1.「桜の園の満開の下

学生時代の謎の習作です。当時、「あたし」を主人公にして何か
書いてみたかったようです。例によって第一話しか有りませんが。

 


 春は眠い。確かにその通りだ。しかし、だからといって、土曜の午後の部室に来てまで、いきなり寝なくても良いじゃないか。付き合わされているあたしの身にもなってみろ。

「ほら、唯。起きなさいよ。お客が来たら、どうするのよ」
 机の上に身を投げ出したままの唯の肩を揺すってはみたが、下を向いたままの唯から返ってくるのは
「こう麗らかな日差しじゃ、桜が散るのと同じ位、人が寝るのは必然的なことなんだよ。万有眠力の法則さ」
という、訳の分からぬ、あくび混じりの答え。とはいえ、あたしが
「じゃあ、一人で寝てるのね。あたしは先に帰るから」
と脅すと、さすがに身を起こして
「まぁ、メイ、そう怒らないで欲しいな。君がいないと僕は駄目なんだ」
などと、のたまう。そこで、出来る限りの皮肉を込めて
「それって、単に、助手がいないと、探偵としてサマにならない。そう言いたいだけなんでしょ」
と言ってやると、悪びれた風もなく、平然と
「うん」
と頷くので、あたしとしてはもう怒る気力もなく、ため息を吐くばかりだ。

 全く、唯という名が示すとおり、自分の都合しか考えない奴で、長い黒髪を肩まで垂らした姿は、一見しとやかな美少女と見えなくもないのに、自分のことを僕と呼び、いつでも合理的かつ打算的に行動し、人が嫌がることをズケズケ指摘するのが何よりの趣味という位、口が悪い。少女の皮を被った悪魔というものがこの世に存在するとしたら、唯のことに違いないと、あたしはいつも思っている。

 もっとも、この傍若無人な唯にも、嫌いなものがあって、一言で言えば、女嫌いということになるのだろう。だから、小学校の頃から、付き合いのあるあたしは彼女にとって珍しい友人といえるのだろうが、かけがえのない友達というより、切るに切れないクサレ縁という方が絶対正しい。

 ちなみに、あたしの名前は、明。メイではなくアキラと読む。どう考えても男の子の名前ではないか。このような変な名前を付けられたのが、こんな変な奴に取り付かれた元凶なのかもしれない。ともかく、普段はメイで通っている。特に、唯の奴が、アキラさんと本名+さん付けで呼ぶ時には決まってロクなことが無いので尚更、アキラという名は嫌いだ。

 ところで、あたしたちが何で、こんなところで暇をつぶしているかというと、それは調子に乗った唯のせい、なのだ。つまり、学校内に探偵のクラブを作ろうということなのだけど、何でそんなことになってしまったかというと、それはもう(あたしにとっては)不幸な、一ヶ月前の事件のためなのだった。

 

 春休み、唯とあたしは唯の叔父さんの所でアルバイトをしていた。叔父さんは、市内で探偵業を営んでいる。といっても、わずかな調査を除くと、便利屋業とでも言ったほうが適切なところで、狭い書斎にうず高く積まれた推理小説から得られたという、その抜群な推理力とやらが必要なことはほとんど無かった。多くない収入の大半を、本を買うのに使ってしまうので(叔父さんの説によると、探偵はあらゆる知識に通じていなくては応用が効かないとのことで、ぶ〜けや別マガといった少女マンガを初めとして、どうでも良い本や雑誌ばかり買い込んでいるようだった)、独身とはいえ、余り豊かな生活をしているとは思えなかったが、結構、楽しんで暮らしているらしく、変わり者通しのせいか、姪の唯とは気が合うようだった。そんなわけで、あたしまで、手伝いに駆り出されたのだが、仕事といっても別に探偵の仕事ではなく、書斎の本の整理に、書類の整理、要するに、大掃除の手伝いだった。もちろん、叔父さんの指図の元では、働いているより話しているほうが長いような感じで、楽なバイトだった。

