「灰羽連盟」の世界観について
・放送終了時に、個人的なメモとして書いた感想。
レキ=轢死であることで明らかになったように、ここは本意で無い死を遂げた者が生まれ変わるまでの世界、と理解するのが一番、自然かと。言ってみれば「中有」の世界。だから、ラッカは落下、なのだろう。自らの飛び下りか、事故かは、「鳥」の解釈次第だとしても。
つまり、前提となっているのは、輪廻の思想。東洋的な世界観だと言うことが出来る。
一方、「他者による許し」とは、優れてキリスト教的な宗教観。「汝の敵を愛せ」という思想、あるいは(同じ人間である)他者の愛によって、自分は救われるという思想は東洋のものではない。(灰羽と似たような境遇にある「三途の川の河原で、積み上がらない小石を積む子供達」は地蔵菩薩という絶対者の慈悲によってのみ救われる、というのが、東洋的、日本的な救済観。)
その辺のミックス具合というか、ちゃんぽん度合いが、非常に興味深い作品だったかと(←褒めてます)。
ちなみに、羽に関しては、あくまで未熟な状態の比喩であって、実際に飛ぶのには使われない、という点で、東洋的な世界観での使用法。西洋だったら、巣立ちの日には、羽が伸びて、バサバサと羽ばたいて飛んで行っちゃう筈。
・後日、自分の思い込みについて、少し再検討。
余所の「灰羽」に関する感想BBS等を見ていると、上記に一つの予断が含まれていたことに気付いて、はっとする。グリの街自体は「中有」だとしても、「巣立ち」とはどういう意味? 「巣立ち」=罪を祓って「天国へ行くこと」と捉えている人も多いので。というより、何故、私は「生まれ変わる」(=元の世界に戻る)と判断したのだろう?
つらつら考えた結果としては、物語中、断片的に伝えられる情報(主に、話師の台詞によって)から、そう判断したらしい、ということ。
例えば、「向こうの世界」では、二度と会えない、あるいは会ってもお互いのことは分からない、といった趣旨の台詞。存在自体が無くなってしまうならともかく、天国のような場所で、それは無かろう。
もう一つは、全体の話を、ファンタジーとしての構造、つまり、今までの過ちを悟って「やり直す」という物語で理解していたから、と思われる。それこそ「甦り」=「黄泉帰り」としての物語として。魂が浄化されて天国(ないし涅槃)に行っちゃうだけだったら、その前に、灰羽としての期間が与えられる意味なんて、大してないような。
どこの世界かはよく分からないが、多分、登場人物達が最初にいた世界に「戻ってくる」からこそ、物語としてのカタルシスが得られるのだと思う。(ただし、「戻る」とは言っても、元の人生自体に戻る気配はな
い。あくまでその世界に戻る、という意味で)
大体、灰羽が繭から生まれるのは、「『灰羽連盟』の世界全体が、いわば一つの繭である」ことの象徴でもあるわけで、その世界での物語は、繭から「孵る」、すなわち「新たに生まれ変わる」結末を迎えるのが、一番素直な理解だと思う。
・とはいうものの…
この作品は、安倍吉俊が恐らくは、モラトリアムな小世界を夢想する際に、まず「オールドホームでの共同生活」という「かたち」を思い付いて、それに付随するものとして「街」を作り、更には、キャラクターの物語を後から作っていった、元々は「巣立たない(巣立てない)
期間の灰羽」という状態に限定した物語だった、と思われる。「NieA_7」と同種の物語。
従って、「巣立ち」後が何か、と真剣に議論することは、実際上はそれほど有意義なものとは思えない(ここまで書いておいて、何を今さら、と言われそうだが)。
ただ、この物語を受け止めるに当たり、作者含めたスタッフが、「この物語」を語る上で自覚的に(あるいは無自覚に)採用した世界観がどういうものか一度考えてみるのも、悪くないかと。最初に書いたように、そのちゃんぽん度合い(特に、他者の関わり方)が興味深い、と私には思われたので。
(2002.12.22)