7/14

アムステルダム→ロッテルダム

 今日は市内の美術館巡り。ムント塔近くにあるホテルからは、(一昨日歩いたように)15分も歩けば、国立美術館やゴッホ美術館が並ぶ美術館地区に着いてしまうのだけど、開館はどこも10時からなので、時間が余ってしまう。

 仕方ないので、少し街中を散歩することに。ホテルを9時過ぎにチェックアウトした後、一旦、反対方向であるダム広場まで北上。そこで右折し、飾り窓地帯を通り、 ニューマルクト広場を越えて、レンブラントハウスまで歩く。

 飾り窓地帯は、月曜の朝ということで、繁華街の朝 に特有の、素面に戻ったというか、気の抜けた感じだった。ほとんどどこもカーテンは閉まっていて無人だった(あるいは、掃除機を掛ける音が奥から聞こえてきた)が、なるほど(カーテンが)紅い、と思った。…紅いというのは割と万国共通の約束事なんだったっけ? どこかの小説では、緑の柱だったような気もしたけど。

 その東の地域は、中華街らしく、漢字の張り紙を多く見掛けた。運河を横切ると、レンブラントハウス。遠回りしたのに、10分前に着いてしまう。周りを一周し、近くのカフェのレジで、コーヒーを頼む。テイクアウト用の大きなカップを渡される。そういうつもりではなかったのだけど… せっかくなので、運河上の橋というか、広場にカップを持って戻り、ベンチに腰掛けて、コーヒーを飲みながら、開場を待つ。道の向こう側にあるレンブラントハウスの前でも、数人の観光客が待っている。

 10時になる。……? 何の動きも起きない。もしかして、今日は休館日だった?と不安になり始めた数分後、ようやく入り口が開く。入り口は、レンブラントハウスそのものにはなくて、左の現代的な建物の方だった。

 

 今日の荷物は手提げカバン一つだけ(中身もデジカメとガイドブック1冊のみ)なので、ロッカーに入れなくても良いかな、とそのまま階段を上がろうとしたら、職員からロッカーがあるから(使え)と声を掛けられる。

 いや、それ自体は別に良いのだけど。そう注意されたのって、私だけ。アメリカ人とか他の観光客はもっと大きなカバンを持っているのに。何か納得いかないものが。何かを盗っていきそうな「不審な東洋人」と思われたのか。あるいは、間違って展示品にぶつけそうな不器用な奴だと見込まれたのか。後者だとしたら、余り反論は出来ないけれど。

 一通り、見て回る。アトリエは広くて、意外にも、結構、明るい場所だった。当時は強い照明なんか無いわけだし、太陽光が入るのは絶対条件だったのか。となると、あのライティングはどうやって、演出してみせたのだろう。頭の中だけ?

 一番面白かったのは、コレクションのブンダーカマー振り。各国の鎧とか、骨董品とか、動物の剥製とか。アルマジロの標本まであった。

 しかし、これらは皆、オリジナルではなくて、最近の復元なのだった… 当時の建物がそのまま現存している筈も(ましてや、競売に掛けられて当時、四散した室内の一式が残っている筈は)なく、当たり前といえば当たり前なのだけど、1F(隣の新館) で放映されていた、レンブラントハウス復元プロジェクトのメイキングビデオ?を見て、初めて気付く迂闊な私。

 ビデオによると、レンブラントの絵を元に再現した木の窓枠をはめ直したり、当時と同じ家具を手作りで作ったりと、いや、もう、「Before After」以上の大工事だった様子。当然ながら、コレクションも「多分、持っていただろう物」と同種の物を集めてきたもの。

 復元された「家」を上まで見て回ると、隣の新館へ移動して降りるのが順路。新館は、ちょっとした美術館となっていて、レンブラントのエッチングを ずらっと展示している。彼のエッチングを久々にまとめて見て、その凄さに改めて感嘆する。

  ビデオを見た後、レンブラント関係の本や絵画(複製)が部屋一杯に並べられたショップでポストカード等を見ていると、日本語を話すオランダ人?のガイドと来ている日本人男性(青年?)が、レンブラントの自筆の手紙(その彼によると、一通だけ現存しているらしい)の写真を収録した画集か本は無いか、店員に訊いて欲しい、とガイドに頼んでいるのに出会す。

 以前、そういう本が出版されたことは有ったが、既に絶版で、ここにも無い、というのが、店員から訊いてきた上のガイドの答え(日本語)だったが、その程度のことも自分で訊けないのに、そんな手紙の写真を手に入れて、一体どうしようというのか、と傍らで思った。手に入れれば嬉しいという単なるコレクター?

