空の蒼さを 見つめていると


2005年4月

4/30

 今日は気候も良いので、半日散策。

 途中、霊園の下藪に見慣れぬ鳥がいるのを見掛けた。ウグイスと似ているけど、目の前後に縞があって、目が長く見えるような感じの。帰りに本屋で図鑑で似た鳥を探すと、ヤブサメとかムシクイ辺り。後者は割と珍しいらしいので、そうするとヤブサメ? もっとも、私 は鳥を見分けるポイントがそもそも分かってないので、時間が経つと皆似て見えるんですけど。

 

 展覧会感想シリーズその2。簫白展を見に行った京都で、ついでに見てきたもの。

Art 村上華岳展  京都国立近代美術館 2005.4.12〜2005.5.12

 展示替えを含めると250点に及ぶ大規模な回顧展だが、観音像と、地元の山並の風景の2種類ばかりが延々と続く展示室は地味も地味。しかも、その山並みは、 画面全体に墨の線がウネウネと踊る抽象画のような風景で、上手いんだかそうでないんだか、よく分からない(^^;;

 ただし、だからといって、退屈かというと、そうでもなくて。

 「製作は密室の祈り」という言葉を残した人らしいが、上手いとか綺麗とか、要するに「人に見せる」ことが目的ではなく、いわば坊さんの修行のように、自らの精神的深化のために描き続けた世界は、独特の明るさがあって、味わい深い。生前から、少数だが熱心なファンがいたということだが、なるほど玄人好みの画家という感じ。

 まぁ、私は(これでも)まだまだ俗気の多い人間なので、同世代でも土田麦僊あたりの方がキャッチー と感じてしまうのだけど、手元に置いて日々繰り返し見ても決して飽きることのない絵とはこういうものかもしれない、と思ったりはした。

 とりあえず、今回はあの「裸婦」を下絵含めて、じっくり見ることが出来ただけでも見たかいは有ったかなと。

 所蔵展示では、同世代の画家の作品を展示。あの榊原紫峰が、獲物に食らい付くライオンの絵を描いていたのには、びっくり。雀の群れを描かせたら世界一、みたいな好々爺風の後年のイメージからは想像も付かない激しさ。

 

Art 見る私/見られる私  京都市美術館 2005.4.2〜2005.5.22

  見る/見られる、すなわち「視線」をテーマにした所蔵作品展。面白い切り取り方だとは思うけど、どんな絵だってその中には「見る/見られる」という関係が存在するわけで、そう言ってしまえば、何でも有り、というか、結局、何も言ってないのと余り変わらないような…

 展示作品の中では、菊池契月による、颯爽とした戦前の女性像が良いなぁ(というのは単に個人的な趣味)。ただし、それらの絵の前に(契月の息子が制作した)ブロンズの契月の胸像を向かい合わせておいて、絵とお互いに見つめ合わせるというのは、ちょっとやり過ぎでは?(^^;;

 

4/29

 暑い! おまけに眠いので、外出は控え、うつらうつらと昼寝している内に、連休初日は終わる。とりあえず、溜めている感想を簫白展から、…って、いきなり長過ぎだ。

 

Art 曽我簫白 無頼という愉悦  京都国立博物館 2005.4.12〜2005.5.15

 「むにゃむにゃ、もう食べられないよ〜」 ←見終わった直後の感想、てあんたは、寝惚けて寝言を言う、漫画の主人公か(^^;;

 一晩で(夜間開館で見たので)受容出来る以上の物を見てしまったというか。単純に量だけで言っても、さくさく見るだけで1時間半は掛かったし。じっくりと、描かれた線の一本一本まで見ていったら、2時間でも全然足りないと思うけど、その前に、もう、お腹一杯で。

 サブタイトルに「無頼という愉悦」と書いてあるけど(もっとも、チラシでも会場でも、「円山応挙が、なんぼのもんじゃ!」というキャッチコピーの方が目立つ)、絵から受ける印象は「愉悦」という感じでは全然ない。

 一見、乱暴な画面であっても、細部に見られるのは、神経質なまでの几帳面さ。もっと乱雑に、もっと適当に描くことが出来たら、恐らくもっと楽しい人生を送れた人なのではないか。穏やかな絵を丁寧に描いて満足出来る性格では元から無く、しかしながら、情熱の赴くまま、のびのびと描いてストレスを発散出来る性格でも無かった気がする。

