUTSUOU」と表示されていたのには爆笑。日本語かよ。というか、狙ってますか、もしかして。

 ちなみに、「モンテ・クリスト伯」はジュブナイルの「岩窟王」以外、未だ嘗て読んだことがない私だが(威張ることではない)、昨年、とある事情で安寿ミラ主演の芝居を見たお陰で、登場人物の位置関係が非常によく分かって便利。ダイジェスト版の芝居を見たことが、まさか、こんなところで役に立つとは。

 

 明日は、渋谷Duo Music Exchangeで、鈴木祥子のソロライブ。

 自分の中で、別格と言って良い位、尊敬している「声」の持ち主なのだけど、実は今まで直に聴いたことが一回も無いので、凄い楽しみ。どきどきするほど。なのに、今日の午後から風邪気味でだるい…ので、明日のためにも今日は早く寝てしまうつもり。

 というわけで、補完すべき諸々の事々もまた来週以降へ積み残し。などと言っている内に、今年も終わってしまいそうな予感。

 

12/18

 毎冬恒例の「ケルティック・クリスマス」に今年も参加。

 ケルティッククリスマスといえば、一昨年のアイリーン・アイヴァース・バンド、昨年のカルロス・ヌニェスと、会場が「凄いことになっている」としか言いようのない熱演が続いたけど、今回はメインがアルタンで、おっとりとした優等生的な公演だったような。

 まぁ、それは3階席の高みから(一番前列だったので気持ち良かった)まったり眺めていたこともあって、1階席は後半スタンディングでしたが。

 アルタンの良さは今さら言うまでもないけど、驚いたのは、2年振りに来日のハウゴー&ホイロップの二人がまたしても話芸に磨きを掛けていたこと。じゃなくて、前回以上に超絶技巧でありながらあくまでも軽やかに演奏してみせるところが楽しかった。特にハラールの歌うフィドル。

 

   
 思ったより早く帰ってくることが出来たので、「美の巨人たち」に間に合 う。今日の一枚は、グイド・レーニ「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」。

 グイド・レーニというと、スマートだけど血の気が通ってないというか、絵に面白味が無いという印象で、この前の旅行でも「見飛ばす」画家として勝手に分類していたためか、この「ベアトリーチェ・チェンチ」 にもほとんど見た記憶が残っていない。バルベリーニ宮には最後の日に行ったんだけどなぁ。そう言われてみれば、見たような気がしないでもないこともない(^^;; …まぁ、あの時はひどく蒸し暑くて、体調も悪かったし(と何でも天気のせいにしておく)。

 ともあれ、素通りしていた画家の魅力に立ち止まらせてくれたという点で、今回は勉強になりました。次回はちゃんと止まって見ようかと。といっても、グイド・レーニの絵を見る機会が今後、日本で有るのかは疑問 。

 ところで、この「美の巨人たち」、HPのバックナンバーを見ると(今はそれほど遡れないが)、今回のように若い女性の肖像画を取り上げている回がやけに多い。絵の良さが分かり易いからなのか、単にスタッフの趣味なのか。まぁ、どうでも良いけど。

 ラファエロが常連だったりするのもそのせいかも。そう、バルベリーニ宮といえば、以前登場したラファエロの「ラ・フォルリーナ」ならよく覚えているんだけど、ってそれを見に行ったんだから当たり前か。

 

12/17

 ようやく「ハウルの動く城」を観てきました。

 聞きしにまさる、ぐだぐだな物語。引っ掻き回している内に、どろどろ溶けちゃったアイスクリームみたい。これって何だか、今月ちょうど見 たばかりのモーツァルトの「魔笛」とよく似ている。

 「魔笛」は(一度でも見た人ならよく知っていることだが)第一幕と第二幕で、話が繋がっていない。当初の目的(お姫様救出)がいつのまにか違う話(フリーメーソン的なイニシエーション)にすり替わっているわ、登場人物の善と悪まで逆転してしまうわ… ライバル劇場が似た劇を先に上演したので違いを打ち出そうとしたとか、理由は諸説有るようだけど、ともかく「途中でやりたいことが変わってしまった」のが如実に分かる、まともに理解しようとしても絶対無理が残る物語展開なのだ。