 しかし、それもあの事件が起きるまでの話である。残念ながら、事件そのものについては、まだ話せないが(叔父さんに口止めされたのだ)、終わってみると猫に引っかかれ、擦り傷を作り、犬に追われて恐い目にあうなど、一番貧乏くじを引いたのは、あたしだったような気がする。唯の方は、後方で安穏と考えを巡らせ、真相を発見して、得意気だが、それがあたしの尊い犠牲の下に築かれたことは、全然気にも止めていないらしい。そればかりか、これに味を占め、学園内に探偵のクラブを作ろうと考えている。最初は反対したものの、いたってアキラメが良いあたしは、結局、巻き込まれてここにこうやって座っている、というわけだ。

 部室の方は、去年つぶれた社会部の部室をどうやってか唯が手に入れてしまったのだが(きっと、巧みな弁舌で、お嬢様の集まりである生徒会の連中を騙して鍵を貰ったのだ)、同好会扱いでも、部員というか会員は最低5人は必要で、いざとなったら知り合いにユーレイになるのを頼むとしても、とりあえず4月中は毎日のように、ここで部員集めをしなくてはいけないのだった。

 とはいえ、この部員集めということに関して、唯は余り熱心でなかった。問題はこの学校が、清風女学院、読んで字の如く、女子校であることにある。大体、自称「女嫌い」の唯が、何故ここに来たのか、今持ってよく分からない。彼女の「女嫌い」は中学の時から有名で、あたしは当然、高校は別の所に行くものだと思い込んでいたため、卒業後の春休みにささやかなお別れパーティーとでもいうべきものを開いた位なのだ。その時、唯はどこに行くのか答えようとはしなかったのだが、もうお別れね、とあたしが言うと、うん、そうだねぇと素直に頷いていたので、入学式に唯にバッタリ出会った時には、本当に心臓が止まるかと思ったものだ。思わず、どうしてここに、と聞くと、あの唯には珍しく、まぁ必ずしも望んで入ったというわけでもないんだけど…と今一つ歯切れが悪かったが、嘘吐き、と言うと、いつが最後の別れになるか分からないんだから、嘘とは言えないね、といつもの唯の返答振りを確認させられた。おまけに、その直後、唯と同じクラスになったことを掲示板で知らされて、逃れられない運命というものが世の中にはあることまで再確認させられたのである。

 それから一年、意外にも、唯は女子校生活に馴染んでいるようだったが、やはり、というか、人付き合いは余り良くなく、クラブにも入ろうとしなかった。そんな唯が、あえて自分で部まで創設しようというのだから、その意気やさぞかし高いものに違いなかったが、とはいえ、現実に人を集めるという段階で、かなり面倒になったらしく、気が付くと最近では、あたしの方がむしろ熱心に努力しているようでもあった。

 と、ここで思ったのだが、このような基本設定をだらだらと、あたしが述べる書き出しというのは、長ゼリフで説明するマンガ以上に、良くないのではないだろうか。しかし、更には、そんなことを作中人物であるあたしに考えさせたりすることの方が、もっと良くないのではと……


「なに、ブツブツ独り言喋ってるの?」
「え、別に…」
「そんな暗いことしてたら、誰か来ても帰っちゃうぜ。前みたいにさ」
 それを聞いて、あたしの後ろ髪は5cmほど逆立った。
「ちょっと待って。あの時、帰っちゃったのは、唯、あんたのせいでしょーが」
 そう、部員募集を始めてから数日は、わざわざここ、D棟の3階という学校の外れの部室まで、どんなことをするのか聞きに来る物好きな女の子も少しはいたのだ。しかし、毎回の如く、唯が余りに傍若無人な応対をしたため、再び訪れる者がいなかったという散々な結果に終わってしまったのである。

