空の蒼さを 見つめていると


2002年6月

6/30

 ある日の会話。

  「なぁ、結局、マルク・シャガール展は行かへんの?」「う〜ん、行かないかも」「主催が日本テレビだから? globeがイメージソングを歌っているから?」「私は、そんなことで行かないほど心狭くないよ」「そぉ?」「うん、浦賀水道くらいは広い」「…?それって明石海峡より?」「もっと狭い」「 めちゃくちゃ狭いやん!」

 「なら、何で?」「う〜ん、シャガールってさぁ…」「何?」「シャガールの絵って、ロシア革命から逃げてきた白系ロシア人が開いた洋菓子屋のお菓子みたいだとか思ったことない? モロゾフとかゴンチャロフとか」「今、モロゾフ家がやってるんは、コスモポリタンだけどな」「え、そうなの?」「けど、シャガールってユダヤ人で、確か、元々国外に出てたのが たまたま戻ってる時に戦争が起きて、そのまま革命後もソビエトに残ってたとかと違う?」「そうだっけ(調べている…)。あ、本当だ」「全然、逆やんか」「あれ、国を出て、というのは…」「それはその後。 パリに移り住んだけど、ナチスが来たんで、アメリカに移住したという」「まぁ、良いや」「良いんか!」

 とにかく、私が今見ても仕方ないような気がするので。最近、甘いものは食べないようにしているし。決して、嫌いではないんですけど。

 

 「ケルト人 −蘇るヨーロッパ<幻の民>」 クリスチアーヌ・エリュエール 創元社

 「知の再発見」双書の一冊として、紀元前の「大陸のケルト」の遺跡から発掘された出土品を中心に、豊富なビジュアルが楽しめる「目で見るケルト」。ケルトは、書き文字を拒否した民族であったため、隣のローマ人からの偏見に満ちた文章以外に、その文化を知るには「見る」しかないわけで、この双書の性格とは割と合っているのかも。

 内容的には、ローマのカエサルとケルトの族長ウェルキンゲトリクスの戦い、そして彼の降伏について多くのページが割かれているのが目に付く。著者を含むフランス人にとって、ガリアの英雄であるウェルキンゲトリクスこそが、ケルトの象徴たる 人物なのだろうか。

 

 ところで監修の鶴岡真弓は序文で、メンデルスゾーンの「序曲・フィンガルの洞窟」について触れている。3世紀スコットランドの伝説的な王フィンガルを世に知らしめたのは、18世紀後半の文学者マクファーソンの「オシアンの古歌」であり、1832年に「序曲・フィンガルの洞窟」が初演され、喝采を浴びた時には、「フィンガル」 は北方世界という西欧のもう一つの源を思い起こさせる言葉として既に一般に広く了解されていたことを指摘している。「ケルト復興」とはその頃から続くムーブメントであるという。

 ふむふむ。だけど「フィンガルの洞窟」、どんな曲だったっけ… 何か名曲アルバム的な曲だったような。それどころか、実際に番組で洞窟の映像を見たような気さえするのだけど、肝心な曲が 思い出せない。というわけで、廉価版のCDを買ってきた。

 …あ、これかぁ。バイオリンが感傷的な主題を奏でて、低音がモゴモゴモゴモゴと入る奴(そんなんで分かる人はいません)。なるほど、これがケルト的なイメージか。だけど、個人的には、同CDに 入っている「劇音楽<真夏の夜の夢>」の「結婚行進曲」が(160年も前の曲だというのに)、今でも何とかの一つ覚えのように結婚式で使われ続けていることの方がもっと驚くべきことのような。

 

6/29

 「アベノ橋魔法☆商店街」。結局、これだけの作品でしかなかったか… 物語の閉じ方が間違っているのは、作品としては一番まずいわけで。

 

Cinema サム・ライミ スパイダーマン  新宿オデヲン座

 先週の平日の夕方に、ようやく観る。時期を逸して、もはやガラ空きの寂れた場内。サム・ライミを観るなら、やはりこうでなくちゃ。

 世評通り、しみじみ良い映画。ただし、肯定的、否定的、どちらの評価にしろ、サム・ライミらしくない普通の映画、という人が多いのは何故? おかしいな、久々にサム・ライミらしい、と感激して観ていたのに… そりゃ、本来「泣けるところ」が「笑えるところ」になってしまう、 いつもの過剰な表現(「ダークマン」だと、アドレナリン大爆発とか)は今回は目立たなかったけど。でも、これって要するに「帰ってきたダークマン」。やっていることは同じだ 、と思ったのは私だけ?

