空の蒼さを 見つめていると
今の通勤経路というのに、そんなに不満は無いのだが、一点だけかなり困っていることがある。通勤途上に、本屋がないのだ。
といっても、勿論、全く無いわけではないのだが、いかんせんビジネス街。コミックスの新刊を洩れなくチェックするとか、ちょっと専門的な本を探すとか言うのに非常に弱い。諦めて、週に一回くらい渋谷なり出るしか無いのだろうか。本当に、なぜBook1stみたいな本屋が、新橋駅周辺には一軒も無いのでしょう? (答)普通の勤め人は、そんな本を読む時間がないから。週末にどこかで補完しないと、「何かが足りない」という状態が続く一方…
そんなわけで(勤め先→新橋→地元、の通勤(というか帰宅)経路においては出来る限りの努力をして)最近購入したコミックス。
松本次郎「熱帯のシトロン」、細野不二彦「S.O.S」2巻、中山文十郎/ぢたま某「まほろまてぃっく」3巻、桜玉吉「幽玄 漫玉日記」4巻、奥瀬サキ/目黒三吉「低俗霊DAYDREAM」、吉崎観音「ケロロ軍曹」3巻、六道神士「エクセルサーガ」7巻、榛野なな恵「Papa told me」24巻。
やっぱり、色々足りない(笑)
ところで、新橋の本屋というと、実際のところ、文教堂くらいしかなく、だから気が付くと文教堂のカバーが付いた文庫やコミックスばかりが増えていくのだが、ここのカバーって図案が地図だったりする。一体何故、地図がカバー? しかも、何故、上高地の?
日曜に楽しみにしている番組はNHKの「日本 映像の20世紀」、というのは前にも書いたが、実はもっと私好みの番組を教育TVでやっていたのだた。「ふるさと日本の言葉」という、同じく毎回一つの県を取り上げて、その方言を紹介する番組で、その県独自の方言の数々が非常に面白い。
今日は、長崎県の言葉、ということで、「良か」や「ばってん」といったお馴染みの言葉の他に、料理の味についての言い回しとして紹介されたのが、「砂糖屋が遠い」という言い方。他にも「砂糖船が沖にある」とか、そのバリエーションは色々。何でも、長崎県は、長崎港より豊富に砂糖が入ってきた地域だったということもあり、料理に甘味が足りない時の、調理人側の言い訳として元々は言われたものなのだそうだ。それが今では、食べる側の、味の印象を表す言葉として残っているという。バリエーションの中には「長崎が遠い」という言葉まであって、笑えた。長崎は今日も遠かった?
ちなみに、長崎県出身のゲストとして出ていた岡部まりは、「砂糖屋が閉まっている」という言い方を聞いたことがあるそうな。
そんなわけで、最近この番組も非常に楽しみにしているのだが、HPを見ると、実はもう終了間近? アンコールも既に見落としているし(T
T)
家族の行事で、東京まで。「東京物語」とは違うが、小津安二郎を連想する。あと杉村春子。帰りは、寒かった。「早春賦」の歌詞が頭に浮かぶ。
漱石「草枕」を読了。なるほど、先の、土左衛門の絵の話が出てくる。というか、それが中心の話だった。それにしても、注解を見ないと分からない漢語ばかり。当時の知識人はこの程度の言葉は皆、分かったんでしょうか。改めて読むとやはり、面白い。何だか全作品、読み直したくなってきた…
新潟。は余り書くことも無し。実は初めて行ったのだけど、新幹線で2時間、て京都より近いのか。そのせいか、単に文化圏が共通なのか、時差を感じず。女子中高生の言葉も、都心の子と全然違わないし(また、それかい(^^;) 行ったのは海の近く、らしい。新潟の海…ふと坂口安吾を思いだし、何となく「風と光と三十路の私と」という言葉が頭に浮かぶ。…出来悪い上に、しかも、サバを読んでいるという駄目さ(^^; そういえば、安吾も「ふるさとは語ることなし」とか言っていたっけ。きっと、そういう土地なのだ。
新潟のお土産といえば、笹団子と柿の種。……買わなくても良いか、と手ぶらで帰る。
今月の、待望の一冊。周りの人々に考えていることが全て筒抜けになってしまう「サトラレ」、という設定自体はシンプルそのものだけど、それを基に色々な確度から、「ドラマ」を作り出す、作者の手腕に賞賛。そしてそれ以上に、こうした物語を語り得る、その誠実さに感動。