「そんなことはないよ。ちょっとシビアに自己の欠点を指摘された位で、怒って出ていくなんて、彼らはここには向いてなかったんだってば」
「そーお? あんたの言う、向いている人なんて、この学校にいるの? この学校は基本的にはあんたなんかとは大違いの善良なお嬢様の集団なのよ。それにね、学校内で探偵屋なんか開いたって、仕事があると思うの?」
「勿論。このように限定された空間で同質性があるとは言え、不特定多数とも言いうる集団が生活するんだ、問題はいくらでも起こる。それに、」
「それに、学内では警察が原則として入らない。従って、自力救済が必要とされる、でしょ。分かってるわよ、何度も聞かされているから。あたしが言いたいのはね、こんな麗らかな世界のどこに、そんな事件が転がっているというのよ」
 あたしは窓の外を指して叫んだ。外では、例年になく遅く開花した桜の花がどこかしこも満開を迎え、風一つない穏やかな陽気の中で、一つまた一つ、とゆっくり散りつつあった。近所からは、桜の園と呼ばれるだけあって、この清風は、敷地中が桜の木に占められている。何でも戦後すぐの理事長が桜好きだったためかららしいが、とにかくこの時期だけは、ここから見える裏庭も普段とはまるで違って桜色に華やいでいるわけで、その景色は少なくとも事件とかいったものだけには、およそ縁が無さそうだった。

「こう桜が咲いていれば、世界は平和、全て世はこともなしだって? 馬鹿なことを言わないで欲しいな。昔から、桜は死者の上に育つって言うじゃないか。日本にどれだけ桜の花が咲き誇っているか考えると同時に、その下の死体のことも考えて欲しいね」
 非現実的なこととはいえ、あたしの頭には無数の(何故か)戦国武士が地平線の彼方まで辺り一面に、幾つもの矢を鎧に受け血に染まった姿で転がり、その傍らから桜の苗木が一本、また一本とすくすく成長していく様子が、目に浮かんでしまった。おおっ、どんどん花が咲いてゆく。シシルイルイ、そんな言葉が頭の中で響いた。えっと、どう書くんだっけ?


「…まぁ、現実に死体が埋まっているかはともかく、だってそうだとしたら、この学校だけで何百体要るんだい?こんな日に桜の木の下に立つと、何だかムラムラと妙な気持ちになってきたりするだろ。何だか、息苦しくてそれを払おうとすると、突然殺意のようなものが湧いてくる、そんな経験はない? まぁ、メイにはないかもな。到ってニブいから、そういう感受性が」
 自分の空想に若干ぼーっとしていたあたしも、さすがに少しムッとして
「桜の木なんか無くても、よく殺意が湧いていくるわよ、あんたに対して」
と言い返すが、唯は平気な顔で続ける。
「恐らく、古来より、この季節の殺人は多かったに違いないよ。君までがイライラする位なんだから」
(だから、関係ないって言ってるでしょーが!)
「それに、この陽気じゃ、物忘れも多くなるだろうし、環境や気候の変わり目で体調も崩しやすい。京都じゃそういった病を鎮めるため、昔からこの時期に、やすらい祭りなんて行事が行われてね…」
 放っておくといつまでも喋りかねない様子なので、口を挟んだ。
「唯、謎学の旅やってんじゃないのよ。それで。そんなにもトラブルが満ち満ちているなら、どうして、ここはこんなにも暇なわけ?」
「いいかい、メイ。日本じゃ毎年一万人は交通事故で死んでいるんだよ」
「知ってるわよ、そんなこと」
「だというのに、目の前でそういう事故に遭うことなんて、滅多にあることじゃないだろ。それと同じだよ」
「ふうん」
 何だか、ごまかされたような気がするぞ。
「ちょっと待ってよ。それじゃ、結局こんなことしてたって、誰も来ないってことじゃない。自分で言ってることが矛盾してるわよ、唯」
 唯の奴は、突然、窓の外に目を移して声を上げた。
「あれ? あいつ、どうしたのかな」
「話、外らさないでよ」
「いいから、見なよ、ほらっ」
 と唯が指さした向こうには、この庭でもひときわ大きな桜の木、そしてその下に、一回生らしい女の子が横になっている。あの子のことかしら?
「寝てるだけなんじゃないの? さっきのあんたみたいに」
「でも、さっきまで、桜の木の一本一本に近付いて、何か探してたみたいだったぜ。結構、真剣な顔して。見てなかった?」
「全然」
「…この注意力散漫女。それが今見ると、ひっくり返って、物が増えている様子もない」
「単に、それが見付かったから昼寝しているだけよ。それにポケットに入る程のものだったかもしれないし、物だっていう保証もないじゃない」
「メイ、たまには良いことを言うな。しかし、やはり、事件の匂いがする。調べに行こうぜ」
あたしは、桜の毒気に当てられているのは唯の方だと思った。満開の桜の下に倒れている少女、といえば確かにいかにも、という気がするけど、大体、事件があるかどうかすら、怪しいものだ。こういう「見込み捜査」って大きな問題があるんじゃないのかな。とはいえ、ここで唯と役にも立たない会話を続けるより、外で桜の花の下を歩いた方が気持ち 良いと思い、素直に唯の後について、階段を駆け下りた。

