空の蒼さを 見つめていると


2003年7月

7/30

 「ニコパチ」。CDについては同じようなモノを自分で既に編集済みの者としては、単に「高いDVD」という気もしないでもないけど、マヌケなジャケット写真に免じて良しとします。

 

Novel バリー・ヒューガード 「八妖伝  ハヤカワ文庫FT

  3作目ともなると、読む方としても、この「世界」についてよく心得ているわけで、飛び跳ねる話に追い付いていくのに精一杯だった1作目とは大違い、周りの風景を眺める余裕すら出来ていた。で、道中は相変わらず楽しめたのだけど、刺激が薄れた分、新鮮さもやや減ってしまったのは残念。

 というのは、新たな面白さ、というよりは、ある種のマンネリ、という印象の方が強いので。予定していた7部作が、3部作になってしまった、という話だけど、それも仕方ないのかも… 7部作なら、この巻辺りで新たな要素が登場しないと、辛いのでは?

  「鳥姫伝」「霊玉伝」と読んできた人なら迷わず読むべきだとは思うけど(もっとも、そういう人は既に迷わず読んでいるとは思うけど)、1作目の構成の美しさ、2作目の悪役の立ち方と比べると、平凡な出来に留まっているような。…慣れただけ?

 

7/27

 今日は探し物をしていた他は、昨日に引き続いて、旅行期間以前・中の番組の消化日。

 向こうで、「日本の何か」が恋しくなることは余り無かったのだけど(まぁ一週間の旅だし)、ふと突然、『ああっ、「ムリョウ」見てえ』と思ったりはしました。より正確には、「那由多さんの喚いている姿」が見たくなったというか(^^;; ええ、「萌え」に関しては、私は至って「メジャー」なのです。

 

 (好奇心から、向こうのスーパーで見掛けたのを買ってきた)TWININGのティーパック「GREEN TEA AND LEMON」。午後のお茶として、試しに淹れてみる。

 ………出涸らしの紅茶をお湯で薄めたものにレモンの香りを付けたような味わい。早い話が、レモンの香りが 強烈にするお湯、でしかないよなぁ、これ。日本に輸入されないわけがよく分かる。だけど、箱を見ると7カ国語表示ってことは、これらの国ではそれなりに売れているんだろうか、謎。

 Comics。古賀亮一「ゲノム」4巻。

 

7/26

 今頃になって疲れが出たのか、単に低気圧が続くからか、どうにも眠くて、一日の大半を寝ていました。それ以外の時間は、一ヶ月分も溜まっていた「プリンプリン物語」をひたすら消化していたという… ようやく次の国ということで、新曲(しかも演歌)の準備に余念がないMr.ランカーがおかしい。

 旅行の頁は「予定」のまましかないのもどうかと思ったので、「結果」の日程も追加。といっても、予定と殆ど変わっていません。事件が起きたのも本当に最後だったし。

 Comics。島本和彦「吼えろペン」8巻。紫堂恭子「王国の鍵」2巻。

 

7/25

 地元の花火大会の日。この雨ではさすがに中止だろう、と思いながら、夕方、電車を降りると同時に辺りに響く、ドカンという鈍い爆発音。…雨の中でもやろうとすれば出来るもの なのね。

 バスの車窓から、最後のスターマインの様子が少しだけ見えたけれど、激しく雨が振りつける窓ガラスの向こう側に光る花火というのは、何とも奇妙な眺め。これぞ水中花火?(違います)。ほら、あの松坂慶子の(さらに違います)。

 

 旅行の方の感想は、まだまだ先のことになると思いますが、目的であった絵画に関して、どんなものが印象に残ったか、というのだけとりあえず、ピックアップ

 「眼にした」だけなら5千点から8千点、一応「見た」というのでも千点以上にはなると思うので、正直言って、特別な作品以外は、作者やタイトルを碌に覚えていないのだけど、ここに挙げた(上半分で)作品を見ることが出来ただけでも、自分としては、現地まで足を伸ばしたかいは有ったかと。

 というか、「油絵という表現形式は、ヤン・ファン・アイクに尽きる」というのが、今回の結論。「絶対」的なものに対して、「相対」的なものは幾ら束になっても叶わないです。

 Comics。橋口たかし「焼きたて!!ジャぱん」8巻、井上和郎「美鳥の日々」3巻。パトラッシュ…

 

