空の蒼さを 見つめていると


 blog そらのはて小人たちが騒ぐので
 2011年3月 / 先先月(2011年1月)

3/31

 というわけで。休みを取って中野へ。今まで中野サンプラザって行ったこと無いと思っていたけど、前の広場の時計に見覚えが。あぁ、あの時の会場って、ここだったのか(某黒歴史の記憶が…)

 二階後ろの席だったので、顔を見るとかそういう距離ではなかったけど、でも、去年とは違う意味で、今日この日にここに立ち会えて良かった、というライブだった。

 今月は個人的にも色々と有ったけど、何とかここに間に合って本当に良かった。今日の「光りあれ」の祈りに満ちた声の強さは、絶対忘れないと思う。

 あと、やっぱり皆で盛り上がれる瞬間は良いなと。「Private Sky」「Get No Satisfaction!」「マジックナンバー」と続くpartはとても楽しかったので。ちなみに(元々そうなのか、今回の影響なのかよく知らないのだが)今回のライブはクラップのみで、サイリウムの出番は無かった。上から見ていると、昭和のライブ的な感じで、それはそれで結構良かったかも。

 

3/30

 今日は大きな問題が起きないまま、ほぼ定時に(!)終了。(今日締切りの「そらおと」ライブの入金をするため、昼に郵便局に行く余裕があった位)

 お陰で、明日、休日出勤の振休の一日分として休みを取ること(を宣言すること)に成功。

 出勤した場合、定時に退社出来るかはその時の状況次第なので、明日の19時からの坂本真綾のバースディライブに参加するためには(今の状況では)最初から休みを取ってしまった方が確実。それが言い出せない危機的状況の発生とか、あるいは今晩に朝までの仕事が入って、数時間仮眠するだけでライブに出掛けるような状況を危惧していたのだが、何とか無事に行けることに。

 最後まで諦めずに(チケットを払い戻しせず)良かった。

 そんなわけで、久々に開放感のある平日の夜を自分の部屋で過ごし中。「俺妹」の13話配信を見たり、3人ラジオを聴いたりと、だらだらと。ええ、何も無いって、良いよねw

3/29

 少しずつ状況が改善の方向に。途中は色々と問題は起きたものの、何とか解決。19時半の段階で依頼作業を全て片付けたので帰ろうとしたら、依頼部署から「え、帰るの?」という電話が… しかし、結局そのまま開放。事件以来、20時前に仕事が終わったのって初めてだ。 ネットで、停電以来、必要だと思っていた電話機(AC電源が不要の)とか、LEDライトとかを探したりする。

 そういえば、「スタドラ」のイベントは落選した、らしい。巫女の歌をライブで聴きたかった…

3/28

 仕事の方も平常に戻った…と思ったら、全然戻っていなかったという罠。

 通常の仕事は通常にこなしているのだけど、「駄目でも進んだ」期間の後始末がまだ残っていて。またしてもほぼ泊まり込みの状態に突入し掛けるが、22時過ぎに、依頼をしてくる部署から、必要なデータを渡せないので今晩の作業は断念する旨の連絡があって、ようやく開放される。

 日付が変わる頃、家に着く。空腹のまま寝ると次の日辛いので、とりあえずアンパンを齧って、直後に寝る。…ああっ、このままだと今週も先週と変わらず?

3/27

 二週間ぶりにようやく「普通の週末」が過ごせたこの土日。
 振り返ってみれば、3/13に「明日から自分は自分のやるべきことをやる、しかない」とは確かに書いたけど、まさか、「やるべきこと」がこんな風に降ってくるとは思っても見ませんでしたよ…

 そんなわけで、ようやく日常モードの休日。白木蓮 を訪ねて近所のお寺へ散歩に行ったり。こんな時でも植物はいつもの年と同じように花を咲かすんだよな、と改めて思った。

 今日知ったダイアナ・ウィン・ジョーンズの訃報

 ここ1,2年、(邦訳での)新作を全然追い掛けられていなかっただけに、もう新作を読めなくて…などと愛読者的なお悔やみの言葉はとても言えない自分だけど、今まで読んだ作品の素晴らしさだけでも改めて感謝しています。そして、謹んでご冥福をお祈りします。

 彼女の作品が翻訳されていなかったら、「ハリポタ」以降の「ファンタジーブーム」の中で、日本での「ファンタジー」の理解がどれくらいつまらないものに縮小されていたかという気が。

3/26

 仕事は24時で終わったので、今度は休憩室の長椅子で4時半まで仮眠。始発2番目の山手線と横須賀線で帰宅。

 最寄り駅のマックで朝食。実は朝マックというのは普段機会(というか必要)が無いので、割と憧れていたのだw  この前、地震で朝帰りした時は停電で閉店してたので食べ損なったし。