 

 その女の子は、あたしが見る限り、よく寝ているようだった。桜の木の下には芝生も植えられているのだけど今の季節は土がむき出しだから、その上にバタッと倒れたかのような姿を見て、これじゃ作ったばかりらしいブレザーが台無しだわと他人事ながら心配になってしまった。しかし、両腕を頭の方に思いっ切り投げ出した格好といい、眠り姫というには丸すぎる顔の表情といい(お姫様というのは、ほっそりしてるものだというのがあたしの信念なのだ)、別に事件も何もあったもんじゃないと、途中、校内の自販機で紙パックのジュースを買ってから来た唯に向かって、帰ろうと手で合図を送ったのだが、唯の奴が、
「眠ってんの? じゃ起こさない方が良いかな」
などと大声で返事をするものだから、逆に女の子の方が目を覚ますことになった。
 寝ていた間に顔に振り積もっていた花びらを振り落とし、目をパチパチとさせて、身を起こすと、ちょうど、あたし達と目が合った。そこで、彼女が言った。
「あの、どうかしたんですか?」

 思わず、出鼻を挫かれた気がしたが、さすがに唯は落ち着いた調子で、
「いや、上から見てたんだけど、さっきまで何か探していたようだったのに、ふと見たら横になっているから、気分でも悪くなったのかと思ってさ、ちょっと見に来ただけなんだけど」
と訊く。もちろん、事件をあさりに来ました、とは言わない。
「はい、あの、お昼食べてなかったせいか、ええと何だかぼうっとして、それで気が付いたら寝ちゃったみたいで… あの、ごめんなさい、心配お掛けして」
 そこで、あたしが、唯の持っているオレンジジュースを引ったくって、彼女に渡す。唯が、ブーブー言う。あんたねぇ、それ位、我慢なさい。唯が、あたしを横目でにらみながら、彼女に訊く。
「それより、さっきは何してたのかな、ちょっと気になったんだけど」
 冷たい物を飲んで一息吐いた彼女は、恥ずかしげに答えた。
「ああ、あれ、探してたんです」
「何を?」
「あ、あの、手帳です」
「手帳? 見付かった?」
「いいえ、まだ」
 ここで、あたしが割り込んだ。
「唯、あんた失礼よ。そんな根掘り葉掘りと。大体、名前も聞いてないのに。えーとね。こっちが桂木唯、であたしが河合明、メイでいいわ。ま、単なる暇な2回生ってとこね。あなたは?」
「あの、1年C組の冷泉院すぴか、と言います」
「冷泉院?」
「すぴか?」
 思わず二人で繰り返してしまった。とはいえ、唖然としているあたしをよそに、唯はすぐに一言付け加える。
「乙女座α」
 そう聞くと、すぴかという子はわあっと喜んだ。
「そうなんです。春に生まれたので、お父様が付けて下さったんです。よくご存じですね」
「こんなの、常識だよな、メイ」
(あたしの方を向いて言うな、ていうの)
 しかし、まぁ かなり変わった「お父様」だことと、あたしが考えている間に、唯はさっきの話題に戻っていた。
「手帳って、生徒手帳? そんなものをどうしてこんなところで探してるんだい」
「え? 何? クラスの子に隠されたぁ? 何、イジメられてるわけ?」
 気が付くと、唯の詰問口調に、すぴかという子は下を向いて泣き出しかねない勢いだった。
「ちょっと、唯、あんた、この子、泣かす気なの。いい加減にしなさいよ。少しは、この子の身になってみたら。あんたなら分かるでしょ。だって、」
 あたしが、止めようとするのを唯はピシャリと遮った。
「同情なんて止めときな。僕が何だって? いいか、すぴか、イジメられるのは自分のせいでなくてもな、イジメられ続けるのは、そいつのせいでもあるんだぞ。そうやってグズグズしてると、お前もそうなるぜ」
 いつもと違って厳しい口調の唯に、あたしは猛然と腹が立った。
「偉そうなこと、言わないでよ。唯、あんただって、去年の春は散々、上級生にイジメられたクセに」