 

 11時過ぎに出て、近所のワーテルロー広場から一駅だけメテロに乗り、10番のトラムに乗り継いで、11時半前、国立美術館、いわゆる「Rijks」(ライクス)の目の前に到着。空腹のままでは集中力が持たないだろうと、ミュージアム広場へまず向かい、屋台の一つで買った、spa+アップルパイ(またしても か) 計3.5Euroで胃を満たしてから、いよいよ入場する。

 

 つい最近まで(今月の初めまで!)、アスベスト騒ぎで、かなりの部分が閉館していたらしいライクスだが、2Fの絵画フロアーは幸いにも、全て復旧済。

 今回は、通常の観光客と違い、時間を気にしてポイントを絞る必要はないので、最初の部屋から一つ一つ見ていく。北方ルネサンスの祭壇画といった絵画の面白さは、この歳になって初めて分かってきた気がする。

 と言っても、ぼーっと見ているだけなのには変わりないのだけど。

 1時間後、ついに「黄金時代」の部屋に。そう、経済力と共に、絵画史的にもオランダが一時代を築いた16〜17世紀の作品を当館では「Golden Age」として陳列しているのだった。

 レンブラントやフェルメールといった超有名人の絵が、その中に当たり前のように置かれているのも凄いのだが、それ以外の画家も、程度の差は有るにしても、どれも皆、人を惹き付ける力を持っているのが、「Golden Age」たるゆえん。なかでも、私でも名前を聞いたことのあるような(主に、フロマンタンの著作を通してだが)画家の作品は、特に印象的だった。

 Cuyp(コイプ)の田園に、Potterの牛。Goyen(ホイエン)の風に、Ruysdael(ロイスダール)の空。

 あるいは(画家の区別は余り出来なかったけれど)、細密描写が冴える静物画の数々。Jan Jansz van de Velde。Jan Davidsz de Heem等々。

 そして、フェルメールが並べられた壁面に到着。「牛乳を注ぐ女」だけは、その前に、他よりも人が多いのですぐ分かる。

 「牛乳を注ぐ女」。美術館の外に、「Dutch Beauty」というコピーが入ったこの絵の巨大ポスターが貼られているように、「夜警」と並んで、ライクスの象徴ともいえる作品で、一見シンプルながらも、人目を強く引く絵画。

 しかし、素朴な人物画というぱっと見の印象とは裏腹に、よく見れば見るほど、不自然な画面ではある。 全てが自然に見える天才の作品とはむしろ対極的な、強引な力業で画面をねじ伏せている緊張感こそが、この絵の力。

 この絵は結局、画面中央で、壺から牛乳を注ぐ右腕と壺を支える左腕、そしてその壺(とそこから流れる牛乳)の3点だけが全て、だと思う。

 他の部分は、その3点を印象付けるための設定でしかない。例えば、テーブルの形が現実には有り得ないように。

 と思いながら、この絵を見ている内に、「恋文」(この絵の数枚右側にある)を見た時の漠然とした予感が、確信に変わった。「フェルメールはヒッチコックだ」と。

 そう、とっさに思い浮かんだのは、ヒッチコック/トリフォーの「映画術」(晶文社)の中でも最も有名な一節、「断崖」の(新妻のヒロインが毒入りではないかと恐れる疑惑の)ミルクをコップに入れてケイリー・グラント(夫)が階段を上ってくる場面の演出方法 。

