2005年3月〜10月に見た展覧会のうち、日記に感想を書き漏れたもの。(10月以降分は→こちら


2005年3月

Art 小泉斐と高田敬輔  栃木県立美術館 2005.2.20〜3.27

 近江と下野という、二つの離れた地域を結んでいた、江戸時代の画人のネットワークの広がりを、作品を通して紹介しようとするユニークな企画。

 絵として一番魅力的(=変)なのは、やはり高田敬輔から曽我簫白の辺り。簫白展の予習として、簫白の神経質な描線を興味深く見つめる。

 小泉斐が沢山描いていた鮎図は、値段次第で描く鮎の数が決まっただろうという話が面白かった。一匹幾らだったんだろうか。(3/19)

 

2005年4月

Art 「川村清雄」を知っていますか?初公開・加島コレクション展  目黒区美術館 2005.2.16〜4.10

 勿論、知っていませんでした。明治4年に勝海舟の助力で渡米して、パリ、ヴェネツィアで絵画研究をして帰国した画家がいたなんてことは。

 帰国後に描いたのは、油彩技術を駆使しながら、空間描写を全く無視しているため、3次元の感覚を失調しているような印象を与える、奇妙な和洋折衷の作品ばかりなのだが、作品の作り方を見ると、いわばレイヤー を重ねる処理で画面を構成していたのが非常に興味深い。

 多分、この人は生まれる時代を間違ったんだと思う。今の世ならCG職人(というかアニメーター?)としてもっと活躍していたのでは?

 どうでも良いことだけど、ヴェネツィア時代の水彩画の風景が、私が向こうで見た風景と殆ど変わらないのに驚く。百数十年前から変わってないんだな、あの土地は(4/2)

 

2005年5月

Art 江戸絵画への熱いまなざし−インディアナポリス美術館名品展−  栃木県立美術館 2005.4.17〜5.29

  簫白と其一については、他より頭一つ飛び抜けた感じで良い作品が来ていたけど、「名品展」といいつつ、いわゆる国宝級の凄い作品が有るというわけではなくて、江戸時代のある意味「普通の水準」の絵画コレクションという印象。

 だけど、逆に言えば、江戸時代のこういう普通の絵画を見る機会になかなか恵まれない私達にとっては、却って貴重な展覧会のような。例えば森派とか、岸派 とか、名前は知っていても、代々の絵を一度に見比べることなど滅多に無いわけで。最近の私にしては珍しく、後学のためにと図譜を購入した位(しかし、その日はそのまま、夜行バスで角館に桜を見に行く予定になっていたので、仕方ないので東京駅のコインロッカーに入れていった)。

 改めて図譜を見返すと、他にも面白い絵が多数。若冲の大黒天は吉田戦車のキャラみたいだし、作者不詳の七福神屏風も妙な面白さに満ちているし。クラークコレクションのような至福さ、とまではいかないが、大半が元々個人コレクションだけに、絵のどこに惹かれたかが想像出来て楽しい。

 ちなみに、一周した後で、学芸員の説明をたまたま受けた。向こうでは湿度は凄く低めが常識(45%位?)で、この展覧会でも同じ設定を指定されたが、余りにカラカラなので強く交渉した結果、多少上げるのを(55%位?)許可して貰ったとか、掛け軸の修理とかもアイロンでも掛けるように皺一つなくしてしまうので日本人からすると風情が無くなるとか、絵画の保存・修復・展示に関して、日米で常識の差が色々有るという話が興味深かった。(5/3)

 

Art 唐絵の屏風  根津美術館 2005.4.2〜5.8

 展示リストが手元に無いため、何を見たかさえ、よく思い出せないのだけど、雪村はいかにも雪村らしい絵だな(粘着質の波とか)と思った記憶が。ええと、全体に余り強い印象は受け無かった 展覧会。むしろ、常設展(本館?)のケースに出張展示していた応挙の「藤花図」が、いつもの華やかさとは対照的に、何だか狭苦しい、地味な絵に感じられて、やっぱり、展示する場所って大切だ、と思ったことの方が印象に残っている。