 そうなのだ、考えてみれば当たり前のような気もするが、うちのような学校に、唯のような子が入ってくれば、何かと反感を受けるもので、入って半年は、有りとあらゆる嫌がらせを唯は受けた。しかし、それら全てを相手にしないことで、最終的に唯は勝った。特に唯を嫌っていた一部の3回生もこの春、卒業し、今では公然と唯に手出しをする者はいない。しかし、今回、部員が一人も集まらない一因として、その間に広まった唯についての風説があるというのは、恐らく否定できまい。
 一方、唯はといえば、女嫌いというのは、この学校に来る前から、その性格の悪さもずっと昔からだったわけで、唯の言う「そんな些細なこと」がきっかけになったわけではなかったが、そのような陰湿な女子校特有の姿について、より嫌いになったことは間違いないのだ。

 フンと返事をしない唯を無視して、あたしはすぴかと一緒に、もう一度手帳を探すことにした。教室のゴミを捨てに行って、教室に戻って来ると、机の中の手帳が無くなっていて、代わりに、捜し物は桜と一緒の所だ。お前もたまには花見でもしな、といったことが書かれた紙が入っていたという。確かに、うちの学校は紛失にはうるさいけど、再発行してくれる筈だから、諦めたらとも言ってみたが、今晩、観測に(星食の観測らしい、名前が名前だけあって、一見そうは見えないのに、変わった子だ)使う筈のデータを書き込んでいたので、今日中にどうしても探したいのだという。そこまで聞けば誰だって手伝おうとするものじゃない、唯。しかし、唯の奴と来たら、事がイジメと聞くとトラウマなのか、手伝うどころか、さっきまですぴかがひっくり返っていた桜の木の下に座ると、ポケットから文庫本を取り出して読み始めた。

 題は、とみると「桜の園」。ちょうどピッタリの本だという。そうでしょうよ。あんたなんか、世界中が没落してもそこに座って自分だけの夢を追い続ければいいわ。

 唯への怒りもあってか、日差しが暑く感じられ、一向に作業は捗らなかった。桜の木といっても、木の上かもしれないし、下の地面に突っ込んであるかもしれないというので、一本一本見て回るのには、結構、時間が掛かったのだ。

 30分、いやもっと経ったのだろうか。この裏庭中の桜をくまなく調べ尽くしても、一向に見付からなかったので、すぴかとあたしはがっくりと座り込んでしまった。と、唯が文庫本をパタンと閉じて、
「まだ探してんのかい? こっちじゃ、一家が解散しちゃったぜ」
呆れた顔で言い、言い返す気力もないあたし達の様子を見て
「もう一度、説明しな。行動する前に。まず頭を使わなくちゃ」
と付け加えた。