 H「どう思うかね、あのシーンは?」 T「じつにすばらしかったと思います。ミルクの白さがはっきりと目立って…」 H「あのシーンでは、ミルクにライトを入れたんだよ 。」 T「ミルクにスポットライトをあてたということですか。」 H「いや、いや、ミルクの中に豆電球をいれたんだよ。コップの中に。あのシーンではミルクの白さをかがやくように強烈に印象的にしなければならなかったからね。ケイリー・グラントが階段をのぼるあいだ、ずっと、観客の視線がこのコップだけに注がれるように。」 

  あの白く光る牛乳は、本当に光っていた!という驚くべき演出方法のように、観客の人目をどうやって画面の牛乳に集中させるか(例え、どんな不自然なことをやっても)という点で、フェルメールの絵も(やりかたは違うにしても)同じく強い「演出」あるいは作為を感じさせる。

 つまり、この絵はまさに「見せ物」としての効果に拘った、「俗っぽい」作品なのであって、それだからこそ、その「面白さ」に、今もこうして人が集まるのだと思う。

 「恋文」を見た時に漠然と連想したのも、ヒッチコックの「裏窓」等の覗き趣味。ヒッチコックが偉大な娯楽監督だったのは、familyという日常空間における事件を、観客の心理的な 期待(要するに「覗きたい」という欲望)を満足させる形で描くことが出来たからなのだが、フェルメールも(本人がどこまで自覚的だったかはともかく)、絵画を見る「視線」が同種の欲望を含むことを 想定して描いている。

 身も蓋もない言い方をすれば、フェルメールはヒッチコックと同じ位、いやらしい。…一応、誉めているつもり。

 この部屋のフェルメールの中では、個人的に一番好きになったのは、「手紙を読む青衣の女」。

 服の皺だけでなく、手前や奥の椅子、そして地図の重しの棒といった部分、それぞれの青さの微妙な違いと、その繊細な美しさに感動する。背景の壁に写った薄い影まで青いんですよ!

 フェルメールで気が抜けたため、次の17,18世紀は僅か15分で流す私(^^;;

 とはいえ、この時期のオランダ絵画が駄目なのは確か。国力が落ちると、こんなにも違いが出るものなのか…

 19世紀。Geroge Hendrik Breitnerという画家がオランダ内では重要らしく、沢山置いてあった。茶や灰色中心のやや地味な色遣いだが、近代の自意識を感じさせる荒いタッチは、悪くは無かった。「Girl in a white kimono」 が気に入る。

 次の部屋には、ゴッホが1点。別にどうでも良い作品だし、近所のゴッホ美術館にまとめれば良いと思うのだが、国立博物館としては、ゴッホの1枚もないと駄目なのか。

 むしろ、Jan TooropのS字型に曲がった樹の絵や、Jacobus van Looyの「Garden with flower」という青紫の花畑?を描いた絵の方が、ずっと印象に残った。

 その更に隣は、東洋の美術品展示コーナー。日本の絵として、「Ganryo」という画家の鷹の小屏風が置かれていた。何か、外人が好きそうな絵だなと思う。…というか、Ganryoって誰よ?

 というところで、左側の小部屋を全て見て回り、ようやく、この美術館での目的、かつこの旅の最大の目的である「夜警」の部屋に辿り着く。 言うまでもないが、私はおかずが幾つもある場合、「好きな物は最後まで取っておく」主義なのだ。

 最初の印象では、思ったほど大きくないような気がしたが、近付くと(当たり前だが)非常に大きい。明るい所は予想以上に細密だったが、暗いところは近くで見てもやはりよく分からない、こともわかった。

 幸い、それほど混んでいなかったので、部屋に置かれた長椅子に腰掛けて、じっくり見ることにした。

 ずっと眺めていると、段々、どうでも良いところが(というか、どうでも良いところばかり)気になってくる(笑)

 副隊長のブーツの折り返しの長さが左右で違うのは当時のファッションなのか、とか、左の子供はボールを蹴るところなのか、つまずいて転ぶところなのか、とか。爺さんが良い味出してるなぁとか。