 とはいえ、その隣に、右か左、半分だけが展示されていた芦雪の屏風絵(赤壁だか何だかの)は、すごく伸び伸びとした良い絵に感じられたから、絵の性格にも寄るのかも。個人的にはその芦雪の屏風絵が(半分でも)見られたので、見に来て結果的には良かったかと。(5/7)

 

Art タピエス −スペインの巨人 熱き絵画の挑戦  原美術館 2005.4.30〜5.29

 タピエスという名前はカタルーニャ語で「土壁」を意味するそうだけど、確かに土壁のような質感はどこか親しみやすくて、「分かる」気がする。でも、それは茶室の土壁の色が落ち着く気がする のと同じレベルの「理解」であって、尖ったところは全然伝わってないんだろうな。などと思いつつ、見ていた。大体、原美術館に展示出来る位の数(今回は多かったけどそれでも30点)で全貌を把握するなんて、土台、無理というものだし。

 そういえば、やや暇だったので、その人生を振り返ったドキュメンタリーも見た。病弱だった幼少時代とか、色々キーワードが有ったようだけど、作品にどう反映されているのかは、よく分からず。フランコ時代の文化的な抑圧というのも、想像は付くけど、実際のところは全然分かっていない。

 ただ、ドキュメンタリーの中で、自宅で夫人と一緒にお茶をしている場面を見ていたら、色々有っても今は人生を楽しんでいる様が、ちょっと微笑ましかった。タピエスがボケで、気の強そうな夫人がすかさず突っ込む、という感じの会話で、良いコンビだった。(5/7)

 

2005年6月

Art 異形の幻視力 小山田二郎展  東京ステーションギャラリー 2005.5.28〜7.3 (図録

 怪獣の哀しみ。

 と一言、当日書いたメモに。疎外感を形象化した、と分かったようなことを言うのは、作者にも作品にも失礼だとは思うが、その世界に登場する異形の人物や動物を見ていると、そういう言葉が浮かんで来た。初期のティム・バートンなら、この世界を凄く高く評価 した筈。自分と同じだと言って。

 ただし、ティム・バートンと違うのは、あくまでも自分自身に向かっていくような閉じた攻撃性。その救われ無さが、純粋な強さを感じさせると共に、見ていて辛くもあって。チラシの表紙だった「ピエタ」等、油彩の中には凄い力を持っている作品も有ったのだけど、むしろ小品の水彩の方が、自虐的な幻想性とある種のユーモアが両立している表現が多く感じられて、魅力的に思えた。(6/4)

 

Art 気まぐれ美術館 洲之内コレクション展  茨城県近代美術館 2005.4.9〜6.5

 TV東京の「美の巨人たち」で見て以来、長谷川りん二郎の「猫 」はぜひ実際に見てみたい、そのためには作品がある宮城県美術館までいつか行かなくては、とさえ思っていただけに、その「猫」を含む州之内コレクションが貸出展示されたこの展覧会は逃すことの出来ない絶好の好機。

 とはいえ、宮城よりは近いものの、茨城も家からだと相当に遠くて、何とか水戸まで出掛けることが出来たのは、最終日の日曜。

 「州之内コレクション」というように、州之内徹が自ら気に入った作品ばかり集めた、90作家146点のコレクションなのだけど、最初に驚いたのは、「好き」のレンジが凄く広かった人なんだなと。まぁ、私もその半分くらいは面白いとは思ったのだけど、しかし買いたいと思うまで気に入ったかと言えば、かなり少数に。

 勿論、長谷川りん二郎の絵は実際に見てもどれも素晴らしくて、これは確かに「手元にあったらどんなに良いか」と感じさせる絵だった。

 実は会場で、もう一つ気になった猫の絵が有って、そちらは反対に荒々しい色彩と描線で、作者は小泉清。あの小泉八雲の息子が画家になっていたとは知らなかった。こうやって(自分にとっての)新しい出会いが有ると、何だか得した気分に。そういう「出会い」が飛び抜けて多かった人なんだろうな。(6/5)

 

Art 小林古径展  東京国立近代美術館 2005.6.7〜7.18

 展示替えの前期・後期と2回も行ったのに 、結局、よく分からなかったという気が。古径のような日本画は昭和初期までで断絶してしまった、ということも有るけど、それ以前に、本人が描きたかったことが伝わってくる作品とそうでない作品があって、印象が一つにまとまらなかったのだ。