第4話の「サトラレに向かない職業
」は、何度読んでも名短編だよな、と思う。3月公開の映画はどんな出来になっているのだろうか…
余談) 単行本は、新潟からの帰りの新幹線で読んだのだが、前席に座っていたおばさんが、何やら喋り始めたのには驚いた。しかも、何だか深刻そうな調子で。しきりに「お父さん、ごめんなさい」を繰り返し、ぐずぐず泣いている。私は、てっきり親に携帯で電話しているのだと思っていたが、列車が長いトンネルに入ってもそのまま続いているので、様子をそっと伺ったところ、それは「電話」ではなく、むしろ「電波」なことが判明。
日本酒を飲んで、完全に泣き上戸になっている、そのおばさんは、手術が上手く行かなくて亡くなったらしい「お父さん」に対して、お父さんの面倒を余り見なかった「お兄さん」の恨みごとを言い、生きている間に世話を見れなくて「ごめんなさい」と言い、お墓参りにはこれからも行くからと言う、のような調子で、新潟を出た直後から、降りるまでの1時間ずっと、一人で繰り返し喋っていた。
私は「サトラレ」の単行本に感動しつつも、やはり、実際にこういう人が周りにいつもいたら、多分、とても耐えられないと思った。他人のマイナスな感情の独り言に付き合う程の余裕は、私には無い。人の考えていることなんて分かりはしないから、何とかお互い生きていけるわけで、と思ってしまう私は、人として間違っているのだろうか。少なくとも、「サトラレ」を見守ることが出来る社会、というのは実現可能だとは思えない。
明日は、新潟へ出張。といっても、日帰りなので、名物を食べたり、温泉を探したりしている暇は無し。ていうか、それが普通?
会社の帰りに「ウルトラジャンプ」と「サンデーGX」を買う。何だか、Comics読むのって、随分と久しぶりかも。「火星人刑事」でのモンティパイソンの小ネタに、ベタながら笑ってしまう。あと「サトラレ」の単行本も買ってきたけど、これは明日の帰りの新幹線で読み返す予定。
某MLで、小説中の、車が「離合する」(=すれ違う)という言い方が九州ローカルなのか、話題になっている様子。確かに意味は分かるけど、一般的には使わないような… とはいえ、そういう必要がある道路自体、身近には無いのですが。
それにしても、ちょっと前まで2/22と言えば…あっ、ごめんなさい。何でもないです。
熊本への出張終了。
ごく短時間の滞在客としての無責任な印象、だけど、その中だけで、自足している都市、という気がした。例えば、この街の人たちは、辛子蓮根が、日本全体の食べ物の中で、どういう位置付けがされるのか、とか多分、考えたことさえ無いと思う(余所者の私から見れば、特別、美味しいものでは無い)。そのせいもあってか、熊本は女子中学生に到るまで、今も方言が極めて優勢な土地柄で、昔、初めて訪ねた時はもの凄いカルチャーショックを受けたものだった。外の世界を意識しないでも平気な、城下町。暢気すぎる気もするが、少し羨ましくもある。
入った温泉は2箇所。
行った観光地は「水前寺公園」くらい。この名を聞く度に「ワンツー・ワンツー」の水前寺清子の名前はこの土地から取っていると、昔聞いたのを思い出すのだが、それが正しい話なのかまでは、覚えていない。本当に、何かも忘れているな、私って。
まぁ私の場合、観光地を訪ねるより、路面電車で乗り合わせた、地元の女子中高生達の、方言全開の会話を横で聞く方がずっと面白いんだけど、でもそれって端から見ていると、ちょっと変、というか、かなり危ない奴のような気がしないでも…
熊本の街には、他ではなかなか見掛けない柑橘類が溢れていて、非常に気になる。特にあの、ばんぺいくん、じゃなかった「ばんぺいゆう」という、巨大な瓜のような奴、あれは本当に美味しいんでしょうか? いずれ確かめねばなるまい、と思いつつ、今回はパス。それにしても、実は私、柑橘類系フリークだったということに気が付いた。というか、柑橘類が豊富な土地って、それだけで「豊かな」気がするのは、私だけですか?