 「魔笛」の場合、それにも関わらず、というか、それだからこそ、モーツァルトの音楽の奇跡のような美しさが全てを超越して、物語など、もはやどうでも良くなってしまうわけだが、この映画はまだそこまでの境地には達していないので、 ふにゃふにゃな物語に脱力するばかり。

 脱力するのもそれはそれで心地良いけど、「千と千尋」と違って、見ていて世界が次第に広がっていくという楽しさが余り感じられなかったのは残念。

 勿論、上手いなと思わせるところはいつものようにあって、例えば、原作のマイケル(頼りない師匠を支えている苦労性の少年)とは違うタイプだけど、マルクルの可愛さときたら!

 しかし、違うと言えば、荒れ地の魔女の位置付けがまさか、あんなにも違うことになっているとは。ていうか、溶けてるし。

 なお、溶ける前の物語である原作は、やや出来過ぎの感もある位、細部まで無駄なく構成された作品なので、映画に脱力してしまった人こそ読んでみることをお薦めします。

 

 ちなみに、私は、映画化するなら原作を大切に、といった原作原理主義者では別に無いです。大体、この映画を最も楽しんだのは原作者本人だと思うし(何せ、長年に渡って多次元世界モノを描いてきた人なので)。

 ただし、変えるなら変えるで、元の「具」が見えなくなる位、きちんと煮込んでくれないと。物語展開がグダグダに溶けちゃっている、とは言っても、原作の設定が(元の意味を全く失った状態で)あちこち残っている中途半端さが、見ていてどうにも気持ち悪い。案山子とか。魔女の呪いとか。その点、「クラバート」「霧のむこうのふしぎな町」といった「参考図書」を渾然一体となるまで溶かし込んだ「千と千尋」の方が、料理としては洗練されていたように思います。

 

12/16

 「KURAU Phantom Memory」最終回。

 やっぱり、この作品は、こうやって日常生活を淡々と描いている時が一番良かった。というか、ぶっちゃけ、GPOの抗争話なんかどうでも良いから、最初から最後まで、クリスマスが自転車漕いでいるシーン だけ描いていれば、それで良かったのでは?

 

 NHKのニュースによれば、外国ファンタジーが子供達に大ブームとか。

 「ダレンジャン」なんて「指輪物語」より売れている(350万部?)らしい。そうか、それなら出版社も一山当てよう、と儲け主義に走るよなぁ。しかし、ニュースでは子供達が沢山、本を読むようになった、とやけに好意的な口調で紹介していたけど、何か違和感が。

 子供の頃の読書というものに意味があるとしたら、それは量の問題じゃなくて、例え一冊でも良いから、いかに「良い本」と出逢えるか、ということでしょ?

 流行の(しかし本当に?)「最近の外国ファンタジー」の中にはダイアナ・ウィン・ジョーンズみたいな作品だって含まれているので、数撃ちゃ当たる、かもしれないけど、余り率の高いジャンルには見えないし。どうせ読むなら、それらの「外国ファンタジー」の前に、まず読むべき本が幾らでもあるだろうに、という気が。いや、私が言うのもどうかとは思いますが。

 

12/15

 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ月間もまだ3冊残っていますが、それはまた後日ということで。

 

Book 石山茂利夫  「国語辞書事件簿  草思社 (Amazon/bk1)

 著者は昔読んだことのある「裏読み深読み国語辞書」の人。前回は辞書に関する広く浅いコラム集という感じだったが、今回は特定の辞書に関して、より突っ込んだ内容の「調査報告書」という趣。なかでも、「例解国語辞典」の制作状況を、辞書そのものを丹念に分析することで推理する「悲劇の名辞書」の章は、元新聞記者だけあって、ミステリ並の面白さ。