 TVのバラエティ番組の心理テスト並の無責任なプロファイリングに過ぎないのだけど、私が思い描く簫白とは、世間に対し終始不機嫌で、絵を描く時だけ自由でいるように周りからは見えて、しかし、絵の中 さえ理性を失うことが出来ないことに自分の中で苛立ちを感じている画家のイメージなのだ。

 簫白の人物画は、「逝っちゃっている」、危ない視線をした、いわば「向こう側の住人」が多いのだが、簫白本人は奇矯を気取れば気取るほど醒めていくタイプの人間だったのではないか。あの「寒山拾得図」の右幅に描かれた拾得の表情は、簫白自身の自画像のように見えてしまう。「世間というこちら側」にも充足出来ず、「向こう側」にも行けない簫白の悲しみが伝わってくるような。

 絵を見る時に、描いた画家の性格についてまで考えることは普段無いのだけど、簫白の場合、絵と本人を切り離すことが難しい。

 不機嫌な簫白(私の勝手な想像)の絵を見るのは、だから単純に「楽しい」体験というよりは、苛立ち、共感、驚き等が入り交じった、不快なまでの感動を呼び起こすという感じ。それをあんなにも一度に見せられたら、もう、ぐったりですよ(それが楽しい?わけだけど)。

 もっとも、全てが神経質な画面かといえば、そうでもなく、動物や鳥を中心に、対象に優しげな眼差しを注いだ作品も。特にプライスコレクションの「野馬図屏風」などは軽やかな作品で、さすがはプライスコレクション、簫白でさえ楽しげな作品を入手しているよ、と妙な感心をしてみたり(^^;;

 代表作が並ぶ中、個人的に一番印象的だったのは、三重・朝田寺所蔵の巨大な「唐獅子図」。珍しくストレートに簫白がこちらを向いて語っている、いや「吠えている」姿に感動した。お寺の中で見ると、受ける印象もまた違うんでしょうけど。

 

 

4/28

 月末だが、さほど忙しくなかったので、「ベルギー象徴派展」でも見て帰ろうと、Bunkamuraに行 ってみたら美術館の扉が閉じていた。……あっ!今日ってまだ木曜だったっけ。

 「週末」=夜間開館、だとばかり思い込んでいた。こんなことなら、思い切ってもっと早く切り上げて、「シブヤ(4/28?)の日」で本日千円らしい映画でも観に行けば良かった。「コーヒー&シガレッツ」とか。

 気を取り直して、Book1stに寄り、雁須磨子「どいつもこいつも」2,3巻を購入。店員から、サイン会の整理券を差し上げてますが?と訊かれる。勿論、可能なら是非会ってみたいタイプの作者なのだけど、5/4の午後2:30だと、どう考えても 、まだ東北にいる筈なので、諦める。こんなところにまで、今年の桜の開花遅延の影響が及ぶとは(^^;;

 ちなみに、Book1st渋谷店では、5/14に上條淳士のサイン会も予定されているようで、レア度という意味では更に興味を引いたが、しかし、上條淳士の場合、作品はともかく、作者本人には関心がないので、行ってもしょうがないかと。それ以前に、1巻しか買ってない「sex」新装版を早く揃えるべきでは? >私。旧版の2冊はかなり読み耽ったのに。

 

4/27

 結局、どうしたのかというと。4/29夜発の相鉄バスをキャンセルし、5/3夜発の小田急バスをネットで予約した。今日も開花しなかったらしいので、実はそれでちょうど良い位かも。

 ちなみに、日程を延ばしたお陰で、4/30夜のBS-Hiの「パルシファル」の放送をゆっくり見られそうなのは大きなメリット。もっとも、4時間という長さには、見ながら寝ちゃいそうだ…

 

 感想をまだ書いていない展覧会が、既に8つ位(^^;;溜まっているので、この週末こそ何とかしたいもの。…全部は無理だと思うけど。

 

4/26

 角館では今日も開花せず… 明日に開花しても、その後も気温は低めらしいので、30日だとまだ碌に開いていそうもない。ここはキャンセルという名の戦略的撤退が必要かと。

 GW後半に日を変えるとすると、5/3の夜行バスで5/4到着となるのだが、この分だと満開は5/2辺りだろうから、そこまで満開で保つかは微妙。かといって、5/2の会社帰りに夜行バス (で5/3到着)というのも強行軍だし(私服を予めコインロッカーに入れておく必要が出てきたりするのが面倒)、どうしたものか。