7/23

 早速、レポートを、と言って下さる方もいて有り難いです。

 実は今回、とある事情により、旅行記その他を書くのが、いつもより困難な状況に陥っているのですが、同じ事情から、早期に取り掛からざるを得ないのも事実。元々は半年前の!トルコ旅行を先に書くつもりだったのですが、それは後回しにして(そちらは一体いつに…)、それほど遠くない時期に何とかupしたいと考えています。予定は未定、ですけど。

 

Novel 加納朋子コッペリア  講談社

 近作の「アリス」シリーズだけはどうも好きになれなかった加納朋子の新作。「新境地を拓く 初めての長編ミステリー」と帯にある通り、連作短編「でない」作品は初めてかも(ついでに言えば、秋ではなくこの時期に新刊が出るのも初めてかも)。

 いやまぁ、そんなに新境地という気はしなかったけど。むしろ、加納朋子らしい作品だな、と懐かしくなったというか。全体的には、「掌の中の小鳥」とかを微妙に思い出したり。ミステリ的な仕掛けはそう上手く行ってるとは思わないのだが、私が加納朋子に一番求めているのは、ミステリとしての完成度ではなく、こういう「不器用な恋愛」小説的なところなので、充分、楽しく読めた。設定が設定だけに、主人公達(の性格)がやや作り物めいて、「掌の中の小鳥」の主人公達のように魅力溢れる、とまでいかないのが、やや残念ではあるけど。

 

7/21

 戻ってきました。…梅雨はまだ明けてないようですけど。

 まずは公私ともに世間に追い付かないといけないので、一週間位、暫くはスローペースでの更新ということで。

 それにしても、7月のベネルクスがあんなに暑いなんて聞いてなかったよ。前半は連日30度以上(しかも、夜の8時過ぎまで強い日差し)。異常気象? 避暑に行くつもりだったのに…

 

7/11

 それでは、しばらく留守にいたします。梅雨が明けた頃?に戻ってくる予定です。

 

7/9

 少し回復してきたような。

 

Art イ・クトゥット・ブディアナ展  東京ステーションギャラリー 2003.6.7〜2003.7.21

 不思議時空。

 

7/8

 一昨日引いた風邪が治らないため、医者へ。微熱なのだけど、熱が出ること自体、滅多にないので、結構だるい。果たして、週末までに回復出来るのか…

 

 「フランダースの犬」 ウィーダ 講談社青い鳥文庫

 先日適当なことを書いたが、実際に読んだことは無かったので一読してみた。

 黴の生えた19世紀の児童文学に、今さら突っ込んでもしょうがないとは思うのだけど。本当にどうでもいいわ、これ(^^;; ネロって、悲劇の主人公だと、何となく思い込んでいたけど、実際は、地元の誇りルーベンスのように「偉くなる」ことを願っていただけの少年だった。 「皆から尊敬され、ちやほやされる未来」を妄想して喜んでいたりするシーンまであるし。

 (アロアの父がアロアを描いた絵に対して払おうとした)絵の代金の受け取りを拒否する辺りの妙なプライドも理解出来ないところ。そのお金さえあれば、ルーベンスの絵が見られるというのに。自分の絵は売り物ではないと言いたいらしいが、コンテストで入選して賞金を貰う(ことは期待していた)のは、それとどう違うのか。

 いわゆる「田舎者」。コンプレックスから来る、極端な自己卑下と逆に強い自尊心。だから、一度の落選で自己の全てを否定されたと思ってしまったらしい。

 普段、カーテンに覆われて見ることの出来ない2枚の絵が最後の晩、たまたま見られた、というのも神の恩寵という印象だったけど、実際に読んでみたら、夜に教会に入り込んだネロがカーテンを 勝手に!引き剥がしただけだった、というのにも驚き。月光が差してきたので絵が見えた、というのは確かだけれど、それにしても、今までの可哀想なイメージと違い過ぎだ。

 カルピス名作劇場の中で、最も「名作でない」原作だったのではないかという気がしてきた。というか、むしろ「迷作」?