 昼まで仮眠して、横浜に買い物へ。 横浜はいつもと同じ混雑だった。ドンキでルミカライトを書い、ヨドバシでイヤフォンを買って帰宅。前者は3/31の坂本真綾のライブ用。まだまだ行けるか厳しい状況だけど、最後まで絶対諦めない、つもり。

 帰宅して、久々にネットを色々とチェック。知らない間に展覧会が色々と延期 したり、中止になったりしているのを知る。個人的には夜間延長が尽く中止になっているのが痛い。まぁ、今はどのみち無理だけど。

 試験の延期は…6月か。あと一ヶ月くらい忘れてても大丈夫かな?(その油断が間違いの元)。

 ネットの配信で「まどかマギカ」の第10話をようやく見る。「まどか」は、作り手の「狙っている」感じが気になって、全面的に好きという感じでも無かったのだが、「ほむらマギカ」(第10話)は文句なく良い出来。というか、こういう構造の話には個人的にすごく弱いのだった。

3/25

 日常に戻りつつあるかのような感じだったが、後処理での調査依頼が立て続けに舞い込み、夕方以降、てんてこ舞い(死語)の状態に。 ようやく依頼の仕事が全て終わったのは24時。…もう、帰れませんて。

 あの連休中、データが無いのに(会社の方針で)割りきって処理をした日付の作業があって、その分は当然ながら正しい結果が出ていないのだが、元ネタが某所から出てきたから、この週末中にやり直して月曜にはお客様に渡せ、という話が夕方突然、舞い込んできて。成算が全く見えない状態で、期限と最終責任だけいきなり負わされるという極めて危険な話だったのだが、それは仮に出来たとしても、一人で出来る量では絶対無いことを説明して、休日の(私一人の!)作業ではなく、月曜に改めて話を受けることで、何とか落ち着いた。

 夜に調査依頼を処理している中、出てきた筈の元ネタが(本来とは全く違う)非常に乏しい内容だったらしいことが段々伝わってきて、あの話をもし受けていたら、日曜の夜にどうにもならなくなって、どこかへ失踪しないといけなくなる位の状況に追い込まれていたかもと、その恐ろしさに改めて震えた。

 今回は(本来、この話を負う筈の)先輩の人が、昨晩の勤務の後、実家のある福島へ(震災後、初めて)様子を見に帰省したばかりだったのが幸いしたかも。その人と二人で対応しないと絶対無理と説明したのが効いたようなので。

3/24

 二日振り?に会社に行ってみると、思った以上に状況は「普通」に戻っていた。どうやら、会社として最悪の事態は何とか免れたらしい。

 しかし、職場での後処理は続く。22時まで仕事して駅からはタクシーで帰宅。帰りの電車で「supercell」の新譜を聴き、最後の「私へ」にちょっとぐっと来る。多分、気持ちが弱くなっているんだろう。

3/23

 家族と、叔母のお葬式に参加。

 実は集骨まで参加したのは初めてで、人は亡くなると骨になるという事実を目の当たりにすると衝撃を受けるところがあったのだけど、でも、こうして葬儀という儀礼を通して、故人とお別れすることができるのは、やはり良いことだと思った。参加出来て良かった、と思った。

 式の後、帰宅前に地元の本屋に寄る。月間kasimirキャンペーンの残りの2冊を見つけて確保。いや、気がつけばamazonの発送日数は9日とかになっているし、「普通に本屋に行く」ことが全く望めない日々が続いているので、キャンペーンに応募するのは無理かと思っていただけにほっとする。

 久々にネットをチェックしていて、こんな状況ではもう駄目か…と思っていた某試験の実施が延期になっているのを知る。へえ。

3/22

  昨日(今朝)はその後も仕事がエンドレスで続き、朝まで働き詰めとなる。朝の10時半頃、ようやく開放。26時間くらい働き続けていたような…

 昼過ぎに帰宅。仮眠をする、つもりが目を覚ましたら、夜の12時過ぎだった。まぁ、当然か… 風呂に入って再び眠ることに。明日は叔母の葬儀で忌引きを宣言してきたので、休みなのが本当に不幸中の幸い。

3/21

 連休三日目。ここに来て急遽、状況が動き出した。のは良いが、そうなると、遅れていた分をこちら側で全く時間を掛けないことで取り戻せという話となり、10時前から22時過ぎまで(途中、15時半すぎに20分位食事した他は)殆ど一瞬も休む暇なく、時間に追い立てられ続ける。