 右の壁に、昔の模写が置かれている。見ると、今の「夜警」は、左側がかなり切られていて、そこに描かれていた2,3人 分、当初からは人の数が減っているらしい。本当ならば、彼らも世界的な名画の登場人物としての栄誉を永遠に担える筈だったのに… まぁ、どんな時にも、ツイてない人はいるものだ。

 細部といえば、副隊長の輝くばかりの服の描き込みが何と言っても印象的だが、画面のポイントである、隊長の左手の人差し指の先に、光の点が1点だけ描かれているという芸の細かさ! に気付いて驚嘆する。

 全体としては、実際に見ることが出来て満足。

 帰りは、中央の回廊の絵を見ながら。中でも目玉は、レンブラント。「織物業者組合の理事たち」の服の黒。老自画像の額の光。

 そして「ユダヤの花嫁」。

 「慈愛」という言葉と共に、心の中に暖かいものが徐々に満ちてくる。何かの絵を見て、本当の意味で「感動する」ということは滅多にないのだけど(「夜警」を見た時も、「楽しさ」という意味での興奮であって、心に響くというのとは違う)、これはまさにそういう「感動」を与えてくれる希有の絵画。

 レンブラントの全作品の中でも、最高の高みにある1枚と言って良いと思う。レンブラントが駆使してきた「手」の表現としても、多分、最高の絵画。

 せっかく「夜警」の部屋から未練を振り切って出てきたというのに、ここでまた、絵の前から動けなくなってしまったが、暫く眺めた後、思い切って、後にする。

 2Fのショップを軽く覗き、「夜警」に関するハンドブック(勿論、日本語版で11.5Euro)を買い、1F(オスマントルコに赴任していた大使の絵等による特別展)はごく軽く流して、外へ出る。

 

 また、外の屋台で、クラブサンドとspa。5.5Euro。暑い中、次は近代美術館へ向かう。

 

 モンドリアンの部屋が色々並べられていて綺麗。と思ったら、そのエピゴーネンも混ざっていた。ぱっと見、区別付かないよ(あえていえば、「本物でない」方が綺麗?)。それにしても、現代artはいわば「ヒーロー」となった一握りの者以外、埋没する世界だと思う。万骨枯れて一将成る、というか。

 現代の作品なら昔の作品よりも、国とか言語を越えて分かりそうな気が何となくするが、実際は現代artというのは「概念」の展示だから、言葉が分からないと全然分からない。 (言葉が分からなくても)逆に分かるものは「分かるだけ」だし。

 ガラスで作ったテントとか。

 『人を外界から守る筈のテントが割れやすいガラスの破片で組み立てられています。様々な危機を抱えた現代の世界の姿の「壊れやすさ」を象徴しているかのようです』といった、中学の美術の教科書の説明文みたいなつまらない「意図」が、すぐ浮かんでしまって、うんざりする。

 どうでも良いことだが、ガスバーナーで炎を上げている作品(ガスコンロ付き)の展示ランニングコストが気になったりする。コンロ代は、美術館の年間予算に毎年計上されているのだろうか。

 1Fは写真の展示。写真の方がまだしも表面的には分かり易いかと思った。とりあえず「何か」が写っているし。

 まぁ、何となく一通り歩いたところで(見た、とはさすがに言うつもりはない)、外に出て、この地区最後の美術館に向かう。

 

 ゴッホ美術館。ゴッホ好きは日本人だけではなかったのか、入り口には各国の旅行者で行列が出来ていて、少し並ぶ。

 オーディオガイドに、日本語が有ったので借りてみるが、説明が長いし、鬱陶しいので途中で止める。

 というか、誰なんですか、この饒舌なゴッホは。

 テオに宛てた手紙の一節を(ご丁寧なことに、ゴッホ役の人がまた別にいて)やけに熱意を込めた調子で語ってくれるのだけど、絵を見る度に、耳元で「作者」?の長々とした解説を聴かされてはたまらない。

 久々にまとめて見たゴッホは、一言で言えば「努力の人」という感じ。「田舎者」がパリに出てくると恥ずかしいまでに色彩が変わったり。日本人がいかにも好みそうだけど、真に一流の人は 、作品の中に「努力の跡」を殊更、見せたりはしないのでは?