 

7/6

 今まで書いた中では、フランドルの画家といえば当然出ているべき名前がまだ1人欠けているのだが、言うまでもなくそれは、デューラーが滞在したその百年後のアントワープで活躍したルーベンスその人に他ならない。

 今回、ルーベンスに関して特に何かを読むことはしなかったのだが、フロマンタンのルーベンスの章は非常に素晴らしく、これを超える(日本語で出版された)文章は多分、存在していないと思うので、まぁ、良しとする。

 ところで、ルーベンスなら以前、プラドで見た分で充分お腹一杯という気分。新たに見たいという気は正直言って、そんなに起きないのだが、本場?で見ればまた違う感慨もあるかもしれないので、もう一度 、素直に眺めてみようかと。

 とはいえ、ブリュッセル王立美術館、アントワープ王立美術館、ノートルダム大聖堂、聖ヤコブ教会、ルーベンスの家は勿論のこと、どこへ行ってもルーベンスなら有る、というその膨大な量に、どれも結局、流し見になってしまう気がしないでも。多すぎて、どの作品を注意して見たら良いのか、僕にはもう分からないよ、パトラッシュ……

 …あ。ネロは、大聖堂の絵しか知らないで死んじゃったんだっけ?(^^;; 哀れな奴(←最終シスター四方木田風に)。

 

 どうでも良いけど、また日経の日曜版と被ってるなぁ。

 Novel。川上弘美「おめでとう」。Comics。いなだ志穂/小野不由美「ゴーストハント」8巻。後半はまた半年後か…

 

7/5

 先人の旅の記録。まずは1875年の美術鑑賞記。

 「昔の巨匠たち」 ウジューヌ・フロマンタン 白水社

 ガイドブックなどで何度も「フロマンタンが書いているように…」と引用されているので、気になって読んでみた。

 フロマンタンは19世紀後半のフランス人で、画家でも作家でもあった人。当時のサロンで絵画部門の選考委員を務めていたことからも、当時の著名な「文化人」の一人だったことが伺える。そのフロマンタンが晩年、オランダ・ベルギーを旅行した時に見た多くの絵画の感想を通して自らの絵画に対する考えを示した、のがこの本で、ゴッホやプルースト等、多くの者に影響を与えた名著であるらしい。

 …うわぁ、思っていた以上にめちゃくちゃ面白い。

 確かに、現在では全く別の画家によると判明している絵画を指して、誰それの資質がよく表れている傑作と断言しているような誤りは多いし、大体、傑作かそうでないかを自分の審美眼だけで決めている辺りの自分に対する疑いの無さには、さすが19世紀的文化人、やや呆れもするのだが、そういう古さを超えて、絵の前に立って考えたこと、そして感動したことがリアルに伝わってくるその文章は、123年!経った今読んでも全然古びていない。

 こういうのが読みたかったのだ。というか、これ、私と同じタイプの文章ではないですか。勿論、レベルは全然違うわけだけど。

 後半の山場は、レンブラントの「夜警」批判で、私としては当然、結論には頷けないのだが、そこに至るまでの分析には感心させられる。(フェルメールについては余り注目していないのだが、著者の理想の絵画はどうやらフランス・ハルスにある(つまり、活き活きとした自然な表現)らしいので、評価しないのは不思議ではない のかも)

 というわけで、3900円という定価も安い位だ、と満足して読み終えたのだが、その後、別の邦訳が岩波文庫でも出ているらしいことを知る(^^;; …いや、初の完訳らしいし、豊富な図版も役に立ったし、訳も読みやすかったし。惜しくなんか、全然無いですよ?

 

 「ネーデルラント旅日記1520−1521」 アルブレヒト・デューラー 朝日新聞社

 正真正銘、あの画家デューラーの日記。だから、こちらは500年近くも前の旅の記録。これもガイドブック等で(主に、ゲントの祭壇画の所で)引用されるので、気になっていたところ、邦訳が出ているのを発見して、思わず購入してしまった。ちなみに、こちらは3800円。

 …あぁ、思った通り、つまらない(笑)。勿論、これはデューラーが悪いわけではなくて。大体、これは日記というよりは、収支記録帳、つまり家計簿とでもいうべきものなのだ。