 しかし、(私を含めてそれほど辞書に深い関心のない)普通の人が一番驚くのは、「広辞苑」の元になった「辞苑」という辞書が、いわばライバル辞書3冊の記述を切り張りして作った模倣の産物だったことを、模倣例を抽出することで明らかにする後半の3章だと思う。

 この「模倣」を含め、「辞苑」「広辞苑」の「編者」今村出に対する著者の見方は、非常に厳しいが、それは今村出が実際には辞書制作にほとんど携わっていない「名義貸し」の「編者」だったことと密接に関係しているわけで、読んだ限りでは、著者の見方に非常に納得するところが多い。

 ちなみに、三省堂の辞書でその名を多く見る金田一京助も、今村出同様、その辞書の制作に関わっていない「名義貸し」の「編者」であることが、この世界では常識らしい。(「新明解」では私の持っている第4版にはまだ「金田一京助」の字が大きく載っているが、少なくとも現在の第6版では既に名前が消えている様子)。

 辞書と辞書編者に対する調査、とある意味、マニアックな世界ではあるけど、どんな分野にせよ、そのジャンルに深い愛情を持っていて、それゆえに地位や名声を持ちながらそのジャンルに対する誠意が感じられない人物には厳しい、といった人の文章は面白いです。

 

 どうでも良いけど、ここで思い出すのは、3年前に放送した「プロジェクトX」の「父と息子・執念燃ゆ 大辞典」の回。あれは何だったんだ、というほど、今思うと、酷いアジテーション。だって、(ほとんど名義貸しの編者を)辞書一筋、執念の偉業みたいな美談として描いていたわけですよ。

 あの番組が好きになれなかったのは、浪花節の演出、田口トモロヲの不快なナレーション口調だけではなく、そういう根本的なところで、内容自体が信用出来なかったからだと再認識する。まぁ、あの番組が好きそうなおじさん世代(制作者含む)の部屋に有る辞書といえば広辞苑くらい、という閉じた世界を肯定するための番組なんでしょうけど。

 

12/13

 見え辛くなっていた右目のコンタクトを再度交換。結局、左と同じまで度数が落ちてしまった… これでまた慣れると…という懸念もあるけど、両目で見た方が多分、自然なので。

 

Dictionary ダイアナ・ウィン・ジョーンズ ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジーランド観光ガイド 東洋書林 (Amazon/bk1)

  昨年の今頃に出た本で、今年の初めには読んでいたのだが、…そういえば、感想を書くのを忘れてた。

 『本書は、ファンタジー小説を「観光パンフレット」、その作家を「ファンタジーランド旅行公社」、読者をこの旅行社のツアーに申し込んだ「ツーリスト」にみたてた<観光ガイド>です』(帯の紹介)。

 というわけで、ファンタジー小説、それも「指輪物語」の亜流ファンタジー世界のワンパターン振りを、とびっきりの皮肉を込めて紹介するジョーンズ版「紋切り型辞典」。この場合、「紋切り型」なのは定義の仕方じゃなくて、対象の方ですが。

 実は私、その手のファンタジーには余り興味も愛着も無いので、良き読者とはとても言えないのだけど、それでもあちこちで吹き出してしまった。この作家の観察眼の鋭さと、辛辣なユーモア感覚を理解するには最高の一冊かと。

 ちなみに、「ダークホルムの闇の君」は、この「観光ガイド」を理論編とすると、いわば実践編として、異世界からの「ツーリスト」を受け入れるファンタジー世界を舞台にしてファンタジーを書いてしまった、極めてアクロバティックな創作だったことがよく分かる。どうりで、妙に不自然な世界設定と物語展開だと思った。あれは、わざとだったのか… 先にこちらを読んでいれば、そこまでやるとはジョーンズ恐るべし!と拍手喝采だったと思う。

 