 結局、私はゴッホの絵にはそんなに感心出来ないし、好きでもない、ということを再確認して終わる。 数百年分の絵を隣で見た直後だから、判断基準はいつもより確かだと思う。3Fの同時代の画家の作品で口直し。

 いや、3Fのコレクションだけでも、日本なら充分に展覧会が開けると思う。

 新館の方は、ゴッホと現代artを一緒に展示する試みをやっていた。 ゴッホのあのウネウネとした絵と、リチャード・ロングの石庭を対比するとか色々。ゴッホに現代artに通じる革新性を見出し、現代artにゴッホに通底する普遍性を発見するという意図は分かるけど、そもそもゴッホがそんなに偉いのかよ、と思う私には、どうでもよい企画だった。

 そんなわけで、(ゴッホ美術館のショップでしか手に入らない)あの三角柱のポスター入れは欲しかったのだが、買いたいポスターは 無いので、何も買わずに出る。まぁ、荷物になっても困るだけだし。

 

 5時前にホテルに寄って、荷物を回収してから トラムで駅に行き、ロッテルダム行きに乗り込む。パスは全部で5日しか使えないので、今日は切符を買っての乗車。

 今日の目的地ロッテルダムはまたしてもハーグを越え、デルフトを越えた、その更に向こう。同じ路線を行ったり来たりばかりしている。

 1時間半後、ロッテルダム・セントラル駅に到着。ホテルは美術館のすぐ傍、という好ロケーション(私にとっては)なのだが、街の中心からは外れるので、駅舎にあったスーパーで食べ物( サンドイッチ、チーズ、サラダ、ヨーグルト、水等)を買っておいて、ホテルの自室で食べることにする。

 駅からメテロに乗り、路線を乗り換え、駅を降りると、目の前が、今日泊まるParlk Hotel。おおっ、便利だ。

 案内されて、中に入ると、部屋が広い!ベッドが大きい!バスタブもある(当たり前だ)!そうそう、こういうのが、ホテルでの1泊というものでは。これが10,900円とは安い。 ちなみに、ここはオクトパストラベルで予約。

 でも、部屋で食事する私(笑)。チーズは匂いがきつく、2枚で断念、サラダもマズイので半分だけ。…こっちの人って、生野菜を美味しく食べるノウハウに乏しいのでは?  まぁ、サンドイッチとヨーグルトでも一晩くらい大丈夫だろう。

 風呂に入ってほっとしてから、TVを付けると、ロボコンのデスマッチを放送していた。オランダのTV局?  どちらも相手を挟むカニの爪みたいなのを装備。ショーアップのために、舞台では火が上がったり、ドリルを付けたロボットが破壊に回ったりと、滅茶苦茶、面白いんですが。

 日本でも、玉入れみたいなロボコンじゃなくて、こういう、どちらが相手を先に破壊するかみたいな奴をやれば、もっと盛り上がるのに、と思う。ロボットを破壊するなんて不謹慎、とかいう人がいるのだろうか。確かに、昔ながらの、パンとサーカスみたいな気はするけど。せっかく、アトムという 偉大な先例?もあるわけだしさぁ。

 日本語放送にチャンネルを変えると、NHKの生き物番組のペンギンの回だった。いや、あの番組自体は良いのだけど、今ここで私が見たい「日本語番組」はペンギンと違う…

 


← yesterday / next day →


補足

・Breitner…日本のサイトで言及しているところは見当たらず。まぁ、オランダローカルな画家なのかも。こんな感じの絵。

・ganryo…調べてみた結果、「岸良」らしいことが分かった。岸駒の養子とのことだが、初めて聞いた。(状態が今一つとはいえ)掛け軸を8万円台で売っているサイトが有ったから、大体、それ位の評価の人なのではないかと。


home, index, travel, diary