 というか、そもそも、空席がまだ有るのか不明。小田急バスだと5/3発ならまだ残っているようだけど。う〜ん、まさかこの時期まで桜の開花状況を気に病むとは思わなかった。

 

 Comics。菊池直恵「鉄子の旅」1〜3巻。今さらですが、面白いですね、このシリーズ。3巻目ともなると、キクチさんが横見さんに対して、結構、容赦なく駄目出ししているところとか。ちなみに、私はテツな属性は殆どありません。

 

4/25

 昨日のページに、全体図も無いと画竜点睛を欠くかもと思い、「太陽の塔」の京都全体図を追加してみた。「四畳半神話大系」は全体図は必要なさそうなので、その代わりに、とある地図を1枚追加。まぁ、どちらも小説自体を読んだことが無い人には、殆ど意味をなさない地図なんですが…

 

 展覧会の予定については、ここ2ヶ月位の物については、最近はbloc上にまめに登録するようにしているが、時期がまだ先の、詳細が不明な物については登録するのも微妙。ということで、それについては引き続き、自分のところにとりあえず載せておくことにする。

 ちなみに、詳細が不明な中では「ダイムラー・クライスラー・コレクション展」「川端龍子展」「サイモン・コレクション展」「シュバンクマイエル展」辺りが、割と気になっている展覧会。

 

 角館の桜。4/29発の夜行バスのチケットも購入済みで、あとは行くだけ。なのだけど、今日現在でまだ開花していない、というのはさすがに予想外だった… このままだと4/30でも満開近くにもならない?

 

4/24

 曽我簫白展含め、溜まっている展覧会の感想を一挙消化しようと、朝起きた時は確かに思っていたのに。気が付いたら、こんなもの↓を半日掛けて作っていた(^^;;

 「森見登美彦作品の舞台について」

 今回の京都行きの目的の3つ目が実は、彼の小説「太陽の塔」「四畳半神話大系」の現場検証?だったので、その結果を、いわば復習として書き込み出来る地図が無いかな、と探してみたらMapionが使えそうなので、試しに作ってみた。もっとも、地図は一ヶ月間しか保有出来ないらしいのが残念。

 どうせなら、現地で写真も撮ってくれば良かったかも、と今頃気付いたが、でも余りにそのまま過ぎて、色々まずいような気もするし。

 ともあれ、かつての地元を、新たな視点で歩くのは非常に楽しかったのだけど。時計台裏の中庭の池が無くなっていたことだけは、すごくショックでした…

 

4/23

 アニメ「ハチクロ」。自転車の車輪が回っているイメージカットが繰り返し登場する度に、「無法松の一生」?と突っ込みたくなるのは私だけ?

 そういえば、フィルムセンターでは現在、稲垣浩の生誕百年特集らしい。稲垣浩以外にも今年は「生誕百年特集」として斎藤寅二郎、中川信夫、野村浩将、成瀬巳喜男、豊田四郎を上映予定らしいが、フィルセンターに通う程、映画に時間を費やす暇は今の私には無いので、指をくわえて見ているだけに終わりそう。中川信夫とか興味有るんですが。

 

 東京国立近代美術館の年間スケジュールを改めて見ていたら、下の方に、来年の開催として「藤田嗣治展」の文字が。

 うわ、気付いてなかったけど、これって、かなりセンセーショナルな出来事なのでは? 「なぜ開けない藤田嗣治展」という記事にもある通り、著作権者の夫人が長らく拒んできた筈なのだけど、一体何が起きたのか。ようやく説得されたとか?

 近代美術館なら保有している(正確には半世紀経った現在も米国からの「無期限貸与」扱い)戦争画を含む、全体像を捉えた藤田展が開ける筈で、まさに理想的。近代美術館には(他では難しい)こういう企画の実現こそ、期待しているわけですよ。あの「ゴッホ展」だって、そういう企画を実現するため敢えて行った集金イベントなんですよね?