3/20

  連休二日目。朝から晩まで以下。しかし、この期に及んで(3日遅れたのに)1日しか追い付いていないという状況に、転職先を探したほうが良いかもという会話がお互いの口を突いて出る。

3/19

  連休一日目。朝から晩までひたすら対応に追われる。昼しかまともに食事をしていないのが、更に気力の低下に結び付いているのかも… でも、こうなってくると、まず睡眠時間の確保という気がするし…

3/18

  いつからか、24時間体制に。元々少ない人手を二つに割って、昼番と夜番で対応する中、私は朝の8時から夜の20時(実際には21時過ぎ)までを担当中。こうなってくると、普通の仕事も(来るべきものが来なくて)まともに動かない状況になっているので、時間以上に疲弊する。

 21時過ぎに会社を出ると、松屋ですら閉店している状況で、途中のコンビニに僅かに残っていたパンを買って帰る。社運をかけて、連休中に何とかするしかないのは明白なんだけど、本当に何とかできるのか。自分のところは下流の方なんで、本体側が何とかならないとどうにもならないのだが…

 帰宅して、一年前近くから入院していた高齢の叔母が亡くなったことを知る。

3/17

 しかし、結局、この晩も「昨晩のデータ」すら届かず、無為に一晩をうとうとと過ごすことに…

 朝起きても、そのまま仕事。通常とは違う状況(来るべきデータが来ない)の中、21時半まで対応して、何とか帰宅。直通の湘南新宿ラインが運休しているため、品川経由で。22時台の品川駅がこんなに閑散としているのは初めて見た。帰宅すると日付変更前に。

3/16

  会社に行くと、今朝も(会社に残っていた人が)一晩に対応に追われたことが判明。しかも、今朝に処理されるべきものが結局、来なかったままになったという。本来あるべき時間からどんどん遅れていく状況。…これはかなりマズイのでは? 夜で追い着くとの会社の方針で、急遽、泊り に。

3/15

 昨日の朝のラッシュを再び体験するのは辛いので、始発のバスよりも早く、即ち「歩いて」駅まで行く。これも毎日は耐え難いが… 本数は少ないがJRが動いていたのは幸い。

 着くと、昨日の夜、基幹のシステムで問題が起きて(交通の便が確保できないので、たまたま会社に泊まっていた人が)対応に追われたことを知る。日中も必要なデータが届かず、バタバタするが、この時はまだ大したことではないと思っていた。18時半には会社を出て、家でTVを見ていると、緊急地震速報に続いて大きめの地震が。22時半、富士宮での地震。家の辺りは震度4だった。

3/14

 突然の計画停電(既に語義矛盾…)で、JRがまさかの全面休止に。私鉄で何とか東京に出るが、着くまでに一日の体力を使い果たす。

 帰りは今度は利用した私鉄がラッシュ時に対応困難とかいう理由で運転休止。とりあえず、17時半から動き出した別の私鉄で横浜まで行き、動いているらしい市営地下鉄でもう少し近くまで行こうと地下道を歩いていたところ、JR横浜駅の地下改札から出てくる人達を見掛ける。…あれ、動いている? (運転情報が皆に届いていなくて)ガラガラの電車で帰宅。結果的にはOKだった。

 しかし、次にこういうことが起きた場合、何処からならバスで帰る ことが出来るかを改めて検討。戸塚からなら、バスを3回乗り継げば(2時間位?)何とかなるかも。そういう機会が起きないと良いけど。

 

3/13

 3/11は当然ながら、職場のビルの中にいて。

 遠い震源ほど揺れが拡大する職場のビルの特性から、かなりの揺れに遭遇したのだけど、壁の時計が落下して壊れた以外、大きな被害は無く。ただ、ビルはずっと余震で揺れ続けた。

 交通機関が動いていない以上、待機が解けた後も帰るという選択肢は無く、そのまま職場の部屋で、ワンセグの画面で地震の様子を見ながら一晩を過ごし、朝の5時に最寄り駅を私鉄で出たところ、ちょうど乗り継ぎ駅で別の私鉄が動き出すタイミングに合い、朝の8時頃には自宅に辿り着いた。

 夜の間、家の誰も出なかったので、同じように帰宅難民になっているのでは?と心配したのだが、実は一晩停電して電話機が繋がらなかっただけだった。ほっとすると同時に、眠気が襲ってきたので仮眠を取ったりしたのだが、結局、3/12は眠気が取れず、夜も早々に寝てしまった。

 

 今日は一日ほぼTVを見ていたような気が。時間が経てば立つほど、余りのことに言葉が出なくなるのだけど、とりあえず、明日から自分は自分のやるべきことをやる、しかないかと。