5th day
(今日の予定) ウィーン発、チェスキークルムロフを経て、プラハへ。
- モーニングコール、5時半。ううっ、眠い。バスは7時発の筈だが、なかなか来ないので、待っている間、ロビーで職場の人へのお土産用に、モーツァルト絵柄のボール型のチョコを買う。行く前にさんざん偉そうなことを言っておいて、所詮、私もチョコ国への旅行者である。ふっ(自嘲笑)。
- 昨日と同じく、四人を拾ってから、そのままバスはウィーンを離れる。とりあえずの通過点はリンツ。従って、今回も西行き。ということから、ドリフのあの歌詞を思い出してしまう人は1970年以前の生まれだ(というか私だけだ)。「西へ行くんだ、ニンニキニキニキニン」。今回は無事、右側を確保。と思ったら、何だか左側の方が車窓の景色が良いような気がするのは隣の芝生な錯覚? それともそういう星の下に生まれついているのか。
- 窓からの景色は、なるほど、アルプスの麓、というか。「半分、スイス」という言葉が浮かぶ。ではあとの半分は何かと問われると、よく分からないが。実際、隣国なのだから、景色が似ていても、それほどおかしくはない。「クララが、クララが立った!」。そんな声が聞こえてきそうな、急斜面の草地の谷間を抜けたりもした。
- リンツの近くでは、マリー・アントワネットが、ウィーンを離れパリへ向かった時、一泊した修道院だか何だかを遠くに見る。かなり狭い流れとなったドナウを最後に横切る。ブダペスト以来のドナウの流れとはここでお別れ。ここからはチェコへ向かって北上。大雑把に言えば、右左と大きく曲がりながら、国境までずっと上っていくことになる。
- そんなわけで、今日はひたすら移動日。バスに乗ったまま、車窓の風景をただぼーっと眺めるのみ。楽といえば楽。時々、「名曲アルバム」の背景に出てくるような古い街並みを抜けていく他は、ずっと草原か畑が横に広がっている。ポツンポツンと所々に建っている家の庭先には洗濯物は見あたらない。添乗員によるとドイツだと人から見える方向に干してはいけないという法律があるというのだが、オーストリアの片田舎でも同様のことがあったりするのだろうか。
- 国境。手前の小さな両替所でオーストリア・シリングをチェコ・コルナに交換。なぜか、ここの窓口のお姉さんは棒付きの平たいキャンディーをサービスに付けてくれる。今回の国境管理官は真面目な人らしく、バスに乗り込んできて、一人一人パスポートの顔写真と見比べていた。もっとも、今日は日曜、大型トラックの通行は禁止されているとのことで(CO2対策として、らしい)、道は割と空いていて、他の車のためにそんなに待たされることはなかった。
- 昼過ぎ、チェスキー・クルムロフに着く。世界遺産に指定されている、中世の街並みを残している小さな美しい街。街の中をヴルタヴァ川(ドイツ語でいうとモルダウ)の清流が流れている。プラハからいえば、割と上流。
- まずは街の中心へ入り、広場に面した食堂の地下?で食事。生ビールが大ジョッキで、およそ80円。さすが、ビールの国だ、と感動する。
- 50代の夫婦と相席。どうやら公務員(教師?)の共働きらしい。おばさんの方は、旅行が趣味とのことで、友人と海外旅行に繰り返し(少なくとも20回以上!)行っていて、ベイルート等、今では行くのが躊躇われるような地域にも行ったことが有る様子。もっとも、パック旅行を利用したのは、今回が初めてらしい。一方、おじさんの方は、この旅行が実は初めての海外旅行だという。おばさんは、いつもの友人とのインド旅行も今月の下旬に予定しているとの話で、つくづく元気な人だと感嘆する。娘と一緒に旅行するのが夢だったのに、さっさと結婚して子供まで出来たのでつき合ってくれないとこぼすおばさんと、もう十数年したらお孫さんと旅行できるじゃないですかなどといった会話をしつつ食事。