 

 天気も良いので、都内の美術館巡り。根津美術館「唐絵の屏風」、太田記念美術館「太田コレクション 歌川広重のすべて 第一部」、原美術館「タピエス展」。…さらに宿題が積み重なっていく私(^^;;

 

4/22

 行ったのは会期の2日目だったので、ほとんど一ヶ月前だったりします。

 

Art ゴッホ展 東京国立近代美術館 2005.3.23〜2005.5.22

 会期冒頭、かつ木曜の夕方だったので、静かで空いていたのだけど、 それだけに、若い夫婦が連れてきた小学生の男の子の話し声(「ゴッホさんが… ゴッホさんは…」)がかなり気に障った。ずっと喋り続けている。その内いなくなるだろうと、「夜のカフェテラス」の前のイスに座って、隣室 から声が聞こえなくなるのを待っていたのだが。

 何故か、父親と一緒に戻ってくる子供。しばらくして隣室に消えるも、子供の声は相変わらず響いてくる。そして、今度は母親と戻ってくる子供… 実は会場が隣室までしか無かったため (狭い…)、会場から出たくない両親が子供を連れ回していたらしいのだけど、ゴッホを見せて情操教育をする前に、公共施設でのマナーを躾ることの方が遙かに大事なのでは?

 という事情もあって、「夜のカフェテラス」を座ったまま、15分以上ぼーっと眺めていたのだが、図譜を抱えた人が通り掛かった際、その表紙と目の前の実物が、カフェの黄色に関して余りにも違っていたのには驚く。

 実物は黄緑がかった山吹色とでもいう感じの黄色だが、図譜の表紙の「夜のカフェテラス」はオレンジ色と言った方が近い暖色の黄色。全然、違う。

 例えば「栄光のオランダ・フランドル絵画展」では、フェルメールの絵からクリームイエローと黒を強調していたように、今や展覧会のPRに当たっては、目玉となる作品から抽出したテーマカラーを強く打ち出すのが、マスメディアの常道となっていて、この展覧会では明らかに「夜のカフェテラス」の黄色がテーマカラーなのだが、その肝心な色が 実物とこれほど違うというのはどういうことよ?

 現代の印刷技術でも完全な色の再現は不可能だとしても、普通なら、もっと拘るところ。むしろ、イメージ戦略上、故意に色を変えたのでは、という気がするのは私の邪推だろうか。つまり、実物の黄色より、このオレンジ系の色の方が、言ってみれば、遙かに押しが強い、 温かみのある「売れる」色なのだ。

 NHKプロモーション東京新聞東京国立近代美術館と、ど こでもオレンジ色が強く打ち出されている(それにしても近美の図像の色は酷過ぎる)。多分、確信犯なんだろう。こういう売り方を平気でするメディアや美術館は絵への愛がないのでは ?と(ゴッホ好きでない私でさえ)思ってしまう。 図譜と比べれば、山吹色系の地を付けたチラシは誠意が窺えるけど。

 

 しかし、そういう宣伝の甲斐あってか、あるいは「ゴッホ」には今なお神通力が有るのか、最近見に行ってきた親の話だと、平日の昼でも激混みらしい。輸送バスからどんどん人が溢れてくるとか、入るまで30分以上待たされるとか、入っても人が多すぎて絵には近付けないとか、そんな話ばかり。

 見ることが悪いとまでは思わないけど、行列して見るほどの展覧会では無いな…

 

4/19

 復刊ドットコムで紹介されていた、池袋リブロで5/13に開催予定の天澤退二郎講演会。

 先日の千葉での講演会は悩んだ末に(遠さから)諦めたばかりなので、今度こそはどうしても聴きに行きたい、と電話で問い合わせてみたところ、電話予約OKだったので、即予約。残された問題は、当日7時までに池袋まで辿り着けるかということ。

 …あ、そういえば、来月は6日も20日も夕方7時から見に行くライブが有るんだった。3週続けて金曜日の6時過ぎに退社するなんて、果たして出来るのか、私。

 

 先週末の京都行きの目的の一つは勿論、京都の垂れ桜。撮ってきた写真だと、こんな感じ(26枚)。

 今年は噂に聞く原谷苑に初めて行ってみたのが、新たな経験だった。行きのバスが1時間に1本しか無くて、その壮絶な混み具合に地獄を見た(それにしても、「おばさんの団体にギュウギュウに押しつぶされる地獄」 に逝くのだけは死んでも御免被りたいと思った)りしたが、確かに艱難辛苦を乗り越えて一見するだけの価値は有った。ただし、思っていたより遙かに俗っぽい花見スポットだったというのが率直な感想で、一度見ればもう良いやという気も。