 〜(を買うの)に幾ら支払った、〜へ行き(交通費として)幾らを支払った、〜(主に版画)を売り幾ら手に入れた、という記述がひたすら続く。誰かに奢って貰った結果、支払わなくても済んだ食事代まで推定して付けている辺りの細かさには、恐れ入る。その代金もペニッヒ、シュトゥーバー、グルテンと言われても、全然ピンと来ないのだが、訳者による推定値(ローストチキン1羽 =10ペニッヒを2千円として計算。1ペニッヒは200円、1シュトゥーバーは2000円、1グルテンは5万円とお考え下さい)を信じて、日本円に頭の中で両替しながら読んでいたのだが、途中で面倒になって止めた。とにかく、お金の支払いばかりである。 あと、賭には毎回負けているのがおかしい。

 なお、記述によると、当時のデューラーの絵はもの凄く高くはなかった。版画で数万円、絵画でも高くて100万円位(推定換算値)で売っている。買って置けば、一財産だ(500年ほど保管しておく必要はあるけど)。

 ところで、私はデューラーに会ったことは無いが、話に聞く限りでは、「会いたくない」人物である。自分を売り込むことに長けた自意識過剰(少なくとも過小ではない)な画家。初めて自画像を、しかもキリストの似姿として描いて見せた、というエピソードが有名だが、他の絵も作者の自己主張が強く感じられ、巧いかもしれないが好きになれないのが多い。

 しかし、この日記ではそういう自己主張の必要性がないからか、素顔のデューラーが感じられ、好感が持てた。中でも、唐突に差し挟まれるマルティン・ルター追悼文の生々しい感情の強さには、感動させられる。この事件(ルター逮捕のニュース)が無かったら、この日記がただの「画家の小遣い帳」で終わっていたと思うと、皮肉ではあるが。

 美術史的な興味から言えば、ファン・アイク兄弟の祭壇画を具体的に褒め称えている部分がやはり印象深い。ボッシュがかつていた街(スヘルトーヘンボッシュ)に通りながら、教会に会った筈の作品を見た気配がないのは勿体ないと思うが、でも、デューラーにはボッシュは分かるまい(^^;;

 

 なお、ネットで見付けた、現代の旅の記録として。村田真氏によるアートレポート。山科玲児氏によるベルギーオランダ旅行

 

7/4

 割と小心者なので、最悪のことを考えると、どうしても余計な出費が多くなる。今回も、コンタクトを紛失した場合に備え、使い捨てレンズを購入するとか。コンタクトは、着け始めた十年前の時以外、無くしたことは無いのだけど(当時、大文字山の横棒の 上辺りで落としました)、裸眼では(眼鏡は乱視が残るので持ってない)帰って来られるかも怪しい視力なので。

 もっとも、使い捨てだとやはり、乱視が今一つ矯正出来なかったので、あくまで緊急避難用。今回の目的から言っても、旅行中は無くさないようにしないと。

 

 「バリ島芸術をつくった男」 伊藤俊治 平凡社新書

 新刊時に、買いそびれていた新書。イ・クトゥット・ブディアナ展を見る前に、読んでおこうと購入。ヴァルター・シュピースの評伝ということで、前に見た「幻想美術館」のシュピースの回と重なる部分が多かったが、それもその筈、著者が監修したあの番組が好評だったため、本書の刊行が企画されたということらしい。

 知られざる(というのは、今の日本から見た場合の)芸術家ヴァルター・シュピースの人生は波瀾に富み、またバリ島を心から愛した人物として人物像も非常に魅力的なのだが、少なからず扇情的な(盛り上げるのに自己陶酔しているかのような)著者の文体が、内容の魅力に対して、却って足を引っ張っているような。もっと淡々と語った方が良いのに…

 それでも、内容は面白いので、読む価値は有ったけれど。ドイツ時代に、ムルナウの映画に美術アドバイザーとして参加していたとか、驚く話もあったし。

 文章以外にも大きく不満だったのは、シュピースの魅力を広めるための新書なのに、彼の絵や写真はどこで、あるいはどの本で見ることが出来るのか、というのが殆どフォローされていないこと。その点こそ、一番期待していたのに。何のための「紹介」なんだか。

 

 ところで。これが一体、何故、ここに出てくるかというと。芸術と人生で煮詰まっていた若い頃のシュピースがアムステルダムで個展を開き、その期間中に、市内にあった当時の(オランダ)「王立植民地博物館」でジャワやバリの芸術に触れ、脱ヨーロッパという動機を与えられる、というエピソードが登場するからなのだ。

 北のヨーロッパの港町にあった「熱帯の夢」。意外なところで知った接点だけに、印象深かった。出来れば、滞在中、「植民地博物館」を引き継ぐ現在の「熱帯博物館」に行って、私もまた「熱帯の夢」を見てみたいと思うのだが… でも、それって、初めて日本に来た外国人が、京都や奈良にも行かず、いきなり民博 を目指すようなもの?