お土産は、定番の(らしい)「誉の陣太鼓」というお菓子と、(辛子蓮根は美味しくなかったので)辛子明太子。デコポン等は重くなるので断念。
ここ1週間に読んだ本。早見裕司「夏の鬼 その他の鬼」、上遠野浩平「ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド」、田中啓文「銀河帝国の弘法も筆の誤り」。感想は、後日。それぞれ、感想が難しかったり、私が書くまでもなかったり、書かなくても良いような気がしたり、しますが(^^;
ところで今、TELEPALをパラパラみていて気付いたのだけど、田中啓文の上記SF?短編集の中の「脳高速」を読んで何となく思い出した、あの大昔のNHKアニメ「キャプテンフューチャー」を何と、BSアニメ劇場の枠で3/21から再放送するではないですか。もしかしたら、78年の放送以来初めての快挙? 再放送中の「未来少年コナン」のように、OPとEDがバッサリ切られて、「どっちを向いても宇宙〜」な歌詞が聴けないのでは、という不安もあるけど、個人的には、一番最初の「人は彼をキャプテンフューチャーと呼ぶ」(だっけ)の下りさえ、ちゃんと流してくれれば文句は言いません(^^;
明日も出張。今度は熊本。
感想は別ページに。やや長くなったのと、ネタバレではないですが、どうしてもある意味、読み方に予断を与えてしまう、という気がするので。内容は、例によって、取り留めがないのだけど、要約すれば「面白いけど、窮屈な読後感。この、すっきりしない感情って何?」というようなこと。
3月にかけて、段々慌ただしくなる見込みなので、今の内に、行ける展覧会は行ってしまうことにする。
From Outsider to Old Master.というわけで、1870年から、国が作品を買い上げる1892年までの約20年間、彼が色々な技法を試行錯誤していた時代を取り上げ、巨匠の風貌としてではなく、エネルギッシュに変化を求めた、異端児としてのルノワールを示そうという企画。
それにしても平日の夜だというのに少なくない入場者といい、展示作品の内、所有・日本国内の多さといい、日本人って本当にルノワールが好きなんだな、と今さらだけど驚いてしまう。いや、私も嫌いではないのだけど、ある意味、通俗の極みというか、平凡なブルジョワ的美意識というか、自分自身のそういう部分を暴露する絵という気がして、どこか苦手な画家ではあるのだ。
でも、実際の絵に触れると、やはりこの色使いは魅力的ではあるわけで。何か悔しいけど(^^;;
観ていると、その中には同一人物が描いたとは思えない程の技法の揺れがあり、展覧会の意図はよく分かるのだが、そうは言っても、皆、ルノワールだし(当たり前だ)、異端児と言われても、今一つピンと来ない。
最後は、国が買い上げた「ピアノに向かう娘たち
」の絵。この絵以降、安定した作風を30年近く続ける、いわゆる巨匠になってしまうわけで、この展覧会的な意味で言えば、異端児としての彼はそこで死んでしまったわけなのだが、しかし、改めて観ると(私がこの絵を観るのは少なくとも3回目だ)、色の選び方に配置、それに構成の全てが、一見平凡だけど、完璧としか言いようがない。本当、悔しいけど(^^;
鹿児島への出張終了。鹿児島含め南九州は、大学卒業前、だからほぼ10年前に旅行したことがあるのだが、風景の大半を覚えていないのには我ながら驚く。というか、見知らぬ風景の中で時々、記憶のある景色に出くわす、という不思議さ。
時間的にはそれほど余裕は無かった中、薩摩料理のコースと鹿児島ラーメンを食べ、とりあえず温泉に入り(市内の銭湯の場所がよく分からなかったので、またしても「ヘルスセンター」(^^;)、帰る前に美術館二つを観たので、(仕事以外でも)やるべきことは一応やった、のかも。
それから焼酎も薩摩料理と一緒に。店の女将が勿体ぶって出してきたそれは、普段、焼酎も日本酒も全く飲まない私ですら、ちょっと驚く位は美味しかったのだが、それもその筈、魔王という有名な銘柄らしい。帰ってネットで見るまで知らなかったけど。そうか、なかなか手に入れにくいのか…