 対象への執念を感じたのが、植物。しかも、花ではなくて草。唐黍の絵とか凄かった。その辺が一番「よく分かる」古径で、人物とか物語とかは元から余り「よく分からず」、戦後の花や柿には全然、魅力が感じられなかった。

 個人的に惹かれたのは「極楽井」。この路線でその後も描いていたら、と思わないでもないが、やはり例外的な作品だったのかと。最終室では「琴」。改めて制作年を見ると、昭和2年と結構古い時代の作品だった。

 

 こうして作品を見ていると、戦時中も植物画等、時局に関係のない絵を描いていて、戦争ということがまるで無かったようだけど、会場にあった過去の展覧会記録を見ると、昭和10年代後半には、入場料が戦艦や戦車の建造資金になる報国型の展覧会に幾度も出展していることが分かる。勿論、刑務所にでも入っていない限り、当時の国民なら全て何らかの形で戦争遂行に協力していたわけであり、それを持って何らかの断罪をするつもりも無いのだが、日本の美術界は戦後、そういうことに対して、どういう総括を行ったのか、よく分からない。

 しかし、半世紀は経った今の展覧会なら、少なくとも現実認識だけは行うべきではないかと。あの静謐な植物画(かどうかは忘れたが)も戦艦や戦車の建造費の一部として「役に立った」時代を抜きにして、戦中を生き抜いて戦後、文化勲章を貰った画家の評価は有り得ないと思う。(6/17)(7/1)

 

Art 茶陶の源流  出光美術館 2005.4.23〜6.26

 気持ちの良さ。

 こうやって古代の猿投窯以来のやきものを一気に見て思うのは、日本人は物事を完璧に仕上げるよりも、最後の1,2割を運に任せてしまう、というのを好む民族なんだなということ。知識と技術で出来上がりを完全にコントロールするのではなく、釉薬の流れ方の意外性にこそ感動する、という心持ち。人知の及ばない何かが介在する余地(余白)を残す、というのが、日本人にとっての理想なのかも。

 国宝「秋草文壺」も(これが何故、慶応義塾の所蔵で、しかも国宝指定されているのか、その辺の経緯も気になるが)、手描きの秋草の文様以上に、そのだらーっと垂れた釉薬の垂れ方にこそ、何とも言えない味わいが有るのだけど、こういうのって、他の国の人にどこまで理解されるものなのだろう。

 ところで、余談だけど、こういう場所でたびたび目にする乾山の「呉須金銀松波文蓋物」、あれって似たような感じのお煎餅が有りません? 見る度に「食べたくなる」のは私だけ?(6/11)

 

Art 片岡珠子展  神奈川県立近代美術館葉山館 2005.4.9〜6.26

 誰もが言うことだろうけど、とにかく、そのパワーには圧倒される。

 見に来ていた人は、美大生系の若者と、元気な高齢者という2極分化。あのど派手で巨大な絵を70歳以上のお婆さんが一々感心して見ていたりする様に、こういうのが美術館の 有るべき姿なのかもしれない、とふと思ったり。

 まぁ、もっとも。作者の人なら既に100歳を越えていたりしますが。あそこまで来ると、もはや仙とか妖とかの方によほど近い存在だと思うので…

 面白かったのは最近の「面構え」シリーズで、雪舟が好きらしく何回も取り上げているのだが、最初は歴史上の肖像画と余り変わらないその肖像画が年を追う毎に「MY雪舟」にどんどん変貌して きている様。やっぱり、描きたいように自然と変わっていくらしい。

 スケッチはマジックペンでザクザク描く、というのも衝撃的だったけど、雪舟の水墨画を見た時にマジックペンの殴り書きみたいだ、と思ったことを思い出し、なるほど、この二人 って似ているのかも、と妙に納得したのだった。(6/18)

 

Art 加山又造全版画展  日本橋タカシマヤ 2005.6.15〜6.27

 加山又造の版画というと、華麗な「雪・月・花」や、青い目の猫のイメージが強かったのだけど、題材としては蜘蛛とか蛾とか人に忌まれるものの方が多 いのには驚いた。加山又造にとって版画とは、技法を含めて、普段やれないことを試すための格好の実験フィールドだったんだろうか。