 もっとも、あの「ダークマン」も決してB級映画ではなくて、実は「コロンビア(かどこかの)75周年記念作品」だった筈。そういう記念に、こんな、いじけたハッピーでない映画を作って良いのかと、映画館で見終えた時に真剣に思ったのを覚えているので。あの時もえらく閑散としていた。いや、私としては非常に好きな映画なんですけど。

 

 ところで、どちらもダニー・エルフマンが悲しげに盛り上げるから、ではないけど、いわゆるオタク系監督のヒーロー映画ということで、ティム・バートンの「バットマン」シリーズと、かなり近い雰囲気の作品なのは、当然といえば当然。それだけに却って、微妙な違いが気になるところで、何が違うのかを帰りの電車でつらつら考えていた。

 「世界」の把握・提示の仕方の違い。バートンは、箱庭としての世界を描き続けている監督なので、オモチャのような街を俯瞰で一望するシーンが大抵入る。しかし、サム・ライムには、世界を一望する欲望は感じられない。化け物の主観で被害者に迫る、お得意のシーンの撮り方も、つまりは横移動。…だからスパイダーマンもひたすら横移動?

 登場人物がヴァネラビリティを備えた苛められっ子なのは共通。ただし、バートンの場合、共同体に認められない外部の「モンスター」であるという悲しみ、あるいは、共同体からの「捨て子」であり、本来得られる筈の愛が失われてしまったという、幼ない頃から引きずっている理不尽な怒りが、感情の核にあるのに対し、サム・ライミは、元々は普通の人が(自分の責任ではない事情で)普通の人ではいられなくなってしまう悲しさ 、あるいは可笑しさ?を描いているように見える。

 映画的な記憶でその祖型を辿ると、ティム・バートンはやはり「フランケンシュタイン」の悲しみ。サム・ライミは、ロイドやキャプラ映画でのジェームス・スチュワートといった普通の人が最終的に成功する話、の屈折版?

 だから、「バットマン」での真の主役は、実は悪役の方。中でもペンギンマンは非常に魅力的なキャラクターだったけど、「スパイダーマン」では悪役が必要悪でしかないため、グリーンゴブリン はいささか魅力に欠ける。

 …パッと思い付くことは、これくらい?

 

6/28

 サントリー美術館は、閉館時に、受付のお姉さんが机の上に、シロホンのようなものを出してきて、本人がそれを叩いて、チャイムで閉館を知らせる姿が、実は一番見どころだと思います(^^;;

 

Art 京都最古の禅寺 建仁寺  サントリー美術館 2002.6.4〜2002.7.7

 後期は、宗達「風神・雷神図屏風」の展示期間。予想はしていたものの、金曜夕方にこうも混むとは… ここで、ロッカーが塞がっていて使用出来なかったのは初めて。思わず、そんなに皆、国宝が好きなのかよ、と毒づきたくなる。…まぁ、好きなんでしょうけど。

 まず肝心な「風神・雷神図」だが、実物を見ても、世間で流布しているイメージと印象が変わらない。「知っている絵を見ることしか関心がない人」には安心して見られる作品? 間近で見ると、痛みが激しいことに驚かされる上、風神の髪の毛が 思った以上に剛毛だ、といった発見も有るのだけど、混雑した中では、有り難がって見る絵と違うだろ、みたいな苛々が先に立つ。空いている状態で見たら、凄く好きになれる気はするのだが。

 若冲の抜けた後には、芦雪と簫白。どちらも優れた作品で、特に簫白の山水図は数少ない絹本として貴重。一見、簫白には珍しい端正な描写に見えるのだが、子細に眺めていると、描かれた人の数がどう見ても多過ぎる等、世界が微妙に常軌を逸しつつある 気配と、それを厳格な線で必死に押さえ込んでいる緊張感に次第に息が出来なくなっていく、簫白らしい異様な傑作。

 

6/27

 「フィギュア17」、完結。

 最終回は(秘かに期待したような)特別な傑作、とまではいかなかったけれど、それでも、シリーズを締めくくるのに相応しい、綺麗な終わり方。シリーズを通して、これだけのものを見せてくれた作り手に感謝したい 、久々にそう思える作品でした。やはり、物語をきちんと語りきる、というのは、大切なことだと思います。

 

6/26

 小津のビデオ、「その夜の妻」。段々、面白くなってきました。

 

6/25

 高橋康也氏、死去。ルイス・キャロル関係でよく名前を目にした人だけど、自分の本棚を改めて眺めてみると、意外にも、高橋訳の「アリス」は一冊もなかった。「ルイス・キャロル詩集」(ちくま文庫)と「ヴィクトリア朝のアリスたち ルイス・キャロル写真集」(新書館)くらい。

 後者を捲っていて、ここでの高橋氏の文章−ハンプティ・ダンプティとアリスの会話に7歳という「少女である時」を止める欲望を読み取り、それをキャロルは「写真を撮ること」で実現したと指摘する−には、自分が割と影響を受けていることを思い出した。かつて、ベルトルッチに関してこんな文章を書いてしまったくらいには。

 

 「アイルランド」 ルネ・フレシェ 文庫クセジュ

 本文124P。うわっ、コンパクト! ただし、地名にしろ人物名にしろ、知らない人は置いていきますよ、な書き方に加え、直訳調の翻訳がまた、頂けない。つまり何が言いたいかというと、 新書にしてはえらく読み難いのだ。最初の一冊としては、お薦めできない。