お土産は基本通り、薩摩揚げ。徳島屋というところ。小判揚げはやや甘めだったけど、他はわりとさっぱりしていて納得。それとタンカン。
ちなみに、泊まったのは、ザビエルが来日して450年目にオープンしたから「ザビエル450」とかいう、ネーミングにかなり無理があるような気もするビジネスホテルだったのだが、ここの2階は大型書店となっていて、客室のフロアからエレベーターで直接、書店のフロアへ移動出来るという、いわば「この中にいれば、一生本を読んで買って読んで買って読んで買って…」な作りだったのが何とも素晴らしかった(^^;;;
まるで中学の美術の教科書のような美術館。西欧の有名な画家の作品が1人1枚ずつ並んでいる。勿論、代表作というようなものはほとんど無いが、それでもこれだけ、印象派から始まってフォンタナとかの現代美術に到るまで沢山コレクションしていれば、それなりの費用は掛かっている筈で、市立美術館がどうやって捻出してきたのだろう、とか下世話なことをつい考えてしまう。入館料も、僅か200円だし。
企画展は、テキストと絵画の相互作用という切り口で、「ヨハネの黙示録」についてのルドンの版画や、シュールレアリスムの詩「マルドロールの歌」を基にしたダリ>の版画(有名な「手術台の上のミシンと洋傘の不意の出会い
」とか。て、洋傘なんか描かれてないじゃん(^^;、これ)などで構成した、ユニークな展示。
あと、この展覧会で発見したこと。あの326
って(前から何かに似ているとは思っていたのだが)、武者小路実篤の絵とまるっきり、同じスタイルだったのか。野菜の絵が描いてあって、上に「仲良き事は美しき哉」と書いてある奴。なるほど、温故知新。…意味が違うけど、それ。
柳宋悦 が中心となって収集した、李朝の工芸品の展示。全く無知な世界だけに、非常に興味深い。こういう日常の工芸品に、価値を見出すというのを最初にした時は、それは凄いことだったと思う。例えば、石焼きビビンバの鍋は何て美しいんだ、と突然言い出すようなもので。勿論、日常品を芸術として称揚することはまた新たな矛盾を引き起こすわけだけど、最初に評価した勇気というか、慧眼は尊敬に値する。
とかいいつつ、結局、小野不由美の新刊「黒祠の島」を最後まで読んでしまう。孤島モノのミステリ。ということで、基本的には、律儀なジャンル内小説と言って差し支えないかと。感想は、…再読してからにしようかと。どういう切り口で感想を言えば良いのか、少し悩む作品ではあるので。
明日はまたしても出張で鹿児島。
京都で、朝館さんの下宿に泊めて頂いた時、「ときメモ」のOVA(割と佳作!)などを見たのだが、そういえば「ときメモ」って、学校の「伝説」を巡る物語だよな、恩田陸的なノヴェライズとか面白いのでは?とか、ふと思う。「六番目の小夜子」みたいな、学園ホラー風の。駄目ですか、やっぱり。
京都では、「ひめくり」を買ったり、ブギーポップの新刊を買ったり、小野不由美の新刊を買ったりしたけれど、結局、帰りの新幹線では寝てしまったので、全然、読み進んでいない。まぁ、来週も出張だし、その時で良いか。
では何を読んでいるかというと、ようやく届いた「日本国語大辞典」だったりする。最初の2巻が同時に届いたのだが、実は1巻が好評品切重版待ちということで時間が掛かったらしい。届いた物の刷りを見ると、確かに既に第4刷。多分、値段が値段だけに少しずつ刷っているんだろうけど。
注文した時は正直、見る暇なんて全く無いだろうと思っていたのだが、その後の状況の変化により、そうでも無くなったので、この際、通読しようかと。とはいえ34ページ眺めてまだ「あいす」。1巻を見終わるのさえ、いつになるかは見当も付かない。なお、興味深い言葉が有れば、紹介する予定。
「あいす」と言えば、明治時代の学生用語で、高利貸しのことを「アイス」とか「アイスクリーム」とか言ったそうです。…単なる、駄洒落ですね。