 とりあえず、想像出来るのは、版画制作を始めた元々の動機が、強靱な線が得られる、という辺りにあったのではないかと。一番印象的だったのも、制作時期としてはごく初期の、ケルベロスのような群狼図や、禍々しくも孤独さが痛々しいカラスのエッチングの線の鋭さ。

 ちなみに、カラスについては晩年まで描いていたようなので(大学の教官で作るカレンダーみたいなものに毎年、上野のカラスを取り上げていた)、終生のカラス好きだったのかも。

 多摩美で保管している試作段階の刷りや道具も展示されて、展覧会というよりは、中世の錬金術師が遺した工房でも覗かせて貰ったような気分だった。(ここで、銅(あかがね)の…、と書こうかと思ったのだけど、 余りにベタなのでやっぱり止めた) (6/22)

 

2005年7月

Art 植物画世界の至宝展  東京藝術大学大学美術館 2005.6.11〜7.18 (公式

 当月の日記にも書いたけど、会場全体がルーペを持っているような中高年のおばさんで混み合っていて、ヘムレンさんの集団に圧倒されるムーミントロールの心境に。それほどボタニカルアートに思い入れの無い私は、そそくさと短時間で逃げ出してしまった。

 副題が「500年の大系」とはいえ、一番凄いのは18世紀末から19世紀初に掛けてで、写真が出来てからは、「記録する」という本来の目的とは別方向の情熱に行っているような。まぁ、後ろからパラパラ見ただけの印象なんで、偉そうなことは言えませんが…

 個人的には、同時開催の柴田是真の下絵だけでも行った意味は有ったですが。 一つ一つに技術と工夫が凝らされているデザインは下絵ながら、見ていて飽きなかった。展示替えが多く、全部を見られなかったのが残念。(7/5)

 

Art ドレスデン国立美術館展  西洋美術館 2005.6.28〜9.19 (公式

 ドレスデンの歴代ザクセン選帝侯が世界各地から収集した美術品を、各国文化「技術」の収集という観点で展示するユニークな企画展。むしろお隣の科学博物館でやるべき展覧会じゃないの?と思わなくもなかったけど、個人的にはこういうのも割と好きなので、問題ないです。

 当時の文化的後進国が、世界各地から熱心に物を集めて技術立国?を目指す姿には、何となく嘗ての日本がオーバーラップして身につまされるものが。でも、その技術の中に、日本の磁器が含まれていた辺りは微妙に可笑しかった 。

 出展されていた絵画の中で印象的だったのは、フェルメール、レンブラントは当然ながら、やはり「見た」という気にさせるティッツィアーノ。今でもティッツィアーノが1点あるだけで展覧会が開けるのだから、その歴史的な影響力には凄いものが有ると思う。

 あとは「ベルリンの至宝展」ではぱっとしなかったカスパー・フリードリヒが、いかにもフリードリヒという作品が数点来ていたのも印象に残った。

 しかし、世界各地から集めてきたという意味での副題「世界の鏡」としてのドレスデンはなるほど、よく分かったけど、そこで何が生み出されたのかは結局、よく分からず。マイセン の磁器はまぁ分かるんだけど。あとはロマン主義の絵が描かれた位?

 ちなみに展覧会とは全く関係ないが、ドレスデンという地名を聞くと、テレスドンという某ウルトラ怪獣の名前が未だにアナグラムで浮かんできてしまうのは自分でもどうかと思う… (7/5)

 

Art レオノール・フィニ展  Bunkamura 2005.6.18〜7.31

 恐らく(少なくとも若い頃は)「才気は溢れるほどに有ったけど、絵の才能は余り無かった」女性なのではないかと。

 というのが、会場の作品を通して見た正直な感想。鉱物の時代だけは、その色合い等に好感を持ったものの、後半の「頭で書いている」ような作品はどれもどうでも良くて、自分の信奉者というか追随者(と数十匹の飼い猫)しか相手にしていなかったのでは、と思わせる。