12/12

 サン・カルロ歌劇場来日公演の一般発売に敗北…

 勿論、高い席は残ってますが、元からE・F席しか手が出ないので。先月の優先発売日に休日出勤が入った時点で既に、この公演とは縁が無かった、と諦めるしかないのか。とはいえ、枚数選択までちゃんと進んでいただけに、ショックが大きい。ぴあの馬鹿システムにやられた。外に出る気力もなく、いじけて、そのまま部屋で、「魔笛」のDVD(2つ目)を見てました。

 

Novel ダイアナ・ウィン・ジョーンズ  「魔空の森 ヘックスウッド  小学館 (Amazon/bk1)

 前にも書いたけど、本のサイズといい、文字といい、無駄にでかい、という印象で損しているような。イラストを含め、表紙のセンスは良いんだけど。

 宇宙の秩序を管理する組織に、辺境の地球の管理官から、何かトラブルが発生したとの報告が届いた、という二昔前のSF?ドラマのような書き出しに、正直言って、余り期待せずに読み始めたのだが、後半、どかんと衝撃が! これこそが、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の醍醐味ですよ。

 何と言っても、主人公の女の子が中に入る度に違う時間が流れている「森」という設定が素晴らしい。繰り返し言及するのは(馬鹿の一つ覚えみたいで)気恥ずかしいが、またしても「不思議の国のアリス」をつい連想してしまう。小説の中でアリスが通り抜けた森、そこにいる間、彼女が名前を失っていたあの森を。

 「バウンダーズ」と同じ月に邦訳が出た作品だが、こちらの帯には、『「ハウルの動く」原作者の代表作』とのコピー。こういうところに出版社の格(余裕?)の違いが出ますよね。少なくとも、この作品は「代表作」と呼ぶのに相応しい、と私も思います。

 

12/11

 過去の分はともかく、その日の分を出来るだけ溜めずに書くようにしようかと。…しかし、長いな、これ。

 

Art フィレンツェ −芸術都市の誕生展  東京都美術館 2004.10.23〜2004.12.19

 会期末近くの東京都美術館=凄く混んでいる、という印象なので、開館時間に到着したら、思いの外、空いていて、上の階では数人で見ることが出来て得した気分。

 美術品の展覧会としては物足りないが、しかし、色々な分野への目配りと、予算の範囲内で可能な限り持ってこようとした努力をむしろ買うべきなのだと思う。

 ポッライウォーロとボッティチェリの婦人像は向こうでも見たので、自分としての目玉としては、ミケランジェロの木彫りのキリスト像。やはり見応えは有りました。向こうで見たと言えば、 大聖堂の壁面に掛かっていたダンテの絵。説明を読むと、今回の展示のため修復されたとか。確かに、ダンテの服の赤が鮮明。あっちは複製だったらしい。

 短時間で一通り見終えたので、画面付きの高性能機という噂の音声ガイドを借りてもう一周。文字と音声と画像が再生可能な優れ物なのだけど、がっかりしたのは、全ての展示に付いているガイドNoを入れても、展示品の名前が表示されるだけだったこと。

 …何か別の解説が出てくるのかと普通、期待するでしょ。一方、「音声ガイド」は120点中、わずか30弱。大したことは言わないし。

 一つだけ驚いたのは、本人より豪勢な服の方が印象的なエレオノーラの肖像画。会場の説明では「彼女のイメージをこの服が決定付けた」旨、書いてあって、しかも横に同デザインの服生地まで展示されている のだが、音声ガイドによると、彼女の財産目録に、この服は存在しないとのこと。

 ということは、この人は、着たこともない服のイメージが後世、決定版として残ってしまったということ? 「着ていた服」も同じくらい、豪勢ではあったんでしょうけど。

 

 一番不思議なのは、「画像」で、ブラウザ上の画像を拡大したり出来るのだが、目の前に実物があるのに何故? ただ、将来的にはこういうガイドが進化して、見るという体験自体、ヴァーチャルなものに置き換わっていくのかも。

 そうそう、私が音声ガイドに不満なのは、音声というのが情報伝達速度が遅過ぎるという点。なかなか終わらないのでイライラする。文字で読んだ方がよっぽど早い(と思うのだが、解説の板をゆっくりゆっくり読む人がよくいるので、全ての人がそうでもないのか)。