 でも、半木の道や平安神宮の桜を、今年も見ることが出来たので(やや遅かったけど)、個人的には満足です。

 

4/18

 今回、久し振りに寄ってみたのが下鴨神社。世界遺産となったせいか、境内のあちこちに妙に真新しい案内板が増えていて、例えば、縁結びのシンボルとして「連理の賢木」が「京の七不思議の一つとして、古くから有名」 などと説明されていた。なるほど、よく見ると、2本の樹が途中でくっついて1本になっている。

 たまたま同時に眺めていたどこかのおじさんが、「今でいうM&Aという奴やな」と一人で納得していた。いや、あの。おっちゃん、無理に「今の物」に例えんでええから。

 ところで、この「京の七不思議」。土用の頃、御手洗池に水が涌いてくるというのもその一つというのだが、他の5つは何なの?と疑問に思うのは当然の成り行き。しかし、調べてみると「…寺の七不思議」は有っても、どうやら、(衆目が一致する)「京の七不思議」など元々存在し無い様子。「世の中には不思議なことなど何ひとつないのだよ」(違)。

 ちなみに、下鴨神社のサイトを見ると、「鴨の七不思議」として紹介されていた。…やっぱり、下鴨神社限定のローカルネタじゃん。

 

4/17

 京都での2泊3日の旅行より帰宅。素敵で楽しい時間でした。桜も、垂れ桜には何とか間に合って。

 この日記的には何よりまず簫白展の感想を書くべきなんでしょうけど、一言ではとてもとても。展覧会としての質量に圧倒されるという意味では、早くも今年のベスト候補かも。図録も嘗ての若冲展と同 じく400ページ。展示替えは後期も恐らく凄い作品が有るとは思うけど、前期(〜4/24)のみの三重・朝田寺の巨大な「唐獅子図」(重文)が今回一番印象的だったので、両方行ける余裕が有る人なら、前期も行っておくべき。簫白が吠えている、としか表現のしようが無い感情の迸りは、実際にその前に立ってみないと分からないと思うので。

 その他の話は、また落ち着いた時にでも。今度の週末辺り?

 

 新日曜美術館で「アルノルフィーニ夫妻の肖像」の特集。

 この夏、英国に行こうと思っている最大の目的が、実はこの絵であるだけに、再放送分を興味津々と見たところ、思っていた以上に薄口な紹介だったのは残念。まぁ、日本に来る見込みなど全くないヤン・ファン・アイクを、新日曜美術館で特集することだけでも快挙といえば言えなくもない 。

 

4/13

 この週末、そうだ京都、行こう。

 ということで、おもむろに宿を取ろうとして、土曜の夜は京都中のホテルというホテルが既に満室であることに初めて気付く。あれだけ泊まるところが有るんだから、まず大丈夫と高を括っていたのだけど、ちょっと甘かったか。観光客の大襲来、恐るべし。でも、まぁ、この時期さえ、満室にならないようでは、京都の宿としては、確かにどうしようもないかも。

 この際、京都市内での宿泊は諦めて大津に泊まる、といった裏技まで検討したのだけど、冷静に再検討した結果、松ヶ崎の某宿泊施設に部屋が残っていてしかも安いことに気付いたので、即予約。些か辺鄙な所にあるのは否めないが、私にとっては一応、馴染みのある地域だし、街中の狭い路地裏の小旅館よりは遙かに風情があると思われるので。

 といったことや、まだ垂れ桜にはどれくらい期待出来るんだろう、といったことで、頭を悩ませているので、今週も更新をしている暇がないのです。

 

 ところで、今回の主目的である曽我簫白展の展示替え一覧(ようやく出た)。大雑把に言って、4/24までと4/26からに二分される様子。122点中、後期のみの展示が24点。もう一回来たいところだけど、24点のためにというのは、自分的には厳しいかも。 

 