 とはいえ、これがフランス人の手によるアイルランド史であるというのには、それなりに価値が有る。敵の敵は友達。伝統的に反英であるフランス人の見方として、当然、イギリスには厳しく、アイルランドには友好的。英国史観に慣れてしまった私たちには、まずはそれくらいの方が、バランスを取れる見方ではないかと思う。

 

 「図説 アイルランドの歴史」 リチャード・キーレン 彩流社

 一方、こちらはアイルランド人によるアイルランド史。「専門家でない人や観光客のために、入門書として書かれたもの」という(原書はどこの観光地の店でも売っているらしい)だけあって、もの凄く読みやすい。単行本なので前2冊よりは高いけど、最初の一冊としては文句なくお薦め。

 ただし、アイルランドの歴史上の独立運動の失敗者たち(沢山いる)に対して、浪花節的な思い入れを持って語るきらいがないわけでもなく、客観的な歴史の叙述というには、やや問題があるかも。いや、そう言いたくなる気持ちは良く分かりますが。

 それと、章の終わりごとに、訳者が補足説明を付けているのは親切だと思うが、訳者が、参考文献についても「注として」それら文章を「そのまま引用させて頂いた」というのは、姿勢としてどうなのか、と。それは既に、引用の範囲を超えているのでは?

 

 というわけで。アイルランド史を少し読んでみたが、読めば読むほど、一向に楽しくない(^^;; 革命で国王を追放!とか市民蜂起で独立を達成!といった盛り上がるイベントに欠けるのだ。そればかりか、「戦いを起こしたが負けて、支配が一層強まった」ことの繰り返し。暗澹たる思いに囚われ る。

 しかし、この島においては「滅亡した」という歴史もまた無い。この地に伝来したカトリックは、ケルト文化を取り込みつつ定着する。移民してきたイングランド人もゲール人と同化して、アイルランド人として英国に対抗するようになる。負けても一緒になってしまえば勝ったも同じ、という ような風土。何となく、日本人には親近感のわく世界のような気も。

 もっとも、その中で、唯一、同化を拒み、アイルランド的なものを敵視し続けてきたのが、北部のプロテスタント系住民なのだが…

 

6/24

 宇都宮まで、出張。

 というわけで、久々に車内で、NREのカタログを目にしたのですが、ごく普通の『「怪しげな健康食品」メインの通販雑誌』に変貌してしまっていたのは残念。それらしいものといえば、インスタントカメラ「チェキ」6,980円(開業当時の東北新幹線の生写真?3枚つき)位かと。そのおまけ目当てで買う人がどれだけいるのかは、私には見当も付きませんが。

 あ、餃子はちゃんと食べてきました。

 

 「物語 アイルランドの歴史」 波多野裕三 中公新書

 駐アイルランド大使を勤めた著者による、アイルランド史の概説書。任命時に歴史を予習しようとしたが、適当な本が見付からなかったのが、自分で書く大本となったらしい。

 スタンダードな、歴史の教科書、という感じで、やや真面目すぎるきらいはあるけど、実用的な一冊。最低、これくらいの内容は知っておくべきなのだろうと思う。

 

 ところで、近代の英国から見たアイルランド、というのは、戦前の日本と朝鮮 の関係によく似ている気がする。国内問題でもあり、国際問題でもある、という捻れ方が。

 「戦争の日本近代現代史」 加藤陽子 講談社現代新書

 ということで、泡沫の 日々で取り上げられていた本書にも目を通してみた。内容は先程のリンク先参照ということで(他力本願)、色々興味深かったのだけど、ただし、上記の問題に関しては、余り役に立たなかったかも。「外部としての朝鮮半島 」を安全保障上、いかに認識するかという時代の話は出てくるのだけど、朝鮮併合後の「内部でもあり外部でもある」時代の話は出てこないので。

 ちなみに、以前読んだ「アイルランド歴史紀行」によると、三・一独立運動後、武断政治からの脱却を模索した朝鮮総督府が、独立運動の先発国のアイルランドの事例を参考にすべく、特命調査官をアイルランドに派遣したことがあるという。 その報告書自体は、統治上、生かされることなく終わったらしいが、当時の統治者層も、その類似性を強く意識していたのが分かる。

 

6/23

  「アベノ橋魔法☆商店街」。最近の数話をまとめて。これってもしかしたら、80年代には効果的であった「パロディ」という手法の有効性がもはや死に絶えたことを実証してみせる のが目的で作られた作品なのでは?

