参考図書


・旅行に行く直前に、トルコに関しての最低限のことは理解しておこうと読んだもの。
・日記に書いた感想を転記しているので、くだけた表現となっているものが大半です。
・ジャンル毎(恣意的な分け方です)に掲載しています。お薦めなものも、そうでないものも入っています。


Essay

 「トルコで私も考えた」1、3巻 高橋由佳里 集英社

 今回、トルコに関する本をリサーチしたところ、一番人気があったのが、このComics。安直なタイトルだと思って(言うまでもなく、堀田善衛「インドで考えたこと」→椎名誠「インドでわしも考えた」→本書「トルコで私も考えた」)、実は今まで読んだことが無かったのだが、なるほど、なるほど。面白いですね、これは。

 旅行者としてトルコへ行き、ついにはトルコ人と結婚した著者の日常エッセーみたいな内容だが、この手のComicsにありがちな、面白く語ってやろうという過剰な演出がなく、割と天然にとぼけている感じなので、読んでいて嫌みがないのが良いところ。困るのは、トルコ料理(特に、トルコ菓子)の話が多くて、しかも美味しそうなので、欲求不満が募るところ?

 ちなみに、何故↑2巻だけ読んでいないかというと、それは単純に、本屋に見当たらないから(^^;; こういう本って、最新刊しか置いてない本屋が多いので。まぁ、急いで読まなくても良いかとは思っているのだけど…

 

 「トルコのものさし 日本のものさし」 内藤正則 ちくまプリマーブックス

 著者のトルコ滞在体験を通して異国そして異文化を理解するとはどういうことか(中高生向きに)平易に語った本。

 これは、とても良い本だと思う。外からの理念やイデオロギーで抽象的に異文化を断罪するのではなく、また逆に無批判に称揚するのでもなく、自分の目線で捉えた具体的な体験を元に、表面的な善悪ではなくて、何故そうなっているかという理由にまで踏み込んで理解しようとする姿勢の大切さを教えてくれる。真の意味で「教育的な」本。

 貧富の格差や、民族問題等、深刻な問題を幾つも取り上げつつも、トルコ人の友人達とのエピソードの紹介は軽妙で(特に、著者がトルコで運転免許を取ろうとする辺りの話が面白い)、読後感は決して悪くない。異文化そして異国の人との関係を,、著者のように築けるのなら、こういった問題も、もう少し解決の方向に向かう気もするのだが。

 

 「イスタンブール、時はゆるやかに」 澁澤幸子 新潮文庫

 トルコに惚れ込んだ女性バックパッカーの一人旅の様子を綴った旅行記とでもいうべきもの。

 かつて女性の一人旅が珍しく、また海外の生の情報が少ない中、旅行記が貴重だった時代の産物(もっとも旅自体は20年前だが、単行本は僅か10年前)。しかし、その後、海外の情報はインフレ的に増大し、ネットを探せば、幾らでも普通の人の旅行記が読める時代 。この手の本の価値は、大暴落したと言って過言ではない。今や、せいぜい、当時の価値の2,3割位?

 そういう状況下、あえて読んでみたのだが。各都市の歴史を説明する辺りは、(どこかの孫引きで)読む方が恥ずかしいし、旅行記自体は役に立つかというと、…これがまた何というか。トルコ人の並々ならぬホスピタリティーに恵まれて次から次へと貴重な体験をする、という展開で、実際そうだったのだろうとは思うが、「トルコに行けば、日本女性は、お姫様みたいなもてなしを受ける」と要約するしかない文章は 読者に、功罪でいえば後者の方をより多く引き起こしたのではないかと、やや心配になる。

 襲われそうになった挿話や、危険に釘を刺す箇所もあるが、全体は、おとぎ話というか、フェアリーテールのような調子。「Sachiko’s Adventures in Wonderland」? 首をちょん切ってしまえ!と言われるのではなくて、Queenのようなもてなしを受けるという意味での「アリス」。

 ちなみに、著者は澁澤龍彦の妹さんらしい。澁澤龍彦といえば、どの都市でも本屋しか探さなかったという位、現実の世界に関心が無かったというのを読んだことがあるが、その点、兄妹で性格が違ったのだろうか。それだけが面白かったといえば、少し面白かったが、本自体は、別に読まなくても良かった。

 