4/10

 結局、この週末は、例年通り、近所の散策のみ。近くの霊園の高台から、山桜で華やぐ近所の丘陵を見渡す時ほど春を感じることは無いので、これはこれで良いけど。

 周りの桜並木は、既に花吹雪。咲き始めて4日後には既に落下盛ん、て今年はやっぱり異常。

 ところで、散りゆく花や花吹雪を愛でる感性というのは、かなり日本的な気がするのだけど、西欧にも似たような美意識は有るのか、ふと気になった。雪が降り出す瞬間の描写で近いものを感じる映画もあるので、日本独自とも言えない気はするのだけど、西欧の絵画や小説でそういう描写がされているのって、すぐには思い付かない。

 もっとも、日本も紙吹雪といった芝居の演出によって初めて様式化された美意識という気がしないでも。そもそも紙吹雪はいつ頃発明された演出なんだろう。…あ。桜ではなくて文字通りの紙吹雪なら、リンドバーグ凱旋時の歴史的な映像を初めとして、アメリカンエイジの象徴だったんだっけ。

 ああいうドカドカな紙吹雪と、はらりちらりという花吹雪を一緒にしては駄目か。散りゆくものに対する美意識という原点に立って比べないと。探せば、誰が調べていそうだけど。

 

4/9

 人が来ない内にと、6時に起きて住宅地の桜並木を一周。あいにく曇っていて、一向に冴えなかった。せっかく早く起きたのに、と損した気分。

 戻ってきて、LIVE! ECLIPSE 2005のライブ中継に接続。 金環食の1分前にぎりぎり間に合う。前回の中継では全く繋がらなかったが、今回はlow回線だけは繋がり、金環食の瞬間を無事にライブで見ることが出来たので、ちょっと得した気分。でも、こういう映像って、アニメのOPみたいだな…と思ってしまう自分がやや哀しい。

 

 夕方からは、新国立劇場で「フィガロの結婚」。一昨年話題を呼んだモダンな新演出での再演ということで、興味津々。

 第1幕、スザンナとマルチェリーナの争いに巻き込まれ、二人に突き飛ばされて左右の壁に何度も激突するバルトロの姿に、よ、吉本?と思いつつ見ていたら、第2幕の最後、登場人物を乗せたまま、ガタンと大きく傾く舞台セット(周囲の壁と床)。…ドリフだったのか。いや、まぁ、既成の社会的な価値観が崩壊していく瞬間の表象なのは分かりますが。

 なるほど、モダンな演出でこそ、本質がより現れる作品といえるかも。オーソドックスな演出での名演も一度観てみたいけれど。

 ただ、個人的にはフィガロの声の感じが期待と少し違う感じで。抱いているのは、もっとユーモアというか陽気さが表に出た声のイメージなんだけど。それは「セビリア」の方だけ?

 

4/8

  帰宅してから、住宅地の桜並木を一通り歩く。強い照明は所々しかないから、夜桜鑑賞というほどよく見えないのだけど、頭上の空に満開の花の重さの気配を感じつつ歩くのは、この時期にしか出来ない愉楽 。

 

4/7

 久々に仕事が割と早く片付いたので、帰りに日本橋タカシマヤで「ルネ・ラリック展」を見る。夜間入場(400円)でちょうど良い位の展示内容だけど、エミール・ガレよりは親近感を感じた。感想は後日(更に積み重なっていく…)

 

4/6

 朝出掛ける時は、周りの桜並木はやっと咲き始めたばかりだったのに。夜帰ってきてみたら全て満開近くまで開いていたのには驚いた。ええと、誰か「花咲GG」でも使ったのかと。

 

 今年の目標である角館の桜見は、昨年の人出第3位(第1位は弘前、第2位は上野)という混雑振りを考えるに、早朝到着こそ勝利の鍵と思われるので、やはり夜行バスを使用することに。この時期の関東からの夜行バスは相鉄バス小田急バスの2系統なのだが、後者だと到着が朝の5時半。…幾ら何でも早過ぎるわっ、ということで、横浜から乗れる相鉄バスをとりあえず予約。

 ちなみに、帰りは基本的に新幹線で、そのまま寝て帰ってくる予定だけど、途中、北上展勝地に寄るかどうかで悩み中。

 とGW前半は、方針(だけ)は決まったのだけど、それより前に、まず来週週末の京都行きの予定を立てないと。まぁ、京都の場合、最低限、泊まるところさえ決めておけば、後はどうとでもなりますけど。