 

 アイルランド月間の一環として、アイルランド史についての話を、週記の方へ少しばかり。

 

6/22

 アイルランドといえば、音楽を抜きにしては語れない。音楽抜きのアイルランド文化なんて、肉抜きの牛丼、クリープを入れないコーヒーのようなもの(…後者は、別に問題ない気もするけど。ブラックで飲む方が多いし)。

 というわけで。この機会に、多少なりとアイリッシュ・ミュージックを聴いてみることに。最初に購入したのは、「altan best of 1987-1993」、CLANNAD「Dulaman」、「The Best Of The Chieftains」の3枚。中でも、アルタンは非常に気に入って、最新作の「THE BLUE IDOL」も続けて買い、この夏の「アルタン祭り2002」も申し込んでしまう勢い。聴いていると、心の皺が、アイロンを掛けるように、ゆっくりと伸ばされていくような、軽やかな音楽と柔らかな歌声。

 次は、メアリー・ブラック、ドロレス・ケーンといった有名な女性シンガーの作品から、まずは選ぼうかと。今まで、それこそエンヤくらいしか買ったことが無かった私としては、目の前に新たな世界が開けたようで、新鮮な楽しさが。

 

Art 相國寺 金閣・銀閣秘宝展  静岡県立美術館 2002.6.8〜2002.7.14

 展覧会を見に行くには静岡は遠い、とは思ったのだが、若冲の襖絵だけは見ておきたい気がしたので、往復一日掛かりで。

 当たり前ではあるが、日本の場合、財力を持っていたのは寺社だったことを再確認させられるお宝ぶり。明の皇帝から義満に与えられた勅書とかまで保管していたりする。中国の勅書は、五爪の龍の絵入り(透かし?)の紙を使っているのだった。ちょっとお洒落というか、ファンシーな感じ。キャラクターのイラスト入りメモ用紙とかに 、有る意味、似ているかも。

 若冲の襖絵は表と裏があるということで、片側ずつの公開。しまった、展示替え後にも来ないと、反対側は見れないのか… 今回は葡萄とか秋海棠とか。秋海棠の茂み、それも上 部だけが襖の下枠から僅かに顔を出しているように描いている(従って、画面の大半は空白のまま)構図は、やはり凄い。

 若冲の絵はどれも、意表をつく、というのが特色だと私は思っているのだけど、それはしかし、そういう構図の奇抜さということ以上に、細部に目をこらした時の描き方に関して。見れば見るほど、どこからそういう風に描くことを思い付いたのか不思議でならない箇所が出てくる。あるいは、そういう風に省略することを、というべきか。

 それは同時代の応挙が、なるほどこう描くのがベストだろうと、見れば見るほど「納得出来る」描き方をしているのとは好対照。勿論、どちらも日本の絵画史上、極めて「うまい」画家なのだけど、あえていえば、応挙は「上手い」で、 若冲は「巧い」ような 。

 等伯の「竹林猿猴図屏風」も、いかにも「等伯らしい」傑作。…もっとも、霧深い竹林に南方の手長猿がいる風景など、実際には有り得ないと思うが、それはそれとして。

 

6/21

 帰りに、ヤマギワソフト館へ。目的のCDは無かったのだが、せっかく来たので上のフロアで、COWBOY BEBOPのCD−BOXと、ついでにラーゼフォンの1巻を購入。

 家に帰って、封を開けると。前者は見当たらず、代わりに入っていたのは、「おねティー」3巻。

 ……何故?? あの、ひょっとして、これが「売れている」理由?(多分、違います) あの店員に、私がどうせ「そういう客」だと(渡した見本を無視するくらいに!)勝手に思い込まれた、ということだと思うのだけど。それって、何か、凄くショックなんですけど…

 

6/20

 来週以降、久々に出張の予定が。とりあえず、宇都宮と広島。ということは、餃子に、お好み焼きか。…あ、それが目的、というわけでは勿論、無いですが。

 

Art 京都最古の禅寺 建仁寺  サントリー美術館 2002.6.4〜2002.7.7

 昼休みの僅かな時間を利用して。なので、2回目の今回は、展示期間が中期のみの作品だけに絞る。中でも、海北友松の展示替え分。

 今回の友松は3点。その中でも、「竹林七賢図」の、人物像を描いた、ゆったりとした筆捌きが、見ていて心地良い。あと、等伯の襖絵が1点。いつも金曜閉館前の静かな時間に来ている者としては、昼間のこの賑わいはやや意外だったけど、 そういえば、出光美術館と同じくらいか。

 

6/19

 橘いずみのベストアルバム「ゴールデン☆ベスト」を購入。いや、元のCDは全部有るんですけど。まぁ、せっかくだし。

 ところで、この「ゴールデン☆ベスト」というタイトル名、今回に限ったものではなくて、ソニー・ミュージックと東芝EMIの共同企画である、ベスト盤の共通タイトルらしい。全29タイトルの内には、越路吹雪とか黛ジュンとか、えらく古い人も混じっていてビックリ。あぁ、でも、サディスティック・ミカ・バンドのベストとかは欲しいかも。

 

 小津の回顧特集、「落第はしたけれど」。初期の小津には「…けれど」という名の作品が多い。私の文章みたい 。

 