 「雨天炎天」 村上春樹 新潮文庫

 私が今さら紹介するまでも無いとは思うが、ギリシア聖教の聖地アトスを訪ねたギリシア編と、トルコの外縁に沿った道を四駆で一周したトルコ編からなる、村上春樹の旅行記。

 当たり前だけど、さすがに読み易い。お金を払って読む旅行記なら、これくらいでないと。内容的には、村上春樹的に言えば、「悪くない」とは思う。

 ただ、著者がこうした旅をしたこと自体は理解出来なくもないのだけど、それを何故、人に読ませようとしたのかはよく分からない。旅の途中、色々と大変なこと、というか不機嫌になることが多かったのは分かるが、要するに、これって愚痴? いや、「旅の愚痴」に関しては私も決して人のことは言えないのだが(^^;; でもこれは、売り物としての本なのだから、それが目的、というのは、ちょっとどうかと。最後も、この街で終わり?と不思議に思う終わり方で、言いたいことはとりあえず言ったからもう書くのは止めた、といわんばかり。

 (著者にとって)貴重な体験は体験として、自分の胸にしまっておけば良いようなことじゃないのかと、思った。

 東のヴァンという街で、街中の絨毯屋という絨毯屋が、地元の変わった猫である(泳ぐのが好きな猫らしい!)ヴァン猫を客寄せに使っている話とかは面白いのだけど。

 

 「イスタンブールのへそのゴマ」 フジイ・セツコ 旅行人

 Comics専門の本屋で購入したのだけど、「トルコで私も…」のようなComicsではなかった。イラストのページ+文章のページという内容。イラストといっても、絵の横に手書きの文章が細かく書かれた絵日記みたいなもの。

 著者の体験(イスタンブールでの数年の滞在生活)が良くも悪くも「そのまま」描かれている、という印象に加え、イラストの細かさも有って、さほど読み易くはない。だから、純然たる読み物としては、正直言って、どうかと思うのだが、もし同様にトルコに住むことを考えている人が読めば、色々役に立つディテールではあるのかも。

 ディテールの中で、一番興味深かったのは、毛の話。トルコでは(というか、多分イスラム教の国では)、全身の毛は手入れする(剃るor抜く)のが、当然らしい。というわけで、著者が、エステでの脱毛(いわゆるヘアーと呼ばれる部分の)を体験した(アーダという脱毛剤を塗ってから薄い布を貼って一気に剥がす(笑))話も。所変われば、ということでしょうか。

 

Guide

 「遠くて近い国トルコ」 大島直政 中公新書

 これって、私が生まれるより前に書かれた本なんだけど。今でも版を重ねているのは、新書としては凄いことのような。実際、トルコの紹介書としてはまだ充分に通用する。逆に言えば、今から見るとオーソドックス過ぎて、この本で無ければいけない、という独自性はさほど感じられないのだけど。

 興味深いのは、当時は、大学出たての若者が、こういう新書を書くチャンスがあり、そのニーズもあったということ。良くも悪くも、現地に出た者勝ち、みたいな時代だったのかも。ただ、あえて著者の略歴に日比谷・慶応と振ってあるところで、在りし日の日比谷高校出身者の代表という気はする。言ってみれば、庄司薫と同種のメンタリティー 。

 当時は、この本も、もっと熱心に読まれたのだろうな、とやや懐古的な気分に浸る。(昔も今も「遠くて近い」)トルコ以上に、昭和は遠くなりにけり、と思った。

 

 「ヨーロッパカルチャーシリーズガイド トルコ イスタンブルは今日も賑やか」 トラベルジャーナル

 「アジア楽園マニュアル 好きになっちゃったイスタンブール」 双葉社

 本の大きさといい、その国の様子を生活やサブカルチャー主体にコラム自体で紹介する形式といい、似たり寄ったりの2冊。というか、2冊とも読む必要は普通、無い(^^;; あえて言えば、「ガイド」の方が、色々な分野に平均的に目配りされていて、「ガイド」として真っ当な感じ。「マニュアル」の方は、何故かハマム(蒸し風呂)での三助や、街頭のジュース売りを体験してみたりと、妙な記事が多い。…お笑い系?

 

History

 「イスタンブールを愛した人々」 松谷浩尚 中公新書

 なぜか、中公新書が続くトルコ月間。著者は、元イスタンブール領事。トルコにかつて滞在した12人のエピソード(その内、日本人は5人)を通して描く、トルコ近代史。なるほど、歴史のあるところは、面白いエピソードに事欠かないものだというか。色々と興味深い話が載っている。

 個人的に盲点だったと思ったのは、橋本欣五郎の章。トルコが日露戦争での日本の勝利に狂喜し、ケマル・パシャ(アタチュルク)の近代化政策でも日本の近代化の成功が強く意識されていたというのは(日本でのトルコ紹介書で必ず取り上げられていることなので)知ってはいたが、戦前の陸軍が目指した「昭和ファシズム」、要するに、強権的な国家革新運動、もっと言ってしまえば、あれやこれやのクーデター(未遂)が、ケマル・パシャによるトルコの強権的な近代化を模範としていた、というのは知らなかった。アジアの東と西で、奇妙に影響関係が往復していたわけだ。