 勿論、それで幸せに暮らしていけた(らしい)のだから別にとやかく言うことではないが、今さら回顧するべき「画家」とは思えなかった。

 ところで、フィニといえば色々手を出していたアーティストで、むしろ最初にその名を聞いたのは小説「夢先案内猫」の作者として。あれは幻想小説読みとしては読んでおくべき 作品なんだろうか? グッズ売り場にも有ったけど、絵の方が…だっただけに、小説を買う勇気は出なかった。(7/22)

 

Art フィリップス・コレクション展  森アーツセンターギャラリー 2005.6.17〜9.4 (公式

 スポンサーサイトの展覧会の告知ページで、目玉となるルノワール「舟遊びの昼食」 の図像を最初に見た瞬間、まず思ったのが、……あれ??この絵って、前に見たこと有る!という確信だった。

 確認してみると、「フィリップス・コレクション」の来日展は、1983年の「印象派と栄光の名画展 ワシントン・フィリップス・コレクション」以来らしい。 そういえば。前回 の展覧会を日本橋高島屋で見た覚えがかすかにあった。同じく高島屋で見たコートルード・ギャラリーと印象がごっちゃになっていたけど(「ロンドン大学コートルード・コレクション 印象派・後期印象派展」は翌84年。当時の高島屋はかなり大型の展覧会を毎年開いていたことになる)。よく覚えていたものだ、と自分でも驚くと同時に、それから23年もの時が流れていることに、ひどく打ちのめされる… orz 

 そんなわけで、今回の展覧会は、当時見たことをどこまで覚えているのか、いわば自分の記憶への旅として、どきどきしながら見に行ったのだった。

 で、実際に今回見てみると。何とも驚くことに、見る絵見る絵、その時の記憶が鮮やかに浮かび上がる! …などということは全く無くて。

 う〜ん、見たっけかな〜?と悩むばかりで、自分の記憶力の不自由さを改めて感じただけだった。まぁ、中学生(!)の時の話なんで無理も無いとは思うのだけど。ルノワール以外に、前回必ず見た覚えと言えるのは、(その少し前に作風と名前を覚えていた)エル・グレコ位?

 「船遊びの昼食」も実際に眺めたことで、記憶がクリアされてしまったというか、前回どう思ったかが全く思い出せなくなっていた。何度も新鮮に見られてお得、とはいえ、これでは、展覧会を見に行っている意味ってどこに?(だから、こうして感想を書かないといけないのか(^^;;)。

 ともあれ、登場人物達の視線による画面の組み立てがすごく良く出来ていて、いくら見ていても、見飽きない作品であるのは確か。

 他の作品は思ったより全体に小さめで、今一つ、決定打に欠ける、という感じが。今回の展覧会は、「絵画の教科書」というのがキャッチコピーだったけど、教科書に収録される作品というのは(絵にしろ小説にしろ)大抵、良質だけど余り面白くはない、という意味ならぴったりだ…とか思った。

 その中で印象に残ったのは、ボナール。単に私がボナール好きだからでもあるけど、新鮮な驚きを与えてくれる、ボナールらしい画面だった。

 ところで、思い込みかもしれないけど、この美術館って、他のところより狭苦しいというか、息苦しい気がして苦手。いつも、夜に行くから?(7/29)

 

2005年9月

Art 美しき日本 大正昭和の旅  江戸東京博物館 2005.8.30〜10.16

  大正から昭和初期に掛けての日本国内の観光ブームを、観光業自体の発展、政府による外国人観光客の誘致活動、川瀬巴水の版画や吉田初三郎の鳥瞰図等の風景イメージの流布、「日本八景」というマスメディアによる観光地ブランドの創造イベント、郷土玩具や名所絵葉書の流行という観光地の商品化…と様々な角度から検証しようとする極めて意欲的な展覧会。

 最初に登場するのは、当時の鉄道会社が制作した観光ポスター。大正 から昭和初期のポスター等の広告図像って、実は結構好きだったりする。稚拙といえば稚拙なんだけど、「モダン」で健康的で、だけど甘めの、独特の脳天気な楽しさ。今回の展示品の中では「お花見は京王電車」のポスター(ほぼ日刊イトイ新聞でのこの展覧会の紹介ページの内、9/4の「今日の一枚」として紹介されているもの)とかが特にそんな感じで。