6/18

 またしても「十二国記」だけ溜まってしまう。何故だろう。と思いつつ3話続けて見る。…どうでも良いけど、次回はそう来るなら、「月の影、影の海」じゃないじゃん(^^;;

 

 「アイルランド歴史紀行」 高橋哲雄 ちくま学芸文庫

 アイルランドの文化史をエッセイ風に綴ったもの。「ミステリーの社会学」(中公新書)なども書いている著者だけに、「なぜアイルランドの道路標識はあんなにも分かり難いのか」といった些細なことから「なぜアイルランドの政治運動は自滅的な失敗を繰り返してきたのか」といったこの国の根本に関わることまで幾つもの疑問への考察を通して、「失敗の専門家」であるアイルランド人の魅力を軽やかに語っている。

 非常に読みやすい文章で、アイルランドに特段の関心のない人でも面白く読めると思います。…まぁ、関心のない人は読まないでしょうけど。読んで損はない一冊。

 

6/17

 もっと、あっさり書くべきかも。

 

 「図説 ケルトの歴史 −文化・美術・神話をよむ」 鶴岡真弓・松村一男 河出書房新社

 鶴岡真弓は、昔のウゴウゴ・ルーガ風に言えば、「ケルトけんきゅうのえらいひと」。 日本のケルト関係の書籍で、この人が関わっていない物の方が珍しい。これも「ふくろうの本」とは思えないほど、内容の密度が濃い。ケルトってアルプス以北に居て、カエサルに負けた民族だっけ?などと怪しげな知識しかない者としては、ガリアのケルト部族分布図(聞いたこともない数十の部族名が載っている)とかを、いきなり見せられても付いて行けなかったりします。勉強にはなりますけど。

 しかし、この本の重点は、ケルトの歴史・文化を要領よく説明した教科書的な箇所ではなく、『近世の、ケルト文化の復興という動きが、英・仏が近代国家としてナショナリズムを高揚させる過程で、ローマではない「自前の古代」 を必要としたのと密接に関係している 』ことを明らかにするところにある。ケルト文化のイメージは今も、それら百年前の近代人が作り出した見方(近代社会が失った桃源郷であるとか)の影響下にあるという。 それに対し、現実の「ヨーロッパ諸文化の中のケルト」を見つめ直すことが、この本の目的といえる。

 

 ところで、今回の私の関心事には(英国には行かないので)含まれていないアーサー王伝説だけど、この本によると、コーカサス地方のオセット人(スキタイ人等、古代イラン系騎馬遊牧民の子孫)の伝承と強い共通点が存在するという指摘が、近年なされているらしい。ローマ人が彼ら騎馬民族を5千人ほどブリテン島に派遣した歴史的事実もあるとかで、彼らが伝えたのではないか、とか。

 これってやはり、英国人にとっては俄には受け容れ難い衝撃的な説だったりするのでしょうか。日本神話だと、起源が基本的に外来であるのは暗黙の了解という奴ですが、それでも、仮にシベリアの向こうで5千年前に話されていた伝承が更に大元 、とか言われたら、 ええ?と誰でも驚くと思うし。

 

6/16

 「アイルランド月間」が当初の予定よりやや延びたので、もう少し本を追加しようと、横浜そごう内の紀伊國屋書店に初めて行ってみる。おー、割と使えるかも。紀伊國屋書店なので、小説の単行本やコミックスの品揃えは例によって駄目だけど。人文系なものとかは充実しているし、美術書も意外に多かったし(今回とは関係ないけど)。

 山田章博の、あの8千円の画集も見掛けたのだが、これはやはり買っておくべきもの、なのだろうか。買った人の感想を聞かないのだが…

 

 「ヨーロッパ・カルチャーガイド10 アイルランド パブとギネスと音楽と」 トラベルジャーナル

 ヨーロッパ各国のサブカルチャーとライフカルチャーを紹介するシリーズの一冊。アイルランド篇は、特に音楽と食べ物の話題が多い。このシリーズは気軽に読めて良いのだけど、実際に何かの役に立つかというと、それには一つ一つの記事が浅過ぎるような 。まぁ、その国の雰囲気を知る、というためのものか。

 

6/15

 週末に天気が悪いと、いつもの道がぬかるんで歩けないので困る。代わりに電車の一駅間を歩く試み。戸塚・大船間 。長い区間なので、歩くのに1時間強掛かる。

 世間には、旧東海道を少しずつ制覇していくのが趣味、という人もいるらしい。私もやってみようかと思ったこともあるのだが、最初の内は良いけれど段々と(具体的には、静岡を越えた辺りから)そこまで往復するのが大変になるのが目に見えている。まさか毎回、新幹線を利用するわけにもいかないし。この辺を歩くのがせいぜい、かと。

 歩いたのは、桜の時期に少し歩いた川沿いの路。途中、カワウの群れを見掛けた。決して綺麗な川ではないのだけど、魚はいるらしい。

 

