ヴェルディ 「マクベス」 新国立劇場

 魔女の代わりに、野田秀樹が舞台に登場させたのは、骸骨の一団。

 中世ヨーロッパの「死の舞踏」のイメージらしいのだけど、髑髏と、長い腕の他は黒布で覆われたその格好から連想するのは、あさりよしとおデザインの「使徒」。…はっ、骸骨といえば、むしろ「ワッハマン」?(^^;;

 まぁ、日本で「魔女」といってもな、ということで、色々考えた末の結論なのだろうが、意識の深層を象徴する(と言い切っては身も蓋もないけど)「魔女」ではなく、骸骨団にしたことで、「心理劇としてのマクベス」ではなく、良くも悪くも(彼ら、大地の死者に動かされる)「操り人形としてのマクベス」になってしまった気がする。

 ワダエミの衣装(パステルカラーの単色の衣装)が見た目、中央ロシアの童話といった雰囲気なのも、その印象を強めていた。

 

 考え抜かれた演出で統一されていたチューリヒ歌劇場の「マクベス」をDVDで見た後だけに、今回の舞台は全体に洗練さに欠ける気がして、正直、期待レベルよりやや下だったのだけど、最後の「勝利の賛歌、フィナーレ」が陰惨な終わり方で、野田秀樹的には首尾一貫していることが確認出来たので、まぁ良いか、といった気分に。

 本来は、圧制者マクベスをマクダフが倒した後、イングランド軍の助けを借りて祖国に戻ってきた(ダンカン王の息子)マルコムと英雄マクダフを、民衆が称えて勝利の賛歌を歌ってお終い、というオペラで、要するにイタリア独立気運に沸く当時の聴衆の受けを狙って作曲された、華々しいラスト。

 それが、(下半身だけのマネキンとかを抱えて登場した)ボロボロの服装の民衆達は、「私達を解放してくれた方に勝利の賛歌を捧げましょう」と歌いながら、一人一人崩れていき、最後には民衆が一人残らず息絶えた中、マルコム・マクダフ両名と綺麗な赤い服のイングランド軍兵士達だけが、剣を天に指して「圧制者は倒された」「祖国は守られた」とか雄々しく歌いながら立っている、という何とも 「嫌エンディング」(^^;;

 いや、「オイル」「透明人間の蒸気」と、最近、アメリカの戦争責任を問う上演作品を連発している中で、「イングランド軍、救ってくれて有り難う」と脳天気に描いたら、それは嘘だろ、とさすがに思うので、ある意味、安心したのも事実。ただし、それが「マクベス」(特に心理劇たる)にとって相応しかったのかというと、難しいところ。マクベスの野望と挫折とかどっか行っちゃってるし。

 

 大きな王冠で囲む舞台という大道具は良く「出来ているなぁ」と思ったし、その上の通路の使い方も面白かったのだけど。期待していたのは多分、そういうことではなくて。

 野田秀樹ならではの「風景」を見せて欲しかったんだと思う。その意味で、一面に黄色い花が咲いている大地から出現する骸骨達、という冒頭、前奏曲の場面が、結局、一番、ワクワクした瞬間だった気がする。


(参考)初日公演の様子

(2004.5.23 観た公演は5.22分)

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