 そして、それより前の更に前、関東甲信越の桜を見に行くなら、この週末に予定を入れるしかないのだった(^^;; といっても、土曜は新国で「フィガロ」、実際に可能なのは日曜だけなので、日帰りで何とか行けそうなところというと… わに塚の桜とか? 当日の天気(と気力)次第か。

 

 ルーブルでモナリザ部屋が出来たとか日テレ等が宣伝していたけど、防弾ガラスは当然としても、更に外側に(写真で見る限り)半径数メートルの半円の柵が置かれて余り近付けなくなった様子。あの距離では「実際に見る」意味ってあんまり無いような。…もう一度行こうとは、特に思っていない私が、つべこべ言うことでも無いですが。

 

4/5

  今週も忙しくて、なかなか更新出来ません…

 先月ブッキングで再刊された、天沢退二郎「ねぎ坊主畑の妖精たちの物語」を読む。これでオレンジ党シリーズ関連の作品は一通り読了。前にも書いたように、このシリーズに関しては「覚え書き」か何かを作って、もう少し丁寧に読んでみたい気もするのだが、その暇が今どこにあるかというと…

 

 NHKの新番組の中では「世界ふれあい街歩き」という番組が、地味で良さそうなのだけど、先週に続き今週も帰宅が間に合わず(BS-hiは視聴可能だが、録画環境にないので)。先週・今週はヴェネツィアだったので、是非見てみたかったんだけどなぁ… でも、まぁ、公式サイトを見ると、土曜夜にも再放送するし、いずれはBS−2でも放送するようだから、そちらでチェックすれば良いのか。

 

4/4

 府中市美術館で開催中の「百花の絵−館蔵の江戸時代絵画と関連の優品」(〜4/17)、鳥野さんも紹介されていた群馬県立館林美術館の「植物画の世界−高知県立牧野植物園所蔵作品を中心に−」(4/16〜6/12)、東京ステーションギャラリーの「五百城文哉展」(7/16〜8/28)と、今年は何故だか、ボタニカルアートの展覧会が花盛り。

 その中でも、本命はやはり、東京藝術大学大学美術館の『英国王立園芸協会創立200周年記念「500年の大系:植物画世界の至宝展」』(6/11〜7/18)かと(情報先:英国大使館ニュースとか英国王立園芸協会日本支部内の公式サイト辺り)。

 個人的には、同時公開の芸大コレクション展「柴田是真−明治宮殿の天井画と写生帖」の方が、更に要注目ですが。柴田是真の下絵・写生帖というと、これですよね。

 

 ところで、展覧会のお知らせに関しては、全然積極的ではない芸大のサイトだけど、「おれおれ詐欺に注意して下さい!」(教員、学生が「おれおれ詐欺」の被害にあいそうになる事例がありました。皆さん十分に注意してください。)とか「詐欺に注意」とか、職員・学生向けの注意喚起には割と熱心。大学が親切なのか、職員・学生が間抜けなのか。

 

4/3

 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「時の彼方の王冠」読了。

 なるほど、前3作を統合する作品で、前3作の主人公も揃い踏みだ、って今までとは随分雰囲気が違うのは、書かれた年代が違うからか。 前の一歩引いた感じの文章も結構好きだったんだけど。

 単体の作品では決して味わえない重層的な面白さを堪能。絶対、前3作をもう一度読まないと。こうなると知っていたら、それぞれの作品の印象は全く違ってくる筈なので。

 とりあえず、とある人物のその後については(恐らく他の人同様)、かなり失望。人は変わるものだ、というジョーンズらしいリアリズムだとはいえ。言ってみれば、「ナルニア 国ものがたり」のシリーズ後半、大きくなったことで心が固くなり、ナルニアに来れなくなった上の兄弟達に対する(読者としての)失望 、みたいな感じ?(その例えで何人の人が分かるというのか)

 

 ちなみに、当デイルマークシリーズの1〜3巻までの感想。(4巻の詳細な感想もいずれこちらに)

 このシリーズは構想の雄大さと緻密さから、やはり、彼女の代表作といって良い作品だと思う。その容赦のないリアリズムには、「十二国記」を連想したり。特に「時の彼方の王冠」は今までバラバラに見えたピースが見事にまとまる辺り、「黄昏の岸 暁の天」を思い起こさせる。