6/14

 「指輪」の映画の字幕改善運動が、ついに公式サイトでの実質的回答 (今後の作業に関して、田中明子氏の協力を明言)を引き出した模様。言質としてこれ以上のものを引き出すのは現実的には困難と思われるので、今回の回答は確かに、かなりの前進、と評価出来るような。DVD&続編の字幕が実際にどうなるのか、予断を許さないけれど。

 

 夏の旅行関連書籍。まずは「ガイドブック見る?」ということで。

 「地球の歩き方 81 アイルランド 2001〜2002年版」 ダイヤモンド社

 とはいえ、アイルランドに関する日本語のガイドブックは、この一冊しか出ていない、というのを知った時は、ショックだった。もっとマイナーな地域だって数多くのガイドブックが出ていると言うのに… そんなに人気がないとは思えないのだが。しかも、 この本、やたらと薄いし。これで一体、どうしろと? 

 「図説 アイルランド」 上野格・アイルランド文化研究会 河出書房新社

 「ふくろうの本」の一冊として、オーソドックスな内容&出来。歴史、文化、社会について一通り、述べられている。全体にやや物足りない気もするけど、アイルランドに関する最初の一冊としては悪くないかも。綺麗な写真が多く載せられていて、向こうの風景に対する期待が高まる。

 

6/13

 以前にも書いたのだが、現在放送中のアニメでは、作品としての出来という点で、「フィギュア17」が飛び抜けて優れている、と思う。

 語られている物語自体は別に新しくはないのだが、描写と演出がきちんとされれば、TVアニメでもこれだけの力を持つことが出来る、というのを改めて教えてくれる。私は途中から見始めたので、過去の分も平行して追い掛けていたのだが、今回、ようやく追い付 いた。

 物語全体の折り返し地点に当たる、第7話「さよならは言えますか」。

 平均して素晴らしいこのシリーズの中でも白眉と言える回。小学生である登場人物達の内心の動きを、学芸会のお芝居の稽古(とその芝居の内容)を通して描いてみせる 手際の見事さに、最初見た時同様、感嘆する。しかも、それが最終回への遠い伏線となっている(勿論、最終回をまだ見ているわけではないのだが)のが、見ていて切ない。

 TV放映の方は、(30分形式で)残り3話、1時間で1話構成という元々の形で言えば1話半。と今、まさに佳境に入っている。あとはどれだけ綺麗に終わらせてくれるか 、なのだが、今までの内容から言って、きっと期待を裏切らない最終回を見せてくれる筈。

 ちなみに、第6話までは基本的にビデオで見たのだが、第7話だけは、制作者に敬意を表してDVDを購入。でも、最終的には全13話揃えてしまう気が…

 

6/12

 誕生日な一日。しかし、そういう日の朝に限って、電車が不通になっていたりする 。…どうも、この日は昔から良い思い出が無いような。

 

6/11

 あれから一週間悩んでいたが、きりがないので今日、夏の旅行の予約を入れる。

 予約したのは、8月3日からの10日間。本当は7月に行きたかったのだが、7月分は人数が集まらず催行中止。予約した分も現在では未決定なのだけど、この夏に(ここで)1回はやります、という旅行会社の人の言葉を信じることに。結局、去年と余り変わらない時期になってしまったけど、元々高いので、ピーク時でも似たような価格だし、まぁ良いか(良いのか?)。

 日程も決まったし、もう、あと2ヶ月はわくわく月間ですよ! ……気が早過ぎ、かも。

 

6/10

 今年行きたい展覧会をもう少し追加。実際にこんなに行けるのか、定かではないけど。

 

 先月書いた、レンタルビデオによる小津安二郎作品、回顧企画、なのだけど、実は既に、少し前から開始している。

 どういうスタイルで感想を書いたものか悩んでいたのだけど、これ以上放置しておいても、忘れる一方なので、とりあえずページを作ってみた。…どこで笑えたかという、個人的なギャグのツボ集、でしかないような気もするけど 。

 一応、年代順に観ているので、誰でも知っている作品名が出てくるのは、まだかなり先になると思います。

 

6/9

 久々に、腕時計を買い換えた。今度は、日付欄付きのもの。パーペチャルカレンダーとかいって、うるう年を含め、日付が自動的に調整されるとのこと。2100年まで修正不要、 らしい。おまけにソーラーパワーなので、日当たりの良い?場所に置いておけば、100年後も正しい日付で動いている可能性もなきにしもあらず。私はその頃、既にいないけど。

 まるで飛梅のように、主を失っても変わらず、その日を示し続ける腕時計のカレンダー。その様を想像してみると、少し切なくなった。

 

6/8

 「建仁寺」展の紹介を見たら、 若冲に関 して、同じ表現をしていたので苦笑する。「目を見張る」というのは、月並みな言い回し過ぎたかも。少し反省。…でも、あの絵の具を見たら、普通、そういう感想が浮かぶと思うのですよ、ええ。

 