 唯がすぴかから聞いて確認したことは、時間的に、この庭まで来るのは若干無理があり、本当に桜の木の側に置いたとすれば、もう二つ手前のB棟とC棟の間の中庭までがせいぜいであろうということだった。
(すると、今までの苦労って単なる骨折り損ってこと…)
 しかも、唯によれば、その桜とは教室から、意識されやすい桜になる筈だという。
「だって、1CってA棟の2階よ。それじゃ、正門前の桜ってこと?」
「いや、そちらには、こいつがゴミを捨てに行った焼却場があるしな、幾ら何でも避けるだろう。しかし、A棟とB棟の間は庭じゃないし… かといって、わざわざ中庭まで捨てに来るかな。大体、何でここだと思ったんだ」
「何となく… あの、学校に行く時、目に付くから…」
「…よく、その思考パターンで生活できるな。感心するよ、皮肉抜きで。なぁ、隠しそうな奴のことだけど、そいつは嘘を吐いたりするタイプじゃないのか?」
「そうだとどうなるの?」
「そうだなぁ、例えば、再び机の中に入れるとか。1回探したところに捜し物を入れておく。発見させにくくする基本だぜ」
「そんな陰険なことは唯しかしないと思うけど」
「僕はそんなことをしないよ。そんな単純すぎることは」
「あっそ。とにかく、行ってみましょ。何か分かるかもしれないし」

 もちろん、唯の言うようなことは無かった。ガランとした教室は、まだ掲示物がほとんど無いせいで、何となく殺風景に見えた。ずいぶん昔のような気がするけど、実際にはわずか一年前に見た景色。
「ほらね」
「そうだな、じゃあ、このクラスにサクラって名が付く子はいない?」
「桜井って人がいますけど…」
「どこ?」
「その机です」
 唯は指さされた机に近付いて、中を覗き込んだ。諦め悪く、手まで入れた。

「…良い思いつきだと思ったんだけどなぁ」
「そんな訳ないでしょうが」
「あの、」
 すぴかが突然、割って入った。
「もう、良いです。何だかすごく面倒掛けちゃったし、これ以上、迷惑掛けたら悪いです。どうも、色々有り難うございました」
 あたしが、そんなことはない、と言おうとした途端、唯が言った。
「良くない。そっちが良くても、こっちとしては沽券に関わる。これくらいのこと、すぐに解決してみせる」
「そうよ、人間諦めたら負けよ。(何かさっきと違うことを言っているような。まぁ、いいか。気分、気分。)で、唯、どうするわけ?」
「幾ら何でも、これから中庭を又、一本一本調べるわけにはいかないしな。どうしたもんかな… うーん」
「でも、結局、それが一番、見付かりそうじゃない」

 とはいえ、今回、また不発に終わりそうだった。中庭の池に散った花びらをじっと眺めている唯に向かって(もちろん、池の中はよく見てみた)あたしは
「ほら、サボらないで」
と声を掛けた。
「こうやって、天気の良い日に地べたを這いずり回ってウロウロしている姿って、上から見たら、きっとまるで馬鹿よね」
「上?」
 唯がびっくりした表情を見せた。そして、上を見上げてから、ニヤリと笑って言った。
「そうだ、上だ。何で気付かなかったんだろう。行くぞ」
 そして、事情を飲み込めていないあたし達が
「どこに?」
と訊くと、当たり前さと言わんばかりに一言で答えた。
「屋上さ」

 屋上というのは、言うまでもないことながら、それぞれの棟に一つずつある。その中で、唯が目指したのはB棟の屋上だった。A棟じゃないの?とあたしが訊くと、あそこは周りから目立ちすぎる、よくバレーボールをやっている奴がいるだろう、それに桜が無いとの答え。桜なら、こっちだって無いじゃないと言うと、いいから来いと言うので、黙って、階段を登った。一気にちょうど4階に当たる屋上まで駆け上がると、さすがに胸が苦しい。入り口には鍵が付いていたが、唯は、実はこれは壊れているんだと、ガタガタ叩いて開けてしまった。
 外に出ると、高さがあるせいか、風が吹き付けてくる。涼しくて、気持ちいい。学校の周りの丘がどの方向も良く見えた。どこも山桜が盛りで色とりどりに染まっている。大きく息を付くと、しかし、春気分が抜けた。
「桜って、まさかコレ?」
「遠すぎるよ。こっちだって」
 唯が連れて行ったのは、登り口の裏で、そこは、横の給水塔との2面に遮られた小さな空間になっていた。なるほど、ここからさっきまで探し回っていた中庭が下によく見える。だけど、桜ってどれのこと? あたしとすぴかが金網にへばりついて眺めていると、後ろで屈んだ姿のまま、なにやらガサゴソとかき回していたらしい唯が、不気味に笑った。
「ふ、ふふふふ」
 振り返ると、唯の手には、問題の手帳が有った。
「いや、こんなに上手く行くとはなぁ、あはは、まさかね、思ってなかったんだけど」