関西への出張から帰ってくる。今回は、仕事が終わってから割と時間的に余裕が有って、有馬温泉に日帰りで入りに行ったり、菊水で神戸牛のステーキを、西山艸堂で森嘉の湯豆腐を、再び食べることも出来たりしたので、自分としては満足。←何しに行ったんだか
嵐山では、大悲閣という、亀山公園の対岸の山の中腹にある、眺めが絶景(Great
View !)な、お寺にも上れたのも嬉しかったし。京都にいた5年間、向こうからの眺めが、ずっと気になっていたままだったので。このお寺は観光地の一角に有りながら、経営的に非常に厳しそうな感じなので、機会が有ればぜひ訪ねて頂きたい。入山料のみで、「写経 無料」「座禅 無料」、さらには「人生相談 無料」(但し、住職在山時)らしいし(^^;
お土産は、冬の京都、ということで、西利の「味すぐき」と「ゆず入り大根」は個人的には外せないところ。あと、土井の「柴漬け」もついでに。
立命館の前にある府立の美術館。私が京都の大学を卒業した年の春に開館したという時期的な理由で、今まで訪ねる機会が無かった。堂本印象とは戦前から戦後にかけて活躍した日本画の大家の一人なのだが、その作品の8割はここに収蔵されているのだそうだ。
入館して、とりあえず経歴を見る。27歳で画家を志し、1年後には第1回帝展に入選。第4回帝展で無審査の資格を受け、第5回では既に審査員に任命されている。…あんた、人生勝ったも同然だよ。ていうか、画家の人生がそんなトントン拍子で良いのか? それだけ、当時の彼が、ずば抜けていたということなのだろうけど。
今回は、冬から春の絵のみを展示。その中で、今回のメインは多分、1929年の大作「木華開耶媛」。第10回帝展なので、未だ新進気鋭の頃。桜の木の下の大地に白い服を着て腰掛けている乙女の姿。戦前の作品ではあるけれど、非常に艶やかな官能性に満ちている力強い作品。とでも解説書には書かれていそうだ。ちなみに、絵を見ながら「さくや」か、と呟いてしまったのは内緒。
堂本印象という画家は何でも有り、というか、晩年には、ほとんどカンディンスキーのような抽象画を、しかもお寺の襖絵として描いていたりもして、本当に一人の画家の美術館か、と言いたくなる位、色々な絵が(油絵まで)展示されているのだが、老いて更に自由闊達、恐いもの無し、という人生はちょっと羨ましい。(もし、同じような歳まで生きたとしても、私にはそういう気力は多分無い、と思うけど)。
今週後半から来週前半と、立て続けに出張が入るので、行く場所のガイドブックなど眺めたりしている。いや、観光じゃないんだけど(^^; とりあえず、明日は神戸に泊まるから神戸牛と。で、帰りに京都に寄って、湯豆腐か。来週は九州だから、ラーメン? …だから、観光じゃないんだってば。
いくら何でも展開が早過ぎるだろ、とか冷静に読めば思わないでもないが、やはり2巻になって「ヘアーショー」という「試合」が始まると、がぜん盛り上がる。パターンをこうも読ませてしまうのは、やはりこの端麗な絵に依るところが大きいのだと思う。
なるほど、「六番目の小夜子
」に続く作品なのが良く分かる。恩田陸というのは、雰囲気の作家というか、幾つもの要素を提示して非常に魅力的な世界を作っていくけれど、その全てに決着を付けることはしないので、どれがメインの話だったのか、振り返ってみるとよく分からない、という気がこの2作品ではしたのだが、これ以降の作品ではどうなっているのだろうか。
とりあえず、未読の文庫は無くなってしまったし、後はハードカバーで買ってこないといけないな…
最近の日曜午前の秘かな楽しみ、NHKの「日本 映像の20世紀」の今日の放送は、神奈川県だった。やはり地元の回は興味深い。舞台が横浜、川崎中心に片寄っていたのは、近代化の歴史を振り返るためには仕方ないとは言え、少し残念だったけど。
連載が始まった時、巫女3姉妹という有り勝ち?な設定や、余り描き込まれていない画面等、全体に安易な印象を受けたこともあり、そんなに期待していなかったのだが、こうして単行本でまとめて読むと、思っていた以上に面白い。ゆっくりとした、物語の進行のテンポが、読んでいて気持ち良いし。「こま」を出すことで、この世界の「時間」を表現する辺りは割と上手いかなとも思う(単なる趣味かもしれないが)。