 それにしても、当時は何か地図のようなものを記念に作るとなると、必ずといって良いほど「すごろく仕立て」。戦前の日本人の双六好きについては、それだけで展覧会を開くだけの価値がある研究テーマだと思う。

 特に調べて見たことはないが、江戸時代に仏教の解脱思想と「お伊勢参り」等の観光ブーム(東海道「五十三次」!)が合わさって、日本人の頭の中に刷り込まれた「世界を一覧で把握する」ためのフォーマットが双六で、戦前のメディアが広告図像を一瞬で見終わらせないテクニックとして好んで活用したということではないかと大まかには思っているのだが、当時の子供達は本当に遊んだのか等、実際の娯楽性についてはよく分からない。そういえば、今のRPGゲームというのも、有る意味、同じ機能を持つゲームのような。「双六」好きの遺伝子は今も受け継がれているのか。

 と、この展覧会と殆ど関係のない話はこれ位にして、次のコーナーは、外国人の見た日本ということで、当時の日本の観光誘致ポスターや、来日した著名人の写真等。

 日本郵船の三姉妹船(新田丸、八幡丸、春日丸)の就航告知ポスターが、海外向け(1940年)と国内向け(1941年)の2枚掲示されていて、海外向けのイラストが艶やかな着物を来たモダンな顔付きの女優 風「三姉妹」なのに対し、国内向けは質素な洋服にそれぞれ「海運報国」と入ったタスキを掛けた和風の顔付きの「三姉妹」なのが面白かった。海外向けと国内向けのイメージの乖離に、当時の世相がよく現れている。ちなみに、三姉妹船の内、末娘の春日丸は結局、一度も客船航海することなく海軍の運搬船となったそうなので、国内向けの方が実情に近かったのかも。

 帝国、金谷、富士屋といった当時の外国人向けの近代的なホテルの紹介も。主に写真だけだったが、帝国ホテルについては、明治村から椅子とコーヒーポットを借りてきていた。フランク・ロイド・ライトのデザインだと、椅子だろうと、ポットだろうと六角形。う〜ん、デザイン的な統一感はともかく、使い 勝手は今一つに見える…

 アメリカ人のデ・コウが「幻灯(ドリームピクチュア)」興行用に、日本各地で撮影したスライドフィルムについては、会場内にスライド上映の様子を再現。映像自体は興味深かったけど、部屋の仕切が無い状態で音楽付きで上映しているものだから、次の版画コーナーで、その音楽がすごく邪魔に。この辺の見せ方の下手さ加減が、江戸東京博物館の限界という感じ。元々狭い会場なんだから、音を使うのにはもっと神経質にならないと。

 次は展覧会としてのバランスから言うとやや突出し過ぎな位、川瀬巴水の版画を多く紹介。まぁ、でも、どれも良かったので、(美術の展覧会としてみれば特に)不満は無いですが。というか、これだけ魅力的な風景画の版画家が近代日本にいたことを知らなかったとは不覚。この機会に出来るだけ見よう、と川瀬巴水のためだけに展示替え後期も来た位、気に入 った。夜中の雪と水(川や海)を表現した時の情感が、特に素晴らしかった。

 その次の「旅のひろがり」では、ずらりと展示された、吉田初三郎の鳥瞰図が何と言っても圧巻。京阪電車、秩父鉄道、愛知電鉄、京王電車…と全国中の私鉄路線図を作成していたのでは?という位。 もっとも面白いのは、やはり自分に身近な場所で、小田急の前身「小田原急行鉄道」とか、京急の前身「湘南電気鉄道」の鳥瞰図は、しげしげと細部まで見てしまった。

 前者はこの段階では江ノ島線がまだ計画線だとか、後者は浦賀までしかまだ無くて三崎口は計画線で、子供の頃見た地図にあったように、更にその先(油壺方向)まで伸ばすつもりだったんだなとか。……あれ?もう一つ赤い点線が。これによると、もう一つの計画線は、何と金沢八景から分かれて鎌倉を経由、小坪周りで三浦半島西側の海岸線に沿って油壺方向まで伸ばした後、横須賀側 の路線と合流するつもりだったらしい。空想にしても無謀過ぎだ…(このありえなさは地元民にしか分からないかも)