 もっとも、幸い(というべきかは不明だが)日本のケマル・パシャは現れず、ずるずると戦争に突入していく以外のことは起きなかったのだが…

 

 「トルコのもう一つの顔」 小島剛一 中公新書

 トルコでは、大多数の少数民族の言語は、その読み書きが禁じられている。というより、トルコ政府は建国以来、『トルコ国民は全てトルコ人であり、トルコ語以外の言語は国内に存在しない』との公式見解を変えておらず、従って、「存在しない言語」で読み書きする者などいる筈がない、という立場を堅持しているという。

 実際には多くの少数民族とその言語が存在するのだが、彼らに対する、政府による差別と抑圧の実態、それこそが本書で描かれる「トルコのもう一つの顔」である。

 だから著者が十数年行ってきた、トルコの少数民族言語の研究は、いつトルコ政府からどんな目に遭うか分からない、大変危険な研究でもあったわけで、後半部分、実際に政府からの環視を受ける辺りの記述は、読んでいて非常にスリリング(実際に連行され、拘置されたりもする)。

 トルコにおける少数民族の存在は、難しい問題だと思うが、観光客は知らなくて構わない、では済まされないような。ただ、覚悟無く、うかつに口を挟めるような問題でもないわけで…

 

 「オスマン帝国の栄光」 テレーズ・ビタール 創元社 知の再発見双書

 オスマントルコについて、簡単に復習。この辺の歴史はすっかり忘れていたと思ったが、読んでいて「知の再発見」というほどの新たな驚きは無かった。まぁ、大まかな流れとしては、帝国というのは膨らんだ後は縮むだけだから。巻末の歴代スルタン一覧を見て、受験で世界史を勉強していた頃は、こういう三世、四世、五世といった皇帝や王様は誰が誰やら覚えきれず、迷惑この上ない、と思っていたことなどを思い出した。

 昔話はともかく、この双書の一冊としては可もなく不可もなく、という感じ。スレイマン大帝萌え?な美術史家の女性が書いた本らしく、スレイマンに対してだけ、とにかく賛美しているのが、ちょっと笑えたけど。

 

 「黄金のビザンティン帝国」 ミシェル・カプラン 創元社 知の再発見双書

 ビザンティン帝国について、簡単に復習。と、昨日と同じ書き方で済ませようかと思ったが、実際のところ、ビザンティン帝国については、ほとんど知らなかったので、こちらは割と新鮮だった。都市住民の暮らしに加え、当時の農業の状況まで、広く社会を押さえた概説書だったことも理由の一つ。

 ビザンティン人が、黄昏の世界で、自らの国だけが(キリスト教の)正統性を備えた最後の帝国である、と信じ続ける姿は、確かにどこか気高くさえ思える。異教徒ならぬ「十字軍」によって侵略されたりする歴史を後世から見れば、悲劇という以上に、茶番としか見えないとしても。実際の彼らは付き合いにくかったであろうし、滅びたことに対して、同情を引かない国だとは思うが、敬意を払われるべき文明ではあったという気が。

 

Novel

 「コンスタンティノープルの陥落」 塩野七生 新潮文庫

 これも、基本中の基本らしいので。実は、塩野七生というのは、今まで何となく敬遠していた作家の一人なのだけど、読んでみてその理由が少し分かった。歴史上の出来事をまるで見てきたかのように作者が語る、いわゆる「歴史小説」というのが、私はどうも苦手なのだ。特に、登場人物の心境を語ってみせる辺り 。

 だから、この話でも、ビザンチン帝国とオスマントルコの、コンスタンティノープルの攻防戦に関わる辺りは、それほど夢中になれず。戦い終わってからのエピローグ部分、「その後、どこそこで静かな余生を送った」という辺りは、結構、好きなんだけど、それは考えてみたら、そういう心理描写がなくなって客観的に史実を語っているだけだから。つまり、小説として歴史を読む趣味は、私には無いようなのだ。

 ところで、この攻防戦といえば、鎖で封鎖された金角湾にトルコが艦隊を送るため、船を山越えさせたというエピソードが有名なので、私は、他の歴史的な山越え作戦と同様、奇襲が効を奏して勝敗を決したような印象を勝手に持っていたのだけど、実際は、要するに、トルコ側が物量的に圧倒した、というだけのことらしい。 いわゆる、勝負は火力、という奴ですね。


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