 なので、未来のガイドは音声ではなく、半透明のゴーグルみたいものを掛けて、必要な時だけ文字情報が前方に写し出されるようなタイプを希望します(誰に?)。指を回すか何かすると、画面上の表示を変えられるようなイメージで。参照すべき画像とかも呼び出せると、なお結構。

 どこかの映画のトム・クルーズみたいで、やや陳腐だけど、あったら便利じゃないかと。もっとも、情報を直接、脳に入力出来るような時代が来れば、また別ですが。

 ともあれ、(今の)音声ガイドはたまに借りてみるものの後悔する、ということの繰り返し。どういう時に役に立つものなんでしょうか、あれは。

 

Novel ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 「バウンダーズ “この世で最も邪悪なゲーム”  PHP研究所 (Amazon/bk1)

  舞台となる世界全体が「ゲームの規則」で動かされている、というメタフィクション的構造は、「ダークホルム」同様だが、この作品の場合、思い付きが先行して細部が雑という印象を特に受けてしまうのは、1981年の刊行という初期作品だからだろうか。あるいは単に、翻訳上の問題?

 アイデア自体は面白いだけに、何だか凄く勿体ない、という気がするのだけど。

 ダイアナ作品では珍しい「主人公の孤独」について、アメリカの作家ならもっと上手く書くのに、という気がしてしまうのも残念な点。例えば、ロバート・コーミアなら、終盤は息が詰まる位、逃げ場のない痛さでもってそれを描写出来た筈。

 あと、単発の出版社が派手なコピーで宣伝するのは当然とはいえ、この作品に『「ハウルの城」の原作者が描く最高傑作!』という帯の言葉を決めた人間は良心が咎めなかったのか、と言いた くなる。ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品は全て面白いと思っている私でさえ、感想を書く際に「傑作」という言葉はまだ1回しか使ってないというのに、「最高傑作」ですって?

 そんなこんなで、(決して嫌いでは無いのだけど)不幸な印象の方が強くなってしまった作品。

 ちなみに、世界全体が「ゲームの規則」で動かされているというファンタジーは、遡れば「不思議の国」「鏡の国」の両アリスに行き着くわけで、そういう意味では、彼女はファンタジーというジャンルにおいていわば王道を歩んでいる作家なのだと思う。

 

 そうだ、小野不由美の文章を久し振りに読んだことも書いておかないと。…しかし、鬼談草紙って毎回、こういう「…という話を聞いた」スタイルで続くなら、個人的には余り興味を 持てないなぁ、というのが事実だったりしますが。

 

12/9

 最近、ネットラジオでオペラ中継を聴くということを知る。opera castという専門の番組表ページも有って、凄く便利。聴き方は、主にここを参考にさせて貰った。

 普段、日本のサイトしか見ていないだけに、ネットの価値って元々こういうところに有るんだろうな、と感心することしきり。例えば、今週は改築したミラノスカラ座でこけら落とし公演が有ったのだけど、それを当たり前のように生中継で聴いたり録音出来たりする時代になっていたとは驚き。

 (ちなみに、スカラ座の公演は、サリエリの「見出されたエウローパ」とかいう作品(スカラ座創建当初の演目らしい)で、サリエリの曲を聴くこと自体初めてだったが、少しだけ聴いてみた感じでは、モーツァルトと同時代人なんだな、と当たり前の感想を抱く 私)

 ただし、問題点も2つ。1つは、少なくとも1回は映像で観た曲目でないと、音だけではその良さの1割も分からないことで 、もう一つは例えタイマー録音しておいたとしても、それをいつ聴くのかということ。後者に関しては、家の中で聴いている暇はまず無いので、外で移動中に聴くしかない。

 というわけで、I AUDIOのU2 1GBを購入したのも、実はその辺が主因。もっとも、2時間以上の作品を聴く、という余裕は日常生活にはやっぱり無かったりするのだけど…

 