 その次の「日本新八景」については全然知らなかったのだけど、要するに山ならここ、渓谷ならどこ、というのを読者投票で選ぶべく1927年に行われた新聞社の一大イベントで、当時の人口6000万に対して総投票数9300万票(人口比1.5倍?)の盛り上がりを見せたという。勿論、各地域の大量の組織票が投じられた結果で、各八景の結果は投票数1位とは余り一致しなかったらしい。

 ともあれ、『この企画により各地の風景が観光というサービスを消費するための情報の一つと化していった」と指摘されているのだが、考えてみれば、江戸時代の昔から「全国温泉番付」(東西横綱が草津温泉と有馬温泉というアレ)とか、似たような観光地のランク付けには事欠かなかったわけで、このイベントがどれだけエポックメイキングな出来事だったのかは正直言って、よく分からず。もしかして、今回の主催者が毎日新聞で、当時の資料を借りられたから、というのが一番の理由?

 その次は絵葉書や、別府温泉地獄巡りのバスガイドの解説、土産物としての日本アルプスの高山植物の押し花!等、観光イメージの伝達について。バスガイドの車掌心得(マニュアル)の「客人に如何なることありとも、決して逆らわず怒らず悲しまず常に愛嬌を湛ゑて優しく丁寧に応対致しませう」という条文に、サービス業というのは昔も今も変わらないんだなと、しみじみ思う。

 最後にその後の時代のカラー写真が少々。大阪万博、愛知万博の大混雑の様子を対応するように展示しているのは、何かの嫌がらせかと思った。

 そんなわけで、見る人の興味次第で、読み取れるものが色々と有る興味深い展覧会だった(一方、題材が多彩な分、テーマが絞り切れていない感じで、美術館として何を読み取って欲しかったのかは、余り鮮明に伝わって来なかった)。

 ただし、贅沢を望めば、もう高い視点からの示唆も欲しかった。例えば、この夏、テートブリテンでターナーのコレクションを見た時、ターナーがこの時期、英国内の風景画を沢山描いたのは、当時、ナポレオンとの戦争で大陸との交通が一時的に封鎖されたことで、国内の旅行ブームが起きていたことが背景にある、との説明を(テートブリテンには日本語の解説板も置いて有るので)読んで、なるほどと感心したのだが、特に昭和以降の「国内」旅行ブームには、当時の日本が置かれていたであろう同様の閉塞感が、そこに反映しているのではないか、とか今回の展示を見ていて思った。そういったことも、先行する他国(イギリス、アメリカ?)の「観光」史との比較を通して検討して欲しかった。

 逆に、当時の日本はアジア、南洋に対して進出ないしは侵略していくことで、より広い地域をナショナリズムの範囲としていくわけで、「国内」観光の範囲もそれに応じて広がっていった筈なのだが、その辺は敢えて触れないでいたような…(まぁ、迂闊に取り上げない方が賢明かもしれないが)。

 と言いたいことは有るのだが、こういう切り口で展覧会を構成してみせたのは、様々な資料を集めている江戸東京博物館ならではの面白さだった。今後も是非、こういう形の、ジャンル横断的な展覧会を企画していって欲しいと思う。

 

 ちなみに、今回初めて常設展も見た。江戸時代の展示は外国人向けだなぁと思うものの、個人的に面白いのは、やはり明治以降。 小学校の体育では棍棒を使用していたんだ、とトリビアなことに驚いたり。当時の子供向け雑誌の付録って、双六ばかりだ、とか思ったり。

 あと、ちょうど226事件を舞台にした恩田陸の「ねじの回転」を読んでいたところだったので、「兵ニ告グ」のアナウンサーの音声「勅令が発せられたのである。」を興味津々と聴いたりもした。無くなってしまった戦前のビール会社の瓶とか、ちゃぶ台のある 四畳半の再現とか、第二次世界大戦末期の「風船爆弾」の模型とか、最初の頃の電気洗濯機とか、歴史上の色々なモノが展示されていて、一度は見る価値が有ると思う。