- 食後、広場に集合。いわゆるヨーロッパの中世の町ってこんな感じだよなという、四面がそれぞれ一続きの建物で囲まれたような広場。
- 広場のベンチには五歳くらいの子供と母親が座っていた。子供は、ピカチュウの縫いぐるみを右手でブンブンと振り回している。哀れピカチュウ。母親が立ち上がり、子供の手を引く。母親に引っ張られ、広場から去っていく子供。ベンチには、置き去りにされたままの黄色鼠。…何か、本当に哀れだ。しばらくすると、横を通りかかった、別の女性が、ふとベンチを眺め、そしてそのまま彼を抱えていった。一件落着? それにしても、中欧の、中世に取り残されたような小さな街の広場で、こんなドラマを眺めようとは夢にも思わなかった。
- さて、ここからはガイドの先導で街を歩く。この街だけの現地のガイド。眼鏡を掛けたこちらの女子大生という感じ。日本語は勉強中らしい。
- まず教会へ。聖ヤン・ネポムツキーがここの城の守護聖人であるとの話。ただし、女学生ガイドからは聖ネポムツキーに対する正確な説明は無い。チェコのどこの町にでもその像がある、お地蔵さんみたいな聖人だが、実は、ヤン・フス(早すぎた宗教改革者で、火あぶりになった)への信仰(と同時にボヘミアの独立心)を打ち消すために、抑圧的な支配者であったハプスブルグ側(カトリック)が宣伝したアンチ・フスとしての聖人だった。(本人の死後)いわば作り上げられた「聖人」なのだが… まぁ、そこまでパック旅行客に説明したところでどうなるものでもないし。
- 城に向かう。この城は領主の家系が幾度も交代しているが、その家の一つが、熊に因む名前だったとかで、今も、城の入り口の堀で、数頭の熊が飼われているという。入り口の橋から下を覗き込むと。おおっ、いるいる。って、登別のクマ牧場じゃないんだから。
- 引き続き、彼女のガイドで城の中を見て回る。どの部屋に入っても、最初にいきなり「そしてえ。」(冒頭にアクセント)と話を切り出すのが、妙におかしかった。
- ここでは、各部屋毎、時代様式がバラバラ。必要に応じて、部屋を建て増ししてきたためらしい。全体的には結構、豪勢。しかし、あくまで地方領主ということで、本来はルネサンス様式であって、窓がシンメトリーに入るべき場所とか、あるいはもっと後の時代の、陶器趣味の部屋の内装とか、城の随所で実物を付ける代わりに絵を描いて済ませてしまっているのが、経済力との兼ね合いからの苦心の跡が忍ばれておかしい。
- 幾つもの部屋の床で、敷物となった熊(の毛皮)が、ペタンと寝ていた。何代前かは分からないが、かつて外で飼われていたものたちに違いない。死んでも愛されている、と見るべきか、死んでも無駄にはしない、というだけのことなのか、私にはちょっと判断しかねた。
- 外に出ると、城の窓の外枠に猫が一匹腰掛けていた。猫をこちらで見るのは何故か初めて。犬を散歩させている人は沢山いるのだが。こちらの犬の顔は日本で見る犬より、何というか、獣っぽい気がする。城の外側からは、ヴルタヴァの流れと街中の屋根が一目で見渡せた。まさに観光地的な絶景。
- 今日唯一の観光が終わったので、あとはまたひたすら、バスでプラハを目指すだけ。チェコというのは、数少ない私の知識だと、旧東欧の工業国で、しかも山の中にあるようなイメージだったのだけど。どちらかというと、高原がずっと広がっている感じ。ところどころ、森は残っているけど、それはわざと少しだけ残してあるような。ゲルマンの黒森はこの辺では多分、切り尽くしてしまったのだと思う。2千年も経てばそんなものだ。工業地域はまた別にあるのだろうが、バスからの風景を見る限り、基本的には農業国なのだろうと思う。