購入物。恩田陸「球形の季節」、薄井ゆうじ「狩人たち」、北野勇作「かめくん」といった文庫本。宇河弘樹「朝霧の巫女」、石田敦子「いばら姫のおやつ」、西川魯介「屈折リーベ」(とついでに「SF/フェチ・スナッチャー」)といったComics。
川井憲次の「Avalon」のサントラも無事入手。どこの新星堂にも置いてなかったのに、横浜でふとHMVに寄ってみると山積みしている… 入荷状況が片寄っているのだろうか。
westriverさんの2000年のベスト漫画アンケートに締め切り直前に投票。夏休みの宿題を9/1になってもまだ必死にやっていた過去を思い出す。
ここ一ヶ月ほど、押井守の書いたものを色々読んだ気がするが、彼の著作物の中で一番面白いもの、というとやはりこれ。
一時期ゲームに明け暮れていた押井守が、実際のゲームを通して、ゲームと物語の関係を考察したりするリプレイ編と、ゲームの再生を目指して、色々奇妙なゲームを提案する、企画編。勿論、あの映画「Avalon」もこの本での考察の延長線上にあるわけだが、はっきり言ってこの本の方がずっと面白い(^^;
「アトラス」の抱腹絶倒なリプレイである「イヌマル三世号航海日誌」とか、あるいは「バトル・ロワイアル」に遙かに先行する、生き残りが目的のダンジョンRPG「蠱毒の迷宮」企画とか。なかでも、RPGにおける、欲望の再生産構造と物語の実現との間の矛盾した関係について、小劇場の演劇風のシナリオ形式で、登場人物達が考察する「ブリタニアの草原にて」を雑誌連載で読んだ時の興奮は忘れ難い。…もう、随分と昔の話だが。しかし、ここで述べられていることは今でも有効、というか解決されていない筈。
ここしばらく、キクニの四コマを読んでいなかったので、ともかく懐かしい、という感じ。6年〜9年近く前の「夕刊フジ」での連載なのだが、全然古びていないのは凄いかも。ファミコンをスーファミに買い換える、というネタに驚いたくらいで。
「Groundhog Day!」(聖燭祭)、というわけで、2月2日の朝を迎える。多分、次に起きると、2月3日の朝だとは思うが…
個人的には非常にタイムリーな文庫化で、嬉しい。しかし、本当なら、最初の文庫発売時に読みたかったわけで、少なからず悔しくもある。物語の道具立てという点では、小野不由美の「魔性の子」と確かに良く似ている。勿論、表現している世界は全然、違うのだが。
それにしても、明らかにされる真実以上に、明らかにされない真相も多いという点で、非常に日本的な作品だと思う。多分、欧米の作品ではもっと身も蓋もない、というか白日の下にさらされる、という結末になるのでは。
今日は大人しく過ごそうと思っていたが、BSで「恋はデジャ・ブ」を放送したので、つい観てしまう。時間がテーマの映画は出来るだけ見ることにしているので。寝る前に、買ってきた「Avalon」関連書籍の「MOVIE CONSTRUCTION CLASS SA」(超充実!)と「押井守inポーランド」を少しだけ眺める。
西澤保彦に「七回死んだ男」を書かせる元になった、「リプレイ」ネタのコメディ。主人公のビル・マーレーが何度2月2日を体験しても、次に起きると2月2日の朝、という特異現象?を利用し、憧れの女性へのアタックに何回失敗しても、少しずつ学習効果を発揮して(笑) 進展させていこうとする辺りが可笑しい。勿論、バッドエンドが果てしなく続くわけですが。思っていた通り、割と楽しめたかと。「繰り返し」見たい、とまでは思わないけど…
プロップ のあの31機能とか、「マダラ 」は「どろろ 」の「盗作」だとか、そんな話を通して、物語を外国語のように、文法から身に付けようという提案。当たり前といえば当たり前のことなので、今さらどうのということは無いのだが。ところで、新井素子の登場の意味をきちんと語ってみせているのは大塚英志くらいではないかと思う。この辺、最近始めた「スニーカー」誌での連載でさらに詳しく語られることを期待したい。