 …そういえば、続きがなかなか出ないな>「黄昏の岸 暁の天」。まぁ、このデイルマークシリーズも3巻の後、「時の彼方の王冠」が出るまで14年掛かったらしいし(^^;;

 

4/2

 目黒区美術館の『「川村清雄」を知っていますか?』を見る。もっとも、感想は前週の続きだけ。

 美術館前の目黒川では、数組が花見の宴会中だった。ちなみに、川沿いの桜並木はまだ全く咲いていなかったのだけど、勿論、誰も気にしている様子は無かった。

 

Art ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展  国立西洋美術館 2005.3.8〜2005.3.29

 残された真作が極めて少ない中、その半数が揃う、「ラ・トゥールのほぼ全貌を見せる日本初の展覧会」が売り文句らしいが、実際に見た結果、その「全貌」がますます分からなくなった、というのが多数意見なのではないかと。

 数が少ないだけに、模作も幾つか展示されていて、出来の悪いラ・トゥールの模作は他の画家の以上に品が無くて気持ち悪い、ということも分かったのだが、しかし、肝心な本人の絵も、昼と夜という有名な作風の違いだけではなくて、作品によって、部分によって、出来に差が有り過ぎ。

 特に手の描写がぞんざいな作品が多くて。これが本当の手抜き、とかつまらない駄洒落をつい思い浮かべてしまったほど(^^;;

 でも、「聖ヨセフの夢」や「荒野の洗礼者ヨハネ」が対面する人に与える強固な静寂は確かに凄くて、暫く動けず。この2枚のためだけに料金を払っても惜しくはないかと。

 

Art 特別公開 中宮寺 国宝 菩薩半跏像 東京国立博物館 2005.3.8〜2005.4.17

 本館中心部の特設ステージ?に安置。四方八方から見つめられるなんて、困っちゃうな、もう。 といった感じのはにかんだ表情が何ともチャーミング。後背を支える竹が、かなり斜めに立っているとか、後ろ側から見ると新たな発見があるのも面白い。

 ところで、最も美しいのは、前方右側からのお姿だと思う(写真も大抵そう)のだけど、本来はやはり、正面から拝むべきものなんでしょうか? 

 

 

 最終回の残り。「ファンタジックチルドレン」「月詠」「厳窟王」、いずれも綺麗な終わり方。「ファンタジックチルドレン」は、セスが報われなかった場面で、いよいよ「パルムの樹」並にダークサイドまっしぐら ?と思っただけに、よくまぁ、あそこからエンターテイメントの平原まで無事戻って来たなと、違う意味でハラハラさせられたのが一番印象に残っている(^^;;

 そういえば、「パルムの樹」も一種の転生譚だったような。今見直すと色々面白そうではあるけど、…やっぱり苦痛だろうな。

 

4/1

 ここ数日、駅や車内、あるいは新聞紙上と、あちこちで見掛けた日テレのジャイアンツ戦中継開始のポスター(「ゼロから」というコピー入り)。

 筏上の群衆(選手達)というドラマティックな設定に、どうしてもジェリコーの「メデューズ号の筏」を連想してしまう。勿論、各人のポーズ自体は全然違うのだけど、空と海の色調の類似と言い、制作者が意識していないわけがない。恐らくは 人目を引く画面構成だけ借用した無思想なポスターなんだろうけど、ペナントレースの行く手に待ち受けているのは死屍累々、という意味まで暗示されているようなら、幾らなんでも諧謔が効き過ぎだ、とは思った。

 野球には興味が無いので、よく分からないんですが、今年の巨人は、そんなにも悲観的な状況なんですか?

 

 「舞-HiME」最終回。…エイプリルフール?と思ったのは私も同様で。物語の連続性より、各話のインパクトだけを狙い続けたような展開は、TVアニメとしての妙な華が有って、物語として完成度の高かった「ファンタジックチルドレン」などよりもむしろ 毎回楽しみにしていただけに、取って付けたようなこのベタな終わり方には、やはり勿体ないなと。

 こういうのは視聴者側で勝手に補完するから(楽しいのであって)、本編でわざわざやらなくても良いのに。というか、24話冒頭で既にやってたじゃん。エンディングを複数用意していた昔のハリウッド映画並に、「そして誰もいなくなった」鬱エンドバージョンとか別に作って、最終回のDVD特典として収録して貰えないかなぁ(^^;;