Novel 西澤保彦 「依存 幻冬社ノベルス

  「子羊たちの聖夜」「スコッチ・ゲーム」とそれに続く本書では、謎解きというミステリの構造が、主人公達が自らを「直視する」ための装置として働いている。いかにして、自分に関する「真実」を発見し、「告白」するに至るか。

 他人の事件の謎に関して、好き放題、仮説を立てまくる登場人物達の、ある意味、無責任極まりないミステリのシリーズが、こういう形へ進んでいったこと。 それが成り行きだったのか、当初からの予定だったのかは、よく分からないのだが、読者としては、気が付いたら、こんなにも険しい峰まで登ってしまっていたのか、ということに驚くばかり。

 基本的には人間関係に関する苦い認識に基づいた、重苦しい物語であるにも関わらず、それを上回る爽やかな景色を物語の最後に見せてくれる。ここまで登ってきて良かった、と思える作品。

 

Novel 西澤保彦 「謎亭論処 祥伝社 ノン・ノベル

 この際、現在までのタックシリーズは読み切ってしまおうと。こちらは、「解体諸因」以来続いている、純粋なパズラー小説。多分、この方が西澤保彦のミステリーとしては本領、なんだろうけど、私には、仮説どうこうを楽しむ、という能力は余り無いので、何となく読んでしまってお終い、という感じではある。勿体無いような気はするけど。

 

6/7

 学生時代に、観光客が思い浮かぶ京都の寺は(苔寺以外は)ほぼ訪ねている筈なのに、建仁寺について、殆ど印象に残っていないのは何故? …当時は余り公開してなかった?

 

Art 京都最古の禅寺 建仁寺  サントリー美術館 2002.6.4〜2002.7.7

 最大の目玉である、宗達「風神雷神図屏風」は、後期の6月25日以降のみ。その時期は、かなり混むと予想されるので、まだ空いている内に、他のものだけ先に見ておこう、という作戦である。実際、まだ始まったばかりでもあり、気持ち良い程に空いていた。

 また他の意味でも、先に来て正解。というのは、もう一つの目玉、海北友松の「雲龍図」が前期のみの展示。危うく見逃しかねないところだった。作品と展示期間はこの通り。こういう通知は、サイトを持っている美術館 なら、最初にやるべきことだと思う。他では殆ど見ないけど、良い先例となって欲しいもの。

 今回はとにかく、「雲龍図」が楽しい。遠くから目にするだけで、ワクワクしてしまう。「動」の魅力に満ちた水墨画。会場が空いているのを幸い、真ん中の椅子に座り、 二体の龍と暫く向き合っていた。禅寺の精神性とかいう文脈より、「疾風怒濤運動」等の流れを受けた異国のロマン主義的な絵画との共通点を考えた方が面白いのでは?と思ったりしながら。

 あとは、やはり若冲。保存状態が良かったのか、色彩の鮮明さに目を見張る。点数的には多かった白隠は個人的には余り惹かれないので、そんなものかという程度。むしろ、仙 香u七福神図」の脱力しきったウマヘタ絵振りの方が、私の好み。いや、かなり好きかも。仁阿弥道八のやきものも洒脱な味が有って良かったし、全体に充実。

 あとは中期と後期にまた来るとして。こういう時、年会費を既に払っている身としては気楽。

 

 ところで。龍って普通、鼻毛が出ているもの、だったっけ? …いや、見ていて、それが気になってしょうがなくて(^^;;

 

6/6

  そんなわけで、今月は、(私の中では)「ケルト&アイルランド月間」に大決定。

 

 せめて、ケルトの歴史と神話と渦巻き(←重要)に関すること位は、確認しておきたい、というわけで。帰りに本屋に寄って、文庫・新書中心に、とりあえず十数冊、ケルト関係の 書籍を購入してくる。 もっと読む暇があれば、やや専門的なもの(例えば「図説ドルイド」とか)にも手を出したいけど、これ位が限界でしょう、きっと。

 あとアイルランドといえば、何と言ってもジェイムス・ジョイス。なのだけど、恥ずかしながら、実は殆ど未読。う〜ん、柳瀬訳の「フィネガンズ・ウェイク」を今から読み始めても、行くまでには絶対読み終わらないと思うし、丸谷訳他の「ユリシーズ」3冊も、通勤時に手に持って読める重さだとはとても思えないし。大体、元ネタ?の「オデュッセイア」自体、あらすじしか知らない私。…この際、「ダブリン市民」「若い芸術家の肖像」といった短いものだけ、読むことにしようかなぁ(弱気)。

 

 そういえば、大学のゼミに、深い知識が空回りするタイプの先輩がいて、自己紹介する時にも「ジョイスもびっくりの二留(ダブリン)市民」とか言っていたけど、今にして思えば、柳瀬訳の超絶的な日本語(=一見、親父ギャグだけで組み立てたように見える文章)と共通するところが有るような、無いような。…無いか。あの人は今 、どうしているのやら。

 