12/8

 う〜ん、D.W.J.月間以外のことを書くまでの暇がない。他にも触れたいことは幾つかあるのだけど。

 

Novel ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 「星空から来た犬  早川書房 (Amazon/bk1)

 初期作品だけあって、展開はシンプルだが、全体を通じて「純粋な憤り」とでも言うべき物語のトーンが非常に新鮮。

 決して慌てることなく巧みに物語を操る現在のD.W.ジョーンズとは大きく違い、息を切らせんばかりに夢中になって語っている、という印象だが、そういう時期にしか書けない作品ならではの魅力というか。特にラストの切なさは、その後の作品には見られないものだけに、強く印象に残る。

 こういう初期の佳作が翻訳されたことが、今回のジブリ・バブルの最大の成果かと。

 

 ちなみに、私の場合、動物を主人公に擬人法として描くこういうファンタジーは、有名なポール・ギャリコ(「さすらいのジェニー」「スノーグース」そして「トンデモネズミ」!)を初めとして決して嫌いではないのだけど、動物のキャラクターが擬人法で跳ね回るアメリカのアニメはどれも(暗黒鼠帝国の国民は勿論、ワーナーの「トムとジェリー」に至るまで)皆、駄目なのは何故なのか、自分でもよく分からない。

 

12/7

 溜める一方でも仕方ないので、とりあえず、D.W.ジョーンズ月間(の整理)から始めようかと。

 

Novel ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 「花の魔法、白のドラゴン  徳間書店 (Amazon/bk1)

 国を安泰に保っている魔法の力を守るため、王とその廷臣が年中、「巡り旅」をしている世界、という初期設定は凄く面白い、と思ったんだけど。…本筋とは余り関係なかった(^^;;

 多次元世界もので(いつものことだが)、「悪い魔女」という悪の種がその地に撒かれて、一組の少年少女がその収拾に追われる…とくれば、勿論、C.S.ルイスの「魔術師のおい」。あの作品がダイアナ・ウィン・ジョーンズに与えた影響は本当に大きかったんだな、と改めて実感させられ る。

 その分、今回の内容は既読感が強くて新鮮味に欠ける、というのが正直な感想かも。「魔術のおい」へのオマージュなら、これまでもクレストマンシーとかで散々やってるわけだし。

 最新作だけあって、全体の進行は手慣れたものだが、(今までのジョーンズ作品を思えば)手堅くまとめ過ぎ、という印象で終わってしまったのは残念。ただし、一つ不幸だと思うのは、翻訳元の都合でシリーズの2作目だけを読まされたこと。この世界の2作目として読むことが出来ればもっと面白かったような気がする。

 

 Comics。滝本竜彦/大岩ケンジ「NHKにようこそ!」2巻。いや何だか、Comics版「NHK…」の佐藤君の日常って、割と楽しそうに見えるんですけど。…気のせい?

 

12/5

 昼過ぎ、西の丘に出てみたら、風の勢いの激しいこと。その代わり、富士山は勿論、丹沢・秩父まで全ての山並みが見渡せて、余分なものが全部吹き飛ばされたという感じの一日。

 

 展覧会の今後の予定を久々に更新。そんなの更新するより前に、見たものの感想(色々溜まってます…)を書けよ、という気もしますが。

 今月の展覧会では、サントリー美術館の現施設での閉館展「ありがとう赤坂見附―サントリー美術館名品展」だけは、少なくとも行こうと。前の職場に近かったこともあって通った2年間、琳派も鍋島も ここで初めて教わったので、私も「ありがとう」と、最後に言いたいです。

 

 BS-Hiの「世界遺産 青きドナウの旅」最終回は、プラハ城とプラハ旧市街。ってドナウじゃないじゃん…という突っ込みはさておき。私も見に行った国立マリオネット劇場を、時間を掛けて紹介したり、市庁舎のからくり時計を裏から見せたりと、思っていた以上に充実した内容で楽しめた。