 唯の説明によると、ここは一部の人間には有名な場所で(ここで、すぴかが一部の人って、どういう人ですかと訊くと、唯は下に落ちている煙草の吸い殻を指差した)、たまり場とでも言うところだそうだ。恐らく、今回、彼らはここで、軽い気持ちで取ってきたすぴかの手帳を見た後に放り出したところ、ちょうどその辺り、角に面している所が、飛んできた花吹雪で盛り上がっているのを発見して(ちょっとしたシャレ心が浮かんだんだな、と唯は注釈を入れた)、手帳はそのままにしておいて、その内の一人が例の紙を机の中に急いで入れに行ったというところらしかった。
「ふうん、一応、嘘は吐いてなかったわけね。確かに、桜の花と一緒に有るし、花見には良い場所だし。」
「まぁな、意外と律儀だったのが助かったな。けれど、あの紙の文章はそれだけじゃないぜ。桜の所に置いたと聞かされれば、常識的にはこの下の中庭に探しに来る。それを上から眺めて大いに笑ってやろうという腹だったんだろう。それをいきなり、裏庭に行っちゃうなんてな。相手も待ちくたびれて、帰ってしまったらしいけどよくまぁ、手帳が無事だったもんだよ」
「これで、一件落着というわけね。何か、随分、偶然の要素が多いみたいだけど」
「確かにね。小説なら、こんなの許されないと思うよ。僕だって、こういう非論理的解決は好きじゃないけどね。まぁ現実というのは概ねこんなもんだから、結果が良ければ、良いとしなくちゃね。それに、今回のポイント、こういうことをする奴は、人が困るのを見るのが何よりも好きだってところは押さえてたわけだしね」
「…そう言われると、やっぱり唯にしか解けないことだったような気がするわね」
「どういう意味だ? ところで、仕返しとかはするつもりは無いのかい?」
「いえ、手帳さえ戻れば良くて、だって、あの、そんなことをしたら、私も同じというか…」
「そう、その通りよ。もう日が陰ってきたし、早く帰りましょ」


 下の中庭で、すぴかとあたし達は分かれた。すぴかがお礼の言葉を述べたのに対し、唯が手伝ったのは好奇心と面目からに過ぎないと向きになって否定していたのが、何だかおかしかった。あたしは頭上の桜の枝々を眺めながら、今日の「花見」はすごく疲れるものだったと思った。でも、充分な位、桜はよく見たわね、お陰で。

 あたしが、夜、これを書いていると、唯から電話が掛かってきた。内容は、些細な宿題に関してだったが、ふと閃いて、夜桜を見に行こうと誘ってみた。唯は、ちょっと待ってと言ってから、窓の外を眺めてきたらしく、電話口に戻るとこう答えた。
「いいけどなぁ、天気悪いよ。照明が無い所は真っ暗だと思うよ」
 あたしも慌てて外を見ると、何と厚い雲がどんよりと空を覆っている。ええっ! いつの間に?
「てことはさぁ、今日のあたし達の行動って、ほとんど無意味だったってこと?」
 がっくりと来ているあたしに、追い打ちを掛けるような唯の声。
「うん、それどころか、今日も結局、人集めは出来なかったんだから、それ以下かな。ね、どうしようか?いい加減、やばいよ」
「もう、知らない。勝手にしてよ」
 乱暴に電話を切って、あたしはため息を吐いた。春は、春の夜は、…よく眠れないだろう。

 少なくとも、今夜のあたしにとってそれは確かだ。


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