 「安政の江戸大地震150年展」は、当時の災害ドキュメントとして色々な資料(絵日記とか)が展示されていたが、苦笑したのは「地震番付 」(なんてものが有った)。これを見ていると、江戸時代も地震だの津波だのと大災害が絶えることなく起きていた様子で、昔から私達は災害列島に住んでいるのだなと 改めて実感。ところで、江戸時代の資料の面白さは、地震があって被害にあった人を描くと同時に、儲かっている人(大工とか)をも描くところで、その辺は今よりも有る意味、健全な気がした。

 関連企画、映画「Beautiful Japan」の上映については、内容は省略するけど、「映像で残っている大正時代」はそれだけで大変に興味深い。横浜の小学校の大運動会の様子とか。あと監督ブロツキーにまつわる話(スパイだったのではないか?)も、事実は小説より奇なり、の面白さだった。(9/10)(10/6)

 

Art 佐伯祐三−芸術家への道−  練馬区立美術館 2005.9.10〜10.23

 (Vo.広橋涼風に。何のことか分からない方は気にしないで下さい)
 みんなー、佐伯祐三の自画像の描き方を教えるよー。佐伯祐三の自画像を描くときは、おでこを広〜く開けて、眉骨の出っ張りを意識して描いてね!  …ていうかさぁ、他人が描くなら、それ、自画像じゃないじゃん!(あ、こっちの方が広橋涼風だ。)
 

 東京で 佐伯祐三展が開かれるのは数十年振りとのこと。今まで佐伯祐三の絵をまとめて見た覚えは、そういえば無かった。というわけで、今回は佐伯らしさとは何なのかを出来るだけ先入観を排して素直に見たつもりなのだが…

 一言で言えば、立体感が乏しい表層的な風景の捉え方。アニメの風景セルを重ねたような画面。なので、ポイントとなる大きな壁が 無いと絵自体が成立しない。洋画というより、日本画的?(…スーパーフラット?) 帰国した日本での絵画制作がまるで駄目だった理由も、当時の下落合が、ぽっかりと広がる空の下、同じく広い畑と、建物と言ってもせいぜい平屋建ての家がある位だったことが大きいような(要するに大きな壁が無かった)。

 日本人に妙に受けた理由。う〜ん、某アニメ監督がよく言っていた「ライブ感覚」という奴?

 と思ったところ、同じようなことを書いている人がいたので、我が意を強くする。つまり皆、佐伯の絵を見たというより、雰囲気に共感した のではないかと。だから、一見似たような描き方でも、フランスから勲章を貰った荻須とは違い、地元民たるパリ市民から見れば、佐伯は「絵」としては殆ど評価に値しないのではないかと。感傷的な「ライブ感覚」を除いた後に、残るものは少ないので。

 まぁ、(実際のところは知る由もない)パリ市民の評価はともかく、日本人については、ユトリロ好きな人と同様、佐伯大好きという人の書いた展覧会の感想は、今後、信用しないことにした。全員とは言わないが、(展覧会を見に行っても)絵を実際には見ていない人である可能性が高いので。

 

 ところで、この展覧会では、作品のキャプションに以前の展覧会(と開催年)が載っていた。最近の図譜では、過去の開催記録を詳しく掲載するのは常識化しているが、会場の展示作品一つ一つに付けるのは初めて見た。監視員に訊くと、初出時の展覧会だという。前回の展覧会を表示するなら何十年振りの公開なのか、というお得感も感じられるだろうけど、初出って意味が有るの?と思った後で、こういう「夭折」した画家の場合は特に、後年の調査で新たな作品が発見され、画家に対する評価も変わっていく、ということも有るかと思い直した。

 つまりは、例えば1930年代、1950年代、1970年代、1990年代の各時代の人々が知っていた(見ることが出来た)佐伯像にはそれぞれ大きな違いが有る筈だということ。でも、それなら歴史の教科書で、どこかの帝国の領土拡大の変遷を年代毎の地図で見ることが出来るように、ど れほど変わったのかまで明示してくれなければ、そんなの、研究者間の内輪受け情報でしかないと思う。(9/23)

 


10月以降分他の展覧会の感想diary