 …その前に、イ・クトゥット・ブディアナ展を見に行く暇自体、無いかも。後で、とも思ったけど、帰ってきた日に、終わりだし。

 

7/1

 先日の話の続きだが、「どこへでも見に行きたい」のを一枚の絵ではなく、一人の画家とした場合、日本で、そういう「熱心なファン」が一番多いのはフェルメール ではないか、という気がする。全作品でも三十数点と数が手頃なせいもあるのだろうが、一度その熱に取り憑かれてしまうと、世界各地に分散した作品を全て制覇するまで「巡礼」の旅を続けたい、と思うようになるらしい。

 幸か不幸か、私はフェルメールにはさほど思い入れはない(もっと見に行きたい画家が他に沢山いる)のだが、しかし、オランダに行く以上、国立博物館やマウリッツハイス美術館のフェルメールも見てこ ないと、と思うのは言うまでもない。

 

 (六耀社アートビュウシリーズ)「フェルメール」 編著・小林頼子他 六耀社

 数人の筆者がそれぞれの分野からフェルメールの特色を説明する入門書。一見、厳密な規則の下に描いているようだけど、実は作品の仕上がりを考え、割と臨機応変でもあったというような話(若干、強引な要約)。

 ところで、編者・小林頼子による「フェルメールの妻と女性観」の章は、妻カテリーヌを「悪女」として想像するという箇所に、やけに熱が入っているのが謎。もしかしたら、今まで伝統的に「貞女」「孝女」としての妻像が永らく語られてき たことへの著者の積年の恨みがこの機会に表面化した?と想像はしてみるものの、その辺の経緯を知らない者が読 むと、 いきなりどうしちゃったんですか、と言いたくなる。想像で語るだけならゴシップと同レベルという感じで、正直、やや違和感が。

 「フェルメールの世界」 小林頼子 NHKブックス

 その著者が、フェルメール研究は冷静かつ客観的でなくてはいけないと主張する、フェルメールの基本的な解説書。どうして、そういう話になるかというと、有名な20世紀の偽作事件に関係者が巻き込まれた背景に、文学的な印象批評から抜け切れていなかった研究者の甘さを自戒と共に反省するところから来ている。それにしても、他人事として読んでも、面白いと共に、充分に「痛い」話なので、関係者にとっては、さぞ情けなくて腹立たしい事件なんだろうな、とは思った。

 今回、その贋作を見ることが出来るのか(今はまた仕舞われてしまったという話もあるようなので)、ちょっと興味津々。

 (赤瀬川原平の名画探検)「フェルメールの眼」 フェルメール(画) 赤瀬川原平(文・構成) 講談社

 いつもながら、目の付け所は的確ではあるのだが、突っ込みがやや不十分というか、物足りない気はする。先輩「写真家」であるフェルメールに対する遠慮でも有ったとか? ともあれ、赤瀬川原平が言うように、フェルメールの魅力の一つが、スナップショット的な「臨場感」、今その瞬間に立ち会っているような錯覚を呼び起こすところにあるのは確か。もっとも、 実際には、立ち会っているというより、影から覗き見している、という方が正しい気もするが 。

 最近の出版物だけ有って、絵の印刷は非常に綺麗に出ているので、画集と割り切っても買うだけの価値はあるかも。

 「フェルメール」 ノルベルト・シュナイダー TASCHEN

 というわけで、こっちの画集は買う必要は無かった。印刷も今一つだし、文章もやや古いレベル(だと思う。よく知らないが)。後ろの地図と政治的イデオロギーの関係の記述とか、それなりに興味深い話も少しは載っていたけど。

 …これ位読めば、必要最低限の知識としては宜しいのでしょうか? いや、先ほどのフェルメールな人達だと、フェルメールのことなら関連する書籍も全て読んで当然、みたいな雰囲気があるようなので。