6/5

 今週の私は、アイルランドがマイブーム。といっても、ワールドカップではなくて(それはそれで、凄かったけど)、先週から書いている、夏の旅行の話。

 

 ティールナ・ヌォーグ えいえんの〜、お〜もいは こ〜こ〜ろ〜、さまよわせ〜るだけ〜で〜

 などと口ずさみながら、ここ数日で山のように集めた旅行会社のパンフレットを見比べている。

 アイルランドなら、B&Bを渡り歩く個人旅行でしょ?と言われる方もいると思うのだけど、というか私も、それが正しいとは思うのだが、今回はその辺が目的ではなくて、いかに(楽して)効率的に回るか、という方が重要なので、割とお金が掛かっても、パッケージツアーを利用するのが得策かと。…効率的なんてことを求める奴はアイルランドなんて行くな、と言われたら、返す言葉はないけど。

 ちなみに、こういう地域は、大手より中小の旅行会社の方が、魅力的なコースを設定しているようなので、そういった、少人数を対象とした海外旅行専門業者のツアーを主に検討中。 そういう会社は、「熟年」とかいう、お金と暇を持て余している方々をターゲットにすることで成り立っているらしい。世の中には羨ましい人達がいるものである。

 従って、すっかり旅ずれした熟年の団体の中に一人放り込まれる可能性が高いような… まぁ、他人のことは余り気にしないことにする。昨年の医者ばかり、よりはマシだろう。

 もっとも、実際にどこのツアーにするかは、(どれも一長一短なので)未だ決めかねていている私。てゆーか、優柔不断?

 なので、前回悩んでいたポートメイリオン行きは断念。大体、コース自体、やはり不人気で、催行見込みが立ちそうもないようだし。

 

6/4

 アンドレイ・タルコフスキーの「鏡」。昔、録画したものがある筈だが、もはや行方不明なので、今夜のBSの放送を録っておくことに。

 「鏡」といえば、彼の作品の中でも最も難解、というか最も眠くなる(仮に全部起きているのに成功したとしても、後で、朦朧とした記憶しか思い出せない!)映画として有名だが、昔、ビデオに録ったものをぼーっと観ていた時、途中から突然、極めて明晰な作品に思えてきて、目の覚めるような驚きを味わったことがある。

 …もっとも、それは寝ぼけた頭による単なる勘違いだった可能性も高いので、機会があればもう一度ビデオで観直したいとは思っていた。まぁ、明晰であるかはともかく、景色の向こう側から「風が吹いてくる」シーンに関して、これより素晴らしい映画を私は知らない。

 

 というわけで、ここ2週は、タルコフスキー&エイゼンシュテイン特集らしい。「戦艦ポチョムキン」と「イワン雷帝」くらいしか観ていない後者の方が新たな発見がある気はするのだが、毎日映画を観るほど暇ではないので、エイゼンシュテインの方は断念。

 ところで、昔から「イワン雷帝」という言葉を耳にする度に何かが頭に引っ掛かっていたのだが、それが、鎌倉山にある料亭の名、「雷亭」だということに今気付いた。私の頭の中では、イワン蕎麦とかそういう風に変換されていたのか… そういえば「ポチョムキン」って、「食い物の恨みは恐ろしい」という映画でしたね(少し違います)。

 

6/2

 訳あって外に出られない一日だったので、部屋に籠もって、「十二国記」等、数週間溜めていたビデオを消化。

 「十二国記」は、ここへ来て、急に原作回帰? 続けて見ていると、陽子のキャラクターが全然、一貫していないんですけど。ちなみに、最新話の陽子は、ちよちゃんと一緒に旅をしていた。髪の毛、あんなに赤いのに…

 

 今後見に行きたいと思っている展覧会を、久し振りに整理してみる。実際は行かないもの、あるいは、他に、突発的に行くものもあるとは思いますが。というか、評価が定まったものばかり選び過ぎか。自分にとって新たなものを見に行くチャレンジ精神も必要ですね。

 

6/1

 夏の旅行。最初に思い付いた通り、アイルランド、で決まりつつあったのだが。パンフレットの次のページ、ウェールズ周遊のコースをふと見ていたら、途中2泊が「ポートメイリオン」 だった。

 ………そ、それはつまり「the village」、即ち「プリズナーNo.6」のあのロケ地、ではないですか! 聖地というのは大袈裟にしても、一度訪れてみたいとは番組を観た人なら、誰しも思うこと。それが、このコースさえ選べば叶うのか…

 しかし、コース自体は、登山鉄道の旅とか、全体にえらく地味なのが難点。わざわざ行くのであれば、モハーの断崖とか、イニュシュモア島の石垣といったような風景を見たいわけで。ポートメイリオンもケルト文化の地ではあるらしいけど、そのためだけに旅行するのは… とはいえ、この機会を逃したら…

 そんなわけで、主にアイルランド対ウェールズという狭い地域の中で、今まで以上に、悩み中。ううっ、どうしよ。