 ヤン・フスを代表に、他国の支配への抵抗と独立心を忘れなかった民族というまとめかたは、いかにもNHKらしい、という感じではあったけど。というか、それを言うなら、チェコ的には、ハプルブル グ帝国がボヘミアに敷いた圧政の象徴といえるマリア・テレジアを(チェコ国民が20世紀になって独立した後、最初に行ったのが、広場のマリア・テレジア像を壊して、ヤン・フス像を立てることだった)、あんたら数日前に、シェーンブルーン宮殿で、賢女帝とか言って脳天気に褒めてただろうが(^^;;

 しかし、観光客で混み合っている聖ヴィート教会の中を、プラハ城の観光部長だかの先導で強引に割り込む出演者達。周り中のブーイングを買っていたが、良いのかそれで。

 

 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の感想ページを手直し。こちらも残りを早く書かないと。

 

12/4

 オーチャードホールで、お手軽オペラ鑑賞の2回目。ワルシャワ室内歌劇場の「ドン・ジョヴァンニ」。

 発売当初に安い席を取ったのだけど、会場には空席が目立つ。同じ値段(5千円)でB席が買えた様子。まぁ、実際には余り変わらないですが。今回は、金属板を三面鏡のように立てたシンプルなセットを上手く使って、11月の「フィガロの結婚」の学芸会風セットよりは格好良い舞台になっていた。舞台上で楽師(オケの一員?)が生演奏するのも楽しかったし。

 いや、「ドン・ジョヴァンニ」ってこういう話だったのかと。数年前、プラハの国立マリオネット劇場の人形劇版「ドン・ジョヴァンニ」を見て以来の宿題がようやく一つ解決。しかし、人形劇を見た時は、(基本的に)爆笑喜劇なんだとばかり思っていたのだけど、今回はそれほどでも無かった。

 もしかしたら、ドン・ジョヴァンニ役の人が余り魅力的に感じられなかったせいかも。従者の人は良かったけど。

 

 ちなみに、前回「フィガロの結婚」を見に行った時、休憩時間に、小学生の女の子が2階最前列の手摺りのバーを使って、習い事の復習なのか、繰り返しバレエのつま先立ちをしている様が舞台以上に萌えかも、と思ったのを今回行って、思い出した(^^;; いや、モーツァルトには全く関係 のない話ですが。

 

12/3

 前の職場関連の忘年会で、あんこう鍋。

 会社の福利厚生施設ということで、値段比美味しいものが食べられるのは良いのだけど、毎年、この時期に忘年会として呼び出されるので、偉い人に年賀状を出し続けなければならないのが難点。この集まりさえ無ければ、年賀状を出すこと自体、全廃 出来るのに…

 でも、あんこう鍋はやはり美味だった。

 

12/1

 BSジャパンの「ヴァザーリの回廊」

 ヴェッキオ宮殿からピッティ宮殿まで、途切れることなくカメラを廻し続けるという撮影スタイルは面白かった。実際には、奥田瑛二の黒いスーツの背中にカメラが寄った何回かの場面でいわばブラックアウトの繋ぎをしているようだけど。

 ただし、自然光(及び通常の照明)だけで手持ち撮影するというのは、壁に掛かっている絵画に関しては無理が有り過ぎ。全然見えない… さすがにスタッフも頭を抱えたのか、別撮りしたアップを画面に貼り込んだりと努力はしていたけど、NHKだったらとても放送されないレベルの映像だなぁ。

 本当はこういう企画なら、スタンリー・キューブリックみたいに、専用のカメラを開発するところから始めないと駄目だと思う(TV東京にそれを期待するのは酷だが)

 せっかくだから、回廊にある絵をもっときちんと紹介して欲しかったのだけど、この時間だと、こんなものかなと。結局、振り返ってみれば、ヴァザーリの回廊じゃなくて、ヴェッキオ宮殿の隠し階段を通っていく冒頭部分が一番ワクワクしたという…

 そういえば、フィリッポ・リッピの「聖母子像」が修理中、という形で紹介されていたけど、私が行った時は(確か)まだ展示されていた覚えが。修理に回されたばかり?