- 夕方、バスはようやくホテルに着く。プラハの市街からは数駅離れた、郊外の地下鉄駅前に聳え建つ高層ホテル。その名もコリンシア・タワーズ。まるでバベルの塔だ… と不吉な連想をするのは止めておくことにする。入り口にはデカデカと5つ星が飾られている。5つ星ホテルなんて一生、縁がないと思っていたけど。一旦、部屋に入るが(22階!)、夕食は、民族舞踊を見せる居酒屋みたいなところに行くということで、すぐに集まって出発。
- 夕食は、昼の夫婦と同席。実は、おじさんの方は民族舞踊に興味がある、ということで、今回の旅行をこれに決めたのも、この夕食で民族舞踊のショウが見られるというのが最大の要因だったらしい。私のように、食事時の単なる余興くらいに考えている者からすれば驚きだが、そこは、人それぞれ。だから、二人は最初の日の夜もドナウクルーズではなくて、ハンガリーの民族舞踊を見せるところに行ったらしい。
- チェコのダンスは、男女ペアで行うのが基本。主に、女の人がhya!とか何とか奇声を発しながら(笑)跳ねたり、くるくる回ったりするのを男性の方がサポートする、という感じ。途中、観客の一組くらいが誘われて踊らされるらしく、私たちの席の方へ、そのお姉さんが近付いてきたので、迷わずおじさんに行って貰う。おじさんは50代とは見えないほどの鮮やかな腰のキレで、見事なステップを披露。場内と相手から喝采を浴びていた。
- 戻ってきたおじさんは、自分は、何とかダンス(社交ダンスではなくて、チームでその場の指示通り踊るようなものらしい。体以上に頭を使うとのこと)をやっていて、こういうのは専門ではないと謙遜していたけど、何にせよ、踊れる中高年というのは非常に格好良いと思う。…私はそういう中高年にはとてもなれそうもないけど。
- 料理の方は、まず薬用酒。薬用酒は、ハンガリーのユニクムみたいな、一口含むとカーと燃えるような度数の高いチェコの養命酒。どこの国にもこういうものが有るらしい。
- あとの飲み物は、当然ビールのジョッキを頼む。チェコだし。日本のビールより飲みやすく、本当、ガバガバ流し込むように入ってしまう。カロリーとか、ビール腹とかいった言葉が頭の奥底をよぎるが、それも全部、ビールと一緒に流し込んでしまう。
- 料理は鉄板焼き。部屋の片隅の鉄板でジュージュー焼かれた豚肉やソーセージがボリュームたっぷりに出てくる。これがまたビールによく合う。というわけで、一段落前がまたリピートされる。
- そんなわけで、この旅では野菜が少ないなと、テーブルに置かれたサラダの皿から、ミニトマトを摘んで、ぱくっと一口で飲み込む。と!! ヒック!いきなり痙攣する横隔膜。ヒック。トマトだと思ったのは、実は超辛な、ヒック、ミニトマトサイズのパプリカだったらしい。騙された。こんなに赤いのに… まるで、大阪%辛いのは、ヒック、苦手やねん、な私。幸い、誰かに鳩尾を殴られたりする前に?何とか、元に戻ったが、少しの間、息が出来ない有様だった。
- この夕食から同行した、プラハのガイドも、ウィーンに続いて日本人。今度は見かけ上青年で、内省的な感じのガイド。低い声で喋っていた。
- ホテルに戻る。部屋のTVを付けると、最初に私の名前が入った歓迎メッセージ(welcome
to our hotel…)がブラウン管に浮かび上がったので、驚く。そういう演出で来るとは、不意を付かれた。22階の窓からは煌めく夜景。何ともロマンティック(一人だけど)。
- …だけど、そんな部屋で私がやっていることは、広い洗面所で洗濯。シャツを何枚も絞ると腕が痛い… あの、思うんですが、多分、こういうホテルに泊まるような人はそういうことをしちゃあいけないんじゃないかと。服はクリーニングに出すのが当然、のような。やっぱり、私がこういうところに泊まるなんて、分不相応だ、というか、これでは、5つ星ホテルに泊まっている意味ってほとんど無いよ。
to be continued.
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